薩隅の戦国お菓子 いこもち

2016年09月07日 10:52

158 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/06(火) 21:25:26.92 ID:DA/6suIj
薩隅の戦国お菓子 いこもち

“いこもち”は鹿児島の祝い菓子のひとつ。“いこもち”は漢字では「煎粉餅」と書き、餅米を炒った後、
粉に挽いた物に砂糖湯を加え、お餅状に仕上げた菓子です。
昔は黒糖で作っていましたが、現在は白砂糖を使った白いいこもちが多いです。

“いこもち”にはこんな話があります。
天文十八年(1549年)鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、その翌年に平戸から船で出発し、
京都へのぼった。
その途中、夜盗に襲われ持ち物を奪われてしまい非常に難儀をした。
このとき同行していた鹿児島出身の青年ベルナルドが、腰にさげた袋に入れていた米粉で
いこもちを作って一行の飢えをしのいだといわれています。

穀物を煎った粉は虫がつかず、長く保存がきく。また携帯に便利なことから、焼米や糒などと同様に
携帯食として重宝されていました。
(かごしま文庫 鹿児島の伝統製法食品)



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ジョン・セーリス航海日誌から

2016年06月05日 21:57

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/04(土) 20:10:57.35 ID:4NzI32HK
イギリス東インド会社のジョン・セーリスの航海日誌から
1613年、セーリスの乗ったグローブ号が平戸に着き、平戸藩主松浦隆信の大叔父の松浦信実が乗船してきた。
ついでにセーリスが何人かの身分の高い婦人を自分の船室に案内すると、壁には半裸のヴィーナスの絵。
その絵を見た婦人たちはひざまずき、ヴィーナスを(おそらくマリア像だと思って)拝み、
セーリスに小声で「実は私たちはクリスチャンです」と囁いた。
一方、信実や後で乗ってきた隆信といった殿方の反応は日誌に描かれてないが、セーリスはイギリス本国に
「日本では猥褻な絵や戦争の絵の需要が大きいからできるだけ大きいのを送ってくれ」
と書いているため、だいたいの想像は可能かもしれない。

一方、イギリスに帰国したセーリスは日本で個人用に枕絵(春画)を大量に購入し、周りに見せて回ったのがばれ
東インド会社の顰蹙を買ってしまい、なくなく枕絵を焼却したという。



676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 01:37:55.04 ID:EebVO3wP
古今東西男というのは変わらないな

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 10:05:32.73 ID:/0DFBIH6
大内義隆「そうなの?」

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 23:53:05.02 ID:uGuy/QER
生身の女をいくらでも手に入れられる立場にいながら、それでも絵が欲しいってホント現代とかわんないな

1646年8月15日、平戸にて起こった一連の事件

2016年04月05日 15:56

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/04(月) 20:37:29.38 ID:c0Q39Gk6
1646年8月15日、平戸にて起こった一連の事件は、日本の婦人の貞操を証明するに足るだろう。
ヤカタイ(jakatai)と称する身分有る一男子がとある婦人と結婚し、間もなく要務のため都に赴いた。

この事より以前、ある一貴族はこのヤカタイと結婚した若き婦人に求婚を申し込んでいた。
彼は「もし承諾なくば他の婦人を娶らない!」とまで言ったが、彼女より拒絶されていた。
しかしこの機会に乗じて、多数の従者を従えこの婦人の家に押し込み、強いて情欲を満足させた。

彼女は、このような害を受けた以上復讐せんと決心し、彼を引き止めて再度の享楽を有すべき希望を
抱かせたが、そのような間にヤカタイは都より帰宅した。

主人の帰宅の歓迎のため、家人たちは家の最上階にて宴を設けた。そして彼女は自分の友人、
およびかの貴族を招くようにと命じた。

こうして宴たけなわの頃、ヤカタイの妻は立って問うた
「近頃一婦人あって狼藉に遭いました。彼女は如何なる罰を受けるべきでありましょうか?」
席の者達は口々に言った
「その曲事の主を殺すべきである」
彼女は声高に叫んだ

「私は実にその女である!そして之を行った者もあそこに座している!
乞う、私の生命を奪え!このような行為を忍ぶという恥辱が、外の婦人を汚さないよう、
私のような劣悪な者が人間の中に生存せぬように!」

一同はこの告白を皆意外に思ったが、特に驚いたのは夫のヤカタイであった。彼は婦人を慰撫し、
「今後、この事を忘れるのだ。」と説得したが、彼女はその言葉に満足せず

「郎君は私の被った恥辱に対する復讐をされないのか!?ならば私自ら為すべし!」

言うやいなや、その家の最上階より飛び降り、頸を折って死んだ。
客中にあった暴行者も、生前愛した者と死を共にしようと、階下に降り、切腹して婦人の死骸の上に倒れた。

(モンタヌス日本誌)



日本人が児童を教育する時

2016年04月03日 10:22





549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/02(土) 21:43:17.64 ID:+Q+W4S1Y
日本人は、小児に対して穏和であるだけではなく、また小心翼翼として之を養育する。
たとえ小児が終夜泣くことがあっても、穏やかな方法を以って之を黙らせるように努め、
いささかも、体罰や強い言葉で叱りつけるようなことはしない。

小児が7歳となるのに先立ち、これを学校に送って仏教僧の教育するに任せ、14歳まで読書および
書き方を習う。

書き方の学習は最も煩わしきものである。何故なら日本には文字に四体があり、
それぞれ形を異にするのみならず、その意義も異にし、ある文字および言葉は貴人に対して
書くときに用いられ、他のものは一般の人に対して記す時に用いられ、一種の言葉は韻文について
使われ、之と全く異なる言葉は散文について使われるのである。

日本人が児童を教育する時、軽卒な手段を用いることはない。何故なら日本人には、不正な手段によって
何事をも成そうとするような者は居ないからである。

彼らは小児を奨励するのに、名誉心を以ってする。名誉を貴ぶのは児童の天性であるようで、学問において
他より優れようと最上の努力を為す。

12歳に至ると初めて剣を帯びる。この時小児は前額の髪を毛抜きを以って抜き取る。
市民は毛髪の半ばを残し、貴族は頭を全く剃って後方に一房を残す。
これを以って貴族と平民との区別を知るのだ。
日本人が品物の売買について折り合わない時は、その子が之を決定する。

(モンタヌス日本誌)

日本人の少年の育て方についてのお話。



550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/02(土) 23:26:33.80 ID:dR6isvrw
残されていた前髪を毛抜きで一気に抜いて大人の髪型にするってのは、映像として実際に見てみたい

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 05:24:49.29 ID:tamAWkvC
ムチでぶっ叩いて躾と勉強させてた西洋人にとって日本の子育ては驚きって感じか
逆に西洋じゃ夜鳴きに体罰や強い言葉で叱りつけるで対応してたんかと読めて怖い

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 18:48:34.73 ID:YiDTxCu9
>>550
昔東南アジアの少女が尼さんになるんで髪の毛を少しづつ抜いてる映像を見たな

これらすべての人々は

2016年04月01日 10:31

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/01(金) 00:03:45.33 ID:q8KEpmAM
フランシス・カイロンは、彼が江戸に有った時に起こった一事件に関して語った。曰く、

