「犬に食わせよ」

2016年01月29日 18:53

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 02:11:06.15 ID:cFB0egY4
安藤彦四郎はこう語ったという。

「武士の身の上には“伊達”というものがあるが、心得ている者は少ない。
武士の伊達には、討死にまさるものはあるまい」

――『武功雑記』

大坂夏の陣の時、安藤帯刀(直次)の子・彦四郎重能は、徳川秀忠の小姓の
成瀬豊後守(正武)の組であった。

彦四郎は常々人に語り、「およそ武士というものは、長生きして度々戦場に出て、
武功は多くとも死なずして世を送っては、格別に優れた勇士とは言い難い。ただ、
討死することこそ本望である」と、言った。

5月7日になって、彦四郎は「一番首と言わば彦四郎と思いなされ、一番に
討死と言わば、それも彦四郎と思いなされ!」と言い、撓いの指物を巻いて
井伊直孝の先陣へ行った。

そこで彼は庵原助右衛門(朝昌)に向かって、「いざ掛からん!」と言った。
しかし庵原は同意せず、「敵の待ち受けている矢先へどうして掛かることが
できるだろうか!」と、言った。

これに彦四郎は「待ち受けている矢先へ掛かってこそ勇士と言うべきである!」
と言うが、庵原は「いまだ早い!」と言って攻め掛からない。

すると彦四郎は、「さらば私が掛かってみせん!」と言った。庵原は彦四郎を
押し止めたが、彼はまったく躊躇わずに敵の中へ駆け入って討死した。

さて、父・帯刀は馬上で采配を取って諸軍を命令していた。そこへ従者が駆けて
来て彦四郎討死の旨を告げ、「屍をいかがいたしましょうか」と申し上げた。

これに帯刀は「犬に食わせよ」と言いながら、崩れた味方を立て直した。その後、
合戦が終わると、帯刀は大いに嘆いたということである。

――『明良洪範』



54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 03:22:56.23 ID:i2sa2dX4
匹夫の勇ってやつかね
子育てに失敗した悪い話だな

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 10:43:13.93 ID:p3p9MENe
ヴァイキングの社会では戦場で勇敢に戦って死ぬとエインヘルヤル
としてヴァルハラに行けるが、天寿を全う、病死、海難事故は藁の死と言われて
地獄行きの恥ずかしい死に方とされていた。

鬼武蔵こそ大正義

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 11:02:32.71 ID:Rw0/EE71
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-684.html
犬に喰わせろ、の話は既出

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 12:49:15.38 ID:Rw0/EE71
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3368.html
伊達も出典はないが既出だった

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 14:25:15.09 ID:uO/yXBy0
い、伊達

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/29(金) 19:20:01.82 ID:gZducy7M
一番首(討ち死に)=ファーストペンギンの役目ってことなのかな?
自軍を鼓舞するには手柄あげるにしろ死ぬにしろ勇敢に奮戦するところを見せること

ちなみに彦四郎殿は南龍公の茶入だかを酔った末に破損
→自害も覚悟したところを許してもらっており、拾った命と思っていたのもあるんじゃない?

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「はて?他には誰も居ませんよ。」

2014年09月28日 18:55

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 17:54:26.92 ID:VlJywYPD
先日いい話スレで出てた安藤直次のまとめサイトのコメント欄を読んでちょっと投下

「帯刀め、腹を切るべきところを、二度も許してやったものを・・・」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4521.html
これに被る話

この二度お許しにとの事は、
安藤直次が若輩の時、家康公の御愛童である井伊万千代を恋慕い御小姓部屋へ忍び込んだ事が二度有った。
一度は見つかりそうになったところを屑籠に隠れて難を逃れた。
二度目は部屋へ忍び入って居るところへ家康公が御成りになったので
万千代は部屋の入り口まで出迎え

「今夜は障りで気分も優れぬのでお相手出来ませぬ」

と気色ばんで申し上げため、家康公はそのまま帰って行った。

その後、横須賀衆がふと部屋へ入って来た。
直次急いで屑籠の中に万千代を隠し蓋を被せた。

「他に人影が見えていたのだが」

と横須賀衆が申し、その蓋の上へ腰掛けるた。

「はて?他には誰も居ませんよ。」

と直次は少しも臆せずに言った。

後にこの事を家康公がお聞きになったのでは無いだろうか。

(安藤旧談)

後半の訳に自信が無いからここに掲載されているので確認してみてくだされ。
ttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899839/3

尚、この逸話は『新東鑑』にも紹介されているらしい。




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/27(土) 18:04:51.86 ID:AmO+dV8k
直次はん、なにやってるんですか

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 08:51:20.38 ID:wCR2Mv68
>>384
この横須賀衆って誰?
とゆうか、権現様が怪しく思って横須賀衆に様子を見に行かせたとかだったら怖い
籠に閉じ込めたのも見ていてその蓋の上にわざと腰掛けたとかさ
まさか横須賀衆まで小姓部屋に夜這いに来たわけじゃあるまいよな

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 09:13:27.00 ID:9sTixHBQ
横スカ臭(意味深)

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 10:46:58.53 ID:UMTVnVYd
三河衆なら憶えちゃいるが
横須賀衆だとチト分からねエなあ
面倒臭い野郎だって ここにゃ沢山いるからねエ
ワルイなあ 他をあたってくれよ

アンタ 万千代の何んなのさ!

