三条三光院殿が十六歳の御時

2017年01月26日 15:05

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 22:28:30.78 ID:cLGF5vuf
 三条三光院(三条西実枝)殿が十六歳の御時、
禁中の歌会で”懐旧”という題が出たことがあった。
「何とも詠みにくい」
と言われると、
『歌の達人である彼でも苦手なものがあるのか』
と一同は皆おもしろい顔をするだけで、
若い彼のために題を取り替えようと提案する人は誰もいなかった。
そこで、

程近きわが昔さへこひしきに 老いはいかなる涙なるらん
「年若い私さえ昔を恋しく思うのに老人には昔はどのような涙になるのであろうか」


(醒睡笑)
若者いじめにも屈せず、見事やりかえしたちょっといい話




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今大路道三養生訣ならびに狂歌

2017年01月19日 18:24

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/18(水) 22:22:44.68 ID:I6IZ9lVa
今大路道三養生訣ならびに狂歌

林氏(述斎)の話であえう。
猷廟(家光)の御時、名人と呼ばれた今大路道三に養生の訳を御尋ねになられた。
道三は即座に一首の狂歌を吟じた。

養生は無欲正直火湯(ヒユ)だらり 心のままに御屁めされよ

なるほど、飲食や男女の欲をはじめ、人身を損なうものは皆自分の欲から起こることが多い。
意を正直にすれば心労することはまったくない。
譎詐謀計は様々のことから自ずから思慮を悩ますものだ。
火は火に当ること、湯は入浴のことで、
強い火に当ってはならない、熱い湯に入浴してはならないということだそうだ。
だらりはその時の俗言であろう。

人々はよくこの歌を守ったら、養生の術は足りるはずである。

(甲子夜話続編)



553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/30(月) 18:14:56.29 ID:gYce28W1
>>524
今大路道三といえば秀忠の信頼厚い名医だけど、上洛中の秀忠、家光に従っていたところ、崇源院(江)の重篤の一報で
急遽江戸へ帰還するも、自分が病気になって到着前に死んじゃったんだよね。
死去した日は崇源院の数日後だから、元気でも間にあったかどうかわからないが。

状況的に、医者の不養生とはちょっと違うかな。

北谷の稚児は雪より色白、南谷の稚児は花に勝る

2016年12月11日 12:26

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 19:05:21.45 ID:/4cA2X5A
 比叡山では、北谷の稚児は雪よりも色白だと愛され、南谷の稚児は花に勝るほど趣があるともてはやされた。
このようなことが続いていると、後に者どもはああだこうだと心無いようになっていった。
ついには諍いになり、花を悪く言い散らしたり雪を妙なものと非難したりした。
雪の方からは「花を褒めるような狼藉の類は攻めよ」と言い、
花の方からは「雪を褒めるうつけ者をひたすらはたいて除けよ」と言い
互いに怒れる心は激しくなり山の騒ぎがはなはだしくなった。

 西三条逍遥院(三条西実隆)殿はこれを伝え聞かれ、わざわざ山にお登りになられた。

雪にも愛でられる理がある。
花ならばさかぬ梢もあるべきに 何にたとえん雪のあけぼの

花に心を染められるのも、もっともな由縁がある。
雪ならば幾たび袖をはらはまし はなのふぶきの志賀の山越え

今後は優劣を争わず仲直りをし、円入和合の床で勤学せよ
と鎮めてお帰りになられた。

(醒睡笑)



396 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/10(土) 23:38:26.95 ID:0vHTnDKz
こんなんじゃ俺が清盛や信長でも焼くわな。

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 00:08:43.03 ID:wrFBh8rX
雪とか花っていうのがボーイの呼称かと思ったら
文字通りの雪や花だったのな・・・

とにかくよろしくないものであったので

2016年08月26日 21:09

43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/26(金) 04:32:02.82 ID:SjtvSl7Y
西三条逍遥院(三条西実隆)殿が、御養生として有馬へ湯治に出かけたことがあった。
そのとき、歌の批評を望む者が参った。

とにかくよろしくないものであったので

昔より 奇特ありまの 湯ときけど 腰折れ歌は 直らざりけり
『腰折歌 下手な歌』

(醒睡笑)



一条禅閤兼良公は博学多才の御方である

2016年01月05日 17:43

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/05(火) 04:57:05.46 ID:TholDEX4
 一条禅閤兼良公は博学多才の御方である。

彼を招いた歌の会等で、天満宮の尊影を崇め掛け置いていましたら甚だご立腹なされ、尊影を取り除かなかったらその席に着かれませんでした。
この事を知っている人は、彼がお加わりになる席には、決して天満宮の尊影かけなかったという。

この理由は彼が常々仰せられるには、
『菅家は唐朝までの書を知りなさっている。私は末代に生まれたので、明朝までの書を知っている。であるので菅家の次席には立たない。』とのことであった。

倭漢のことに博識であるが故に、慢心してしまいこのようになられたのだろう。

彼は乱世になると都に住むこともできず、美濃君の畑と申す所に御隠居なされたという。
(本阿弥行状記)

一応、落ち着いてからは京に戻れたのですがね



南光坊の木像

2015年12月17日 10:57

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 00:37:14.53 ID:KK7fARI3
 南光坊僧正に大師号を贈られる事、叡山は全く承知していなかったが、勅命なので仕方なく山の歴代に加えることとなった。
南光坊の木像を造り山に上げようとしたところ、突然風雨や砂石が飛んでなかなか登山ができなかったので、そのまま下山したことが伝わっている。
 南光坊がどれだけ博識の出家であろうとも、一代の行跡は僧に似合わない。
もとから大師号を贈られる人ではなかったので、どうして山の歴代に加えなければならないのだろうか。
寛永寺の号も大いに理解できないことである。
(本阿弥行状記)

