うしとらぬさへうきなたつみに

2017年10月23日 18:13

宗祇   
335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 23:42:11.25 ID:Sh+Hm2dH
連歌師の宗祇が諸国を修行していた折、ある国にて疲れ、近くに遊ぶ、主も知れぬ野飼い牛を見て
これを引き出し打ち乗りて、心に任せて歩ませた。

しばらくして牛の主が、牛のいないことに気が付き「これは悪漢が奪い去ったのだ」と、息せきって
追いかけ、これを発見すると宗祇を捕え、おおいに怒り沙汰のためと現地の奉行所へと突き出した。

奉行が宗祇に仔細を尋ねると
「私は宗祇と言って、諸国を巡る修行者です。あまりに足が疲れたため、野遊びしている牛を引き寄せ
乗り去ってしまいましたが、物盗みなどしようとしたわけではありません。ですがそもそも、
主がいないからと言って乗ってしまったのが過ちです。当然乗ってしまった事への代償は支払いますので、
どうか事無く許していただきたい。」

奉行はこれを聞くと
宗祇といえば聞こえる和歌の修行者ではないか、ならば、何か歌を呼んで謝罪せよ。また、牛のことであるから
十二支をその歌に詠み込んで然るべし。」

宗祇、畏まってしばらく考え、やがてこのように詠んだ

『むまひつじ さるとりいぬもいなばいね うしとらぬさへうきなたつみに』

(今古雅談)

むま(午)ひつじ(未) さる(申)とり(酉)いぬ(戌)もい(亥)なばいね(子)
うし(丑)とら(寅)ぬさへう(卯)きなたつ(辰)み(巳)に
ということですね



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鬼絵の始まりであった

2017年10月15日 16:45

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/15(日) 11:56:33.35 ID:CEt5gvj1
一僧あり。かつて古法眼(狩野)元信を訪問して、「愚僧に鬼の絵を画いて与えられよ」と懇望した。
当時、鬼という名称はあったが、それがどんな姿かという絵形は無かったため、困惑した体であったが、
さすがは元信であり、心ひそかに思った

『和俗に丑寅の間を鬼門と号し人々最も恐れる所であるのだから』と、頭は牛の形に型取り、腰より下を
虎に型取り画いて僧に与えたが、実はこれこそ鬼絵の始まりであった。

以降の絵師たちはますます異形を巧みて丹精を施し、虎の皮の褌なども着けるようになったという。

(今古雅談)



319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 03:44:43.04 ID:kqqh9NYq
無かったん?

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 11:48:55.65 ID:dJJE5qmC
鎌倉末期の大江山絵巻には鬼が描かれていたような・・・

さすが人間ウィキペディア

2017年10月13日 12:52

林羅山   
313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 09:16:20.71 ID:HheWmS3P
ある夜、林羅山徳川家康に侍講する折り、列座の者達、羅山の博識がどれほどのものかを試みようとした。

先ず、岡田淡州が問うた
「蓬莱島という能狂言の中に、『鬼の持ちたる宝は隠れ笠、隠れ蓑、打ち出の小槌、ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』
と言う所がある。この『ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』とは何なのか?」

羅山答える
「鬼の宝として出た品々は、宝物の中でも上々であり、またこの上に上々無し、という意味で、
『上々、無上無上』と言っているのです。」

次に内田信州が問うた
「鎌倉に『ノツケン』堂という場所がある。昔金岡納言(巨勢金岡:平安期の宮廷画家)がここに来て、この
勝景を写さんとしたが、筆に尽くし難く、筆を捨てノッケに成りたる故に、この堂を『ノッケン堂』と云い、
また『筆捨松』と呼ばれる松も今に存在すると云うが、これは本当であろうか」

羅山これに
「金岡が筆を捨ててノッケになったのではありません。あの堂は金澤より出る山越への坂の右の、高い場所に
あり、坂から仰ぎ見ることから『仰見堂』、これが訛って『ノッケン堂』となったのです。」