エムベロム(将軍)の一領地を支配する貴族があった。その領地における借地人に、
エムベロムが命じたもの以上の借地料を課していた。この方法によって彼は自己を富ませたが、
人民はその負担に耐えることが出来ず、団結して内閣に至って領主を訴えた。

内閣はこれを調査してその罪有ることを知るや、該当の貴族は家族とともに切腹して自ら死刑に
就かせることと定めた。

彼には一人の同胞があって、肥後の王に仕えていた。肥後は江戸から離れること西方247リーグである。
またそこから30里隔てた薩摩に一人の伯父が有った。
第2子は江戸より東に隔てること110リーグに住してマッサマ(Massama)の王に仕え、第3子は
インカノ(Inquano)のエムベロムの城に在った。末子は大阪の裕福なる商人の娘と結婚していた。
兄弟2人はエムベロムの近衛であった。

これらすべての人々は、彼らの兄、弟、又は父の罪のために、同一の日時に切腹することと成った。

処刑者の為すべきことは次の物である。
第一に、死の使者が悲報を最も遠くにある親戚に伝えるべき日時を計算し、これを最終時間として、
それ以上の執行猶予を許さない。最も近くにある者も、最も遠くの者と同日に正午を期して厳命に従い、
各々が自己の残酷なる破壊者となる。

然れどもその日、大阪の商人となった末子は自殺をしなかった。大いなる恐怖に打たれた彼は、
知らせを聞くや直ちに死んだためである。

彼の唯一の子であった女児は罰せられることはなかった。しかし自殺せんと欲し、自ら食を絶って
11日目に死んだ。

ただし、これらの人々に関係ある婦人が、如何にしてこの数家族の破壊中に身を脱したのかは、
カイロンは語らなかった。

(モンタヌス日本誌)


ランシス・カイロンの取りたる日本の王公の歳入

2016年02月15日 13:52

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 00:25:17.82 ID:ATq8urbY
最後にこの大帝国(日本)に属する歳入に関しては、フランシス・カイロンの取りたる日本の王公の
歳入の公記にて明らかである。

歳入は、日本風によればコキーン(古金?)を以って計算する。1コキーンはフランス貨幣1クラウンに
当たる。フランシス・カイロンがこの地に居住していた時は、最大の歳入を有せしエムベロル(将軍)に次ぐ者は、
カンガ(加賀)、ゼッチュー(越中)、およびナツタ(能登)の王にして、カンゴチューナゴン(加賀中納言)
と称し、ランガ(金沢?)に居住している。年々の収入は黄金120トンを下ることはない。
(黄金1トンは一万ポンドである)

スルガ(駿河)、トト(遠江)、ミカワ(三河)の国の王、スルアンゴダイナゴン(駿河大納言)は、
ファイチュー(府中)の城塞に居住している。オワリ(尾張)およびミノ(美濃)の両国の王オワリノダイナゴン
(尾張大納言)はナンガイ(名古屋)の城塞に居住す、各年々70万ポンドを有している。

マサニネ(政宗?)およびオーチオ(奥州)の王センダイノチューナゴン(仙台中納言)は堅固なる
センダイ城に居住し、年々黄金64トン以上を有する。

サツマ(薩摩)、オシナ(大隅)、シューゴ(日向)およびルチオ(琉球)の王サツマノチューナゴン
(薩摩中納言)はカガシマ(鹿児島)城に居住し、年々60万ポンドを得ている。

キノ(紀伊)およびイセ(伊勢)の王にしてワカヤマ(和歌山)の城を支配するキノクニダイナゴン(紀伊大納言)は
年々55万ポンドを有する。

クマモッテ(熊本)城に在るヒゴ(肥後)のカットー・ヒゴノカミ(加藤肥後守)、およびフカサ(福岡?)城
にあるスンキセン(筑前)のマツェンデイロ・エムノスコ(松平右衛門佐)、およびオエクデの城塞を守る
エチュセン(越前)のマツェンデイロ・イノカミ(松平伊予守?)の諸王も大抵同様の収入がある。

ハギ(萩)に在住するソヴァ(周防)のマツェンデイロ・ナガト(松平長門)、およびミト(水戸)の
城塞に在るヒタイツ(常陸)のミトンスチューナゴン(水戸中納言)、ロギオイス城を支配する
ヒジェン(肥前)のナビシマ・シナノ(鍋島信濃)、タカハム(高浜)城塞に在るイナバホキ(因幡・伯耆)の
マツェンデイロ・シンダイロ(松平新太郎)は、年々31万ポンドを収める。

その他第二位の諸侯、すなわち候にあたるもの、第三位の諸侯、すなわち伯に当たるもの等、以下差異がある。

(モンタヌス日本誌)



326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 04:54:05.75 ID:XYvsWhlB
コキーンは石かな さもなくば小金?

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:22:55.11 ID:QDOkNT47
マツェンデイロナガト
やだ、かっこいい。

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:41:14.34 ID:3gxUKt4i
一万石で黄金1トン換算なのか

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:59:12.97 ID:8kGl8Ch8
基本的に一石=一両だよな
小判一枚で金20gも無いはずだが

この、広く富んだ島をこの国の人々は「ニッポン」と称す

2016年02月13日 21:06

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 08:31:50.69 ID:hMpUIChl
この、広く富んだ島をこの国の人々は「ニッポン」と称す。
ポルトガル人は往年、これをアルガンタナと称した。キリスト紀元1200年には、有名な著作家
バウルス・ヴェネツスによれば、「クリセ」および「ジパングリ」の名がある。

この地の東方には、カルフォルニア及びニューグラナダを控えているが、距離は甚だ大にして、
その間には千リーグの大洋がある。

西方には、遥かに隔たってコレア(朝鮮)の島、および大支那を相望む。
ヒュー・リンスコットは、支那より日本に最も近い海角を、80リーグ隔てていると計算した。

北は蝦夷の地およびアニアン海峡の地に対す。そして全ての背後にアメリカ海岸がある。
南はフィリッピン、ミンダナオ、ギロロおよびモラッコ島に境する。

日本は北緯30度より40度に広がり、最も長い昼は14時間15分。最も短い昼は9時間45分である。
最も高い太陽は正午において頂点を去る15度に現れる。
気温はサルジニア、ロードアイランド、キブルス、カンジおよびシシリア諸島と大差なく、
ポルトガル、スペインの本国に似ていて、アラビア、シリア、ペルシア、支那の如く温和である。

日本は5国に分かれている。すなわちヤマイステロ(山城)、エツェンゴ(越後)、エツェゼン(越前)、
カントー(関東)、およびオーチオ(奥州)である。その他にサイコク(西国)およびシコク(四国)がある。

マッフェウスはサイコクをシムムと称して、これを7国とした。しかしながら目撃者たるフランスシ・カイロン
はこれよりも信頼するに足る。彼曰く、数人の王がこの地を統治し、またシコクに一人の王と3人の副王とあり、
この国の、「ヂヤパン」と訛り称せられている部分には二箇所の首都を誇る。ミヤコ(都)、及び江戸である。

マッフェウスはなおも人々に語って曰く、この国には53国有ると。
その中にミアコ(都)とアマングチウム(山口)の名を挙げて曰く、ミアコは23国、アマングチウム30国より
成る。しかしながら近年になって、これらの少王国は全て、一人の王、すなわちエムベロル(将軍)の併合する
所となり、エムベロルはその広壮なる宮殿を江戸に有している。

