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世界周遊記の二十六聖人殉教について書かれている箇所

2017年12月06日 18:58

392 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教1/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:41:53.65 ID:y5l0o7If
世界周遊記の二十六聖人殉教について書かれている箇所

この王は、王国のあちこちにいたイエズス会の神父に対しいくらかの嫌悪感をもっていたため、キリスト教への改宗は非常に遅れた。
彼はイエズス会に与えられていた長崎の町の教会を破壊し、木材(もしくは彫刻)を彼自身の建物のために使用した。
最終的には彼はキリスト教が自国にふさわしいとは思わず、彼の臣下に対しても悪影響があるとの考えから、イエズス会に布教を禁じた。
この王はキリスト教の教義を信じず、しばしば
「法律や宗教というものは、人々を秩序立たせ、謙虚にするために人為的に作られたのだ」と言った。
また死後の永遠の精神や人生についても信じなかった。
おそらく彼は今ごろ地獄で自身の野蛮さや獣的な考えを遅まきながら悔い改め(rimedio)ているだろう。
彼は過ちの中で1599年に70歳?で没したのだ。
死に臨んで、彼は当時5歳のFideyoriという息子を後継者とし、彼が15歳に達するまでは3人の長官にこの国を委ね、
その年齢に達したら国を返すように遺言した。
彼らのうち力のあるものはDayfu様(シニョール)と呼ばれ、Fideyoriの信頼を特に得ていたため、他の2人の長官に嫉妬され、
戦争となり勝利し、並ぶものがいなくなったため国王扱いされた。
彼はXogumと呼ばれるようになったがこれは将軍(capitano generale)という意味である。
そして幼少の王と彼の母をOzzacaと呼ばれる城に住まわせた。
こうして陰謀者に対して正義を公にすることにより、彼はこの国の絶対君主となった。

393 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教2/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:43:37.21 ID:y5l0o7If
長崎で磔にされたキリスト教徒たちに話を戻そう、かの王が朝鮮で戦っている最中、1593年に4人のフランチェスコ修道会の修道士が
フィリピン諸島から来日した。
彼らはスペインでは「跣足(裸足の意味)修道会」と呼ばれている。
彼らはマニラからの大使として、フィリピンの政府から日本国王あての手紙を携えてきた。
この修道士たちは大使として活動するため、王に贈り物を献上し、有名なその国の首都であるMeacoに行く許可を求めた。

彼らは許可証だけでなく、宮廷に小さな家を与えられ、マニラへの帰還が始まるまで住むことが許された。食糧も与えられた。
修道士たちはもともと異邦人の改宗が目的だったため、マニラに帰ることなど思わず、福音を説き始めた。
一方、マニラから来た同じ修道会の修道士も日本にいたため、彼らはともに日本全土に聖なる宗教と、聖フランシスコ会の名を弘めた。
彼らが熱狂的に説教を始めると、人々は、多くの慈悲と献身で祝福された、この最高の秘儀・秘跡の新しい伝道者のもとに群がった。
しかし教皇グレゴリウス13世はこの国ではイエズス会にのみ布教の書簡を与えていたため、破門の可能性があった。
修道士たちは後任の教皇シクストゥス5世の書簡により、特に例外なしに全世界にキリスト教を布教する許可を与えられていたため、
影響を受けなかった。
日本の王は修道士たちが何をしているかをよく知っていたが、見て見ぬふりをした。

