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平戸の王は我等に友情を示したのではない

2019年09月30日 16:13

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 14:19:26.60 ID:8QeXwAHH
聖週中、平戸において我等を大いに喜ばせる一事件が起こり、人間には遠方にあると見えても、
デウスは常にその名誉に関することに注目し、裁断を下し給うことを明らかにした。

平戸にヤシマンダケ Iasimandaque と称し、坊主一同の首領たる者があった。これは我が司教、
または大司教に相当する者であった。同人は常にキリシタンおよび信仰の事に対しての主たる
敵であり、十字架が切り倒され、パードレ・ガスパル・ビレラその他パードレが平戸より追放
されたのも彼の力によってであった(永禄元年の、松浦隆信による宣教師の平戸追放)。

ドン・アントニオ(籠手田安経:平戸松浦家重臣)も右の坊主がこの地の身分ある異教徒たちと
親戚関係にあるため、その罪悪に相当する復讐を成すことが出来ないのを非常に遺憾としていたが、
ドン・アントニオが平戸の王(松浦隆信)とともに戦場に在った時、坊主は使者を以て、その寺院二ヶ所と
併合するためにドン・アントニオの所領の地所の一部を彼に与えるよう求めた。ドン・アントニオは
これを与えることを欲さずと答えたが、坊主は甚だ傲慢であり、右の返答を以てその名誉を毀損せし
ものとし、先ず領内に火を放ち、その後数日を経てドン・アントニオの臣下であるキリシタンの家
5,6軒を焼かせた。

ドン・アントニオは陣中に於いてこれを聞き、王に対し、「この上坊主の悪行を容認することは出来ない、
殿下がもし直ぐにこれを罰しないのであれば、戦を中止し自ら行ってこれを罰する。」と述べた。
ドン・アントニオは平戸の王に次ぐ有力者であり、陣中の総大将でもあったことから、これを欠くことは
出来ず、王自身はこの報復を欲せず心中悲しんでいたものの、「彼に対しいかなる罰を加えるべきか」
と尋ねた。ドン・アントニオは右の坊主のためにパードレたちが当国を追われたことを想起し、王に
対して「永久に平戸の各地より追放し、領地および所有品は他に分かち与え、彼をして再び帰還する
望みを断つべし。」と説き、直ぐにそれを実行した。

最も愛するイルマンたちよ、坊主たちがその首領が右のごとく急速に名誉を失墜したのを見て、恥じ、
悲しみ、かつ驚いたこと、キリシタンたちがこのように敵が除かれたことを喜んだことは、これを述べる
詞を知らない。

ただし平戸の王はこれにより我等に友情を示したのではない。ドン・アントニオの存在が必要であったために
動いたに過ぎない。彼は私利のため言辞と動作に於いてポルトガル人を許容しているが、心悪しき人で
ある故に、信仰のことについては敵であり、ポルトガル人に期待する利益が大きくなければ、領内に
パードレおよび会堂を置くことを許容しないであろう。

(1564年10月3日(永禄七年八月二十八日)付、パードレ・ルイス・フロイス書簡)

フロイスによる、平戸についての報告と松浦隆信についての印象。



471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 14:46:28.69 ID:IXM4wh0p
元気ですかー!

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/30(月) 15:39:33.63 ID:lnE85m9J
ドン・アントニオの私服診断


473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 19:29:19.18 ID:1WQXkFRG
>>470
当時の長崎はカオスだったんだろうね

474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 22:44:28.29 ID:XbzXgAoP
191561年に平戸の仏教徒とポルトガルが揉めて武士が介入して紛争起こしてる(宮の前事件)
これにキレたポルトガルが平戸での貿易を中止して
>>468
のように大村氏に取り入って別拠点で布教を進めてる

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/01(火) 23:04:03.05 ID:wbMAJO8B
>>474
ずいぶん最近だな

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/02(水) 19:52:26.84 ID:eX+Eyt2p
わらた
平戸怖すぎだ

