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話す人より聞く人が上手なり

2019年05月27日 17:22

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/27(月) 15:10:50.47 ID:Km2bEaaa
『煙霞綺談』に云う。ある時秀吉公、諸侯に曰く
「北条時頼は、その身天下の執権であったが、身分を隠して行脚し、諸州を周流して、民の愁鬱を救ったと
言われている。人は一代名は末代であれば、私もまた時頼の先例を追って諸国を巡回せん」

この言葉に、居並ぶ諸将は皆、秀吉の意に違うことを恐れて答える者無かった。
前田玄以だけは「この北条時頼の故事が実際にあったことかどうかは確かでありません。
また殊更に君は大名であります。いかような狡猾者があって変が起こるかも知れません。
この義は御遠慮あって然るべきです。」と言上した。しかし秀吉は「日本は我が掌握にある。何ぞ我に
敵する者あらんや」とまるで取り合わなかった。

一両日過ぎ、泉州堺の鞘師に杉本彦右衛門という者があったが、彼は滑稽な軽口ばなしの上手にて、
秀頼の御意に入り、常に召されていた。そのころ病気をしていて、久しく参らなかったのだが、この日
登城し秀吉公に謁した。
公が「何か珍しいことは無いか」と尋ねられると、彦右衛門
「この間、祈願のことがあって、河内福王山光の滝の不動尊に参拝いたしました。そこはかねて承って
いたよりもずっと大きな飛泉であったので、暫く驚いていた所、飛泉の脇より丈二丈(約6メートル)
ばかりの悪鬼が現れ、指で私をつまみ取って引き裂いて喰らおうとしました。

その時それがしはこの鬼に向って『どうしてあなたに逆らいましょうか、ですが私は生来奇怪なことを見るのを
好みます。今、あなたの大なる姿を見たれば死すとも本懐です。されども今一度、他の姿に変じて見せて
下さい。その上で、どうぞあなたの心に任せて下さい。』と言った所、かの鬼は『尤もなり』とたちまち
消え失せ、小さな梅干しと化して我が前に来ました。私はこれを取り、噛み砕き飲み込んだため、鬼も
居なく成り虎口を脱して帰宅いたしました。」
これを聞いた秀吉の御近習衆はみな大笑いし、大いなる虚言であると嘲り退出した。

翌日、秀吉公は諸将に向って尋ねた
「昨日の、彦右衛門の荒唐な話をどう聞いたか?」
誰も答える者なかった。そこで公は言った
「あ奴は行脚の事を止めようと諫諍をしたのだ。彼が言うように、現在私の威勢は恐るべきものも無く、
彼の言った二丈の鬼のようなものだ。然れども軽侠の身と成っては、取って食われることも有るだろう。
尤もな事だ。これにより、修行の事は止める。」とありこの事中止となった。
諸将はこれを、「話す人より聞く人が上手なり」と評したという。

この彦右衛門、後に坂内宗捨と号した。彼の制作する鞘は大変具合がよく、刀身をおさめる時”そろり”と
合う故に、『曽呂利』と自負した。また彼は能書であり、香道の達人でもあった。
彼が死去する間際、病気尋問として秀吉公より上使が送られた。上使がその家に入っても彼は対応せず、
臥ながら合掌して
「大病にして落命旦夕にあり。片便宜にて候へども、冥土に御用あらば仰せ付けられますようにと、
仰せ上げて下され候。」
そう言って果てた。「今際の時まで軽口を申したか。」と、秀吉公は落涙したという。(校書余録)

(甲子夜話)



946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/27(月) 19:25:50.54 ID:ihKdjnW6
>>945
両方かっこいい…
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道三はその時すでに耳が遠く

2019年05月21日 14:16

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/20(月) 21:02:18.44 ID:0sKb7zBq
老人(江村専斎)が幼い時、延寿院玄朔(曲直瀬玄朔)はすでに壮年で、故道三(曲直瀬道三)の
世嗣として、洛中医師の上首であった。人々は玄朔を敬慕した。故道三はその時すでに耳が遠く、
療治も絶え絶えとなり隠居した故である。

玄朔の療治は盛んに流行って方々から招待された。その時は肩輿という物もなくて、大きな朱傘を
差し掛けさせて高木履で杖をつき、何処へも歩いて行った。人々が羨むことであったという。

――『老人雑話』



桑垣元二という鼓者は名高し

2019年05月05日 17:33

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/04(土) 19:43:20.03 ID:ULCC/Ej6
桑垣元二という鼓者は名高し。観世又次郎などより先輩である。道成寺(能楽)などがある時には
又次郎よりは桑垣が打つことが多かった。桑垣は宮増の弟子で男色なり。鼓は優れていなかったが、
物を知っていることは類なし。