海老江の勝左 里勝 ヨコスカ~

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 10:53:24.01 ID:ODGZljEx
港のよ~こ、よこはま、よこすかー

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 11:04:17.46 ID:rvsXJ7UG
まさに誰うま

安藤帯刀「あのように諸役人を遇するのは」

2014年09月25日 18:50

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 02:48:25.51 ID:HBI3MB18
徳川家康が駿河において、その十男徳川頼宣の邸へのお渡りが行われる事となった。
その頃土井大炊頭利勝は未だ家康のお側近くに使えており、家康より「今度の事で頼宣邸に先に向かい、
頼宣の家老・安藤帯刀直次が準備を指揮する様子を見学するように。」と仰せ付けられ、利勝は
毎日出向しその様子を見た。

ところが頼宣邸では、諸役人が帯刀の前に出て「この事はどうしましょうか?」と議する時、
帯刀が自分の意に適うことはそのまま了承し、そうでない事には「いや、それは良くない」とだけ
言って、内容について何の指示もしなかった。よってその者は同僚と重ねて相談し合った上で再び
帯刀の前に出てこれを伺うが、また意に適わない内容であれば幾度も前のようにし、終に納得すると
これを許諾した。

利勝は帯刀にこのように感想を漏らした
「私が思うに、物を問われたのに『良くない』とばかり言うよりも、直に『このようにせよ』と指揮したほうが
物事も早く終わるのではないでしょうか?」

帯刀これを聞いて
「私は犬馬の歳もすでに長けて、後はもう死ぬだけです。あのように諸役人を遇するのは、
まだ若き殿に、人物を作っておいて進ぜたいためなのです。

私の指示を受けてさえいれば済むと思ってしまえば、人々は何事も思慮を用いず、万事未熟のままで、
良き人物は出来ないものです。」

利勝はこの言葉に大いに感じ入り、「これが家康公が見習えと仰せになったことなのだ。」と気付いた。
そして後々機務を司るようになると、下僚より質問があった時、我が意に敵わない時は
「それはそうかもしれないけど、他に何かやり方がないかな?同僚と相談してもう一度言いに来て。
同僚と話し合いできないのなら、親族か家臣とも相談してみなさい。」
そうしていよいよ議論を重ねて、理にかなう内容になれば
「いかにも尤もである。その通りに行うように。」と言ったという。

(古諺記)



875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/25(木) 11:42:59.89 ID:ZTk2Q6/A
土井にしても安藤のやった事をそのまま引き写したわけではないのが
またいい話だなと思う

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/26(金) 22:05:15.59 ID:PSfpCP45
>>874
>私の指示を受けてさえいれば済むと思ってしまえば、人々は何事も思慮を用いず、万事未熟のままで、

ジャン・リュック・ピカード大佐の組織論かよ

ただ何ということも無い様子

2014年08月01日 18:55

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/01(金) 10:57:36.83 ID:GX53B0Pc
酒井忠勝は安藤直次に会って、紀州にいる自分の親戚のことを頼み込んだ。

これに直次は、「こちらの者は皆麾下の縁りの人々なので、そのもとの仰せに
従うためには、皆々の依頼にも従いませねば叶い難いので、御容赦ください」

と言って、ただ何ということも無い様子であったという。

――『名将言行録』




安藤帯刀「権現様も凡夫にて御座候ぞ」

2013年07月13日 18:01

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 20:10:02.04 ID:XFzDdm9d
南龍公・徳川頼宣は天下の人が仰ぎ見る勇猛な人であったが、ある時、紀州藩の
附徒歩の衆に盗みをしたものが在り、頼宣はこれを庭前に引き出させると、自ら業物を
抜き放ち、袈裟懸けに斬って捨てた。
そして徒歩頭の水野甚三郎を諸士並み居る中に呼び出し

「甚三郎!自分の組下にこのような悪人が居ることも知らぬ愚か者め!
汝もこのように罪人を斬って見せよ!」
と、怒鳴りつけた。

甚三郎は主人と言えども、諸人の面前でこのように辱められたことに強く憤り、頼信が
奥殿に下がった後、感情が爆発した

「親の心すら子知らず、という!ましてや組子の心の中など知る事ができるだろうか!?
なんと無理なことを仰せ付けられるのだろう。
侍に対しこのような辱めを受けた以上、御奉公も今日これまでである!面白からず!」

そう叫びながら脇差で髻を掴んで切り払い、家にも帰らず和歌山城下を立ち去った。
翌朝、頼信はこの甚三郎の小舅である、水野淡路守重良を召し出し

「淡路!其方の親類であるが、徒歩頭の水野甚三郎はよくよくのたわけ者である!
私の耳に入るまで、組下の者が城下にて盗みをいたすを心得ず、私がその者を手討ちにして
恥ずかしむれば、主に暇をとって立ち退く有様である。
淡路、汝の親類であるぞ!いかに心得るのか!?」

そう言って淡路守を叱責したが、淡路守重良も甚三郎の小舅であるので申し開きをすることも
憚られ、ただ頭を伏して当惑するのみであった。

その時、傍にあったのは徳川家康によって頼宣に付けられた安藤帯刀直次であったが、
彼は頼宣が淡路守を責めるのを聞くと、こう、声を上げた

「淡路守殿!甚三郎を呼び戻されよ!」

淡路守は御前であるのでとかくの返事も出来なかったが、帯刀は再三同じ言葉を繰り返したため、
頼宣も気に触り、彼の方を見て言った

「帯刀は何と心得てそのように言うのか!?組下に悪人があるのを知らず、それを咎めれば
主に暇をとって立ち退くような奴を、戻す道理などあるものか!」

帯刀、頼宣に向かって

「親の心も子は知らず、まして組子の心など、頭が知れるわけがありません!
これは無理なご批判でござる!」

しかし頼宣は納得しない

「帯刀は知らないのか!?権現様(家康)の時代、徒歩の者が奥女中に文を遣わすという
罪を犯した。そしてその罪で徒歩頭の松平若狭守は改易になったのだ。そのような先例もあるのだぞ!」

これに帯刀は立ち上がり、頼宣を睨みつけ、大声で怒鳴りつけた

「権現様も、凡夫ではありませんか!決して仏でも神でもない!
親のしたことであっても、阿呆なる事まで子は学ぶべきでしょうか!?」

(権現様も凡夫にて御座候ぞ、佛にても神にてもなし。
親のしたる事にても、あほうなる事は子はまなぶ物にて候歟)

そう言い放つと御前を退出した。
(徳川武士銘々伝)

安藤帯刀直次の、強烈な諫言についての逸話である。




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 20:57:02.54 ID:x78r2ohj
安藤さんその後どうなったんやろ?

