294 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/11/04(金) 22:04:09.52 ID:tmdEyaJP
DQN四天王を祭る神社
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3329.htmlでは、
> 島津忠恒…鶴嶺神社(鹿児島県鹿児島市)
と書かれていますが、鶴嶺神社の御祭神は忠恒だけでなく
初代薩摩大隅日向国守護職、島津忠久公はじめ島津氏歴代の当主とその家族、玉里島津家の当主と
その家族で、従神は(忠恒の)家臣五名と殉死者四十五名の大所帯です。
鶴嶺神社は島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺が廃仏毀釈の憂き目にあい、その代わりとして明治2年11月に
29代当主の島津忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と
号したのに創まります。(大正六年に現在の場所 (鹿児島市吉野町)へ移された)
特に16代当主義久の三女である亀寿姫(持明院様、じめさぁ)を祀る神社として有名で、多くの女性が参拝に訪れます。
(鶴嶺神社で分けていただいた紅でお化粧をすると女児が美しく育つ、またはお参りすれば美しい女性になれると
いう言い伝えがあります)
亀寿姫が亡くなったのが1630年(寛永7年)十月五日なので、毎年月遅れ命日に当たる11月5日には
女性だけが参加できる神事「持明祭」が行われます。
(以後の文章は2015年に「持明祭」に参加した知人の話と地元テレビのニュースを参考に書いております)
まずは、神社に隣接する尚古集成館で学芸員さんによる、持明院様に関する歴史講座があります。
内容は、「豊臣秀吉に人質として捕えられているとき、亀寿姫が本当に義久の娘か、と疑われた際に、秀吉側の人から
脅されてもなお落着き払った態度を示し、その美しさも相まって、本物に違いないとされた」
「鹿児島市立美術館にある石像は亀寿姫ではない」
(参考 ジメサア http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10253.html)
「家久(忠恒)とは仲が良くなく実子には恵まれなかったが、19代当主になる光久の後見となった」などです。
次に日本の伝統文化である(唯一の紅屋の紅ミュージアムの方による)「紅」の講座です。内容は
「原料には、山形県産の最上紅花を使用し、咲いた紅花の花弁を摘み取り、「紅餅」に加工してから紅屋などに卸されます」
「紅匠(紅職人)は、幾工程もかけて紅餅から純度の高い赤色色素を取り出し、長年の経験で培った熟練の勘で、玉虫色の
紅を作り上げます」
「玉虫色の紅を下唇に重ね塗りし、緑色(笹色)にする化粧法「笹紅(ささべに)」が文化文政(1804-1829)の一時期に流行」
「現在紅匠は男性二名のみで、工場は女人禁制です」などです。
次に鶴嶺神社の拝殿に移動し、持明院様の神事に参列して、美と健康を祈願します。
島津家の神事なので、神事には現在の島津家当主の島津修久氏も参加されます。
(女性の為の神事なので拝殿に入る男性は神主さんと島津修久氏だけで、スタッフの方とテレビ局の人は外で待機です)
(拝殿には壁がないので神事の進行やテレビ撮影に不都合はありません)
その後は、隣接する仙巌園に移動し美容と健康をテーマに旬の食材をふんだんに使った限定御膳「美人御膳」を食べて
終了となります。
(「持明祭」に参加した人には紅が入った紅御守と持明院様絵馬が授与されます)
※「紅」の講座が行われているのは、紅屋の人が観光で仙巌園を訪れた時に持明院様の話(持明院様が祭神の鶴嶺神社で
分けていただいた紅でお化粧をすると女児が美しく育つ)を知り仙巌園に企画を持ち込んだそうです。
296 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/11/05(土) 18:58:47.58 ID:gMaZk05K
294の追加
鶴嶺神社は明治以降ですが、江戸時代には島津家の敷地内に持明院様
を祀るお社があり、島津家の女性がよく詣でていたそうです。
また亀寿姫に所縁のあるお寺にも(江戸時代から)多くの女性が
詣でていたそうです。
295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/05(土) 17:45:26.35 ID:QVN5kFO/
