元均の人柄を見るに

2016年12月30日 18:17

元均   
479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/30(金) 00:16:58.55 ID:vzqPZiwu
誤った文で送信してしまったので再投稿

唐入り戦間期の頃、李舜臣が失脚し元均が統制使(朝鮮水軍の司令官)になった時の話。

私(安邦俊)の叔父である東巌公の妻が元均の親族だったので
統制使となった元均が私の家を訪ねてきてこう言った。

「何がうれしいってをこの肩書になったことで栄華を極めたことなどではなく
李舜臣に対する恥辱を雪ぐことになったことが何より嬉しい」

これを聞いた東巌公はこう答えた。

「あなたが充分に忠節を尽くして敵を打ち破りその功績が李舜臣を上回った時こそ恥辱を雪いだと言える。
ただ李舜臣の肩書になり替わっただけで嬉しいとは…。恥を知れ!」


すると元均

「私が敵と戦う時は遠ければ片箭(弓)を使い近ければ長箭(槍か?)を使い
ぶつかり合う時は剣と気合を使うので勝てないわけがないだろう」

といった。

東巌公は笑って

「隊長なのに刀を振るわねばならないのか?」

と答えた。
元均が帰った後、東巌公が私に

元均の人柄を見るに将来は立身すると思っていたが間違っていた。
 元均は趙括や騎劫と言った古の武将と似たような男ではないだろうか」

としばらく嘆いたという。


(隠峰全書)



スポンサーサイト

血肉の惨禍は

2015年10月01日 13:53

姜ハン   
376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/01(木) 06:25:04.74 ID:ZcP9QP2f
 朝鮮へ再挙することが遂に決まり、(豊臣秀吉は)侵略に加わらせる諸倭に命令を下した。
「人は両耳を持つが、鼻は一つである。朝鮮人の鼻を割いて首級に代えよ。〈一卒がそれぞれ一升の鼻をとり、その数に達してのち、生捕りを許可せよ〉」

 諸倭は、命令により、各々わが国の人の鼻を割いて塩づけにし、秀吉(のもとに)送った。
〈秀吉は、それを点検し終えて、(伏見の)北郊十里ばかりの大仏寺(方広寺)の傍らにあつめて埋め、小高い一丘陵を造った。
血肉の惨禍はこれを挙げて知り得ようというものである。〉

(看羊録)

実際は耳塚ではなく鼻塚である



雑談・王直や日中貿易の話など

2013年12月21日 18:01

王直   
69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:01:28.30 ID:KX/4DQXS
鉄砲伝来の話で、ポルトガル人は教科書に載ってるのに
鉄砲伝来抜きでも重要人物の王直が載ってないのは不思議ではある
正直王直を肯定的にのせると中国がうるさいかもしれないが

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:23:26.75 ID:uy1rcMmR
まんが日本の歴史では普通に気の良い商人みたいに描かれてて
後に海賊のボスだったこと知ってビックリしたわ。

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:30:37.93 ID:dfdTnUNJ
王直の話が聞きたいですエロイ人

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:31:20.04 ID:Fgpcbhgs
実際王直の見た目は儒者みたいだったようだし
荒事もするけど本人のアイデンティティは飽くまで商人だったんじゃないかな
(明は海禁中なので海外貿易は皆非合法の海賊行為)

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:52:12.92 ID:B6+LyydW
見た目は儒学者、ある面でいえば「武装商人」、向こうの目では「大罪人」、
「倭寇の棟梁」でもあり、海を駆け巡って日本と南蛮とも関わりを持った「密貿易の大親分」
王直という人はよくわからない人だ

なお、寧波の乱という大内・細川のあっちでのもめごとが原因で本格的に日本勢は出入り禁止にされてた

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:06:12.40 ID:w8e5ssZF
>>68
鉄砲自体は16世紀初頭には日本に輸入されてるぞ
馬鹿高かったから全く普及しなかっただけで

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:18:40.92 ID:8KXEI/Fn
>>73
>なお、寧波の乱という大内・細川のあっちでのもめごとが原因で本格的に日本勢は出入り禁止にされてた
1540年、49年には大内の遣明船が独占状態で貿易してるな
大内・細川両成敗から大内の一人勝ちになった詳しい経緯を知りたいけど史料ないかな
単純に大内の勢力↑細川↓の結果だろうか

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:28:14.59 ID:w8e5ssZF
>>75
大内が倭寇の取り締まり強化したからじゃね?
マッチポンプかもしれんが。

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:40:52.07 ID:gIR0ZHw0
たぶん、1530年に細川高国がぶっ殺され、さらに翌年に始まる摂河泉一向一揆・天文法華の乱で堺含め畿内がぐちゃぐちゃになるからだと思う。
一方の大内は、このころ始まった対大友戦に完勝してるし。

倭寇が本格的にあらわれてくるのは1540年代なかば以降。
朱紈の総攻撃で一度倭寇は壊滅しているけど、それが郷紳の反発を買って朱紈が失脚・自害。
それと同時に「嘉靖の大倭寇」がおこるわけで。
収まるきっかけは、上の胡宗憲によるあくどいまでの鎮圧と、1568年の海禁緩和だね。

日本側は、倭寇鎮圧なんて無理だったとおもう。
中国の誰もが銀を欲しがってて、日本に殺到してきてるわけだもの。

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 01:26:04.98 ID:4CoXDfG5
>>64
応仁の乱が終わって長門に帰った時に、おみやげとしてかっぱらった

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 09:55:10.22 ID:ivQzfWSF
そこそも日本産銀が技術革新で激増したのが1540年代だしな

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:08:49.52 ID:uhzBTJg3
>>77
銀を欲しがってたなら大寧寺の変以降明が日本との貿易をキッパリやめた理由がわからないなあ

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:08:49.52 ID:uhzBTJg3
>>77
銀を欲しがってたなら大寧寺の変以降明が日本との貿易をキッパリやめた理由がわからないなあ

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:59:30.59 ID:jhF0Vij/
明政府は、銀があろうがなかろうが、「君臣に外交無し」が基本方針。
明が冊封した国の朝貢使による、正式な外交に基づく貿易しか認めてない。
それ以外の私貿易は「寸板を海に下ろすも許さず」というスローガンで、取り締まられた。
でも、1540年代から日本銀の需要が高まる
→ならば密貿易だ、となるわけ。
こういう密貿易してる商人がまとめて倭寇。明官兵の追捕に対抗するために武装もするし。

明政府としては、朝貢しないやつ=中華の徳に従わない野蛮人なので、朝貢が途絶えれば無視。
大友とかの使者は、日本国王の臣にあたるので、陪臣だからアウト。

こういうガチガチな理想論が無理だとわかったから、1568年に海禁緩和するんだけど。

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 14:14:49.48 ID:uhzBTJg3
大内義長は大友家の者だから国王として認められなかったのか
陶晴賢はクーデターを成功させるため大友を後ろ盾につけようとしたばっかりに肝心の金の卵を産む鶏を殺してしまったわけだ

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 14:34:29.14 ID:4CoXDfG5
>>83
ちゃうちゃう。大内だって明から日本国王と認められてたわけじゃない。
日本国王=将軍の使いだってことにして大内が交易してたのが、バレただけ。

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 15:01:42.99 ID:uhzBTJg3
すぐ分かりそうなことなのによくそれまでバレなかったな・・・

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 15:08:02.45 ID:HSAfTguV
バレなかったというよりは、バレなかったことにしてたんだとは思うけどね。
一応、本物の日本国王印っぽいの捺してくるし。
義長が拒否されたのは、胡宗憲の思惑との兼ね合いじゃないかな。

王直と胡宗憲

2013年12月20日 18:55

王直   
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 05:06:40.75 ID:x2JGYvy0
向こうで唐人の話が出ていたので、明関係について。
はじめてゆえ、拙いと思いますが失礼します。