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 22:21:19.39 ID:o9g1z5M4
いつもの安藤帯刀さんですね。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/12(金) 22:33:00.71 ID:XsRHo0Kf
>>675
この程度で安藤帯刀をどうにかしていては
紀州の主は務まらない

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 07:11:51.75 ID:SnZQXFKP
頼宣も叫ぶ、勘三郎も叫ぶ、帯刀も叫ぶ、今のドラマみたいだなw

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 08:55:55.31 ID:a0sRqpWE
頼宣と帯刀っていつもブチ切れあってるけど仲いいよな

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 09:23:56.08 ID:Ws5UmFIv
ただ仲が悪いからブチキレてるワケじゃないしね

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 10:47:22.62 ID:jAEdRPYB
なんだ、ただの三河武士の日常じゃないか

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 10:51:25.70 ID:CojEoLp9
仲が良いと今言ってるのは諌言だと受け止めて貰うのが大変だから強烈になっていくんだろうな

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 12:44:55.40 ID:5Gws/2E1
諫言ってほんとうに難しいよな
主従相互の信頼感が無いと絶対にできない

その点この二人は、なんのかんのでちゃんと信頼しあってるよね
ちょっと強烈すぎるけど

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/13(土) 21:52:07.36 ID:p+FSF0e8
>>681
やっと理解できた

安藤重長は何かを察して

2012年11月24日 19:51

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 17:07:12.77 ID:QdRWouJn
ある日、安藤直次が同じ苗字の安藤重長のところへ「今晩そちらへ
参って料理を賜りたい」と申し伝えた。重長は「これは珍しいことだ。
何を思はれて申し越されたのだろう」と殊の外喜んで直次を饗応した。

直次は機嫌良く料理を賜り、緩々と話して帰っていった。
その後、重長は刀が残されているのを見つけ「うっかりお忘れになったのか」
と思い、近習に命じて直次の乗物を追わせた。

乗物に追いついた近習は側に寄って「御腰物でございます」と申し上げた。
すると直次は乗物の戸を開けて中より刀を取り出し「武士が刀を忘れるわけ
ないだろう」と言って刀を見せると、戸をひしと閉じて帰っていった。

仰天した近習が重長にしかじかと報告すると、重長は何かを察して涙を流した。

「さては今度在所へ帰国される時に隠居なさるおつもりであるぞ。
その刀はそれがしに形見として賜わるということに違いない」

重長の思った通り、直次はその月すぐに紀州へ帰りその年のうちに隠居した。

――『名将言行録』






551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 19:50:56.20 ID:01bEDd5W
安藤さんは粋だなぁ

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:11:18.83 ID:veBfM4Uc
三河者は面倒臭いけどカッコいいよな

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:52:57.25 ID:a+JjAOIw
めんどくさくない三河者など石川数正と本多正信しかおらん!

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 20:56:52.15 ID:LnYNdIpJ
>>553
御大将の家康はどうだったんだろう?w

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 21:24:06.04 ID:veBfM4Uc
本能寺の時には信長の後を追うとか切腹するとのたまって忠勝に窘められたりとか
腫れ物出来た時にはムカついて無理矢理膿を出したら悪化して生死の境をさまよったりとか、
その時に遺言とか形見分けをし始めて死ぬ気満々で医療を拒否し始めて作左に叱られたりとか、
わりと面倒くさい

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:03:10.72 ID:ZeZjyIdy
方向性は違うが本多正信もかなりめんどくさいと思う。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:25:07.04 ID:/MJ8+Crr
>>550
ググったら、安藤重長は、安藤直次の弟の安藤重信の跡継ぎなんだね

実際には、重長は重信の娘の子(外孫)なんだけど、養子ということに
して跡を継がせた
重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

つまり、ふだんあまり付き合いのない親戚のオッチャン(しかも幕府の
老中もつとめたエラい人)が突然訪ねてきて、機嫌よく飲み食いして
帰っていったというお話

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/24(土) 22:26:37.34 ID:/MJ8+Crr
>>557
>重長からすると、重次は形の上では伯父、実際は大伯父

失礼、訂正。
○重長からすると、直次は形の上では伯父、実際は大伯父

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 00:16:56.97 ID:3jF6m7+6
直次さんは三河者のなかでもかなり異色だと思う
田舎臭さがなく結構粋だよね

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 03:38:56.83 ID:CJcrbyrs
死ぬ死ぬ言う奴に限って死んだためしが無いてのを地で行ってるな、家康て

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:29:08.05 ID:UJeJOoWB
瞬間沸騰型だがすぐ冷静になるんだろうね

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/25(日) 04:45:47.47 ID:V3jPIT9D
そういう逸話にしないと盛り上がらないだろ

「安藤帯刀を呼んで意見を聞け」

2012年10月24日 20:02

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 01:05:22.33 ID:Ei+gdC1V

黒田忠之とその老臣・栗山利章の間に訴訟があった時、
栗山の言うことに理があるとして黒田家の取り潰しが決まった。

その時、徳川秀忠は「安藤帯刀を呼んで意見を聞け」と言ったので、
老中は帯刀を呼んで彼の考えを聞いてみた。

「理非によって裁決するというのは尋常な時の話です。
君臣父子の間について、どうして理非を論じるべきでしょうか。

栗山の処罰は免れない。
今回、家臣の申すことに理があるからとその君主を罰するのなら、

もしそれがしと紀伊殿の間に訴訟が起きた場合に、
それがしに理があったならば紀伊殿を処罰するのでしょうか」

この帯刀の意見を受けて、いかにもその通りだということで
栗山は処罰され、黒田家は取り潰しを免れた。

――『名将言行録』




47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/24(水) 14:32:04.50 ID:f+3YfCG7
いい話なのかね?

