FC2ブログ

物を送るのは、むしろ新郎の方

2019年02月04日 20:59

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/03(日) 22:46:09.72 ID:bVN8ufzY
此の地(日本)の大身は、女子の身分、その謹慎温和なること、容貌美麗なること等について
探索し、これを以て少女を嫁として貰い受けるのだが、日本に於いてはこれらの身分、性格、容貌などが
持参金であり、少女の父は嫁ぎ先に何物をも与えることはなく、逆にそれを贈ることは侮辱と考えられている。
それ故に、少女の父及び親類に物を送るのは、むしろ新郎の方なのだ。

このように新郎側が数千の持参金を要求せず、また贈与もしない故に、貧者の家も富者の家も、共に
一層の繁栄を維持する。こういった風習は、イスパニア(スペイン)においても行われれば幸いである。
何故ならイスパニアでは、一人の娘に持参金を与えるために、他者より盗みをする者がある。また
結婚相手を捜す時、ただ持参金として所有する物を尋ね、他の才能を考慮することがない。
陛下(フェリペ3世)がもしこの事の可否を諮問されたならば、ここに大いなる真理があり、
イスパニアに於いて最も重要なことの一つを発見されるだろう。

もし持参金を廃止、あるいはこれを減じれば、大いに国の窮乏を救うだろう。

(ドン・ロドリゴ日本見聞録)

そういえば江戸時代の武士の家でも、嫁が嫁いできたときに持参した財産は離婚しても完全に保護されていたとか。
なので離婚が多かったなんて話も。


スポンサーサイト

異教徒の特徴

2019年01月11日 21:29

578 名前:世界周遊記・閲覧注意1/4[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 20:27:32.16 ID:Fq1qzV5o
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」続き
今回は閲覧注意、自己責任で。
訳していて気分が悪くなったほどなので。

奇妙なことに病人に対しては新鮮で塩味のある魚、貝を食べさせる。
またあらゆる種類の苦い、酸っぱい、そして熟していない果実もまた患者に与えられる。
決して瀉血は行われず、このように全てにおいて我々と逆のことを行う。
彼らは残酷であり、死への恐怖はない。彼らは様々な機会に自殺し、刀で自刎する。
女性も男子と同様に自殺する。
多くの場合、特に貧しい家庭においては口減らしのために堕胎や出生直後の嬰児殺しを行う。
また王や領主の命令により、多くの男、またその妻も自殺する。
主従関係は強く、高い地位のものであれば理由なしに配下や奴隷を誰でも殺せる。

579 名前:世界周遊記・閲覧注意2/4[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 20:29:45.54 ID:DZhIphWg
衣服の男女差はほとんどなく、年齢によって異なる。
トルコ式で長い服であるが、装飾品とボタンはない。ちょうど我々の部屋着のように、衣服の片側が反対側に重なる格好となっている。
シャツを下に着ずに直接着用され、綿の紐で覆われた絹の紐で腰に固定される。
女性の場合はもっと太い絹の紐をより重ねて用いる。貴族であれば彼らが貴族であるほど、その紐(帯)を幾重にも巻きつける。
彼らは歩くときには足を上げるのではなく、こするように歩く。
なお男性や12歳くらいの女の子の場合は、隠部を木綿の布で包んでいる。
女性は非常に美しく肌は白いが、目はとても細い。
彼らにとって大きい目より細い目の方がずっと好まれる。
ちなみに、彼女たちはインクのもので歯を黒く染めるため、口元はかなり奇妙に見える。
これは結婚した女性で行われるが、貴族も15から16歳になると同様に黒く歯を染める。
彼らはまた出来るだけ黒く自分の髪を染める。我々の美的感覚からすると、歯は象牙のように白く、髪は詩人の言うとおりに金髪であるべきなのに。
彼らは様々な色に着色された絹の布で服を着流が、貧しい人々の服は通常木綿で、青、赤、そして黒に染められている。
彼らが親族の死を悼むときは白衣を着ることが多い。
我々の気候と同様、雨雪で冷え込む冬には彼らは木綿の裏地に絹のようなダウンを詰め、暖かさを保つ。

580 名前:世界周遊記・閲覧注意3/4[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 20:32:15.14 ID:ekZkt7/Q
長崎滞在中の私自身の経験から言うと、たとえ裕福な階級の人間でも一般に1人の女性としか結婚しない。
姦通罪は重く、有罪判決を受けた場合、密通した両人とも死罪となる。
起訴されたのち、男性と女性の姦通者を連れて車に乗せ、両手を後ろに縛り上げられ夫の家に連行される。
その場で男の陰茎は切断される。この際、皮膚を多めに切られた陰茎は女の方の頭の上に置かれる。
女の方も陰唇を切り取られ、男の方の頭に置かれる。
こうして頭を相手の隠部で飾ったまま、裸で市中引き回しにされる。
このように姦通罪については重く処罰するにも関わらず、娘や姉妹の名誉については尊重せず、むしろ注意を払っていない。
結婚前の女が、自分の両親または兄弟によって売られることも多く、恥ずべきこととも思っていない。
全国の貧困が、我々には考えられないような性的不健全さと奇妙な習慣の理由である。

581 名前:世界周遊記・閲覧注意4/4[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 20:35:35.30 ID:p0rXyEgC
ポルトガル人、特に毎年中国つまりマカオからやってくる人々がこれらの証人である。
彼らは自分たちの船に紡績済み、もしくは紡績前の絹、胡椒、香辛料、染料などを積んでいる。
それらの商品を日本で売りさばき銀を手に入れるため、長崎市の港で契約を結ぶ。
彼らはそれらの商品を積み降ろすため、通常8~9ヶ月滞在する。
これらのポルトガル商人相手の、少女仲買人は彼らの到着直後に来て、滞在中に住んでいる家の船員を訪問する。
そこで彼らは処女の少女を買いたいのか、それとも他の好みの女を買いたいのか尋ねられる。
滞在期間中、あるいはほんの数時間、一晩、数日、数ヶ月、少女を買いたいのか尋ねられる。
それらに応じて、契約が結ばれる。ときには少女の両親とも面会して価格の合意に至る。
彼らの要求に応じて、仲買人は少女を彼らの滞在所に連れて行き、彼らと少女を引き合わせる。
ときには仲買人と一緒に少女の家で会うこともある。
多くのポルトガル人はこの楽園で非常に快適に過ごしており、14から15歳の処女でありしかも美しい少女が、
約3または4スクードで彼らに与えられる。
少女は合意された時間だけ自分のものとなる。ただし、買った場合は少女を時刻までに自宅に送り返すことを忘れてはならない。
少女たちは体を売ったからといって結婚を嫌がられることはない。
それどころか、このように持参金を稼がなければ、多くの少女は決して結婚できないだろう。
こうして少女たちは、7~8ヶ月の間にポルトガル人から30~40スクードを受け取る。
少女がポルトガル人と金目的で結婚することもよくある。
また成人女性自身が体を売ることもあるが、この場合は交渉相手の両親がいない、という違いしかない。
お金は最終的に少女もしくは少女を売っている人々が受け取る。
それらの少女のほとんどは、この目的のために購入された奴隷である。
女衒を通じて少女を買うこともあるが、その場合、少女に与えられるのは食べ物と衣服分で少ししかない。
金の大部分は女衒の取り分となる。
この国のビーナスの喜びは、他の悪徳と同様に、少なくとも世界のどの地域よりも豊富にある。
動物のように恥知らずなことを公の場で行い、それを見られてもまったく気にしない異教徒の特徴と言える。



582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/10(木) 21:55:01.56 ID:1CpEtD6Q
つまり伴天連追放令は迫害による殉教やらの美談などとは全く関係なく
神の国から最も遠くにいる愚物どもを排除する当然の帰結であったと

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/11(金) 10:26:46.49 ID:LubJF0Ng
>>582
なんでそうなる?

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/11(金) 15:00:12.43 ID:rAQu8eA5
>>580
>皮膚を多めに切られた陰茎は女の方の頭の上に置かれる。
>女の方も陰唇を切り取られ、男の方の頭に置かれる。
>こうして頭を相手の隠部で飾ったまま、裸で市中引き回しにされる。
嘘くせーw

>>581
買春の言い訳のために盛ってる感がしますねぇ

guminori = ごめんなり 世界周遊記続き

2018年12月17日 20:56

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/17(月) 08:58:47.60 ID:pwQA57/q
1年ほど前に訳出したフランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記(まとめの11064, 11071, 11075)続き

通りの出入り口は全て門がつけられていて、夜間は閉鎖され、通ろうとする者は警備の者によって誰何されます。
全ての通りにはリーダーがおり、我々は「長老」と呼んでいます。
長老たちには通りの居住者についての監督責任があり、居住者によって何らかの違法行為が行われた場合、犯人を司法機関に引き渡す義務があります。
監督する地域において違法行為が発生した場合も司法機関に通報する義務があります。

長崎の町においては全ての住居が木製であり、設計にあたっては細心の注意が払われています。
木材は、家を2日以内に建築できるよう適切に準備されており、木製の支柱を固定するために、支柱の底に大きな石が固定されます。
これらの石の半分は地面の下にあり、残りの半分は地上出ているため、支柱の木が腐敗することはありません。
次に、これらの柱の上に十字にクロスした木材が置かれ、その上に足場が立てられ、個々の部屋の壁が固定されます。
その後、松のような特定の種類の木材が使用されます。
個々の木材の切片は上下に釘打ちされ、レンガとして機能します。彼らは水も漏らさず敷き詰めます。

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/17(月) 09:01:18.47 ID:pwQA57/q
居間については、様々な種類の絵画により別々の部屋に仕切られています。
これらの絵画は扇のようになっており、ヘリを下にして地面に直立させて折ることができます。
非常に美しい光景であり、部屋に何人かの人がいた場合、これらの折り畳み式の覆いには、花鳥風月が色彩豊かに描かれており、高さが人間の背と同じくらいなので、お互いに相手を見えなくさせます。
ベッドの周りにも配置されていますが、他人から見られなくするだけでなく、自分の部屋を活気づける効果もあります。
そこで特に精密な絵を描くことになります。もちろん、部屋の壁を飾るために使用することができます。その場合は壁に寄せて非常に美しく飾ります。
このような絵は、日本語では”biobus”と呼ばれています。装飾用の、絹を使ったものは非常に美しく、1枚の作品は100もしくは200スクードかかりますが、日用品では5から10スクード程度で買えます。

家は非常に簡単に燃えるため、すべての通りに防火のために警備員が配置され「火の用心!」と一晩中連呼しています。
火が一つの家に着火すると町全体に延焼します。
長崎でもそうでした。タイコー・サマ王は、火元の家の持ち主を一家全員とともに十字架にかけるよう命じており、多くの場所で執行されていました。
ただ現在ではそのような法律は施行されていません。