嘉靖三十六年(弘治三年・1557年)、浙直福建総督の胡宗憲は、部下の蒋洲を日本へ派遣して、
倭寇の禁圧を日本国王へ命じにゆかせることにした。
とはいえ、実際の倭寇は日本人だけじゃなく、浙江福建の中国人が中心で、とりわけ安徽出身の王直という
人物がその首魁である。
……優秀な官僚である胡宗憲は、当然そのことを掴んでいる。ゆえに彼は、蒋洲へある計をさずけた。
「明に降るように誘ってくれ。王直は私と同郷であるから、きっと聞いてくれるだろう。またかわりに、
海禁を緩和することにしよう。そうすれば、蒋洲の仕事も手伝ってくれるはずだ」

海禁緩和の旨を蒋洲から聞いた王直は大喜び。明政府に従うことを決め、蒋洲の渡海に協力することになった。
王直は、日本国王が実際には力がなく、「日本国王印」を山口の大内氏が持っていること、その大内の当主が
豊後の大友義鎮(宗麟)の弟であることを、どうやら知っていたらしい。
王直は蒋洲に京都へ行くのがムダだと教え、かわりに大友義鎮に会わせたのである。

王直を通して、海禁が緩和されることを聞いた義鎮は大喜びした。蒋洲からの倭寇禁圧の激を受け取り、
倭寇の害について謝罪すると、朝貢使の派遣を決めた。
義鎮は弟・大内義長も誘って、巨船を艤装すると、大内家蔵の日本国王印(偽)を押した表文を持たせて、
王直・蒋洲らとともに明へと派遣。
王直や蒋洲を通して、朝貢が認められれば、莫大な利益と権威が得られると考えたのである。

(後半に続く!)

60 名前:59のつづき[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 05:20:08.84 ID:x2JGYvy0
……が、胡宗憲という男。繰り返すが優秀な官僚である。ここからが腕の見せ所である。

大友・大内の使者ともに、明へ入国した王直、そのまま牢屋にぶち込まれた。要するに、完全な罠だった
わけである。
王直側も、警戒して人質を取っていたのだが、宗憲にとってはどうでも良かったらしい。

帰ってきた蒋洲もまた、牢屋にぶち込まれた。宗憲いわく
「日本へ倭寇禁止を知らせるように、と命じられたにもかかわらず豊後にしか行かなかった。しかも
豊後から来た船は偽の印を押した偽の使者だった。そんなこともわからないのは罪だ」と。

こうして王直を除いた胡宗憲。すぐさま、戚継光ら名将ひしめく明軍を王直の本拠・舟山へと派遣。
倭寇を壊滅させることに成功したのである。
これによって浙江方面の倭寇は一気に勢力を失うことになる。
そして、そのどさくさに紛れ、大友・大内の朝貢船もまた倭寇の一味として撃沈されてしまった。
大友・大内の使者は、命からがら山中へ逃れ、明の襲撃に怯えながら再び船を建造して、翌年なんとか
日本へと帰り着くことになる。

捕まった王直であるが、胡宗憲は殺すのをしばしためらい、牢屋に拘禁したままであった。どうやら、
海上安定の駒として使えると思ったらしい。
ところが、そうした態度は江南の人々の不審を買う。二年後、胡宗憲が王直から賄賂をもらったという
疑惑が噂されるようになるや、宗憲は手のひらをかえした。いわく
「こいつは利益のために明の法律を破り、中華を忘れて倭を呼び込んだ。国禁をやぶり、人々を害する男は、
斬罪とすべし」と。
こうして、王直は斬られた。

浙江安定のためなら本当に手段を選ばない、優秀な官僚の悪い話。
長文失礼しました。


61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 05:24:18.93 ID:x2JGYvy0

今気づいたけど、これあんまり戦国の話じゃない……?



62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 07:37:44.97 ID:wayo3T2r
一応、大友・大内が絡んでますしおすし

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 09:00:40.26 ID:kdkSyoJQ
大友・大内の使者はかなりすごいやつだなw
船作って中国から帰ってくるなんて映画化決定レベル

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 09:02:04.21 ID:LQcOO+5D
なんで大内家に印があったんだっけ?

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 09:02:18.39 ID:pMjRkThE
王直はむしろ同業者たる倭寇(武装密貿易者)狩りして朝廷に協力することで名を挙げてて
「浄海王」名乗るほど上げ調子だったから、まさか自分が捕まることはないと
どっか甘く見てたんだろうな

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 17:45:17.30 ID:tUG4l6zU
大友宗麟は1551年にポルトガル王に使者と手紙を送って
1558年に親書をもらってたりするし、外交力は凄いんだけどな

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 17:45:17.30 ID:tUG4l6zU
大友宗麟は1551年にポルトガル王に使者と手紙を送って
1558年に親書をもらってたりするし、外交力は凄いんだけどな

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 20:09:01.62 ID:i3aICfGX
大内亡き後の貿易については各大名が裏に表に入り乱れて試行錯誤してたもんな
その時培った交易路やら何やらが江戸時代の後も残っていれば

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 22:56:04.63 ID:8DDuXH+4
日本に鉄砲を伝来させたのは王直なのに(´・ω・`)

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:01:28.30 ID:KX/4DQXS
鉄砲伝来の話で、ポルトガル人は教科書に載ってるのに
鉄砲伝来抜きでも重要人物の王直が載ってないのは不思議ではある
正直王直を肯定的にのせると中国がうるさいかもしれないが

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:23:26.75 ID:uy1rcMmR
まんが日本の歴史では普通に気の良い商人みたいに描かれてて
後に海賊のボスだったこと知ってビックリしたわ。

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:30:37.93 ID:dfdTnUNJ
王直の話が聞きたいですエロイ人

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:31:20.04 ID:Fgpcbhgs
実際王直の見た目は儒者みたいだったようだし
荒事もするけど本人のアイデンティティは飽くまで商人だったんじゃないかな
(明は海禁中なので海外貿易は皆非合法の海賊行為)

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:52:12.92 ID:B6+LyydW
見た目は儒学者、ある面でいえば「武装商人」、向こうの目では「大罪人」、
「倭寇の棟梁」でもあり、海を駆け巡って日本と南蛮とも関わりを持った「密貿易の大親分」
王直という人はよくわからない人だ

なお、寧波の乱という大内・細川のあっちでのもめごとが原因で本格的に日本勢は出入り禁止にされてた

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:06:12.40 ID:w8e5ssZF
>>68
鉄砲自体は16世紀初頭には日本に輸入されてるぞ
馬鹿高かったから全く普及しなかっただけで

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/22(日) 00:36:08.04 ID:a74Qrzqo
>>59
>弘治三年・1557年

おいおい、この年の4月に義長自刃して大内滅亡してるぞw
しかも宗麟は茶器目当てに義長を容赦なく切り捨てててるしw

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/22(日) 15:45:26.47 ID:YhDm0bRZ
本体のほうが大事だよ!・・・弟なんだけどなw

十万人養兵論

2012年06月14日 21:06

李珥   
908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 15:46:57.66 ID:fKpl3RLh
朝鮮の朱子学者李珥は兵曹判書であった1583年に国王に対してこのような意見を述べた。
 
「国勢の不振がきわまっております。十年を出でずして土崩の災があるでしょう。
 願わくばあらかじめ十万人の兵を養い、都城に二万、各道(八道)に一万人を配置して
 戸税を免除し武芸の鍛錬をすようにすべきです。
 また六朔(六か月)に分けて交代しながら、都城を守備するようにし
 変乱を聞けばあわせて十万人で守るように緩急に備えなければなりません。
 そうでなければ一朝に変乱が起こった場合市井の民を駆り集めて戦うようになり、大事を招くになるでしょう。」