>風雨や砂石(意味深)

ちなみにこの木像と思われるものは坂本の恵日院の慈眼大師堂に本尊として今もあります。
『木造慈眼大師坐像』という名で重要文化財にも指定されています。



770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 00:46:13.37 ID:6c/zEKcP
山に上げられないなら大徳寺の山門に置けばいいじょのいこ

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 08:51:52.68 ID:3AdArwrY
風雨や砂石がってのはあげないための言い訳かね
幕府の検視とかつくなら別だろうけど

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 12:22:39.78 ID:2wvPTIua
大師号は宗派の開祖や中興の祖に贈られるべきものなので
天海には不釣り合いである、という本阿弥の意見も当然ですね。
空海、法然、親鸞、日蓮等と同格になるわけですから。

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 13:18:05.75 ID:/PBg3oW/
親鸞とか日蓮が大師号授かったのって江戸以降だし価値無いだろ

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 13:53:31.74 ID:tBpmEOs+
空海は別格だけど法然、親鸞、日蓮より天海の方が先に大師号贈られてるんだよな

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 14:28:35.83 ID:6c/zEKcP
ハーフミレニアムお大師、法然

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 14:38:24.30 ID:arE1Am7t
超メジャー
弘法大師 空海、伝教大師 最澄

まあまあ知ってる
慈覚大師 円仁

佐野厄除け大師とか深大寺では知られてる
元三大師 良源

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 20:55:56.43 ID:eQtcX9yS
元三大師の残りの二人はだれですか?

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 21:21:28.06 ID:FcfagkeQ
元・三大師じゃないから!一月三日って意味だから!

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/17(木) 21:24:03.98 ID:3AdArwrY
川崎は誰なんだろうと調べて、ついでに厄年も調べたら本厄だったorz
仕事辞めたのは必然だったかw

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 21:45:53.93 ID:uytH9X5A
>>777
           /         ______/      ____/
      __  ___/
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        `'<`ゝr'フ\                  +  |(●),   、(●)、.:| +
     ⊂コ二Lフ^´  ノ, /⌒)                   |  ,,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
     ⊂l二L7_ / -ゝ-')´                 + |   `-=ニ=- ' .:::::::| +
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雲の上まで飛ぶ蛍かな

2015年10月24日 19:38

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/24(土) 11:03:27.52 ID:yKHnJEhe
中院通村公(鍋島光茂の後室、栄正院の祖父)が、後水尾天皇の御代、
勅使として江戸に下向なさったとき、
江戸城の下馬先を馬を下りずに通るとおおせになった。
御番衆が、
「先例ですからお下りくださるよう願います」

と申し上げると、通村公は、

「先例を知らぬ者を例にして、馬を下りる必要があろうか。
 勅使は下乗しないものである。」

と返答された。
けれども、どうにも御番衆が納得しないので、

「それならば勅諚は差し上げられぬ」

と、登城せず、そのままお帰りになった。
これが原因で、三年間蟄居なさった。
通村公の子の通純公は若死になされた。
通純公の子が従一位内大臣の通茂公である。(1/2)

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/24(土) 11:22:35.98 ID:yKHnJEhe
仙洞様は御在位中、松木殿の姫君を御寵愛され、
この姫君からお生まれになった五宮様(のちの東山天皇)を、
天皇のお位につけようとお思いになられた。
一宮様は日蝕の日にお生まれになられたということで、
公卿たちが、皇位におつきになられるのはいかがなことかと評議し、
いずれの公卿たちもその評議に同意したが、
ただひとり通茂公は同意せず、

「迷信で物事を判断しては、天下に正しい道が廃れるでしょう」

と申し上げた。
一宮様の母方の叔父である小倉殿は、
日蝕の日に生まれた帝王、聖人の例を、和国中国の歴史から探して、
それを評議の場にて申し上げられた。
けれども、五宮様が皇位におつきなられることとなった。
通茂公はこれが原因で、七年間蟄居なさった。
小倉殿は遠島をおおせつけられたが、
こんな無道な世に生きながらえても仕方ないと絶食をして、
二十一日目に亡くなられた。
御子にはお許しが出て、帰参を命じられた。
そのとき遠島先の流人たちの中にはなむけの歌を贈る者があった。

見隠れし芦間の光あらはれて
雲の上まで飛ぶ蛍かな

【葉隠】

全体的には見識ある公卿の不遇な話だけど、
最後と、流人の心遣いと歌が素晴らしくいい話



880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/25(日) 10:54:55.47 ID:qwNM48pz
趙翼の廿二史册記に前漢の皇帝が日蝕とか出る度に「朕の不徳だ」って己を罪する詔を出して
正道を心がけるって話があるの思い出したけど
陰陽的には日蝕があったのは在位中の仙洞様のせいになるんだよなぁ
このお方の経歴を見れば成程、御徳がとぼ・・・なんでもない

【ニュース】墓内のハチミツ狙いクマが石扉破壊 福井県指定文化財の史跡荒らす

2015年06月20日 15:27

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/20(土) 08:27:21.91 ID:vGt9qg1T
墓内のハチミツ狙いクマが石扉破壊 福井県指定文化財の史跡荒らす 