堀田加州問うた
「子供の遊びに、左右の手を寄せて『鬼の皿』という事をする。その詞に曰く

『タイドノタイドノ、一モタイドノ、二モタイドノ、タイガ嬢、梶原、アノウン、メクラガ杖ヲ、
ツイテ通ルトコロヲ、サラバ、ヨツテ、ツイノケ』

と歌っているが、これは何を意味しているのか。」

羅山、これも
「これは鎌倉時代の、源頼朝の意にかなう、威勢強き人々を数え並べた歌です。
先ず『タイドノタイドノ』とは、”御台殿”すなわち北条政子の事で、『一もタイドノ二もタイドノ』とは
続けて並べる人が居ない、と云っているのです。

『タイガ嬢』とは”大の嬢”、すなわち頼朝の娘、大姫君という、清水冠者の夫人を指します。

次の『梶原』は平三景時で、これも当時の寵臣です。

『アノウン』とは安明寺といって、北条時政の妻である牧の方の一族で、盲人でしたが、彼は特別に
殿中において杖をついて歩くことを許され、この人に行き合う者達はみな彼を避けて通していました。
故に『サラバ、ヨツテ、ツイノケ』と云うのです。」

その後も様々な問答があったが、羅山はすべて滞りなく答え、皆、彼が細事にまで通じることに
感嘆したという。

(今古雅談)

さすが人間ウィキペディア



314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 15:02:58.61 ID:Ohs68rOU
クイズ王とファンの集いかな?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 16:40:34.79 ID:ZTvwgvqs
怪力乱神

己はどうして斯くも

2017年10月12日 17:27

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 21:43:47.62 ID:hmMnuSkv
本阿弥光悦は、累代刀剣の目利きであり、研ぎ、および拭いの業を以て聞こえた本阿弥家の跡を継ぎ、
殊に拭いの殊に詳しく、また書に妙であった。

ある時、近衛三藐院殿(信尹)が光悦に尋ねた
「昨今、天下に能書と称すべき人物は誰であろうか?」

光悦は言った
「先ず、さて次は殿下(信尹)、その次は八幡の坊(松花堂昭乗)でしょう。」

「待て、その”先ず”とは誰のことか?」

光悦平然と答えた
「即ち私なり。」

ただし、当時この3人は天下三筆と聞こえ(寛永の三筆)、光悦の私僭ではない。

ある日、近衛信尹がにわかに光悦を召した。光悦、何事ならんと慌てて参上すると、直ぐ様御前に召され、
信尹は光悦の手を屹と掴み「己は!己は!」と言葉荒く叫んだ。

光悦としては思いもよらぬ事にて、「何事や、御意に逆らいましたでしょうか」と恐る恐る申し上げると、
信尹は笑いながら

「己はどうして斯くも能く書く手を有しているのか!」

そう戯れたのだという。

(今古雅談)



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:28:07.56 ID:KZ3Q7YcS
>>310
昔からこのネタあったのかw

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:57:24.61 ID:Pqs6bOG0
なんちゅうもんを食わせてくれたんや…なんちゅうもんを…

利休の才

2017年10月06日 17:25

千利休   
286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 19:34:10.18 ID:8zUhQpLS
千利休は茶について、武野紹鴎に学んだ。

紹鴎はある時、利休の才を試みようと、密かに人に命じてその庭を掃除させ、
その後、利休に「わが庭を掃除せよ」と命じた。

利休が紹鴎の茶亭の前に行くと、地面は拭うがごとく掃き清められ、わずかの塵すら留めず、
木々の緑を鮮やかに照らしていた。そこには利休が手を加える所はなかった。

しかし利休は木々の間に入り、一本の松を揺らすと、落ち葉が風に翻り、点々と地に落ちた。
これによって風情、一段と増した。

そして利休は紹鴎に伝えた
「謹んで命を完了しました。」

武野紹鴎はこれを見て、利休の奇才に感じ入り、茶における様々な秘訣を伝えた。
こうして利休は終には、茶博とまで呼ばれるに至った。

(今古雅談)



287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 19:45:40.11 ID:M/gUdZAy
いいね

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 20:39:59.42 ID:W5QFadg9
むかし、掃除した浜辺にわざわざゴミを撒き散らしたテレビ局がありましてね
それを回収する様子を放映してましたな