室内は非常に美しく、厚みが2寸(指の太さ)ほど、広さが4尺(腕の長さ)かけ2尺ほどの、藁でできたマットですべての部屋の床を覆っています。これらのマットを製造するための草は、水の中の葦のように成長し、yo-yoと呼ばれています。
yo-yo草のマットを1尺ほど積み重ねることにより、ベッドのような寝具も作っています。彼らはそれ以外に寝具を知りません。
羽毛枕や枕の代わりに、頭の下に木材を置いているようなものです。
ベッドに使われるtatamiが最高品質であれば、100から150スクードかかります。一方で同じ材質の帽子は2Giulii程度しかしません。

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/17(月) 09:03:32.04 ID:pwQA57/q
彼らはトルコ人のような姿勢でマットの上に座り、室内では靴を履かずに歩くか、靴下のようなものを履いて歩いています。
この靴下は手袋のように着用されており、各足のつま先のところに2つ指を出すところを設けています。
また男女共ふくらはぎの半分にくらいまでこのような靴下を履いています。
家に入る時は、常に玄関に靴を置きます。特に他人の家である場合は必ず。その家の居住者であれば、靴を部屋、寝室の前、または廊下に置いておきます。
靴は、藁を織って作られた一枚の靴底と、その両側に縛り付けられた藁や皮でできた紐とで構成されています。紐は靴底に取り付けられていない端については、靴底の上部の少し内側に取り付けられています。
足の親指と人差し指の間を走り、靴や靴底が足にしっかりと収まるようにします。脱ぐ時は踵を少し持ち上げ、足を振って滑らせて脱ぎます。
彼らは家に帰る時だけでなく、親しい人や、人々から敬意が払われている他人と通りで会う場合にも靴を脱ぎます。
私もある時散歩をして橋のところに来ていると、近所の農民に出くわしました。彼は私を見るとすぐに足を振って靴を脱ぎ、少し頭を下げて「guminori」と言いました。これは「すいません」という意味です。

中には、この種の挨拶ではなく手のひらを太ももに置きながら頭や胴をわずかに傾けてるだけですます時もあります。
座っている場合は立ち上がることもなく、頭を傾けるだけで挨拶をすませています。家の主人は来客に対しても座ったままですませます。
我々とは全く異なり、彼らは挨拶の際には帽子を取りませんーたまたま帽子を着用する機会があったとしても。
彼らは我々とは全く違っているので、彼らの習慣は実に奇妙です。
私はその国の住居に関してすべてのことをメモに取りましたが、失われてしまいましたので思い出したらまた報告したいと思います。

とりあえずここまで

564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/17(月) 15:32:51.33 ID:HtfDmHZX
guminori = ごめんなり


565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/17(月) 22:34:55.07 ID:5PPgDglw
>すべての通りに防火のために警備員が配置され「火の用心!」と一晩中連呼しています。

   ∧∧    ???「うるさくて眠れないナリ」  
  (*・ω・) 
  _| ⊃/(___    
/ └-(____/     
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/18(火) 17:45:22.12 ID:TlvPoFY3
>木材は、家を2日以内に建築できるよう適切に準備されており
そんなに早く家建てれるもんなの?

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/18(火) 20:14:19.07 ID:4Qi1OXZN
江戸時代では火事になると建物破壊して火の広がりを防いだあと、その日のうちに建て直してたらしいから似たようなことはしていたのでは。

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/18(火) 21:03:46.41 ID:nwah1Ep5
>>566
軸組みの建て方だけなら1日で余裕。ただ、屋根を葺き終わるまで2日はきついと思う
建て方が終わればとりあえず家の形にはなるから、それを指して言ってんじゃね?
ヨーロッパのレンガや石を積む工法に比べれば驚くべきスピードだろうし

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/19(水) 15:04:10.67 ID:QYLyBI17
建方とか朝出勤するときに通りかかって今日は人多いなと思って帰ってきた時には家たってるからびっくりよね

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/19(水) 18:06:37.01 ID:XTkkVIYS
タイコーサマ王
面白いw

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/19(水) 20:58:39.54 ID:EV7MYe6P
>>569
現代なら上棟まで1日で、次の日には野地板貼り終わる
そこまで行けば、躯体に雨がかからないからもう急ぐ必要はないんだけど、諸般の事情でそこからも駆け足なんだよなぁ

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/19(水) 22:09:23.66 ID:pIC6mpV1
昔職場で彼岸花を育てて、
朝、1センチほどのピンクの芽が生えてたのが、帰る頃には20センチほど成長しててびっくりしたが、
そんな感じかな

違うか

新なる事物は新なる言葉を必要とするのみならず

2018年12月13日 18:27

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/13(木) 15:50:05.40 ID:HL/Fr2gq
我等は日本人がその宗旨(仏教)において用ふる言葉をもって、真理(キリスト教)を説くこと長期間にわたりしが、虚偽の言葉をもって
真理を説く時は誤解を生ずることに気づき、直に有害なりと認めらるる言葉に代へて、我等の言葉を教ふることに変更したり。
新なる事物は新なる言葉を必要とするのみならず、日本の言葉の真意は、我等が言はんと欲するものと甚だ相違せり。

たとえば彼等にクルス(十字架)の意味を説明するに当り、彼等の国語にて十文字Jumongiと称するは、クルスの形の文字にして
十の意なるがゆえに、単純なる者はクルスと彼等の文字と同一なりと考ふべし。よって一歩ごとに、また一語ごとに彼等に説明をなすか、
或はその語を変更する必要あり。

かくのごとく五十以上の有害なる語ありしが、今彼等の語の意味とその害ある点、ならびに我等の語の意味を説けば、彼等もその相違を認め、
彼等の言葉をもってデウスのことを説く時は誤解を生ずることを覚り、右のごとくして明に了解するにいたれり。
予がこのことを述ぶるは、異教徒の間にありてデウスのことを説くに当り、説明に注意し、その用語を考慮せんがためなり。

彼等の文字は不完全にして我等の言葉に対する文字なく、文字をもって発音を示すこと能はざるものあり。
彼等は二様の文字(漢字、仮名)を有し、我等は彼等の言葉を悉く発音し、またこれを書くことを得れども、彼等はこれをなすことを得ず。
日本の文字(漢字)は二つの意味を有し、また二つ以上を有するものあり。たとえば上に掲げたる第一の文字(漢字:画像参照)は霊魂といふ意なるが、
また悪魔といふ意あり。重立ちたる人々が知らんと欲するはこの文字なり。
下に掲ぐる他の文字(仮名)は普通に用ひらるるものにして、第一の意味のほかなく、我等の書物はこれをもって書けり。
https://i.imgur.com/CpK7Wzy.jpg
日本通信121304-01

(一五五五年九月二十三日[弘治元年九月八日]付、パードレ・バルテザル・ガゴが平戸よりインドおよびポルトガルの耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰)

宣教師たちが日本への布教にあたって、翻訳の問題にぶち当たった事がよく解るお話



522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/14(金) 13:35:01.25 ID:9PH3mguA
当て字は翻訳を諦めた結果なのだろうか…

此大帝國(日本)に属する歳入

2018年12月11日 17:12

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/10(月) 21:02:33.37 ID:ldA590QC
最後に、此大帝國(日本)に属する歳入に関しては、フランシス・カイロンの取りたる日本の王公の歳入の公記によりて明なり。
歳入は日本風によればコキーン(Cockiens 古金?)を以て算ず。一コキーンは佛貨一クラウンに富る。

フランシス・カイロンが此地に住せし時は、最大の歳入を有せしエムペロル(将軍家)に次ける者はカンガ(Canga 加賀)、ゼッチュー(Zetchiu 越中)、
及ナッタ(Natta 能登)の王にして、カンゴナチューナゴン(Cangono Tsiunagon 加賀中納言)と称し、ランガ(Langa)城に住せり。年々の収入は
黄金百二十噸(トン)を下ること無かりき。(黄金一噸は一萬磅(ポンド)なり。)

スルガ(Suruga 駿河)、トト(Toto 遠江),ミカワ(Micauwa 三河)の國の王、スルアンゴダイナゴン(Suruango Daynangon 駿河大納言)は、
ファィチュー(Faytsiu 府中)の城塞に住す。オワリ(Owary 尾張)及ミノ(Mino 美濃)の両國の王オワリノダイナゴン(Owarino Daynangon 尾張大納言)は
ナンガイ(Nangay 名古屋)の城塞に住す。各年々七万磅を有せり。

マサニネ(Massanine)及オーチオ(Ochio奥州)の王センダイノチューナゴン(Sendayno Thiunangon 仙臺中納言)は堅固なるセンダイ城に住し、
年々黄金六十四噸以上を有す。

サツマ(Satsuma 薩摩)、オシナ(Ossina 大隅)、ヒューゴ(Fiungo 日向)及ルチオ(Luchio 琉球)の王サッマノンチューナゴン(Satsumanon Thiunangon
薩摩中納言)はカガシマ(Cangasima 鹿児島)城に住し、年々六万磅を得。

キノ(Kino 紀伊)及びイセ(lche伊勢)の王にしてワカヤマ(WakaJamma 和歌山)の城を支配するキノクニダイナゴン(Kinocouny Daynangon 紀州大納言)は
年々五十五万磅を有す。クマモッテ(Knumamotte 熊本)城に在るヒゴ(Fingo 肥後)のカットー・ヒゴノカミ(Catto Fingonocamy 加藤肥後守)及
フカサ(Foucasa 福岡か)城に在るスンキセン(SunKicen 筑前)のマツェンデイロ・エムノスコ(Matsendeyro Iemnosco 松平右衛門佐:黒田忠之か)及
オエクデ(Oecde)の城塞を守るエチェセン(Ietchesen越前)のマツェンディロ・イノカミ(Matsendeyro Inocamy松平伊予守?:松平忠昌か)の諸王も
大抵同様の収入あり。

ハギ(Fangy 萩)城に住するソヴァ(Sova 周防)のマチェンデイロ・ナガト(Matsendeyro Nangato 松平長門)、及ミト(Mit 水戸)の城塞に在る
ヒタイツ(Fitayts 常陸)のミトンスチューナゴン(Mittons Thiunangon 水戸中納言)、ロギオイス(Logioys)城を支配するヒジェン(Fisien 肥前)の
ナビシマシナノ(Nabissima Sinano 鍋島信濃)、タカハム(Takaham 高濱)城塞に在るイナバホキ(lnabafoky 因幡、伯耆)のマチェンデイロ・シンダイロ
(Matsendeyro Sindairo 松平新太郎:池田光政か)は年々三十一磅を収む。
其他第二位の諸侯、即ち候に富るもの、第三位の諸侯即ち伯に當るもの等、以下差異あり。
(モンタヌス日本誌)

ここでも政宗だけマサムネ(マサニネ(Massanine))なのか。地名と勘違いされてる気もするが。



553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/10(月) 22:57:00.38 ID:Ir5UCqmt
このアルファベット表記によって読みが確定した地名人名が多くて記録としてありがたい

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/10(月) 22:57:00.38 ID:Ir5UCqmtこのアルファベット表記によって読みが確定した地名人名が多くて記録としてありがたい

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/11(火) 19:36:54.06 ID:wAqoyPCo
「紀州大納言」は「きのくにだいなごん」だったんだな。

伴天連関係の資料は興味深い。

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/11(火) 20:57:53.12 ID:VBgdkID0
>>554
国内のしがらみに左右されない、ある意味客観的な資料だしな
キリスト教の教義に基づく偏見はあるにしても

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/11(火) 23:07:06.81 ID:OUa8tKsd
>ロギオイス(Logioys)城
>オエクデ(Oecde)の城塞

ドラクエかな?