しかしこれに柳成竜が反対した。曰く
「事変がないのに養兵するのは養禍である。」
他の重臣たちも李珥の意見は過慮であると反対した為、この案は行われなかった。
李珥はその場を去る時柳成竜に対し
「俗儒はもとより時宜に通達しないものだが貴公もまたその言を言うか。」と言い
この翌年亡くなった。

この9年後文禄の役が起こり、朝鮮全土が大混乱に陥る。
柳成竜は慨嘆して曰く
「今に至ってみると李文成は真の聖人であった。
 もしその言を用いていればどうして国事がこのようになったろうか。」

―――
当時の李朝では非常時には農閑期に訓練を施した農民などを兵として動員することになっており
書類上では二十万近い兵がいることになっていたものの、当てになったのはかなり限られた数だったとか。
やっときゃよかった幻の十万人養兵論の話。




909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 16:33:14.06 ID:ZoSbsaem
農民を動員して20万近くって国で10万常備しろってそりゃあ却下されるわ…

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 16:38:46.78 ID:Fhc/4dkL
やろうとしても出来ないってやつね

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 16:39:52.19 ID:VDuJZaE2
朱子学者による後の宣伝用捏造話なのは言うまでもないとして
逆に自信も現実が見えてないことを暴露するオチですね

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 16:52:11.44 ID:3aROjF5w
兵制切り替えも込みでの話だと思う。
農民は農事に、兵は軍事に集中できるようにしようと。

朝鮮役では兵が集まらないことが問題になってる。
かと思えば義兵はわらわら湧くし。
制度と実情が全然あってなかったらしい。

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 17:13:33.43 ID:lBd6Zqnt
義兵じゃなくてヒャッハー!じゃないのか?

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 17:47:35.86 ID:Iw3vqDCO
安国寺さんと同類の匂いがする

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/15(金) 13:20:33.00 ID:BlKH1p3t
只でさえろくに食えない土地に食糧持った連中がうろうろしてんだから
そりゃヒャッハー!になるわな。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/15(金) 13:23:22.50 ID:BlKH1p3t
義民「飯よこすニダ!飯よこすニダ!」
日本の侍「アッレー」

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/15(金) 14:24:54.18 ID:n4cuV9AC
チョンの常備軍なんて秀吉軍から逃げ回ってるのに
徴発と称して庶民から略奪するイメージしかわかないわwwww

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/15(金) 14:43:05.55 ID:xmQJVpGZ
兵隊はエラいニダ。

あまりにも軽やかなステップで逃げるので明軍に疑われるんだよねw

高麗僧、松雲大師の来日

2012年05月02日 21:02

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:31:06.07 ID:C0MK48jL
慶長9年(1604)11月、高麗より松雲大師と申す僧と、金考瞬と申す唐人二人が来日し、京都に到着した。
これは先年、彼の国に大明国より番手(駐留軍)が置かれたが、その軍勢の、朝鮮民衆への
狼藉があまりにひどいので、高麗王はこれを甚だ迷惑と思い、大明の軍勢が残らず帰国するよう、
日本からも明国に対し意見してもらえないか、という事を願うために渡海したのだという。

この時この松雲大師に、大聖庵の圓耳が会いに来て、仏法についての議論を、互いに筆談で
行ったそうである。
(慶長見聞録案紙)

朝鮮の役のあと、朝鮮が今度は明を牽制するために日本を利用しようとした、
こんな裏外交みたいなものがあったらしい、というお話。




986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:38:47.17 ID:7r4En9Ft
助けに来たはずの明軍の略奪すごかったらしいしな
属国哀れナリ、か

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:43:54.14 ID:2ZsWMv3/
本当に朝鮮涙目だな。TERUが書状で書いてる通り、日本軍も略奪しまくり殺しまくり、だし。
地政学的に半島は酷い目に合い易いそうだが……。

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:49:34.27 ID:B+E52SwJ
侵略した側が苦しむのは自業自得だが、被害者のほうがやっぱり酷い目にあうのが戦争。
因果応報論なんて嘘だよ……。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 20:00:02.66 ID:8rs3p5QN
>>986
実は属州扱いだったりする

>>988
侵略されなくてもあそこの民衆は酷い扱いうけてるからなあ
日本軍を解放軍と思ってたみたいだし

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 20:16:53.06 ID:7r4En9Ft
>>989
あ、国ですらなかったんですか・・・

にしても不思議なのは、この時点で当初日本軍を解放軍とすら思ってしまうほどに
腐ってた王朝がこの後さらに300年続くことだよね・・・

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 21:22:28.45 ID:MA3tAncb
>>991
正規軍がダメでも義兵を率いて立ち上がる人々はいたわけだから
そういう人たちがなんとかしたんだろう。>300年

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 22:02:53.24 ID:aH8kcMmz
>>994
そういう人達は平和になったらどんどん追いやられて
また元の腐敗政治に

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 22:13:58.41 ID:0FsTp7/5
李舜臣は日本軍との戦で散って本当に良かったよな
生き残ってたらきっとろくなことになってない

火猿?の話

2011年12月02日 22:01

戚継光   
831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/01(木) 21:48:47.93 ID:yRiIIFcW
まとめに戚継光の話があったので

戚継光は倭寇を退治すべく兵を福清に駐屯させ、常に火器の扱いを教えていた。
ある時戚継光は猿が火器を扱う兵を真似ているのを見た。
これを見た戚継光は部下たちに猿の捕獲を命じる。
この地には石竺山という何千という棲む山があり、戚継光は何百という猿を得た。

その後倭寇がやって来るにおよび、戚継光は兵を伏せ猿たちに敵陣を窺わせた。
猿の群れに対してはまったく無警戒であった倭寇たちであったが
その群れから一斉に火器が発されるに及んで大混乱となった。
戚継光は猿に火器の扱いを仕込んだのだ。

そこに伏せていた戚継光の軍勢が突撃し、倭寇を殲滅した。

燧象、火牛、火鶏と並ぶ火猿?の話

『五雑組』




女真族の侵入と李舜臣

2011年08月08日 23:01

李舜臣   
349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 02:34:01.72 ID:X7LsoWEo
朝鮮の防備は女真族の戦いを想定した北方偏重の態勢であり
朝鮮軍の主力は常に北辺にあった。

朝鮮の武官李舜臣も北方に赴任し、豆満江の河口にある鹿屯島の屯田を守る任務に就いていた。
ある霧がかった日、軍人たちは皆収穫の為に出かけ、砦には李舜臣以下十余人だけが残っていた。
そこに突如女真族の騎兵が四方から集まってきたのである。
李舜臣は直ちに砦の門を閉めさせると、自ら柳葉箭を射て数十騎を馬から射落とし
さらに女真族が逃げ始めると単騎で飛び出して大声で呼ばわりながらこれを逐ったので
女真族は総崩れとなり、李舜臣は略奪されたものを取り戻して砦に戻った。

この出来事に対して朝廷は「女真族の侵入を招いた李舜臣は今後一兵卒として白衣従軍すべし」とした。
後に官職への復帰は叶ったものの以後李舜臣の昇進は遅れ
柳成竜によって抜擢されるまで不遇な状況が続くこととなる。




350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 02:56:50.00 ID:6iq36ZIz
これ、はっちゃけすぎて「むやみに女真族刺激すんじゃねぇボケ」って怒られたのか?
後の英雄化で詳細がぼかされて状況がわけわからん事になってるなw

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 11:41:31.97 ID:TviMI2W4
もしくは違うエピソードが二つくっついて、
登場人物が有名人に置き換えられたとか。

これだけだと目立つ活躍をしたから閑職に追い遣られた、
という解釈の方が良いんじゃないかと。
当時のかの国の上層部が腐ってた悪い話というか。

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/08(月) 13:32:08.54 ID:1ihk+plq
>>350
攻めてきた女真族の撃退には成功したけれど
被害はせっかくうまくいっていた屯田を廃止せざるをえないほど大きかったので
直属の上司と一緒に責任を取らされた。

