「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子

2017年06月13日 15:29

859 名前:「南蛮寺興廃記」3[sage] 投稿日:2017/06/12(月) 20:13:59.55 ID:NCJxUsnF
「南蛮寺興廃記」より、キリスト教布教の様子

是を伝聞して五畿内は勿論、四国・中国・京近国来集すること夥し。
南蛮寺は日々群衆を成すと雖も宗に帰伏せざる者には本尊を拝することなし
南蛮寺には此の群衆の人にはいささかも構わず洛中洛外へ人を出し或いは
山野の辻堂橋の下などに至るまで非人・乞食等の大病難病等の者を尋ね捜し
召し連れ来たらしめ風呂に入れて五体を清め、衣服を与えて之を暖め、
療養しける程に昨日の乞食、今日は唐織の衣服を身に纏い病も自らこころよく
快復せるたぐい多し。なかんずく癩・瘡等の難病、南蛮流の外療を受け
数月をへずして全快し誠の仏菩薩今世に出現し救世済度したまうなりと
近国貧賤にて我が力に叶わざる者、或いは諸医の療養に治すこと能わざる者
貴賤ともに南蛮寺に群衆すること斜めならざりけり。
両イルマン悉く是を南蛮寺に留めて良薬を施し医療半ばに快復する病人共を率い
是等に説いて曰く、「そもそも我が本国は四十二箇国といえども此の国の類に非ず。大国なり。
然れども天に帝釈を敬うが故に貧賤の者なく難病に侵さるる者なし。
我が国王仁慈にて国民を憐れみ恵む。其れ世界の諸国此の天帝を崇敬して貧苦病難の
患を逃れ現安後楽の宗法を知らず。今生の苦患のみならず未来永劫の罪に陥ることを
憐れみて今我等の如き者を世界に渡して此の天帝の法を弘通せしたまう所なり。
此の日本等の如きは天帝を敬うことを知らざるが故に貧賤なる者多し。
是より起きて邪欲深く盗賊悪党をなし、或いは難病等の患いに沈みて未来善所の願も
叶わざれば、貧なる時は邪起こる。邪起こる故に難病又身を責む。
されば今生の病は我等の療養を以て治するも未来の難病は治する能わず。
身の不浄は洗えども心の不浄は大海の潮にもさらし尽きず。
然るに今世に邪なる事をなさずと雖も悪病貧苦に責めらるる者は前生の悪業のしからしむる所なり。
しかれば其の前生を果たさずるは永劫の罪遁るること能わず、各々心を清浄にしめ
未来の悪縁遁るるや遁れざるや此の鏡を拝せらるべし」とて三世鏡と号する宝鏡を恭しく
掛けて拝せしむ。此の者共心に信心を起こし未来の仏を見ること誠に有り難きことなり。

860 名前:「南蛮寺興廃記」3[sage] 投稿日:2017/06/12(月) 20:16:10.07 ID:NCJxUsnF
是を拝みけるに或いは牛馬鳥獣の形、或いは醜偏形の類、鏡に映りて顕れければ
此の者も驚き怖れ泣き悲しみ天帝の大慈悲を垂れて未来の罪を助けさせたまえと両イルマンに
嘆きければ両イルマン曰く「各々嘆き悲しむ所、最もなり。天帝を崇敬する所の真言を授け
与うべし。心を清浄にしめ他念なく此の数珠を以て真言を一遍唱えて一粒ごとに繰るべし」と云い
四十二粒ある数珠を与う。陀羅尼文

配後生天破羅韋 増有前生摩呂

七日の間、昼夜悪念を生ぜず此の真言を唱えて両破天連へ拝謁し天帝の宗経を戴き
天帝の御影を拝せば今日の鏡にうつる所の未来の罪業消滅しめ天帝の大慈悲を蒙るべし、と
教化しければ皆同音に真言を唱えて七日信心を凝し昼夜に真言を唱う。
両破天連両イルマン愚蒙を誑かして邪法に陥るること是等の方便なり。
(此の後寛永十五年天草原城攻めの時既に城中同音に唱えたる真言あり)
サンタマリヤ、サンタマリヤ、斯くて七日勤行をいたせば、両イルマン此の者共を
率いて仏殿に至るに美麗荘厳金銀をちりばめ金襴錦の幡翻り。各香薫し渡り光り輝き
真に極楽の七宝荘厳もかくやあらんと思うところに、両破天連、金襴の衣を纏い
仏殿に出、又真言を授けて天帝の宗法を説き畢りて両破天連を拝せしむ。
両イルマン又其の者共を率いて三世の宝鏡を拝せしむるに前度の像に引き換えて
天子の容貌四十二相を具え我が身知らず天土に至る心地にて愚蒙の者共声を放ちて
悦び泣き、両破天連曰く「汝ら七日真言を唱えると雖も心既に改めて天帝を尊敬するが
故に今世にて天上に通達しめ天帝の恵みを得たり。面々決して天帝の尊恩を忘れ奉らず。
たとい今世は火・水・磔・牛裂き・車裂きの苦しみを受けるも其れを以て未来永劫の苦に
替え、今拝し奉る所の天上に至らんと思うべし。
しからば天帝本尊を拝せしめん。
クルスという物を取り出す。此のクルスという者は黄金を以て先二寸四分程にして針を植えたる如く
にして(今の山葵卸という物の如く)二尺計りの柄を付けたる物。
彼の者共の肌を脱がせ彼のクルスを以て脊を抓むしる。骨痛み血流れ出る所の血を以て
左右の手に塗りて両手を合わせて帝釈天の画像を拝せしむ。
(此の南蛮の礼を行うがゆえに日本にて仏を拝する礼と異なりと云えり。生涯の悪を悦ぶ
と云わば未来永劫の苦にかわると云う心なるべし)。
金襴の戸帳を巻き揚げれば容顔美麗なる女体の尊容、懐中に小児を抱き乳を含めたる本尊なり。
玉の冠を戴き、身に七宝の衣を穿きたり。両破天連示して曰く「此の帝釈天は智慧を世界に
降し汝らの悲苦を以て母の子を懐に抱入れ、乳を飲する如く憐れみ恵み給う。
必ず今世を顧みることなかれ、未来永劫をたのみ奉るべしといいければ
多くの者共血まみれの手を合わせて拝して退去す。
また追々集まる所の病人快復を得、難治の者共死する(死せざる?)も数多なり。
大難病にて諸医の力に及ばざる者快復を得たるも三十人に及べる。斯くの如くの方便を
以て追々此の門徒に起伏する者夥し。

新興宗教セミナーのような書かれ方(セミナリオだと学校だ)
※国会図書館デジタルコレクションからの転載なのでコピペではありません。


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「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと

2017年06月10日 21:20

9 名前:「南蛮寺興廃記」2[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 18:59:32.61 ID:eAHh5iIP
「南蛮寺興廃記」より、イエズス会が伊吹山に薬草園をひらくこと