>>294
結構新しいんだな
DQN四天王を祭る神社
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3329.htmlでは、
> 島津忠恒…鶴嶺神社(鹿児島県鹿児島市)
と書かれていますが、鶴嶺神社の御祭神は忠恒だけでなく
初代薩摩大隅日向国守護職、島津忠久公はじめ島津氏歴代の当主とその家族、玉里島津家の当主と
その家族で、従神は(忠恒の)家臣五名と殉死者四十五名の大所帯です。
鶴嶺神社は島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺が廃仏毀釈の憂き目にあい、その代わりとして明治2年11月に
29代当主の島津忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と
号したのに創まります。(大正六年に現在の場所 (鹿児島市吉野町)へ移された)
特に16代当主義久の三女である亀寿姫(持明院様、じめさぁ)を祀る神社として有名で、多くの女性が参拝に訪れます。
(鶴嶺神社で分けていただいた紅でお化粧をすると女児が美しく育つ、またはお参りすれば美しい女性になれると
いう言い伝えがあります)
亀寿姫が亡くなったのが1630年(寛永7年)十月五日なので、毎年月遅れ命日に当たる11月5日には
女性だけが参加できる神事「持明祭」が行われます。
(以後の文章は2015年に「持明祭」に参加した知人の話と地元テレビのニュースを参考に書いております)
まずは、神社に隣接する尚古集成館で学芸員さんによる、持明院様に関する歴史講座があります。
内容は、「豊臣秀吉に人質として捕えられているとき、亀寿姫が本当に義久の娘か、と疑われた際に、秀吉側の人から
脅されてもなお落着き払った態度を示し、その美しさも相まって、本物に違いないとされた」
「鹿児島市立美術館にある石像は亀寿姫ではない」
(参考 ジメサア http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10253.html)
「家久(忠恒)とは仲が良くなく実子には恵まれなかったが、19代当主になる光久の後見となった」などです。
次に日本の伝統文化である(唯一の紅屋の紅ミュージアムの方による)「紅」の講座です。内容は
「原料には、山形県産の最上紅花を使用し、咲いた紅花の花弁を摘み取り、「紅餅」に加工してから紅屋などに卸されます」
「紅匠(紅職人)は、幾工程もかけて紅餅から純度の高い赤色色素を取り出し、長年の経験で培った熟練の勘で、玉虫色の
紅を作り上げます」
「玉虫色の紅を下唇に重ね塗りし、緑色(笹色)にする化粧法「笹紅(ささべに)」が文化文政(1804-1829)の一時期に流行」
「現在紅匠は男性二名のみで、工場は女人禁制です」などです。
次に鶴嶺神社の拝殿に移動し、持明院様の神事に参列して、美と健康を祈願します。
島津家の神事なので、神事には現在の島津家当主の島津修久氏も参加されます。
(女性の為の神事なので拝殿に入る男性は神主さんと島津修久氏だけで、スタッフの方とテレビ局の人は外で待機です)
(拝殿には壁がないので神事の進行やテレビ撮影に不都合はありません)
その後は、隣接する仙巌園に移動し美容と健康をテーマに旬の食材をふんだんに使った限定御膳「美人御膳」を食べて
終了となります。
(「持明祭」に参加した人には紅が入った紅御守と持明院様絵馬が授与されます)
※「紅」の講座が行われているのは、紅屋の人が観光で仙巌園を訪れた時に持明院様の話(持明院様が祭神の鶴嶺神社で
分けていただいた紅でお化粧をすると女児が美しく育つ)を知り仙巌園に企画を持ち込んだそうです。
296 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/11/05(土) 18:58:47.58 ID:gMaZk05K
294の追加
鶴嶺神社は明治以降ですが、江戸時代には島津家の敷地内に持明院様
を祀るお社があり、島津家の女性がよく詣でていたそうです。
また亀寿姫に所縁のあるお寺にも(江戸時代から)多くの女性が
詣でていたそうです。
295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/05(土) 17:45:26.35 ID:QVN5kFO/
>>294
結構新しいんだな
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