しかしある船が難破したことから彼らが何を行っていたか公になってしまった。

394 名前:世界周遊記、二十六聖人殉教3/3[sage] 投稿日:2017/12/06(水) 10:46:45.64 ID:y5l0o7If
その難破船はフィリピン諸島から来たもので、いつものように中国からヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)に航海するところであった。
船の所有者はスペイン人であった。
逆風で船が壊れてしまい、日本列島の近くに避難し、小さな島Sicocoの有名な都市Tossaに漂着した。
王であるTaico Samaはこれを聞き、彼の法律によりその船の所有権を主張した。
この法律は船が難破した場合、漂着した土地の所有者に船の所有権が移る、としていた。
この法律はその船に乗っているスペイン人にとっては非常に奇妙かつ過酷なものであり、彼らは適用できるとは考えず、
すべての富を失うことに同意しなかった。
そこで彼らはMiacoの王の宮廷に居住していたフランシスコ修道士に積荷の返還を依頼した。
修道士たちは当時は王は彼らに友好関係にあると思っていたため、彼らは喜んで自発的に、
自国のあわれな同胞に積荷を返還するよう、王に働きかけた。
これが彼らの迫害の始まりで、彼らの死に繋がったのである。
「積荷の大部分はマニラに住んでいる我々の同胞のものです、どうかお返しください」という発言に対し、
すでに積荷を自分の所有物であると考えていた王は怒った。
王は「これらの修道士たちはわしのものである船が憐れなスペイン人のものであると言った。この修道士たちは悪人であり詐欺師である。
しかもこいつらは、すでにわしが彼らの無礼な宗教を禁じているにも関わらず、布教をし、多くの人間を改宗させておる。
そのためわしは長崎において、こいつらを改宗者たちとともに投獄し磔にすることを命じる。」
この王の個人的な判決に対し、誰も反論する勇気がなかった。こうして前述の修道士たちは磔にされた。
彼らの家に通っていた20人の日本人もともに磔となった。うち3人はイエズス会士であった。
彼らの内2人は磔刑において修道服を身に着けていた。
こうしてイエス・キリストへの愛のためにCheico元年11月20日に彼らは命を捧げた。
日本では年は13ヶ月に設定され、3月に年が始まる。よってこれは1597年2月5日にあたる。

この後もいろいろな事件があったが、これが最大のものである。
今やイエズス会士に対して迫害の矛先が向けられた。彼らは多くの人々の魂を主キリストのために改宗させたが、教会は閉鎖された。
イエズス会士は自分の服を日本の服に変え、日本国中を秘密裏にさまよい、キリスト教の布教を続けた。
こうして洗礼を受けた人は30万人以上、毎年2万5千から3万人の人が新しく改宗した。
今やこの国は聖職者やキリスト教徒の血の中に浸っており、殉教者は増すばかりだ。
自分の長崎での滞在の時期について言うと、それらの磔にされた死体はこっそり十字架から外され、まともな埋葬がなされた。
十字架には常に警備兵がいて、露見すれば王によって死刑が課されるはずだったにも関わらず。
献身は王による正義よりはるかに大切なものであり、死の恐れをも克服したのだ。



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世界周遊記 続き

2017年12月03日 17:19

364 名前:世界周遊記続き 1/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:16:28.04 ID:rOdEpa+v
書くの忘れてたけどフランチェスコ・カルレッティはフィレンチェの商人で、これはメディチ家のトスカーナ大公フェルディナンド1世(1549-1609)
に話している、という形式をとっている。
そのため本来なら丁寧語で翻訳するべきだし、ところどころ「大公殿下」というのが入ってるけど簡略化した。

