FC2ブログ

政基

2014年12月16日 18:51

17 名前:政基1[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:25:55.65 ID:ZuhOEDVv
有名な話のわりにまだないので。

戦国時代の始まりといえば応仁の乱。ちょうど頃の当主を九条政基という。
鎌倉時代には兼実・道家を一世を風靡した九条家だが、応仁の乱後は収入を失いたいそう貧窮していた。
この頃の九条家の家司に、唐橋在数という人物がいる。彼は政基のいとこにあたり、九条家の家政機関運営を主導していた。
で、お金のない政基。ついに万策尽き果て、この在数からお金を借りることになった。
さて、この在数、九条家のためということで、従来から九条家領日根野荘の管理を任されていた。
ところが、こんなご時世、在数も日根野荘経営には苦しんでいた。そのため、運営経費を根来寺から借りていた。
ところが在数は結局、この根来寺への借金返済にも失敗する。結果、根来寺は九条家に対し、担保である日根野荘を取り立てに行く。

政基からすれば「在数の借金だから自分で返せよ」となるし、在数としては「九条家の荘園経営のための資金を借りたのだから、九条家の借金」と言い始める。
そもそも在数は「なら九条家への借金返してください」と訴えるし、政基としてはそもそも在数が、でかい顔で九条家を支配しているのが気に食わない。
というわけで、あっという間に関係は悪化。

結果、明応五年正月七日、ついに政基は息子尚経とともに、在数を自分で殺してしまった。
これぞ、本当の「殺生関白」である。

18 名前:政基2[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:28:37.48 ID:ZuhOEDVv
と、ここで話は終わらない。何故ならば、唐橋在数はこの時大内記・菅家長者である。つまり、現役の廷臣だったわけである。
しかも、天皇たっての願いで禁裏での歌会での講師を務める、学者としての実力も認められていた。
ぶっちゃけ、そこら辺の人間一人二人殺した所でもみ消しは簡単だったろうが、こうあってはタダじゃすまない。

まず激怒したのは同じ菅原一族。すぐさま、菅原一族である高辻・東坊城・高辻は談義を行い、朝廷へ、九条尚経を解官するよう訴え出る。
すぐさま先例が調べられ、鹿ヶ谷事件の松殿基房の例に従って解官、という方向で決着しかかった。

しかかったが、此処にも待ったが入る。入れたのは、近衛政家
九条と近衛とは基本的に仲が悪いが、ここでは「摂関家と侍臣とを一緒に扱うな」と訴えて、九条尚経の解官を防ぐことに成功した。
いくら対立する九条家であるからといっても、摂関家の威信自体が壊れるのは拙いと思ったらしい。

結局、尚経は出仕停止処分に収まることになった。
しかしこれによって九条家は、公家たちの間から評判を失ってしまう。
たとえば、中御門宜胤は、この事件に激怒して九条家との付き合いをやめてしまっている。

こうして九条家は益々没落し、政基は日根野荘にて直接経営を志すのである。
かくて、『政基公旅引付』につづく!

19 名前:政基おまけ[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:35:06.96 ID:ZuhOEDVv
ところで、在数が殺されたと知った菅原一族の東坊城和長。
先ほど言ったように激怒して、政基の解官を訴えるなど積極的に活動している。

のだが、そのどさくさにまぎれて、自分の大内記就任を訴えている。
東坊城家は、和長の父・長清が夭折して家運が傾いており、それを和長が再建の途中だったわけである。

そして、あっさり和長は大内記に就任。
在数にはたしかに子供もいるのだが、以降唐橋家は衰退し、和長が菅原一族のまとめ役となっていくのである。

そんな、ちゃっかりした和長さんの話。
ちなみに、「無才」な長老・高辻長直に代わって、高辻章長や五条為学を鍛え上げ、戦国期の漢学を支える人材に育てたり、やることはやってる。




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 10:11:54.28 ID:/hFWP8dA
九条家ってかつては鎌倉将軍を出してたんだよな

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 11:20:04.43 ID:ofVFTbeM
戦国時代でも荘園経営って続いてるんだなあ

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 21:48:11.73 ID:TX3Jq3Qv
一条さんは荘園への下向組み

「よき哉」

2014年10月10日 18:52

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 18:58:19.03 ID:bzLAHa7H
烏丸光広卿は居間に書物を積み置き、机の上に硯を置き、扇箱へ筆を入れ置いていた。
その部屋には誰も入ることを許さず、それ故に光広卿の座る場所以外は埃が積もっていたそうである。

この烏丸光広卿が或る年江戸に下向し、3年ほど江戸に滞在したことがあった。
京都の邸宅の留守居に置かれた雑掌の某という者は、この様に考えた

「光広卿は長い間、江戸の広い所に慣れて、この狭い所に帰ってくれば定めて窮屈に思われるだろう。」

そこで先ず土倉の中の物を皆取り出して家人たちに分配し、土倉を打ち壊して庭園を広くして
卿の帰りを待った。

光広卿が帰ると、いつもの様に居間に座り庭園を眺めたが、何も言わなかった。
雑掌は「お留守の間に私が、庭園を広くいたしました。」と申し上げた。

光広卿は「至極眺めが良くなった。ところで土倉はどうしたのか?」

「はい、土倉は打ち壊しました。」

「土倉の中の物はどうした?」

「中の物は家人に全て分配いたしました。」

「ふむ…。汝は何を取ったか?」

「私は何も取っておりません。」

光広卿は頷いて
「よき哉」

そう一言だけ言ったそうである。

この主従は共に博学の人で、かつ禅学を好み頗る悟道に入った人たちであったという。

(明良洪範)