なお、日本はサイコクおよびシコクの他に、多くの島を以って構成されている。すなわちヒウ、タカスマ、
イキクチ、カンガ、ヒランド(平戸)、メアクシマ(三宅島)、オエノ、コシケ(甑島)、ベロエ、
オキ(隠岐)、ムルガン、アヴァンス(淡路)、メツトガンマ、メホ、ミアニシヌ、銀鉱山の多きサンド(佐渡)、
および西方にシコクおよびタカスマの二島を洗うヂェモン海峡の背に有りて、恐るべき煙を噴出する
ヴルカニアである。

(モンタヌス日本誌)


モンタヌス日本誌における、日本についての解説である。



306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 10:05:15.11 ID:28r1XeST
アヴァンスとかかっこいいな南フランス辺りにありそうな地名

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 10:17:31.12 ID:ssPutzEA
avancee フランス語で「前進」
英語のadvanceだな、淡路島の企業でつけてるとこあったりして

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 14:17:19.95 ID:xyVxXPOO
ヒウが琉球でタカスマが種子島、イキクチが壱岐でヴルカニアは桜島かな

なーんだ対馬はやっぱり朝鮮領じゃないかw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 14:27:27.26 ID:r7RUvhaQ
これには宗氏も激烏滸

教会だった場所だから

2015年09月18日 16:08

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 13:44:39.01 ID:PRgLiTG6
 豊後の国の国主がある男にキリシタンの教会があった土地を与えた。幾人かの人々は土地をもらった男に
「その土地は元々教会だった場所だから、そこに家を建てると ばちがあたるかもしれない」と忠告した。
しかし、キリシタンと関わりのないその男はそのような忠告など耳を貸さずに家を建てて移り住んだ。
 すると、彼が移住してきた後、短い期間で家中の人間が5人も立て続けに亡くなる不幸が起きた。
家主の彼はこの不幸を恐れて他の所へ引っ越した。しかし、後になって彼はこれではキリシタンたちが
自分の臆病さを嘲笑するのではないかと恐れて、以前は教会だったその家に戻って生活を再開した。
すると、その数日後に彼の長男が喧嘩で命を落としてしまった。さすがに懲りた家主はその家に住むのを
あきらめて家を手放してしまった。
 その後まもなくして、キリシタンではない別の男がその家に自分なら運よく住めるかもしれないと考えて、
色々と災難があったいわくつきの家に住むことを試してみたが、その者はしばらくして らい病にかかってしまった。
それ以後はその家は空き家となってしまい、誰も住まなくなった。
 この話を聞いたキリシタンたちは教会を大切にすべきことを学んだのであった。

       1591、1592年イエズス会日本年報 ルイス・フロイス書簡



332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 16:34:10.17 ID:wv+XnyRG
某日蓮カルト宗教並の胡散臭さ

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 16:54:23.84 ID:Fp8VF3UM
えらく偏狭な神様だなおい

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 17:01:54.22 ID:DNHRvApW
仏教伝来の時も物部守屋が仏像を破壊したら疫病が仏罰で余計ひどくなった、て話があるが
仏でもキリスト教の神でも荒ぶる神にされてしまう日本であった
フロイスも「神罰があたった」とか喜んでないで日本の他の神々と同一視されてることを嘆かないと

「日本語大文典」より、戦国期の動詞の活用の一例

2015年04月13日 18:46

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/12(日) 23:07:23.95 ID:Hc6A8vbq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1667.html
で出ていたジョアン・ロドリゲスの「日本語大文典」についての研究書があったので買ってみた
動詞の活用の一例
語根 Curabe(くらべ), 現在時制 Curaburu(くらぶる), 過去時制 Curabeta(くらべた), 未来時制 Curabeo^ (くらべん), 命令 Curabeyo(くらべよ), 否定形 Curabezu(くらべず)
と現代の国文法なら日本語を膠着語と考えるから、不変の「Curab」を語幹とするところを、
屈折語のラテン語文法が規範となっていたために最も多用される「Curabe」を語幹としたり、
動詞の人称・数に対する活用?を
一人称「でござる」二人称「でござる」三人称「でござる」、単数「でござる」、複数「でござる」
とこれもラテン語などヨーロッパの言語では活用するから、日本語ではすべて同じなのに一々繰り返したり
(もっとも、モンゴル語とかトルコ語のような日本語同様の膠着語でも人称語尾がつくから表記したのかもしれないが)
ラテン語のように主格(-Φ, -ua, -ga, -no, yori)、属格(-no, -ga)、与格(-ni, ye)
対格(-uo, -uoba, -ua, ga)、呼格(-Φ, icani -)、奪格(-yori, -cara, -ni)
複数主格 -tachi, (後のも-tachi-の後に上の格変化語尾を加えて全て書き出している。
一応「ラテン語のような屈折はなく、不変の助辞がくっついている」という説明がある)
としていたり、と内容は日本語文法なのにどこかヨーロッパの言葉を学んでいるような感じがして面白い




フロイスの仏教の印象

2015年01月18日 17:13

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/17(土) 19:04:01.58 ID:A1D2OVqA
フロイスの仏教の印象
「釈迦は八千人の弟子を持ち、その人数の中から彼に従い、常に同行する十二人を選んだ。(中略)
彼の死後、宇宙の総ての生き物が集まって彼の死に涙を流した。
そして彼の十二人の弟子の中から四人が彼の障害、奇跡と苦行について記すべきテーマを取り上げた。
彼ら(四人)は阿難、迦葉、目連、舎利弗と呼ばれる」
「悪魔は彼らにいくつかの事柄においてキリスト教のそれに酷似している外面的な儀式を与えることに尽力した。
そのことでわれわれが彼らに説いていることと、彼らの有していることとは、総て同じ一つの事柄である、
しかしながら、深く聞くときはたちまち混乱してしまうのだというようになった。
彼らは三位一体にして一つである阿弥陀、そして釈迦は十二人の弟子と彼の生涯についての
四人の年代記作者を持つほどの無限の奇跡をもった人類の救い主であるというのである。」




鍋の底に焦げ付いた飯は

2014年11月17日 18:55

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:19:58.83 ID:N9ed95oq
我々の間では鍋の底に焦げ付いた飯は戸外に捨てるか、犬に食わせる。
日本ではそれは食後の果物である。またはそれを終わりに飲む湯の中に投ずる。

ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」より)

なんだかネット上では米粒を全部食べるのが卑しいとか言ってる人を時々見かけるが、
昔から日本人はこの通りなんで安心して残らず食べてもらいたい





212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:33:00.41 ID:TN6O4rZX
わざわざ土鍋でオコゲ付きの飯炊いとるというのに…

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:33:12.14 ID:oxawx0Ei
時代が進むほどわけわからんマナーや礼儀が増えすぎだよな

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:59:12.40 ID:dVHxTUJR
イタリアには米をチョコレートと牛乳で煮るお菓子があったはず、いつからかは解らないけど
ただ、日本米と違うから…一度作ったら酷い有り様だったよ

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 18:34:27.81 ID:nHFdZbxf
ライスチョコレートケーキってやつか?
不味くはなさそうだが
米はポン菓子みたいにしてクランチにした方が美味そう