寺の結構荘厳眼を驚かす。又ウルカン一人にては弘法力に叶うべからず。
本国より数人召しよべしと命ぜられる。ウルカン悦びて本国へ申し送る。
そもそも南蛮切支丹国と云うは国号イスパニヤならびにポルトガル、カステラと
云う海上日本里程一万二千余里世界の国を以て見る時は唐土日本よりは日本より
西方に当たる国なり。然るに南蛮と号することはこの国の従属の亜媽港、
呂宋等、日本の南方に当たれり。故に南蛮と号する者か。
アマカワ、ルスン等は日本より里程八百里にて殊に日本より南に当り、
イスパニヤの隣国にも非ずしてその国の従属たるアマカワ、呂宋等は守護も無き
島なる故南蛮人往々に其の島に船を止め今は南蛮人多く住居するが故に類属の国なりと云えり。
イスパニヤ隣国にエグレスと云う国あり(インギリヤともイギリスとも云う)
阿蘭陀の西に在る島国なり。日本里程一万千七百里と云う。
此のイギリスは南蛮国と別種なる由、云い伝う。
斯くてウルカンが本国より渡来するは浮羅天破天連、計理故離イルマン、弥理居須イルマンと云う。
(破天連と云うは師のごとく、イルマンと云うは弟子のごとく)是等が乗るところの南蛮船、
若州(若狭国)小浜に着船す。
南蛮人若州より江州海津へ至り船を湖上に浮かべて大津に至り京都南蛮寺に入りて
ウルカンに謁し信長へ注進す。信長悦びて安土へ召し呼ばわる。
浮羅天破天連はウルカンより背高きこと一尺五寸。色青く髪髭黄色なり。
衣類はウルカンが如く、相隣の両イルマンは医術外治ともに奇妙なり。
(最初ウルカンが安土へ来たりし時より南蛮人奏者は長谷川竹(秀一)に命ぜられる)
今般は六種の捧げ物あり。瑠璃の宝珠、香一包、犬皮十枚、瑪瑙の机一脚、虎皮十枚、
五色羅紗五十枚献上す。
不日に南蛮寺へ帰り重ねて信長へ訴え曰く。天帝宗はあまねく病難貧苦を救いて
起臥を安んじ法を伝え、現安・後楽の願望を成就す。
薬園を給いて薬種を植え、其の備を成さんことを願う。
信長許諾して山城近国の内其の地を選ぶべしとありければ、両イルマン江州伊吹山を願い得、
此の山に登りて五十町四方切り開き薬園として本国より三千種の薬草の苗種を取来せしむ。
伊吹山にこれを植え(此の故に今二百年の後までも其の根此の山に止まりて川芎艾(もぐさ)の類
此の山を以て名産とす。)それのみならず本国より財宝おびただしく取り寄せて
金銀に替え七宝の瓔珞金襴の幡錦の天蓋六十一種の各香、門外まで薫し、往来の人々止まる。
(此の寺常に一仏壇に本尊を立てすと云えり)。

落語「亀屋」に出てくる、灸に使う艾の宣伝文句が「江州伊吹山のほとり、柏原、本家、亀屋左京、薬もぐさよろーし」
だったけど、もとをたどればイエズス会のおかげだった?



10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 19:08:57.96 ID:eAHh5iIP
よく考えたら百人一首の藤原実方の歌で
「かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
とすでに歌われていた

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/09(金) 23:14:49.81 ID:M6wlLfbw
俺も気になって調べたけど、イエズス会側の史料で薬草うんぬんの話は見つけられなんだ

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/10(土) 13:46:44.58 ID:MzfslN0X
>>9
>若州(若狭国)小浜に着船す。

まーた小浜か
前にもアラジンとかいう名前のイスラム商人とかも流れ着いてなかったっけ?

「フロイス日本史」から、戸次川の戦い

2017年05月30日 18:11

805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/29(月) 21:31:52.86 ID:pxsQt+cT
(豊後国主の)嫡子は、薩摩軍が攻めてきた時に身を守り得るために、
他の二名の主将(仙石秀久長宗我部元親)とともにウエノハル(上原)と称するある場所に一城を築くことに決した。
だが彼らは心して真面目に築城の作業に従事しなかった。
彼らの不用意は甚だしいもので、饗宴や淫猥な遊びとか不正行為にうつつを抜かしていたので、その城は笑止の沙汰であった。
したがって(薩摩軍が来週した時に彼らが)助かることなど思いもよらないことであった。

ところで国主フランシスコの息子パンタリアン(田原)親盛は、司祭に対して、
もし府内で何事かが起こった場合には、司祭は家財を携えて城(妙見城)に身を寄せるようにと伝えていた。

薩摩の軍勢は惰眠をむさぼることなく、攻撃力を強めながら、漸次豊後に進入して領地を奪っていった。
豊後の指揮官たちは、常軌を逸した振る舞いによってますます油断の度合いを深めていた。

本年一五八七年の一月十六日(西洋暦)、薩摩の軍勢は、
府内から三里離れたところにあるトシミツ(利光宗魚)と称するキリシタンの貴人の城を襲った。
城主は府内からの援助を頼りに力の限り善戦した。
だが敵は攻撃の手を緩めず、ついに武力によって城内に進入し、その城主、ならびに多数の兵士を殺害した。

府内にいる味方の勢は、(利光の)城が占拠されているかどうか確かなことを知らないまま、
赴いて囲みを解くべきかどうか評定を続けていた。
結局、彼らは出動することに決め、栄えある殉教者聖フィビアンと聖セバスティアンの祝日に府内を出発した。

府内からは、仙石がその兵士を率い、土佐国主長宗我部とその長男がその兵士を伴い、
さらにパンタリアンも兵を率い、その他豊後の特定の殿たちが出発した。
清田と高田の人々に対しても出動するよう命令が出された。

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/29(月) 21:32:45.50 ID:pxsQt+cT
薩摩勢は、それより先(豊後勢の動静を)知らされていたらしく、余裕をもって策を練り、
準備を整え、一部少数の兵士だけを表に出して残余の軍勢は巧妙に隠匿していた。

豊後勢は、大きく流れの速い高田の川に到着し、
対岸に現れた薩摩勢が少数であるのを見ると、躊躇することなく川を渡った。
そして豊後勢は戦端を開始した時には、当初自分たちが優勢で勝っているように思えた。
だがこれは薩摩勢が相手の全員をして渡河させるためにとった戦略であった。
渡し終えると、それまで巧みに隠れていた兵士たちは一挙に躍り出て、
驚くべき迅速さと威力をもって猛攻したので、
土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。
というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。
こうして味方の軍勢はいとも容易に撃退され敗走させられて、
携えていた鉄砲や武器はすべて放棄し、我先にと逃走して行った。

