あまりに五郎はたしなまず

2017年11月11日 11:40

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 09:38:31.22 ID:n5TRw1sH
扇谷上杉定正は、養子で後継者とした朝良が食分を忘れて武士の業を勤めぬことに、曽我豊後守の許へ
戒めの書を記し送った。その内容に曰く、

『年来これについて言っては来たが、あまりに五郎(朝良)はたしなまず、一つのことすら、
この定正が納得するものは無かった。

去年の正月以来、朝良の随従の者たちに申し付け、彼の朝夕の雑談の内容を知らせるよう命じた所、
4,5人が密かに注進してきたが、何れも同じ内容であった。

朝良の所へ山口、小宮、仙波、古尾谷といった面々が参った時、朝良が彼らに尋ねるのは
ウグイスの事、武蔵野にての鳥追、狩りの雑談、武州六社(武蔵国一宮から六宮までの六社の神社)の
物語、深谷の馬場の早馬の事、酒宴数盃の物語であり、また或いは、京の方からきた牢人の面々が
出頭した時、彼らに尋ねるのは招月の歌、手跡の物語、心敬・宗祇の連歌、洛中貴賎、清水男山の眺望、
諸五山の様子、観世今春の能仕舞の雑談、といった内容だったそうだ。

これを知って私が悲しみのあまり涙を流したのは言うまでもない。この愚老が明日にも討ち死にすれば、
当方屋形の者共は皆、命を失うか生き残っても乞食に身を落とすであろう。』

そのように書いたのだという。

(士談)



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