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/12(水) 10:22:47.72 ID:B4YntS6f
佐賀と福井の筈だがどうしてこうなった

サヴェリウスよ、汝は

2018年12月02日 17:57

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/01(土) 20:33:10.24 ID:lEMylcGS
エスイト派(イエズス会)が一般の大反対があったにも拘らず、その計画を日本に於いて実行しようとして
訪日したのは驚嘆すべきことだ。
日本人は観察に敏く議論に長じている。その証拠はエスイト派が接した、日本人からの幾多の反対説から
見ることが出来る。

サヴェリウス(ザビエル)が始め鹿児島にて説法した時、地獄の苛責の恐るべき事を説いたのに対し、
これを聞いた日本人が言った

「サヴェリウスよ、汝は我が父母、祖先、又は子孫をその滅することの出来ない業火の中に置くのか。
我々を生んだ人々はそこで燃えるというのか。彼らが永久にそこで生きるために死に、又そこで常に死ぬために
生きるのであるとすれば、我々はたとえ一千の生命を持っていたとしても、誰のためにそのように、屡々死のうと
欲するだろうか。キリスト教の神は、世界に生まれ出て間断なく苦しみを受ける人々を助けないのか。
そんな彼を全能と呼ぶべきなのか。どうしてこれを、慈悲深いなどと言えるのか。

父母、子孫、親族が耐え難い苦痛に悲鳴を上げているのに、私達だけが天に伴われると言われても、そこに
何の楽があるだろうか。慈悲あるという創造主が、憐れむべき者を永久に罰するを以て快しとするのは、一体
どう言う理由があるのか。」

サヴェリウスはこの議論に答え、彼らをして納得させたと報告しているが、どのような議論によって彼らを
満足させたのか語っていない。ただ彼は、死せる日本人の罪深き状態を語ったことで、皆涙を流したとだけ
云っているのである。

サヴェリウスは又彼らに告げて、凡てのものには初ありしと伝えたが、彼らは直ぐに答えて言った

「その”初め”は善でも悪でも無いはずだ。キリスト教の神は善と悪を一度に作ったのか?神はいかにして
神となり得て、凡ての善を自己を対象としたものに限ることが出来たのか。彼がもし善であるのなら、
これらの悪魔は何れより来たのか。神は悪魔を悪として作ったのか。だとすると神の多くの善というものは
どこにあるのか。

あるいは、かの神は悪魔を悪に陥れたわけではないのに、これを悪に陥るに任せたのか?
人は清く神に仕えるために創造されたというが、何故にかの神は、それを悪に誘惑することを悪魔に許したのか。
人は神の霊なくしては存在できないというが、何故にそれを自己のなすがままに放任するのか。

神は人を、自己の弱点から脱する事の出来ないものとして創造しておいて、このために人は罪悪を
犯して永久に罰せられる、などというのは、神の善と矛盾しているのではないか?
また地球上のいかなる被創造主も行い得る事ができないような律法を作っておいて、これを聊かでも破れば
永久の刑罰を受けるのは、一体どう言う理由からか。

日本の宗教はこの外教に比べれば、神の慈悲が一層厚い基礎の上に作られたものである事は、永久の
地獄を立てないことからも明らかだ。阿弥陀、釈迦、観音を拝し、これに仕える者は、死すれば
彼らの一時的な生命から、永久の済度に入ることを得、もし死後、現在の罪のために罰せられ、そのために
苛責に遭うことがあっても、罪の大小に従って、ただある期間だけ続くものである。」

尚、日本人の日々の反対、及び難問を理解するために、ヨハンネス・フェルナンデスが山口よりサヴェリウスに送った
1551年の書翰を引用する。曰く
サヴェリウスの出発後、日本人はエスイト教徒の家に集まり、種々の質問を発して彼らを悩ませた。

「神はいかなる物質によって霊魂を作ったのか、身体は地水火風より成立していることは知っているが、霊魂は
どうなのか。霊魂の形及び色はどのようなものなのか。」

「悪魔はどのような動物なのか。何故に人を罪に誘惑し、主として人を破滅させようとするのか。」

「神はすべてのものを善として作ったと言うなら、悪魔はいかにして悪となったのか。」

「神は見ることが出来るのか。」

「善のみが存在する天に達すべき道を、神はこれほどの障碍困難を以て塞いでいるのは何故なのか。」

等である。
(モンタヌス日本誌)



538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/01(土) 22:17:14.28 ID:QSXsYSjT
教義変えて祖先も天国に行けるようにしちゃったテヘペロ

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/02(日) 09:56:56.28 ID:mHbxAADo
あれそこだけは根幹が揺らぐから譲らなかったんじゃ

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/02(日) 10:52:51.07 ID:+vpXFUp2
オカルト ヒテイハタチ テゴワイ ゴゼマス

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/02(日) 11:12:31.65 ID:XRJRxHei
農民がオラの爺さんは地獄に行ったというのか?と泣いたっていう話は
それなりの元ネタというかそういうのがあったのは事実なんだな

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/02(日) 12:15:15.64 ID:mky2CuJ7
アタワルパ「なんやこれ喋らんから捨てたろ」

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/02(日) 13:48:13.57 ID:YQoH2a3z
>>541
教義広めてる側もおれらの教義ってこういう質問くるんじゃね?ぐらいの感覚で想定問答集つくってそうだなあ

日本語についての報告

2018年10月16日 21:17

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 20:29:40.49 ID:mmmIEBLQ
(日本の)言語は現存するものの内、最も荘重で、語彙の豊富なものであり、多くのことについてギリシア語、及び
ラテン語に勝り、無数の単語があり、同じ事の言い方が多い。これを学ぶために話すべきこと多く、20年以上
同地方に居る我が国人のみならず、土地の人達も常に新たに学ぶことがある程である。

彼等(日本人)はまた、言語と共に修辞を学び、教養を受けるのである(何れの国語にもこのような事はないと信ずる)
大人と小児、また地位の高き人、低き人と話す方法、及び諸人に対する礼儀を知らねば、日本を知ることは出来ない。
また対手により特別な動詞と名詞、および話し方がある。

我らは既に文法書、およびKalepino、すなわち辞典を編纂し、またNisolio、すなわち大辞典の編纂に着手した。
書く言語は口語と大いに異なり、両方とも語数は甚だ多いが、数語を以て多くの意味を表すことができる。
文字は無数であり、これをすべて知っている人は居ない。
アルファベットは2種類あり、それぞれ40字を超え、多くの形を有する。この他にシナ人と同じ象形文字(漢字)を有し、
これを学び尽くすことは出来ない。
象形文字の他に、同じものについて自国の他の文字がある。

彼等は文字を書くのに多くの技巧を用い、言語に表すことの出来ないことは、これを文字の書きようで表す。
書簡を認めるに当たっては最も謹み、一字も一語も大いに注意して、思慮がないと思われないようにする。

(1586年1月6日付、パードレ・ロレンソ・メシヤ書簡)

日本語についての報告。



359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 21:35:53.51 ID:h5jlcIfj
書札礼とか理解してるっぽいね

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 23:02:02.37 ID:GgIc/kcK
ひらがな、カタカナがアルファベットか
漢字の他にある自国の他の文字ってなんだ?

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/16(火) 00:19:11.20 ID:vveVMLc9
>>360
単純に漢字の単語と同じ意味の、仮名で書く言葉があるって事では

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/16(火) 06:48:13.83 ID:nouJz3M3
楷書に対する草書じゃね?

日本人は他の諸国民と、想像の出来ないくらい違っている

2018年10月13日 17:04

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 14:34:58.06 ID:+oppITPP
日本人は他の諸国民と、衣服・言語・文学。風俗および儀式において、想像の出来ないくらい違っている。
もし人間に種別があるのなら、我々は日本人とは違った種類であると言うべきだろう。

彼等の頭には、通常夏も冬も何もかぶらず、髪もない。衣服は絹および木綿の大きい各種の色物で、
絵があり、腕は肘まで顕にしている。また人々が夏の衣服に衣替えする定まった日があり、冬の衣服に
衣替えする別の日がある。これは確定したもので、何人もその日を間違えることはない。

その食物は他の諸国民と全く異なり。果実も甘いものも食べない。また油、酢、または香料の加わった
ものも食べない。牛乳とチーズは有毒なものとして嫌い、ただ塩のみで味付けをし、ある地方では
塩そのものが食料品である。
大多数の日本人は米と各種野の草や貝類を沢山食べ、野の草と貝類、および塩を以て栄養を取る者が多い。

皆、いかに暑いときでも、耐えられるだけの熱さの湯を飲む。また冬は同じ様に酒を飲む。
饗宴には無数の食物を供するが、その中には必ず生魚が加わる。彼等は大いに喜んで悉くこれを食うが、
パードレ達にとっては、宴会に出ることは非常な苦痛である。何故ならば宴会に出る15ないし20の食物の内、
手を付けられるものは一つもないのに、食わぬことは不可であり、だからといって食うのは相当に苦しい
ことなのだ。
我々が生魚を食わないことを彼等は怒りはしないが、もしこれを食うところを見れば非常に感激し、
彼等を喜ばせるために我慢するほどの者は必ず聖人で、天より来た者であろう、などと言うのである。

音楽は自然なものも、作ったものも不調和で、耳に厭わしく、15分聞くのも大変な苦痛だが、日本人を
喜ばせるために、我々は数時間聞くことを余儀なくされる。彼等は非常に音楽を好み、世の中にこれと等しい
物はないと考えている。一方で我々の音楽は、オルガンで演奏された歌でも彼等日本人にとっては相当に
嫌なものであるらしい。
彼等は祭りのさい様々な演劇をするが、音楽が必ず前奏される。

日本人は一般に甚だ健康であるが、気候が温和で健康に適しているのと、大食をせず、また多くの病気の
原因と成る冷水を飲まないためであろう。そのため病むことが有ってもほとんど薬を用いず、短期間に健康を
回復する。彼等は一切の病に際し、銀の針を胃・腕・背中などに刺す習慣である。また野菜を以て作った
火をつけるボタン(もぐさ)を用いる。

