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「続武家閑談」から「秀吉公九州へ発向軍略の事」

2023年04月28日 20:24

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/27(木) 19:31:55.77 ID:mjz2t1qD
続武家閑談」から上の続き「秀吉公九州へ発向軍略の事」

秀吉公は豊前厳石城(岩石城)を始めとして大隈城以下を攻略し、大隈の城に陣をとった。
秋月の侍どもが姑所城(古処山城、秋月氏本拠)からながめると嘉麻一帯の寺部は山川残らず兵であふれ、夜になると篝火が万も焚かれ、灯会のようであった。
夜が明け、大隈城を見ると一夜のうちに腰板がうたれ、白土が塗られていた。
これは播磨の杉原紙を壁に貼り、家屋の戸板をはずして腰板になされたのであった。
秋月勢は「さてこそ天魔の仕業であろうか」と仰天した。
秋月種実親子も、江利内蔵介の忠言を今更ながら思い出し、降参した。
そして内蔵介を厚く葬り「鳴渡の観音」とあがめたのが、今でも残っている。



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「続武家閑談」から「江利内蔵介、広言により切腹のこと」

2023年04月26日 19:10

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/26(水) 00:21:10.25 ID:hsBCYKEj
くずし字の解読をした上でなので、不備があったらすみません
続武家閑談」から「江利内蔵介、広言により切腹のこと」

秀吉公の九州征伐の時、秋月家から聘使と偽って江利内蔵介というものを差し遣わした。
江利は広島で秀吉公にお目見えした。帰ったのちに主君である秋月種実に申すことには
「このたび秀吉殿下の軍勢は何十万騎と限りなく、四国中国はことごとく先手となっております。
九州の諸将からも聘使が集まっておりましたので、かくなる上は島津殿に御降参を勧めるべきでしょう」
すると種実・種長親子を始め、みな異口同音にどっと笑い
「汝は臆病か、またはよい脇差をもらったゆえに降伏をすすめるのか。
その猿冠者は下賤の者であり何ほどのことがある。
当家は漢の高祖の子孫で武勇で名高い。
(後漢の霊帝の孫、阿智王の子孫とされる。
阿智王の息子である阿多陪王が斉明天皇に三男子を産ませ、真ん中の子が大蔵氏(原田氏、秋月氏、高橋氏などの祖)となったという荒唐無稽な話も)
ことに八町坂の大切所は難所であり、日本・唐土の軍勢がひとつになって攻めてきても何ほどのことがあろうか」
とおのおの口々に申した。
内蔵助は重ねて「不肖の身で広言いたしますが、このままでは当家の運が傾きます。
もう一度同じことを申します」と言ったが
「憎き雑言をまだ言うか。腹を切れ」
と言われたため、切腹して果てた。
こうして秋月種実は八幡宮に詣でて、くじを引いたが「秀吉に従え」と出た。
すると板並左京進が進み出て「くじは三度引いてこそ吉凶が定まると申します」
とかねて用意した「一吉」「二吉」とすべて吉の字を書いたくじを取り出し、種実に引かせた。
こうして二つとも「島津に味方せよ」というくじであったため、秋月は薩摩方となることにした。



井田次郎を討ちとる事

2022年06月25日 15:37

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/24(金) 22:26:12.05 ID:DUnRauTi
大友興廃記」より「井田次郎(井田親氏)を討ちとる事