趣向はまったく違うがそれを思い出したw

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 20:41:45.09 ID:f5o6L3Z6
茶亭の前に行くとすでに掃き清められ手を加えるところがなかった利休は
松の木を揺らすなど激しい威嚇行動をとった

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/06(金) 15:47:25.82 ID:bAHcXAIl
ゴリラかよ
たしか六尺の大男だったよな

林家の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること

2017年05月20日 16:22

林羅山   
916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 22:29:10.06 ID:gjHSfxW0
林家〔大学頭〕の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること〔嘗て近衛公より賜る所〕

林子(述斎)に会った日に、彼が着ていた継肩衣の紋に見馴れない牡丹をつけていた。
その故を問うと話してくれた。

「我が家の祖先の道春は初めは浪人儒者で、京に住んでいました。
その頃に近衛公に召されて特別に目をかけられ、遂にかの家の牡丹紋を賜ったといいます。」

予は悪口に

「これまで長年に渡り交友してきた中でその紋を見かけたことがなかったので、
あなたの新作ではないかと思いましたよ。
そもそも今の御台所(広大院)に媚びてことではないのですか?」

などと言って戯れ笑った。

実にその賜紋は古き伝えがあり、
今も林家の古器には杏葉牡丹を蒔絵を施したものが往々あるとか。

(甲子夜話続編)


よむいろは教ゆる指の下を見よ

2017年04月14日 16:34

宗祇   
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 21:41:57.13 ID:MEA4RoHP
宗祇が宗長と連れ立って浦を夕方に出かけられたとき、
漁師の網に藻が引き上げられた。
「これはなんという名であるか」
と問われると
「『め』とも申し、『も』とも申します」
と答えがきた。
そのとき祇公は「やれ、これはよい前句だ」と

めともいうなりもともいうなり

と詠んだ。
宗長に「これに付けられよ」と命じると、
宗長は

引連れて野飼の牛の帰るさに

と詠んだ。
牝牛は『うんめ』と鳴き、牡牛は『うんも』と鳴く。
祇公はこの句に感心された。

宗長も「一句沙汰あれ」と求めてきたので、

よむいろは教ゆる指の下を見よ

と詠んだ。
『ゆ』の下は『め』である、『ひ』の下は『も』である。

(醒睡笑)


「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」

2017年04月12日 18:23

宗祇   
730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/11(火) 23:10:28.81 ID:7d1UNgCd
宗祇が東国へ修行していた道中、ある人が謎かけをしてきた。
「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」
祇公は、
「富士の雪」
と言った。
その心は、『どうやってもとけない』ということである。

その謎かけをしてきた人は、
見る見るうちに消えて跡形もなくなった。

(醒睡笑)

何者だったのだろうか


731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 22:27:39.28 ID:jGX4w086
>>730
>何者だったのだろうか

    r⌒\// ////:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ //// //
    (´ ⌒)\ ///::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|// //
ポッポー ||  \|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| _/ /ヽ        /ヽ
     人   ...\    +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;/ /   ヽ      / ヽ
    (__)     \    ( (||||! i: |||! !| |) )    /__/U  ヽ___/  ヽ
また (__)天狗か .\+  U | |||| !! !!||| :U  /__/   U    :::::::::::U:
    (・∀・#)       \   | |!!||l ll|| !! !!|/| | 天 // ___    \     ::::::::|
  _| ̄ ̄||_)        \∧∧∧∧/  | | 狗|   |    |  U     :::::::::|
/旦|――||// /|      <   天 >  | |  |U |    |        :::U::|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |      <   狗 >      l ├―‐┤   U   ...:::::::/
|_____|三|/      < の の >     ヽ      .....:::::::::::::::::::::::<
────────────< 予 仕 >─────────────
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \< 感 業  >天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!   
/⌒ヽ  / ''''''     ''''''  ヽ<.!    >こういう天狗のように鼻が立ってたのが
|  /   | (●),   、(●)   | ∨∨∨∨\天狗の天狗なんだよな今の天狗は
| |   |    ,,ノ(、_, )ヽ、,,     / ヤダヤダ \天狗の天狗を知らないから
| |   |    `-=ニ=- '    /〃〃∩  _, ,_  \天狗の仕業じゃ!  , ;,勹
| |   !     `ニニ´   `/  ⊂⌒( `Д´) <\          ノノ   `'ミ
| /    \ _____ /      `ヽ_つ ⊂ノ    \        / y ,,,,,  ,,, ミ
| |    ////W   / )、._人_人__,.イ.、._人_人_人     / 彡 `゚   ゚' l
| |   ////WW /<´ 天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!>\  〃 彡  "二二つ
| |  ////WW /    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒   \|  彡   ~~~~ミ