彼等は多くは眠らず、眠りも甚だ軽く、このため茶を飲む。この事と、多く食わぬことより良き判断と
工夫が生じる。彼等は、我々の文字は2ヶ月で覚える。甚だ良い記憶力を有し、少年は皆、いかに
複雑な使いの口上も、言われたとおり正確に伝え、大人たちはキリシタンに成って1年に達せぬ者も
生まれた時よりキリシタンであった者のように我等が教えを説く。

(『イエズス会日本年報』1586年1月6日付、パードレ・ロレンソ・メシヤ書簡)

刺し身の下りが、外国人が納豆食べた時の反応とそっくり



山伏、悪魔と語る不可思議の行為

2018年10月07日 14:57

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/07(日) 14:38:32.53 ID:G7rq19Uf
山伏、悪魔と語る不可思議の行為

日本人は巫術及魔術を好めり。此術に長ぜりと解する主なるものを山伏(Jamambuxen)と云へり。
「円き谷の士」といふ意味にして、彼等は悪魔と親密なることを信ぜり。

此等の魔術家は熱心及敬虔の好評を買はんがに二日、時には三日三夜目を閉づることなく、食事をも取らず。
彼等は此間に不可思議の行をなすが如し。即ち彼等の魔術を用ひて巧に死人を墓より取去る。
而して如何にして之を為すや、又何時之を運びたるかは何人も知らず。
尚彼等は多数協同して死人を起たしむることありと云ふ。
即ち彼等の前に強直になって横臥せる死人に対して呪文を唱ふるに、死人は蘇生して起上ること是れなり。

彼等は三月間の鍛錬、断食、不眠によって自己の修養を完うすれば、彼等は最も親しき知友を招きて
此目的の爲に作れる船に乗り、一同歓喜して身を海中に投ず。

日本人の死を怖れざる所以

凡ての恐怖及死の苦痛を軽んずる風を勧むること、彼等の宗教の如きはなし。若し斯くの如き恐怖に
畏縮する者あれば、之を卑劣漢として共に語るに足らずとす。蓋し彼等の信ずる所にては死は幸福に達する
確なる道なり。此説は古くより日本に受入れられ居たるが、他の地にも多く、殊にゴール、英國、獨逸等に於て
然りとす。

死を怖れざる人々の霊魂は公共の善の為、又は神の為に自己を捧ぐるものにして、死すれば直に楽園に移さると信ぜしなり。

(モンタヌス日本誌)

山伏のこととか日本人の宗教感のこととか


この傲慢で残忍な国民に

2018年09月12日 22:05

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/12(水) 20:36:28.67 ID:UQjlPd0i
事態がこれほどまでの状況に立ち至ろうとは(神よ、救いたまえ)
全く思いも寄らなかったことである。
会社の業務はキリスト教徒の名のために、殆ど足蹴にされてしまった上、
さらに、会社の職員は、(今まで常に行われてきた)勤勉な勤務によって任務を充分に果たすことも、
この傲慢で残忍な国民に満足を与えることもできずにいるが、
それというのも、彼ら(日本人)が(キリスト教に対する憎悪)には事闕かないからであり、
とりわけ、彼らが我々はポルトガル人が崇拝しているのと同じ神と
その子キリストの存在を信じているのを知っているからである。

『オランダ商館長日記』附録「1641年2月10日付けマークシミリアーン・ル・メール宛フランソワ・カロン訓令」


世界周遊記の二十六聖人殉教について書かれている箇所

2017年12月06日 18:58

392 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教1/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:41:53.65 ID:y5l0o7If
世界周遊記の二十六聖人殉教について書かれている箇所

この王は、王国のあちこちにいたイエズス会の神父に対しいくらかの嫌悪感をもっていたため、キリスト教への改宗は非常に遅れた。
彼はイエズス会に与えられていた長崎の町の教会を破壊し、木材(もしくは彫刻)を彼自身の建物のために使用した。
最終的には彼はキリスト教が自国にふさわしいとは思わず、彼の臣下に対しても悪影響があるとの考えから、イエズス会に布教を禁じた。
この王はキリスト教の教義を信じず、しばしば
「法律や宗教というものは、人々を秩序立たせ、謙虚にするために人為的に作られたのだ」と言った。
また死後の永遠の精神や人生についても信じなかった。
おそらく彼は今ごろ地獄で自身の野蛮さや獣的な考えを遅まきながら悔い改め(rimedio)ているだろう。
彼は過ちの中で1599年に70歳?で没したのだ。
死に臨んで、彼は当時5歳のFideyoriという息子を後継者とし、彼が15歳に達するまでは3人の長官にこの国を委ね、
その年齢に達したら国を返すように遺言した。
彼らのうち力のあるものはDayfu様(シニョール)と呼ばれ、Fideyoriの信頼を特に得ていたため、他の2人の長官に嫉妬され、
戦争となり勝利し、並ぶものがいなくなったため国王扱いされた。
彼はXogumと呼ばれるようになったがこれは将軍(capitano generale)という意味である。
そして幼少の王と彼の母をOzzacaと呼ばれる城に住まわせた。
こうして陰謀者に対して正義を公にすることにより、彼はこの国の絶対君主となった。

393 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教2/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:43:37.21 ID:y5l0o7If
長崎で磔にされたキリスト教徒たちに話を戻そう、かの王が朝鮮で戦っている最中、1593年に4人のフランチェスコ修道会の修道士が
フィリピン諸島から来日した。
彼らはスペインでは「跣足(裸足の意味)修道会」と呼ばれている。
彼らはマニラからの大使として、フィリピンの政府から日本国王あての手紙を携えてきた。
この修道士たちは大使として活動するため、王に贈り物を献上し、有名なその国の首都であるMeacoに行く許可を求めた。

彼らは許可証だけでなく、宮廷に小さな家を与えられ、マニラへの帰還が始まるまで住むことが許された。食糧も与えられた。
修道士たちはもともと異邦人の改宗が目的だったため、マニラに帰ることなど思わず、福音を説き始めた。
一方、マニラから来た同じ修道会の修道士も日本にいたため、彼らはともに日本全土に聖なる宗教と、聖フランシスコ会の名を弘めた。
彼らが熱狂的に説教を始めると、人々は、多くの慈悲と献身で祝福された、この最高の秘儀・秘跡の新しい伝道者のもとに群がった。
しかし教皇グレゴリウス13世はこの国ではイエズス会にのみ布教の書簡を与えていたため、破門の可能性があった。
修道士たちは後任の教皇シクストゥス5世の書簡により、特に例外なしに全世界にキリスト教を布教する許可を与えられていたため、
影響を受けなかった。
日本の王は修道士たちが何をしているかをよく知っていたが、見て見ぬふりをした。

しかしある船が難破したことから彼らが何を行っていたか公になってしまった。

394 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教3/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:46:45.64 ID:y5l0o7If
その難破船はフィリピン諸島から来たもので、いつものように中国からヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)に航海するところであった。
船の所有者はスペイン人であった。
逆風で船が壊れてしまい、日本列島の近くに避難し、小さな島Sicocoの有名な都市Tossaに漂着した。
王であるTaico Samaはこれを聞き、彼の法律によりその船の所有権を主張した。
この法律は船が難破した場合、漂着した土地の所有者に船の所有権が移る、としていた。
この法律はその船に乗っているスペイン人にとっては非常に奇妙かつ過酷なものであり、彼らは適用できるとは考えず、
すべての富を失うことに同意しなかった。
そこで彼らはMiacoの王の宮廷に居住していたフランシスコ修道士に積荷の返還を依頼した。
修道士たちは当時は王は彼らに友好関係にあると思っていたため、彼らは喜んで自発的に、
自国のあわれな同胞に積荷を返還するよう、王に働きかけた。
これが彼らの迫害の始まりで、彼らの死に繋がったのである。
「積荷の大部分はマニラに住んでいる我々の同胞のものです、どうかお返しください」という発言に対し、
すでに積荷を自分の所有物であると考えていた王は怒った。
王は「これらの修道士たちはわしのものである船が憐れなスペイン人のものであると言った。この修道士たちは悪人であり詐欺師である。
しかもこいつらは、すでにわしが彼らの無礼な宗教を禁じているにも関わらず、布教をし、多くの人間を改宗させておる。
そのためわしは長崎において、こいつらを改宗者たちとともに投獄し磔にすることを命じる。」
この王の個人的な判決に対し、誰も反論する勇気がなかった。こうして前述の修道士たちは磔にされた。
彼らの家に通っていた20人の日本人もともに磔となった。うち3人はイエズス会士であった。
彼らの内2人は磔刑において修道服を身に着けていた。
こうしてイエス・キリストへの愛のためにCheico元年11月20日に彼らは命を捧げた。
日本では年は13ヶ月に設定され、3月に年が始まる。よってこれは1597年2月5日にあたる。

この後もいろいろな事件があったが、これが最大のものである。
今やイエズス会士に対して迫害の矛先が向けられた。彼らは多くの人々の魂を主キリストのために改宗させたが、教会は閉鎖された。
イエズス会士は自分の服を日本の服に変え、日本国中を秘密裏にさまよい、キリスト教の布教を続けた。
こうして洗礼を受けた人は30万人以上、毎年2万5千から3万人の人が新しく改宗した。
今やこの国は聖職者やキリスト教徒の血の中に浸っており、殉教者は増すばかりだ。
自分の長崎での滞在の時期について言うと、それらの磔にされた死体はこっそり十字架から外され、まともな埋葬がなされた。
十字架には常に警備兵がいて、露見すれば王によって死刑が課されるはずだったにも関わらず。
献身は王による正義よりはるかに大切なものであり、死の恐れをも克服したのだ。



世界周遊記 続き

2017年12月03日 17:19

364 名前:世界周遊記続き 1/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:16:28.04 ID:rOdEpa+v
書くの忘れてたけどフランチェスコ・カルレッティはフィレンチェの商人で、これはメディチ家のトスカーナ大公フェルディナンド1世(1549-1609)
に話している、という形式をとっている。
そのため本来なら丁寧語で翻訳するべきだし、ところどころ「大公殿下」というのが入ってるけど簡略化した。