悪い話というか変な話というか




506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 19:44:22.62 ID:m0ZnlYZL
下向前
        ___|二ニー-、、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
        /rヽ三三三三三─‐-- 、;:;:;:;:;:;:;:|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
        ',i ,-三三三三三、   _,.ニ、ー-、!;: -‐二 ̄彡′
        ',、、ヾ三三'" ̄ ̄   `ー‐"    ヾ-'"  .〉′
        ヽ ヽヾ三,'    :::..,. -‐- 、     _,,..-‐、、,'
         `ー',ミミ     ::.弋ラ''ー、   i'"ィ'之フ l
         /:l lミミ     ::::.. 二フ´   l ヽ、.ノ ,'     
      ,.-‐フ:::::| |,ミ             l      /       
     /r‐'":::::::::| |ヾ        /__.   l    /      
 _,. -‐"i .|::::::::::::::::::',.',. \        ⌒ヽ、,ノ   /ヽ,_             
"    l ヽ:::::::::::::::::ヽヽ. \   _,_,.、〃  /l |    ___,. -、
     ',\\:::::::::::::::ヽ\  \  、. ̄⌒" ̄/:::::| |    ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
     \\\;::::::::::::\\  `、.__  ̄´ ̄/::::::::::l |    `''''フく _,. -ゝ┴-r-、
       ヽ \`ー-、::::::ヽ ヽ    ̄フフ::::::::::::::ノ ./   ,.-''"´ / ̄,./´ ゝ_'ヲ
          `ー-二'‐┴┴、__/‐'‐´二ー'".ノ   / _,. く  / ゝ_/ ̄|
               ̄`ー─--─‐''" ̄      / にニ'/,.、-t‐┴―'''''ヽ
                              /  /  .(_ヽ-'__,.⊥--t-⊥,,_
                              /  /  /   ̄   )  ノ__'-ノ
                             /      /    ゝニ--‐、‐   |
                            /           /‐<_   ヽ  |ヽ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 21:29:54.88 ID:PYIQj9n3
そんな烏丸さんも現在はエロゲーのキャラの仲間入りとなりました。
http://www.ss-alpha.co.jp/products/sengokuhime5/char/117.html?iframe=true&width=710&height=560

DQN四天王のうち政宗しかエロゲーに登場してないし。

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 21:33:46.64 ID:l5IACc+V
エロゲ、ていうから猪熊事件でもネタにしたのかと思ったら
烏丸が女役って

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 10:22:53.61 ID:cxOpSIEH
よき哉

512 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/10/10(金) 11:03:25.03 ID:HogXw4s9
下向後
  ,彡ニ三三三三三三三ニ=ヾ;:;:;:;:;:;;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:i'
  ,彡ニ三三三三ニ三三ニニ;〃ヾ、;:;:;:;:;:;::;:;::;:::;:/;:;:/
 ,彡彡,'',ニ=ミミミ三三三三ニニ彡  `゙゙''ー-、;:;:;:;/;:;/
 ',彡'/ r' ノヽヾミ三三三三三彡'   _,,,,,,、ヽ;:;ィ''|  
  彡'|.|(‐'''" 'iミニニ三彡"´ ̄     `゙゙ー'  ;;;:|   _,,,,._                、-r    r--,      、-r
.  彡i、ヾ ('  ヾミニ三'          __,,、 ....ノ   / .,','" ̄',〈... _,,,_   _,,,_   _,,,,,| |     ~`l |  _,,,_   | |,,,,,_
  彡ゝ `'' "  |ミミミ'       ‐'"ひi,;'´  ,ィ;;ァ'  { {   ,___ ,'r⌒!゙! ,'r⌒!゙! ,.'r⌒| l      .| | ,'r⌒!゙! ..| |⌒','i
   '彳`ー‐i  |ミミミ'          `゙ーシ'   |、ニ'  .ゝヽ、 ~]| ,i i  i l i l  i i .i i  .i .i      .| | i i  i l  .| i  .i |
 --、/    i  |ミミ         .,,r‐''"   | ノ    `ー-‐'"  ゞ_,.'ノ ゞ_,.'ノ ゞ__,.',、'ュ     .l l  ゞ_,.'ノ.. .L、-_,'ノ
 く'ノ    :i  ミミ         ´  ., '   |'                              (~'-'ノ
 、\     .l  ヾ            .ノ(_,,、.   |                            `~~
 :\ヽ,   ヽ          /   `t‐一'        __
 ::::ヽ ヽ   `::.       ,; '      .:i          〈  ヽ
 :::::::ヘ ヽ    `::.        ''"⌒゙''一ノ           |   }
 ::::::::::ヘ.ヽ    ヽ、       ` ー'ーノ            !>'⌒ヽ、
 ::::::::::::::ヽヘ     `ー┬‐一;;''""´           /ヽ、 ,  )
 \、:::::::::ヽヽ      /::ヘ ) `゙'ー、_         /:::::::::Τ  ̄ `l
 〃`゙ー、;;;;\\   /i:::::::丿 ' , ' , '`゙ヽ、      /:::::::::::┼‐- -ノ

一条政房の死

2014年10月08日 18:54

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/08(水) 16:53:58.74 ID:LjN7ttzh
一条政房は若き公卿であり、権大納言である。
一条教房の長男であり、一条兼良の孫にあたる。