 福井市徳尾町の曹洞宗禅林寺で、福井県の文化財(史跡)に指定されている儒学者・清原宣賢(のぶかた)(1475?1550年)
の墓の石扉が破壊されたことが18日、分かった。墓の内部にあった巨大なハチの巣も壊されていた。住民らによると、ハチミツ
を狙ったクマの仕業とみられるという。
 
 被害に遭ったのは、室町期を代表する儒学者で、越前朝倉氏とゆかりがある宣賢の墓。禅林寺東側の橋立山の麓にある墓地
の一角にあり、高さ約2メートルの墓の正面には両開きの石扉が備わっている。中に五輪塔が納められ、傍らには墓碑が建つ。
17日午後1時ごろ、墓地の草刈りの準備のため訪れた地元の男性が、向かって右側の扉が外され、地面に落ちているのを見つけた。
扉は重さ10キロ前後で、金具部分には無理やり引きちぎったような跡があった。
  
 扉の内側には、ミツバチが大きな巣をつくっていたが、ばらばらに壊され、辺りに散らばっていた。墓の内壁や巣の残骸には
クマとみられる爪跡も残されていた。今月7日に地元住民が寺の掃除で訪れたときには異常はなかったという。

 同寺の総代を務める熊田悟司さん(74)らによると、宣賢の墓は2001年にもクマに扉を壊され修理した。その際も、墓の中にあった
ハチの巣が壊されたという。熊田さんは「クマを寄せつけないよう、こまめにハチの巣を取り除いていくしかない」と頭を抱える。
県生涯学習・文化財課の担当者は「ハチが墓の中に入らないように隙間をなくす必要がある。県文化財審議委員と対応を検討
していく」と話している。当面は応急処置として、壊れた石扉部分にふたをする対応をとる。

http://www.fukuishimbun.co.jp/sp/localnews/society/73524.html



957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/20(土) 09:01:07.53 ID:tKRMqPyu
兼見や幽斎の爺さんか

豊臣姓のこと。および九条稙通について

2015年05月02日 14:05

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/01(金) 22:54:58.29 ID:uLNeMyLn
豊臣秀吉がある時、近臣に語った。

「わたしは尾州の民間より出たのであるから、草刈りをするすべは知っていても筆を取ることは知らない。
それが今、不慮に雲の上の交わりをなす身と成ってしまった。
しかし我が母が若き時に、内裏の御厨子の下女であったが、それが玉体(天皇)に近付き奉った事があった。
その夜、母は夢に、御祓箱が伊勢から播磨へ、隙間もなく空を飛行するのを見、また

『ちはやぶふる 神のみてくら 手に取りて (ちはやふる神に奉納する物を手にとった)』

という歌を夢の中で感じ取って、私を懐妊されたのだ。
この夢は災いを予知したものではないと見えて、私は信長公より許され播州に出陣し、即時に平らげ
それから中国に掛かって毛利と先陣する時に、明智の乱を告げ来る故、時日を移さず討って上がり、
主君の怨敵たる明智を滅ぼし紫野において信長公の葬儀を執り行い、朝廷に請うて御贈官をなし奉り、
一宇を建立して御位牌を崇めた。

こういった事の冥加であろうか、いま、私は図らずも貴き身となったが、土民であるから氏姓がない。
草刈りの成り上がりたる身であるので、いにしえの鎌足大臣の御名をよすがに、藤原氏を免されん。

この殊に、近衛(前久)殿より「いと易きことである。」とはからいがあった所、九条禅閤稙通公が
お聞き及びに成って、「摂家は何れも隔たり無いと言っても、長者は当家の事であるから、近衛殿の
思うままには成るべからず。」と主張したのだ。私はこれに

『物知りである九条禅閤公が仰るのだから、何か仔細があるのだろう』

そう思い、徳善院(前田玄以)に命じて近衛殿、九条殿を大徳寺に招いて、その相論を聞いた所、
『嫡流庶流の事、旧記、伝来の重器である近衛家の鎌、九条家の大識冠の真影(藤原鎌足の肖像)、
恵亮の法華経、狐丸の太刀、および三代の名記』等々、みずからの家が摂家の長者で有ることを示す
様々な証拠を提示して互いに争った。

この有り様に私は、このように耳遠き争いのある、難しい藤原の蔓葉になるよりも、思い切って今までにない
氏になったほうが良いと考え、右大臣(今出川晴季)と密かに議して上奏し、豊臣朝臣という新姓を
勅許されたのだ。」

その後、秀吉に関白宣下があったのを九条稙通は聞くと
「この職は他家が任じられる謂れはない。八百万の神、並びに春日の社の御罰かしこし」
と言われたが、はたして秀次事件の時に、近衛殿は薩摩坊津に、菊亭殿(今出川晴季)は信濃国に配流された。
その上、御女の一の台殿をも大路を渡し参らせた事など、古今に例無きことであった。
その頃建仁寺の十如院永誰和尚が詠んだ『道するに 車にあらで大臣を のするがごとしになふ棒の津』
というものも、この事を表しており、秀吉の世がその一世のみで、秀頼は滅びその幼子は河原者の手に
誅せられたのも浅ましいことである。

かの九条稙通殿は正しき御振舞のある人物であると、世に云い伝えられている。
織田信長公が上洛された時、洛中洛外まで、どのような身分の人々も我先にと馳せ参って
見参しへりくだっている所に、この公だけは立ったまま差し向かって「上総殿、御入洛大儀」
とだけ言って帰られた。これに信長も不快になり、「九条殿は私に礼を言わせるために来たのか!」と、
甚だ立腹したが、公は少しも恐れず「仮に一命を失っても家の恥を残すまじ」と語ったという。
これはその当時、間違いなく近くでそれを見ていた人の記録の中に見える。

(明良洪範)



726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/01(金) 23:19:34.90 ID:Egezbr7G
上総って私称じゃなく正式に貰ったものだっけ?