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/02(水) 21:15:19.14 ID:aHv4gnVl
この13年後にポルトガルでカーネーション革命が起きて、海外の植民地を一方的に放棄するんだよな

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 12:44:13.91 ID:jV/+ZZRx
平戸、南島原、大村、長崎と貿易港の変遷も地味に目まぐるしい
キリスト教と組んだ領主が大儲けしつつ既存宗教弾圧するパターン
江戸幕府になって弾圧は攻守逆転するが貿易の利益は独占により更にアップ

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/03(木) 22:47:44.43 ID:l2YNgwxJ
>>478
この辺りの歴史を勉強するのにおすすめの本ありますか?

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/04(金) 20:01:16.15 ID:ow+gqZJT
講談社メチエの「教会領長崎」とか?

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/05(土) 11:46:50.21 ID:McdmRo5l
長崎もポルトガル人さえ来なければもっと平穏だったろうに

484 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/10/06(日) 06:46:55.39 ID:aRK4TBMs
>>479
各市域の郷土誌

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/06(日) 07:27:05.55 ID:qFzQwGVX
アホな予算削減のせいで郷土史が死にかけている現状は辛い…

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/06(日) 11:39:16.00 ID:/SwpiUyr
>>479
長崎文献社
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道可公恩自書之写

2016年10月22日 17:17

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/21(金) 20:16:13.55 ID:rAcw/9qK
道可公、朝鮮へ御潜行 并商估板屋某所伝道可公恩自書之写

 法印殿(松浦 鎮信)が朝鮮国の軍に従った、七年間の武功は人が皆知るところである。
その七年、道可殿(松浦隆信)は領地に静かに留まられて、
兵具糧食の事をうまく処理なされていたので欠けることが無かった
という話は世人で知る者はいない。
漢の蕭何は治平の後、第一の功で?(サ)侯に封ぜられたというが、
まことに我が家では道可殿を以って比べることできよう。

 この頃、平戸の者の話で、
平戸の商人の板屋某の所伝に道可殿の御自筆があり、
その旨は
『朝鮮国に永く御陣しているので、法印公の御具足が損じている。
よって威を換えるべきだと思われるが、それには金子が御入用であるので借用を申し上げたい。』
との御文であったという。
この文からも、道可殿の仕事の有様と、道可公が遠所で労苦されている様を察することができる。
当時の状を見るがようだ。

 また今先手の鉄砲を預け置いてる頭の山本某の家は、
宇喜多家がまだ貴くなかったときに辞めて浪人して後
道可殿に随い、朝鮮攻めの時でも仕えていた者が先祖である。
今も言い伝わっているものに、
そのころの文と思われる絖(ぬめ、絹の一種)のような絹を引き裂いたものに文を書いたものがある。
その文には

『大御所様にも、御滞りなく今日釜山浦へ御着き遊ばれ、恐悦申し候。
只今御船帰り候故、この旨申進候。』

という趣旨が書いてある。思うに従行した者が遺し置いた家人へ贈る文で、慌しいときにこのようなものを認めたのであろう。
〔軍に赴かれたのは、法印殿なのは論をまたない。
御子肥州殿(松浦久信)も従い行かれたので、大御所と申す者は道可殿でなくて誰であろうか。〕

 しかし道可殿の朝鮮の軍に赴かれたのは、よその人はもとよりわからないとして、
わが邦の人もかつて知る者がいない。ならばこの文を見るに、秘かに渡海があったことを知れる。
ならば戦功のためではなく、完全に軍糧と兵具等の点検のため、潜行して行かれたのであろう。
豊臣公といえども知らないのももっともである。

〔聞く。この絖書の文、今は無くしたと。
その理由は、一旦山本の家が嗣絶し、婦女子ばかりいたとき、
持仏堂の下に大切な旧物を置くべしと、祖先の訓戒があり
婦女のことゆえ戒めは固く守ったが、皆朽腐して今はその痕さえないという。
今の砲頭は義子であるという。〕

(甲子夜話三篇)

日本の蕭何、松浦隆信!