さて、応仁の乱が起きてしまうと単独で後醍醐天皇のゆかりの宿でもあった摂津福原の福厳寺に隠れた。
この時父・教房は奈良に避難していたが、祖父・兼良が奈良に避難すると土佐へと下向した。
応仁の乱の勃発により家族バラバラとなってしまった。

1469年10月17日、東軍方の山名是豊・宇野政秀らが福原に乱入した。
その時の服装は御装束のまま直衣狩衣の優美な御姿であったといい、東軍の兵は政房を敵と思ったのか
長槍を持った兵に心臓を一刺しされ、少しも抵抗せず「南無西方極楽世界阿弥陀仏」と唱えて死んでしまった。

兼良をはじめとした人々は政房の死を嘆いたという。

弟・房家が誕生するのはこれより6年後のことであった……。

応仁記を基にわかりやすく付け加えたり脚色したり


というか政房も父と一緒に奈良に避難して土佐に下向すればまた歴史は違ってただろうに。



烏丸光広、病人を労わる

2013年07月25日 19:54

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/25(木) 08:04:47.96 ID:4xxAUktY
烏丸光広、病人を労わる

烏丸光広卿が有馬へ入湯していた時、播州加東郡より貧しい病人が
来ていて入湯していた。

光広卿はこれを憐れみ御台所にて養わせていたが、有馬を出立する際
に宿の亭主に病人を労わってやってくれと言い残し、その代金を与えて
帰洛された。

病人は本復して故郷へと帰り父にこの事を報告すると、父はこれを喜び
都へと上り、烏丸邸へ参上してこの件の御礼を申し上げた。

光広卿はこれを聞かれ「奇特である。よくここまでやってきた」と言い
いろいろな品を与えられ、さらに自詠の短冊をも与えられた。

 あしきとて思ひは捨し親と子のうときをは猶哀れとも見よ

今もその家ではこの短冊を持ち伝えてると言う

(当代奇覧)




769 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/07/25(木) 15:38:39.81 ID:++CW38Ni
烏丸自身が奇特なお方だよね。なんにしてもいい話だ。

その盛志を遂げずして

2013年06月18日 19:55

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:43:56.70 ID:vKATk0sd
ある日、藤原惺窩は奮発して大明国に入りたいと欲し、直ちに筑陽に至ると、
果てしなき大海原へとのりだした。

ところが風濤に逢って鬼海の島(鬼界島)に漂着し、その盛志を遂げずして
帰ることになった。

――『先哲像伝』




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:48:44.05 ID:TML1DMIc
惺窩が本懐を遂げられなかったからいい話なのか?w

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:51:47.01 ID:LImlMQ8w
現実見たらパリ症候群で狂い死にしたかもしれない

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 21:56:48.69 ID:aINWrm7x
その頃の明はもう完全に末期状態だから
惺窩は現実を見ずに済んで逆に良かった
おかげで一生夢見てられる

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 22:24:10.32 ID:HYqiGM4t
ほろ苦い話だな

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 11:52:19.66 ID:mY5ZAC7h
鬼界島って奄美の島か。まあ、島に漂着出来て良かったよな

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 14:58:34.09 ID:0XQHLgsE
遣唐使だったら沈んでたわ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 16:32:13.75 ID:2uJWdv6r
鑑真さん乗ってたんじゃね?

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 18:03:48.28 ID:8H5gQgKK
桃太郎が

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 00:32:55.16 ID:oeL6e3Se
>>526
屋久島の手前にある「薩摩硫黄島」かも。
(火山活動のため海が黄色に染まっているので黄海が島(鬼海が島)となったとか。
ちなみに、この島を含む巨大カルデラが「鬼界カルデラ」といい、
考古学でおなじみのアカホヤの産地だったりする。)

鬼界が島といえば、平家物語の「卒塔婆流し」「足摺」の舞台。
そして、平康頼の「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重の潮風」(千載集)の歌。

冷泉為純の子である藤原惺窩は、この島で
「薩摩潟八重の潮風つげやらんあはれ憂き身は親だにもなし」と詠んでいる。

父も兄も別所長治に討たれてるもんなあ。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 01:58:13.79 ID:O4ZcSBED
惺窩先生も良いキャラしてんだよなぁ
アレはアレで大好きだ

藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評し

2013年05月27日 19:51

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 18:12:42.43 ID:2O1GjFJN
藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評して「秀吉は大胆な人ではあるが、大心とは言えない。
朝鮮より明に攻め入ろうとするのは誠に大胆ではあるが、秀信を信長の跡目と仰せられず、
自立して日本を掌握されたのは大心にあらず」と言った。

後にこの事を四辻亞相公理に語った人がいた。亞相は「吾もその論をもっともだと思う。
大仏建立は彼の猿心の離れぬなり」と言ったという。

――『先哲像伝』





そんな人がこのように言ったから

2013年04月23日 19:53

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 23:54:29.03 ID:q6xkh75J
相国寺普光院の宣長老は大徳寺の僧・董甫の弟にして藤原惺窩の伯父である。
当時、五岳第一の学者であった。

宣はかつて「舜首座(惺窩)に逢っては物が言えぬ」と言った。
そのまま、やりこめられてしまうからである。

当時の人に宣は勝れた人として知られていた。そんな人がこのように言ったから、
惺窩が傑出した人ということが初めて知られたのである。

――『老人雑話』




96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:47:02.03 ID:1wp3YhB6
儒者は正義を前面に出してくるから口喧嘩ははげしく強い。
それが政治において実現されるのかは別だがw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:54:36.50 ID:hcxVDQ0g
腐れ儒者を信長公とかDQN眼と戦わせてみたい