紀伊、悪魔に対する崇拝と信心に専念している国

2014年09月24日 18:52

345 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 20:16:59.07 ID:Xw3iSN0C
堺の付近を和泉国と称するが、その彼方には国を挙げて悪魔に対する崇拝と信心に専念している、
紀伊国なる別の一国が続いている。そこには一種の宗教団体が4つ5つあり、その各々が大いなる共和国的存在で、
昔から同国ではその信仰が盛んに行われてきた。いかなる戦争によってもこの信仰を滅ぼすことが出来なかったのみか、
ますます大勢の巡礼が絶えずその地に参詣していた。

これらの集団の一つをコウヤ(高野)と言い、三千ないし四千の僧侶を擁している。その宗祖は弘法大師で、
彼は七百年前、そこに生きたままで埋葬されることを命じた。同宗派はシンゴンジュ(真言宗)と称し、
この高野の宗団は、頂上に大いなる平地と自分たちの憩いの場を持つ高山にある。
毎年大勢の参詣者や巡礼が訪れるが、いかなる女性もそこに登ることは許されないし、また女性に関連した物品も
持ち入ることができない。そのために、周知のように、同所の仏僧達は忌むべき輩であり、その生活は淫猥を
極めたものとなっている。

同国にある2番目の宗団はコカワ(粉河)と呼ばれる。それは前者に比すると人員や規模においてはるかに劣るので、
改めて特筆する価値はなく割愛することにする。

三番目の宗派ないし宗団は、やはり一部の仏僧が構成するものであり、ネゴロス(根来衆)と称する。
彼らは当初、高野の仏僧らと同一の宗団に属していたが、後に分離して独自の宗派を形成するに至った。

これらの仏僧たちは、日本の全ての宗派とは全く異なった注目すべき点をいくつか有している。すなわち彼らの本務は
不断に軍事訓練にいそしむ事であり、宗団の規則は、毎日一本の矢を作ることを命じ、多く作った者ほど多くの功徳を
積んだ者と見なされた。彼らは絹のキモンイス(着物)を着用して世俗の兵士のように振る舞い、裕福であり収入が多いので
立派な金飾りの両刀を差して歩行した。カタギン(肩衣)を着物の上に纏っていない点を除くと、その服装は他の俗人と
異なる所がなかった。それについては、既に日本人の服装を論じた際に言及した通りであり、彼らの衣服は飾り用に羽織る
一種の薄いサンペニート(袋状の衣)である。更に彼らはナザレ人のように頭髪を長く背中の半ばまで絡めて垂れ下げ、
いかなる事があっても僧帽を着用しなかった。

彼らを一瞥しただけで、その不遜な面構えといい、得体のしれぬ人柄といい、彼らが使えている主(すなわち悪魔が
如何なるものであるか)を示していた。
都に隣接した諸国に住む日本の武将や諸侯は、互いに交戦する時ゲルマン人のようにこれらの僧侶を傭兵として金で雇って
戦わせた。彼らは軍事に極めて熟達しており、とりわけ鉄砲と弓矢にかけては日頃不断の訓練を重ねていた。そして
戦場においては自分たちに有利な条件を提示する側に容易に屈するのであった。

彼らの寺院なり屋敷は、日本の仏僧の寺院中、極めて清潔で黄金に包まれ絢爛豪華な点において抜群に優れている。
そしてその寺院なり住居が清潔であればあるほど、一方で彼らは生活において忌むべき人間に堕落しているのである。
彼らは根来の宗団内にとどまって戦に参加していない時には、他の仏僧らと同様に偶像崇拝並びにその宗派の儀式に従っていた。
彼らはその地を訪れる巡礼者たちを懇切丁寧にもてなし、2,3日無料で食事を提供した。

彼らに奉仕する家僕を除き、仏僧だけで八千人から一万人もいたが、それらの家僕の大部分は下賤の出で、主人の元から
逃亡した下僕とか、悪人、また下等な輩の寄り合いであった。だか彼らはひとたびネゴロス(根来衆)になると、
たちまち尊敬を受け、血統の賤しさも、以前の生活や習慣における卑劣さももはや己が身に汚点を残さなくなると信じていた。

346 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 20:17:30.36 ID:Xw3iSN0C
この国の四番目の宗団の人々がいる地方はサイカ(雑賀))と呼ばれ、その住人たちは、ヨーロッパ風に言えば、いわば
裕福な農民たちであった。だかヨーロッパの農民たちと全く同じというわけではない。すなわち彼らは海陸両面での
軍事訓練において、根来衆にいささかも劣らなかったし、常に戦場で勇敢な働きぶりを示してきたので、日本において、
彼らは勇猛にして好戦的であるとの名声を博していた。

彼らは僧籍を有せず、全て一向宗の信徒であり、かつて大阪の市および城の君主であった仏僧(本願寺顕如)を最高の主君に
仰ぎ、彼に従っていた。織田信長は6年にわたって顕如を包囲したが、しばしばこの大阪勢には悩まされ、信長勢は彼らの
攻撃を受けた。
当時、この僧侶を最も支えたのは、彼が常時手元においている6,7千人もの雑賀の兵であった。彼らは自ら奉ずる宗教への
信心並びに熱意から、不断に大阪の城に馳せ参じ、自費を以って衣食を賄うとともに、海陸の戦いでは武器弾薬を補給した。

ルイス・フロイス『日本史』)

フロイスの日本史より、紀伊国の宗教勢力に関する描写である。




347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 23:59:46.10 ID:TzWQWK3c
高山のところの「淫猥を極めた」、ってやっぱり男色のことかねえ
当時の日本では珍しくなくても、宣教師からしたらとんでもないわな

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 00:38:47.54 ID:LY5nv8Sv
そういえば最近カトリック教会での児童虐待(男色的な意味で)が問題になってましたな
ねえフロイスさんどんな気持ちですか?

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 04:23:06.88 ID:ojoMC+8w
アレクサンデル6世「カトリックがそんなに腐敗しているとは
なんと嘆かわしい」

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 09:07:12.13 ID:jjnT6EAA
ドラマは何期までやるんだろ
つかなんでイタリア製作じゃないんだ

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 11:34:43.60 ID:sbmPmQEC
>>348
正さねばならんと思ってるだろうね。
元々イエズス会ってそういう人の集まりだし。

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 13:51:17.30 ID:FJwfTTB0
アルカイダみたいなもんといえば多分あってるw

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 18:19:53.47 ID:K4DHuFe/
>>352
あの直前頃のカトリックは結構アレだったよね、ほとんど世俗の王みたいな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 09:44:38.77 ID:p+Wz+xjT
>>345-346
「粉河寺は詳しいことわからへんし余計なこと書かんとこ」
「5つ目は熊野…まあちょっと他んとこより遠いし省略してもええやろ」

4つ5つといった言い回しにこんなような思いが滲み出てる気がしてこの逸話見聞きした時に
モヤっとしてるのは俺だけだろうか

なんだか逆である源義経の話

2014年09月18日 18:52

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 17:41:52.94 ID:VPUM/uZ5
寺院(清水寺)までの途中に、すでに朽ちた非常に古い橋があり、昔ここで時の皇帝の兄弟で牛若殿(Vxiuagadono)と称する青年が誓いを立て、
戦において援助を受けるため悪魔と契約を交わした。
その誓いとは、多くの人が通る件の橋で悪魔のため千人を殺すことであり、昼夜、橋で待ち伏せ、彼一人で数か月のうちに九百五十人を殺したが、
それも一人の甚だ勇ましく名だたる仏僧が通行人とともに現れるまでのことであった。
仏僧は彼を負かしたが、その素性を知ったので殺さず、彼はそれ以後誓いを捨てた。

