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合戦には勇み、用心には怯えよ

2021年12月31日 16:35

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/30(木) 20:25:21.90 ID:oDRkw3R5
或る記に、大阪冬の陣の折、幕府方の阿部四郎五郎が先手に使いして帰るときに、竹束の外を通った。
安藤対馬守重信がこれを見て言った

「要らざる所の勇である。合戦には勇み、用心には怯えよという諺は誠に理に当たっている。
いつであっても内を通るように。」

これに対して四郎五郎は
「先手の者に、ここが道であると言われたので、外を通ったのです。」と答えた。
重信は重ねて

「御旗本より先手に来る者に対して、そのように心を試みる習いがあるのだが、これは順和の儀ではない。
御先手と旗本が、互いに励むのは強みとなるが、争っては弱みとなり、敗北を取る基となるのだから、
自らよく戒め、このような事をしてはならない。」

と言ったという。

新東鑑



914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/30(木) 20:58:24.22 ID:Q/p687mU
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-890.html
可児才蔵「使いをするならば行くときは安全を期し竹束のうちを通れ。
帰る時は撃ち殺されてもさしつかえないから竹束の外で問題ない」

の話を聞いた者たちが真似した可能性

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/30(木) 21:03:48.10 ID:aWDff+Uq
変な度胸試しが戦場で流行ってたから普通に怒られたと

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 11:03:42.64 ID:JEoRzf06
帰って、無事連絡できましたと伝えないといけないから死んでも構わなくは無いように思うのだが

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/31(金) 11:39:38.17 ID:rAYFcplV
帰るまでがお使いです
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「門松をやる。」

2016年12月14日 16:57

418 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/14(水) 12:09:46.27 ID:TPR3JAZq
お正月も近いので、門松関係の逸話を

江戸時代、諸大名のなかで、
唯一将軍家から門松を拝領していた藩があります。

奥州磐城平藩安藤家です。

安藤家の先祖、安藤重信は、家康の囲碁の相手をよくしていました。

ある年末の夜のこと、いつものように家康と囲碁をしていたところ、家康が勝たないので退出時間を過ぎても帰城させてくれませんでした。

そこで、重信が「屋敷に帰宅し、門松の準備を致したいのですが。」と言うと、
家康は「門松をやる。」と言いました。

家康が勝ったので重信が屋敷に帰りますと、将軍家と同じ門松が届いていました。以来、毎年門松の拝領がありました。



いま一言をもって日延べをお許しになられたこと

2016年05月29日 13:09

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/29(日) 09:31:21.71 ID:9iJTYgQ1
慶長の末年、大久保相模守忠隣は本多正信の讒言により、所領を召し上げられた。

その時、安藤対馬守(重信)は小田原の居城を受け取るべしとの命を受け、大久保の
家老・天野金太夫を呼び、「当城内外の諸臣らは、今明日のうちに他所へ退出せよ」
との旨を命じた。すると天野は曰く、

「主人・忠隣の事は、不幸にして罪を蒙り、臣らは今この命を承って、公儀に対して
誰が異議に及ぶことだろう。されども、家臣がこの城を預かり守る主人の命令無くして
他に城を渡すことは臣たる者の道に非ず。

それに、いま城下にいる小臣奴婢などの類は多い。彼らがすぐさま退かなければ
ならないことについて、少なからず憂いがある。この事をぜひともお察しして頂きたい!」
と、言った。その言葉は意気盛んであった。

安藤はこれを聞くと、「私はいま上意のままに命令をなしている。しかしながら、
汝の言うことは実に道理である。日を延ばして城を渡すようにせよ。私がこの事を
取り計らおう」と言って、退いた。

天野は曰く、「わたくしめは、齢傾き見苦しくとも一刀を下して皺腹を切り、貴殿の
馬前を汚さんと思ったのに、いま一言をもって日延べをお許しになられたこと、幸い
これに過ぎず!」と、厚く感謝した。

さて、主人・忠隣からの下知を待って、その後は内外とも騒々しくはならずに神妙に
立ち去った。「大臣たる者の振る舞いはこのようでこそあるべきである」と、諸人は
感賞したということである。

――『明良洪範』