惺窩の至る時は

2013年03月14日 19:53

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 18:41:43.68 ID:wBgjFXlb
藤原惺窩は肥前名護屋におもむいた。この時に当たり、豊臣秀吉は朝鮮征伐のために
多くの諸侯を率いて名護屋にのぞみ、惺窩は徳川家康と初めてまみえた。

また、惺窩は小早川秀秋にまみえた。秀秋は横柄な性格であったが、惺窩の至る時は
すぐに粛然として容貌を改め、その性行もまた改まる所が多かったという。

――『先哲叢談』




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:01:51.29 ID:JHc3bnDF
姜ハン「小早川秀秋は軽薄で感情の起伏が激しく
彼の兄たちち及ばない、て藤原惺窩が言ってた」

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:05:00.73 ID:M0Dg1XFw
儒者ってなんか胡散臭いんだよな

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:26.02 ID:kTs3CAEF
儒者と武将では、評価されるポイントが違うしなー

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:39.61 ID:j2KEsLF6
>>717
惺窩「明と朝鮮が結んで日本を征服してください」
姜沆「ごめん無理」

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:31:29.07 ID:x3T/dn3S
やめてやってくれ!金吾のHPはもう0よ!

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 21:29:57.00 ID:diDDQ7Wi
藤原惺窩には腐れ儒者という呼び名がしっくりくるね。
口先だけで何を成したというわけでもないくせに・・・

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:47:17.32 ID:P10mqItv
儒学者が何かを成すって難しくない?
坊主みたいに、どこかの大名の軍師になったり自らが大名になったりすれば別だけど

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:56:42.87 ID:EwcsPmRH
>>722
日本史全体で見ても新井白石くらいか

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:01:10.23 ID:3A123S6K
惺窩はフロイスの儒家バージョンだと思ってる

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 03:17:21.89 ID:j+l7ulXc
事を成す儒者と言えば、陽明学徒がいるかな。
ちなみに林羅山はご存知の通り陽明学は排除したけど、
藤原惺窩は陽明学評価してたんだよね。
そういえば日本陽明学の祖、中江藤樹はこのスレの時代範囲だな。
まだ逸話出てないみたいだが

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 06:38:16.33 ID:6XoWWJOb
口だけの腐れ儒者と違って知行合一の陽明学者

大塩平八郎こそ真の儒者

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 15:37:31.90 ID:6qoRUYQw
幕末は陽明学派が何気に多いからね

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 16:24:38.24 ID:j+l7ulXc
陽明学は儒学の旗を立ててはいるけど本質は禅だから、
もともと武士の道に近いんだよな
心即理というテーゼ自体が即心是仏、煩悩即菩提みたいで仏教ぽい

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/15(金) 05:07:27.63 ID:2FTK6JYx
でも姜沆の記録を読む限り、惺窩は秀秋と付き合いがあったっぽいんだよね
「家康が秀吉の後を継いで朝鮮に出兵するらしいという噂があってさぁ…」
みたいな話を惺窩にしたって書いてあるし



道春は非道の者だ

2013年01月26日 20:02

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 23:57:48.96 ID:Y9nw/FoC
藤原惺窩林道春が図書編を求め得たと聞いて、数通の書を送って
借りたいと伝えた。だが、道春は「手に入らなかったので」と、
最後まで貸さなかった。そのため、惺窩は、

「道春は非道の者だ。

図書編を手に入れたことは明白なのに、偽って無いと言うのは非道だ。
あるけども貸さないと言うむごさよりも、遥かに劣っている」

と、人に語ったのだとか。

――『老人雑話』




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:04:42.24 ID:wEgG3y83
貴重なモノなら他人に貸すの嫌がる人もいるんじゃないか

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:15:00.67 ID:QDP4NrwQ
欲しい物が手に入らなかったからファビョって相手のネガキャン始める

藤原惺窩ってどうも好きになれないなぁ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 17:27:09.75 ID:JQFp8nqq
惺窩さんって、
高尚な思想やら学んでるんだろうけど自分の行動は子供と変わらないんだよね・・・

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 18:57:24.87 ID:W4G5L8Lw
>>296
この人の小早川秀秋評もこの類だったりするのかも

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 19:11:29.47 ID:H3lkLhi5
>296
このスレ向きの人物じゃないけど、松平不昧も若い貧乏藩主の頃は「今の茶の湯は古道具商か」って批難してたけど、
藩の財政立て直しに成功してからは「名物は財産価値あるから」って結局高価な名品を集めだしたっていう

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:14:46.08 ID:nBFo//FR
藤原惺窩て儒学スキーが昂じて抑留から解放されて帰国する姜沆に
「明・朝鮮連合軍で日本占領しちゃって下さいよ」とか言っちゃうとか、
学はあるけどどこか足りてない人なんだと思う

私が飯縄の法を成就したと思われるのは

2013年01月07日 19:58

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 17:37:32.51 ID:3GxYd8/y
九条稙通が若年の頃は天下の乱れも激しく公家の知行も絶え絶えとなった。
都での生活もままならないということで稙通はあるいは和泉堺、あるいは
九州に徘徊した。また、武勇も心掛けていた。

稙通は機嫌の良い時には色々と昔語りをしたものだった。

ある時、稙通は「何事も思い立ったならば中途半端にせず極みに至ることを
肝要とするが、私が飯縄の法を成就したと思われるのは、どこで寝る時でも
家屋の上に、夜半時分に鳶が来て鳴くのだ」と言った。また、歩く先には
辻風が巻き起こったのだとも。

――『日本史伝文選(戴恩記)』

なにそれこわい。




59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 18:29:19.42 ID:Q9pptOGo
>>57
鳶職「へぇ、この屋根の立て付けがね あっしも半端な仕事じゃ家に帰ぇらない性分でして、夜分すいやせん」

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 18:30:00.35 ID:NKp8GPB6
>>57
飯縄の法を極めた関白か…
くっ…鎮まれ!俺の厨二心よ!