48 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/24(水) 16:19:18.58 ID:bCZlZRIR
幕府は改易のチャンスなのに、何で改易しなかったんだろうな。
安藤帯刀の言う君臣の関係の前例なんて、どうとでも繕えるだろうに。

万千代違い

2011年09月01日 22:01

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 14:46:28.28 ID:/MDj4qXf
小牧・長久手の戦いで、秀吉方について戦っていた池田恒興(勝入)が
家康家臣の永井伝八郎(直勝)に討ち取られた事はご存じの通り。
その経過は、安藤直次が勝入に槍を付けて、直勝にさし招かれた若武者・伝八郎が首を討ったもので
そしてそれを正直に報告した伝八郎と、クサイ芝居をして功を譲った直次という
これだけみると、過去にもこちらで挙がっている清々しい戦場の友情譚である。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-684.html

…が、事の真相はどうやらもっと深~いものであったらしい。

実はこの戦前に、主君・家康から直々に直次にお達しがあった。
「井伊万千代(直政)に手柄を立てさせるように、よろしく援助してやってくれい」
戦歴が浅い為、目の中に入れても痛くない直政の事を頼まずには居られなかったのであろう。
可愛い直政にチョッカイを出そうと、その小姓部屋に忍び込んだとも言われる「敵」直次に頼み込む始末。

そして決戦の場。
直次は勝入に槍を付けて半死状態にした所で、後方から詰めている筈の直政に首を討たせようと、
「万千代、万千代!」と叫んだ。
すると予期せぬ方角から武者が襲いかかり、あっという間に勝入の首を掻き斬った。
その人物こそ伝八郎であり、前髪の頃は直政と同じ「万千代」という童名の持ち主だったのだ。

永井伝八郎直勝とはどのような人物か?
「すぐれたる美童」だった伝八郎は、家康の長男・信康に見染められ児小姓として寵愛されていた為
後に家康の直臣となった際も、家康からも目をかけられた。
機転が利き、軽やかな身のこなしで勇敢な為、この度の戦で初めて母衣衆に抜擢された。

一説(『武野燭談』)に、直次と伝八郎は衆道の契りを結んでいたと伝えられ
(※余談ではあるが、かの「三島由紀夫」は伝八郎の子孫だそうだ)
伝八郎としてみれば、直次が自分に敵将の首を譲ってくれるのだと思い飛びかかったに違いない。
(万千代違いだったが、伝八郎なら丁度いい。伝八郎にも誤解させたままでおこう)と直次が
思ったかどうかはわからない。
いずれにしても、伝八郎にとっては棚からぼたもちである。

その頃、本来の「万千代」はどうしていたかというと…

直次の思いは何のその、井伊隊の主将でありながら組下をどこかへ置き忘れて、敵陣深く攻め入り
一騎駆けよろしく池田隊と組みうちし、直次の助太刀もイラネとばかりに
勝入の黒母衣を組み伏せ、首を掻き斬っていたとさ。
もちろん直次に、「物主たるもの組下を置き去りにして一人働きするものではない!」と叱られました。




378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 15:01:41.36 ID:r6KjBAj3
万千代違いワロタw

なんかかわいいな 俺が呼ばれてる!と思って勇んで駆けてくるの

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 15:46:01.49 ID:35n8IDR5
>>377
戦場の話なのに微笑ましいのは何故だろう
それにしても安藤さんはアッー!方面も抜かりがないねw
長久手では井伊隊のあげた首級がパネェし
「我に遅れたる者は男じゃねー」
と飛び出して行った直政には最初から援助なんていらんわ
という感じだね

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 19:14:05.26 ID:3+7HXbDB
「覇王の家」でも信康が寵愛していた家臣だから、家康も目をかけていたって描写だったなー。

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 19:23:52.76 ID:5saW7Eok
衆道関係をはっきりさしといた方が背景が分かるからいい
この時代は嗜みだったんだし


402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 11:18:58.56 ID:1KCWKsp9
>>377
司馬遼太郎の覇王の家にも載ってたな。
永井伝八郎の事を他人に思われ慣れた者の厚かましさというものかもしれないって、けっこう酷く書かれてたけどw

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 12:28:49.28 ID:RpXRtaE/
>>402
あの場合は、永井の取った行動も最もな事だし仕方ないと思うけどなw
冷静になって、あれは自分を呼んだのではなく井伊万千代の事だったと気付いたはずだが
その後に権現様に直次殿からの貰い首と正直に言って褒められたエピも良い

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:17:33.80 ID:J6MLLiZh
>>402
覇王の家をして読み返したけど、何故あんなに永井に厳しいんだろ
永井も家康に正直に事情を話したと文中に書いてるくせに
他人に想われ慣れた者の厚かましさとか
首を討ったのは確かなのに
譲り受けていわばけろりとしていたなんて書いたり。
逆に直政に対しては
その美貌は婦人にも稀なほどとか想い人のように好意的w
家康との衆道も、徳川家のみならず
町人まで知ってる事実とか断定しちゃってる



405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:25:21.91 ID:DmRk64gg
>>404
子孫の三島由紀夫か分家筋の永井荷風が嫌いだったのかもしれんなw