李舜臣自身は「前から兵が少ないと訴えていたのに、増やしてくれなかったじゃないですか。」
というような事を言っているので、元から防衛体制に問題があって
そこに付け込まれた責任を現場が取らされたということかも。

アテにならない宗主国

2011年08月06日 23:04

金元明   
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 00:16:05.75 ID:yYPzfiDJ
文禄の役での話。


平壌城を落とした李如松も碧蹄館で大敗し、日本と明の間で和平交渉が始まった頃。
朝鮮軍に「日本軍が晋州城を攻撃する」という情報が入ってきた。
しかし、籠城を主張する者あり、これを拒む者ありで、方針が決まらない。
ともかくも、朝鮮の都元帥・金元明は明に援軍を請うことにした。


金「というわけで晋州救援のために兵を出して頂きたい」
李如松「やだ」
金「えっ」
李「そもそも、それは朝鮮軍が日本兵を殺し、和平交渉を妨害しているのが原因ではないのか?」
金「(゚Д゚)」
沈維敬「そうだ、いっそのこと空城にしてしまえばよろしいのでは」
李「そうだ、それがいい!」
金「(゚Д゚)」


…こうして朝鮮軍は籠城し、単独で日本軍と戦うことになった。
攻める日本軍は宇喜多秀家、加藤清正、鍋島直茂、黒田長政、島津義弘、小西行長、宗義智など、約9万。
守る朝鮮軍は1万にも満たない。

結局、晋州城は1週間ほどで陥落。
金元明は川に身を投げて自殺した。


以上、アテにならない宗主国の話。




317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 01:30:08.25 ID:ibc4OVOQ
朝鮮軍は一万にも満たないのに避難民は何万もいたんだよね。
で、秀吉の命で牛馬まで皆殺し。

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 10:39:59.97 ID:rpEGowMi
実際交渉中に日本軍に攻撃加えた朝鮮軍がいたんじゃねーの?
それなら「やってらんねぇ」ってなるのもわかる

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 13:48:05.86 ID:+0R9K6Sa
>>316
コソコソ隠れて害をなすところは鼠と一緒だわな。
宗主国が出てきて和平交渉をしていると強気になって、コソコソ襲いだす。
その結果、戦になろうとすれば、宗主国さま~と逃げて泣きつく。
李如松将軍の行動をみるに、大国同士を争わせて、その影でコソコソ動き
回る存在に嫌気さしたんだろうなと

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 18:21:55.61 ID:DTmgtdkH
>>318
李如松は日本軍の漢城撤退も朝鮮の反対を押し切って交渉で決着をつけてしまったりと
日本軍に正面からやり合う気はすでになかった。

まあ明の本土が侵されたわけでもないし、日本軍はけっこう強いし
明の南方もきな臭くなってきたし、そもそも万暦帝の浪費で国家財政がヤバいしで
講和できるならそれで良いって感じだろうね。

まあ朝鮮も晋州城に立てこもったのは
「晋州城が落ちると俺たちの故郷がヤバい」という全羅道出身の義兵将と
日本軍の攻撃の2日前に赴任した新任の牧使と
晋州城以外に行き場のない数万の避難民というお粗末さだったんだけど。

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/06(土) 19:13:49.63 ID:sff8DCWU
>>318
北宋もそれで亡んだしね!

朝鮮の儒者、姜の息子

2011年04月17日 00:10

姜   
687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 02:31:38.73 ID:QfRJhFm4
慶長の役で捕えられた朝鮮の儒者姜
彼には竜という幼い息子がいた。
その名は妻が妊娠した頃に姜が見た児竜が水中に浮かぶ夢に由来し
姜にとっては30歳にしてようやく得た跡取り息子であった。

慶長の役で姜は一族と共に日本軍から逃れるべく船で北に向かっていた。
が、その途中日本軍の軍船が姜達の船に襲いかかってきた。
姜たちは一斉に船から飛び降りて陸を目指したが結局ほとんどが捕まってしまい
日本軍の軍船に引き上げられて帆柱に縛り付けられた。

この時赤子の竜は軍船に回収されることなくみぎわに打ち捨てられ
やがて潮が満ちると共に浮き上がり、しばらく聞こえていた泣き声もやがて途絶えた。

水中に浮かぶ竜の名を持つ子が水中で死んだ話




688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/16(土) 03:05:50.43 ID:gahcSTK3
ほんと、朝鮮の役は悪い話に事欠かないな…

金時敏、拒否をする

2010年12月25日 00:01

金時敏   
964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 20:54:51 ID:1+oUmrFu
籠城戦の話というかその前哨戦の話だけど。


1592年10月、日本軍は釜山から漢城への補給路の安全を確保すべく
朝鮮軍の策源地と見られていた晋州城の攻略を決定した。

この動きに対して朝鮮軍は晋州牧使金時敏に城の守りを固めるように命じると共に
柳崇仁に官兵及び義兵を率いさせて日本軍を迎撃させることとした。
が、柳崇仁は日本軍に敗れ、晋州城への撤退する。

しかし柳崇仁に対して晋州城の門が開かれることはなかった。
金時敏は柳崇仁の入城を拒否したのである。
なおこの時の柳崇仁の役職は慶尚道兵使
朝鮮の行政単位は道・府・牧・郡・県なので晋州牧使の金時敏よりもかなり上である。

柳崇仁の入城を拒否した結果金時敏はわずか3800の兵で20000の日本軍と戦うこととなった。
しかし兵や住民は金時敏の下で団結しており、城外にあって日本軍の後方を脅かした義兵たちの働きもあって
見事1週間に渡る戦いを勝ち抜き、日本軍を撤退させた。

この時晋州城外にあった義兵の将郭再祐はこの事を聞いて「此計足以完城, 晋人之福也」と歎じたという。

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 20:59:48 ID:1+oUmrFu
補足だけど入城を拒否された柳崇仁はそのまま引き返して日本軍に挑み、敗死している。
悪い話の気もするんだけど、朝鮮では金時敏の働きが働きだけに帳消しにされているっぽい。




「もくそ官」徐礼元

2010年12月17日 00:10

徐礼元   
57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 00:31:26 ID:FWAScqun
徐礼元という人物がいる。

礼元は朝鮮役開戦時朝鮮南東部金海の府使(地方長官)であったが
金海は黒田勢の攻撃によってわずか1日で陥落してしまった。
徐礼元は城を棄てて逃亡し、生き残った。

礼元が再び日本軍と戦うこととなったのは1593年6月の晋州城であった。
前年の晋州城攻防戦で朝鮮軍を勝利に導いた「もくそ官」金時敏の後任者として晋州城に入った礼元は
半島南部支配の既成事実化を目指す日本軍9万と相対することとなった。

当時晋州城の状況は最悪だった。
明軍は講和を探るために積極的な攻撃を控える方針へと転換しており、傍観を続けた。
朝鮮軍は晋州城を棄てるか否かを議論したうえで主力は撤退、一部の義兵が入城するに止まった。
晋州城は敵中に全く孤立した状態だったのである。

攻防戦の最中礼元は日本軍を恐れるあまり心神喪失状態であったという。
防戦の指揮を執れば城壁への日本軍の工作を見逃し、巡城将となれば笠を脱いだまま泣きながら巡回を行って
士気を落とす。
怯える城主の下では組織的な防御ができる筈もなく
城中の将はそれを補うべく最前線で戦い、次々と戦死していった。

そしてかの加藤清正の「亀甲車」によって城壁は崩され、多数の日本軍が突入してきたとき礼元はどうしたか?
礼元は再び金海を繰り返した。真っ先に逃げたのである。
城主の逃亡によってついに朝鮮軍は崩れ、晋州城は陥落した。

