勇者の思い

2017年06月17日 10:00

岡左内   
37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/16(金) 20:39:16.21 ID:5Rqe2+am
関ヶ原の役の時、奥州において上杉景勝伊達政宗取合の時分、景勝勢は福島より二里出て
政宗と戦った。

この時。北川図書という者、元は蒲生氏郷に仕えていたが、氏郷没後は景勝に属し、
景勝より桑折の地を与えられ、その頃郡図書と名乗っていた。

図書はこの合戦で討ち死にを覚悟し、朋輩である岡左内に頼んだ。
「私の陣羽織を息子の久兵衛に遺したいので、討ち死にの際にはこれを遣わしてほしい。」

左内は受け取り、後に図書の子・久兵衛にこれを渡した。図書は討ち死にしたのだ。

この事について、後の人は様々に評した。
ある人
「同じく戦場に臨んで、我も人も必死をこそ旨とすべきなのに、どうして自分が必ず生き残ると思い、
人の形見を請け取るなど有るべきだろうか?」

これに対して、傍らに居た人が言った
「そうではない。互いに言い交わし話し交わした心友の間で、その人を見込んでこう言っているのに、
請け取らないということが有るだろうか?
自分が必ず生き残るから、受け取って渡す、と言っているのではない。彼の形見を我が預かり、
我が形見を彼に預けるというのは、勇者の思いを込めた行為というべきではないだろうか。」

この岡左内という人物は、後に越後と称し、類まれなる勇士で、数度の戦功を成した。
この時の戦でも、川中で伊達政宗と太刀打ちして、自分の猩々皮の羽織に、政宗の太刀傷二ヶ所まで
受けたと言われている。
彼も蒲生氏郷に属して、後に景勝に仕え、その経歴もあって北川図書と親しんでいたとか。

北川図書の子孫は、今も加賀太守(前田家)の家中にあるという。

(士談)


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その後の守銭奴

2012年02月23日 22:13

岡左内   
51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 22:45:53.89 ID:T4qMyPMW
その後の守銭奴

上杉景勝の家臣・岡左内定俊は、主家の米沢転封後、その苦しい台所事情を思い上杉家を退転した。

武門名誉の家にあってなお勇名を馳せた左内は、たちまち諸大名から引く手あまたとなったが、左内自身は
「馴染みがあり申すゆえ」と、上杉家以前に仕えていた蒲生氏郷の子・秀行のもとに馳せ参じた。

秀行は、六十万石で会津に復帰すると、左内に知行一万石を与え、猪苗代城代の重職を任せた。
小大名並みの禄を手にするに至った左内だったが、相も変わらず憑かれたように金を貯めこみ、月に二、三度は
例の小判を敷き詰めた上に、素っ裸で寝転がる奇癖を繰り返す日々を送った。


秀行が亡くなり、忠郷の代になったころ、左内も床に伏せたきりになった。
『もはや、これまで』と思い定めた左内は忠郷とその弟・忠知に、「おかげを持ちまして蓄えることが出来申した。」
と書状を添え、忠郷には黄金三万両と正宗の太刀、忠知には三千両に景光の刀と貞宗の脇差を贈った。

残った金も、知人あてに五両・十両と包んで贈った左内の手元には、大きな鋏箱のみが残された。
「この箱は、いかがいたしましょう?」
「焼き捨てよ。上杉を去るに及んでも、やったことだ。世を去るに及んでも同じことよ。」

箱には、山のような借用証文が入っていた。

箱が炎の中に消え、最後の心残りが消えたのを見届けた左内は、静かに息を引き取った。
(増補武辺談他より)




52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 22:51:57.54 ID:FkJRvtkB
>>51
いい話だが、子供とか孫はいなかったのか気になるわ

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/22(水) 22:56:47.53 ID:2aJOXZC0
>>51
相変わらず岡左内はかっこ良いな
お金は大好きだけど、お金より価値がある物が何か、きちんと知っている所がかっこいい

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 07:26:40.45 ID:lxGdZQgQ
>>52
蒲生改易後には黒田、津軽と転仕したみたい

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 07:41:23.83 ID:P4RxIOwS
岡左内ってwikipediaに記事無いのか
岡定俊なのか岡野定俊なのか不明だからか?