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/02(土) 12:04:01.04 ID:E+o/sl1c
上総守名乗っちゃった

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/03(日) 09:59:16.53 ID:pKqmrBc2
>>728
守では無い!神だ!

734 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/05/03(日) 22:18:07.93 ID:tfj3Fdu4
>我が母が若き時に、内裏の御厨子の下女であったが

これはよっぽど出自コンプがあったのかな?
聞いてる方も辛いと思うわw


九条稙通の不思議な話

2015年04月25日 15:59

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/25(土) 07:04:05.13 ID:5r9IOFLr
九条稙通の不思議な話

関白九条稙通公は飯綱の法に凝っていた事がある

稙通公の寝る所には必ず頭上の木々にフクロウが留まり、道を歩けばつむじ風が起こった

「京都の昔話」



里村紹巴と九条稙通

2015年04月24日 18:38

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/24(金) 16:13:20.38 ID:4P9hbfME
里村紹巴九条稙通

前(さき)の関白九条稙通は朽ちた庵に隠棲していた
さる日連歌仲間の里村紹巴が彼を尋ね、挨拶もそこそこに世間話となった

紹巴「近頃はどの様な書物を読まれていますか?」
稙通「源氏物語ですね。名作ですよ」
紹巴「そうですか。ところで歌に関する書物を探しているのですが、なにか参考になりそうな本はありますか?」
稙通は再び源氏物語と答えた
紹巴「…ときにこの庵で淋しくはありませんか?お心をお慰めするものでもあるのでしょうか?」
これにも稙通は源氏物語と答えた

稙通「60年ほど読んでますがまったく飽きません。むしろ延喜の世界に住んでいる心地になりますのでこの書ほど興味深いものはありません」

底抜けに源氏物語が大好きな九条稙通の話

足がるといふ者長く停止せらるべき事

2015年02月18日 18:41

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/18(水) 00:43:58.70 ID:7BONnx8n
足がるといふ者長く停止せらるべき事

 昔から天下が乱れることはありましたが、足軽ということは旧記などにも記されていない名前であります。
平家のかぶろという事が珍しい例としてありましたが、このたび初めて出て来た足軽は度の越した悪党であります。
それは洛中洛外の諸社・諸寺・五山十刹・公家・門跡の滅亡は彼らの所行のせいであるからです。
敵が立て籠もっている所には役に立たないが、そうでない所々を打ち破ったり、火をかけて財宝を探す事は、昼強盗と言うにつきます。
このような例は先代未聞の事です。しかしながらこれは武芸が廃れたから出て来たのです。
名のある侍が戦うべきところを、武具を抜いて彼らに着せたから起きた事です。
そうであるので、随分の人が足軽の一矢で命を落として、当座の恥辱だけでなく、末代までの瑕疵を残したと聞いております。
いずれにせよ主のいない者はあってはなりません。
今後もこのようなことがあれば、主方それぞれとかけあって糾明してください。
また、土民商人であれば、在地に仰せ付けられて罪科のある禁制を置かれてたら、足軽の数が千に一となりいなくなるでしょう。
まさに下剋上の世である。外国への聞こえにも悪く恥ずかしいことである。

(樵談治要)

モヒカンに対処しきれないお公家さんの将軍に対する頼み事です



428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/18(水) 01:50:45.44 ID:EqMmNWpK
>>427
そういえばこの樵談治要って、一条兼良が9代将軍足利義尚のための教育用テキストとして書かれたのだけど、
後に豊臣秀頼の帝王教育のためのテキストとしても使われているんだよなあ。

洞院公数の憂鬱。

2015年01月14日 19:07

246 名前:1/2[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 18:42:05.56 ID:HrajbQXf
洞院公数の憂鬱。
 ある公家の家の消滅について。

 洞院家といえば、西園寺家とともに藤原氏閑院流の中枢を担う名家として知られる。
 特に、南北朝期の洞院公賢は、有数の碩学として知られ、その日記『園大暦』は、随一の宝だと考えられていた。
 以降学問の家と知られ、権門勢家の系図『尊卑分脈』の編纂など、多くの学問成果をあげ、人々に一目置かれていた。
 嘉吉元年(1441年)に生まれた公数もまた、学に敏い廷臣として朝廷儀礼を差配し、若い時から才をあらわす。
 筝の演奏にも卓越し、洞院家当主に恥じぬ人物として、順調に出世を重ねていた。

 しかし世の中の状況は、必ずしも順風ではない。
 嘉吉の乱以降、洞院家の所領は次々押領され、財政難に陥っていた。
 文明二年(1470年)、ついに公数は窮困のあまり拝賀不能となり、左近衛大将・権大納言を辞することになる。
 応仁の乱がトドメだったようだ。

 その後、悪化する情勢の中、公数は名門・洞院家の維持が不可能と悟る。
 文明八年、公数はついに跡継ぎのないまま出家してしまった。これによって洞院家は当主を失い、断絶状態となった。
 洞院家が没落して醜い様を見せるくらいならば、この世から消してしまおうと思ったのだろう。