無用な御心づけであった

2017年04月03日 14:20

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/03(月) 00:00:53.97 ID:3cglSWb1
 紹巴の所へ、九州から連歌に執心の人が上洛した。
ある時紹巴へ

「国元への外聞もありますので、三条西殿へ御礼申し上げたいです。」

と言った。紹巴はお易い事だ、とすぐ彼に同道して行かれた。
その道中で紹巴は九州の者に忠告した。

「御公家衆は物事に御念が入り、根問いをなされるものだ。
貴所の宿は三条にあるので、左様の気遣いが肝要ですぞ。」

「まことに御心づけかたじけない。その事はまかせてください。」

さて二人は三条西殿と御対面した。
三条西殿は御杯を下されるたり、

「今後、上洛の折節には待っております。」

等と仰せられたりなどして、九州の者に様々に御懇ろにされた。

 さて、案の如く「ここでの宿は」と御尋ねられた。
かの人は何と心得たのか、

「二条のしも」

と申した。

「二条の下、とは」

と仰せられると、また

「四条のかみ」

と申す。

「四条のかみ、とは」

と仰せられると、その時かの人はうろたえて、

「三条の西のつらの、きたない家におりまする」

と申し上げてしまった。帰る途中で紹巴に叱られて、

「無用な御心づけであったな」

とかえって恨む結果となってしまった。

(昨日は今日の物語)



721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/03(月) 01:35:46.26 ID:uQG10uOK
九州の御方とは何方の事で?

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/03(月) 07:42:49.52 ID:McgHQoUK
島津家久だろうな

もはやというところで余りの苦しさに

2017年03月12日 16:44

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/12(日) 03:54:09.75 ID:Ea6rH+3d
 関白秀次公の御咄衆に、曽呂利と申す者がいた。
あまりによく話をしますので、ある時話をつまらせてやろうと思し召された。
彼が朝の寝起きで未だ顔も洗わず目をこすって取り乱している体であったときに、

「何か話を一つせよ」

と仰せられた。すぐの話なのでつまりかけたが、ふと昨夜の夢を語りだした。

「さても、今宵夢を見ておりましたのか。
ある所へ行きまして、道に小金が夥しく落ちておりました。
さても嬉しい事かなと存じ、思う存分に拾い持ち帰るところに、
落とした主が来て取り返そうと追いかけてきました。
汗水をかきながら逃げましたが追いつかれそうになり、
もはやというところで余りの苦しさに、大便を垂れてしましました。
そこで目が醒め、かの金を探ってみましたが金は跡形もなく、
大便はたくさん垂れてありました。」

(昨日は今日の物語)


せめて連歌ならば

2017年03月02日 18:54

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/01(水) 23:11:11.96 ID:kLBlArxO
 ある人、紹巴の所へ行き

「我はあまりに無能でしたので、何か心掛けたいと存じています。
医者か連歌を望んでいます。
御相談の上、あなたの御意見次第にいたすつもりです。」

と言った。紹巴は聞き、

「それはよい心掛けでございます。二つの内では、連歌がましでありましょうか」

と言われた。それから、かの者は連歌を好むようになった。
 その後に、ある人が紹巴の所へ行き、

「さてさて、井原屋の無心は貴老と御相談して連歌をするようになったと申していましたが、
どういった理由からそうおっしゃられたのですか?」

と尋ねた。紹巴が言うに

「そのことでございますか。
あれほど出来が悪いのに医者になりましたら、
人の種がなくなってしまうでしょう。
せめて連歌ならば、人を殺すまいと思ったからです。」

(昨日は今日の物語)