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 07:48:09.58 ID:1uU3n+KI
>>58
諱が不明な場合は、通称や受領名でも問題ない。

そこそこ有名な人でも記事が無いのはよくある。
初回投稿が書籍の丸写しで削除されりすることもあるし。

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 08:59:52.85 ID:rWmunvUq
札束プールの起源がこんなところに

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 19:13:36.18 ID:0tI0QjdN
上杉家から退去するさい千両箱山積みにして出奔したのか?
よく野武士に襲われないな

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 20:07:42.89 ID:3dhPOhoW
>>61
全部人に配るなりして処分したんじゃない?
>焼き捨てよ。上杉を去るに及んでも、やったことだ。
ってあるし、空箱を一度燃やしたと読んだ

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 20:12:06.78 ID:2ksx7cdF
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-574.html
焼き捨てた話はこれだろう(上杉の武将たちの借金の証文を燃やした話)

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 20:31:24.83 ID:RKPdtbmy
上杉の窮状をみて退去なら、この性格からして献上してると思う

戦仕度で使いきってるかもしれんが

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/23(木) 20:34:14.41 ID:1LgKJCwU
>>64
戦になる前に、既に献上してるじゃないか。

70 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/25(土) 15:36:45.71 ID:csoDdknR
>>51
>>63
爆発炎上する車を後にして去っていくアクションヒーローみたいに
燃えさかる借金証文の箱の山を後にして退去する岡左内の姿が
脳内再生されたwww

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 17:22:13.21 ID:Oew1FANc
岡左内「上杉家から(家中の証文を)燃やして参った!」

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 18:16:06.25 ID:4CDCr6mD
利家が拾いに行きそうだ

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 18:22:28.36 ID:OwtqLm62
利家も死ぬときに借金の証文燃やしたんじゃなかったか、

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 21:15:08.01 ID:PVk/WZBd
官兵衛「某も半兵衛殿に殿から頂いた書状を燃やされ申した」

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 13:41:58.01 ID:C/BifgBn
織田信長「燃やすだけでは駄目だ、灰を水に溶いて飲まないと!」

岡左内、能を楽しむ

2010年08月11日 00:01

岡左内   
592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 19:56:05 ID:vKf71HvF
悪いスレで『会津陣物語』出典の話を投下したので、ついでにこちらにも。

お金を貯めるのが大好きで、部屋一杯に銭を敷き詰めてそこに寝転がって楽しんだり、
そうかと思えばその銭を放っぽり出してトラブル解決に尽力してたり、仲間に貸した金の証文を
惜しげもなく焼き捨てたり。お金が大好きだケド、お金の使い道も、お金よりも大事なモノも知っていた岡左内。

元々は蒲生氏郷に仕えていたのだが、蒲生家転封に従い上杉景勝、更に関ヶ原後は蒲生家に復帰という
経歴を持っている。

これがいつの頃の話だかは記録されていない。が、出典は『会津陣物語』なので、上杉に仕えていた頃の話か。


家中に陣触れがあり、上杉家の武士達は皆、武具の用意や手入れ等、合戦の準備に大わらわとなっていた。
しかし、普段は能の役者を呼ぶコトのない左内の家だけが、陣触れなぞどこ吹く風、とばかりに
役者を呼び寄せ、息子にまで能を舞わせ、盛大な能の会を開いていたと言う。

不思議に思った友人が「合戦の準備は良いのか?」と聞くと左内は答えた。

「合戦の準備? 何か特別なコトが必要か? 普段から武に心を配っていれば、明日出陣だと言われても
困るコトなどないだろう? それよりも、ワシも人並みに能は好きなんだが、普段はお前達の家に呼ばれているとかで、
役者が捕まらんのだよ。しかし、
合戦前になると、彼等はヒマになるらしくてな。まぁ、明日討ち死するかも知れぬからな。この世の記念にと
盛大に宴会をしているのだ」

武士なんだから合戦の準備など、普段からやっとけよ。と言う岡左内の心がけの良い話、というか同僚への皮肉?
後、他の逸話を読んでると、役者さんへのギャラを値切ってそう……「ヒマな時なら安く呼べる!」とか(笑)


あ、ちなみに『会津陣物語』では岡左内ではなく、岡野左内となっています。間違いなく同一人物なので、
他の逸話に合わせて「岡左内」としておきました。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 20:37:47 ID:Jf9Lzccp
会津に普段からプロの能役者が定住してたのか?
そうだとすればびっくりだけど。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/10(火) 20:50:37 ID:w5yUzIJT
上杉家のお抱えとかじゃないか?
武士の基礎教養みたいなものだし、上方との付き合いも活発化している時代性を考えれば
そう不思議でもない気がする。

岡左内の賛否両論・いい話?