247 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 18:43:01.45 ID:HrajbQXf
 しかし実は、この状態ならばまだ復活可能であった。
 公家の家の存在意義は、文庫と故実との継承にある。
 文庫さえあれば、別人を当主として、再興することができた。
 洞院文庫は、少しずつ公数が切り売りしていたが、まだ大半は残っていた。

 そのことに目をつけたのが、洞院家のライバルである西園寺家であった。
 洞院を従えれば、名実ともに閑院流のTOPになれる、という魂胆である。
 文明十四年十二月、時の当主西園寺実遠は、次男公連を洞院当主とすることを天皇に請い、それを許された。
 続いて実遠は、洞院文庫の確保、とりわけ重宝である『園大暦』の確保を狙う。

 だが、公数にとってそれは認められるものではない。
 西園寺の風下に立つ洞院家は、公数にはとても認められるものではなかった。 
 ゆえに公数は、わずか4ヶ月後、翌文明十五年三月に中院通秀へ『園大暦』を売り払った。
 中院家は、村上源氏久我家の支流であり、閑院流どころか藤原氏でさえない。
 こうすることで、洞院家の復活を完全に阻止しようとした。
 そうでなければ、わずか3ヶ月で売り払うことを決めたりはしないだろう。

 かくて、公数の予定通り、洞院家は消滅することになった。
 西園寺から家をついだ公連は、若くして亡くなり、その後をつぐひとはあらわれなかったのだ。

 名門洞院家を潰した公数の評判は、極めて悪い。
 同じ閑院流の三条公敦によって、文明十一年に書写された『尊卑分脈』には、最後に次のように記されている。

「この系図、洞院累代の本なり。しかるに左大将入道〈俗名公数、法名を知らず〉、放埒の仁なり。一流すでに断絶分と云々。記録・抄物等、悉く沽却す。耳を洗うべきものなり」

 「聞いた耳が汚れる」とまで言われるほど評判が悪くとも、プライドを守り、ついに家の断絶を成し遂げたある公家のはなし。




248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 19:21:41.54 ID:BAvpoL8d
下手に名門だと断絶するのも大変だというお話

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 19:29:25.40 ID:ub/Bt4gt
火を放て

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 22:19:15.19 ID:cyOeni+a
まあ一向一揆衆もキチガイなら
七里頼周もキチガイだったというだけの話し。

世の中、どちらが善玉でどちらが悪玉とは限らない。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/13(火) 23:25:04.15 ID:R5/KYy0s
上杉憲政や大友義統は貴重な記録を散逸させずに残してくれたのに
この人はなんてことを

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/14(水) 00:15:00.19 ID:WxJ8ukFs
でも、最大の史料・芸術品・財宝をこの世から消滅させた事件は
大内氏-陶氏の内乱とそれに続く毛利氏の周防・長門侵攻だけどね
当時の山口と小田原は、都市の繁栄において戦乱に疲弊した京を凌ぎ、
特に文化に関しては山口は、パリ・ウィーン・ローマに勝るとも劣らない
世界最大級の都市だと宣教師たちも記している

山科言継が巻き込まれた夫婦喧嘩

2014年12月18日 18:51

390 名前:夫婦喧嘩は犬も喰わない[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 23:11:11.57 ID:IOBS+uWI
山科言継が巻き込まれた夫婦喧嘩。
 『日記で読む日本中世史』の清水克行氏の執筆分から。

永禄二年七月十七日、山科家の下女が、盛大な夫婦喧嘩の挙句、髪を切られてしまった。
夫婦喧嘩の理由はわからないが、なんだか大げんかだったのは間違いない。
この当時、女性の髪は女性性の象徴。それを切ることは、大変な暴力にあたる。
……とはいえ、普通ならば一応、「家庭内暴力」の範疇ではある。

だが、下女の夫が同じ公家・甘露寺経元の下男だったから、話がややこしくなる。
この事件が、「山科家の下女が、甘露寺家の下男に攻撃された」という形になってしまうからである。
すぐさま言継は、甘露寺経元に対して「相当の成敗(=同程度の処罰)」を要求した。

しかし経元は当日「確認してから再度連絡します」と連絡したっきり、何日も言継へ連絡を返さない。
言継が問い返しても「留守です」のひとこと。
甘露寺家は、山科家の口入れで下男を処分することが体面に関わると判断したのである。
本来、言継と経元とは互いの家を訪問しあうなど、非常に親密な関係だったのだが……。

不誠実な甘露寺家に怒った言継は、二十日に曼殊院門跡へ仲裁を依頼したらしい。
翌日には、洛中の治安維持を担当する幕府侍所開闔・松田盛秀から、件の下男が20日の追放処分になった、と言継へ連絡があった。
曼殊院側が、甘露寺家にいろいろアドバイスしてくれたようだ。
「とりあえず隠しておいて有耶無耶にする」という甘露寺家の意図が丸見えだが、言継は了承した。

が、直後に山科家に謝罪しにきたのが、なぜか曼殊院の坊官であったのが、言継の癪に触る。
ただでさえ甘露寺側の不誠実な対応に苛ついていた言継は、「甘露寺側からの直接の謝罪があるべきだ」と怒って面会拒否。
松田盛秀を通して曼殊院に厳重に抗議した。

残念ながら、この後の経過は言継も記していない。
どうやら両家の対立は沈静化したようではあるが、どうにも体面とは難しいものである。


で、問題の下男。20日の謹慎が解けたのち、あっさり甘露寺家に帰った。
どころか、山科家の下女ともよりを戻し、元の夫婦生活に戻ったようである。
長年の交友関係にあった山科家と甘露寺家とが、一触即発になったことなんて、忘れてしまったかのように。
挙句、10月1日には、その下男が腹痛を起こしたと甘露寺家から連絡があり、言継が薬を調合してやった。


 というわけで、主人とは関係なく喧嘩して仲直りして、なんていう下男下女の、夫婦仲のいい話?