――『老人雑話』


法華乱というのは

2019年04月28日 16:59

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/28(日) 15:39:39.57 ID:Jra19PYd
法華乱(天文法華の乱)というのは、承応2年(1653)から120年ほど前の出来事である。
老人(江村専斎)の父の既在(年齢?)など1,2歳の頃と聞いている。

日蓮宗が行われて京中の寺々が多くなったところで、比叡山が尽くこれを追放しようとした。日
蓮宗はこれを拒み、大きな合戦となった。今の新在家の者に、法華宗の旦那は多い。合戦の時に
討死した人数も多かったのである。老人の外曽祖父も討死した。

この時の公方家(足利将軍家)は微々たるもので、上が軽いために放埒な事が多かったという。

――『老人雑話』



老人雑話より短い記述を抜粋

2019年04月09日 23:02

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/09(火) 18:11:56.73 ID:6Y5P9yS6
・遊行上人の始祖を一遍上人という。隆蘭渓に法を開き、歌学に優れた。これ故に今に至ってもその法流の者
 は連歌をする。昔ある人が一遍上人を嘲って曰く、「躍り念仏をするのは仏の踊躍歓喜という意味であろう。
 しかしながら、これだけで成仏とは訝しい」と言う。上人は和歌で答えて曰く、「はねばはね躍らば躍れ春
 駒の 法の道にははやきばかりぞ」。これらの事を書いた書一巻があるという。

・多武峯について。鎌足が入鹿を討たんと欲した時、帝とこの山に入って談合した。これ故にこの峯を“談山”
 という。鎌足を祭って“談山権現”という。“談”と“多武”は音が近く、また入鹿を討って武功多しとい
 う意味で、“多武峯”という。

・得長寿院は今の三十三間堂にあらず。鳥羽院の御造営なので昔は鳥羽にあったのであろうか。蓮華王院は後
 白河院の御造営で、新千体仏を安置している。これが今の三十三間堂なり。『増鑑』『拾芥抄』の記述から
 も明らかである。大仏の寺号は“方広寺”なり。

・“赤松乱”というのは普光院殿(足利義教)を弑逆した時のことなり。初め山名と赤松は並んで普光院殿に
 出仕した。ある時、庭前に枯れた松があったのを山名が見て曰く「あの赤松を斬って捨て申さん」と公方の
 前で言った。赤松はさしも歌学に達した口利者なので「山なをか」と言った。山名にあててなり。これより
 ますます仲悪しく、ついに普光院殿を弑逆す。この赤松は円心の三男・律師則祐の子孫なり。満祐という。
 この事の首尾はつぶさに書に見えず、人の物語で言い伝えているものである。

・“美濃三人衆”という隠れ無き武勇の名ある者あり。信長の家臣である。1人は稲葉一徹(原注:今の能登
 守5代の先祖。右京の父なり)。1人は氏家卜全(原注:これは大垣にいる)。1人は伊賀伊賀守(安藤守
 就)なり。

・長尾謙信(上杉謙信)が「信玄を滅ぼさん。談合せん」と、紙子1つ小脇差1腰で山越えし、越前の朝倉の
 もとへ行くことがあったという。

・東照宮(徳川家康)は太閤に馬を繋ぎ給う。後に関八州を与えたといえども、実は6ヶ国なり。常陸を佐竹
 に与えたのである。

・太閤が東照宮を関東に封じて後、甲斐を信義不二の北条遠江(加藤光泰)に与えた。高麗より遠江が病死し
 たと注進があると、即日に浅野弾正(長政)に与えた。甲斐は関東の押さえ第一の要地なり。

・土佐は蓮池氏の人が昔より領して近代までその子孫あり。先祖は頼朝の弟の土佐冠者希義を殺して、土佐を
 取った者である。近世は長宗我部元親が討ち滅ぼして、土佐を領した。

・伊予は河野という者が領す。義経を伊予守に任ぜられた時、誅伐されることがあった。義経一代の不覚なり。
 その子孫は信長の時までいた。

・庄林隼人(一心。加藤清正の家臣)が鉄砲で頭悩(頭脳?)を撃ち抜かれたのは伊勢の嶺城を攻めた時(1
 583年)なり。

・公方の恵林院殿(足利義稙。足利義勝の誤り)は馬を乗りならそうとし、落馬して逝去した。少年の時なり。

・雪踏みはもとからあって、革を加えることは利休からと言い伝える。

・対馬から高麗へは48里の渡りを経て釜山海に到着する。そこは下官の者がいる。倭館というところがあり、
 日本人がそこにいる。釜山海から朝鮮の都に至るまでは20日程。その間に東莱というところあり。そこは
 上官の者がいる。