1571年10月6日付け ガスパル・ヴィレラの書簡より
ヴィレラの勘違いなのか当時そういう説があったのか、なんだか逆である源義経の話




281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 19:44:16.38 ID:mK6lYglD
天狗じゃ、天狗のry

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 21:31:08.04 ID:3RQtDag8
宣教師の書いたものなのに、
僧侶(弁慶)の方がいい奴になってる不思議

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 23:44:47.07 ID:KqskDwr1
まったく仏僧な世の中になったものじゃ

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 02:19:34.70 ID:540eOArG
僧じゃのぅ

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 05:41:44.23 ID:zLb3UDzU
>>282
つーことはやっぱそういう話が当時あったってことか?
ところでこの「皇帝」って天皇じゃなくて頼朝のことだよなたぶん

ルイス・フロイスによるお灸の解説

2014年05月24日 20:29

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 19:59:58.95 ID:E2iMKSOO
「目またはリュウマチスを患っている病人を治療するのに、三、四千の烙鉄を身体につける」
と書かれた場合にも同様のことが言い得る。(=ヨーロッパと同じに考えてはいけないという意味)
それは日本では非常に一般的なことであって、よほど話を割り引いて解してもらいたい。
というのは、その「烙鉄」とは、当地では乾いた(空白)を豆粒もしくは大型のざくろ粒くらいの小球にしたもので、
その上部に点火し、肉体の上に置き、すべて燃え尽くすまで火をつけたままにする。
それは非常に手軽なことで、同じ場所に十五か二十個置いておくと、その箇所の肉はすでに厳しく鍛えられているから、
それ以上置いてもほとんど疼痛を感じなくなる。
従ってそれらは私たちヨーロッパ人が言うような烙鉄の如きものではない。
私自身、その日本のを試みたことがあって、種々の疼痛や眼病のために三千個以上、背中や膝にその小球を置いたのであった。

ルイス・フロイスによるお灸の解説である。





この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものが

2014年04月25日 18:45

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:30:05.08 ID:Ne/HH6LT
この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものがほとんどない。
必要となると謀反を起こし、敵と組み、また自分自身が領主となる。
それから、よりをもどして味方になったかと思うと、また裏切る。

しかし、それで自分の名誉を損なうということはないのである。

『日本諸事要録』より。
ヴァリニャーノ司祭の、すごーく率直な、侍への評価。




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:25:45.53 ID:WNB1MB+g
従属国衆を家来とおもっちゃってるんじゃないか

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:39:05.78 ID:64o6U2CJ
戦国時代ですし
とはいえそういう武士ばかりではないと思うけど

それに、助けるはずの東ローマで略奪、暴行、ついでに滅亡させちゃったりする
宗教的情熱あふれる西洋の騎士もなかなかのもんだぜ?! 耶蘇教の神父さんw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:53:21.53 ID:zogf4qTm
弟が王位簒奪したから助けてくれ、と懇願してきた亡命皇子を
帝位につけてやったのに、約束の金を払わなかった方が悪い、
と言ってみる

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 14:05:57.82 ID:hSnNRti9
かといって同じカトリックの都市をヒャッハー!したら破

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:29:34.24 ID:TsjUD0jW
カトリックじゃなくて正教の都市ですから

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:31:59.17 ID:X+tYX9QW
たぶんコンスタンティノープルに行く前にハンガリー(カトリック)の都市をヴェネツィアの要請で
攻撃して教皇に一時的に破門された事を言っているのだろう
とスレ違いだが言ってみる

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 23:30:42.79 ID:OD4bQaKz
アルビジョア十字軍とか

宣教師の見た日本

2014年04月14日 18:57

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 12:41:13.78 ID:AUVkqdDj
みんなの気分転換になれば

宣教師の見た日本

「人々はいずれも色白く、極めて礼儀正しい。一般庶民や労働者でも社会では驚嘆すべき礼節をもって
上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。
東洋の他の諸民族のみならず、われらヨーロッパ人よりも優れている。国民は有能で、秀でた理解力を有し、
子供達は我等の学問や規律をよく学び取り、ヨーロッパの子供より容易にかつ短期間に我等の言葉の
読み書きを覚える。
また下層の人々の間にも我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、
一般にみな優れた理解力を有し、上品で、仕事に熟練している。

彼らは感情の慎みが深く、胸中に抱く感情を外に出したりはしない。」

ヴァリニャーノ『日本諸事要録』

美しかった昔の日本人の記録。




792 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 14:29:40.19 ID:0M2f/20D
ヴァリニャーノさんが日本に非常に馴染むことができ、
日本人もヴァリニャーノさんにかなり好意的だったのは
ヴァリニャーノさんの柔軟性と現地適応能力に拠るところも
大きいな

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 15:17:12.10 ID:FCpoj8/g
>>791
俺らの知ってるヒャッハー戦国時代と違うw

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 16:02:04.35 ID:AUVkqdDj
ロスでは大地震の後に大規模な略奪や暴動が起きた。
日本では大地震の後に残ったコンビニに整然と並ぶ、長蛇の人の列が出来た。

世界から後者のニュースは「実に日本人らしい。」と驚嘆されたと言う。ヴァリさんが見てた昔の風景と
被ると思う。逸話じゃなくコラムだろとか突っ込むのは無しでお願い。

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 16:10:43.21 ID:DwRkVVM7
ザビエル、ヴァリニャーノ系の「日本人すげー」
フロイスとかの「日本人ひたすら野蛮」
宣教師の評価も両極端だわな。まぁどっちもある意味正解なんですけど

796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/14(月) 16:22:49.42 ID:s7lc4QLE
一人の人間でも振れ幅は大きいし、
どの宣教師の記述も正しいんだろうと思うわ~

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/14(月) 16:48:18.52 ID:AUVkqdDj
>>796
後世に日本を訪れたイザベラバードの『日本紀行』と『朝鮮紀行』の対比も面白い。
(amazonレビューで比較も簡単)
明治時代の外国人の技師や外交官らも概ね「OrientalJapan」と日本には好意的。

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 03:59:04.76 ID:mlx71Fzz
>>793
実は当時のヨーロッパとかも大概だった可能性が

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/15(火) 04:22:30.62 ID:j8mHKhqv
門徒は根切りぞ!言うてるのも三十年戦争とあんま変わらんか

日本人は一枚のハンカチで

2014年03月11日 19:00

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 21:00:04.65 ID:S4iA8xTd
日本人は一枚のハンカチで、ただの一度しか鼻をかまない。と言うと、ヨーロッパの読者は
滑稽に思うであろうが、これは奇異とするに足らない。それはマラバール(インド・ケーララ州)の
国王達が同じ皿からただの一度しか食べないと言おうとするのと一緒であって、彼らはバナナの皮で
食事をするので、食事が終わればそれを捨てるのである。

従って日本人について、彼らが一度ハンカチに唾を吐いたり鼻をかんだりすると、それを洗わずに
捨ててしまうと言う時には、次のようなことが説明されねばならないであろう。
すなわち、日本人は鼻をかんだり唾を吐くためにハンカチの代わりに、ハンカチのように折りたたんだ
薄い紙をたくさん懐に入れて持ち歩いているということである。

この紙は非常に安いので、彼らは非常にわずかの費用で幾枚でも使用することが出来る。
貴人たちはその紙の間に、白または青色の亜麻布を一枚携えているが、これは汗を拭くためだけに
用いられる。だが商人や一般の人々は、紙以外に亜麻製の半幅の手拭いを帯の中に携えており、
汗を拭いたり、手や顔を洗う的にそれを用いる。

ルイス・フロイス『日本史』)

日本人が戦国時代からちり紙を使っていた、という記録である




591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 22:23:51.54 ID:9KsNTFiM
一度鼻かんだハンカチでまた鼻かむのか?