豊後国の人たちは、河川の流れについて心得があったから助かったが、
仙石と長宗我部の哀れな兵士たちは他国の者であったから、浅瀬を知らず溺死を余儀なくされた。
こうしてその合戦と破滅において、二千三百名以上の兵士が戦死したと証言されている。
彼らの中には、土佐国主の嗣子や、かつて阿波の領主であった十河殿、その他大勢の貴人や要人が含まれていた。

薩摩勢は、その日の午後には府内から四分の一里の地点にまで到達し、
その途中にあったものをことごとく焼滅し破壊した。




「フロイス日本史」から、戸次川の戦いについての記述である。


「太平記」とよばれる歴史物語

2017年04月18日 18:23

830 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 21:37:32.59 ID:MsDcnCUQ
ジョアン・ロドリゲスは過去にも何度かスレに出てきたポルトガル出身のイエズス会宣教師で
10代後半を日本で過ごし耳川の戦いにも参戦し、日本語に関する「日本大文典」「日本小文典」を書き、
明の軍事顧問をした人物だが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8123.html
集英社のシリーズ<本と日本史>④「宣教師と『太平記』」の日埜博司編訳ジョアン・ロドリゲス『日本小文典』から孫引き

まさしく日本語でものされているというふさわしい書物で、生徒たちに講じてやってもよいものを、
クラス別に分けてみるとつぎのようになる。
第一のもっとも低いクラスには「舞」および「草子」がくる。
第二のクラスには「撰集抄」「発心集」というものがはいる。
第三のクラスには、歴史物語を意味する「物語」という名の書物がはいる。
たとえば「平家物語」「保元平治物語」がそれ。これらはこのジャンルに属するもののうちでは
ひときわ優れたものであり、いちだんと優雅な文体からなるものである。
第四のクラスには、「太平記」とよばれる歴史物語がはいる。
これは日本にあるもののうちもっとも荘重で高尚な文体のものである。

「宣教師と『太平記』」では、太平記を平家物語の上位に置くという考えをロドリゲス特異のものでなく
戦国日本の評価をある程度反映したもの、と論じているが、興味深かったのでロドリゲスに関する話として


ギョーム・ポステルの日本観

2017年04月16日 17:56

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 20:11:15.64 ID:5urH6aPk
ウィリアム・J・ブースマ「ギヨーム・ポステル 異貌のルネサンス人の生涯と思想」より、ギヨーム・ポステルについて

西欧の言語はもちろん、ヘブライ語、アラビア語など様々な言語を習得し、
すべての言語はヘブライ語に由来するといった本を記述し、比較言語学の創設者の一人とされ、
フランス王フランソワ1世に数学や言語学を教授し、
イエズス会に入り、自分が翻訳した聖書で世界中をカトリックに改宗させようとし、
カバラ思想によってプロテスタント的な千年王国思想を広めようとし、
ある女性を「新しいエバ」、彼女によって生まれ変わった自分を「第二のカイン」、とみなし、
なんだかんだで異端審問にかけられ、「狂気」の判決を受ける、
という波乱万丈の人生を送ったギョーム・ポステルであったが、その日本観。

日本は自然理性の一種のユートピアであり、
・日本人は3つの偶像を崇めているが、それは三位一体を認めたためである。
・神の前でとりなしてくれる処女なる母(脇から出産した摩耶夫人?)を崇拝し、彼女の息子釈迦の伝説を守り伝えている。
・日本人は一神教徒でもあり、賞罰を伴う死後の生を信じている。
・共同生活に基づいた一種の修道院制度を実践し、断食、祈祷、説教をする。
・長子相続制と君主による宗教的共同体の統率の有効性を堅く信じている。
そのため、日本人が現に行っていることをイエスの名においてなしさえすれば、彼らは「世界でもっとも完全な人間」となる。
こうして神は東方を善行のうちにとどめ、東方以上に完全な生き方はない。
かたやキリスト教という至高の教義が今に至るまで支配してきた西方には、キリスト教徒としての完全さや純粋さはほとんどど残っていない。

 西欧批判のためにユートピアとして持ち上げられているとはいえ、日本仏教とキリスト教の類似点の指摘や
 長子相続制と君主の権威主義という、エマニュエル・トッドがドイツと日本の共通点として挙げている指摘が見えて面白い
 ツッコミどころ満載なので悪いスレに投稿



738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/20(木) 19:47:40.19 ID:UFErlbpi
>>735のポステルの詳しい内容が彌永信美「幻想の東洋」オリエンタリズムの系譜、にあった
・東方の三人の王はユダヤ人よりも前に主イエスの誕生をお知りになった。けだし西方のことどもは優れたる東方のまぼろしにすぎない。
(この後>>735の日本人が現に行っていることを~、という文章が来る)
・ザビエルの弟子のヤジロウの報告書によれば、日本人はすべて唯一の神を知り、それを彼らの言語で「ダイニチ」と呼び、
一身にして三頭を具えた形で描く。ただこの三頭について彼らはいかなる説明もできない。われわれには三位一体由来なのは明らかである。
日本人は頭や腕が多いほど大いなる利益の力を持つと信じ、ついには百の腕を具えた像まで作ったのである。
これは高僧らの無知と過誤に由来することで、彼らは民衆がキリスト教の正しい教理から偶像崇拝に立ち戻ることを許してしまった。
もともと東方の三人の王が日本人を改宗させ、聖トマス(インドで布教したと伝えられる)によって教えが確認されたにも関わらず、
彼らは徐々にイエスについての真実を次に語られるシャカの物語に改変してしまった。
シャカの父親は浄飯大王(Iambondaino)、母親を摩耶夫人(Magabonin)というが、これがヨセフ(Iosef)とマリア(Marie)をもとにしたことは
最初の文字が「I」「M」であることから明らかである。
この王は夢で子供のかたちをしたものから「我、汝の妻より生まれ出ずることを欲す」と言われたとされるが、これは天使による受胎告知である。
王は后に触れぬことに決め、后は処女のまま身ごもった、とされる。このようにイエス誕生の物語が改変されて伝わっている。
后は産後死に、后の妹がシャカを養育したが、二匹の蛇が近づいてきて、彼に大いに水を灌ぎかけた(灌仏会では九匹の竜)。
これは洗礼についての記録であり、日本人はすべて洗礼を受ける。また蛇はサタンの記憶の混同である。
シャカは三ヶ月目には真っすぐ立って「我は天と地における唯一の帝王なり」と述べた。
これは「我は天にても地にても一切の権を与えられたり」との主イエスの言葉そのままである。
彼は19歳の時、人の世の悲惨を感じて山に出向いたが、これは山上の垂訓にみるとおり主イエスのことである。
こうして八千人の弟子を集めたシャカは隣接する人々を改宗させ、偶像を破壊し、崇められていた寺院や聖地を躊躇なく壊したのである。
シャカの弟子達は日本にも到来し、そこでも偶像を破壊した。それゆえ今日でも日本では偶像の破片などが見られることがある。
このシャカはすべてのものを想像した唯一の神の存在を教え、その姿を一身三頭に描かせた。
彼はまた人々に5つの掟を与えた。「他人を殺すなかれ(いわんや自分自身を)」「盗むなかれ」「姦淫するなかれ」「思い悩むことなかれ」「罪人を許すべし」
これらの掟を与えられるのは主イエスをおいてほかにないのだから、シャカが主イエスを元にしたのは明らかである。