・惺窩翁(藤原惺窩)に儒道の事を少し聞いた人は、細川越中守(忠興)・浅野采女正(長重)・曽我丹波・
 小畑孫一・城和泉守(昌茂)などである。

・吉田素庵(角倉素庵。了以の子)のところにあった『文章達徳綱領』10巻を、戸田以春という者が借りて、
 「失った」と言ってついに返さなかった。今その10巻は失われた。

・神馬弾正左衛門は太閤の時分の播磨辺りの大名なり。

――『老人雑話』

老人雑話より短い記述を抜粋



781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/09(火) 19:17:44.29 ID:o+3zPBBS
>>780
ほんとに雑話だな、幅広い

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/09(火) 20:42:57.04 ID:Z/Q1MrlW
>>780
戸田以春は借りた本を質にでも出したん?

784 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/09(火) 20:48:30.42 ID:CuJn7q/Y
こういう戦国ネタ好き
https://www.losershogiblog.net/entry/2019/03/30/131700

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/09(火) 21:12:02.12 ID:sUxxlZm4
>>780
頭を撃ち抜かれても庄林はなんともなかったのか

786 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/04/10(水) 04:02:50.68 ID:5BCBSUsy
>>785
1583年に頭打ち抜かれて1631年に死んでるから不死身の肉体を手に入れたんじゃね?
口癖はWRYYYYとか貧弱貧弱ゥー!だったとか

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/10(水) 20:23:36.03 ID:xGZ5zBzt
>>780
なお一遍上人も河野氏の模様
戦国期にも活躍した河野水軍と関わりなくもないから書くと

空海が四国を回ってる時に伊予国の衛門三郎という豪族にお布施を願ったところ
「こじき坊主にはやらん!」と托鉢の鉢を八つに割られ、
その後衛門三郎の子供8人全員が死亡したことからあの御坊さまの祟りに違いない!
と四国中を追いかけた結果、反時計回りに四国を回ると、時計回りに回っていた空海に出会い、罪の赦しを願った。
空海が「お前の罪は赦された。願いをいえ」と言ったところ
衛門三郎が伊予国の豪族に生まれたい、と言いそのまま死亡。
翌年、伊予国の領主河野息利の家に男児が手を握ったまま生まれ、その赤ん坊の手を開いてみると「衛門三郎」という文字を書いた石がでてきた。
この衛門三郎の転生した男児、長じて7代目の河野息方から降って23代目が屋島や壇ノ浦などで活躍した河野通信であり、その孫が一遍上人という
四国出身の高僧二人に因縁があったとする四国遍路始まりのありがたくないお話
(踊り念仏が一遍上人の故郷の伊予で巡礼していたのを、讃岐出身の空海が修行した阿波と土佐にも拡大したのが四国遍路の始まりのようで
高僧二人に深い因縁が必要ということでくっつけられた)

なお伊予大三島の大山祇神社は河野氏の祖先神を祀っており、河野水軍の拠点でもあったことから八十八箇所の55番目は本来この大山祇神社であったが、
島に渡らなきゃいけないということで四国の今治に南光坊という別当ができて今ではそこがお遍路のコースとなっているという、
四国遍路の創始者の一人、一遍上人の出身河野氏としては残念なお話


老人雑話序

2019年03月30日 21:20

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/30(土) 19:39:31.63 ID:o28Hmy2/
老人雑話序

読書友古と、まことなるかな。書は万代の宝、温故知新なれば昔語りを珍しと思えばなり。ここに我が曽祖父の
倚松庵先生(江村専斎)は永禄8年(1565)乙丑に生まれ、寛文4年(1664)甲辰季夏下6日に没す。

齢すでに100歳に満ち、その初め加藤肥州(清正)に仕え、その後に森作州(忠政)に遊事す。医術をもって
京師に居住した。まことに奇代の長寿なりとして、後水尾上皇は勅して御杖を賜ったという(原注:その時の歌
ならびに辞世の歌を子孫に伝える)。

されば、老人の雑話を伊藤宗恕(担庵)が書き留めなされた一冊あり。その書を見れば老人に対話する心地して
閑居の友となり、古人を追慕するのみなり。宗恕は齢80歳余り。老人の孫婿の坂口法眼立益がこれを繕写す。
今年米寿なり。寿を世々に伝ふるにあらずや。私はまたこれを書して、古人の言葉を賞するのみ。

