882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 12:41:13.00 ID:SrqavXuK
寛永13年、将軍徳川家光は江戸城外郭の総石垣、見附桝形、並びに総堀普請を諸大名に命じた。
麹町の見附は松平長門守(毛利)秀就の町場であり、ある時、家光は普請の状況を見るため
この秀就の町場を訪れた。
秀就に任命された普請総奉行の益田修理(就固)は、竹杖を横に伏せて平伏しこれを迎えた。
この益田に家光は尋ねた
「益田は所持している小倉山荘の色紙を、今回は持参してきたのか?」
益田謹んで、持参していることを伝えた。
「ならばその掛け物を見るため、茶を行いたい。」
主人の秀就は御礼申し上げ、その町場に仮の御茶屋を造った。
益田修理が所持している小倉山荘の色紙は、能因法師の歌で
『さびしさに 宿を立出で眺むれば いずこもおなじ秋の夕ぐれ』
これが書かれたものであった。
益田修理は公儀御普請の総奉行を命ぜられ参府の所に、思いの外である色紙を持参して、
これを将軍家のお尋ねに預かり、思いの外の冥加に叶う事となった。
ここより、武士たる者は心を配り相嗜むべきと言われるが、この益田が色紙を持参していたのは、
万端の心得が有った事だと、人々は沙汰し合ったのである。
(玉露叢)
寛永13年、将軍徳川家光は江戸城外郭の総石垣、見附桝形、並びに総堀普請を諸大名に命じた。
麹町の見附は松平長門守(毛利)秀就の町場であり、ある時、家光は普請の状況を見るため
この秀就の町場を訪れた。
秀就に任命された普請総奉行の益田修理(就固)は、竹杖を横に伏せて平伏しこれを迎えた。
この益田に家光は尋ねた
「益田は所持している小倉山荘の色紙を、今回は持参してきたのか?」
益田謹んで、持参していることを伝えた。
「ならばその掛け物を見るため、茶を行いたい。」
主人の秀就は御礼申し上げ、その町場に仮の御茶屋を造った。
益田修理が所持している小倉山荘の色紙は、能因法師の歌で
『さびしさに 宿を立出で眺むれば いずこもおなじ秋の夕ぐれ』
これが書かれたものであった。
益田修理は公儀御普請の総奉行を命ぜられ参府の所に、思いの外である色紙を持参して、
これを将軍家のお尋ねに預かり、思いの外の冥加に叶う事となった。
ここより、武士たる者は心を配り相嗜むべきと言われるが、この益田が色紙を持参していたのは、
万端の心得が有った事だと、人々は沙汰し合ったのである。
(玉露叢)
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