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 23:20:59.39 ID:iG3evuam
フランス人とか今でもハンカチで何度も鼻かむぞ
んでカピカピになってから洗う

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/10(月) 23:22:23.90 ID:ZH4Ve3AV
支倉常長が鼻かんだちり紙を捨てたら、珍しがって西欧人が拾ってったって話もあったような

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 00:25:47.57 ID:SRL2EFdo
権現様が落としただか風に飛ばされたちり紙を無駄にすまいと拾った話があったな

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 12:09:19.46 ID:1WiNGMWd
チョイ前までのヨーロッパでは紙は高級品だから
明治のパリ万国の日本館の大工がちり紙捨てたら周りのフランス人がびびったとか
いまでもなごりで>>592
おかげで識字率も低かった

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 15:23:18.92 ID:RcrVH+Jv
鼻紙と識字率?って思ったけど
学習用の紙が使えるかってことか

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 18:00:46.12 ID:HKVyWUHd
フロイス日本史に志賀親次が入信した際に、紙製の記録帳を修練院の院長から
贈呈されたって話もあるから、それなりに紙工技術はあったんだろうけどね

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 19:20:47.08 ID:VMcXdHz3
インクで文字書いて記録残してるんだからヨーロッパにも紙くらいあっただろ

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/11(火) 20:27:52.43 ID:2ViOfgOs
羊皮紙はけっこう長持ちするだよ。作るのが面倒臭い

しかしシナ人たちは

2013年12月21日 18:03

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:19:11.89 ID:G38eoc5n
カピタン・モールのガスパル・ピント・ダ・ロシャが名護屋に太閤様を訪れました時、
金色の槍を携えた(アフリカの)カフル人を護衛として連れて参りました。
カフル人たちは赤い衣装をまとい、太鼓と笛を携えていました。
太閤様はカフル人たちに太鼓と笛に合わせて踊らせました。
カフル人たちは元来、この上もなく踊りが好きでしたから、それを見る人々は腹を抱えて笑い転げました。
と申しますのは、彼らは順序も調和もあったものではなく、あっちに飛びこっちに跳ね、
始めたら最後、いくら「もうよい、十分だ」と言いましても踊りをやめさせる方法はなかったからでございます。
太閤様は彼ら一人一人に、前が開き、きわめて繊細な麻で出来た肌着である白いカタビラをとらせました。
私が彼らに、これを賜わった方に尊敬をあらわし、名誉としてそれを頭上にいただくようにと言いつけますと、
彼らはカタビラを、まるでインドの船乗りたちのターバンのように頭にくくりました。
太閤様をはじめ、居合わせた政庁の人々全員が楽しんだ光景でありました。
カピタン・モールは、輝くばかりの出で立ちで訪れましたので、この政庁では彼の噂でもちきりとなって、
人々はあれほどの人間はこの世にいないと語らいました。
人々がそのように噂する動機をもたらしましたのは、たまたまその時、
一人は学者で、もう一人は軍事の高官である、二名のシナの使節が居合わせることになったからでありました。
彼らは七十名あまりのシナ人を従え、2人の使節は白馬に乗り、
従者たちは彼らの流儀で笛とパテーガス(金属製の鉢)を演奏していました。
ですが一行は誰も皆甚だ汚く悪臭を放ち、醜態の極みでありました。
もとより彼らの多くは大麻のような目の粗い胡椒袋のカルサンを着用していましたが、
その所持品はまったくくだらないものばかりで、太閤様への贈り物は携えていませんでした。
一行は数日間滞在して、その間、そこに居合わせていました日本の全諸侯からつねに余興を伴った宴会のもてなしを受けました。
しかしシナ人たちはいとも謹厳に構えて、あたかも誰をも相手にしないように見受けられました。

宣教師ジョアン・ロドリーゲスの手紙より
知ってる人は知ってるだろうが、当時のヨーロッパの衛生状態はかなり悪い
そのヨーロッパ人にここまで言われてしまうシナ人の話




925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:46:53.73 ID:OEsnFTJh
宋応昌・沈惟敬が日本に派遣した
明皇帝からの勅使に偽装させた部下の謝用梓と徐一貫の事なのかな

ポルトガル人から見ても胡散臭かったってことか



926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 01:51:15.23 ID:Wf+sB5zs
ジョアン・ロドリゲスは13、4歳頃にポルトガルの田舎を出て
16歳くらいに日本に来て、その後豊後の修練院で育った人で、
日本語や日本文化に精通して通訳士として活躍した人だから
感覚的にはあまり西洋人的ではないのかも



927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 06:29:21.71 ID:FRfUXB83
その人物主役に長編小説書けそうだな




931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 07:16:14.36 ID:gIR0ZHw0
>>926・927に絡んですこし。

ジョアン・ツヅ・ロドリゲスといえば、『日本語文典』という日本の文法解説書をはじめ、日本に関する著作をたくさん書いた人で有名。
日本語はイエズス会士の中で最もうまかったらしい。
人生的にも、高城・耳川合戦に居合わせたり、島津の府内攻撃で慌てて避難したり波乱万丈。
そのうえイエズス会士の財務担当としても大活躍。家康の貿易顧問にもなったり。
……なんてはなしがWikipediaに詳しく載ってる。

けど、この人のマカオに追放後の人生も非常に面白い。
というのも、明朝の軍事顧問・陸若漢として、砲兵部隊を鍛え、しかもその砲兵部隊を率いて実戦にも参加。
山東登州では、反乱軍と城門の中でやりあって負傷し、崇禎帝から褒美と「登州副将」の官職をもらってる。
明清あわせて、唯一の「夷人将軍」となったとか。

当然、ふつうの漢文もバリバリ書けるので、朝鮮人と文通して布教したりもする。
朱子学もわかっているから、うまく朱子学の教えと噛み合わせながら宣教できた。

ほんと、この人を大河ドラマにしたらめちゃくちゃおもしろいんじゃないかと。




932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 09:54:29.14 ID:7ZB+1H2Q
>>931
事実は小説よりも奇なりを地で行くような人生だな
大河ドラマ化は無理だろうから誰か小説にしてほしいわ

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:14:28.55 ID:tMED3JMG
「陸若漢」て、素人見ではいかにもツヅ・ジョアンの当て字っぽいけど
当時の言語(発音)では何て読(呼)んでたんだろう。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:15:24.79 ID:MS3TCgbX
スケールでかすぎて今の大河じゃ無理だわなw
半径3メートルの価値観でしか書けなくなっちまってるし
現代人の目線なんてどうでもいいんだよなあその時代の空気を感じさせてくれよってはなしで