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 19:00:17.30 ID:L0ct/Gz8
事例1
まず油揚げを準備します。
毎夜、飯縄権現へのお供えします。
寝ます。
鳶「ピーヒョロロロロ(油揚げウメェー)」
九条稙通「飯縄の法極めたどー!!」

事例2
まず油揚げを準備します。
出かけるときは手に持って行きます。
絶対に手放してはいけません、周囲を警戒しながら歩きましょう。
ビュッ
九条稙通「飯縄の法極めたどー!!」
鳶「(チッ、失敗か・・・)」

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 20:52:46.49 ID:OgEUKHyR
油揚げさえあればいいのかw

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/07(月) 23:14:54.93 ID:dVmOGLXB
>>57
何の役に立つんだろう・・・(ボソッ

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 07:46:33.70 ID:4FONf9sT
歩く先を旋毛が走るんだぞ
カッコいいじゃないか
それで十分だよw

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 09:40:44.36 ID:ayThlQHv
半将軍様がアップを始めました

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 11:08:13.56 ID:vaXDizch
長享2年「池の上に人の頸」
明応2年「頭は馬、尾は蛇、蹄は牛のような化鳥」「炎をまとった鳶付きの辻風」
半将軍様、次はいったい何を!?

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 11:34:56.52 ID:uSvpzqj7
九条稙通は妻不詳で養子をとってるんだね
これはつまり…

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 12:34:42.86 ID:4Gc5Tpgu
>>68
毘沙門の人も達人だったの?

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 13:32:00.27 ID:Ia4v72Fr
>>68
現代日本だと、同性カップルは法律上で養子という形が一番収まりがいいと聞いたことがあるがwww

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 16:19:27.50 ID:Pgi4d1yL
>>71
妾への遺産贈与もな>養女
>>70
養子4人とるってどういう現象なんだ 上条も山浦もそんな大した容貌だったのかよ

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 18:25:36.68 ID:cXxe4Yzx
>>72
容貌は良くなくとも具合は良…おや?誰だこんな時間に法螺貝吹いてr

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/08(火) 18:32:52.17 ID:c1DZkqlY
>>74殿はどちらに行かれたのだ?
宇喜多直家様からいただいた酒をお裾分けに参ったのに

近衛信尹「輝元も政宗も殿下も…」

2012年12月11日 20:11







714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/10(月) 20:30:38.25 ID:GYalCcg6
先ず最初に身体の欠損が悪い話ではありません

近衛信尹の日記には修正部分が多いが、その中の透けて解読できる部分、天正19年3月の部分に
毛利輝元は片目である、伊達政宗も片目である、殿下は(以前)小者だか今は勿論殿上人で彼も片目である」
と記されている
この殿下は秀吉に相違なく、ここでは輝元と秀吉が片目だったとしている

信尹の日記は他にも欠損部分が多く、例えば関ヶ原合戦前後は丸々無くなっている
日記も正直に書きすぎると抹消されてしまうのである




722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 01:35:00.24 ID:PpWtN/9B
>>714
独眼竜TERU
やだカッコイイ

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 01:45:30.97 ID:GjqladoG
独眼竜の父親もTERUなわけで
将軍からの偏諱だからかぶるのは当たり前だが

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 12:49:38.82 ID:hyrqZ8PA
>>714
TERUが隻眼なんて初めて知ったわ

あるいは泣き出しさえしたという

2012年11月15日 19:51

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:16:39.75 ID:sJhHeHwo
烏丸光広は常に一室で過ごし、家人がその中に入るのを許さなかった。
机によりかかって書を読み、塵や埃が満ちて歳月を経ても掃除しないので
坐席には汚痕が生じた。常に筆硯を扇匣に納め、宮中の公宴があるごとに
これを携えて輿に乗っていたという。

また光広は甚だ洗浴を嫌った。無理やりこれを勧めるとあたかも嬰児のように
嫌がり、あるいは泣き出しさえしたという。

――『近古禅林叢談』

当代一流の文化人なのに…(´・ω・`)




351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:34:45.83 ID:lXvY0Pro
文化人とかってそこらへん無頓着な人は多いよね、印象としては

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 17:35:13.12 ID:CTJ+rpLg
あれ、エロい事件に関わってたと聞いてたから、身だしなみを整えてると思ってた

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 21:14:24.42 ID:oFcVa2HA
そういや、風呂入るとあなたのにおいがしないと泣かれるなあ

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 22:14:43.09 ID:vyaPZ90y
泣き出すって何だよw

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 22:47:41.19 ID:oFcVa2HA
フェチなんだろう
俺のにおいが大好きなんだそうだ

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/15(木) 23:09:03.47 ID:3ygoGafw
犬シャンプーした後犬臭さが薄くて物足りなく感じることはあるが…そーゆー感じ?