ヤジロウの仏教観はおそらく戦国日本一般の仏教観とほぼ同じと思われるが、
イエズス会が当初、仏教の用語を利用して日本人を改宗していたのって、親近感を得るために仏教の仮面をあえてかぶったんじゃなくて
本気で仏教をキリスト教の反映と考えていたのだろうか



739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/20(木) 23:43:28.11 ID:MLRX6GjQ
>本気で仏教をキリスト教の反映と考えていたのだろうか

2008年ノーベル物理学賞の
南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3人が
東方の三博士になぞらえられていたのを思い出した

薩隅の戦国お菓子 いこもち

2016年09月07日 10:52

158 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/09/06(火) 21:25:26.92 ID:DA/6suIj
薩隅の戦国お菓子 いこもち

“いこもち”は鹿児島の祝い菓子のひとつ。“いこもち”は漢字では「煎粉餅」と書き、餅米を炒った後、
粉に挽いた物に砂糖湯を加え、お餅状に仕上げた菓子です。
昔は黒糖で作っていましたが、現在は白砂糖を使った白いいこもちが多いです。

“いこもち”にはこんな話があります。
天文十八年(1549年)鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは、その翌年に平戸から船で出発し、
京都へのぼった。
その途中、夜盗に襲われ持ち物を奪われてしまい非常に難儀をした。
このとき同行していた鹿児島出身の青年ベルナルドが、腰にさげた袋に入れていた米粉で
いこもちを作って一行の飢えをしのいだといわれています。

穀物を煎った粉は虫がつかず、長く保存がきく。また携帯に便利なことから、焼米や糒などと同様に
携帯食として重宝されていました。
(かごしま文庫 鹿児島の伝統製法食品)



ジョン・セーリス航海日誌から

2016年06月05日 21:57

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/04(土) 20:10:57.35 ID:4NzI32HK
イギリス東インド会社のジョン・セーリスの航海日誌から
1613年、セーリスの乗ったグローブ号が平戸に着き、平戸藩主松浦隆信の大叔父の松浦信実が乗船してきた。
ついでにセーリスが何人かの身分の高い婦人を自分の船室に案内すると、壁には半裸のヴィーナスの絵。
その絵を見た婦人たちはひざまずき、ヴィーナスを(おそらくマリア像だと思って)拝み、
セーリスに小声で「実は私たちはクリスチャンです」と囁いた。
一方、信実や後で乗ってきた隆信といった殿方の反応は日誌に描かれてないが、セーリスはイギリス本国に
「日本では猥褻な絵や戦争の絵の需要が大きいからできるだけ大きいのを送ってくれ」
と書いているため、だいたいの想像は可能かもしれない。

一方、イギリスに帰国したセーリスは日本で個人用に枕絵(春画)を大量に購入し、周りに見せて回ったのがばれ
東インド会社の顰蹙を買ってしまい、なくなく枕絵を焼却したという。



676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 01:37:55.04 ID:EebVO3wP
古今東西男というのは変わらないな

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 10:05:32.73 ID:/0DFBIH6
大内義隆「そうなの?」

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/05(日) 23:53:05.02 ID:uGuy/QER
生身の女をいくらでも手に入れられる立場にいながら、それでも絵が欲しいってホント現代とかわんないな

1646年8月15日、平戸にて起こった一連の事件

2016年04月05日 15:56

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/04(月) 20:37:29.38 ID:c0Q39Gk6
1646年8月15日、平戸にて起こった一連の事件は、日本の婦人の貞操を証明するに足るだろう。
ヤカタイ(jakatai)と称する身分有る一男子がとある婦人と結婚し、間もなく要務のため都に赴いた。

この事より以前、ある一貴族はこのヤカタイと結婚した若き婦人に求婚を申し込んでいた。
彼は「もし承諾なくば他の婦人を娶らない!」とまで言ったが、彼女より拒絶されていた。
しかしこの機会に乗じて、多数の従者を従えこの婦人の家に押し込み、強いて情欲を満足させた。

彼女は、このような害を受けた以上復讐せんと決心し、彼を引き止めて再度の享楽を有すべき希望を
抱かせたが、そのような間にヤカタイは都より帰宅した。

主人の帰宅の歓迎のため、家人たちは家の最上階にて宴を設けた。そして彼女は自分の友人、
およびかの貴族を招くようにと命じた。

こうして宴たけなわの頃、ヤカタイの妻は立って問うた
「近頃一婦人あって狼藉に遭いました。彼女は如何なる罰を受けるべきでありましょうか?」
席の者達は口々に言った
「その曲事の主を殺すべきである」
彼女は声高に叫んだ

「私は実にその女である!そして之を行った者もあそこに座している!
乞う、私の生命を奪え!このような行為を忍ぶという恥辱が、外の婦人を汚さないよう、
私のような劣悪な者が人間の中に生存せぬように!」

一同はこの告白を皆意外に思ったが、特に驚いたのは夫のヤカタイであった。彼は婦人を慰撫し、
「今後、この事を忘れるのだ。」と説得したが、彼女はその言葉に満足せず

「郎君は私の被った恥辱に対する復讐をされないのか!?ならば私自ら為すべし!」

言うやいなや、その家の最上階より飛び降り、頸を折って死んだ。
客中にあった暴行者も、生前愛した者と死を共にしようと、階下に降り、切腹して婦人の死骸の上に倒れた。

(モンタヌス日本誌)



日本人が児童を教育する時

2016年04月03日 10:22





549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/02(土) 21:43:17.64 ID:+Q+W4S1Y
日本人は、小児に対して穏和であるだけではなく、また小心翼翼として之を養育する。
たとえ小児が終夜泣くことがあっても、穏やかな方法を以って之を黙らせるように努め、
いささかも、体罰や強い言葉で叱りつけるようなことはしない。

小児が7歳となるのに先立ち、これを学校に送って仏教僧の教育するに任せ、14歳まで読書および
書き方を習う。

書き方の学習は最も煩わしきものである。何故なら日本には文字に四体があり、
それぞれ形を異にするのみならず、その意義も異にし、ある文字および言葉は貴人に対して
書くときに用いられ、他のものは一般の人に対して記す時に用いられ、一種の言葉は韻文について
使われ、之と全く異なる言葉は散文について使われるのである。