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 13:32:15.25 ID:uhzBTJg3
あれはほとんど功績のない人を主役にしてる時点で大河ドラマとして終わってる。
2時間ドラマを無駄に引き伸ばしてるに過ぎない。


940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 16:50:39.68 ID:23I4s9Xe
>>933
漢字の音韻学のサイトで調べると洪武正韻箋(明初期)と分韻撮要(18世紀末?)のそれぞれの音韻は
http://ytenx.org/
陸:盧谷切 入聲一屋 祿小韻(洪武正韻箋)、來母 篤韻 陽入 六小韻(分韻撮要)
若:爾者切 上聲十六者 惹小韻or如灼切 入聲六藥 若小韻(洪武正韻箋)、日母 着韻 陽入 若小韻(分韻撮要)
漢:虚汗切 去聲九翰 漢小韻(洪武正韻箋)、曉母 干韻 陰去 漢小韻(分韻撮要)

と書いていてなんだが、正直11世紀初頭の「広韻」と、現代普通話の発音しか今わからないんで、両者併記でごまかす
陸の子音の「盧」「來母」は「広韻」で「l」、母音の「祿」「篤」は「入聲一屋」で「uk」(ただし入声は消失していたので末尾のkはなし)
若の子音の「爾」「如」「日母」は[ɲ]→[ɲʐ]→[ʐ]と変化し、母音の「上聲十六者」は「麻三開」で「ia」、「入聲六藥」「着」は「iak」
漢の子音の「虚」「暁母」は「x」、母音の「九翰」「干韻」は「寒部」で「an」

よって陸若漢は
lu ʐia xan
と普通話の
lu reかruo han
間なんで、ロドリゲス→lu(ルー)、ジョアン→ʐehanかʐuohan(ジョハン)
あたりが適当なんじゃないかと

だいぶ「どこの国の話?」

2012年12月21日 19:50

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/20(木) 21:49:24.44 ID:t10VLyXq
『…その土地はイスパニアより、それ自体ではずっと大きく、極めて活動的で、北緯34度に位置する。
夏冬の区別があり、多くの、そして良質の銀や他の金属も産する。
15の王国にわかれ、うち一人を他の王が認めれば皇帝なのだが、現在彼らを統率する者が居ないので、
誰も皇帝ではない。また4人の王が既にキリスト教徒になった。

全てに豊かであり、雌牛、鹿、家畜化した、あるいは野生の豚、野兎、雉が、野や山を埋め尽くしている。
畑は一枚6マラベディーの値である。他の家畜の雌鶏がたくさんいるし、小麦、大麦、米、他にも種子類がふんだんに採れる。
また果物類、多様で良質な梨類、桃、すもも、栗、胡桃、どんぐり、瓜、それに黒い小粒のブドウも山野に満ちている。
だから必要とあればこのブドウからミサ用のワインが出来、それを以ってミサを捧げられるだろう。

このワインはよく飲まれている。当地原産の良質なワインもたくさんあって、いずれも安い。
半リブラ(1リブラは約460グラム〉くらいの大きさのパン15個で1レアル、しかも白くて良質である。
骨なしの雌牛の牛肉2.7リブラが1レアルで買えるし、雌牛1頭では5から6レアル、それでも高いくらいだ。
魚も豊富でとても安い。

土地の人々とは極めて友好的な関係にあり、特に王とその父親とはうまくいっている。
住民は非常に清潔で衣服もこざっぱりしている。それに大変好戦的かつ勇敢で、あらゆる武器で武装し、
良い鉄砲、槍、刀(一撃で人を切り倒せる武器である)、弓、矢、胸当て、背当てを持っている。

キリスト教徒の武士は大変清潔で美しい家を持ち、イスパニア人のように武器を携行する。
馬も小さいながら、何頭も所有している。
宣教できる人間さえおれば、瞬く間に全員がキリスト教徒になるであろう。
既に洗礼を受けたものは、典礼もないのに、見たところ立派なキリスト教徒である。』

以上、平戸に上陸したアウグスチノ会員フランシスコ・マンリケが現した『日本』の姿である。
ちなみに友好的な関係にある王とは、平戸の松浦隆信のことらしい。
(フランシスコ・マンリケ1588年3月1日付書簡)

だいぶ「どこの国の話?」と言いたくなる、日本についての報告であるw




824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:01:27.50 ID:pXRohuVd
キリストに関する記述がだいぶ盛られてる気が

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:07:21.99 ID:zkMr7BhP
>>823
このころはまだ、欧州より東アジアの方が富んでいたということだね

このあと、植民地からの収奪で飛躍した欧州と差がついてしまうが。

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 01:24:22.05 ID:VWOvGnvE
食文化が…

827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 10:49:39.15 ID:Q8qrY0HH
まぁ現地で活動する宣教師としては、本国のやる気をくすぐって、できるだけ支援
を引き出したいわけで
だから「ここは有望ですよ!」ってことをMAXアピール。人についても土地につい
ても、報告書では盛りまくったんじゃないかと

どうせ本国で報告書読む人には現地の実情なんて見えないわけだしw

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:30:38.60 ID:OlFrgKA/
なんか九州とか、ともすれば肥前の中だけの話のような気もするぞこれ

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 13:39:23.52 ID:llrH0Ssp
ヨーロッパに比べれば高温多湿なので物がよく取れるのは確かだが
明らかに盛ってるわなw

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 16:21:46.61 ID:EscrAhuT
盛ってるのもあるだろうけど、ただ、当時のヨーロッパも相当にヒドイのも事実なのよね
いわゆる小氷期まっただなかだし

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 16:32:46.87 ID:pWcyw876
小麦なんかも蒔いた量の10倍にもならないんだっけ、確か

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 17:02:32.28 ID:9CyN3gnX
中世欧州だと、地域にもよるけれど、小麦の収穫量が1haあたり300~700kgらしいね
ちなみに一反=一石を適用するならば、日本の場合は1ha(10反)だと1.5tの米が収穫できる
重さだけで考えると二倍以上~五倍は違うからな・・・

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 17:11:43.58 ID:71al5+CE
そんだけ作れても、収穫の8割がたを王家と領主と教会に持っていかれるんじゃ日本より悲惨だなあ

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 19:48:59.19 ID:ITDBxvqF
だからパンは主食になれなかった

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:00:19.71 ID:XjnCzKtJ
パンがないならケーキを食べればいいじゃない

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:03:35.67 ID:RGQDRi8U
そこで讃岐が誇るうどんですよ!

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:26:01.53 ID:9CyN3gnX
ジャガイモ様がアップを始めてます
貧者のパンは伊達じゃない!