磔刑に処せられた修道士や他のキリスト教徒に話を戻すが、その前に日本について語る必要がある。
日本の島々はヨーロッパの東の果てであり、北緯30-36度のアジアの最遠部に位置している。
全長900マイル以上、最大の島は750×180マイルで55の王国があり、他の2つの島には11の王国がある。
多くの大都市と無数の人口があり、景観は良い。米が特に豊かで、穀物、野菜、果物にも富んでいる。
特に皮ごと食べられるオレンジを含めた柑橘類を強調しよう。
オレンジは我々のレモンに似ており、cunebes(九年母?)と呼ばれる。また桜桃ほどの小さなレモンに似た柑橘類もあり、
これも皮ごと食べられるし、ジャムにしてもおいしい。
(この後フィレンチェに持ち帰った種の話あり)
梨もあり、非常に大きくて瑞々しい。皮は非常に薄く剥くことは難しい。梨、桃、杏は砂糖漬けにすると美味である。
ぶどうはほとんど見られないが、聖職者たちが見本市のためにワインを準備することもある。
メロンは多量に入手可能であるが、風味、品質は異なる。
皮ごと食べられ、キュウリのように切り分けられる。緑の状態で塩漬けされているので、保存可能である。
オリーブは全くないが、すべての野菜、特に白いカブや大根(人間の太ももよりも大きいものまである)。
身を縦に細かく切断して美味なサラダを作り、葉を塩漬けし、乾燥させ、特に冬にはスープの実とする。
他の野菜と混ぜて、塩漬けして乾燥させる。
メインディッシュとしては、新鮮、もしくは乾燥した魚を使う。
魚は安く大量に入手できる。生のものを食べることも多く、そのために大量の魚の血液が入り、癩病患者が生じた。
misolと呼ばれる調味料があり、さまざまな豆から作られている。
ワインを作る米と混合し、発酵させて非常に味わい深いソースにもする。
そのソースに少しの味噌を加えることによって、味を完璧にととのえる。
スープはshiroと呼ばれ、すでに述べたように野菜、果物、魚を具としている。
また野生動物の肉もおかずとすることがあり、パンの役割を果たす米とともに食べられる。
米は単に水でゆで、赤い漆塗りの木製の鉢で供される。
食べ物はとても清潔で、手で食べ物に触れることはない。
食べるときには、薄くて滑らかな2つの棒を使う。木製、銀製または金製であり、fasheと呼ばれている。
親指と人差し指の間で棒をつかみ、薬指と中指でもう一つの棒の端を握り?、もう一方を指に挟む。
次に、料理をもう一つの手でもってきて、両方の棒の端を一緒に持って行き、手を汚すことなく、非常にきれいに食べる。
すべての食べ物がテーブル上で分けられるので、テーブルクロスもナプキンも手洗い水も使用されれない。
食器は四角い漆塗りの盆上に置かれる。米は生の時はkome、調理するとmeshiと呼ばれる。
食べる時は希望の食べ物がある鉢をもってきて、驚くべき手さばきと速さで、2つの棒の助けを借りて口に食べ物を送る。
夏・冬にかかわらず、ワインは常に暖かく非常に少しずつ、我々がワインをグラスで行うよりも楽しげに飲む。彼らはかなり酔う。
たくさんの牛もいるがキリスト教徒とは違いほとんど食べない。
牛乳も飲まず、日本人は「まるで血を飲むようなものだ」と嫌う。そのため牛は木材などの運搬にのみ使用される。
鶏や豚やヤギもいるが非常に安く、食べることは稀である。
動物が非常にいるのに彼らは使用方法や飼育方法について理解していない。
ツグミはたくさんいて、1クアトリーノで大量に購入し、食べることができた。

365 名前:世界周遊記 続き 2/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:17:59.37 ID:rOdEpa+v
ジュリオ金貨はここでは銀のかけら7-8個分と交換できた(非常に銀鉱山が豊富であるため)。
彼らはこの銀を小片に切り、必要なものすべてを買う。
もちろんkasheとよばれる銅貨もあり、文字が書かれており、より簡単な買い物ができる。
銅貨10枚が銀のかけらの価値があり1コンデリノ(conderino)の価値である。
10コンデリノは1メス(maes)の価値であり、10メスは1両(テールtael)の価値でる。
1テールはスペイン11レアルの価値に相当する。
島々はすべてで非常に肥沃であり、野鳥が多い。キジバトは我々のものと似ているが、味は苦い。
火縄銃を使い一弾で撃ち抜かれる。そこの人々は優れた狩人である。
ここでは非常に安価で人生を過ごすことができ、1000スクードあればイタリアでの10000スクード以上の生活ができる。
オリーブさえあればいいのだが。
イエズス会の神父たちはよく育つオリーブやブドウを導入したが観賞用にしかなっていない。
しかも人々は戦争と食糧である米にしか興味がない。
小麦もあるが、パンは作らず様々な形にして食べられる。ただほとんどの小麦は手作業の臼で粉砕され、フィリピンに輸出され、
スペイン人のパンとして消費される。

