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武家事紀での織田岸蔵坊

2017年11月10日 21:31

284 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/09(木) 21:26:20.98 ID:529zOpoH
ググったら武家事紀の同じ話が有り、書かれてるサイトが有った。そちらでは織田岸蔵坊の事を

きわめて貧しきが故に、布の旗、筵の障泥にて疲れ馬に鞭をあつ。 

村上紀伊守は馬具・武具も整え岸蔵坊とは対照的な姿。
 どちらが一陣、二陣となるかをくじで決め、村上紀伊守が一陣、二陣は岸蔵坊となった。
 村上紀伊守の第一陣は破れ、岸蔵坊は身に三箇所の傷を被りながらも一揆を打破った。
 こうして凱旋し将軍家に討捕らえた首を献上した。
 その様子を『武家事紀』は、 
 
  将軍家感悦のあまり御盃を下され、ことに駿馬を賜う。 
  村上も御盃にあずかりぬ。 
  村上もとより大酒なれば、数盃を傾く。 
  将軍家興に入り給うて御太刀を賜いて各退出す。 
  岸蔵坊大いに怒れる気色にて、 
  一番に逃亡せる村上は重代につたわる太刀を賜り、軍功無双の某には、明日もしらざる馬を賜る。
  此の馬を殺し皮をはいで太鼓に張り、是こそ将軍家より軍功に賜れる馬の皮よと銘をしるし、子孫に伝うべし。
  これ村上が上戸ゆえなり。 
  下戸なる者は益なし。 
  下戸無念なりと、ののしり立って帰れりとなる。 


これを見るに将軍には悪気無く、岸蔵坊さんに良かれと思って馬を与えたように見える。
岸蔵坊さんは襤褸を着ても心は錦じゃないけど、負けた筈の村上さんが褒美を貰うのが気に食わなかったのかなぁ?


http://www.gokuh.jp/ghp/busho/oda_001.htm

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織田岸蔵坊は激怒した


285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 23:18:27.34 ID:WWQClPL8
織田の陪臣である岸蔵房がどうして将軍家に拝謁できるのか?
尾張に流れてくる前の話なのかな?

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/10(金) 07:28:13.28 ID:6GS648by
一揆はどこの一揆で将軍はどの将軍なのか

287 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/10(金) 08:07:19.31 ID:0CxMzdfO
>>285
織田岸蔵房で調べたら孫の織田信房が出てくるけど、信秀の代から仕え、元々織田姓ではないとある。
岸蔵坊が元々何処に仕えていて、どう流れて信房の代で信秀に仕える様になったかは興味深いね

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/10(金) 08:30:37.15 ID:a9KTd7T+
>>287
信房の子に菅屋長頼がいるんだよね
織田姓を貰うことといい、かなり厚遇されていた一族なんだろうなあ
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織田岸蔵坊は激怒した

2017年11月09日 17:14

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 10:22:19.01 ID:Y5rjaGJg
かつて、織田岸蔵坊(信長に仕えた織田信房 (造酒丞)の祖父)と村上紀伊守とが、当時の公方の
命により敵を退治したが、織田岸蔵坊は比類なき働きあり、紀伊守はさほどのことはなかった。

帰京した時、織田は馬を賜り、村上は太刀を賜った。
これに織田岸蔵坊は激怒した

「村上は一戦に崩れて恥を取ったと言うのに、それがしと一緒に御盃を賜っただけでなく、
御剣まで賜った。村上は『この太刀こそ勲功の賞である』と、子孫に伝え家の面目に備えるだろう。

しかし馬は生物なのだから、明日をも知れず、後代に残ることもない!
すぐに其の馬を打ち殺し皮をはぎ太鼓に張り、『これこそ将軍より賜った馬の皮である』と
銘を打って子孫に伝えよう!

各々、武勇を棄てて酒の飲み方を学ばれよ!村上が上戸故にこれほどの面目に余る待遇を受けたのだ!」

そう罵って御前から下がり、将軍は大いに興を覚ましたという。

(士談)

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273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 10:28:26.47 ID:gGam2wU+
信長の言い分と真逆w

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 11:55:35.48 ID:W5g8hSJd
汗血馬でも屠殺しちゃいそうな奴だな

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 15:16:29.17 ID:eUduDq1c
いい馬なら繁殖させれば儲かると思うんだが
それでは駄目なのか

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 17:25:06.33 ID:eVs8SPKm
戦国時代の名馬って繁殖に回って子孫も名馬っていう話聞かないし
いい馬をもとに繁殖させるっていう発想自体がないんじゃね


277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 17:44:38.79 ID:kZkZr3ob
そもそも儲かるとかそういう話じゃなくて面子の問題なんだろうしな

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 17:52:43.95 ID:z/A/VUKh
池月・磨墨を頼朝から下賜されて宇治川で先陣争いした
佐々木高綱や梶原景季はいまだに語られてるのに

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 17:57:05.12 ID:W8CGtvmK
それは平家物語の作者と琵琶法師たちのおかげだな

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 18:15:56.14 ID:bdaIAzlk
>>276
ない。馬産に関しては明治まではとてつもない後進国。
なんせ、去勢すらまともにしようとしないぐらいだし。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 18:38:04.85 ID:WWQClPL8
アラブを導入してみたもののうまくいかなくて小さく出ちゃったのって島津だったっけか?
まあ種馬を見分ける相馬が無かったんだろうけど

当時って自然交配なのかな?

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 18:42:26.36 ID:wtXKSyfd
日清だか日露の時に日本の軍馬が騒いで困ったので、それからせんばの導入が進んだって聞いたことある

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/09(木) 18:43:21.07 ID:xGkzgLXd
>>277
馬を貰った=記念品と共に長く伝えられる程の功名と評価されなかった、と解釈したのかも。
あるいは「あの時こういう功名を遂げて馬を貰ったんだ」より、
「あの時こういう功名を遂げて太刀をもらった、それがこれ」と言えるほうが格好がつくと思ったか。
感状に拘る武士に似た考え方かな?