立花城主・戸次道雪(立花道雪)、岩屋城代・高橋紹運がある時会合して評定することには
紹運「秋月種実は宗麟公に属せず、古所の城に籠り、われらが領土を塞ぐのみならず、ややもすれば立花・岩屋に手を回し人民を悩ましておる。
宗麟公も近日中に古所の城に押し寄せ、一戦すべしと思われていることだろう。」
道雪「かねてから我もそう思っていた。
とはいえ、かの城は三方は険阻にして山が高く鳥でなければ通えぬところで、一方は平地に続くといえど道が狭小な天然の要害である。
力攻めでは利を得ることはなかろう。
近くの大日寺は後ろに石垣山があり、前は平地である。
立花・岩屋、両城の兵六千人を出し、屈強な兵三千人を石垣山の後ろに隠しておいて
足軽の者を三百人ほど出し、種実の城下のあちこちに放火をさせ、秋月勢を誘い出すのはどうであろう。
足軽たちには弱々しく逃げさせ、大日寺まで引き上げさせれば、秋月兵は勝ちに乗じて寺まで来るであろう。
そこへ石垣山に伏せていた諸軍勢で四方から攻め寄せて、一人も残らず討ち取るのがよかろう」
紹運ももっともだと賛成し、ひそかに諸軍勢を石垣山に控えさせたあと、翌日の早朝からその企てを実行した。

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/24(金) 22:28:29.96 ID:DUnRauTi
秋月種実は城下への放火の件を聞き、井田左馬之助(井田親之)の嫡男、井田次郎(井田親氏)を近づけ
「急いで道雪・紹運の雑人らの首を刎ねよ」と命じた。
井田次郎は「それがし不才でありながら弓馬の家に生まれ、十三より侍一与の頭を仰つけられ、二十の今日にいたるまで数度の高名をあげました。
これはすべて君恩の厚きによるものです。
勝敗は軍勢の多寡で決まるものではなく、時の運によるものです。
このたび敵が小勢だからといってあなどるのは良将とはいえません。
とはいえ時を急がねばならぬ時に猶予するのは臆したと思われるでしょうから、すぐ出向きます」
と千人の兵を引き連れて道雪・紹運の足軽どもに打ち掛かっていったところ、足軽どもは大日寺を指して逃げていった。
秋月兵たちが五里ほど休まず駆け、疲れたところに石垣山に伏せていた兵、四千余が襲いかかって来たため、秋月勢は驚いた。
しかし親氏は下知して軍勢を鶴翼に開き、魚鱗の敵に当たり、命を惜しまず戦った。
とはいえ秋月勢は疲労のうえ小勢であったため、次々討ち取られていった。
親氏が討ち死にの覚悟を決めたところに、道雪の従者、十時摂津守(十時連貞?)が
「御名字を名乗りたまえ、組み打ちをいたそう」と言って来た。
親氏「名は名乗らぬが、組み打ちには応じよう」
と馬上でむずと組み、ともに落馬した。
十時は老武者で(連貞は当時35歳くらいのはず)、親氏は若武者のため、十時は押し伏せられて頸を掻き切られそうになった。
そこへ駆けつけてきた十時の郎党が親氏を打ち、親氏が弱ったところを十時は頸を掻き切った。
十時が親氏の相貌を見たところ、年の頃は二十ほどで、容顔世にすぐれ、たとえれば梨花が春雨に濡れて綻びているような美しさであった。
死骸をあらためると油箪に入れられた横笛が出てきたため、顔貌といい、常人ではあるまいと道雪・紹運に横笛とともに首実検ということになった。