正徳3癸巳年(1713)暮春望日       武陽 滄洲題


老人雑話 乾の巻

老人は江村専斎なり。諱は宗具。医術を生業とす。初め加藤肥牧に仕え、後に森作牧に仕える。永禄8年、光源
院殿(足利義輝)乱の年に生まれ、寛文4年9月に没す。満100歳なり。


公方の霊陽院殿(足利義昭)が信長に敵対し、京がことごとく焼亡したのは老人9歳の時である。それより以後
の事は大方記憶していると老人は語った。時に老人89歳なり。実に承応2年(1653)癸巳のことである。

――『老人雑話』



758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/30(土) 19:44:04.93 ID:FtSBVq2R
事件だらけの時代だし緊張感も段違いで記憶に残るんだな

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/30(土) 23:54:32.10 ID:KGahKoGy
あの時代で100歳まで生きたのか
光h・・・じゃなかった天海の長寿説も信憑性が増すな。

連歌師の次第

2019年03月25日 21:12

宗祇   
749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/25(月) 18:11:51.71 ID:a7Le+CH4
宗祇は今から140~150年以前の人である。その時、会の給仕などをした者に成庵という者がいた。
老人(江村専斎)はその成庵に会したという。連歌の式が定まって盛んになったのは、宗祇からである。
それ以前は百句に満ちることは希で、ただ言い捨てのようであったという。

連歌師の次第

昌休―紹巴(昌休弟子)―昌叱(紹巴の弟子)―玄仍(昌叱の婿)

昌琢 玄的 昌程

――『老人雑話』



里村紹巴と秀次事件+α

2019年02月17日 16:37

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/17(日) 16:25:23.15 ID:QBNyGuoi
里村紹巴と秀次事件+α


世に定めとはないものである。良きことも悪しきことになってしまうのだ。

秀次関白殿は少し連歌の御稽古をされていたので、喜んで紹巴は毎日登城されていた。
かの御謀反の御談合をしていたとみなされたのか、(紹巴の)百石の知行や家財屋敷に至るまで
昌叱(紹巴の娘婿)に太閤御所(秀吉)が(紹巴から取り上げて)下されることになってしまった。
呆れるほどひどい身の上になってしまわれたので、気の毒に思いその年(文禄4年)の師走に
雪をかきわけて、丸(松永貞徳)一人隠れ忍んで(紹巴の所に)参った。

法橋(紹巴)は丸の名を聞きつけて懐かしく思われたのか、十間ほど(家から)出てこられて
丸の手を引いて、奥の住家へ引き入れられた。
道すがら(紹巴は)
「上手に遅くに来る者だ。春のころ、照光院殿(聖護院道澄)などから御見舞いの使者があったが
 (詮議が厳しく見つかると困るので)私の首を斬らせようとしたのかと思ったものだ」
と仰った。


――『戴恩記』
紹巴と貞徳の父は知り合いで、貞徳が12才の頃には月例の連歌の会に誘ってくれたらしい。

貞徳は里村紹巴の容姿や性格についても書いていて

「顔おほきにして眉なく、明なるひとかは目(一重まぶた)にて、鼻大きにあざやかに
 所々少くろみて、耳輪あつく、こゑ大きにきつきひびきありて、ざれごと申さるるも
 いかるるやうに侍り」

と記している。(戴恩記)


林羅山と円模の地図

2018年12月04日 22:12

林羅山   
496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/03(月) 16:59:32.80 ID:Mz61qWb/
林羅山と円模の地図


慶長11年6月15日、道春(林羅山)及び信澄(羅山の弟)は頌遊(松永貞徳)の仲介で
思いがけず耶蘇会者不干氏(ハビアン・日本人イエズス会士)の元に至った。
不干は従者の守長に三人を招かせ部屋に入れて、座らせた。

寒温(時候の挨拶)が終わると、春は徒斯画像(キリスト図)について質問したが
(不干は)はっきり解答しなかった。浅はかな解答になるのを恐れたのだろう。
またかの円模の地図(地球図)を見て、春が
「上下ということがあるのか」
と言うと、干は
「地中をもって下とする、地の上は天であり、地の下もまた天である。
 吾邦(ここでは西洋人のこと)は舟で大洋に漕ぎ出したが、東極は西、西極は東。
 これにより地の円であることを知る」
と答えた。