磔刑に処せられた修道士や他のキリスト教徒に話を戻すが、その前に日本について語る必要がある。
日本の島々はヨーロッパの東の果てであり、北緯30-36度のアジアの最遠部に位置している。
全長900マイル以上、最大の島は750×180マイルで55の王国があり、他の2つの島には11の王国がある。
多くの大都市と無数の人口があり、景観は良い。米が特に豊かで、穀物、野菜、果物にも富んでいる。
特に皮ごと食べられるオレンジを含めた柑橘類を強調しよう。
オレンジは我々のレモンに似ており、cunebes(九年母?)と呼ばれる。また桜桃ほどの小さなレモンに似た柑橘類もあり、
これも皮ごと食べられるし、ジャムにしてもおいしい。
(この後フィレンチェに持ち帰った種の話あり)
梨もあり、非常に大きくて瑞々しい。皮は非常に薄く剥くことは難しい。梨、桃、杏は砂糖漬けにすると美味である。
ぶどうはほとんど見られないが、聖職者たちが見本市のためにワインを準備することもある。
メロンは多量に入手可能であるが、風味、品質は異なる。
皮ごと食べられ、キュウリのように切り分けられる。緑の状態で塩漬けされているので、保存可能である。
オリーブは全くないが、すべての野菜、特に白いカブや大根(人間の太ももよりも大きいものまである)。
身を縦に細かく切断して美味なサラダを作り、葉を塩漬けし、乾燥させ、特に冬にはスープの実とする。
他の野菜と混ぜて、塩漬けして乾燥させる。
メインディッシュとしては、新鮮、もしくは乾燥した魚を使う。
魚は安く大量に入手できる。生のものを食べることも多く、そのために大量の魚の血液が入り、癩病患者が生じた。
misolと呼ばれる調味料があり、さまざまな豆から作られている。
ワインを作る米と混合し、発酵させて非常に味わい深いソースにもする。
そのソースに少しの味噌を加えることによって、味を完璧にととのえる。
スープはshiroと呼ばれ、すでに述べたように野菜、果物、魚を具としている。
また野生動物の肉もおかずとすることがあり、パンの役割を果たす米とともに食べられる。
米は単に水でゆで、赤い漆塗りの木製の鉢で供される。
食べ物はとても清潔で、手で食べ物に触れることはない。
食べるときには、薄くて滑らかな2つの棒を使う。木製、銀製または金製であり、fasheと呼ばれている。
親指と人差し指の間で棒をつかみ、薬指と中指でもう一つの棒の端を握り?、もう一方を指に挟む。
次に、料理をもう一つの手でもってきて、両方の棒の端を一緒に持って行き、手を汚すことなく、非常にきれいに食べる。
すべての食べ物がテーブル上で分けられるので、テーブルクロスもナプキンも手洗い水も使用されれない。
食器は四角い漆塗りの盆上に置かれる。米は生の時はkome、調理するとmeshiと呼ばれる。
食べる時は希望の食べ物がある鉢をもってきて、驚くべき手さばきと速さで、2つの棒の助けを借りて口に食べ物を送る。
夏・冬にかかわらず、ワインは常に暖かく非常に少しずつ、我々がワインをグラスで行うよりも楽しげに飲む。彼らはかなり酔う。
たくさんの牛もいるがキリスト教徒とは違いほとんど食べない。
牛乳も飲まず、日本人は「まるで血を飲むようなものだ」と嫌う。そのため牛は木材などの運搬にのみ使用される。
鶏や豚やヤギもいるが非常に安く、食べることは稀である。
動物が非常にいるのに彼らは使用方法や飼育方法について理解していない。
ツグミはたくさんいて、1クアトリーノで大量に購入し、食べることができた。

365 名前:世界周遊記 続き 2/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:17:59.37 ID:rOdEpa+v
ジュリオ金貨はここでは銀のかけら7-8個分と交換できた(非常に銀鉱山が豊富であるため)。
彼らはこの銀を小片に切り、必要なものすべてを買う。
もちろんkasheとよばれる銅貨もあり、文字が書かれており、より簡単な買い物ができる。
銅貨10枚が銀のかけらの価値があり1コンデリノ(conderino)の価値である。
10コンデリノは1メス(maes)の価値であり、10メスは1両(テールtael)の価値でる。
1テールはスペイン11レアルの価値に相当する。
島々はすべてで非常に肥沃であり、野鳥が多い。キジバトは我々のものと似ているが、味は苦い。
火縄銃を使い一弾で撃ち抜かれる。そこの人々は優れた狩人である。
ここでは非常に安価で人生を過ごすことができ、1000スクードあればイタリアでの10000スクード以上の生活ができる。
オリーブさえあればいいのだが。
イエズス会の神父たちはよく育つオリーブやブドウを導入したが観賞用にしかなっていない。
しかも人々は戦争と食糧である米にしか興味がない。
小麦もあるが、パンは作らず様々な形にして食べられる。ただほとんどの小麦は手作業の臼で粉砕され、フィリピンに輸出され、
スペイン人のパンとして消費される。

366 名前:世界周遊記 続き3/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:19:56.42 ID:rOdEpa+v
私が日本王国に来た時の支配者は、Taico Samaであり、彼は自分自身をQuam Bacco、またはDonoと呼んでいた。
兵士になる前はFaschibaと名乗っていた。
彼は生まれつきの王でもなく、王の血筋でもない。
武力と自身の才能によってこの地位に到達したがもともと貧しい農民の出身であった。
兵士となり、Nobunanga王の戦において将軍に任命された。
王が不運の末に落命した時、彼は残党を集め、自身の幸運をつかんだ。
彼は優勢な他の勢力すべてをうちやぶり、唯一の勝利者として、76の王国の支配者となり、すべてを自分の法のもとに服従させた。
彼は賢明な暴君としてこれらの王国を統治し、安定させた。
まず、彼は王や高貴な血筋の人々すべてを殺したため、君主制を主張することができた。次に、彼はすべての支配権や王国を交換し、
支配者・被支配者間のつながりを断った。
そして最も重要な事は、彼は王国を引き継いで新しい戦争を誘発することにより、同じ武器と軍隊を送り出すことで君主制の存続を確保した。
彼は軍隊をKorea、(中国語ではTchoschinやFauschen)と呼ばれる半島に送り出した。
その半島は中国とは北京地方の北部の国境に接し、東側には海があり、南側には日本の島がある。
朝鮮と日本の島々はとても近く、Goto、Ischu、Tsuschimaがある。数時間でそれぞれの間を小舟で通うことができる。
この戦争では、日本は常に30万人以上の軍隊を持ち、いくつかは歩兵であり、一部は騎馬である。
彼らは右側から馬に登り、踵を上に載せる奇妙な鐙に足を載せる。
手綱は両手で保持し、片側をもったまま、他方の側を引いて操作する。
手綱は絹または綿でできており、馬の口には非常に単純な鉄の轡を食ませている。
戦闘では、彼らは胸に手綱を付け?、武器を手で操作しながら身体の動きを通して馬を操作する。
武器は、火縄銃、槍、弓、矢、反った刀を用いる。
彼らはベルトに2本か3本の刀を身に着けており、 1つは大きく、もう1つはかなり小さい。

日本ではそれぞれの領土の統治者が王のすべての命令に従わなければならず、特に戦争の場合、それぞれの軍団は個々の統治者に属している。
この時、朝鮮のほとんどの地方に軍団が送られ、当初沿岸部の占領に成功したように、しだいに内部を征服していき、
最終的には大きな中国帝国を支配するだろうと人々に思わせた。
この過程で、彼は平和であり、彼に対して苛立たせるようなことをしなかった、外国の土地を破壊した。
それにより自分自身の国を政情不安から救うことには成功した。
韓国の領土は9つの州(道)に分かれており、その王国の主要な州であり首都、Kienkwi(京畿道)、Konluan(江原道?)、 Honhei(黄海道)、
Tschula(全羅道)、Hientsion(慶尚道?)、Tiontschon(忠清道)、Hankien(咸鏡道)、Piankin(平安道?)である。
これらの州、特に沿岸部からは、数え切れないほどの、あらゆる年齢の老若男女が連れてこられた。
彼らは非常に安く奴隷として売られた。私自身1人あたり12スクードで5人を購入した。
私は彼らに洗礼を受けさせた後、インドのゴアで4人を解放し、フィレンツェに1人を連れて来た。
彼は現在ローマにおり、アントニオの名前で知られている。
この戦争では、朝鮮は中国の援助を受けたにも関わらず大変苦しんだ。
多くの日本の統治者は、子供や相続人なしに死亡し、暴君によって土地や財産が没収された。
戦時中に起こした小さな過ちにより、多くの人が全財産を没収され、帰還を禁じられてしまった。
このように戦争は国外で行われ、同時に国の各統治者は海外にいたので、暴君は国内で好き放題することができた。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:22:09.66 ID:rOdEpa+v
そしてこの後やっと
最初の「二十六聖人殉教」の話になるのだが、ここまでの記述が本当に前置きとして必要なのか疑問がないでもない
なお、イタリア語→ドイツ語からの重訳なので間違いがあったらすまない



368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:28:35.13 ID:iJDGspVX
貴重な資料ありがとう

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 01:20:18.51 ID:uUkaIf3V
Quam Bacco これは「かん・ぱく=関白」かな?

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 01:44:53.16 ID:+0ZwsF3T
Google booksで全文が見られるイタリア語のPDFを見たら
cunebes→cunebo
Tael→Fael
Quam Bacco→Cambacu, Qiambacco dono
Faschiba→Fasciba Chicugim
朝鮮の八道:Quienqui, Conguan, Honliay, Cioala, Hiension, Tioncion, Hanquien, Pianchin
全体的にこっちの方が正しそうだ

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 06:13:40.19 ID:dpzl1KKb
長くて途中断念した…

373 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/12/03(日) 09:00:31.41 ID:1vx06qkC
>>365

  ∧_∧
  (´・ω・) ちょ、待てよ
  (っ=川o
 ̄ ̄`ー―′ ̄\

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:06:04.37 ID:URrFfOI6
パン以外のものって何があるんだろうクレープかな?

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:06:07.32 ID:18MU0qOu
>>373
喰いたかったらもっと銭をつめ

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:09:58.75 ID:18MU0qOu
>>374
そういう巻きモノ包みモノ系だろうね
ブリトーとか

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:42:05.16 ID:OIO6JQRW
読んでわかったこと:イタリア人は飯にうるさい

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 10:28:16.63 ID:JMQ/SMb6
>>374
千利休も大好き麩の焼き

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:29:16.32 ID:QQkIG4Ka
油揚げ?