366 名前:世界周遊記 続き3/3[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:19:56.42 ID:rOdEpa+v
私が日本王国に来た時の支配者は、Taico Samaであり、彼は自分自身をQuam Bacco、またはDonoと呼んでいた。
兵士になる前はFaschibaと名乗っていた。
彼は生まれつきの王でもなく、王の血筋でもない。
武力と自身の才能によってこの地位に到達したがもともと貧しい農民の出身であった。
兵士となり、Nobunanga王の戦において将軍に任命された。
王が不運の末に落命した時、彼は残党を集め、自身の幸運をつかんだ。
彼は優勢な他の勢力すべてをうちやぶり、唯一の勝利者として、76の王国の支配者となり、すべてを自分の法のもとに服従させた。
彼は賢明な暴君としてこれらの王国を統治し、安定させた。
まず、彼は王や高貴な血筋の人々すべてを殺したため、君主制を主張することができた。次に、彼はすべての支配権や王国を交換し、
支配者・被支配者間のつながりを断った。
そして最も重要な事は、彼は王国を引き継いで新しい戦争を誘発することにより、同じ武器と軍隊を送り出すことで君主制の存続を確保した。
彼は軍隊をKorea、(中国語ではTchoschinやFauschen)と呼ばれる半島に送り出した。
その半島は中国とは北京地方の北部の国境に接し、東側には海があり、南側には日本の島がある。
朝鮮と日本の島々はとても近く、Goto、Ischu、Tsuschimaがある。数時間でそれぞれの間を小舟で通うことができる。
この戦争では、日本は常に30万人以上の軍隊を持ち、いくつかは歩兵であり、一部は騎馬である。
彼らは右側から馬に登り、踵を上に載せる奇妙な鐙に足を載せる。
手綱は両手で保持し、片側をもったまま、他方の側を引いて操作する。
手綱は絹または綿でできており、馬の口には非常に単純な鉄の轡を食ませている。
戦闘では、彼らは胸に手綱を付け?、武器を手で操作しながら身体の動きを通して馬を操作する。
武器は、火縄銃、槍、弓、矢、反った刀を用いる。
彼らはベルトに2本か3本の刀を身に着けており、 1つは大きく、もう1つはかなり小さい。

日本ではそれぞれの領土の統治者が王のすべての命令に従わなければならず、特に戦争の場合、それぞれの軍団は個々の統治者に属している。
この時、朝鮮のほとんどの地方に軍団が送られ、当初沿岸部の占領に成功したように、しだいに内部を征服していき、
最終的には大きな中国帝国を支配するだろうと人々に思わせた。
この過程で、彼は平和であり、彼に対して苛立たせるようなことをしなかった、外国の土地を破壊した。
それにより自分自身の国を政情不安から救うことには成功した。
韓国の領土は9つの州(道)に分かれており、その王国の主要な州であり首都、Kienkwi(京畿道)、Konluan(江原道?)、 Honhei(黄海道)、
Tschula(全羅道)、Hientsion(慶尚道?)、Tiontschon(忠清道)、Hankien(咸鏡道)、Piankin(平安道?)である。
これらの州、特に沿岸部からは、数え切れないほどの、あらゆる年齢の老若男女が連れてこられた。
彼らは非常に安く奴隷として売られた。私自身1人あたり12スクードで5人を購入した。
私は彼らに洗礼を受けさせた後、インドのゴアで4人を解放し、フィレンツェに1人を連れて来た。
彼は現在ローマにおり、アントニオの名前で知られている。
この戦争では、朝鮮は中国の援助を受けたにも関わらず大変苦しんだ。
多くの日本の統治者は、子供や相続人なしに死亡し、暴君によって土地や財産が没収された。
戦時中に起こした小さな過ちにより、多くの人が全財産を没収され、帰還を禁じられてしまった。
このように戦争は国外で行われ、同時に国の各統治者は海外にいたので、暴君は国内で好き放題することができた。

367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:22:09.66 ID:rOdEpa+v
そしてこの後やっと
最初の「二十六聖人殉教」の話になるのだが、ここまでの記述が本当に前置きとして必要なのか疑問がないでもない
なお、イタリア語→ドイツ語からの重訳なので間違いがあったらすまない



368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 22:28:35.13 ID:iJDGspVX
貴重な資料ありがとう

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 01:20:18.51 ID:uUkaIf3V
Quam Bacco これは「かん・ぱく=関白」かな?

