加賀爪忠澄の名裁き

2017年03月04日 18:24

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 08:19:32.54 ID:qIIAjkDN
加賀爪忠澄の名裁き

伊達政宗との拳と拳の語り合い(?)でも知られる旗本・加賀爪忠澄が南町奉行を務めていたときのこと。

一人の男が、キリシタンの存在を訴え出た。
被告は男の兄であった。名は梶原伝九郎といい、甲斐の浪人であった。

当時はキリシタンを訴え出ると、賞金をもらうことができた。
一見すると、兄弟仲が悪く、また賞金目当てのように見える。

さて、忠澄が評定所で二人を対決させると、伝九郎は罪を認めたため入牢させられることになった。
賞金をもらえることになった弟はさぞ大喜びかと思いきや、なんと涙を流しているではないか。

不審に思った忠澄が調査したところ、梶原家は甲斐武田家に仕えていたが、その滅亡後は貧窮に陥り、伝九郎兄弟は父母を養うことができなくなり、ついに自分を訴え出て、その賞金によって父母を養うことを図ったことがわかった。

その孝心に心を打たれた忠澄は将軍・家光に報告。家光もまた感心し、伝九郎に金を与えることとなった。

そして家光の弟であり、武田家と縁もある会津藩主・保科正之もまたその心がけを高く評価し、伝九郎は会津藩士として召し抱えられることとなった(家世実記)。


孝心がしかるべき人に評価されて報われたお話でした。


中村明彦「乱世の名将 治世の名臣」



693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/04(土) 11:34:43.10 ID:qY2hJ9Hx
伝九郎は棄教したってことだよね?
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