溝口秀勝の関ヶ原・いい話

2008年11月16日 00:09

堀秀治   
417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 01:09:00 ID:cKjR9E3+
慶長3年(1592)、大聖寺城主・溝口秀勝は堀秀治の与力大名として新発田6万石に栄転になり
新たな領土に向かった。
途中、寺泊まで来ると、上杉家が去ったスキを狙って暴れていた野武士団200人ほどに
不意を突かれ襲われた。引越し中の秀勝一行はロクな装備も無く、窮地に陥った。

その時、野武士に背後から別の集団が襲い掛かった。秀勝一行は、この謎の一団と組んで
野武士を挟み撃ちにすることで撃退することが出来た。
事が決すると、一団の頭が名乗り出た。「手前は寺泊の商人、菊屋新五郎と申します。」
治安悪化の時節、傭兵を雇って巡回していたこの男に秀勝は救われた。

関ヶ原の戦の際、堀久太郎は上杉の扇動による一揆に悩まされた。私兵すら持つ菊屋も
上杉との関係を疑われ、春日山に連行された上、牢に囚われ、死罪と決まった。
ひそかに面会に来た手代・新吉に新五郎は伝えた。
「かくなる上は貸しのある溝口様を頼る他ない。済まぬが、新発田へ走ってくれ。」

新吉の訴えを聞いた秀勝は驚き、すぐに春日山へ行き、久太郎に新五郎の解放を頼んだ。
しかし、一揆に苦しめられ、疑心暗鬼の久太郎は菊屋を許そうとしなかった。
「ええい!この上は是非もないわ!」そう言い捨て、秀勝は去った

と見せかけ、手勢を率い押しかけ、牢を囲んだ。これ以上の騒動を避けた久太郎側が折れ、
菊屋新五郎は秀勝によって新発田に連れ出された。(菊屋五十嵐家家系由緒書)

Q太郎と貸し借りの話が出たので。で、この恩を感謝して、新発田じゃ秀勝の官名(伯耆守)に
遠慮して「ホウキ」(掃除道具)のこと「ナデ」って呼ぶって本当でつか?>新発田の方



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