春は
「この理は成立しない。地下にどうして天があるだろうか。万物を観れば
 みな上下がある。彼が上下がないように言うのは、この理を知らないからだ。
 大洋の中は風も波もあるのだから、西に行こうとしてあるいは北や南に向かい
 その後東に行ったのを舟中の人が分からず、西に行ったと勘違いしただけだろう。
 西極が東になる訳がない。東極の西も同様である。物にはみな上下がある理を
 知らないので、彼は地中を下とし、地形を丸いとした。その惑いがどうして
 悲しくないだろうか。朱子の言う"天半地下を繞る"ことを彼は知らないのだから」
と言った。


――『排耶蘇』

他にも長々と反論があるがカット。羅山は中国の渾天説に拠って発言しているので
地が浮いていることには異論を述べていないが、朱子学では自然法則と倫理規範との
合致を説くので、天地の上下が相対的な地球図を忌避したらしい。
参考論文:金沢英之(2004)『《地球》概念のもたらしたもの』



497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/04(火) 23:00:13.70 ID:5wNcBLpD
ハビアンがそのあと棄教したもんだから林羅山が論破したような風潮があるけど
ハビアン単に「ヨーロッパから東も西もわからない技術で日本までこれると思ってるのか」と呆れていた可能性

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/05(水) 15:38:02.15 ID:GC/GK0DC
救世主の登場まであともう少し

私は一体これから、何を目安に

2017年12月19日 18:35

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 13:51:42.25 ID:1v8x4pi4
高安道善(大鼓方高安流の祖)はその頃天下の太鼓の名人であり、大音を打ち出すこと、
並ぶものなかった。

一方、威徳という太鼓打ちは、三井寺の威徳かしらを打って天下に名を得た、氷を割るが如き
冴えた音を打つ者であった。

彼ら両人共に天下に名を得ていたが、威徳はやがて身罷った。

「然らば天下の太鼓打ちは道善一人に極まった。」

高安道善の門人たちは皆喜び、道善の宅へ祝いに訪れた所、彼は夜着のまま病人のように
臥せて、甚だ嘆息していた。門人たちが「これで天下一の太鼓打ちではありませんか」と語ると、
道善は言った

「お前たちは私の気持ちも知らず、ただ面前の事だけを言っているにすぎない。
世に太鼓の名人が亡くなってしまい、私は一体これから、何を目安に修行をすればよいのか。」

(士談)


「八重葎」「天の原」

2017年11月27日 19:06

千利休   
462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/27(月) 18:58:54.02 ID:mIO4OdMo
>>286
まとめの9276「床の間の掛軸の歴史。および八重むぐらの色紙の事」
に関連した話、井原西鶴「西鶴諸国ばなし」巻5「挑灯に朝顔」より後半部
(前半部は茶の湯を知らない客人が昼前に『朝顔を見せてくれ』と訪ねてきたため、
怒った亭主が芋の葉を見せたところ客が気づかないままだった、という話)

むかし茶の名人が茶の湯を出したときに、庭の掃除もなく、庭木の梢も枯れ葉をつけたまま
秋の景色をそのままにしておいたところ、客もすぐに心付いて
「さてはなにか珍しい道具を出すのだろう」と思っていたら、案の定、床の掛け軸に
「八重葎茂れる宿(のさびしきに、人こそ見えね、秋は来にけり)」の古歌がかけられていた。
またある人が唐物(中国式)の茶の湯を望んだところ、諸道具がすべて唐物を飾られていた中に
掛け軸だけ、阿倍仲麻呂が詠んだ「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にい出し月かも」
の歌が掛けられていた。
客は皆感心して「この歌は仲麻呂が唐から故郷を思って読んだ歌だ」と主人の作為に感じ入った。
「客もこのような人であってこそ、主人も茶の湯を好んでする甲斐があるものだ」とある人が語った。

この話の元ネタは「槐記」享保十三年3月二十二日の条でその記事だと
「八重葎」の方は利休が客人(もし9276の話に関連してたとすると松永久秀が主人となる)
「天の原」の方は利休が秀吉を招待した時の話となっている

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/27(月) 19:01:38.67 ID:mIO4OdMo
ついでに「槐記」だと
利休に主人が「八重葎」の掛け軸を掛けて茶を出したのが歌の掛け軸の始まりとする



宗祇と怪異

2017年10月24日 17:01

宗祇   
336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 21:36:05.22 ID:hy8AdOA6
連歌師の宗祇は旅の途中、怪異ありという廃寺を宿とした。
深夜、ふと目を覚ますと、寺の中に人々が集まり、連歌の会を行っていた。
そのうちに