日本人が児童を教育する時、軽卒な手段を用いることはない。何故なら日本人には、不正な手段によって
何事をも成そうとするような者は居ないからである。

彼らは小児を奨励するのに、名誉心を以ってする。名誉を貴ぶのは児童の天性であるようで、学問において
他より優れようと最上の努力を為す。

12歳に至ると初めて剣を帯びる。この時小児は前額の髪を毛抜きを以って抜き取る。
市民は毛髪の半ばを残し、貴族は頭を全く剃って後方に一房を残す。
これを以って貴族と平民との区別を知るのだ。
日本人が品物の売買について折り合わない時は、その子が之を決定する。

(モンタヌス日本誌)

日本人の少年の育て方についてのお話。



550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/02(土) 23:26:33.80 ID:dR6isvrw
残されていた前髪を毛抜きで一気に抜いて大人の髪型にするってのは、映像として実際に見てみたい

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 05:24:49.29 ID:tamAWkvC
ムチでぶっ叩いて躾と勉強させてた西洋人にとって日本の子育ては驚きって感じか
逆に西洋じゃ夜鳴きに体罰や強い言葉で叱りつけるで対応してたんかと読めて怖い

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 18:48:34.73 ID:YiDTxCu9
>>550
昔東南アジアの少女が尼さんになるんで髪の毛を少しづつ抜いてる映像を見たな

これらすべての人々は

2016年04月01日 10:31

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/01(金) 00:03:45.33 ID:q8KEpmAM
フランシス・カイロンは、彼が江戸に有った時に起こった一事件に関して語った。曰く、

エムベロム(将軍)の一領地を支配する貴族があった。その領地における借地人に、
エムベロムが命じたもの以上の借地料を課していた。この方法によって彼は自己を富ませたが、
人民はその負担に耐えることが出来ず、団結して内閣に至って領主を訴えた。

内閣はこれを調査してその罪有ることを知るや、該当の貴族は家族とともに切腹して自ら死刑に
就かせることと定めた。

彼には一人の同胞があって、肥後の王に仕えていた。肥後は江戸から離れること西方247リーグである。
またそこから30里隔てた薩摩に一人の伯父が有った。
第2子は江戸より東に隔てること110リーグに住してマッサマ(Massama)の王に仕え、第3子は
インカノ(Inquano)のエムベロムの城に在った。末子は大阪の裕福なる商人の娘と結婚していた。
兄弟2人はエムベロムの近衛であった。

これらすべての人々は、彼らの兄、弟、又は父の罪のために、同一の日時に切腹することと成った。

処刑者の為すべきことは次の物である。
第一に、死の使者が悲報を最も遠くにある親戚に伝えるべき日時を計算し、これを最終時間として、
それ以上の執行猶予を許さない。最も近くにある者も、最も遠くの者と同日に正午を期して厳命に従い、
各々が自己の残酷なる破壊者となる。

然れどもその日、大阪の商人となった末子は自殺をしなかった。大いなる恐怖に打たれた彼は、
知らせを聞くや直ちに死んだためである。

彼の唯一の子であった女児は罰せられることはなかった。しかし自殺せんと欲し、自ら食を絶って
11日目に死んだ。

ただし、これらの人々に関係ある婦人が、如何にしてこの数家族の破壊中に身を脱したのかは、
カイロンは語らなかった。

(モンタヌス日本誌)


ランシス・カイロンの取りたる日本の王公の歳入

2016年02月15日 13:52

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 00:25:17.82 ID:ATq8urbY
最後にこの大帝国(日本)に属する歳入に関しては、フランシス・カイロンの取りたる日本の王公の
歳入の公記にて明らかである。

歳入は、日本風によればコキーン(古金?)を以って計算する。1コキーンはフランス貨幣1クラウンに
当たる。フランシス・カイロンがこの地に居住していた時は、最大の歳入を有せしエムベロル(将軍)に次ぐ者は、
カンガ(加賀)、ゼッチュー(越中)、およびナツタ(能登)の王にして、カンゴチューナゴン(加賀中納言)
と称し、ランガ(金沢?)に居住している。年々の収入は黄金120トンを下ることはない。
(黄金1トンは一万ポンドである)

スルガ(駿河)、トト(遠江)、ミカワ(三河)の国の王、スルアンゴダイナゴン(駿河大納言)は、
ファイチュー(府中)の城塞に居住している。オワリ(尾張)およびミノ(美濃)の両国の王オワリノダイナゴン
(尾張大納言)はナンガイ(名古屋)の城塞に居住す、各年々70万ポンドを有している。

マサニネ(政宗?)およびオーチオ(奥州)の王センダイノチューナゴン(仙台中納言)は堅固なる
センダイ城に居住し、年々黄金64トン以上を有する。

サツマ(薩摩)、オシナ(大隅)、シューゴ(日向)およびルチオ(琉球)の王サツマノチューナゴン
(薩摩中納言)はカガシマ(鹿児島)城に居住し、年々60万ポンドを得ている。

キノ(紀伊)およびイセ(伊勢)の王にしてワカヤマ(和歌山)の城を支配するキノクニダイナゴン(紀伊大納言)は
年々55万ポンドを有する。

クマモッテ(熊本)城に在るヒゴ(肥後)のカットー・ヒゴノカミ(加藤肥後守)、およびフカサ(福岡?)城
にあるスンキセン(筑前)のマツェンデイロ・エムノスコ(松平右衛門佐)、およびオエクデの城塞を守る
エチュセン(越前)のマツェンデイロ・イノカミ(松平伊予守?)の諸王も大抵同様の収入がある。

ハギ(萩)に在住するソヴァ(周防)のマツェンデイロ・ナガト(松平長門)、およびミト(水戸)の
城塞に在るヒタイツ(常陸)のミトンスチューナゴン(水戸中納言)、ロギオイス城を支配する
ヒジェン(肥前)のナビシマ・シナノ(鍋島信濃)、タカハム(高浜)城塞に在るイナバホキ(因幡・伯耆)の
マツェンデイロ・シンダイロ(松平新太郎)は、年々31万ポンドを収める。

その他第二位の諸侯、すなわち候にあたるもの、第三位の諸侯、すなわち伯に当たるもの等、以下差異がある。

(モンタヌス日本誌)



326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 04:54:05.75 ID:XYvsWhlB
コキーンは石かな さもなくば小金?