392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/17(水) 23:27:44.44 ID:SdudZCHY
言継が黙ってればただの夫婦喧嘩だわな
言継も悪いと思ったんだろう

政基

2014年12月16日 18:51

17 名前:政基1[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:25:55.65 ID:ZuhOEDVv
有名な話のわりにまだないので。

戦国時代の始まりといえば応仁の乱。ちょうど頃の当主を九条政基という。
鎌倉時代には兼実・道家を一世を風靡した九条家だが、応仁の乱後は収入を失いたいそう貧窮していた。
この頃の九条家の家司に、唐橋在数という人物がいる。彼は政基のいとこにあたり、九条家の家政機関運営を主導していた。
で、お金のない政基。ついに万策尽き果て、この在数からお金を借りることになった。
さて、この在数、九条家のためということで、従来から九条家領日根野荘の管理を任されていた。
ところが、こんなご時世、在数も日根野荘経営には苦しんでいた。そのため、運営経費を根来寺から借りていた。
ところが在数は結局、この根来寺への借金返済にも失敗する。結果、根来寺は九条家に対し、担保である日根野荘を取り立てに行く。

政基からすれば「在数の借金だから自分で返せよ」となるし、在数としては「九条家の荘園経営のための資金を借りたのだから、九条家の借金」と言い始める。
そもそも在数は「なら九条家への借金返してください」と訴えるし、政基としてはそもそも在数が、でかい顔で九条家を支配しているのが気に食わない。
というわけで、あっという間に関係は悪化。

結果、明応五年正月七日、ついに政基は息子尚経とともに、在数を自分で殺してしまった。
これぞ、本当の「殺生関白」である。

18 名前:政基2[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:28:37.48 ID:ZuhOEDVv
と、ここで話は終わらない。何故ならば、唐橋在数はこの時大内記・菅家長者である。つまり、現役の廷臣だったわけである。
しかも、天皇たっての願いで禁裏での歌会での講師を務める、学者としての実力も認められていた。
ぶっちゃけ、そこら辺の人間一人二人殺した所でもみ消しは簡単だったろうが、こうあってはタダじゃすまない。

まず激怒したのは同じ菅原一族。すぐさま、菅原一族である高辻・東坊城・高辻は談義を行い、朝廷へ、九条尚経を解官するよう訴え出る。
すぐさま先例が調べられ、鹿ヶ谷事件の松殿基房の例に従って解官、という方向で決着しかかった。

しかかったが、此処にも待ったが入る。入れたのは、近衛政家
九条と近衛とは基本的に仲が悪いが、ここでは「摂関家と侍臣とを一緒に扱うな」と訴えて、九条尚経の解官を防ぐことに成功した。
いくら対立する九条家であるからといっても、摂関家の威信自体が壊れるのは拙いと思ったらしい。

結局、尚経は出仕停止処分に収まることになった。
しかしこれによって九条家は、公家たちの間から評判を失ってしまう。
たとえば、中御門宜胤は、この事件に激怒して九条家との付き合いをやめてしまっている。

こうして九条家は益々没落し、政基は日根野荘にて直接経営を志すのである。
かくて、『政基公旅引付』につづく!

19 名前:政基おまけ[sage] 投稿日:2014/12/15(月) 19:35:06.96 ID:ZuhOEDVv
ところで、在数が殺されたと知った菅原一族の東坊城和長。
先ほど言ったように激怒して、政基の解官を訴えるなど積極的に活動している。

のだが、そのどさくさにまぎれて、自分の大内記就任を訴えている。
東坊城家は、和長の父・長清が夭折して家運が傾いており、それを和長が再建の途中だったわけである。

そして、あっさり和長は大内記に就任。
在数にはたしかに子供もいるのだが、以降唐橋家は衰退し、和長が菅原一族のまとめ役となっていくのである。

そんな、ちゃっかりした和長さんの話。
ちなみに、「無才」な長老・高辻長直に代わって、高辻章長や五条為学を鍛え上げ、戦国期の漢学を支える人材に育てたり、やることはやってる。




21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 10:11:54.28 ID:/hFWP8dA
九条家ってかつては鎌倉将軍を出してたんだよな

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 11:20:04.43 ID:ofVFTbeM
戦国時代でも荘園経営って続いてるんだなあ

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/16(火) 21:48:11.73 ID:TX3Jq3Qv
一条さんは荘園への下向組み

「よき哉」

2014年10月10日 18:52

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 18:58:19.03 ID:bzLAHa7H
烏丸光広卿は居間に書物を積み置き、机の上に硯を置き、扇箱へ筆を入れ置いていた。
その部屋には誰も入ることを許さず、それ故に光広卿の座る場所以外は埃が積もっていたそうである。