631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/01(水) 23:29:52.99 ID:ahPZfOIy
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6056.html
曲直瀬道三を相手に紹巴で似たような話があったな

城地革変甲冑論

2016年11月20日 17:37

林述斎   
326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 00:16:12.28 ID:u73Z9G9W
城地革変甲冑論


 林子(述斎)曰く、
城地はその時代により移り行くものなので、作り替えねばならぬ物であるという。
山城などは水地と違い地勢もかわらないが、その時の敵のある所で用不用がある。
例えば、照祖(家康)が三遠におわしました時は、
金谷駅の上にある諏訪原(牧野原とも言う)の城は真の要害であった。
これは甲州の押さえの為であった。
甲州が亡んだ後はこの城は用が無くなったので廃城となった。
世人はこのような訳も知らず、深い考えもなく、
「あの所の古城跡は天険の地なのに、なぜ廃したのか?」などと言い出すのは笑ってしまいそうだ。

 また慶長中、伏見の城を淀に移されたのは、その頃淀川の水道が今と違い、
城からの川の水位は低く、水車で城内へ水を汲み入れていた。
百余年を経て川床が高くなり、水車は景色ばかりとなって実用すること無くなり、
出水ごとに、淀城はいつも氾濫の患を被らないことはなかった。
これは河道の変化によるもので、城築の時の地勢によるものではない。

 古今の変化に通じなくて、城の利不利などを評する人が往々にしている。嘆くべきことだ。
その他に海を要害にした城だったが、今は海があせていつのまにか田となったものもある。
また、城門の前の間地も、後に間近くに家を建て列ねているものも多い。
これらは事に臨むときに身を滅ぼす元ととして成る程便利であろう、と林子は言われた。
西方への旅行の時、諸国の城地を目撃して意中に心得がたいことが多かったのだろう。

 そもそも城のみでなく、着具なども同じことである。
先祖の具足と貴び所蔵するのはいい。
それを自分も着るものだと思う輩がまた多い。
そもそも人に大小肥痩があるので、今に当たって自分が用いる乳縄(※胴の乳の辺りの寸尺)
で製作しなかったものは用に立たないものだ。

 私は若いときは痩せて、中年から肥えた。年少の時の乳縄は今とはかなり違う。
一人のものでさえこのようなのだ。
これらは分かりきっていることなのに心にも付かず、着具を作り変えることも知らないまま、
いたずらに月日を過ぎる武家は実に太平の余沢に豊かに過ごしているといえよう。
(甲子夜話)


こういう「当時と地形が全然違うだろ」って突っ込みが頭の中にあるから
あんまり古城めぐりには乗り気ではないんですよね



327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 09:56:03.54 ID:sN07tgQU
郷里で再会した同窓生の嫁をみて、伴侶とした理由を聞くようなものですねw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 14:25:06.85 ID:FttclQe/
>>326
クラウドファンディング「そんな貴殿にVR、当時の地形も再現致しますぞ」

「どう聞こえましたか」

2016年11月08日 13:02

宗長   
279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/08(火) 06:43:10.14 ID:haaJnWgE
月次の連歌会があった。
宗長のおられる席の末座から弟子である人が句を詠んだ。
決まりに触れたこともなく、書記が記録している様子をみて
『さては今の句はよく出来たのだな』と思い、
気をよくして宗長に対して手をつき、

「どう聞こえましたか」

と問うと

「中々よく聞こえた」

と言われた。
しばらくたった後又一句詠んだ。
その句も記録されたので、ちと思いあがってまた手をついて

「どう聞こえましたか」

と言うと宗長は

「聞こえた。そこからここまでよ~く聞こえた」

と返された。
(醒睡笑)



280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/08(火) 09:49:47.06 ID:4jJkcgOV
つまり「凡人」判定だったと?