『今宵の月は空にこそあれ』

という句が吟じられ、その附句を求められたが、その場の者達、みな付けかねて打ち悩んだ様子であった。
この時、宗祇は末席より

『やどるべき 水も氷にとじられて』

そう付けた瞬間、人々は「あっ」と感じ入り、そのまま消え失せた。


また宗祇が石山寺に詣でた時、

『うき草に 火を埋めたる蛍かな』

こう吟じて心ひそかに誇っていたが、その傍らより童子が出てきて
「これでは蛍が死んでしまいます」と

『池水に 火を打つ波の蛍かな』

そう詠ずるとどこともなく消え去ったという。

(今古雅談)



337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/23(月) 23:29:05.04 ID:htmCXMy7
童のくだり、落語の「西行鼓ヶ滝」で
西行が「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」
と詠んで、我ながらよく詠めた、とほくそ笑んでたら
近くに住んでいた爺さん、婆さん、娘に次々手直しさせられ
「音に聞く鼓ヶ滝をうち見れば川辺に咲きしたんぽぽの花(白百合の花)」
と元の歌より良い歌にされ、西行が自分の自惚れを反省したら、
三人が正体を現し、実は歌の神である住吉三神だった、て話を思い出した。

うしとらぬさへうきなたつみに

2017年10月23日 18:13

宗祇   
335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 23:42:11.25 ID:Sh+Hm2dH
連歌師の宗祇が諸国を修行していた折、ある国にて疲れ、近くに遊ぶ、主も知れぬ野飼い牛を見て
これを引き出し打ち乗りて、心に任せて歩ませた。

しばらくして牛の主が、牛のいないことに気が付き「これは悪漢が奪い去ったのだ」と、息せきって
追いかけ、これを発見すると宗祇を捕え、おおいに怒り沙汰のためと現地の奉行所へと突き出した。

奉行が宗祇に仔細を尋ねると
「私は宗祇と言って、諸国を巡る修行者です。あまりに足が疲れたため、野遊びしている牛を引き寄せ
乗り去ってしまいましたが、物盗みなどしようとしたわけではありません。ですがそもそも、
主がいないからと言って乗ってしまったのが過ちです。当然乗ってしまった事への代償は支払いますので、
どうか事無く許していただきたい。」

奉行はこれを聞くと
宗祇といえば聞こえる和歌の修行者ではないか、ならば、何か歌を呼んで謝罪せよ。また、牛のことであるから
十二支をその歌に詠み込んで然るべし。」

宗祇、畏まってしばらく考え、やがてこのように詠んだ

『むまひつじ さるとりいぬもいなばいね うしとらぬさへうきなたつみに』

(今古雅談)

むま(午)ひつじ(未) さる(申)とり(酉)いぬ(戌)もい(亥)なばいね(子)
うし(丑)とら(寅)ぬさへう(卯)きなたつ(辰)み(巳)に
ということですね



338 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/10/24(火) 07:24:05.89 ID:gGbJkRju
>>335

『むまひつじ さるとりいぬもいなばいね うしとらぬさへうきなたつみに』

ふっかつのじゅもんがちがいます

鬼絵の始まりであった

2017年10月15日 16:45

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/15(日) 11:56:33.35 ID:CEt5gvj1
一僧あり。かつて古法眼(狩野)元信を訪問して、「愚僧に鬼の絵を画いて与えられよ」と懇望した。
当時、鬼という名称はあったが、それがどんな姿かという絵形は無かったため、困惑した体であったが、
さすがは元信であり、心ひそかに思った

『和俗に丑寅の間を鬼門と号し人々最も恐れる所であるのだから』と、頭は牛の形に型取り、腰より下を
虎に型取り画いて僧に与えたが、実はこれこそ鬼絵の始まりであった。

以降の絵師たちはますます異形を巧みて丹精を施し、虎の皮の褌なども着けるようになったという。

(今古雅談)



319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 03:44:43.04 ID:kqqh9NYq
無かったん?