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/24(金) 22:31:35.24 ID:DUnRauTi
両大将とも涙を流し、誰であろうと思っているところに紹運の兵に見知ってる者がいて
「これこそ秋月種実が家老・井田左馬之助親之が一子、井田次郎親氏と申す者です。
十二、三歳の時より勇者の誉れを得て、秋月家中では文武両道の忠臣として崇敬を集めている者でありました」
と申したため、道雪・紹運とも感涙し
「人の親として子を想う気持ちは誰でも同じである。親之も不憫なことだ」
と死骸に笛を添えて丁重に親之の方へ送り届けた。
親之は道雪の使者に「弓矢を取る者のならいとはいえ、戦場では子より先に死のうと心を定めておったのに、
ただ一人の息子である親氏に先立たれるとは、跡に残れる老いぼれの身こそ口惜しいことよ」
と不覚の涙を流し、使者もともに涙を流した。
親之は「愁嘆にひたってしまい、道雪の情けに礼を言わずすまなかった」と言ったのち、主君・秋月種実に息子・親氏の訃報を知らせた。
種実は驚き、いそいで井田の私宅に駆けつけ、頸と死骸を自分の膝の上に抱き寄せ、髪を掻き撫でて咽び泣いた。
種実「ああ幼稚の頃より我が膝の上にのせ、成人後もその才を頼もしいものと思っていたのに短命で死すとは
噫天喪予(ああ、天われをほろぼせり)」
と泣いては口説き、息絶えるかのようにのたまった。
そののち種実からも道雪に、親氏の死骸を送り届けたことへの礼があった。
老父・親之は「ただ一人の息子に先立たれ、老衰の身として甲斐なき命をながらうことよ」
と明け暮れに嘆いていたが、しばらくして合戦が起きた時
「このたびの合戦にて必ず討死すべし」と思い定め、
出陣の朝、親氏を葬った寺に詣で、本尊に暇乞いをしたあと、一首の歌を仏壇の左の柱に書きつけた。
「子を思ふ、道にはよしや迷ふとも、後の世照らせ、有明の月」
親之はその日の戦において先駆けをし、比類なき働きをしたあと、戦場のうちに命を留め、名を九州の青天に挙げたということだ。



芥田悪六兵衛

2015年03月31日 18:21

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 21:36:15.85 ID:AwbfRslo
耳川の戦いで大友が敗北すると、筑前の秋月種実も、大友に対して反旗を翻した。
これを聞いた豊後の大友宗麟は、臼杵中務に三万騎余りをつけて秋月を攻めさせた。

豊後勢は秋月を十重二十重と取り巻き、日々夜々に攻め戦うこと数日に及ぶと、
秋月勢の勢いも次第に尽きていき、城に籠もる者はわずかに百騎にも足らなくなった。

種実は、これでは防ぐことはできないと、家の子郎党を集め様々の酒肴を調え、酒盛りをして
最期の名残を惜しんだ。

酒宴も半ばに種実は
「しかし数年の鬱憤を散じることが出来ず、明日は詰め腹を斬らねばならないこと、口惜しいものだ。」
そういって涙を流した。
この時、お酌をしていた芥田という少年、この時16歳であったが、彼は銚子を静かに置くと、
畏まって申し上げた

「明日、この芥田に采配を許してください。中務に近づき、組んで勝負を仕ろうと思います。」

種実これを聞くと
「出来もしないことを申す者かな。あれほどの大軍の中をどうやって分け入って中務と組み合うというのか。
詮無きことを申すものだ。」
そしてその言葉が笑壺に入ったか、大笑いした。

かくしてその夜も明けると、豊後勢は鯨波を作り押し寄せてきた。種実は今日を限りと考えていたので、
華やかな出で立ちで94人を前後左右に立て、臼杵中務の本陣を目掛け駆け出そうとした。

が、ここであの芥田少年が馬に取付き、「暫くお待ち下さい!仔細があります!」そう言い捨てると
真っ先に進んで、両陣の矢の口を留めて叫んだ

「大将、臼杵中務殿に申すべき事あって、人数ならぬ童が罷り向かいます!」

そうして持っていた鑓や刀、脇差しを抜き捨て静かに歩み寄り、「御本陣に通させたまえ」と言うと、
豊後勢は定めて秋月種実よりの使いであると考え、道を開いて通した。
芥田は大勢を押し分け、中務の前に来ると畏まり、