この烏丸光広卿が或る年江戸に下向し、3年ほど江戸に滞在したことがあった。
京都の邸宅の留守居に置かれた雑掌の某という者は、この様に考えた

「光広卿は長い間、江戸の広い所に慣れて、この狭い所に帰ってくれば定めて窮屈に思われるだろう。」

そこで先ず土倉の中の物を皆取り出して家人たちに分配し、土倉を打ち壊して庭園を広くして
卿の帰りを待った。

光広卿が帰ると、いつもの様に居間に座り庭園を眺めたが、何も言わなかった。
雑掌は「お留守の間に私が、庭園を広くいたしました。」と申し上げた。

光広卿は「至極眺めが良くなった。ところで土倉はどうしたのか?」

「はい、土倉は打ち壊しました。」

「土倉の中の物はどうした?」

「中の物は家人に全て分配いたしました。」

「ふむ…。汝は何を取ったか?」

「私は何も取っておりません。」

光広卿は頷いて
「よき哉」

そう一言だけ言ったそうである。

この主従は共に博学の人で、かつ禅学を好み頗る悟道に入った人たちであったという。

(明良洪範)

悪い話というか変な話というか




506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 19:44:22.62 ID:m0ZnlYZL
下向前
        ___|二ニー-、、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
        /rヽ三三三三三─‐-- 、;:;:;:;:;:;:;:|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
        ',i ,-三三三三三、   _,.ニ、ー-、!;: -‐二 ̄彡′
        ',、、ヾ三三'" ̄ ̄   `ー‐"    ヾ-'"  .〉′
        ヽ ヽヾ三,'    :::..,. -‐- 、     _,,..-‐、、,'
         `ー',ミミ     ::.弋ラ''ー、   i'"ィ'之フ l
         /:l lミミ     ::::.. 二フ´   l ヽ、.ノ ,'     
      ,.-‐フ:::::| |,ミ             l      /       
     /r‐'":::::::::| |ヾ        /__.   l    /      
 _,. -‐"i .|::::::::::::::::::',.',. \        ⌒ヽ、,ノ   /ヽ,_             
"    l ヽ:::::::::::::::::ヽヽ. \   _,_,.、〃  /l |    ___,. -、
     ',\\:::::::::::::::ヽ\  \  、. ̄⌒" ̄/:::::| |    ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
     \\\;::::::::::::\\  `、.__  ̄´ ̄/::::::::::l |    `''''フく _,. -ゝ┴-r-、
       ヽ \`ー-、::::::ヽ ヽ    ̄フフ::::::::::::::ノ ./   ,.-''"´ / ̄,./´ ゝ_'ヲ
          `ー-二'‐┴┴、__/‐'‐´二ー'".ノ   / _,. く  / ゝ_/ ̄|
               ̄`ー─--─‐''" ̄      / にニ'/,.、-t‐┴―'''''ヽ
                              /  /  .(_ヽ-'__,.⊥--t-⊥,,_
                              /  /  /   ̄   )  ノ__'-ノ
                             /      /    ゝニ--‐、‐   |
                            /           /‐<_   ヽ  |ヽ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 21:29:54.88 ID:PYIQj9n3
そんな烏丸さんも現在はエロゲーのキャラの仲間入りとなりました。
http://www.ss-alpha.co.jp/products/sengokuhime5/char/117.html?iframe=true&width=710&height=560

DQN四天王のうち政宗しかエロゲーに登場してないし。

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 21:33:46.64 ID:l5IACc+V
エロゲ、ていうから猪熊事件でもネタにしたのかと思ったら
烏丸が女役って

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 10:22:53.61 ID:cxOpSIEH
よき哉

512 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/10/10(金) 11:03:25.03 ID:HogXw4s9
下向後
  ,彡ニ三三三三三三三ニ=ヾ;:;:;:;:;:;;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:i'
  ,彡ニ三三三三ニ三三ニニ;〃ヾ、;:;:;:;:;:;::;:;::;:::;:/;:;:/
 ,彡彡,'',ニ=ミミミ三三三三ニニ彡  `゙゙''ー-、;:;:;:;/;:;/
 ',彡'/ r' ノヽヾミ三三三三三彡'   _,,,,,,、ヽ;:;ィ''|  
  彡'|.|(‐'''" 'iミニニ三彡"´ ̄     `゙゙ー'  ;;;:|   _,,,,._                、-r    r--,      、-r
.  彡i、ヾ ('  ヾミニ三'          __,,、 ....ノ   / .,','" ̄',〈... _,,,_   _,,,_   _,,,,,| |     ~`l |  _,,,_   | |,,,,,_
  彡ゝ `'' "  |ミミミ'       ‐'"ひi,;'´  ,ィ;;ァ'  { {   ,___ ,'r⌒!゙! ,'r⌒!゙! ,.'r⌒| l      .| | ,'r⌒!゙! ..| |⌒','i
   '彳`ー‐i  |ミミミ'          `゙ーシ'   |、ニ'  .ゝヽ、 ~]| ,i i  i l i l  i i .i i  .i .i      .| | i i  i l  .| i  .i |
 --、/    i  |ミミ         .,,r‐''"   | ノ    `ー-‐'"  ゞ_,.'ノ ゞ_,.'ノ ゞ__,.',、'ュ     .l l  ゞ_,.'ノ.. .L、-_,'ノ
 く'ノ    :i  ミミ         ´  ., '   |'                              (~'-'ノ
 、\     .l  ヾ            .ノ(_,,、.   |                            `~~
 :\ヽ,   ヽ          /   `t‐一'        __
 ::::ヽ ヽ   `::.       ,; '      .:i          〈  ヽ
 :::::::ヘ ヽ    `::.        ''"⌒゙''一ノ           |   }
 ::::::::::ヘ.ヽ    ヽ、       ` ー'ーノ            !>'⌒ヽ、
 ::::::::::::::ヽヘ     `ー┬‐一;;''""´           /ヽ、 ,  )
 \、:::::::::ヽヽ      /::ヘ ) `゙'ー、_         /:::::::::Τ  ̄ `l
 〃`゙ー、;;;;\\   /i:::::::丿 ' , ' , '`゙ヽ、      /:::::::::::┼‐- -ノ