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:35:25.50 ID:Y5sC0jWl
>>384
ちょっとシュトロハイム入ってるなw

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 16:51:24.97 ID:RpXRtaE/
>>405
それ自分も思ったw

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:41:10.75 ID:C9EFOOU5
>>404
エッセイ等よめばよく分かるが、
司馬は「欲深い人間」が死ぬほど嫌いなんだよ。
金銭欲、名誉欲、領土欲等を人一倍持ってると司馬に判断された人間は糞みそに悪く書かれちゃう。

反対に、司馬がヒーローを書く時は、多少無理があっても
「無欲で、自分の力を試したい・公平な世の中を作りたいという原動力で生きた人」として作っちゃうわけ。

だから、大封を得ても質素な生活を貫いた井伊直政には甘いし、
黒田官兵衛なんか暗黒面のエピソードを完全にスルーして「無欲で明るいクワンピョウエ」なんて
無理あり過ぎる美化をしちゃうw

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:46:11.15 ID:DmRk64gg
> 金銭欲、名誉欲、領土欲等を人一倍持ってる

この要素で真っ先に思い浮かぶのは太閤殿下だなw

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 18:47:16.72 ID:64WNbTQ7
大阪人に太閤=悪の発想はできません

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 19:17:24.29 ID:p64izSXP
太閤殿下は欲深いというのとはひとつ上の次元にいる気がする
良くも悪くも

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:00:55.44 ID:xNNneUWv
言われてみれば、司馬センセの作品に出てくる直政は、家康のお気に入りの名家の美男子であることがやら
強調されてる気がする。

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:12:35.41 ID:pl1wOrqD
>>412
まあ、実際にそうだったようだけどな

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/02(金) 20:19:43.14 ID:BFHfy2D5
>>408
お前も司馬同様にレッテル貼りが好きなんだなw

江戸城中でとある儀式が営まれた時

2011年08月23日 23:00

189 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/23(火) 20:56:54.48 ID:IqGfXAPc
『身命を惜しまず』掲載の話

紀州藩附家老・安藤直次は、紀州頼宣は元より、尾張義直、水戸頼房の徳川御三家当主から信頼され愛されていた。
老いた直次が三人に従い、江戸城内紅葉山へ登った時、頼宣が右手をとり、義直が左手をとり、頼房が腰を押した事は、
幕閣、初藩士に広く知られていた。

そんな直次が、最晩年になってからの出来事。

江戸城中でとある儀式が営まれた時、水戸頼房の装束の袖に伊達政宗の烏帽子が引っ掛かり落ちてしまった。
政宗は公の場で恥ずかしい思いをし大いに怒った。
儀式の後にこの顛末を聞いた直次は、下城すると直ちに政宗の屋敷へ出向いた。
政宗が諸大名の前で怒りを露わにした事を、頼房に詫びさせねば徳川御三家の威信に関わるからである。

政宗の家臣が、政宗は病気で会えないと伊達屋敷の玄関で断ると、
「病気でも結構、御床へ参上致す」と家来たちを押しのけ、政宗の寝所へ押しかけた。
驚いて飛び起きた政宗に大声で
「中納言(政宗)殿には、本日の城中でのおふるまい、大きな心得違いをしておられる。
水戸殿は亡き御主君である家康公の御子なるぞ。
直ちに水戸殿へお越し召されお詫びに出向かれよ。ご同道つかまつる!」と告げた。
政宗は直次の全身から漲る異様な殺気に圧倒されつつ逆らったが、
「とにかくお仲直りなさるべし。早く袴を召されよ」と、有無を言わさぬ勢いで身支度を整えさせ水戸屋敷へ連行させた。
直次と共に頼房の御前に出た政宗は、
「本日は政宗が心得違いを致し、無礼つかまつった。何卒今まで通り思し召されたしとて、参上致しました」と詫びを入れ、
頼房は快く受け入れて何事もなく終わった。

この時に政宗が無礼な振舞いをしたら、直次は政宗をその場で刺殺し自分も死ぬつもりであった。


何事にも命懸けで相対する安藤直次のちょっといい話




195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 23:18:25.50 ID:HyUQH3XY
>>189
政宗が九死に一生を得たいい話だな
本当に具合悪くて勘気を抑えられなかった可能性もあるけども
政宗が絡んだ面子をかけたチキンレースはテンプレ化してるな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/23(火) 23:37:58.39 ID:kQohL8+b
>>189
さすが帯刀さんはカッコいいな
政宗も帯刀さんにあっちゃかなわねー

安藤帯刀直次の硬骨

2010年08月13日 00:01

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:07:32 ID:ZAqESBQn
慶長15年(1610)、大御所・徳川家康は、駿府城に家臣の安藤帯刀直次を呼んだ。

「お前をわが子・頼宣の家老として、その行く末を任せたいと思う。」
「ははっ、謹んでお受けいたします。」
「ついては、江戸の将軍家に逆らわぬ旨、誓紙を書いて欲しい。」

直次は顔色を変えた。
「これは、したり!千に一つ頼宣様が異心を抱けば、それがし、誓紙など無くともお考えを改めるよう、
諫言いたしまする。
万に一つお聞き入れ無くば、それがし、誓紙あろうとも主に従い先鋒として将軍家と一戦し、果てる所存。
よって、誓紙に意味など無く、書く必要なございませぬ。」

そう言い捨てて直次は退出し、ついに誓紙を書くことはなかったが、家康はその硬骨を良しとして、
直次を咎めようとはしなかった。




654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:21:30 ID:S7mJwla5
>>653
成功したベンチャー企業が大企業に生まれ変わっていく過程で
社内の手続きはシステム化され、古参の社員は抵抗する。
いつの時代でも変わらないなぁ。