「種実より内證の事があって使いに参りました。先に、御近習の人々を遠ざけられ、御馬より降ろして
下さい。そうすれば、委細に申し上げます。」

中務これを見て、『未だ若年の者、その上無刀で来ており、仔細もないだろう。』と考え、
急ぎ馬から降り長刀を杖に突き「どういう使いであるか?」とさし俯いた。その時、

芥田は大力であったので、兜のシロコを掴んで引き伏せ、中務の脇差を奪いとるとたちまちその首を
掻き落とし、稲妻の影よりもなお素早く山の中に飛び入った。

大友の軍勢が、「すわ出し抜かれた!それを討ち取れ!」と追いかける所を、秋月勢が突撃し
四角八角に駆け破る。さすれば豊後勢は大将がいないため、色めき立って備はたちまち乱れ、
遂に敗軍した。

秋月種実は「危うき命が助かったこと、偏に芥田のはかりごとが当たったためである。」と
感状を与えた。この時種実は彼の名を、『芥田悪六兵衛』と、悪の字をつけて書いたそうである。

(大友記)



626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 02:29:19.31 ID:f/9KBo8C
三万もおって本陣はえらい前線なんだなw
しっかし大友は総大将が討たれすぎや

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 10:13:40.15 ID:1vN+SZCT
悪や鬼って、いつからネガティブな意味で使われだしたのかな?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 17:11:13.28 ID:fArFlw1y
いやネガティブな意味でも使われてるでしょ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 18:23:53.09 ID:VdUR7WPh
鬼武蔵の鬼は鬼畜の鬼

鬼小島の鬼は鬼神の鬼

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/01(水) 02:28:09.37 ID:6Hr1uTM5
悪は本来人並み外れた強い人をさす
だがそのような人はスタンドプレーを好んで命令に従わない
こうした流れで悪がよくないものとして捉え出した


休松の戦い

2012年08月23日 02:37

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:09:40.15 ID:P4yn8byU
休松の戦い(秋月種実VS戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速)

時は1567年9月3日
大友傘下の武将である古処山城主・秋月種実(当時20歳頃)は高橋鑑種に同調し大友氏に対して謀反を起こした。
当然怒った大友宗麟は戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速の所謂「豊後三老」に秋月討伐を命じた。
大友勢は邑城・休松城を落とし本拠・古処山城に迫った。古処山城の守りは堅く名将・戸次道雪を以てしても
容易に落とせず膠着状態が続いた。折りしも秋月氏の盟友・毛利氏(種実は亡き毛利隆元と義兄弟の約を結んでいた)が
九州に迫るとの報を受けると大友傘下の国人衆は動揺し自領に引き上げてしまった。この状態を知った宗麟は一時撤退を命じる。

大友軍の撤退を見るや秋月種実は父・文種や長兄・晴種の仇を討つべく戸次勢に攻撃を加える。
これに対し道雪も異母弟・鑑方ら一族や由布雪下・小野和泉らと迎撃する。
戸次勢の猛攻に秋月勢は逆にに蹴散らされ多くの死者・負傷者を出して撤退。

翌日4日
秋月種実は夜半風雨の強い中夜襲を決行し再度大友勢を襲った。
臼杵・吉弘・戸次陣は秋月勢の夜襲によって大混乱に陥り臼杵勢や吉弘勢は崩れ立つ。
ここでも戸次道雪は冷静に対処し臼杵勢や吉弘勢を収容し撤退には成功したものの、
秋月勢に筑後山隈城まで追撃され多くの将兵を討たれてしまう。

この戦いでも道雪の奮戦は目立った反面、戸次一族や家臣の犠牲は甚大だった。
戸次一族は異母弟・鑑方を始め鎮比・親繁・親宗・親久が
家臣団では十時惟忠・ 小野鑑幸・ 由布惟清・ 綿貫吉廉が討死した。

ちなみに道雪に娘・誾千代が生まれたのはこの2年後である。




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:38:54.24 ID:NVVah7I9
秋月さんはマジ雑草魂の名将なんやで
最近はのぶやぼでも大名として使えなくてアレなんだけどさ…

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:50:50.16 ID:kOKlR8Wv
何気に隆元すげえw

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 01:17:13.90 ID:oCwprfAj
秋月さん頑張ったから「いいね!」て話?