一条政房の死

2014年10月08日 18:54

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/08(水) 16:53:58.74 ID:LjN7ttzh
一条政房は若き公卿であり、権大納言である。
一条教房の長男であり、一条兼良の孫にあたる。

さて、応仁の乱が起きてしまうと単独で後醍醐天皇のゆかりの宿でもあった摂津福原の福厳寺に隠れた。
この時父・教房は奈良に避難していたが、祖父・兼良が奈良に避難すると土佐へと下向した。
応仁の乱の勃発により家族バラバラとなってしまった。

1469年10月17日、東軍方の山名是豊・宇野政秀らが福原に乱入した。
その時の服装は御装束のまま直衣狩衣の優美な御姿であったといい、東軍の兵は政房を敵と思ったのか
長槍を持った兵に心臓を一刺しされ、少しも抵抗せず「南無西方極楽世界阿弥陀仏」と唱えて死んでしまった。

兼良をはじめとした人々は政房の死を嘆いたという。

弟・房家が誕生するのはこれより6年後のことであった……。

応仁記を基にわかりやすく付け加えたり脚色したり


というか政房も父と一緒に奈良に避難して土佐に下向すればまた歴史は違ってただろうに。



烏丸光広、病人を労わる

2013年07月25日 19:54

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/25(木) 08:04:47.96 ID:4xxAUktY
烏丸光広、病人を労わる

烏丸光広卿が有馬へ入湯していた時、播州加東郡より貧しい病人が
来ていて入湯していた。

光広卿はこれを憐れみ御台所にて養わせていたが、有馬を出立する際
に宿の亭主に病人を労わってやってくれと言い残し、その代金を与えて
帰洛された。

病人は本復して故郷へと帰り父にこの事を報告すると、父はこれを喜び
都へと上り、烏丸邸へ参上してこの件の御礼を申し上げた。

光広卿はこれを聞かれ「奇特である。よくここまでやってきた」と言い
いろいろな品を与えられ、さらに自詠の短冊をも与えられた。

 あしきとて思ひは捨し親と子のうときをは猶哀れとも見よ

今もその家ではこの短冊を持ち伝えてると言う

(当代奇覧)




769 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/07/25(木) 15:38:39.81 ID:++CW38Ni
烏丸自身が奇特なお方だよね。なんにしてもいい話だ。

その盛志を遂げずして

2013年06月18日 19:55

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:43:56.70 ID:vKATk0sd
ある日、藤原惺窩は奮発して大明国に入りたいと欲し、直ちに筑陽に至ると、
果てしなき大海原へとのりだした。

ところが風濤に逢って鬼海の島(鬼界島)に漂着し、その盛志を遂げずして
帰ることになった。

――『先哲像伝』




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:48:44.05 ID:TML1DMIc
惺窩が本懐を遂げられなかったからいい話なのか?w

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:51:47.01 ID:LImlMQ8w
現実見たらパリ症候群で狂い死にしたかもしれない

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 21:56:48.69 ID:aINWrm7x
その頃の明はもう完全に末期状態だから
惺窩は現実を見ずに済んで逆に良かった
おかげで一生夢見てられる

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 22:24:10.32 ID:HYqiGM4t
ほろ苦い話だな

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 11:52:19.66 ID:mY5ZAC7h
鬼界島って奄美の島か。まあ、島に漂着出来て良かったよな

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 14:58:34.09 ID:0XQHLgsE
遣唐使だったら沈んでたわ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 16:32:13.75 ID:2uJWdv6r
鑑真さん乗ってたんじゃね?

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 18:03:48.28 ID:8H5gQgKK
桃太郎が

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 00:32:55.16 ID:oeL6e3Se
>>526
屋久島の手前にある「薩摩硫黄島」かも。
(火山活動のため海が黄色に染まっているので黄海が島(鬼海が島)となったとか。
ちなみに、この島を含む巨大カルデラが「鬼界カルデラ」といい、
考古学でおなじみのアカホヤの産地だったりする。)

鬼界が島といえば、平家物語の「卒塔婆流し」「足摺」の舞台。
そして、平康頼の「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重の潮風」(千載集)の歌。

冷泉為純の子である藤原惺窩は、この島で
「薩摩潟八重の潮風つげやらんあはれ憂き身は親だにもなし」と詠んでいる。

父も兄も別所長治に討たれてるもんなあ。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 01:58:13.79 ID:O4ZcSBED
惺窩先生も良いキャラしてんだよなぁ
アレはアレで大好きだ

藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評し

2013年05月27日 19:51

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 18:12:42.43 ID:2O1GjFJN
藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評して「秀吉は大胆な人ではあるが、大心とは言えない。
朝鮮より明に攻め入ろうとするのは誠に大胆ではあるが、秀信を信長の跡目と仰せられず、
自立して日本を掌握されたのは大心にあらず」と言った。

後にこの事を四辻亞相公理に語った人がいた。亞相は「吾もその論をもっともだと思う。
大仏建立は彼の猿心の離れぬなり」と言ったという。

――『先哲像伝』