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/16(金) 07:21:29.43 ID:lfgeQGMY
どこのインテリニートの話かと思ったら…

九条稙通は勇猛な人であった

2012年11月10日 19:18

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 14:33:05.51 ID:CVfvJ0Ol
九条稙通は勇猛な人であった。

鬼神の如く世に恐れられた織田信長にはいずれの公家も媚びへつらったものだが、
この玖山公は立ちながら向かい会い「上総殿が入洛めでたし」と言って帰ったので、
信長は機嫌を悪くして「九条殿は我に礼を言わせに来られたか」と腹を立てた。

例え一令を失うとしても、公家の行跡を乱して御家の恥を残すまいという心故であろう。

「時勢に従わずに不用なことをなさる」と謗る者もいた。
または「『智者は惑わず、勇者は怖れず』ということだ」と誉める輩もいたのだとか。

――『日本史伝文選(戴恩記)』




357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 19:36:26.09 ID:ghAmbUb8
九条さん剛の者だな
蜂須賀小六、荒木村重との逸話もそうだけど、
織田信長は座敷の場でもタイマン一歩手前な状況になることあるな
すごく威圧感のあるタイプだったんだろう

烏丸光広が江戸より帰るという時に

2012年11月07日 19:55

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 18:39:11.03 ID:1MKNYYaI

烏丸光広が江戸より帰るという時に留守の雑掌某は衆と謀って急に庭中の倉庫を
壊して光広が長年貯えてきた物を悉く家臣に分け与え、自分は一品も取らなかった。

ところが光広は帰ってきてもそのことを問わなかった。ある日、某は光広に
「公は長く江戸におられましたので突然狭い邸宅に帰られると憂鬱になられるのでは
と思いまして、倉を取り払って広くしておきました」と告げた。

光広はこれに「善し。中の物はどうした」と尋ね某は「悉く諸臣に分け与えました」
と言った。光広が続けて「もっとも善し。で、お前は何物を得たのか」と問うと、
某は「臣は一物をも受けませんでした」と言うので、光広はからからと笑って
「お前もまた迂な奴だな」と言った。

――『近古禅林叢談』




259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 18:44:16.53 ID:Bu2CFIdU
某はなにがしたかったんだ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 19:49:51.43 ID:O3O4Z4Xm
烏丸光広って知らん人なんでwiki見てみたら、大納言にまでなった貴族なのか。
他の逸話も含めて、なかなか興味深い人だな。

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 20:03:14.61 ID:n2lApPRX
水戸黄門や麻呂より位が高い

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 20:38:26.56 ID:ZKNX5nP7
京都人のコミュニケーションはレベルが高すぎてよく分からん

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 22:49:46.15 ID:9b2203oE
気前良すぎて悪いというか恐ろしい話

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 00:26:52.09 ID:e4MGPMuU
>>259を
某はなにがし、たかったんだ
とくぎってしまって?となった

九条稙通の教養

2012年09月22日 20:30

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 22:01:54.76 ID:LqlbWoBI
九条稙通といえば山科言継、近衛前久らと並ぶ戦国時代を代表する公家だが
いかんせんどんな人物だったか、まではよく知られていない
ウィキペディアですらわずか2行(ほとんど1行といってもいい)ほどしか記述がない
そんな稙通だが戴恩記にこんな話がある

あるとき稙通に色々物を習っていた松永貞徳が、4、5日出かけて戻ってきたときに
稙通が「どんなことがありましたか?」と聞いてきたので貞徳が
「いやあ聚楽第の毛利の屋敷で連歌の会がありまして
このとき里村紹巴殿(明智光秀の連歌の会の件でも有名な人)
が庭に咲いている梅花を見て
『梅の花 神代もきかぬ 色香かな』
(この梅の花の色や香りは 不思議なことだらけだったっていう神話の時代にも聞いたことないぜ!)
と呼んだのでみんな喝采の拍手でした」
と言ったらここで稙通
「おやおや、紹巴殿は連歌の腕は確かのようですが
いかんせん古歌には精通していないようですなあ」とご立腹だった
どうしてかと貞徳がわけをきくと
「いいですが、神話の時代にも聞いたことがないとは
在原業平がかつて
『ちはやぶる 神代もきかず たつたがわ からくれないに 水くくるとは』
(竜田川がまるで真っ赤に絞り染めしたように一面紅葉だらけで美しいぜ!
こんなのは不思議なことだらけだったっていう神話の時代も聞いたことがない!!)
と詠んだように具体的に竜田川の見たこともない美しい光景をとって
神話の時代にも聞いたことがないと言っております
同じように夢庵も
『冬咲くは神代も聞かぬ桜かな』
(冬に咲く桜なんて、不思議なことだらけだったていう神話(以下略))
と詠んでいます、これは冬に桜が咲く珍しさと、場所も伊勢ということもあって
神話の時代にも聞いたことがないと言うに相応しい
それにつけて紹巴殿は大して珍しくもない梅の花につけて「神話の時代にも聞いたことがない」
とおっしゃっています、一体何の根拠があってそんなことを言うのでしょう」

これには貞徳も「俺のような若輩者にもなんて分かりやすくて最もな説明……!!」
と感心したそうだ

九条稙通の教養のほどがうかがい知れる話






566 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/22(土) 00:09:56.87 ID:EB2SNDHC
時期が時期だけに戦国武将みたいな名前だな

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 02:21:26.19 ID:OMEEsOQL
幕末には「○麿」と名乗る武士が増えたらしいから時代ってあるかも(司馬ソース)。
でも基本、公家と武士って名前そんな違わないでしょ?

