492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/03(火) 18:06:49.71 ID:ri5zkNb1
太刀「瀬上がり」
永禄12年(1569年)正月、本圀寺の変の際、
相馬家の堀内俊胤は三好義継の軍勢に加わり、
三好長慶、松永久秀、岩成友通らと戦い敗死した。
家来が俊胤の首を抱えて桂川を渡る際に、
俊胤の佩刀が流れてきたために「瀬上がり」と名付けられた。
堀内俊胤の跡は、奥州三春城主の田村氏の一族である中津川大膳が堀内氏の養子となり、
名跡を継いでいたが後に離縁されて国元へ帰る際、この「瀬上がり」を持って帰ってしまう。
ところが国元で凶事が起こったため、この「瀬上がり」を堀内氏へ返して寄越した。
その後伊達家に近い藤田四郎宗知が堀内氏を継いでいたのだが、
離縁され国元へ帰る際に「瀬上がり」を持って帰るが、
これも同様に奇怪なことが起こったために、
やはり「瀬上がり」を堀内家へ返して寄越したという。
その後は堀内家に伝来した。
※管理人注:史実的に見るとかなり無茶な内容ですが、この伝承は確かに存在します。
太刀「瀬上がり」
永禄12年(1569年)正月、本圀寺の変の際、
相馬家の堀内俊胤は三好義継の軍勢に加わり、
三好長慶、松永久秀、岩成友通らと戦い敗死した。
家来が俊胤の首を抱えて桂川を渡る際に、
俊胤の佩刀が流れてきたために「瀬上がり」と名付けられた。
堀内俊胤の跡は、奥州三春城主の田村氏の一族である中津川大膳が堀内氏の養子となり、
名跡を継いでいたが後に離縁されて国元へ帰る際、この「瀬上がり」を持って帰ってしまう。
ところが国元で凶事が起こったため、この「瀬上がり」を堀内氏へ返して寄越した。
その後伊達家に近い藤田四郎宗知が堀内氏を継いでいたのだが、
離縁され国元へ帰る際に「瀬上がり」を持って帰るが、
これも同様に奇怪なことが起こったために、
やはり「瀬上がり」を堀内家へ返して寄越したという。
その後は堀内家に伝来した。
※管理人注:史実的に見るとかなり無茶な内容ですが、この伝承は確かに存在します。
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