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:38:45.45 ID:XqD0E49h
>>364-367
長いけど面白かった、メロンがすでにあったり、動物ほとんど食べないってほんとなんだな。
牛乳を飲まないのが血を飲むみたいだからってのが不思議だ、
母乳が血液から作られる事知ってたわけじゃないだろうに。

>驚くべき手さばきと速さで、2つの棒の助けを借りて口に食べ物を送る。
びっくりしてる外人想像してワロタw

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 12:26:07.59 ID:g6m+uhbE
オレンジは我々のレモンに似ており、cunebes(九年母?)と呼ばれる。→かぼす?
また桜桃ほどの小さなレモンに似た柑橘類もあり、これも皮ごと食べられるし、ジャムにしてもおいしい。→金柑?
メロンは単純に瓜のことじゃないかな

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 14:07:13.02 ID:tpESGco9
惟任日向守「( ゚д゚) ガタッ」

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 12:55:16.26 ID:SiL0DKM/
>>364-367
面白かった
当時の日本の習俗を客観的に記録して残してくれててありがとうだわ
当人らにとって当たり前のことって一々記録に残さないもんだろうしね

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 14:22:29.23 ID:IzyA4UNO
肉食禁止令が枷となって日本の食文化は歪なものになったね
五畜以外なら食ったとか支那じゃないんだから

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 15:08:44.19 ID:XDyDCEW0
メロンはマクワウリやろな

フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

2017年11月29日 23:01

351 名前:世界周遊記1/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:19:52.11 ID:8aW+PcUz
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

1597年5月、我々は日本のソマ船に乗って日本を目指した。
(船の説明が続く、錨が木製などの記述あり)
フィリピンから1000マイル航海し、日本の島に入港した。
長崎に到着したのは1597年6月のことであった。
入港後、役人がやってきて王の命令ですべてのフィリピン製の陶器をその場で買うと伝えられた。
信じられないかもしれないが本当だ。
それらの陶器は5000か6000から10,000スクードもしたが、それらは1ジュリオの価値もないものであった。
(なお1615年にフィレンチェでスペイン人のルイス・ソテロ宣教師が語ったことによれば、
ある陶器が130,000スクードもしたという)
それらの陶器は茶を10年にも20年にも渡って新鮮に、緑色に保つためそれほどの値段がつけられたのだろう。
人々は茶を日々飲むがそれは味というよりも薬として飲んでいる。
茶を濃くすれば胃腸に効き、消化を促進する。興奮も抑えられるので食後に飲むといい、夕食後飲むとよく眠れる。
客を歓待するときにも茶を勧めるが、それはちょうどフランダースやドイツでワインを接待に用いるのと同じだ。
日本ではワインは米から造られ、造る際には、むされてから灰が入れられる。その後水が混ぜられ発酵する。
それから濾過すれば口当たりのよい酒ができる。
また、香料を入れる特別な酒もあり、これは秘密を漏らさない金持ちにのみ振る舞われる。

352 名前:世界周遊記2/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:21:13.73 ID:8aW+PcUz
我々が長崎を歩いていると、劇的な光景がとびこんできた。
6人の哀れな聖フランシスコ修道僧と20人の日本人キリスト教信者(3人はイエズス会員)が1597年2月5日に磔刑に処せられたものであった。
彼らは十字架にそのまま残されていた。十字架は我々の主がつけられたものと似ていた。

磔刑について:釘の代わりに鉄輪が木に打ち込まれ、手首、首、足首が固定される。
役人により槍が右側から刺され、心臓を貫き左の肩から突き出される。
しばしば二人の執行者が行うため、槍は身体の中で交差し、犠牲者は即座に死ぬ。
それでも死ななければ喉や心臓に刺してとどめを刺す、こうして磔刑にかけられた者は非常に早く死ぬ。
これが通常の日本における磔刑であるが、罪に応じて十字架の上で生きながらえさせ
苦しみや飢えのもとで殺す場合もある。
母乳で育てている女性や子どもでさえも十字架にかけられることがある。
これは正義をなすため、個人の犯罪に家族も連座するためである。
放火などでは近隣住民も一緒に処罰される場合がある。

353 名前:世界周遊記3/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:23:13.75 ID:8aW+PcUz
私が滞在していた時、非常に軽い犯罪のために多くの人が十字架にかけられた。
例えば、大根を盗むなどの死に値しないような軽い罪である。
人の命はハエの命ほどの価値もなく、すべての道で左右に男女、少年、少女のぶらさがる十字架が見えた。
また、彼らは頭のない死体を使って、cataneと彼らが呼ぶサーベルをテストする。
特に苦もなく骨ごと死体を両断できた時には賞賛される。
そして刀に高い値段がつく。
このような試し斬りをするために、剣の所有者は誰かが処刑されるところに出向き、
処刑執行人が首を切断すると、彼らは死体をつかみ、裸にし、十分な広さのところに横たえる。
体がななめにずれないように杭で固定し、刀を鞘から抜き死体を真っ二つにする。
ただしうまく両断できるのは稀なケースである。
その後、刀は刃こぼれがないか検査され、結果に応じて刀は非難されたり賞賛されたりする。
しばしば刀は20,000から30,000スクードの値段が付けられる。
その後、死体は他の人々によって試し切りをされたあげく全身が解体され、犬や鳥の餌となる。
これは我々の眼にはおそるべき残虐な行為であるが、人々はそれを娯楽とみなし、嫌悪感や興奮を感じることはない。



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:13:08.27 ID:AnDw7w58
興奮も感じないとは興味深いな

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:15:42.24 ID:2mHtLpqa
ヒャッハーすぎるわ。

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:33:30.02 ID:a2a+/ntH
>>349
華の慶次に出てきそうな描写だw

>>353
修羅の国すぎるw

357 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 15:38:11.14 ID:WjRnPd3H
>>353
当時の酒飲んでみたい。アルコール度数は低いと聞くけど、どんな味やら
>>356
でも、射抜かれたの味方なんだぜ…

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:46:41.45 ID:O2V6oJYG
スクード金貨3枚くらいが一家4人のひと月の生活費だっけ?
雑器として使われていた坪が一生で使いきれないような金にばけるのか

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:57:43.93 ID:3OyeMpp8
修羅スギィ
しかし娯楽とみなしてるわりには興奮もしないのか

360 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 18:24:46.18 ID:WjRnPd3H
>>359
そら戦国乱世でそこいらの、農夫ですら人1人殺傷経験が有ってもおかしくない時代だからなぁ
女だって戦の後は生首の化粧やってた時代だし

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 17:56:35.21 ID:JaAPim4b
魔女狩り異端諮問十字軍と異教徒を人間扱いしなかったお前らがゆーなっての

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:06:24.35 ID:iKIyFP4P
「お前ら」の範囲広すぎィ!

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:15:07.13 ID:Xs4NEy7t
戦国時代は窃盗等に関しては超厳罰主義だったから仕方がない
まぁ奴隷商人風情に四の五の言われたくない気持ちは分からんでもないが

ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン

2017年11月26日 16:08

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 17:05:50.22 ID:TxoaurS2
ルイス・フロイスによる不思議の国ニッポン的な作品「ヨーロッパ文化と日本文化」よりいくつか

・われわれの間では彩色した衣服を着ることは軽率で笑うべきこととされるであろう。
日本人の間では坊主と剃髪した老人以外は一般に、すべて彩色した衣服をつけている。
・われわれはいつでも唾を吐き出す。日本人は概して唾を呑み込む。
・われわれの間では、貴族が鏡を見ていれば柔弱な行為と考える。
日本人の貴族は衣服を着るために、誰でも鏡を前に置くのが普通である。
・ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と貴さは貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。
日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚もできる。
・ヨーロッパでは夫が前、妻が後になって歩く。
日本人では夫が後、妻が前を歩く。
・ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。
日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。
・汚れた天性に従って、夫が妻を離別するのが普通である。
日本では、しばしば妻が夫を離別する。
・ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。
日本では娘は両親にことわりもしないで、1日でも幾日でもひとりで好きなところへ出かける。
・ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない?日本の女性は夫にしらせず、好きな所に行く自由をもっている。
・われわれの間では女性が文字を書くことはあまり普及していない。
日本の高貴な女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。
・ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。
日本では男性がそれを作る。
・ヨーロッパの女性は人に見られずに道を歩くために頭巾をつける。
日本の女性は道を行く時、頭にタオルを被って結び、両端を顔の前に垂らす。
・ヨーロッパでは白粉一箱あれば一国の需要を充たす。
日本にはそれを積んだソマ船が多数渡来するがそれでもまだ足りない。
・われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ(言葉?)によって譴責するだけである。
・ヨーロッパの子どもは青年になってもなお口上ひとつ伝えることができない。
日本の子どもは十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。
・われわれの子どもは大抵公開の演劇や演技の中ではにかむ。
日本の子どもは恥ずかしがらず、のびのびしていて愛嬌がある。
そして演ずるところは実に堂々としている。
・われわれの間では子どもは度重ねて親戚の家に行き、彼らと親しく交わる。
日本では親戚の家には滅多に行かない。親戚を他人のように扱う。
・われわれはすべてのものを手を使って食べる。
日本人は男も女も、子供の時から二本の棒を用いて食べる。
・われわれの間ではフライにした魚をよろこぶ。
彼らはそれを好まない。
・われわれの間では膿瘍を火で焼く。
日本人はわれわれの外科の過酷な治療を受けるよりも死を選ぶだろう。
・われわれの手紙はたくさん記載しなければ意見を表すことはできない。
日本の手紙はきわめて短く、すこぶる要を得ている。
・ヨーロッパでは水を流すために街路の中央部が低くなっている。
日本では中央が高く、家々の側が低い。それに沿って水を流すためである。
・われわれの間では悲劇でない劇が演ぜられる場合、場面を分けない。
彼らはいつも場面を第一、第二、第三などとわける。
・われわれの劇は談話によって演ぜられる。
彼らのはほとんど常に歌い、または踊る。
・われわれの間では種々のものを贈るのは親愛のしるしである。
日本では贈物が少なければそれだけ礼儀正しい。
・われわれの間では人が贈物として持ってきた物は、その同じ人にこれを勧めることはできない。
日本では親愛のしるしとして、贈った人とそれを受けた人が、すぐにその場で試食しなければならない。
・われわれの間では球戯は手でする。
日本人は足を使って遊ぶ。
・われわれの間では贈物は空の小箱に入れ、リボンを付けないで贈る。
日本では糸で束ねる紙を貼り付ける。
・われわれの間では従者がその主人夫妻を自分の家に招く慣習はない。
日本ではそれがしばしばおこなわれる。義務としておこなわれることもあり、そうでない場合もある。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 18:06:47.15 ID:TxoaurS2
「ヨーロッパ文化と日本文化」にはこんなのもあった
・われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。
日本人は毛抜きを用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのことは苦痛と涙を伴う。
・われわれのロウソクは本が太くて先が細い。
日本人のは先が太くて本が細い。

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 19:41:58.59 ID:TxoaurS2
なおお気づきかもしれないが、特に現在の日欧の文化と逆のようなものを優先的にピックアップした。
元の本では宗教についての章も立てられてたけど、カトリックと比べて肉食妻帯当たり前の無信心者、悪魔崇拝者というような記述しかなかった。



460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/25(土) 19:17:29.54 ID:Qeo9lrtY
>>456
日本が上回ってる所もあれば逆もあって面白い。
まあ文化と時代の違いもあるから一概にどちらが良い悪いとも言えないけど。

「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子

2017年06月13日 15:29

859 名前:「南蛮寺興廃記」3[sage] 投稿日:2017/06/12(月) 20:13:59.55 ID:NCJxUsnF
「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子