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 01:44:53.16 ID:+0ZwsF3T
Google booksで全文が見られるイタリア語のPDFを見たら
cunebes→cunebo
Tael→Fael
Quam Bacco→Cambacu, Qiambacco dono
Faschiba→Fasciba Chicugim
朝鮮の八道:Quienqui, Conguan, Honliay, Cioala, Hiension, Tioncion, Hanquien, Pianchin
全体的にこっちの方が正しそうだ

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 06:13:40.19 ID:dpzl1KKb
長くて途中断念した…

373 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/12/03(日) 09:00:31.41 ID:1vx06qkC
>>365

  ∧_∧
  (´・ω・) ちょ、待てよ
  (っ=川o
 ̄ ̄`ー―′ ̄\

374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:06:04.37 ID:URrFfOI6
パン以外のものって何があるんだろうクレープかな?

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:06:07.32 ID:18MU0qOu
>>373
喰いたかったらもっと銭をつめ

376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:09:58.75 ID:18MU0qOu
>>374
そういう巻きモノ包みモノ系だろうね
ブリトーとか

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 09:42:05.16 ID:OIO6JQRW
読んでわかったこと:イタリア人は飯にうるさい

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 10:28:16.63 ID:JMQ/SMb6
>>374
千利休も大好き麩の焼き

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:29:16.32 ID:QQkIG4Ka
油揚げ?

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 11:38:45.45 ID:XqD0E49h
>>364-367
長いけど面白かった、メロンがすでにあったり、動物ほとんど食べないってほんとなんだな。
牛乳を飲まないのが血を飲むみたいだからってのが不思議だ、
母乳が血液から作られる事知ってたわけじゃないだろうに。

>驚くべき手さばきと速さで、2つの棒の助けを借りて口に食べ物を送る。
びっくりしてる外人想像してワロタw

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 12:26:07.59 ID:g6m+uhbE
オレンジは我々のレモンに似ており、cunebes(九年母?)と呼ばれる。→かぼす?
また桜桃ほどの小さなレモンに似た柑橘類もあり、これも皮ごと食べられるし、ジャムにしてもおいしい。→金柑?
メロンは単純に瓜のことじゃないかな

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/03(日) 14:07:13.02 ID:tpESGco9
惟任日向守「( ゚д゚) ガタッ」

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 12:55:16.26 ID:SiL0DKM/
>>364-367
面白かった
当時の日本の習俗を客観的に記録して残してくれててありがとうだわ
当人らにとって当たり前のことって一々記録に残さないもんだろうしね

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 14:22:29.23 ID:IzyA4UNO
肉食禁止令が枷となって日本の食文化は歪なものになったね
五畜以外なら食ったとか支那じゃないんだから

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/04(月) 15:08:44.19 ID:XDyDCEW0
メロンはマクワウリやろな

フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

2017年11月29日 23:01

351 名前:世界周遊記1/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:19:52.11 ID:8aW+PcUz
フランチェスコ・カルレッティ「世界周遊記」の一部

1597年5月、我々は日本のソマ船に乗って日本を目指した。
(船の説明が続く、錨が木製などの記述あり)
フィリピンから1000マイル航海し、日本の島に入港した。
長崎に到着したのは1597年6月のことであった。
入港後、役人がやってきて王の命令ですべてのフィリピン製の陶器をその場で買うと伝えられた。
信じられないかもしれないが本当だ。
それらの陶器は5000か6000から10,000スクードもしたが、それらは1ジュリオの価値もないものであった。
(なお1615年にフィレンチェでスペイン人のルイス・ソテロ宣教師が語ったことによれば、
ある陶器が130,000スクードもしたという)
それらの陶器は茶を10年にも20年にも渡って新鮮に、緑色に保つためそれほどの値段がつけられたのだろう。
人々は茶を日々飲むがそれは味というよりも薬として飲んでいる。
茶を濃くすれば胃腸に効き、消化を促進する。興奮も抑えられるので食後に飲むといい、夕食後飲むとよく眠れる。
客を歓待するときにも茶を勧めるが、それはちょうどフランダースやドイツでワインを接待に用いるのと同じだ。
日本ではワインは米から造られ、造る際には、むされてから灰が入れられる。その後水が混ぜられ発酵する。
それから濾過すれば口当たりのよい酒ができる。
また、香料を入れる特別な酒もあり、これは秘密を漏らさない金持ちにのみ振る舞われる。