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 20:51:44.99 ID:rc3mURLw
おジャガ様は歴史が証明してるんだっけか・・・
まぁ、同時に梅毒まで撒き散らしちゃったのはご愛嬌ってかwww

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:43:45.61 ID:eWbjDVbY
>>838
挙句の果てがジャガイモ飢饉だよ

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 21:46:18.17 ID:KhGRsx69
蕎麦最強伝説

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 22:18:08.99 ID:rc3mURLw
ジャガイモ飢饉、知らなんだわwww
一極集中はいかんってことよね~

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/21(金) 23:58:13.30 ID:GMWQ4/Fj
>>840
そうなったら赤ん坊を食べればよい

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 00:47:24.68 ID:Mv/KCpki
ジャガイモ飢饉はモノカルチャーの弱点がモロに出た形だからなぁ
でもこれが無かったらJFKが大統領になる事もなかったか

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:03:15.12 ID:lVRS0UXW
>>841
蕎麦は収穫量が少なくて…
実がなりにくいんだよねー自家受粉しない上に受粉しにくい変な植物で

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:11:20.32 ID:0+mhat6C
さらに、小麦以上に食べるまで手間が掛かるし

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 10:17:30.42 ID:yLbUWFHf
練って雑炊にぶっこむだけだから大差ない

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 12:29:47.57 ID:8PLO+WhI
日本ならさつまいもの功績を忘れちゃいかん。
老人の中には戦時中これしか食べてなくて大嫌いになった人も多いな。

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 17:14:22.76 ID:tI+m0WOd
>>850
引いて粥にすれば消化できないかな?
不味いだろうけど

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/22(土) 17:18:33.80 ID:Mv/KCpki
つ ガレット

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 08:26:22.03 ID:hhZVrk98
>>823
二毛作、三毛作とやってたしヨーロッパ人から見れば
食料豊富に見えたのかも。あと向こうはギルド(日本でいう座)の力が強かったから。
安土城の楽市楽座を見た宣教師が安土の城下町は
楽園のようだと書いてたとか書いてなかったとか。

イエズス会、駿府・江戸の旅

2012年08月29日 20:50

206 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:36:13.04 ID:P8mOuui5
慶長12年(1607)、秀忠に将軍職を譲り駿府に隠居した徳川家康は、長崎に居たイエズス会員に
謁見を許した。その時の模様をキリシタンの側の記録より見てみよう

『…京都の知事(板倉勝重か)は京都より駿河に至る沿道の、公方(家康)の諸役人をして
師父に便宜を与えるため、彼らに宛てた回状をパエス師に授けました。プロバンシャルは京都の学院長
モレジョン師と、彼に常に従う師父一人と、日本人の法兄弟3人を伴い、8日後、駿府から5里ほど
離れた場所に到着し、そこで幕府よりの沙汰を待ちました。そして3日後、招きを受け駿府に入りました。

上野殿(本多正純)は人を遣わして我々が無事に到着したことを喜び、将軍の寵厚きソトサブロー殿
(後藤庄三郎か)は自ら我等のところに来て、我々のために周旋する旨を申し出されました。

翌日、謁見の儀式がありました。長崎の街に関係ある、とある大事件の為数日前に到着された
ジャン・ロドリゲス師もこの式に列席されました。上野殿は取次の役を勤められ、公方(家康)は
親切なる数語を述べられました。これは正式の謁見においては著しい名誉です。
かの国君はその謁見室から退かれたあと、近臣に向かい、謁見者の日本・支那に在る、同宗の人々に対する
権威が大なる事と、年々彼が命じた事について、そのまま従っていることに付いて長く語っておられたとのことです。

ここに摂理が密かに我等に幸いした一例として、特に語るべきことがあります。
それは謁見式の当日、公方の長子にも関わらず、正妻の子でなかったために位を継ぐことの出来なかった
越前公(結城秀康)薨去という凶報が駿府まで達したのですが、上野殿は、公方が若しこのことを知れば
謁見の式は延期され接待も厚く出来ないことを察知し、国君が謁見の前にこの報に接しないよう
全力をなし、越前より来る書状は全てこれを押さえ、その上謁見の時刻を早めにされました。
これは非常なる親切であり、大いに、我ら宣教師の利益となりました。

世の人々はこれにより、君主の意志の発表を待たずして我々が再びこの国内に滞在することを
許されたと考えて良い、と言います。日本の法によれば、追放令を発した人が、追放令を受けたものを
面前に出ることを許せば、この者は再び君寵を得たと理解されるためだからです。

我々は公方の子にて後継者たる人(秀忠)に敬意を表するため、江戸に向かいました。これにも上野殿は、
その父であり将軍の最も信頼されている顧問である本多佐渡殿(正信)宛の書状をプロバンシャルに与えました。


207 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:37:19.82 ID:P8mOuui5
江戸は駿府より東方へ4日ほどの所にあり、途中には有名な山があります(富士山)。
この山は高く美しいため、日本の文士、美術家によって常に賞賛されています。
道は駿河より伊豆を経て相模に入ると、ここに日本の旧都にして、公方又は将軍の居所である
鎌倉があります。元は人家の数20万に上ったそうですが、この時は減じて、5千に満たないほどでした。
師父は2日間この地に滞在し古跡を見て回りましたが、中でも特に注意を引いたのは、
青銅の巨大な偶像が、田園の中に捨て置かれ、野鳥の休憩所となっていたと言うものでした。(鎌倉の大仏)

江戸に到着する2里前で、師父は江戸の信徒たちの出迎えを受けました。彼らは果物や食品などの
贈り物を携え我等を歓迎しました。

若き将軍(秀忠)は元来とても親切な方で、特に師父を厚遇されました。
城の最も奥の溜りの間には、帝国内で最も名高い僧が二人居ました。
一人はタイチャウラウ(大長老)、もう一人はガチャウ(学校か)と称され、彼らも将軍に
謁見するためここに訪れていたのです。京都の寺院の長老である僧侶数名もまた同室にありました。
ところがこの君(秀忠)は先に来た僧侶たちとの面会を後にし、先ずパエス師を召されたのです。

謁見式の後、本多佐渡殿、および相模殿(大久保忠隣)は師父を送って最後から一つ前の部屋に至ると、
宮中を案内するようにと命じました。この宮殿(江戸城)は壮麗であること公方の宮殿に劣らず、
装飾は黄金と最も名高い画家の手による絵画を以ってなされています。

師父が主な保護者である相模殿及び本多佐渡殿に暇乞いに行き、親切にて寛大である佐渡殿に、
日本の教会の利益を保護することを依頼し、布教の自由を求め、宣教師の説く聖法は日本の施政にも、
臣下の君主に対する服従にも、反対するところは些かも無く、全く道理に合い君主及び人民に、
むしろその義務を教えるものであることを言い添え、またこの教えは現世のために大いなる効用があり
来世のためにも更に必要なものであることを説き、佐渡殿より将軍に請うて、将軍の父君のごとく
庶民のみならず、諸侯及び貴族にも教会に入る自由を与えられることを懇請しました。

師父はこの様に好成績を得て駿河に向かって帰路につき、5ヶ月の愉快なる旅行の後、再び長崎に帰られました。』
(パジェー日本耶蘇教史)





208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:06:56.77 ID:I+akEOZd
悪い話なのか
読解力ないからどのあたりがどう悪いのか頼むわ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:12:55.70 ID:P8mOuui5
簡単に言うと、5年後にこの宣教師たちが信頼した本多親子がらみで岡本大八事件がおきてキリスト教禁教に。

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:32:40.11 ID:tbpJN4Bp
オチを書かないのはどうなんだろう

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:43:57.43 ID:I+akEOZd
わかった
結局は禁教になるからキリスト教の伝来も悪い話な

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 13:23:10.05 ID:3kFQk1eY
努力が必ず報われるとは限らないって話しだな