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/16(月) 11:48:55.65 ID:dJJE5qmC
鎌倉末期の大江山絵巻には鬼が描かれていたような・・・

さすが人間ウィキペディア

2017年10月13日 12:52

林羅山   
313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 09:16:20.71 ID:HheWmS3P
ある夜、林羅山徳川家康に侍講する折り、列座の者達、羅山の博識がどれほどのものかを試みようとした。

先ず、岡田淡州が問うた
「蓬莱島という能狂言の中に、『鬼の持ちたる宝は隠れ笠、隠れ蓑、打ち出の小槌、ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』
と言う所がある。この『ジヨジヨ、ムジヨムジヨ』とは何なのか?」

羅山答える
「鬼の宝として出た品々は、宝物の中でも上々であり、またこの上に上々無し、という意味で、
『上々、無上無上』と言っているのです。」

次に内田信州が問うた
「鎌倉に『ノツケン』堂という場所がある。昔金岡納言(巨勢金岡:平安期の宮廷画家)がここに来て、この
勝景を写さんとしたが、筆に尽くし難く、筆を捨てノッケに成りたる故に、この堂を『ノッケン堂』と云い、
また『筆捨松』と呼ばれる松も今に存在すると云うが、これは本当であろうか」

羅山これに
「金岡が筆を捨ててノッケになったのではありません。あの堂は金澤より出る山越への坂の右の、高い場所に
あり、坂から仰ぎ見ることから『仰見堂』、これが訛って『ノッケン堂』となったのです。」

堀田加州問うた
「子供の遊びに、左右の手を寄せて『鬼の皿』という事をする。その詞に曰く

『タイドノタイドノ、一モタイドノ、二モタイドノ、タイガ嬢、梶原、アノウン、メクラガ杖ヲ、
ツイテ通ルトコロヲ、サラバ、ヨツテ、ツイノケ』

と歌っているが、これは何を意味しているのか。」

羅山、これも
「これは鎌倉時代の、源頼朝の意にかなう、威勢強き人々を数え並べた歌です。
先ず『タイドノタイドノ』とは、”御台殿”すなわち北条政子の事で、『一もタイドノ二もタイドノ』とは
続けて並べる人が居ない、と云っているのです。

『タイガ嬢』とは”大の嬢”、すなわち頼朝の娘、大姫君という、清水冠者の夫人を指します。

次の『梶原』は平三景時で、これも当時の寵臣です。

『アノウン』とは安明寺といって、北条時政の妻である牧の方の一族で、盲人でしたが、彼は特別に
殿中において杖をついて歩くことを許され、この人に行き合う者達はみな彼を避けて通していました。
故に『サラバ、ヨツテ、ツイノケ』と云うのです。」

その後も様々な問答があったが、羅山はすべて滞りなく答え、皆、彼が細事にまで通じることに
感嘆したという。

(今古雅談)

さすが人間ウィキペディア



314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 15:02:58.61 ID:Ohs68rOU
クイズ王とファンの集いかな?

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/13(金) 16:40:34.79 ID:ZTvwgvqs
怪力乱神

己はどうして斯くも

2017年10月12日 17:27

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/11(水) 21:43:47.62 ID:hmMnuSkv
本阿弥光悦は、累代刀剣の目利きであり、研ぎ、および拭いの業を以て聞こえた本阿弥家の跡を継ぎ、
殊に拭いの殊に詳しく、また書に妙であった。

ある時、近衛三藐院殿(信尹)が光悦に尋ねた
「昨今、天下に能書と称すべき人物は誰であろうか?」

光悦は言った
「先ず、さて次は殿下(信尹)、その次は八幡の坊(松花堂昭乗)でしょう。」

「待て、その”先ず”とは誰のことか?」

光悦平然と答えた
「即ち私なり。」

ただし、当時この3人は天下三筆と聞こえ(寛永の三筆)、光悦の私僭ではない。

ある日、近衛信尹がにわかに光悦を召した。光悦、何事ならんと慌てて参上すると、直ぐ様御前に召され、
信尹は光悦の手を屹と掴み「己は!己は!」と言葉荒く叫んだ。

光悦としては思いもよらぬ事にて、「何事や、御意に逆らいましたでしょうか」と恐る恐る申し上げると、
信尹は笑いながら

「己はどうして斯くも能く書く手を有しているのか!」

そう戯れたのだという。

(今古雅談)



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:28:07.56 ID:KZ3Q7YcS
>>310
昔からこのネタあったのかw

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/12(木) 14:57:24.61 ID:Pqs6bOG0
なんちゅうもんを食わせてくれたんや…なんちゅうもんを…

利休の才

2017年10月06日 17:25

千利休   
286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 19:34:10.18 ID:8zUhQpLS
千利休は茶について、武野紹鴎に学んだ。

