大砲の功

2016年09月20日 17:05

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/20(火) 14:17:48.59 ID:b/22oOZi
大阪冬の陣のとき、菅沼左近定芳は、本多美濃守忠政の組にあって、備前島に仕寄を附けた。
ここは大阪城の近辺であったため、徳川家康より大砲数十挺が下されていた。
しかしここでの大砲による攻撃は、思ったような戦果を上げなかった。

このような中。定芳は御鉄砲方の井上外記正純、稲富宮内重次、牧野清兵衛正成にこう言った
「この頃放つところの鉄砲は、城の上を越して効果がありません。今後は、
石垣の下、水際の上辺りを狙って放つべきでしょう。」

先の三人は定芳のこの指図を守って大砲を放つと、案のごとく命中し、城の塀、櫓を破壊した。
これに大阪城中にあった女子供は肝を消し、魂を失ったという。
この後、和議が入りついに和平となった。

その後、将軍徳川秀忠は伏見城において菅沼定芳を召し、大阪城攻めにおける大砲の功を大いに賞賛し、
御前において黄金二十枚を下賜されたという。

(菅沼勲功記)





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