2009年05月23日 00:07

岡左内   
820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 09:24:45 ID:1M/qbpsf

賛否両論

北の関ヶ原において、上杉軍と伊達軍が戦った、松川の戦い。

この合戦にのぞむ上杉軍の中に、北川図書と言う者がいた。
彼は元は蒲生家に仕え、その後上杉家へと仕えたのだが、蒲生家の時代より同僚であり、
今も同じく上杉に仕える岡左内とは、親友の間柄であった。

合戦の前、北川は岡に、
「俺に何があったら、これを息子に渡して欲しい。」
そう言って、自分の陣羽織を渡した。左内は、「わかった」と言って、それを受け取った。
はたして北川は討ち死。後でその陣羽織は、岡の手から北川の嫡子、久兵衛に
渡された。

さて、後にこの事、人々に賛否を呼んだ。

ある人は言う
「同じ戦場にのぞみ、我も人も必死の働きをする事こそ第一とすべきなのに、
合戦の前に自分だけは必ず生き残ると考え、人の形見を受け取るとは。
このような事、やって良い物だろうか?」

それを聞いたある人は
「そう言う事では無いだろう。親友から形見を託され、受け取らないと言う事があるだろうか?
自分が必ず生き残るから、受け取って遺族に渡す、と言う事ではあるまい。
合戦の前に彼の形見を我が預かり、我の形見を彼に預けると言う事は、
これは勇者の今生の思い出と言うべきであろう。」

このように議論になったのも、岡が世に名だたる勇者であったからこそだ、との、
世間の評である。





824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/22(金) 10:54:12 ID:+bFtIIH+
>>820
形見の陣羽織に無数の銭を結わえつけて鈴鳴りにした……ワケじゃないのね。

岡佐内ってぇと、アレ(裸で銭祭り)なイメージがあるがw
貯め込んだ銭も戦の時は惜しげもなく献上するし、
北川との友誼に応えたり、やっぱりひとかどの武士だね。



関連
小野和泉の財政立て直し・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-110.html

岡左内それから・いい話

2008年11月18日 00:03

岡左内   
526 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/17(月) 17:32:11 ID:ZDlEkbdP
岡左内それから


質実剛健の上杉家の侍ながら、守銭奴と罵られるほど金を貯め、しかし関ヶ原の時
その金を全て主君景勝に差し出した。

こんな逸話で有名な岡佐内。彼は関ヶ原の後、減封された上杉家から身を引き、牢人となった。

この左内には関ヶ原での武勇から、召抱えを望む大名は多く、特に、直接に戦った伊達政宗は
熱心に誘った。

「三千石でどうか?」

破格の条件である、が、左内は断った。「わたくしには多少のたくわえもあります。
今後は仕官することなく、悠々自適に暮らしたいと思います。」

この言葉が世間に伝わり、恐慌に陥った家があった。上杉家である。
上杉家には、ただでさえ左内から借金をしている者が多くあった。しかも関ヶ原の敗戦による
減封、転封で、みな、経済的に苦境に立たされている。

「左内の”たくわえ”とは、われらの借金の事だ。左内が借金を取り立てに来るのだ」

領内の動揺は大きく、ついに家老、直江兼続が直々に左内の元に訪ねて行く事態となった。
兼続は、左内に聞いた。「わが家中の者達の借財を、どのようにするつもりか?」

左内は兼続を、屋敷の庭に案内した。焚き火が焚かれていた。

「こうします」

その火の中に、借用書をことごとく、投げ入れた。
また、自分が仕官しなかったことが、上杉家の人々を不安にさせたことを恥じ、蒲生家への
仕官を決めた。


兼続は、「何故あれほどの男を手放してしまったのだろう。彼のような男こそ、本当に必要なのに。」と、
後々まで語ったとか。




528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 17:38:53 ID:EOB5isa0
かっこいーなー
普段は締めて(でも同僚に金貸してやってる辺り、守銭奴っていう評価はひどい)
本当に必要なときには直接自分のためでなくても金を惜しまないって
言うのは簡単だけど実行するのは簡単じゃないよな