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:29:13 ID:wVoSgyo/
>>653
かっこいい逸話だなー

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:56:50 ID:t8FqVFGi
>>653
悪い話スレの方の話から先に読むんじゃなかったw

「帯刀め、腹を切るべきところを、二度も許してやったものを・・・」

2010年08月13日 00:00

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:08:44 ID:ZAqESBQn
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1277714759/653
の後、徳川家康は己の命に逆らった安藤直次の罪を不問に付したが、直次が退出した時、
同席していた土居利勝にふと洩らした。
「帯刀め、腹を切るべきところを、二度も許してやったものを・・・」

「・・・と言っておられたが、貴殿ほどのお人が、本当にそんなヘマを仕出かした事があるのですか?」
利勝は直次に直接問い質した。少し考えて、直次は答えた。
「うむ、ある。

実は、わしは昔、大御所様の寵童だった井伊万千代(直政)と、人目を忍んでねんごろになった時期があってのう。
その時、二度ほど万千代のもとに来た大御所様と出くわしそうになったが、一度は衣装行李に隠れてやり過ごした。

二度目は、二人で和やかに語り合っておった時、戸口の向こうで大御所様の声がした。
とっさに万千代が開きかけた戸を押さえ、『き、今日は事情あってお相手できませぬ!』と叫んだところ、大御所様は
『いつにない、険しい顔をするわい・・・』などと言いながら帰って行かれたが、今にして思えば、両方ともバレていた
のであろうなw」




431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:22:18 ID:MhNaU6wF
絵に描いたような夫と間男…なのに微笑ましいのは何故だw

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 20:58:33 ID:S7mJwla5
小牧の合戦で敵と取っ組み合っていた直政に
「万千代、助けはいるか!?」と聞いたのは
そういう背景があったのかw

安藤直次「埋め」ついでに

2010年01月25日 00:03

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 15:25:03 ID:vav3aoFU
大坂冬の陣終了後、和睦の条件として大坂城の二の丸・三の丸の破却を豊臣家が、
惣構・惣掘(城の外周部分)の破却を徳川家が行うことになり、普請奉行として徳川家からは
本多上野介正純・安藤帯刀直次・成瀬隼人正正成が選ばれた。

三奉行は突貫工事で惣構を破却すると、自分たちの持ち分ではない二の丸・三の丸までも
壊し始めたばかりか、堀まで埋め立て完全な更地へと代え出した。
持ち分を形式的な破却で済ませようとしていた城方は驚き、淀殿の侍女のお玉という者を
派遣して、三奉行を詰問することにした。

安藤直次は、お玉が話しかけても一言も答えようとしなかった。

本多正純は、「ごもっとも。物頭どもが聞き間違えたのでしょう、止めさせます。」
と、答えた。しかし、翌日になっても堀の埋め立ては止まらず、お玉が改めて抗議すると
正純は「推参者め!」と、物頭たちを叱りはしたが、結局工事は続けられた。

成瀬正成に至っては、お玉の抗議を聞くと
「は?"総"堀とは全部の堀のことではないか。何も間違っておらんわい。」
とムチャな抗弁を返したあげく、なおも抗議するお玉に
「そなたは女の身ながら口が達者だの。」「良く見れば、いい女ではないか!」
などと言いながらお玉のケツを撫で回した。

「!!・・・・・・・・・/// 」
たまりかねたお玉は黙り込んでしまい、その間にも埋め立ては続けられ、とうとう大坂城は
本丸だけの裸城になってしまった。



諸説ある逸話ですが、「埋め」ついでに。




992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 20:30:07 ID:547rEKgv
>>987
その女も裸にすれば良かったのに・・・

994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/24(日) 21:23:54 ID:j3fOIEbc
>>992
口では言うほど女に興味がなかったんじゃないかな
堀を埋める事に集中しているくらいだからさww

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 21:47:25 ID:/w03fZh/
交渉役に女を遣わせている点ですでに負け

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 22:03:27 ID:DuPBEVE6
忠興「「お玉」にセクハラできると聞いて」

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 22:05:23 ID:547rEKgv
>>996
るせぇ!!てめぇの下の口を埋めるぞ!!!

っつーことで埋め。

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/24(日) 22:07:46 ID:zrirclrO
品の悪いスレですね、最後は。

安藤帯刀、諫言す

2010年01月14日 00:07

3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 16:27:39 ID:tcZElVhz
紀州大納言、南龍公徳川頼宣が未だ若い頃、傍の者を手討ちにしたことがあった。

この時安藤帯刀、すぐさま諫言に及んだ

『罪過のある者を御成敗するときは、ご自身ではなく家臣の者に仰せ付けられるべきです!
もし殿が、私の言った事をお聞きになれないと言うのなら、
この帯刀すぐさま切腹つかまつる!』

安藤帯刀、これをなんと誓紙神文の形にして頼宣に捧げた。安藤は本気だ。
と言うか、本気にも程がある。
これを見て頼宣、以後自ら手打ちを行うようなことはなくなったそうだ。

後に駿河大納言徳川忠長が、度々自ら手討ちを行うと聞いたとき、
安藤帯刀は松平志摩守に言付け、忠長の家老朝倉筑後にこう伝えたそうだ

「諫言を行ってもご随心がないのなら、さっさと切腹するべきだ。」


常に命をかける。それが安藤帯刀の奉公である。




4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 17:10:47 ID:GpXRLqFm
そういえばシグルイの冒頭でも腹を切って諫言に及んだ老臣がいたっけな。


5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 21:20:13 ID:jOazsnk8
初代の付家老衆の中では安藤が一番有能っぽいな、逸話も多いし・・・