礼元は川に飛び込んで逃げた後、藪の中に潜んでいたところを見つかり、首を刎ねられた。
その首は塩漬けにされて京に送られ、「もくそ官」金時敏の首として晒された。




58 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/16(木) 08:26:20 ID:W2tnJf8S
これでは逃げ切っても首を刎ねられるな

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 08:52:55 ID:FOLGtUMU
>巡城将となれば笠を脱いだまま泣きながら巡回を行って士気を落とす。

そんなんなら巡回すんなよw

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 10:02:53 ID:QE+Q5UG0
役目は役目ですからwww

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 12:57:33 ID:A9D+GPJ1
>>59
泣きながらの巡回はさすがにまずいということで即交代になったそうだ。
てか篭城側には泣いている徐礼元を見て発作的に斬ろうとして止められた人もいたとか。

ちなみに礼元の前に巡城将にだった者も礼元の次に巡城将になった者も
日本軍の銃撃で戦死している。妙なところで運がいい人だ。

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:10:26 ID:0D3WzeQB
>>57
これくやしいよね
こんなのを金時敏の代わりに取らなきゃいけないなんて…
やっぱどうせ勝つなら強い指揮官に勝ちたいよなー

『壬辰録』より、崔日景などの物語。もしくは「げえっ、関羽!」

2010年12月14日 00:00

崔日景   
10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 13:28:50 ID:3897upvK
>>1乙

清正と行長関連の話が出てるので、向こう側の国で作られたお話を

朝鮮での争乱を書いた作品に『壬辰録』がある。
成立したのは17世紀ごろと見られており、実在の人物が出てくるが所謂軍談小説的なものである。
まあ、今で言うところの架空戦記みたいなもんなので、ツッコミどころ満載な話となっている。
バリエーションも色々あるらしいが、とりあえず自分が借りた本の解説に載っているものを。


とある子の居ない夫婦の夢にある男が現れた。

夫婦「げえっ、関羽!」

そう、三国志でおなじみの関羽である。
関羽が何しに現れたのかと言うと、何でも罪を犯した天上人を子どもとして授けてくれるらしい。
後に夫婦の元に子どもが生まれる。子どもは崔日景と名乗り宣祖に仕えることとなった。
ある夜、宣祖が不思議な夢を見た。それを聞いた崔日景は、
崔日景「その夢はつまり…倭が襲来してくることを意味しているんですよ!」
宣祖「な、なんだってー!?………ねーよwww」
不穏を煽ることを言った罪で崔日景は流刑にされてしまうのであった。

やがて怒涛の如く倭軍が侵攻してきた。
李舜臣は奮戦するも銃弾に倒れ、姜弘立は各地で倭軍を撃退するも清正に敗北。
朝鮮の朝廷は都落ちを決定する。
清正は漢城を包囲し城中に残っていた人たちを餓死寸前にまで追い込んでいたが、
その時、清正を叱責する声が空から聞こえた。

清正「げえっ、関羽!」

そうまた関羽である。
これに肝を潰した清正は慌てて退却。まあ、ビックリするわな。
一方、都落ちした宣祖の後を追った崔日景は金応瑞の任用と明に援軍を請うよう進言する。
その金応瑞の命を受けていた妓生によって、調攝(小西行長)も寝首を掻かれる。

ところ変わって明。
皇帝は朝鮮から援軍を要請されていたが、「農繁期だから無理」と断っていた。
しかし、またまた夢にあの男が現れた。

皇帝「げえっ、関羽!」

そうまたもや関羽である。
関羽曰く、
「皇帝は劉備の生まれ変わりで朝鮮の王は張飛の生まれ変わり。
 つまり、義兄弟なんだから助けてやれ」
とのことである。この三兄弟、生まれ変わる時も一緒になれなかったようである。

11 名前:続き[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 13:34:05 ID:3897upvK
関羽に諭された明の皇帝は李如松を援軍として出すことを決定。
ところがこの李如松、朝鮮に赴いたのは良いが、わがまま言いたい放題であった。
李「氾濫してる鴨緑江に一晩で橋かけろゴルァ!龍のテールスープ象牙の箸で食わせろゴルァ!
  あと、宣祖は王の器じゃねえから兵を引き上げるぞゴルァ!」
結局、柳成龍と崔日景の機転により、李は態度を改めた。

やがて両軍の決戦が行われるが、決着がつかない。
そこで、清正と李如松が直接対決をすることになった。
しかし、この対決に割り込む者がいた。

李・清正「げえっ、関羽!」

ま た 関 羽 か
結局清正は関羽の威に圧されて、李如松に討ちとられた。
かくして、関羽のおかg…もとい朝鮮軍と明軍の奮戦により戦いは終わった。
倭軍は撤退し宣祖も都に帰還することができたが、崔日景は病に倒れ亡くなった。

それぞれその後であるが、
李如松は朝鮮の風水が優れていることを知り、明の仇になると考え気脈を断つため各地を巡ったが、
山霊に懲らしめられて帰って行った。
姜弘立と金応瑞は、倭が再び侵攻する動きを見せたため、倭の都を攻めて勝利したが、
姜は美女に惑わされて朝鮮を裏切ったため、金は姜を斬り、金もまた自決した。

十数年後、降伏文書を受け取るため惟政が倭に赴くこととなった。
惟政は、18990字の詩を諳んじたり、焼かれた部屋に閉じ込められても動じなかったりと、
数々の窮地を神通力で乗り越えた。
この化けm…使者にビビった倭王は遂に観念。
二度と朝鮮を侵略しないこと、毎年人の皮三千枚と銅鉄三千斤を朝貢することを約束するのであった。


…とまあ、かなりぶっとんだ展開の話である。
ちなみに関羽がやたらと出てくるのは、明が援軍で来た時に関羽信仰がもたらされ、
それが民衆に広まったためとされる。
まあ、話ができたきっかけ自体は悲惨なものなので悪い話に。




14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 14:26:43 ID:bRWQzd3h
>>10
どうして関羽ってわかったんだろ?特に清正w
日本語で喋ったんだろうか、関羽w

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 14:29:01 ID:nZg3Tts9
倭王って誰?家康?
仲間割れし過ぎの朝鮮人にワラタ

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 14:40:17 ID:bRWQzd3h
>>15
秀吉じゃないかな。
文禄の役の話みたいだし。

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 16:41:51 ID:lfCqmgOq
朝鮮王が張飛の生まれ変わりって、張飛って死ぬ前に悪いことでも・・・してるんだろうな。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 16:53:25 ID:Hxm8UP3o
つっこんだら負けなのは分かってるけど
人の皮三千枚って何に使うんだろう

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 16:54:31 ID:bRWQzd3h
>>18
張飛は士大夫に媚びて兵を虐待して寝首かかれたからな。
張飛本人は当の士大夫に「兵士風情と聞く口はない」とか言われてるのに。
上に虐待されてるのに、上に媚びて下を虐待するという、
なんというかアンビバレンツなアレは確かに朝鮮王朝っぽいかも知れん。

一方関羽は「文弱な名士風情に聞く口はない」とか言ってた。
なんか流れ的に明や朝鮮より加藤さんとか福島さんとかの方が親和性高そうなのはきっと気のせい。

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 17:17:02 ID:pETB/tPG
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3303.html
の前半の話(朝鮮の民話)を元にした芥川の小説では
・加藤清正と小西行長が僧形で連れだって朝鮮をスパイ
・そのときに清正が一人の童子を殺そうとするのを行長が押しとどめる
・その童子・金応瑞が成長して、三十年後来襲した加藤小西軍に立ち向かう
・金応瑞は行長の朝鮮人愛妾・桂月香と共謀して行長殺害を企む
・行長の首を落とすことには成功するが、行長の死体は首なしのまま金応瑞に向かってくる
・なんとか倒すものの、桂月香は行長の子供を孕んでいたため金応瑞は月香を殺害
・まだ胎児でありながら行長の息子は無念さを叫びつつ死亡

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 17:21:47 ID:iPrjsivU
関羽じゃ!関羽の仕業じゃ!