352 名前:世界周遊記2/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:21:13.73 ID:8aW+PcUz
我々が長崎を歩いていると、劇的な光景がとびこんできた。
6人の哀れな聖フランシスコ修道僧と20人の日本人キリスト教信者(3人はイエズス会員)が1597年2月5日に磔刑に処せられたものであった。
彼らは十字架にそのまま残されていた。十字架は我々の主がつけられたものと似ていた。

磔刑について:釘の代わりに鉄輪が木に打ち込まれ、手首、首、足首が固定される。
役人により槍が右側から刺され、心臓を貫き左の肩から突き出される。
しばしば二人の執行者が行うため、槍は身体の中で交差し、犠牲者は即座に死ぬ。
それでも死ななければ喉や心臓に刺してとどめを刺す、こうして磔刑にかけられた者は非常に早く死ぬ。
これが通常の日本における磔刑であるが、罪に応じて十字架の上で生きながらえさせ
苦しみや飢えのもとで殺す場合もある。
母乳で育てている女性や子どもでさえも十字架にかけられることがある。
これは正義をなすため、個人の犯罪に家族も連座するためである。
放火などでは近隣住民も一緒に処罰される場合がある。

353 名前:世界周遊記3/3[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 14:23:13.75 ID:8aW+PcUz
私が滞在していた時、非常に軽い犯罪のために多くの人が十字架にかけられた。
例えば、大根を盗むなどの死に値しないような軽い罪である。
人の命はハエの命ほどの価値もなく、すべての道で左右に男女、少年、少女のぶらさがる十字架が見えた。
また、彼らは頭のない死体を使って、cataneと彼らが呼ぶサーベルをテストする。
特に苦もなく骨ごと死体を両断できた時には賞賛される。
そして刀に高い値段がつく。
このような試し斬りをするために、剣の所有者は誰かが処刑されるところに出向き、
処刑執行人が首を切断すると、彼らは死体をつかみ、裸にし、十分な広さのところに横たえる。
体がななめにずれないように杭で固定し、刀を鞘から抜き死体を真っ二つにする。
ただしうまく両断できるのは稀なケースである。
その後、刀は刃こぼれがないか検査され、結果に応じて刀は非難されたり賞賛されたりする。
しばしば刀は20,000から30,000スクードの値段が付けられる。
その後、死体は他の人々によって試し切りをされたあげく全身が解体され、犬や鳥の餌となる。
これは我々の眼にはおそるべき残虐な行為であるが、人々はそれを娯楽とみなし、嫌悪感や興奮を感じることはない。



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:13:08.27 ID:AnDw7w58
興奮も感じないとは興味深いな

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:15:42.24 ID:2mHtLpqa
ヒャッハーすぎるわ。

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 15:33:30.02 ID:a2a+/ntH
>>349
華の慶次に出てきそうな描写だw

>>353
修羅の国すぎるw

357 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 15:38:11.14 ID:WjRnPd3H
>>353
当時の酒飲んでみたい。アルコール度数は低いと聞くけど、どんな味やら
>>356
でも、射抜かれたの味方なんだぜ…

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:46:41.45 ID:O2V6oJYG
スクード金貨3枚くらいが一家4人のひと月の生活費だっけ?
雑器として使われていた坪が一生で使いきれないような金にばけるのか

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/29(水) 17:57:43.93 ID:3OyeMpp8
修羅スギィ
しかし娯楽とみなしてるわりには興奮もしないのか

360 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/29(水) 18:24:46.18 ID:WjRnPd3H
>>359
そら戦国乱世でそこいらの、農夫ですら人1人殺傷経験が有ってもおかしくない時代だからなぁ
女だって戦の後は生首の化粧やってた時代だし

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 17:56:35.21 ID:JaAPim4b
魔女狩り異端諮問十字軍と異教徒を人間扱いしなかったお前らがゆーなっての

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:06:24.35 ID:iKIyFP4P
「お前ら」の範囲広すぎィ!

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/02(土) 18:15:07.13 ID:Xs4NEy7t
戦国時代は窃盗等に関しては超厳罰主義だったから仕方がない
まぁ奴隷商人風情に四の五の言われたくない気持ちは分からんでもないが