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 07:52:00.11 ID:ouAaLxFO
秋月さんは確実に相手が悪かった

九州の一夜城

2010年01月12日 00:14

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 01:20:01 ID:xZ6uOCVJ
九州の一夜城

 益富城は秋月街道と日田街道が交差する交通の要衝「大隈」の街近くにあった城である。
当時の「大隈」は長崎街道ができ「飯塚」が栄えるまでは筑豊地区一の街であり、
益富城は大内・大友・毛利と領有権が移り、ラスボスの九州征伐時は島津方
秋月種実の城であった。

 羽柴秀勝率いる九州征伐軍はまず手始めにとばかりに秋月氏の支城のひとつ岩石城を
いとも簡単に攻略した。
そのあまりの猛攻ぶりに秋月勢は支城を捨て、拠城の古処山城に篭城する作戦をとった。
当然、益富城も放棄したのである。

 放棄翌日の夜、九州征伐軍が「大隈」の街に到着。そしてしばらく経つと「大隈」の街は
炎に包まれた。
その炎は益富城から5キロ以上離れた古処山城からも良く見え、「大隈」の街は
火の海の様に見受けられた。
さすがラスボスやってくれるぜ・・・と思われた翌朝だが「大隈」の街は
何事も無かったかの様にそこに存在した。
しかも益富城が一夜にして白壁の立派な城に変身していたのである。
この事態に秋月種実は戦意を喪失し、その後ラスボスに降伏することになる。

 秋月氏を降伏に追い込んだ「大隈炎上」と「益富城変身」、この仕掛けは簡単なものであった。
「大隈炎上」はただ街人に一斉にかがり火を焚かせたものであり、
「益富城変身」は街人から徴収した戸板・障子などを集め紙を貼ったただのハリボテだったのだ。
このような策を弄したのはおそらくは秀勝の副将蒲生氏郷だと思われる。

その後の益富城は黒田氏の筑前六端城のひとつとして後藤又兵衛→母里太兵衛と城主を変える。
一国一城令により廃城となるまで対豊前(細川領)への備えとして活躍したのである。




929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 05:34:07 ID:pwZKH5UW
秋月さんも重臣の意見を受け入れて早期に豊臣に降伏していればなぁ
それまで大友、龍造寺、島津と渡りあうくらい政治感覚は優れてたのに

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 09:43:53 ID:V8d2U/9J
>>929
秋月と同族の筑前原田家は、所領没収だよ。
俺の先祖は、そこの家老。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%A8%AE

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 12:10:51 ID:qQg2CDvV
>>929
でも家はちゃんと残って、後には上杉鷹山を輩出したから、結果オーライでしょ。

秋月種実家臣、恵利暢尭、腹切岩・悪い話?

2008年12月01日 00:03

816 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 23:04:59 ID:wLiGhTck
腹切岩

筑前国に秋月氏と言う豪族がいた。秋月氏は機を見て毛利、
大友、竜造寺、島津と恭順を重ね、自領を保っていた。
戦国の末、豊臣秀吉は九州制覇を志し、大軍を率いて西下していた。
この時、秋月家当主、秋月種実の命を受け家臣、恵利暢尭は、敵情
視察のため広島まで出向いたのであったが、秀吉軍の装備の素晴らしさ
を目の当たりにして大いに驚き、急ぎ帰って和睦の賢なることを勧めた。
だが秀吉軍の力を侮った種実は「さても暢尭、臆病な事よ。はや秀吉の
家臣となったか。」と嘲り、他の重臣達も暢尭を笑い飛ばした。
己の言が受け入れられぬと悟った暢尭は、妻と子供を城の側にある大岩に
集め、「もはや秋月もこれまで」と妻子を刺殺し、自らも切腹。諌死した
のである。享年三十八歳の若さであった。
ほどなくして秋月種実は、秀吉にひざを屈する。待っていたのは、必死に
守り抜いてきた先祖伝来の地、筑前秋月より日向財部への転封であった。
転封が決まり、その地を離れる事になった種実は、恵利暢尭一家が諌死した
大岩の前で下馬し、落涙しつつ手を合わせて去っていったと言う。