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 17:22:38 ID:KDIT8k1C
あwwwくwwwwたwがwわwwwww

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 17:48:14 ID:pETB/tPG
調べたら小西行長よりも内藤如安(小西飛騨守)として語られる方が多いらしい
(1626年にマニラで死んでいるから、どっちにしろ朝鮮半島で死んでないけど)
ついでにwikiの金膺禹(キム・ウンウ、金日成の曾祖父の項目)の脚注

『壬辰倭乱の金応瑞将軍は、金日成の祖先か?』張海成(ジャン・ヘソン、???)
前半では、北朝鮮の歴史教育で「金日成の家は代々続いてきた革命家の家系」だったとしている件を取り上げ、
現在は金日成の曾祖父の金膺禹以降の家系からしか教えないが、かつて党が「唯一思想体系」を考えた当初は、
これを金應瑞まで接続して、「壬辰倭乱時に平壌まで侵攻してきた倭将小西飛騨守(内藤如安)の首を刎ねた、
金應瑞将軍は金膺禹の何代前の先祖である…」と、解説されたことがあるが大韓民国の歴史学者によると(中略)
どのように系譜を辿っても金日成が、金応瑞の子孫となることはあり得ない」と虚偽を暴露されてからは、
金膺禹以降の系譜しか教えなくなった・・・

さすが北朝鮮。民話をそのまま首領様のプロパガンダに利用するとは

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 22:55:03 ID:A4egQgC9
>>22
評価するっ!

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 23:18:37 ID:E+ZuJ6hA
まあ桂月香のモデルになった女と、殺された倭将(小西ほど大物ではない)は
実際にいてそれに尾ひれがついたんだろなあ

鷹狩り中に暗殺された武将もいたし

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 23:45:53 ID:KDIT8k1C
鷹狩り中に死んだ奴以外武将クラスの戦死者っていたっけ?

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 23:50:18 ID:khoUP8nS
鳴梁海戦で来島通総が戦死している。

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 23:53:30 ID:nZg3Tts9
立花家の侍大将

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/13(月) 23:56:53 ID:+/GID+f3
そう言えば島津義弘が朝鮮で鷹狩してたとき、白鷺を取ったけど樹の枝に引っかかって、
家臣がそれを取りに木に登ったら朝鮮の兵がやってきて下から弓撃って来て、
家臣の方は銃で応戦してなんとか退けた、なんて話もあったな。

敵兵が出るようなところでも鷹狩はやめられないのねw

島津家の侍医許儀後、その後

2010年07月18日 00:02

許儀後   
218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:54:21 ID:EzEnIzKW
文禄の役の際、島津家の侍医許儀後は明へその情報を伝えた。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3179.html

で、この一件は後に豊臣秀吉の耳に入ることとなった。
一見の事を知った秀吉は…烈火のごとく怒り出した。
秀吉は許儀後を釜煎りにすると言い出し、その為の釜の鋳造を命じた。

この時秀吉を諌めたのは徳川家康であった。
「殿下、母国に唐入りの事を知らせた明人は許儀後だけではございません。
 殿下はそれらを皆釜煎りになさるのですか。」

秀吉の怒りは収まり許儀後は放免となった。
以後許儀後は島津家で大陸問題に関する顧問のような役割を果たしたという。




219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 13:58:27 ID:nuNRa5wI
スパイみたいなもんか。現代だと国家の機密漏らすと普通に法律に触れて罪になりそうだな。

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 14:14:03 ID:gCKeQ8N8
今の日本にはスパイを取り締まる法が無いから大して進歩してないねぇ

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 14:22:17 ID:gC1kehXT
今の日本はスパイ天国すぎて、
各国のスパイの動向が他国にも筒抜けになってしまい
かえって身動きが取れないって話は聞いた。

真偽不詳なうえ戦国には全然関係なくてすまない。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 16:02:19 ID:A+78dNR5
琉球侵攻なんかも、事前に情報が琉球と明にもだだ漏れだったらしい。
というか明との講和の仲介を頼もうとしてた外交交渉が二進も三進もいかなくなって、「こうなったら征伐して
言うこと聞かせるしかないぞ」という外交官情報が流言込みで流れただけかもしれんが

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/17(土) 17:37:37 ID:tBq5HXKL
>>221
国家機密の艦船のカレーのレシピが2ちゃんねるに書かれてたり、反日新聞が逐一情報を漏らしてるんだぜ

金汝フツの討死

2010年07月11日 00:00

申リツ   
124 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2010/07/10(土) 17:19:10 ID:Mu2xAhpC
この話に出てくる申リツの部下に金汝フツという人物がいた。
金汝フツはこの戦いの直前まで党争に巻き込まれて獄に繋がれていたが
戦功と引き換えに免罪という特命が下され、獄から出された。

出獄した汝フツは戦地に赴くべく旅装を整え、家の下僕たちに問いかけた。
「誰か余と共に出征する者はおらぬか?」
殆どの下僕達が汝フツの子息金相ルと非難することを望み、尻込みした。
が、一人だけ共に行くと申し出た下僕がいた。
この下僕は大変な大食漢であり、他の下僕の料米が七合だったのにこの下僕だけ一升だったという。
「私めは平素より一升もの料米をいただいております。
 このような時に役に立たず、いかがいたしましょう。」
こうして下僕は汝フツの馬を引いて戦場へと向かったが、その姿は恰も楽土へ向かうようであったという。

戦況は悪化し、申リツ率いる朝鮮軍は弾琴台で背水の陣を敷き、日本軍を迎撃することにした。
が、女真族との戦いで活躍した申リツも鉄砲の前では無力だった。
武威を奮う暇もなく朝鮮の兵たちは倒されていく。

この時金汝フツは軍装に身を固め、、腰に剣を佩き、背に箙を背負い
左手には決拾と角弓を掛け、右手で状啓(国王への報告書)を書いていた。
その筆遣いは流れる風のごとく、下書きなしで書き上げた。
その文は詞理共に申し分なく、書き上げるとすぐ封をして朝廷へ送り、さらに子の相ルへの遺書も寄せた。
「三道の徴兵、一人もいたる者なし。吾輩にはただ死あるのみ。
 男児国に死するは固よりその職なり。但し、国恩未だ報ぜず、壮心いまだ成らず。
 只、天を仰ぎて噓気するのみ。家事は惟れ汝に在り、吾れ復た言わず。」
この後汝フツは馬を駆って敵陣へと突入し、一人奮戦するも遂に倒れた。

件の下僕は乱戦の中で主人とはぐれ一度は退いたものの、弾琴台周辺で弾丸が飛び交うのを見ると
「自分の命を惜しみ、ご恩を忘れるとは情けなや。」と再び短槍を手に戦場へと掛けていった。
日本兵に押されては押しかえし、満身創痍になって遂に弾琴台の下で主人の屍を発見した。
下僕はそれを背に担いで運び出し、ひそかに山際に埋めたのだった。

屍は後に掘り返され、金汝フツの先祖が眠る土地へ埋葬しなおされた。

―噫、僕と主の間の義が何ぞ限りがあろう。この下僕の如き忠勇の者は又とない。
 士は己を知る者のために死に、女は己を悦ぶ者のために容づくると言うが
 この下男の死を見ること平地の如くであったのは、決して一升の米のためでなく、義気に激したからこそである。
 そもそも僕を御する道は、義によってこれと結び、恩によってこれを感ぜせしめ、
 平素においてもその死力を発し得るようになってこそ、危急の際にも恃みとすることができるのだ。
 金公はまさにその道を会得していたと言えよう。
 士大夫が朝廷の禄をはむこと長きにわたるも
 この板蕩の時に奮忠敵愾の心なき者は金公の下僕に恥じずにおれようか。