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/12(火) 23:33:44 ID:QAQ/FOb+
結局忠長に諫死すること少なく後に一緒に改易になったんだっけ>朝倉筑後守

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 08:32:10 ID:7PqzFwVf
>>5
成瀬さんとか、自家が絶えちゃったけど平岩さんとか
附けられた家を残したのは硬骨漢、って感じだねあくまで印象だけんどもさ

安藤直次の人創り

2009年12月12日 00:08

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 18:35:39 ID:uAEes9KQ
土井利勝
「昔、家康公に『安藤直次は人使いがうまいという。利勝よ、どんな
やり方か見てこい』といわれて直次殿の屋敷を訪ねたことがあってな。

それで私は直次殿を側から見ていたわけだが、直次殿の部下が
仕事について伺いをたてても、直次殿は首を縦か横に振るだけで、
なにをどうしろと指図しないということに気がついた。

横に振られた者はそこから下がって一考したり、誰かと相談した上で
また来るが、直次殿は気に入らないと決して首を縦には振らず
やはり、なにがいけないとか指示することはなかったよ。

疑問だった私は思い切って、気に入らないならどこが悪いと指示
なさったほうが仕事がはかどるのではありませんか、と申し上げた。

すると直次殿は『私がどうしろと言うのは簡単ですが、それでは彼らは
私を頼りきってしまって、努力も勉強もしなくなります。そうなると良い
役人が育たんのです。私はもう年老いて死ぬだけですからな、今のうちに
頼宣様のために良い人材を育てておきたいのですよ』と仰ったのだ。

それ以来、私も直次殿に倣い、部下にあれこれ指図せずよく考えさせる
ことにしておるよ」




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 19:22:36 ID:RIqwQWlG
けどそれって時間かかるよね・・
即戦力にならない奴は今のご時世じゃ「使えない奴」の烙印を押されかねないな

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 20:22:36 ID:PVk/He1g
身分や所属の固定が求められた社会でなら通用するんだろうけどね。
逆に戦国みたいな時代では、家臣は自分で自分を成長させて、売り込みをかけなければならない。

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 21:16:26 ID:pQWERsen
>>50-51
そうして仕事の能力と同時に“めんどくさい”も継承されたんだよ。ココ大事なのよ!?

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 22:21:58 ID:aQkSbS3E
>>52
めんどくさい上司を攻略するには、自らもめんどくさくならねばならんのか…

安藤直次「私は彦坂九兵衛が大嫌い」

2009年10月19日 00:14

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/13(火) 14:46:22 ID:7iUV/mrJ
あるとき、安藤直次が徳川頼宣にこう言った。

「我が藩には彦坂九兵衛なる者がおりますが、私は奴が
大嫌いです。奴が私の家に来たことは一度もありませんし、
私が奴の家に行ったこともありません。それだけ我らはそりが
合わないのです。

…が、奴は優れた者だと思います。絶対に殿のお役に立つこと
でしょう。ですから、九兵衛をよく重用なさいませ」





512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/13(火) 15:47:00 ID:N9Bem7fO
かっこいいわあ
公と私をきっちり使い分けられる人って凄いな

三成もこれくらい器がでかければ


安藤直次と徳川家光の弟忠長の教育係だった朝倉宣正

2009年08月25日 00:10

659 名前:657[sage] 投稿日:2009/08/24(月) 00:09:43 ID:7NxLtShk

安藤直次は徳川家光の弟忠長の教育係だった朝倉宣正と友達であった。
しかし忠長の立場が悪くなっていた頃に二人が会ったとき、直次は宣正を無視した。
宣正はこれに憤激して直次に言った。

宣正「なぜ友の私を無視するのだ。私の立場が悪くなったから関係を絶とうというのか!」

すると直次は

直次「ふん、信頼されて教育係を任されたのに真剣に務めを果たさなかったせいだろう。
   そんな奴と話す事なぞできない」

と言って宣正を相手にしなかったという。






安藤直次、所司代就任を固辞する板倉重宗に

2009年08月14日 00:15

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:26:38 ID:R0jRvLMe
板倉勝重は老齢になったので京都所司代を辞し、後任に息子重宗を推薦した。
幕府もそうしようと思っていたのだが、重宗は

重宗「私のような凡人には務まらないでしょう。何か失敗して幕府の御威光を
   損なうような事はしたくないので辞退します」
老中「勝重のお墨付きだから大丈夫だろう」
重宗「父の推薦でも自信がない事はできません」

と固辞したのだった。そこで老中は重宗の友人の安藤直次に説得させる事にした。

直次「そこまで固辞したなら無駄だと思いますが、やるだけやりましょう」

と言って直次は引き受け、重宗を訪ねた。重宗は所司代を断ったものの、実は悩んで
いたので直次を歓迎した。

重宗「何か私に用事があるのか?」
直次「いや、近いうちに紀州に帰るから挨拶に来ただけ」
重宗「おおそうか(またまた~本当は所司代の件だろう)」

しかし直次は世間話ばかりで京都所司代のきの字も言わない。

重宗(早く所司代の話しろよ…イライラ)
直次「じゃあもう帰るね」
重宗「∑(゚Д゚エッ!? ちょ、ちょっと待て!最近の私について何か聞いてるだろう!」
直次「ああ聞いてるよ。お前に所司代は無理だ」
重宗「(ホッ…)やっぱり君もそう思うか。私には才能がないからな」

直次「いや、お前は腰抜けだからだ」
重宗「うんうん私は腰抜け……って、なんでそうなるんだ!」
直次「お前のお父上たっての推薦、しかも他に適任者がいないなら引き受けるしか
   ないだろ。失敗したら腹を切ればいいだけなのにいつまでもウダウダしやがって。
   お前がそこまで腰抜けとは知らなかったぜ」

こう言われて省みたのかムキになったのか重宗はすぐに京都所司代を引き受けた。
この話を聞いた人々は「説かせての老中 説きての直次 説かれての重宗」と言い合った。





329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:30:41 ID:HPE6IBwZ
毛利家の影の薄い長男もこれぐらい言われれば家督継いでくれたんだろうか・・・?