是を伝聞して五畿内は勿論、四国・中国・京近国来集すること夥し。
南蛮寺は日々群衆を成すと雖も宗に帰伏せざる者には本尊を拝することなし
南蛮寺には此の群衆の人にはいささかも構わず洛中洛外へ人を出し或いは
山野の辻堂橋の下などに至るまで非人・乞食等の大病難病等の者を尋ね捜し
召し連れ来たらしめ風呂に入れて五体を清め、衣服を与えて之を暖め、
療養しける程に昨日の乞食、今日は唐織の衣服を身に纏い病も自らこころよく
快復せるたぐい多し。なかんずく癩・瘡等の難病、南蛮流の外療を受け
数月をへずして全快し誠の仏菩薩今世に出現し救世済度したまうなりと
近国貧賤にて我が力に叶わざる者、或いは諸医の療養に治すこと能わざる者
貴賤ともに南蛮寺に群衆すること斜めならざりけり。
両イルマン悉く是を南蛮寺に留めて良薬を施し医療半ばに快復する病人共を率い
是等に説いて曰く、「そもそも我が本国は四十二箇国といえども此の国の類に非ず。大国なり。
然れども天に帝釈を敬うが故に貧賤の者なく難病に侵さるる者なし。
我が国王仁慈にて国民を憐れみ恵む。其れ世界の諸国此の天帝を崇敬して貧苦病難の
患を逃れ現安後楽の宗法を知らず。今生の苦患のみならず未来永劫の罪に陥ることを
憐れみて今我等の如き者を世界に渡して此の天帝の法を弘通せしたまう所なり。
此の日本等の如きは天帝を敬うことを知らざるが故に貧賤なる者多し。
是より起きて邪欲深く盗賊悪党をなし、或いは難病等の患いに沈みて未来善所の願も
叶わざれば、貧なる時は邪起こる。邪起こる故に難病又身を責む。
されば今生の病は我等の療養を以て治するも未来の難病は治する能わず。
身の不浄は洗えども心の不浄は大海の潮にもさらし尽きず。
然るに今世に邪なる事をなさずと雖も悪病貧苦に責めらるる者は前生の悪業のしからしむる所なり。
しかれば其の前生を果たさずるは永劫の罪遁るること能わず、各々心を清浄にしめ
未来の悪縁遁るるや遁れざるや此の鏡を拝せらるべし」とて三世鏡と号する宝鏡を恭しく
掛けて拝せしむ。此の者共心に信心を起こし未来の仏を見ること誠に有り難きことなり。

860 名前:「南蛮寺興廃記」3[sage] 投稿日:2017/06/12(月) 20:16:10.07 ID:NCJxUsnF
是を拝みけるに或いは牛馬鳥獣の形、或いは醜偏形の類、鏡に映りて顕れければ
此の者も驚き怖れ泣き悲しみ天帝の大慈悲を垂れて未来の罪を助けさせたまえと両イルマンに
嘆きければ両イルマン曰く「各々嘆き悲しむ所、最もなり。天帝を崇敬する所の真言を授け
与うべし。心を清浄にしめ他念なく此の数珠を以て真言を一遍唱えて一粒ごとに繰るべし」と云い
四十二粒ある数珠を与う。陀羅尼文

配後生天破羅韋 増有前生摩呂

七日の間、昼夜悪念を生ぜず此の真言を唱えて両破天連へ拝謁し天帝の宗経を戴き
天帝の御影を拝せば今日の鏡にうつる所の未来の罪業消滅しめ天帝の大慈悲を蒙るべし、と
教化しければ皆同音に真言を唱えて七日信心を凝し昼夜に真言を唱う。
両破天連両イルマン愚蒙を誑かして邪法に陥るること是等の方便なり。
(此の後寛永十五年天草原城攻めの時既に城中同音に唱えたる真言あり)
サンタマリヤ、サンタマリヤ、斯くて七日勤行をいたせば、両イルマン此の者共を
率いて仏殿に至るに美麗荘厳金銀をちりばめ金襴錦の幡翻り。各香薫し渡り光り輝き
真に極楽の七宝荘厳もかくやあらんと思うところに、両破天連、金襴の衣を纏い
仏殿に出、又真言を授けて天帝の宗法を説き畢りて両破天連を拝せしむ。
両イルマン又其の者共を率いて三世の宝鏡を拝せしむるに前度の像に引き換えて
天子の容貌四十二相を具え我が身知らず天土に至る心地にて愚蒙の者共声を放ちて
悦び泣き、両破天連曰く「汝ら七日真言を唱えると雖も心既に改めて天帝を尊敬するが
故に今世にて天上に通達しめ天帝の恵みを得たり。面々決して天帝の尊恩を忘れ奉らず。
たとい今世は火・水・磔・牛裂き・車裂きの苦しみを受けるも其れを以て未来永劫の苦に
替え、今拝し奉る所の天上に至らんと思うべし。
しからば天帝本尊を拝せしめん。
クルスという物を取り出す。此のクルスという者は黄金を以て先二寸四分程にして針を植えたる如く
にして(今の山葵卸という物の如く)二尺計りの柄を付けたる物。
彼の者共の肌を脱がせ彼のクルスを以て脊を抓むしる。骨痛み血流れ出る所の血を以て
左右の手に塗りて両手を合わせて帝釈天の画像を拝せしむ。
(此の南蛮の礼を行うがゆえに日本にて仏を拝する礼と異なりと云えり。生涯の悪を悦ぶ
と云わば未来永劫の苦にかわると云う心なるべし)。
金襴の戸帳を巻き揚げれば容顔美麗なる女体の尊容、懐中に小児を抱き乳を含めたる本尊なり。
玉の冠を戴き、身に七宝の衣を穿きたり。両破天連示して曰く「此の帝釈天は智慧を世界に
降し汝らの悲苦を以て母の子を懐に抱入れ、乳を飲する如く憐れみ恵み給う。
必ず今世を顧みることなかれ、未来永劫をたのみ奉るべしといいければ
多くの者共血まみれの手を合わせて拝して退去す。
また追々集まる所の病人快復を得、難治の者共死する(死せざる?)も数多なり。
大難病にて諸医の力に及ばざる者快復を得たるも三十人に及べる。斯くの如くの方便を
以て追々此の門徒に起伏する者夥し。

新興宗教セミナーのような書かれ方(セミナリオだと学校だ)
※国会図書館デジタルコレクションからの転載なのでコピペではありません。


「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと

2017年06月10日 21:20

9 名前:「南蛮寺興廃記」2[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 18:59:32.61 ID:eAHh5iIP
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと

寺の結構荘厳眼を驚かす。又ウルカン一人にては弘法力に叶うべからず。
本国より数人召しよべしと命ぜられる。ウルカン悦びて本国へ申し送る。
そもそも南蛮切支丹国と云うは国号イスパニヤならびにポルトガル、カステラと
云う海上日本里程一万二千余里世界の国を以て見る時は唐土日本よりは日本より
西方に当たる国なり。然るに南蛮と号することはこの国の従属の亜媽港、
呂宋等、日本の南方に当たれり。故に南蛮と号する者か。
アマカワ、ルスン等は日本より里程八百里にて殊に日本より南に当り、
イスパニヤの隣国にも非ずしてその国の従属たるアマカワ、呂宋等は守護も無き
島なる故南蛮人往々に其の島に船を止め今は南蛮人多く住居するが故に類属の国なりと云えり。
イスパニヤ隣国にエグレスと云う国あり(インギリヤともイギリスとも云う)
阿蘭陀の西に在る島国なり。日本里程一万千七百里と云う。
此のイギリスは南蛮国と別種なる由、云い伝う。
斯くてウルカンが本国より渡来するは浮羅天破天連、計理故離イルマン、弥理居須イルマンと云う。
(破天連と云うは師のごとく、イルマンと云うは弟子のごとく)是等が乗るところの南蛮船、
若州(若狭国)小浜に着船す。
南蛮人若州より江州海津へ至り船を湖上に浮かべて大津に至り京都南蛮寺に入りて
ウルカンに謁し信長へ注進す。信長悦びて安土へ召し呼ばわる。
浮羅天破天連はウルカンより背高きこと一尺五寸。色青く髪髭黄色なり。
衣類はウルカンが如く、相隣の両イルマンは医術外治ともに奇妙なり。
(最初ウルカンが安土へ来たりし時より南蛮人奏者は長谷川竹(秀一)に命ぜられる)
今般は六種の捧げ物あり。瑠璃の宝珠、香一包、犬皮十枚、瑪瑙の机一脚、虎皮十枚、
五色羅紗五十枚献上す。
不日に南蛮寺へ帰り重ねて信長へ訴え曰く。天帝宗はあまねく病難貧苦を救いて
起臥を安んじ法を伝え、現安・後楽の願望を成就す。
薬園を給いて薬種を植え、其の備を成さんことを願う。
信長許諾して山城近国の内其の地を選ぶべしとありければ、両イルマン江州伊吹山を願い得、
此の山に登りて五十町四方切り開き薬園として本国より三千種の薬草の苗種を取来せしむ。
伊吹山にこれを植え(此の故に今二百年の後までも其の根此の山に止まりて川芎艾(もぐさ)の類
此の山を以て名産とす。)それのみならず本国より財宝おびただしく取り寄せて
金銀に替え七宝の瓔珞金襴の幡錦の天蓋六十一種の各香、門外まで薫し、往来の人々止まる。
(此の寺常に一仏壇に本尊を立てすと云えり)。

落語「亀屋」に出てくる、灸に使う艾の宣伝文句が「江州伊吹山のほとり、柏原、本家、亀屋左京、薬もぐさよろーし」
だったけど、もとをたどればイエズス会のおかげだった?



10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 19:08:57.96 ID:eAHh5iIP
よく考えたら百人一首の藤原実方の歌で
「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
とすでに歌われていた

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 23:14:49.81 ID:M6wlLfbw
俺も気になって調べたけど、イエズス会側の史料で薬草うんぬんの話は見つけられなんだ

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/10(土) 13:46:44.58 ID:MzfslN0X
>>9
>若州(若狭国)小浜に着船す。

まーた小浜か
前にもアラジンとかいう名前のイスラム商人とかも流れ着いてなかったっけ?