『青邱野談』「弾琴台忠僕収屍」



ちなみに金汝フツの息子金相ルは後に出世し、朝廷の重鎮となった。
1642年に家康を祀る日光東照宮の扁額と詩文が朝鮮に求められた時
相ルは父のこの死を理由に詩文の揮毫を拒んだ、という話が『仁祖実録』に残る。




討ち死にした元均をどうするかという話になった

2010年01月30日 00:08

元均   
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:04:55 ID:mgHpKWg3
朝鮮出兵が終わり朝鮮では戦功を立てた者達の選考をしていた
光海君の下、次々と選別されていく中、水軍の将で討ち死にした元均をどうするかという話になった

すると光海君が口を開き

「壬申倭乱の緒戦の頃、元均が李舜臣に救援要請したけど
あいつ王命がないからって渋って出陣を半月以上も遅らせやがって。
元均は死を恐れず常に先鋒に立って軍の士気を高めて功績は李舜臣と同じだが
李舜臣は元均が将兵を倒して接収した船を掠め盗りやがった。
元均が李舜臣に代わって水軍の長になった時、何度も勝てない事を進言していたが
備辺司も都元帥の権慄も出陣を促したから敗北を知りながらもやむおえず出陣し
溺れ死んだ全兵士と共に自らも国に命を捧げたのだ。
元均は知略と勇敢さを備えていたのに運に恵まれず戦功が消えてしまい不憫でならない…。
今日の選考で彼を二等功臣などにしてしまったらそれこそ無念であろう。」

こう言うと権慄、李舜臣と共に元均を一等功臣にした

頑張った人がちゃんと評価されたという良い話




448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:28:45 ID:QGX+FoUg
光海君自身が不憫な人だから思うとこがあったのかも知れないな

元均の指示は

2010年01月30日 00:00

元均   
147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:06:49 ID:mgHpKWg3
元均が李舜臣に代わって水軍の長になっていた時の話
彼は愛妾を運籌堂(参謀本部のようなもの、現制勝堂)に入れ
二重籬で隔て諸将と顔を合わせる事すら稀であった
また酒を飲み酔って怒っては刑罰を与えるのが常態化していた
これ対してに元均の部下達はこんな上司に命を懸けるのがアホらしくなったのか
( ´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д` )「賊(日本軍)に遭ったらとにかく逃げようぜ」
と密かに申し合わせ命令を聞く気などさらさらなかった
このような状況の為、元均の指示はまったく実行されていなかったという




148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:09:48 ID:JbdCxw+b
日本以外もここなのか

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:13:38 ID:f4M77OSB
一応日本の戦国時代にかかわる文脈であればここでよかったような。
前も明の倭寇対策の専門家な恐妻家が出てたし。
朝鮮出兵の件の向こうの事情なら関係あるかと。

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 22:42:38 ID:e8jUPcUv
それで戦闘時具体的にどうなったとか、もうちょっと日本絡められないか

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 22:59:31 ID:aMlTLbp/
その後元均は日本水軍に強襲され戦死するのだが、
兵士がこのような士気の元では当然だと言えるのかもしれない

ぐらい最後に書いておけばまぁ良かったんだろうけど、
でもこれ位このスレに居る人なら普通に知ってるだろうしねぇ

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 04:48:06 ID:xHCUPWqk
>>147
いい話スレの朝鮮話とセットで朝鮮王朝の論功行賞が節穴のダメぽな話、だなー…

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 12:03:49 ID:wOpOVfnq
>>159
まぁ話はそう単純ではない
良い話スレの朝鮮話は宣祖実録が元ネタ
>>147は懲録が元ネタになってる
で、懲録は元均と仲が悪かった李舜臣を推していた人物によって書かれている
その上宣祖実録は公文書だが懲録は私文書
個人の思惑が強く反映されていると思われる

元均は懲録の他に宣祖”修正”実録(朝鮮ではクーデターが起こり
記録の編纂が行われ原本に比べ元均の評価は著しく低下している。
クーデターの中には李舜臣の親族がおり李舜臣を持ち上げ
元均を蔑む事で権威を得ようとしたとも言われる。)
でボロクソ書かれて現代でも評判は悪いが厳格な記録書である
宣祖実録の方が元均の実像に近いんじゃないかって話もある
実際の漆川梁海戦では主だった武官は元均と共にほぼ戦死してしまっているしな

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 13:26:09 ID:DseapK3F
>>161
単純では無いのだけれど単純にすると、当時の朝鮮内部の二大派閥で考えると、
北人派 光海君(北人派により擁立)
南人派 柳成龍(李舜臣の上司で、上によって失脚)

・・・と、まあそういうもんもあるんだろうなあと思ってくだされ。

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 14:20:59 ID:mMxssEhG
>>161、>>163
語り手によって毀誉褒貶激しいあたり三成を連想した

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 21:42:44 ID:xHCUPWqk
>>165
忠武侯こと李舜臣は三成を通り越して安藤帯刀みたいな、めんどくさい人だったらしいけどなw

舜臣が朝廷に任官していたころ道で偶然いきあった旧友を無視して通り過ぎた
「あいつ(李舜臣)は栄達して俺に挨拶もしなくなった!」と友人が憤慨していると、
やがて倭乱の時かね“いつもの”派閥争いに巻き込まれ官職を辞した舜臣が田舎に帰ってきて友人に「やあ」と話しかけてくる
「お前は一体どうゆうつもりだ!」と怒って詰め寄る友人に舜臣曰く
「官職にあるとき人前で友情を露わにしたら、以後どんな人事も情実だと思われてしまうだろう?
君が朝廷に出仕した時に要らぬ陰口を叩かれる。だからあの頃、私的な交友はしなかったのだ」とかいう……


中国や朝鮮王朝で忠臣・良吏とされる人物の列伝テンプレだけどねー

朝鮮の名医、経東

2009年12月09日 00:06

経東   
876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 05:42:53 ID:HMi3oHHd
朝鮮役の折、多くの朝鮮人が日本軍の捕虜となったが、土佐長宗我部氏の捕虜の中に、
経東という、当時の朝鮮で聞こえた名医もいた。

さて、土佐につれてこられたこの経東、医師と言うことで病人を診るのだが、
病気の診断をするものの、その診断で病気が治るということがなく、かえって殺す事が多かった。
そのような状態が1年ほども続き、土佐の人々は「異国にはあんなヘボ医者がいるのか」と、
上下男女、大いに嘲笑った。
経東はこれを恥じ、どうしてこうなるのかと大いに苦悩し、そのまま病気にまでなってしまったそうだ。

病に臥せりながら朝夕に自分の診断が失敗する理由を考えていた経東、ある時ふと、思い至った。
「朝鮮と日本は土地が違うだけではなく、その土地に住む人も、また異なるのではないだろうか!?」

これを悟るとたちまち病回復し、また患者を診ても失敗する事が無くなり、逆に名医と言う声が
日増しに高くなった。その声は畿内にまで聞こえ、ついに秀吉の居城、伏見へと召しだされ、
その威勢、「経東の他に名医はいない」と言われるほどであったと言う。

ところが、名が上がればそれに嫉妬する人が出るもので、当時大医と呼ばれた人の中に、
経東の名声に激しく憤った者がいた。この者、饗宴と言う名目で経東を呼び出し、
その食事の中に密かに鴆毒(砒素毒)を入れた。

経東、これを食してたちまち、「鴆毒だ」と見抜いた。ところが

「私がこれを解毒するのは簡単なことだ。が、今毒で死ななくても、刀刃によって殺されてしまうだろう。
しかし、今死ぬのなら!」

そう言うと懐中より、四寸四方ばかりの一冊の書物を取り出した

「これは万民を救う医学書であるが、日本人に伝わってしまえば我が恨みとなる!」

と、火の中に投げ入れ焼き捨てた。
本が燃えるのを見届けると、経東もまた程なく死んだ、とのことである。

人々、「医師であるなら経東に親切に接し、彼から医術を学ぶならば、貴重な医術を
日本に伝え残す事ができたのに、くだらない嫉妬で殺してしまうとは、
天下の宝を失ったとはこのことである。」と、語り合ったそうである。




