城地革変甲冑論

2016年11月20日 17:37

林述斎   
326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 00:16:12.28 ID:u73Z9G9W
城地革変甲冑論


 林子(述斎)曰く、
城地はその時代により移り行くものなので、作り替えねばならぬ物であるという。
山城などは水地と違い地勢もかわらないが、その時の敵のある所で用不用がある。
例えば、照祖(家康)が三遠におわしました時は、
金谷駅の上にある諏訪原(牧野原とも言う)の城は真の要害であった。
これは甲州の押さえの為であった。
甲州が亡んだ後はこの城は用が無くなったので廃城となった。
世人はこのような訳も知らず、深い考えもなく、
「あの所の古城跡は天険の地なのに、なぜ廃したのか?」などと言い出すのは笑ってしまいそうだ。

 また慶長中、伏見の城を淀に移されたのは、その頃淀川の水道が今と違い、
城からの川の水位は低く、水車で城内へ水を汲み入れていた。
百余年を経て川床が高くなり、水車は景色ばかりとなって実用すること無くなり、
出水ごとに、淀城はいつも氾濫の患を被らないことはなかった。
これは河道の変化によるもので、城築の時の地勢によるものではない。

 古今の変化に通じなくて、城の利不利などを評する人が往々にしている。嘆くべきことだ。
その他に海を要害にした城だったが、今は海があせていつのまにか田となったものもある。
また、城門の前の間地も、後に間近くに家を建て列ねているものも多い。
これらは事に臨むときに身を滅ぼす元ととして成る程便利であろう、と林子は言われた。
西方への旅行の時、諸国の城地を目撃して意中に心得がたいことが多かったのだろう。

 そもそも城のみでなく、着具なども同じことである。
先祖の具足と貴び所蔵するのはいい。
それを自分も着るものだと思う輩がまた多い。
そもそも人に大小肥痩があるので、今に当たって自分が用いる乳縄(※胴の乳の辺りの寸尺)
で製作しなかったものは用に立たないものだ。

 私は若いときは痩せて、中年から肥えた。年少の時の乳縄は今とはかなり違う。
一人のものでさえこのようなのだ。
これらは分かりきっていることなのに心にも付かず、着具を作り変えることも知らないまま、
いたずらに月日を過ぎる武家は実に太平の余沢に豊かに過ごしているといえよう。
(甲子夜話)


こういう「当時と地形が全然違うだろ」って突っ込みが頭の中にあるから
あんまり古城めぐりには乗り気ではないんですよね



327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 09:56:03.54 ID:sN07tgQU
郷里で再会した同窓生の嫁をみて、伴侶とした理由を聞くようなものですねw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 14:25:06.85 ID:FttclQe/
>>326
クラウドファンディング「そんな貴殿にVR、当時の地形も再現致しますぞ」

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