「フロイス日本史」から、戸次川の戦い

2017年05月30日 18:11

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/29(月) 21:31:52.86 ID:pxsQt+cT
(豊後国主の)嫡子は、薩摩軍が攻めてきた時に身を守り得るために、
他の二名の主将(仙石秀久長宗我部元親)とともにウエノハル(上原)と称するある場所に一城を築くことに決した。
だが彼らは心して真面目に築城の作業に従事しなかった。
彼らの不用意は甚だしいもので、饗宴や淫猥な遊びとか不正行為にうつつを抜かしていたので、その城は笑止の沙汰であった。
したがって(薩摩軍が来週した時に彼らが)助かることなど思いもよらないことであった。

ところで国主フランシスコの息子パンタリアン(田原)親盛は、司祭に対して、
もし府内で何事かが起こった場合には、司祭は家財を携えて城(妙見城)に身を寄せるようにと伝えていた。

薩摩の軍勢は惰眠をむさぼることなく、攻撃力を強めながら、漸次豊後に進入して領地を奪っていった。
豊後の指揮官たちは、常軌を逸した振る舞いによってますます油断の度合いを深めていた。

本年一五八七年の一月十六日(西洋暦)、薩摩の軍勢は、
府内から三里離れたところにあるトシミツ(利光宗魚)と称するキリシタンの貴人の城を襲った。
城主は府内からの援助を頼りに力の限り善戦した。
だが敵は攻撃の手を緩めず、ついに武力によって城内に進入し、その城主、ならびに多数の兵士を殺害した。

府内にいる味方の勢は、(利光の)城が占拠されているかどうか確かなことを知らないまま、
赴いて囲みを解くべきかどうか評定を続けていた。
結局、彼らは出動することに決め、栄えある殉教者聖フィビアンと聖セバスティアンの祝日に府内を出発した。

府内からは、仙石がその兵士を率い、土佐国主長宗我部とその長男がその兵士を伴い、
さらにパンタリアンも兵を率い、その他豊後の特定の殿たちが出発した。
清田と高田の人々に対しても出動するよう命令が出された。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/29(月) 21:32:45.50 ID:pxsQt+cT
薩摩勢は、それより先(豊後勢の動静を)知らされていたらしく、余裕をもって策を練り、
準備を整え、一部少数の兵士だけを表に出して残余の軍勢は巧妙に隠匿していた。

豊後勢は、大きく流れの速い高田の川に到着し、
対岸に現れた薩摩勢が少数であるのを見ると、躊躇することなく川を渡った。
そして豊後勢は戦端を開始した時には、当初自分たちが優勢で勝っているように思えた。
だがこれは薩摩勢が相手の全員をして渡河させるためにとった戦略であった。
渡し終えると、それまで巧みに隠れていた兵士たちは一挙に躍り出て、
驚くべき迅速さと威力をもって猛攻したので、
土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。
こうして味方の軍勢はいとも容易に撃退され敗走させられて、
携えていた鉄砲や武器はすべて放棄し、我先にと逃走して行った。

豊後国の人たちは、河川の流れについて心得があったから助かったが、
仙石と長宗我部の哀れな兵士たちは他国の者であったから、浅瀬を知らず溺死を余儀なくされた。
こうしてその合戦と破滅において、二千三百名以上の兵士が戦死したと証言されている。
彼らの中には、土佐国主の嗣子や、かつて阿波の領主であった十河殿、その他大勢の貴人や要人が含まれていた。

薩摩勢は、その日の午後には府内から四分の一里の地点にまで到達し、
その途中にあったものをことごとく焼滅し破壊した。




「フロイス日本史」から、戸次川の戦いについての記述である。


「太平記」とよばれる歴史物語

2017年04月18日 18:23

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 21:37:32.59 ID:MsDcnCUQ
ジョアン・ロドリゲスは過去にも何度かスレに出てきたポルトガル出身のイエズス会宣教師で
10代後半を日本で過ごし耳川の戦いにも参戦し、日本語に関する「日本大文典」「日本小文典」を書き、
明の軍事顧問をした人物だが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8123.html
集英社のシリーズ<本と日本史>④「宣教師と『太平記』」の日埜博司編訳ジョアン・ロドリゲス『日本小文典』から孫引き

まさしく日本語でものされているというふさわしい書物で、生徒たちに講じてやってもよいものを、
クラス別に分けてみるとつぎのようになる。
第一のもっとも低いクラスには「舞」および「草子」がくる。
第二のクラスには「撰集抄」「発心集」というものがはいる。
第三のクラスには、歴史物語を意味する「物語」という名の書物がはいる。
たとえば「平家物語」「保元平治物語」がそれ。これらはこのジャンルに属するもののうちでは
ひときわ優れたものであり、いちだんと優雅な文体からなるものである。
第四のクラスには、「太平記」とよばれる歴史物語がはいる。
これは日本にあるもののうちもっとも荘重で高尚な文体のものである。

「宣教師と『太平記』」では、太平記を平家物語の上位に置くという考えをロドリゲス特異のものでなく
戦国日本の評価をある程度反映したもの、と論じているが、興味深かったのでロドリゲスに関する話として


ギョーム・ポステルの日本観

2017年04月16日 17:56

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 20:11:15.64 ID:5urH6aPk
ウィリアム・J・ブースマ「ギヨーム・ポステル 異貌のルネサンス人の生涯と思想」より、ギヨーム・ポステルについて

西欧の言語はもちろん、ヘブライ語、アラビア語など様々な言語を習得し、
すべての言語はヘブライ語に由来するといった本を記述し、比較言語学の創設者の一人とされ、
フランス王フランソワ1世に数学や言語学を教授し、
イエズス会に入り、自分が翻訳した聖書で世界中をカトリックに改宗させようとし、
カバラ思想によってプロテスタント的な千年王国思想を広めようとし、
ある女性を「新しいエバ」、彼女によって生まれ変わった自分を「第二のカイン」、とみなし、
なんだかんだで異端審問にかけられ、「狂気」の判決を受ける、
という波乱万丈の人生を送ったギョーム・ポステルであったが、その日本観。

日本は自然理性の一種のユートピアであり、
・日本人は3つの偶像を崇めているが、それは三位一体を認めたためである。
・神の前でとりなしてくれる処女なる母(脇から出産した摩耶夫人?)を崇拝し、彼女の息子釈迦の伝説を守り伝えている。
・日本人は一神教徒でもあり、賞罰を伴う死後の生を信じている。
・共同生活に基づいた一種の修道院制度を実践し、断食、祈祷、説教をする。
・長子相続制と君主による宗教的共同体の統率の有効性を堅く信じている。
そのため、日本人が現に行っていることをイエスの名においてなしさえすれば、彼らは「世界でもっとも完全な人間」となる。
こうして神は東方を善行のうちにとどめ、東方以上に完全な生き方はない。
かたやキリスト教という至高の教義が今に至るまで支配してきた西方には、キリスト教徒としての完全さや純粋さはほとんどど残っていない。

 西欧批判のためにユートピアとして持ち上げられているとはいえ、日本仏教とキリスト教の類似点の指摘や
 長子相続制と君主の権威主義という、エマニュエル・トッドがドイツと日本の共通点として挙げている指摘が見えて面白い
 ツッコミどころ満載なので悪いスレに投稿



738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/20(木) 19:47:40.19 ID:UFErlbpi
>>735のポステルの詳しい内容が彌永信美「幻想の東洋」オリエンタリズムの系譜、にあった
・東方の三人の王はユダヤ人よりも前に主イエスの誕生をお知りになった。けだし西方のことどもは優れたる東方のまぼろしにすぎない。
(この後>>735の日本人が現に行っていることを~、という文章が来る)
・ザビエルの弟子のヤジロウの報告書によれば、日本人はすべて唯一の神を知り、それを彼らの言語で「ダイニチ」と呼び、
一身にして三頭を具えた形で描く。ただこの三頭について彼らはいかなる説明もできない。われわれには三位一体由来なのは明らかである。
日本人は頭や腕が多いほど大いなる利益の力を持つと信じ、ついには百の腕を具えた像まで作ったのである。
これは高僧らの無知と過誤に由来することで、彼らは民衆がキリスト教の正しい教理から偶像崇拝に立ち戻ることを許してしまった。
もともと東方の三人の王が日本人を改宗させ、聖トマス(インドで布教したと伝えられる)によって教えが確認されたにも関わらず、
彼らは徐々にイエスについての真実を次に語られるシャカの物語に改変してしまった。
シャカの父親は浄飯大王(Iambondaino)、母親を摩耶夫人(Magabonin)というが、これがヨセフ(Iosef)とマリア(Marie)をもとにしたことは
最初の文字が「I」「M」であることから明らかである。
この王は夢で子供のかたちをしたものから「我、汝の妻より生まれ出ずることを欲す」と言われたとされるが、これは天使による受胎告知である。
王は后に触れぬことに決め、后は処女のまま身ごもった、とされる。このようにイエス誕生の物語が改変されて伝わっている。
后は産後死に、后の妹がシャカを養育したが、二匹の蛇が近づいてきて、彼に大いに水を灌ぎかけた(灌仏会では九匹の竜)。
これは洗礼についての記録であり、日本人はすべて洗礼を受ける。また蛇はサタンの記憶の混同である。
シャカは三ヶ月目には真っすぐ立って「我は天と地における唯一の帝王なり」と述べた。
これは「我は天にても地にても一切の権を与えられたり」との主イエスの言葉そのままである。
彼は19歳の時、人の世の悲惨を感じて山に出向いたが、これは山上の垂訓にみるとおり主イエスのことである。
こうして八千人の弟子を集めたシャカは隣接する人々を改宗させ、偶像を破壊し、崇められていた寺院や聖地を躊躇なく壊したのである。
シャカの弟子達は日本にも到来し、そこでも偶像を破壊した。それゆえ今日でも日本では偶像の破片などが見られることがある。
このシャカはすべてのものを想像した唯一の神の存在を教え、その姿を一身三頭に描かせた。
彼はまた人々に5つの掟を与えた。「他人を殺すなかれ(いわんや自分自身を)」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」「思い悩むことなかれ」「罪人を許すべし」
これらの掟を与えられるのは主イエスをおいてほかにないのだから、シャカが主イエスを元にしたのは明らかである。

ヤジロウの仏教観はおそらく戦国日本一般の仏教観とほぼ同じと思われるが、
イエズス会が当初、仏教の用語を利用して日本人を改宗していたのって、親近感を得るために仏教の仮面をあえてかぶったんじゃなくて
本気で仏教をキリスト教の反映と考えていたのだろうか



739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/20(木) 23:43:28.11 ID:MLRX6GjQ
>本気で仏教をキリスト教の反映と考えていたのだろうか

2008年ノーベル物理学賞の
南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3人が
東方の三博士になぞらえられていたのを思い出した

薩隅の戦国お菓子 いこもち

2016年09月07日 10:52

158 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/06(火) 21:25:26.92 ID:DA/6suIj
薩隅の戦国お菓子 いこもち

“いこもち”は鹿児島の祝い菓子のひとつ。“いこもち”は漢字では「煎粉餅」と書き、餅米を炒った後、
粉に挽いた物に砂糖湯を加え、お餅状に仕上げた菓子です。
昔は黒糖で作っていましたが、現在は白砂糖を使った白いいこもちが多いです。

“いこもち”にはこんな話があります。
天文十八年(1549年)鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、その翌年に平戸から船で出発し、
京都へのぼった。
その途中、夜盗に襲われ持ち物を奪われてしまい非常に難儀をした。
このとき同行していた鹿児島出身の青年ベルナルドが、腰にさげた袋に入れていた米粉で
いこもちを作って一行の飢えをしのいだといわれています。

穀物を煎った粉は虫がつかず、長く保存がきく。また携帯に便利なことから、焼米や糒などと同様に
携帯食として重宝されていました。
(かごしま文庫 鹿児島の伝統製法食品)