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:22:55.11 ID:QDOkNT47
マツェンデイロナガト
やだ、かっこいい。

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:41:14.34 ID:3gxUKt4i
一万石で黄金1トン換算なのか

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/15(月) 07:59:12.97 ID:8kGl8Ch8
基本的に一石=一両だよな
小判一枚で金20gも無いはずだが

この、広く富んだ島をこの国の人々は「ニッポン」と称す

2016年02月13日 21:06

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 08:31:50.69 ID:hMpUIChl
この、広く富んだ島をこの国の人々は「ニッポン」と称す。
ポルトガル人は往年、これをアルガンタナと称した。キリスト紀元1200年には、有名な著作家
バウルス・ヴェネツスによれば、「クリセ」および「ジパングリ」の名がある。

この地の東方には、カルフォルニア及びニューグラナダを控えているが、距離は甚だ大にして、
その間には千リーグの大洋がある。

西方には、遥かに隔たってコレア(朝鮮)の島、および大支那を相望む。
ヒュー・リンスコットは、支那より日本に最も近い海角を、80リーグ隔てていると計算した。

北は蝦夷の地およびアニアン海峡の地に対す。そして全ての背後にアメリカ海岸がある。
南はフィリッピン、ミンダナオ、ギロロおよびモラッコ島に境する。

日本は北緯30度より40度に広がり、最も長い昼は14時間15分。最も短い昼は9時間45分である。
最も高い太陽は正午において頂点を去る15度に現れる。
気温はサルジニア、ロードアイランド、キブルス、カンジおよびシシリア諸島と大差なく、
ポルトガル、スペインの本国に似ていて、アラビア、シリア、ペルシア、支那の如く温和である。

日本は5国に分かれている。すなわちヤマイステロ(山城)、エツェンゴ(越後)、エツェゼン(越前)、
カントー(関東)、およびオーチオ(奥州)である。その他にサイコク(西国)およびシコク(四国)がある。

マッフェウスはサイコクをシムムと称して、これを7国とした。しかしながら目撃者たるフランスシ・カイロン
はこれよりも信頼するに足る。彼曰く、数人の王がこの地を統治し、またシコクに一人の王と3人の副王とあり、
この国の、「ヂヤパン」と訛り称せられている部分には二箇所の首都を誇る。ミヤコ(都)、及び江戸である。

マッフェウスはなおも人々に語って曰く、この国には53国有ると。
その中にミアコ(都)とアマングチウム(山口)の名を挙げて曰く、ミアコは23国、アマングチウム30国より
成る。しかしながら近年になって、これらの少王国は全て、一人の王、すなわちエムベロル(将軍)の併合する
所となり、エムベロルはその広壮なる宮殿を江戸に有している。

なお、日本はサイコクおよびシコクの他に、多くの島を以って構成されている。すなわちヒウ、タカスマ、
イキクチ、カンガ、ヒランド(平戸)、メアクシマ(三宅島)、オエノ、コシケ(甑島)、ベロエ、
オキ(隠岐)、ムルガン、アヴァンス(淡路)、メツトガンマ、メホ、ミアニシヌ、銀鉱山の多きサンド(佐渡)、
および西方にシコクおよびタカスマの二島を洗うヂェモン海峡の背に有りて、恐るべき煙を噴出する
ヴルカニアである。

(モンタヌス日本誌)


モンタヌス日本誌における、日本についての解説である。



306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 10:05:15.11 ID:28r1XeST
アヴァンスとかかっこいいな南フランス辺りにありそうな地名

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 10:17:31.12 ID:ssPutzEA
avancee フランス語で「前進」
英語のadvanceだな、淡路島の企業でつけてるとこあったりして

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 14:17:19.95 ID:xyVxXPOO
ヒウが琉球でタカスマが種子島、イキクチが壱岐でヴルカニアは桜島かな

なーんだ対馬はやっぱり朝鮮領じゃないかw

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/13(土) 14:27:27.26 ID:r7RUvhaQ
これには宗氏も激烏滸

教会だった場所だから

2015年09月18日 16:08

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 13:44:39.01 ID:PRgLiTG6
 豊後の国の国主がある男にキリシタンの教会があった土地を与えた。幾人かの人々は土地をもらった男に
「その土地は元々教会だった場所だから、そこに家を建てると ばちがあたるかもしれない」と忠告した。
しかし、キリシタンと関わりのないその男はそのような忠告など耳を貸さずに家を建てて移り住んだ。
 すると、彼が移住してきた後、短い期間で家中の人間が5人も立て続けに亡くなる不幸が起きた。
家主の彼はこの不幸を恐れて他の所へ引っ越した。しかし、後になって彼はこれではキリシタンたちが
自分の臆病さを嘲笑するのではないかと恐れて、以前は教会だったその家に戻って生活を再開した。
すると、その数日後に彼の長男が喧嘩で命を落としてしまった。さすがに懲りた家主はその家に住むのを
あきらめて家を手放してしまった。
 その後まもなくして、キリシタンではない別の男がその家に自分なら運よく住めるかもしれないと考えて、
色々と災難があったいわくつきの家に住むことを試してみたが、その者はしばらくして らい病にかかってしまった。
それ以後はその家は空き家となってしまい、誰も住まなくなった。
 この話を聞いたキリシタンたちは教会を大切にすべきことを学んだのであった。

       1591、1592年イエズス会日本年報 ルイス・フロイス書簡



332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 16:34:10.17 ID:wv+XnyRG
某日蓮カルト宗教並の胡散臭さ

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 16:54:23.84 ID:Fp8VF3UM
えらく偏狭な神様だなおい

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/18(金) 17:01:54.22 ID:DNHRvApW
仏教伝来の時も物部守屋が仏像を破壊したら疫病が仏罰で余計ひどくなった、て話があるが
仏でもキリスト教の神でも荒ぶる神にされてしまう日本であった
フロイスも「神罰があたった」とか喜んでないで日本の他の神々と同一視されてることを嘆かないと

「日本語大文典」より、戦国期の動詞の活用の一例

2015年04月13日 18:46

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/12(日) 23:07:23.95 ID:Hc6A8vbq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-1667.html
で出ていたジョアン・ロドリゲスの「日本語大文典」についての研究書があったので買ってみた
動詞の活用の一例
語根 Curabe(くらべ), 現在時制 Curaburu(くらぶる), 過去時制 Curabeta(くらべた), 未来時制 Curabeo^ (くらべん), 命令 Curabeyo(くらべよ), 否定形 Curabezu(くらべず)
と現代の国文法なら日本語を膠着語と考えるから、不変の「Curab」を語幹とするところを、
屈折語のラテン語文法が規範となっていたために最も多用される「Curabe」を語幹としたり、
動詞の人称・数に対する活用?を
一人称「でござる」二人称「でござる」三人称「でござる」、単数「でござる」、複数「でござる」
とこれもラテン語などヨーロッパの言語では活用するから、日本語ではすべて同じなのに一々繰り返したり
(もっとも、モンゴル語とかトルコ語のような日本語同様の膠着語でも人称語尾がつくから表記したのかもしれないが)
ラテン語のように主格(-Φ, -ua, -ga, -no, yori)、属格(-no, -ga)、与格(-ni, ye)
対格(-uo, -uoba, -ua, ga)、呼格(-Φ, icani -)、奪格(-yori, -cara, -ni)
複数主格 -tachi, (後のも-tachi-の後に上の格変化語尾を加えて全て書き出している。
一応「ラテン語のような屈折はなく、不変の助辞がくっついている」という説明がある)
としていたり、と内容は日本語文法なのにどこかヨーロッパの言葉を学んでいるような感じがして面白い