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:02:12.04 ID:hBrVEyEn
名前が何を指しているかにもよるけれど、
諱の場合は好んで使われる使われる漢字(含む通字)に差があるな
言継とか雅庸とか実条とか武士ではなかなかお目にかからない

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:12:38.65 ID:Rak/zI8J
五摂家の当主でも将軍から偏諱を受ける感じなので武士っぽさも増すんだよな

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:23:18.44 ID:qRdHmeZi
>>569
それは二条さんのとこだろ

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 11:49:15.02 ID:xhLZRFUp
>>566
義稙の偏諱だし

スーパースターがやってきた!

2012年08月24日 20:57

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 16:29:51.95 ID:cyyC+eiN
スーパースターがやってきた! その1 『為広能州下向日記』より

畠山義総はあの名城七尾城を築いた人物。能登畠山氏全盛期を支えた名君であり、
都の文化人との交流を通して『源氏物語』や和歌への造詣を深めた文化人でもある。

1517年の秋、そんな能登七尾城下へ冷泉為広(当時68歳)がやってきた。
冷泉家は和歌宗匠のひとつであり、文芸界のスーパースターである。

為広( ´∀`)<お前らに和歌の真髄ってやつを教えてやんよ
義総とその部下たち<キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)━━━!!!

このとき為広の元に集まった謝礼金が現在の価値で約1600万円。荘園からの収入が
途絶えがちな冷泉家にとってはまさにほくほくの収入である。

さらに、能登は海に囲まれた土地柄なので、
・イリコ…ナマコの腸を干したもの
・背ワタ…鮭の背骨についてる血を使った塩辛の一種
などという珍味もいただいたらしい。

(続く)

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 16:30:29.04 ID:cyyC+eiN
スーパースターがやってきた! その2 『為広能州下向日記』より

実は畠山義総、あの藤原定家自筆による勅撰和歌集を所持していた。
その名も『後撰和歌集』、古今和歌集の次に作られた作品集である。

ところが残念なことに、その自筆本には所々に欠けている部分があった。
それを知った為広さん、義総にさっそくアドバイス。

為広( ´∀`)<ウチ(冷泉家)に写本あるから、それ書き写せばいいんじゃね?
義総(;´Д`)<ま、マジでいいんすか?
為広( ´∀`)<いいよ。あとで息子に声かけとくわ。

その後まもなく、息子為和が父の言いつけ通りに欠落部を修正。
しかも為広が奥書(その書物の来歴などの記録)を記してあげるおまけ付き。

ちなみにこの為広さん、能登がたいそうお気に入りだったらしく、
この地において亡くなった(76歳)という説もあるそうです。

おしまい。





218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 21:16:36.99 ID:F9+IcHkH
>>213
その本は今もあるのかな…

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 06:22:28.44 ID:Q57Cm1J6
>>218
現在も京都上京の「冷泉家時雨亭文庫」に保管してある(一般には閲覧不可)。

書庫内は長らく「冷泉家当主および嫡男以外は立ち入り禁止」だったため、
研究者ですら資料を目にする機会が稀だった。

もっとも、それゆえ貴重な資料が奇跡的に散逸を免れ現存してるわけで、
1980年からは資料の整理・目録製作が進んでいる。

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/25(土) 09:53:08.23 ID:n96LY9Ql
>>227
そっちにあるのかよw
義総死後にでも貰ったのかね

近衛信尋公、無双の美少年成りし故

2012年04月29日 21:08

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:46:59.81 ID:XSm62Ux7
新井白石の『白石先生紳書』より

『近衛信尹の養子にて、後陽成天皇の第四皇子であった近衛信尋公と言えば、御幼少の頃無双の美少年であったので、
伊達政宗、並びに藤堂高虎、柳生宗矩といった人々は、上洛する時は常に、心やすく出入りしていた。』

(応山公(信尋)御幼少の時に、無双の美少年成し故、政宗、并 藤堂泉州、柳生但馬等、常に上洛の時は、
心安く出入り有し。)

『中でも伊達政宗などは、このようにせっせと訪問したため気に入られ、大変に睦まじい仲となって、ひとしお昵懇の
間柄であった。
そうであったので今でも近衛家と伊達家は家礼関係(公家の間の一種の主従関係)を結んでいるのだという。
藤堂高虎は、信尋公の以前の邸宅を造営してさし上げたそうである。』

(政宗などこれを以ってや亦り給ひけん、限りなくむつまじくなりて、一入昵懇の御事也。干今(いまに)御家礼申給ふ。
藤堂此前の亭を造営してまゐらせしなり。)


近衛信尋に対して、柳生宗矩は28歳差、伊達政宗は32歳差、藤堂高虎にいたっては43歳差である。
こんな、孫みたいな高貴で学識豊かな美少年に、戦国乱世を生き抜いたいい年したおっさんたちが
メロメロになっていたわけである。貴種で美形だと、なるほど無敵なのである。

どうでもいいが、ここでもやっぱり伊達政宗の表記は「政宗」である。政宗と書かないといけない決まりでもあったのか?
そんなこともふと考えさせる逸話である。




903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 16:57:52.38 ID:TbMbEuJJ
東の政宗、西の輝元

あと名前で直接書かれてる人っていたっけ?