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:43:03 ID:aTyiT2EE
>>329
>毛利家の影の薄い長男

そんな人いたっけなぁ?(遠い眼差し)

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:43:48 ID:82CN1WoY
>>329
元就「わしの隆元~~~~~」

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:49:10 ID:VBxCKIEF
>>329
重宗は就任を迷う程度だが隆元の場合「父が隠居したら自分も隠居する」
とか訳わからんこと言ったりするくらい意志が固いので㍉

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:51:51 ID:u6S8anAK
隆元って家督継いでなかった…のか?

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:53:13 ID:pvvE/+wW
普通に継いでいたけど江戸時代の頃は隆元とばしてTERUが継いだと言う説が一般的だった

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:53:28 ID:aTyiT2EE
>>331
まあまあ、おじいちゃん落ち着いて。
隆元も明治41年4月2日に元春、隆景と共に正三位を贈られてますよ。
元就おじいちゃんも同じ日に正一位を贈られてますからね~、いいこにしてて下さいね~。


336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 00:56:28 ID:oUt8vt/B
偉大な父の業績に対するプレッシャー……

というより、跡目継いだら仕事の量と重圧が殺人レベルになるのが目に見えて分かってたんだろなw

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 01:02:26 ID:ZvBTYLHl
天皇にも切腹して見せてよとかいわれて・・・・

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 12:28:38 ID:Kr8L7z7X
このときの老中は誰だったんだろ?
土井利勝あたりになるのかな

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 12:45:39 ID:uxMdURmI
wikipediaによるとこの時(1619年)の老中は
酒井忠利・酒井忠世・土井利勝・安藤重信・青山忠俊・井上正就。

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/13(木) 18:03:37 ID:oniG0XS1
>>328
ここを見るようになって安東直次が好きになった



関連
板倉勝重「適任だと思う者を指名してくれ」と言われ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3425.html

安藤直次、密談を聞いてしまって

2009年07月29日 00:39

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 21:58:40 ID:sZrWn6ex
大坂冬の陣の後、徳川家康は次の戦に備えて一部の家臣たちと
極秘に相談した。大坂方に情報が漏れないためである。
しかし、この密談の内容を知った男が唯一人だけいた。

安藤直次(うーん、困った…)

安藤直次である。持病がでた直次が休んでいると次の部屋で
密談が始まってしまったのだ。

直次(大事な話のようだし、出るに出れないな…。
   仕方ない、寝たふりしよう)


(………)


(駄目だ、聞こうとしなくても全部聞こえる!)

結局、直次は全部聞いてしまった。そこで間もなくおこるであろう
合戦に備えることにした。やがて陣触れの命が下された時、
ほとんどの家臣が慌てたのだが、既に準備していた直次は真っ先に
駆けつけることができた。家康は大変満足した。

家康「さすが直次、危急の際の心得ができておるな」

家康は直次が早く来た理由を勘違いしていた。すると直次は

直次「上様、これからは戸障子を外して、遠くからでもわかる
   ような場所でご密談していただけないでしょうか。
   実は、かくかくしかじかでして此度のことは存じておりました。
   あの場で申し上げることもできたのですが、それではご密談
   の意味がありませんので、私の胸だけに収め、私の家臣にも
   気取られるぬようにして準備しておりました」

と本当のことを話したのだった。
わざわざ正直に話した直次の心に家康は感激したという。




905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 22:01:08 ID:uyxuwgqs
なかなか出来ることじゃないわな。


安藤直次の教育

2009年06月24日 00:10

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 23:56:54 ID:LMSZaO0f
徳川頼宣の付家老の安藤直次は、頼宣の教育係として手抜きをしなかった。
その様子ははたから見ても厳しいものだったらしい。

見かねたある人が
「あなたが殿に申し上げているのを聞くとあまりにひどい。
黙って殿のお言葉を聞くのが、あなたにとって幸いであろう。」
と直次に言った。

すると直次は
「それは違いますな。すべて殿にとって幸いと言える。
殿が某の言葉を聞かれるのは当然のことです。」
と言ったという。




665 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/23(火) 00:00:42 ID:Z6YnXdDw
>>664
ある意味、教育者として適任でしたな。→安藤直次

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/23(火) 08:18:03 ID:6NUi9h9N
自分の息子が戦死しても「犬にでも食わせとけ」の人だし、厳しくて当然


安藤直次「殿が百万石を治めるなど」・悪い話

2009年05月26日 00:06

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/25(月) 00:03:24 ID:3VYuT5o+
徳川家康は息子の頼宣を見込んでいたのか、駿河を治めさせよう
と思っていた。だが家康の死によってその話は流れてしまった。

がっかりしたのは頼宣の母、お万の方である。もし家康が存命で
あれば、今頃、頼宣は百万石の大守だったかもしれない。そう
思うと、彼女はついつい安藤直次に愚痴ってしまうのである。

しかし、これを聞いた直次は
「まさか。殿が百万石を治めるなど、とてもとても。せいぜい
紀州五十六万石が限界でしょうなあ」
と、さらっと言ったという。ただでさえ落ち込んでいたお万は
さらに落胆したことであろう。





675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/25(月) 00:14:33 ID:Dx721VtV
>>674
安藤さんの身も蓋も無さはある意味感動的ですらあるなw

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/25(月) 16:21:34 ID:TXAoj9z2
>>675
欲を出すな。身の程を知れといいたいんじゃないの。