フロイスの仏教の印象

2015年01月18日 17:13

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/17(土) 19:04:01.58 ID:A1D2OVqA
フロイスの仏教の印象
「釈迦は八千人の弟子を持ち、その人数の中から彼に従い、常に同行する十二人を選んだ。(中略)
彼の死後、宇宙の総ての生き物が集まって彼の死に涙を流した。
そして彼の十二人の弟子の中から四人が彼の障害、奇跡と苦行について記すべきテーマを取り上げた。
彼ら(四人)は阿難、迦葉、目連、舎利弗と呼ばれる」
「悪魔は彼らにいくつかの事柄においてキリスト教のそれに酷似している外面的な儀式を与えることに尽力した。
そのことでわれわれが彼らに説いていることと、彼らの有していることとは、総て同じ一つの事柄である、
しかしながら、深く聞くときはたちまち混乱してしまうのだというようになった。
彼らは三位一体にして一つである阿弥陀、そして釈迦は十二人の弟子と彼の生涯についての
四人の年代記作者を持つほどの無限の奇跡をもった人類の救い主であるというのである。」




鍋の底に焦げ付いた飯は

2014年11月17日 18:55

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:19:58.83 ID:N9ed95oq
我々の間では鍋の底に焦げ付いた飯は戸外に捨てるか、犬に食わせる。
日本ではそれは食後の果物である。またはそれを終わりに飲む湯の中に投ずる。

ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」より)

なんだかネット上では米粒を全部食べるのが卑しいとか言ってる人を時々見かけるが、
昔から日本人はこの通りなんで安心して残らず食べてもらいたい





212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:33:00.41 ID:TN6O4rZX
わざわざ土鍋でオコゲ付きの飯炊いとるというのに…

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:33:12.14 ID:oxawx0Ei
時代が進むほどわけわからんマナーや礼儀が増えすぎだよな

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 15:59:12.40 ID:dVHxTUJR
イタリアには米をチョコレートと牛乳で煮るお菓子があったはず、いつからかは解らないけど
ただ、日本米と違うから…一度作ったら酷い有り様だったよ

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/17(月) 18:34:27.81 ID:nHFdZbxf
ライスチョコレートケーキってやつか?
不味くはなさそうだが
米はポン菓子みたいにしてクランチにした方が美味そう

紀伊、悪魔に対する崇拝と信心に専念している国

2014年09月24日 18:52

345 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 20:16:59.07 ID:Xw3iSN0C
堺の付近を和泉国と称するが、その彼方には国を挙げて悪魔に対する崇拝と信心に専念している、
紀伊国なる別の一国が続いている。そこには一種の宗教団体が4つ5つあり、その各々が大いなる共和国的存在で、
昔から同国ではその信仰が盛んに行われてきた。いかなる戦争によってもこの信仰を滅ぼすことが出来なかったのみか、
ますます大勢の巡礼が絶えずその地に参詣していた。

これらの集団の一つをコウヤ(高野)と言い、三千ないし四千の僧侶を擁している。その宗祖は弘法大師で、
彼は七百年前、そこに生きたままで埋葬されることを命じた。同宗派はシンゴンジュ(真言宗)と称し、
この高野の宗団は、頂上に大いなる平地と自分たちの憩いの場を持つ高山にある。
毎年大勢の参詣者や巡礼が訪れるが、いかなる女性もそこに登ることは許されないし、また女性に関連した物品も
持ち入ることができない。そのために、周知のように、同所の仏僧達は忌むべき輩であり、その生活は淫猥を
極めたものとなっている。

同国にある2番目の宗団はコカワ(粉河)と呼ばれる。それは前者に比すると人員や規模においてはるかに劣るので、
改めて特筆する価値はなく割愛することにする。

三番目の宗派ないし宗団は、やはり一部の仏僧が構成するものであり、ネゴロス(根来衆)と称する。
彼らは当初、高野の仏僧らと同一の宗団に属していたが、後に分離して独自の宗派を形成するに至った。

これらの仏僧たちは、日本の全ての宗派とは全く異なった注目すべき点をいくつか有している。すなわち彼らの本務は
不断に軍事訓練にいそしむ事であり、宗団の規則は、毎日一本の矢を作ることを命じ、多く作った者ほど多くの功徳を
積んだ者と見なされた。彼らは絹のキモンイス(着物)を着用して世俗の兵士のように振る舞い、裕福であり収入が多いので
立派な金飾りの両刀を差して歩行した。カタギン(肩衣)を着物の上に纏っていない点を除くと、その服装は他の俗人と
異なる所がなかった。それについては、既に日本人の服装を論じた際に言及した通りであり、彼らの衣服は飾り用に羽織る
一種の薄いサンペニート(袋状の衣)である。更に彼らはナザレ人のように頭髪を長く背中の半ばまで絡めて垂れ下げ、
いかなる事があっても僧帽を着用しなかった。

彼らを一瞥しただけで、その不遜な面構えといい、得体のしれぬ人柄といい、彼らが使えている主(すなわち悪魔が
如何なるものであるか)を示していた。
都に隣接した諸国に住む日本の武将や諸侯は、互いに交戦する時ゲルマン人のようにこれらの僧侶を傭兵として金で雇って
戦わせた。彼らは軍事に極めて熟達しており、とりわけ鉄砲と弓矢にかけては日頃不断の訓練を重ねていた。そして
戦場においては自分たちに有利な条件を提示する側に容易に屈するのであった。

彼らの寺院なり屋敷は、日本の仏僧の寺院中、極めて清潔で黄金に包まれ絢爛豪華な点において抜群に優れている。
そしてその寺院なり住居が清潔であればあるほど、一方で彼らは生活において忌むべき人間に堕落しているのである。
彼らは根来の宗団内にとどまって戦に参加していない時には、他の仏僧らと同様に偶像崇拝並びにその宗派の儀式に従っていた。
彼らはその地を訪れる巡礼者たちを懇切丁寧にもてなし、2,3日無料で食事を提供した。

彼らに奉仕する家僕を除き、仏僧だけで八千人から一万人もいたが、それらの家僕の大部分は下賤の出で、主人の元から
逃亡した下僕とか、悪人、また下等な輩の寄り合いであった。だか彼らはひとたびネゴロス(根来衆)になると、
たちまち尊敬を受け、血統の賤しさも、以前の生活や習慣における卑劣さももはや己が身に汚点を残さなくなると信じていた。

346 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 20:17:30.36 ID:Xw3iSN0C
この国の四番目の宗団の人々がいる地方はサイカ(雑賀))と呼ばれ、その住人たちは、ヨーロッパ風に言えば、いわば
裕福な農民たちであった。だかヨーロッパの農民たちと全く同じというわけではない。すなわち彼らは海陸両面での
軍事訓練において、根来衆にいささかも劣らなかったし、常に戦場で勇敢な働きぶりを示してきたので、日本において、
彼らは勇猛にして好戦的であるとの名声を博していた。