近衛信尹「おのれは、おのれは、おのれは……」

2012年04月12日 21:31

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 06:13:46.85 ID:0424ybbj
 関白近衛信尹本阿弥光悦、男山の滝本坊の松花堂昭乗といえば寛永の三筆として知られる
書の達人であった。ある時、近衛信尹本阿弥光悦に「三筆の中で優劣をつけるとしたら
どんな順序になるか」と問うてみた。
 それに対し、光悦は「まず……、次は信尹様、その次は松花堂ですな」と答えた。信尹が
「まず……、というのは誰のことか」と尋ねると、光悦は「おそれながら私のことで
ございます」と答えた。

そんなある日、光悦が信尹のもとへ伺候すると、信尹が恐い顔で光悦の手をつかみ、
「おのれは、おのれは、おのれは……」と繰り返した。何やら怒っているようだが、
光悦には怒られる覚えがないので困惑していると、信尹は「なぜそううまく書くのか」
と言って笑いだした。




581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 10:05:13.13 ID:9oDbLyax
絡みづらい関白様だね

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 20:18:15.42 ID:UN3D05Xw
ラスボスが絡み易いとな!?

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 21:09:27.46 ID:dlfvWhCc
じゃれあえるくらい仲良しなのかw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 22:17:57.25 ID:iGZ6aYLI
こいつらかわいいなw

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 23:02:42.31 ID:AeAcTy4/
(#´д`)ノノ「おにょれは~おにょれは~おにょれは~…なぜそううまく書くのでおじゃる~ぅ」
(^ω^;;)「ギブギブ」

近衛信尹の遺書

2012年02月26日 21:51

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 15:57:12.83 ID:wv3l+KzH
近衛信尹の遺書


近衛信尹は、武家との交流が盛んであった公家である。
さて、いよいよ病が重くなったある日、信尹は愛する家族にあてて遺言をしたため、形見分け等を指示するが、
その中に、交流のあった諸大名の名が見える。曰く、

「左衛門大夫(福島正則)・政宗・島津(義弘)にも、似合いの品を、それぞれ遣わしてください」
(原文:左衛門大夫・政宗・島津などへも、似合い候物ども遣り候べく候)(※前後略)

書面上のことではあるが、信尹卿も、政宗は呼び捨てなのであった。




181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 15:58:41.62 ID:LS1qUkbb
さすが政宗、いつでもどこでも誰にでも政宗呼ばわり

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 16:46:49.17 ID:w7BONCpA
なんかもう政宗の諱呼びだけで本書けそうだな

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:23:50.23 ID:td1lJUKw
ひょっとして誰からも尊敬されてなかっただけじゃないのか政宗って

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:29:31.61 ID:uVwx2JSz
礼儀の問題だから本人の評価はあまり関係ない

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:58:39.48 ID:s9se1jXv
あの家光からは普通に尊敬されてたしね

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 18:11:02.54 ID:rQ9VtRx7
まあ端的に言えば

・政宗は生涯改名していないので諱が一番個人特定しやすい
・政宗の目には直接触れない書状である
・諱を使っても政治的問題になりにくかった

などがあったのでしょうな。あと政宗自身がどうも、「政宗」と呼ばれることを
気に入っていたフシがあるw

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 20:44:09.93 ID:S1Mvc11t
>>187
尊敬というのとはまた違くね?

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 21:14:53.87 ID:E70EFSK8
近衛信尹ってどこか憎めないな

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 22:03:44.11 ID:tTV2b3R5
その辺、やっぱり公家の元締めって感じだよなぁ・・・

高倉少将範国の闘死

2012年01月23日 22:00

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:25:05.26 ID:PpsF+v76
天正12(1584)年7月5日

昨夜、唱門師村(下級の陰陽師(唱門師)の集住する村)の旧屋敷の近辺において、
高倉少将範国が賊徒に襲われ闘ったが、散々に手負い今朝死んだという。

この人は柳原亜相(淳光)の実子である。
私も柳原亜相とは常々、別して仲良くさせてもらっている。本当に驚いている。
先に見舞いに行っていた侍従(吉田兼治)が帰ってきて言うには、柳原亜相は正体がないほど
打ちひしがれているという。

6日

京に出て、柳原亜相の元に行き対面し、高倉殿のこと、その不慮に驚き入ったことを
申し上げた。
柳原亜相は、この事件が(唱門師村のあった)川原で起こったこと。
こんな事は聞いたこともないということ、などを語られた。

(兼見卿記)

秀吉支配下の京ではあるが、この頃でも、高級公家ですら賊に襲われ殺されるような治安状況であった、
という事を今に伝える記録であろう。




830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:42:04.23 ID:EKpAdN1W
信長末期より治安は悪化してたってこと?

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 18:54:58.83 ID:A1Yd9z+Y
>こんな事は聞いたこともないということ、などを語られた。
ってことは聞いたこともない位に珍しく凶悪な事件という風には捉えることはできないの?
高級公家だからこそ襲われたという風には考えられないのかい?

教えて学のある人~


832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 20:06:03.69 ID:YapjXU1r
ショックのあまり聞いたこともないって言っただけじゃない?
平安時代には強盗を生業にしていた藤原保輔なんて貴族もいたけどねえ


833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 20:07:41.94 ID:q7T7grj2
現代だって強盗殺人はたまに起こる

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 21:33:35.84 ID:fOqWrNjp
唱門師村なんかに高級貴族の屋敷があったの?

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 22:26:12.90 ID:WXBb9gW8
そこを通っただけで目的地ではなかったのでは。