877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 09:30:06 ID:/05OCmQu
>日本人に伝わってしまえば我が恨みとなる
この部分だけ発想が理解できないな。
別に日本人でもそれを活かしてより多くの生命が救われるほうがいいんじゃないかと思ってしまう。


878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 09:35:48 ID:dVpS5iLm
恨の文化ってやつなのかね
良し悪しは別として食い違いが発生する理由のひとつが垣間見える気がする

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 14:04:23 ID:U9mbTHTm
一応後世に残されたようだよ、金徳伝医方として
ただこれ・・・針灸ようだが

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 14:45:55 ID:7RYKNdPu
>>877
恨みの先が加害者だけでなく日本人全般に向いたんじゃね?
相手が異邦の地に拉致られて来た人だという事を忘れてはいかんよ。
それでも頑張って人命救助してたのにこの最期ではな……

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 14:51:05 ID:2K+8x7wp
いかにも作ったような話なのが惜しい
でも、後世の人々への戒めにはなるね

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/08(火) 15:01:38 ID:WeMDNTvi
殺して技術を奪ったとなれば、それが何であれ、後々まで怨恨の元になるって事じゃないかな
多くの人を救う尊いものであるからこそ、そういった因縁がつくのを恐れたとか

本人の意思とは関係なく恨み、怨霊の類にされちゃいそうってのは割と日本的

許儀後、島津義久に倭寇討伐を訴える

2009年11月21日 00:12

許儀後   
474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 02:03:35 ID:NTQlLadG
倭寇に捕まり薩摩に売り飛ばされた許儀後
島津氏の医師となった後もその事を忘れることはなかった。

1585年許儀後は島津義久に倭寇討伐を訴える。
これを聞き入れた義久は陳和吾、銭少峰ら10名余りの倭寇の首領を殺害し
その妻子を奴婢に落とした。
散り散りになった残党は東南アジアに逃亡し、九州近辺は静まった。

1587年秀吉の九州征伐とともに倭寇は再び騒ぎ始める。
許儀後は義久に随行して関白秀吉に謁見、倭寇討伐を訴えた。
秀吉は命を下して倭寇の首領たちを捕らえさせて斬首し、首級を京に送った
こうして九州の海は平穏を取り戻したのである。




476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 02:36:10 ID:NTQlLadG

許儀後は朝鮮役で島津氏の代表として明側の使者と会談したりと
島津氏の中枢に近い位置にいたらしい。

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 07:14:48 ID:ESzb/RKF
>>474
せっかくの特殊技能持ちをもったいないなぁ、と思ってしまう俺はゲーム脳だろうか。
しかし大陸出兵を考えると抱き込んだ方が……。

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 09:29:18 ID:QfLL2FMQ
結果を知っているから言えるけど、俺も明と戦う事考えたら倭寇は取り込みたいな
中国沿岸の事情に詳しいし、何といっても渡海するのに海に明るい技能者は欲しい

倭寇を制御できるかは微妙だけど

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 10:16:43 ID:NB2wvH52
でも、倭寇を捕らえてみたら半分が高麗人だった、てな時もあったようだから
統制が取れて組織として機能してるとは思えないし…。


481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 13:58:12 ID:yIGUwd5b
許儀後の動きも事前に察知されていたので
名護屋で島津が秀吉暗殺を狙ってるとか噂を立てられるんだよな

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 19:05:40 ID:hp9iF3FP
梅北もやらかしたし島津は肩身狭かったろうな
その分、大陸で活躍したけど

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 19:58:34 ID:gcbvPzKt
>>479
 そのほかに明国人やら琉球人やらその他色々と……はっ!!これぞまさしく東アジア共同体!!!

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 21:49:42 ID:ESzb/RKF
>>483
通訳や工作員として重宝した可能性もあったかも?
やっぱりただ殺すにはもったいないなぁ。

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 22:02:35 ID:hp9iF3FP
>>491
捕縛して分散させて配置するとか、少数でもいいから地元を知る人間がいれば楽だと思う
それこそ工作員としてとか、倭寇を続けさせて明に嫌がらせさせるだけでもいいんじゃないかな
裏切らないよう金与えるとか、人質取るとか

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 00:35:37 ID:bzcbmfx5
>>491
秀吉の大陸情勢の情報源の一つは日本にいる倭寇の明人達だった。
明の官軍に追われた経験がある彼らはむしろ入明を煽りたかったらしく
「明は日本を虎のように畏れている。大唐を手に入れるのは
手のひらを返す様に容易い」とまで言ったとか。

また明人商人達からも熱心に話を聞いている。
秀吉が「大陸の政治は乱れている!!」と言ったのも明人商人がそう言ったのを信じたからで
何の根拠もない発言ではないんだ。

許儀後と朱均旺、情報を届ける

2009年11月20日 00:18

許儀後   
449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 06:10:59 ID:hJ+LSkLN
許儀後という人物がいる。
明国江西の人であったが1571年に広東で倭寇に捕まり、彼は薩摩に売られてしまう。
その後彼は島津氏の御側医師となった。

1590年、許儀後は恐るべき噂を耳にする。
日本の関白が大明に侵入しようと船5000隻を造っているというのだ。
さらに翌1591年には薩摩内にいる唐人の総点検が始まり、唐人が薩摩から
出港することが禁じられる。

この時薩摩に林紹岐という商人の船があった。
島津氏はこの船の出向も差し止めようとしたのだが
許儀後が『この船は商船であり、それを停めれば交易が途絶えてしまう。』と説いた為
出港の許可を出した。
1592年1月16日は林紹岐の船に薩摩を出る。

許儀後が林紹岐の船が出港できるよう働きかけたのは理由があった。
彼はこの船に明への報告書を託した朱均旺という人物を乗り込ませていたのだ。

朱均旺は許儀後と同郷の人であり、福建で商売をしていたが1577年
交趾に渡った帰路倭寇に捕まってしまう。
薩摩に連れてこられた朱均旺は島津氏の菩提寺である福昌寺の僧に売られ、
そこで許儀後と出会った。
許儀後は同郷の朱均旺の事が気に入り、彼を引き取って薬書の筆写などをさせていたのだ。

大明への侵入という噂を聞いて以来許儀後と朱均旺は罰せられることを覚悟した上で
明への通報を試みていた。
3度に渡って平戸の明人商人経由での通報を試みたがなんの音沙汰もない。
そこで朱均旺は自ら志願し、使者となるべく林紹岐の船に乗ったのだ。

すでに薩摩に売られてから20年近くがたち、許儀後は妻帯し、子も生まれていた。
許儀後は報告書の最後に朱均旺への詩を付している。

「遙かなる異境でめぐりあってから何年もの歳月が経った。ある朝別れて君は遠くへ旅立つ。
 忠君の事(日本警戒情報の提供)は君に懇ろに託したので、意を尽くして(秀吉の陰謀を)
 挫いてくれ。
 君は本国へ帰れば蘇武のように歓迎されるのだから、どうして(薩摩に残った私が)
 李陵のような境遇となることを心配する必要があろうか。
 霜台(弾正台)にもし日本のことを聞かれたら、ただ民草は苦しみ(それがし許儀後も)
 憂えているとのみと言ってくれ。」

2月28日朱均旺は無事福建省に到着、報告書を官吏へ提出し貴重な対日情報源となる。




450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/19(木) 08:43:10 ID:jqefHWkw
日本は島国だけにイギリス並みに海賊国家だったんだな
もっと海軍力あれば東南