後年、筑前黒田藩藩主、黒田長與は恵利暢尭の忠節を称え、大岩の近くに
鳴渡観音建立した。今も大岩は「腹切岩」と呼ばれ、秋月城の側にひっそり
と佇んでいる。



817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 23:08:37 ID:Lg06I3sC
>>816
うーむ、良い話・・・のような気もするな

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 23:19:22 ID:9LeTvMWu
>>816
部下の進言を聞かない、悪い上司の顛末って事か。

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:06:41 ID:USPqsPIG
いい話の匂いがするぜぇ

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:09:43 ID:TgJ0zPdG
書き方次第でいい話にも悪い話にも。
恵利切腹→秋月転封で筆を下ろしてれば文句無しに悪い話。
最後まで書いたのは>>816の人の良さ

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:15:20 ID:JhZGIOWw
でも秋月もがんばった方だよな
中国地方と九州地方が入り乱れる北九州で
しっかりと生き残り、勢力を地道に拡大している

九州征伐時の判断ミスが悔やまれる

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:19:58 ID:USPqsPIG
>>821
うん
あの位置で残ったのは普通に凄い
しかも江戸も最期まで家名存続してる

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:20:13 ID:WjKPijrF
やっぱり先祖代々の地って意識すると、どうしても愛着がわくよなあ

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:32:43 ID:TasmC73r
秋月は後に江戸時代最高峰の人物を輩出してるしな
そんな彼が偉人足り得たのは秋月家で受けた教育が大きかった

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:36:17 ID:AT92ERyD
逆に立地は恵まれてたのに滅んだ北条、三好はアホだな

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:41:32 ID:nqrYyq6/
>>816
一応訂正、黒田長興は筑前秋月藩(本家黒田藩の支藩)の藩主です。
…もしかして黒田だから黒田藩でいいのかも?そうだったらすみません。
黒田長政の息子で、忠之の弟ですね。
黒田長政は亡くなる時、この長興と、その弟高政にそれぞれ五万石と四万石を 分けて与えました。

一説によると長政は嫡男忠之の放埓な性格を危惧していて、本藩が万が一
改易ということになっても家が残るように支藩を作ったということです。
この長興は遊び好きで怒りっぽかった忠之と違い温厚で沈勇の人だったと
言われ、長政は忠之を廃嫡して長興にあとを継がせたかったらしいのですが、
家臣の反対もあって実現しませんでした。
こういった経緯もあって長興を警戒していた忠之は、父の遺命に背いて
長興を家臣並の立場に留めたく思い、独立した藩主として将軍に直接
お目見えするのを阻止しようとしました。
五万石を十万石にしてやるなどの甘言も用いたのですが、長興とその
家臣団は承知しませんでした。
そこで忠之は自身が江戸に参勤する際、長興をなんとしても秋月に留めるよう
自分の家臣たちに命じて国を出たのですが、長興は正月で見張りの気が緩んだ
隙をついて少数の家臣だけを連れて小舟で国を脱出。
江戸にたどりついて一年間の雌伏の後ついに将軍家光に拝謁を果たし、晴れて
本家から独立性の強い支藩の藩主としての立場を確立します。
黒田忠之の往生際が悪い話。


827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:41:56 ID:jmeNcU6s
この流れは宇都宮家滅亡と黒田官兵衛・長政親子の話をだせ!・・・ということか

と思ったが、既出だっけ・・・

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:44:20 ID:0FqizbSX
>>824
上杉鷹山のことか

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:56:52 ID:TasmC73r
>>828
ンだす