彼らは僧籍を有せず、全て一向宗の信徒であり、かつて大阪の市および城の君主であった仏僧(本願寺顕如)を最高の主君に
仰ぎ、彼に従っていた。織田信長は6年にわたって顕如を包囲したが、しばしばこの大阪勢には悩まされ、信長勢は彼らの
攻撃を受けた。
当時、この僧侶を最も支えたのは、彼が常時手元においている6,7千人もの雑賀の兵であった。彼らは自ら奉ずる宗教への
信心並びに熱意から、不断に大阪の城に馳せ参じ、自費を以って衣食を賄うとともに、海陸の戦いでは武器弾薬を補給した。

ルイス・フロイス『日本史』)

フロイスの日本史より、紀伊国の宗教勢力に関する描写である。




347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/23(火) 23:59:46.10 ID:TzWQWK3c
高山のところの「淫猥を極めた」、ってやっぱり男色のことかねえ
当時の日本では珍しくなくても、宣教師からしたらとんでもないわな

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 00:38:47.54 ID:LY5nv8Sv
そういえば最近カトリック教会での児童虐待(男色的な意味で)が問題になってましたな
ねえフロイスさんどんな気持ちですか?

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 04:23:06.88 ID:ojoMC+8w
アレクサンデル6世「カトリックがそんなに腐敗しているとは
なんと嘆かわしい」

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 09:07:12.13 ID:jjnT6EAA
ドラマは何期までやるんだろ
つかなんでイタリア製作じゃないんだ

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 11:34:43.60 ID:sbmPmQEC
>>348
正さねばならんと思ってるだろうね。
元々イエズス会ってそういう人の集まりだし。

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 13:51:17.30 ID:FJwfTTB0
アルカイダみたいなもんといえば多分あってるw

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/24(水) 18:19:53.47 ID:K4DHuFe/
>>352
あの直前頃のカトリックは結構アレだったよね、ほとんど世俗の王みたいな

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 09:44:38.77 ID:p+Wz+xjT
>>345-346
「粉河寺は詳しいことわからへんし余計なこと書かんとこ」
「5つ目は熊野…まあちょっと他んとこより遠いし省略してもええやろ」

4つ5つといった言い回しにこんなような思いが滲み出てる気がしてこの逸話見聞きした時に
モヤっとしてるのは俺だけだろうか

なんだか逆である源義経の話

2014年09月18日 18:52

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 17:41:52.94 ID:VPUM/uZ5
寺院(清水寺)までの途中に、すでに朽ちた非常に古い橋があり、昔ここで時の皇帝の兄弟で牛若殿(Vxiuagadono)と称する青年が誓いを立て、
戦において援助を受けるため悪魔と契約を交わした。
その誓いとは、多くの人が通る件の橋で悪魔のため千人を殺すことであり、昼夜、橋で待ち伏せ、彼一人で数か月のうちに九百五十人を殺したが、
それも一人の甚だ勇ましく名だたる仏僧が通行人とともに現れるまでのことであった。
仏僧は彼を負かしたが、その素性を知ったので殺さず、彼はそれ以後誓いを捨てた。

1571年10月6日付け ガスパル・ヴィレラの書簡より
ヴィレラの勘違いなのか当時そういう説があったのか、なんだか逆である源義経の話




281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 19:44:16.38 ID:mK6lYglD
天狗じゃ、天狗のry

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 21:31:08.04 ID:3RQtDag8
宣教師の書いたものなのに、
僧侶(弁慶)の方がいい奴になってる不思議

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/17(水) 23:44:47.07 ID:KqskDwr1
まったく仏僧な世の中になったものじゃ

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 02:19:34.70 ID:540eOArG
僧じゃのぅ

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/18(木) 05:41:44.23 ID:zLb3UDzU
>>282
つーことはやっぱそういう話が当時あったってことか?
ところでこの「皇帝」って天皇じゃなくて頼朝のことだよなたぶん

ルイス・フロイスによるお灸の解説

2014年05月24日 20:29

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/24(土) 19:59:58.95 ID:E2iMKSOO
「目またはリュウマチスを患っている病人を治療するのに、三、四千の烙鉄を身体につける」
と書かれた場合にも同様のことが言い得る。(=ヨーロッパと同じに考えてはいけないという意味)
それは日本では非常に一般的なことであって、よほど話を割り引いて解してもらいたい。
というのは、その「烙鉄」とは、当地では乾いた(空白)を豆粒もしくは大型のざくろ粒くらいの小球にしたもので、
その上部に点火し、肉体の上に置き、すべて燃え尽くすまで火をつけたままにする。
それは非常に手軽なことで、同じ場所に十五か二十個置いておくと、その箇所の肉はすでに厳しく鍛えられているから、
それ以上置いてもほとんど疼痛を感じなくなる。
従ってそれらは私たちヨーロッパ人が言うような烙鉄の如きものではない。
私自身、その日本のを試みたことがあって、種々の疼痛や眼病のために三千個以上、背中や膝にその小球を置いたのであった。

ルイス・フロイスによるお灸の解説である。





この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものが

2014年04月25日 18:45

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:30:05.08 ID:Ne/HH6LT
この国には、自分の主君に対する忠誠心と言うものがほとんどない。
必要となると謀反を起こし、敵と組み、また自分自身が領主となる。
それから、よりをもどして味方になったかと思うと、また裏切る。

しかし、それで自分の名誉を損なうということはないのである。

『日本諸事要録』より。
ヴァリニャーノ司祭の、すごーく率直な、侍への評価。




81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:25:45.53 ID:WNB1MB+g
従属国衆を家来とおもっちゃってるんじゃないか

82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:39:05.78 ID:64o6U2CJ
戦国時代ですし
とはいえそういう武士ばかりではないと思うけど

それに、助けるはずの東ローマで略奪、暴行、ついでに滅亡させちゃったりする
宗教的情熱あふれる西洋の騎士もなかなかのもんだぜ?! 耶蘇教の神父さんw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 23:53:21.53 ID:zogf4qTm
弟が王位簒奪したから助けてくれ、と懇願してきた亡命皇子を
帝位につけてやったのに、約束の金を払わなかった方が悪い、
と言ってみる

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 14:05:57.82 ID:hSnNRti9
かといって同じカトリックの都市をヒャッハー!したら破

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:29:34.24 ID:TsjUD0jW
カトリックじゃなくて正教の都市ですから

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 20:31:59.17 ID:X+tYX9QW
たぶんコンスタンティノープルに行く前にハンガリー(カトリック)の都市をヴェネツィアの要請で
攻撃して教皇に一時的に破門された事を言っているのだろう
とスレ違いだが言ってみる

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/25(金) 23:30:42.79 ID:OD4bQaKz
アルビジョア十字軍とか