「宗易の手前によく似ている」

2016年09月02日 19:57

千利休   
141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/02(金) 03:03:00.96 ID:solwGPfs
千利休の生害後のある時、太閤は風炉の形を何かと御好みであったのだが、
「このような時は、利休めを殺して事を欠く」と、仰せになった。

これを権現様(徳川家康)と利家公は、以前から宗易のことを不憫に御思い
であったため、良い機会と思し召し、少庵と道安の御許しの御取り成しを
なされ給い、早速の御許しを蒙った。

その後、太閤は道安を御前へ御呼びになり、4畳半で茶をたてさせて上覧に
なり、「宗易の手前によく似ている」として、道安は御感心を受けた。

――『茶話指月集』



思えばそれが永遠の別れだった

2016年08月15日 19:33

千宗旦   
995 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/08/15(月) 16:59:24.22 ID:h0oOoPki
宗易(千利休)が太閤の命に背く頃、予(千宗旦)が大徳寺から京へ出る
時に、山門の前で利休が乗り物に乗って内へ入るところに出会った。

利休は乗り物のすだれを上げて挨拶なさった。思えばそれが永遠の別れ
だったのである。

――『茶話指月集』




今大路家掛物の事

2016年08月13日 17:27

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 06:57:55.72 ID:zBOsfvjT
今大路家掛物の事

官医今大路家では、先祖曲直瀬道三の教歌墨跡を掛物として神農会の時に床に掛けるそうだ。
これは道三の自筆で

『長生きは粗食正食ひゆたらり 勝手次第に御屁めされよ』

との歌が書いてある。

当主も門人も、この歌の内の"ひゆたらり"という事は何の事であるのか知らない。
相応の説をつけて申し伝えていたが、ある時信州辺り出生の人が来て、

「これはいかなる事か?」

と尋ねると、今大路の門人たちは答えに当惑し、申し伝えてきた事のみを何となく話した。

かの信州の翁は

「我らがある日山深い田舎に行き着いたときに、百歳余りの者がおった。
長生きの術でもあるのかと尋ねると、
『物知らぬ田舎人なので、その術は知らない。
このような山奥なので明け暮れ食べる物は粗食で、
もとより何の望みもなければ心に労する事もなく、このように長寿をなしている。』
と言った。
『しかしどうして長寿の益が何かあるものであろう』
とひたむきに尋ねると
『熱い湯を用いず飲まず、火の暑さに寄らないことであろうか。』
と言ったが、"ひゆたらり"というのはこの事であろう。
道三先生はこれを知って、かく詠み置かれたのであろう。」

と言ったので、今大路家の者たちは初めてこの歌の心を知ることができたという。
(耳袋)




74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 16:56:27.48 ID:oQUKlw7S
白湯は健康にいいのに!

春日市右衛門家筋の事

2016年08月11日 13:46

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/11(木) 10:28:40.27 ID:7V5ebYgV
春日市右衛門家筋の事

現在、猿楽の家の内百石余りを給わっている春日市右衛門という笛を業としている御役者がいる。
かの先祖は武功の者で、難波夏の御陣での穢多ヶ崎の一番乗を石川家と一同された。
今世俗でいう"川びたり餅"はかれの家から始まったという。

これは穢多ヶ淵の城を攻め落とそうと石川家に属して進んでいたが、
川の水が深く船も無かったので渡り難かった。
春日は前後の瀬を調べて、破損した船を手に入れ修復して漕ぎ渡り、石川と共に一番乗を果たせたという。
そのとき殊の外空腹で石川も難儀していたが、春日は鎧の引き合わせから、
出陣のときにふと持ち出していた小豆餅があったので、上下ともに食って飢えを凌いだという。

これから今も石川家からかの春日の子孫に他事無くお声をかけられているとのことを、
市右衛門は語っていたと人が話された。
(耳袋)




道三神脈の事

2016年08月07日 13:36

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:15:40.36 ID:IHBHVhCU
道三神脈の事

ある医者の語ったことである。
曲直瀬道三が諸国遍歴していた時、ある漁村を廻ったところ一人の漁家の男の血気がはなはな衰えていた。
そこで彼の家に立ち寄り、家内の者を見るといずれも血色枯衰していた。
脈を取って見るといずれも死脈であったので、自分の脈も取って見ると、また死脈であった。
道三は大いに驚いて、

