二本松家相伝の旗

2016年12月19日 17:27

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/19(月) 17:23:39.42 ID:GFAqlQ5c
天正13年、二本松義継による伊達輝宗謀殺事件(粟之巣の変事)を受けて、伊達政宗による
二本松攻めが行われると、わずか11歳であった義継嫡男国王丸(二本松義綱)は、伊達の大軍に対し、
義継の伯父である新庄弾正正、新庄尾張、新庄左衛門、箕輪玄蕃の補佐を受け籠城した。

10月15日、伊達政宗の軍は押し寄せてきた。先鋒の片倉小十郎は栗刀迫より池ノ入、亀ヶ谷を取り巻いた。
田村清顕は西谷口に廻り龍泉寺の前まで攻め入り、伊達成実は城の艮の口に攻めかかった。

ここで不思議な事が起こった。

二本松家には祖先より代々相伝の旗があった。これは天子より賜った錦の旗であった。
二本松家が難儀に遭った時、この旗を開いて再拝すると、いつも祥瑞があった。

新庄尾張はこのことを思い出し、本丸に上り、杉の枝にかけてこれを再拝した。
すると、雪がちらちらと降り始めた。これは卯の刻(午前6時頃)の事であった。

伊達政宗の軍は片倉小十郎を先手に揉み立て攻めてきたが、二本松城は大木を切り倒して
逆茂木とし、普段から気心の知れた朋輩たちばかりで籠城していたため、互いに恥はかけぬと
手を砕いて防いだため、伊達軍の上下士卒は攻めあぐねた。
新庄尾張は卯の刻の初めから伊達の攻勢が終わるまでの間に、敵が逆茂木際まで寄せ来て水の手を
取ろうとするのを17度まで追い払った。

そしてその夜、亥の刻(午後10時頃)より大風大雪起こり、18日まで降り続いた。
このため政宗は21日、小濱へと帰陣した。

(奧相茶話記)

伊達政宗による二本松城攻めについてのお話。



429 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/19(月) 22:33:15.06 ID:vUIXaLyh
南無八幡大菩薩

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