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 17:54:48 ID:ZDlEkbdP

>>528
自分の部屋に大量の銭敷き詰めて、その上でゴロゴロ寝転がる、なんてことしてたからねw
守銭奴呼ばわりされても仕方ない部分もある>左内


531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:11:43 ID:Zh1XKBpg
左内は自分の部屋に大量の銭敷き詰めて
その上を裸でゴロゴロ転がる趣味があるので
同僚達から気持ち悪がられていた反面
大事が起きたという報告が入ると敷き詰めた銭をそのままに
駆け出すという一面もあり。
お金が大好きで大好きで仕方ないが
お金より大事なものもちゃんと分かってるって感じだな。

左内は松川の戦いで政宗に斬り付け陣羽織を奪ったという逸話もあったりして、
関ヶ原のあと景勝から「越後」の名を貰う。
そんな左内さんは元々蒲生家臣なので蒲生転封に際し
会津に入ってきた上杉家に仕えたが蒲生家に出戻ったということさ。


532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:21:37 ID:EOB5isa0
>>529
>>531
なんだとw
それはあれか、ちょっとお金貯まっちゃってテンションがあがりすぎたとか
周りの評価は守銭奴だけど、実際は趣味と実益を兼ねたお金限定蒐集家w
その後の行動といい、良いキャラだなあ

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:42:05 ID:Tj5L4oqP
妙に濃ゆい人材が集まる上杉
類は友を呼ぶのか

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:48:34 ID:POvaT1GA
札束風呂に入って「ヴェッヘ~」みたいな邪悪な笑み浮かべてる奴を
時々雑誌の広告ページで見ます

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:52:03 ID:ak/hjJxq
金持ちになったら、全財産を一円玉に換えて銭の海で泳ぎたい
そんな夢を子供のころに持っていた

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 18:57:29 ID:Lu8CAH9Z
直江が政宗の渡した大判を手で取らなかった理由が分かった。
左内が大判小判の上をマッパで転がってたのをつい思い出して
「誰が触れてるか分からないしキモい」だったんだな。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:00:36 ID:FglziSI3
今の硬貨や紙幣なんかも誰がどんな汚い手で触れてるかなんてわからんよね

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:02:55 ID:7YCcNIqn
左内「銭は飲み物」

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:11:59 ID:2HjFtZuv
カラスみたいにキラキラ光るモノが好きで集めてたような気がする。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:32:39 ID:lHB0fodC
>>527
槍の又左っていう武将の陣羽織は、表も「金」・裏も「金」だったらしいぞw

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:33:37 ID:ErR2AV9V
>>537
海外旅行いくと紙幣の汚さに驚くよ。
日本じゃありえないレベル。落書き(メモ?)とかしてあるのも普通だし。

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:41:21 ID:45DBet2r
>>540
又左は金の使いどころ間違ってるよな

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:47:11 ID:SQbVZL/s
お金の為だからって
犯罪は岡左内


544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 19:48:07 ID:7YCcNIqn
>>543
ちょ・・・

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 22:03:21 ID:UHhdjKza
>>535
今なら1アメリカドルあれば札束風呂が出来るぞ
ジンバb

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 22:06:16 ID:Eh6p4W8a
ジンバブエだっけか?何処かの国でお札の金額がもの凄いことになってるんだよね

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 22:17:35 ID:ZDlEkbdP
戦国時代の日本にも、実は通貨危機があった。

正確に言えば、明の国力衰退がはじまり。明銭の質が落ち、独自に通貨を発行せず
中国からの輸入に頼っていた日本で明銭への信用不安が起き、その分過去に輸入してあった
宋銭の価値が高まってその交換率やなんやらでかなりの経済混乱が起こった。
何処の大名も通貨政策でえらく頭を悩ましている。

江戸期になって土地の生産量をあらわすのに、それまでの貫高から、米の生産量を基礎とした
石高制になったのは、貨幣価値が安定していない現実を踏まえ、主食である米を基準とした方が
全国統一の規格としてふさわしかったため。

その後徳川幕府の統治下で、独自通貨の発行が進み安定した貨幣経済が復活するんだけどね。

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 22:37:39 ID:8h7JBwTt
>>531パタリロ?

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 23:16:15 ID:GSrUaxpw
裸で銭布団の上ゴロゴロとかどんだけ~w
きっと
「これだけあれば皆が困ったときに諸々用立てられるぞひゃっほ~い♪」
とか言いながら転がってたんだろうな
岡左内、好きだなーこういう人物
宗茂さんとこにも似たような人いたような気がするな