「このように数多くの人が死脈であるはずがない。
漁村ならば津浪などの愁いがあるだろう。
早々にここを立ち去って山方へなりとも引っ越しなさい。」

と漁夫の一家に勧めて連れ退いた。
はたして、その夜に津浪がきて浦の家々が流れ失せ、多くの者が溺死したという。

「病でさえ分かりがたいのに、このような神脈はまことに神仙ともいうべきであろうか。」

とその医者は語った。

(耳袋)

天災と脈って関係あるんですかね



50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:36:41.45 ID:N0R4quLk
面相見が国中の人に死相が出ているのに気付いて、
果たして大災害によってその国は滅んだ、という話を見た覚えが

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:48:26.47 ID:IbWqzhts
まんが日本むかしばなしで「夜中のおとむらい」という作品は夏の怪談として
ちょうどいいね。「吉作落とし」でもいいけど。
http://urban-legend.tsuvasa.com/yonakano-otomurai

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:53:54.75 ID:ja/RODJo
なぜかサザエさんで易者が手相を見るとみんな水難の相が出ていて
すぐ雨が降ったという話を思い出した
相を見る能力は同じくらいあってもこっちはただのギャグという

そのような嗜みで侘びがなろうか

2016年07月24日 16:30

千利休   
913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/24(日) 04:12:28.94 ID:Ny5WpbVL
宗易(千利休)は花の頃(春)に、ある侘(茶人)を伴って東山へ参られ、
道中でその人に「その方は宿に釜を仕掛けて出なさったのか?」と問うた。

これにその人は、「今日は早朝から御供いたすので仕掛けておりません」
と、答えた。これに宗易は、

「いやはや、そのような嗜みで侘びがなろうか。これから帰って、仕掛けて
いらっしゃい。晩に誰が寄るかも分かりませんよ?」と、言った。

――『茶話指月集』




まぎれもなく雪舟の作であったのだ

2016年07月22日 21:14

雪舟   
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 23:09:29.91 ID:6X1DPJep
 雪舟等楊は室町から戦国にかけて活躍した画家であり、明国で修業した後に帰国してからは
日本各地を旅して多くの水墨画を残した。
 明応8年(1499年)の頃の雪舟は山口の大内氏に仕えて、明国から購入した絵画の鑑定をするようになった
 その年の夏、雪舟は主君の大内義興に呼び出されて一幅の山水画を見せられたが、その絵を見た雪舟
なぜか何も答えなかった。
「この見事な絵は先日、明国から大金を支払って取り寄せたものだが落款(作者の署名、印)が無いので、
誰が描いたか分からぬ。そなたはこの絵をどう見る?」
 大内義興はそう言って意見を求めると、雪舟は口を開いた。
「おそれながら、この絵は私が明国にいたころに描いたものでございます。自分の絵について
とやかく意見を申すのはひかえとう存じます」
 これを聞いた義興は激怒して、「落款がないからといって、自分の絵などと言うとは不届き者め!
もうよい、さがれ!」と叱りつけた。
 それから、雪舟は石見の国へ旅立ったまま山口へ戻ることはなかった。
 ところが、その後になってこの絵の裏側を剥がしてみたら、雪舟の僧名の「等楊」の字が見つかった。
この山水画はまぎれもなく雪舟の作であったのだ。



905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 23:14:53.21 ID:NvgDwZXH
昔日本の偉人を一ページずつ漫画にした学習漫画があって
雪舟の話がこれだったのを思い出した

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/21(木) 23:51:26.85 ID:/tuRtWGf
雪舟はアーッじゃなかったからか?

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 00:29:53.71 ID:VyMMLeHY
>>906
息子と勘違いしてる?

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 01:29:56.82 ID:+EHNhqgx
なんで剥がしてみようと思ったんだろ

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 05:55:13.27 ID:RlPreye2
相剥ぎしようとしたんだろ

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 07:12:34.27 ID:i21XoMp7
>>905
涙で描いたネズミが縄切った話だろ

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/22(金) 15:18:09.83 ID:8ZNSG2+n
>>908
仕立て直しでしょ