紹鴎はある時、利休の才を試みようと、密かに人に命じてその庭を掃除させ、
その後、利休に「わが庭を掃除せよ」と命じた。

利休が紹鴎の茶亭の前に行くと、地面は拭うがごとく掃き清められ、わずかの塵すら留めず、
木々の緑を鮮やかに照らしていた。そこには利休が手を加える所はなかった。

しかし利休は木々の間に入り、一本の松を揺らすと、落ち葉が風に翻り、点々と地に落ちた。
これによって風情、一段と増した。

そして利休は紹鴎に伝えた
「謹んで命を完了しました。」

武野紹鴎はこれを見て、利休の奇才に感じ入り、茶における様々な秘訣を伝えた。
こうして利休は終には、茶博とまで呼ばれるに至った。

(今古雅談)



287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 19:45:40.11 ID:M/gUdZAy
いいね

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 20:39:59.42 ID:W5QFadg9
むかし、掃除した浜辺にわざわざゴミを撒き散らしたテレビ局がありましてね
それを回収する様子を放映してましたな

趣向はまったく違うがそれを思い出したw

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/05(木) 20:41:45.09 ID:f5o6L3Z6
茶亭の前に行くとすでに掃き清められ手を加えるところがなかった利休は
松の木を揺らすなど激しい威嚇行動をとった

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/06(金) 15:47:25.82 ID:bAHcXAIl
ゴリラかよ
たしか六尺の大男だったよな

林家の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること

2017年05月20日 16:22

林羅山   
916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 22:29:10.06 ID:gjHSfxW0
林家〔大学頭〕の古き家紋に、杏葉牡丹を用ゆること〔嘗て近衛公より賜る所〕

林子(述斎)に会った日に、彼が着ていた継肩衣の紋に見馴れない牡丹をつけていた。
その故を問うと話してくれた。

「我が家の祖先の道春は初めは浪人儒者で、京に住んでいました。
その頃に近衛公に召されて特別に目をかけられ、遂にかの家の牡丹紋を賜ったといいます。」

予は悪口に

「これまで長年に渡り交友してきた中でその紋を見かけたことがなかったので、
あなたの新作ではないかと思いましたよ。
そもそも今の御台所(広大院)に媚びてことではないのですか?」

などと言って戯れ笑った。

実にその賜紋は古き伝えがあり、
今も林家の古器には杏葉牡丹を蒔絵を施したものが往々あるとか。

(甲子夜話続編)


よむいろは教ゆる指の下を見よ

2017年04月14日 16:34

宗祇   
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/13(木) 21:41:57.13 ID:MEA4RoHP
宗祇が宗長と連れ立って浦を夕方に出かけられたとき、
漁師の網に藻が引き上げられた。
「これはなんという名であるか」
と問われると
「『め』とも申し、『も』とも申します」
と答えがきた。
そのとき祇公は「やれ、これはよい前句だ」と

めともいうなりもともいうなり

と詠んだ。
宗長に「これに付けられよ」と命じると、
宗長は

引連れて野飼の牛の帰るさに

と詠んだ。
牝牛は『うんめ』と鳴き、牡牛は『うんも』と鳴く。
祇公はこの句に感心された。

宗長も「一句沙汰あれ」と求めてきたので、

よむいろは教ゆる指の下を見よ

と詠んだ。
『ゆ』の下は『め』である、『ひ』の下は『も』である。

(醒睡笑)


「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」

2017年04月12日 18:23

宗祇   
730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/11(火) 23:10:28.81 ID:7d1UNgCd
宗祇が東国へ修行していた道中、ある人が謎かけをしてきた。
「『ちゃんきのもんき』、とは何だ?」
祇公は、
「富士の雪」
と言った。
その心は、『どうやってもとけない』ということである。

その謎かけをしてきた人は、
見る見るうちに消えて跡形もなくなった。

(醒睡笑)

何者だったのだろうか


731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/12(水) 22:27:39.28 ID:jGX4w086
>>730
>何者だったのだろうか

    r⌒\// ////:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ //// //
    (´ ⌒)\ ///::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|// //
ポッポー ||  \|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| _/ /ヽ        /ヽ
     人   ...\    +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;/ /   ヽ      / ヽ
    (__)     \    ( (||||! i: |||! !| |) )    /__/U  ヽ___/  ヽ
また (__)天狗か .\+  U | |||| !! !!||| :U  /__/   U    :::::::::::U:
    (・∀・#)       \   | |!!||l ll|| !! !!|/| | 天 // ___    \     ::::::::|
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/旦|――||// /|      <   天 >  | |  |U |    |        :::U::|
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      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \< 感 業  >天狗じゃ!天狗の仕業じゃ!   
/⌒ヽ  / ''''''     ''''''  ヽ<.!    >こういう天狗のように鼻が立ってたのが
|  /   | (●),   、(●)   | ∨∨∨∨\天狗の天狗なんだよな今の天狗は
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