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母里太兵衛「富士は絶対に、福地よりも高く無い!」

2015年10月14日 10:51

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:08:45.62 ID:yCbNHJnB
母里但馬の欠点といえば、何事であっても黒を白と言い出し、それが実際には黒であると解っているのに、
白だと一度言い出した以上、後から黒だと言うような奴は武士ではないと,事々に強情であった。

例えば、江戸に下る途中、浮島ヶ原で砂の上で朋輩多数と酒、茶などを飲みながら休息していたところ、
ある者が言った

「富士山は、遠国から聞いていたよりも高山ですね。最も名高き山ですが、初めて見て、
なおさら驚きました。」

これを聞いた但馬が言った
「いやいや、悪しく見ているぞ。私にはそれほど高山には見えない。
我らの居城の上にある、福地獄よりも低く見える!」

一座の者達さすがに呆れ
「それはお目違いです。福地獄を10重ねても富士ほどにはなりませんよ。」

この反応に母里但馬、激怒
「さては各々、この但馬を盲目のように思っているのか!?念も無いことだ。
富士は絶対に、福地よりも高く無い!私はこれに首をかけても良い!!」
そう苦々しく言い放った。

場の者たちは『この人と首をかけるなどとても出来ない』と思い、
「お、仰せのごとく、よくよく見てみればあまり高山ではありませんなあ~」
などと追従を言うと、但馬はそれを真実と信じ、その後一生、福地獄より富士は低いと
申し続けていた。
但馬はこのような作法の人間だったのである。

勿論後年になると、但馬も福地獄は低いのだと気がついていた。だが一度言ったことを
言い換えてはならないと、一筋に思い定めた故に、そう言い続けたのだ。

(古郷物語)



477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:16.83 ID:jii0V7Rn
福地獄って何かと思ってググったら福智山(標高900.6m)のことなんだな

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:30.11 ID:WU7xlnZr
母里といい加藤家の森本儀太夫といいめんどくさい奴だな

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:34:25.15 ID:75RVYpNh
「福・地獄」じゃなくて「福地・嶽(岳)」か、なるほど

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:36:12.47 ID:4LAiKk4r
学がない奴って素直に負けを認めたがらないんだよね

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:46:08.53 ID:K1ryeOoK
10重ねたらさすがに富士山超えるな
海抜基準かどうかはともかく

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 01:03:17.34 ID:VVKAyTPU
鶴の一声って言いますし

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 10:39:47.35 ID:GQyrZA7n
天邪鬼&強情....。
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母里太兵衛、桐山丹波と和解す

2015年09月13日 07:03

700 名前:1/2[sage] 投稿日:2015/09/12(土) 17:41:41.15 ID:5oU9bIc/
黒田家の中老である桐山丹波という者と、母里但馬(太兵衛が高麗陣以来一言も口を
きかなかった。それは高麗陣において、母里の守る出城が明軍に襲撃された時、偵察に出た
桐山が、長政に、母里が敗北したようなので追い打ちをされないよう引取の軍勢を遣わすようにと
進言したことによる。実際には母里は明軍を打ち破り、多数の首をとって帰ってきた。
そこで桐山の進言の内容を聞き、激怒した。しかし友人たちが色々となだめその場では喧嘩にならなかった
ものの、その後桐山の方は何度も詫び言をしたものの、以後口を利こうとしなかったのである。

そして三十数年が経った

桐山丹波は黒田家において五千石を取り、中老分に定め置かれることに成った。
しかし重臣である母里但馬と関係の悪いままでは、政務の談合も整い難いと考えられ、
ある時、何かの祝日に、家中の主だった者達が登城した中、長政は栗山備後(利安に言った

「但馬は丹波を悪み、久しく無言のよし、これは私のためにも悪しきことである。
以後仲直りするよう、備後より意見してほしい。」

備後「仰る通りです。但馬のやっていることは近頃になく見苦しい。その第一は、宜しからぬ儀であります。
私も御意に任せて和睦するよう言っても、合点せず、なお強情なことを申し承知しません。」

長政も「私も意趣の経緯はよく知っている。一端は腹をたてるのはしょうがない。だがこのように
いつまでも思いつめるような事ではないだろう。いま、私に対して和睦を約束してくれれば喜ばしい
限りである、是非ともそうせよ。」

このように何度も言ったが、母里は
「私は一命を捧げたのは本意ですから、これについては露や塵ほどにも思っていません。
しかしこの事については、たとえ上意を背きましても同意できません!」そう言い切った。

この態度に、長政も面倒なことに成ったと後悔顔で栗山に「備後よ、どうするべきか」と尋ねると、
「仰られたように、一体どんな理由があっても、主君のお為であれば異議有るまじき事です。
そのうえ深々しい意趣が有るわけではなく、第一もはや数十年も経って、人々もその仔細を知らぬ有り様。

殿直々の意見に違背するとは沙汰の限りである!但馬、御請申し上げよ!」
これに居並ぶ者達も次々に同じように言ったが、母里は

「嫌だ!」と拒絶。

互いに顔を真赤にして背を伸ばして睨みつけ「沙汰の限り、分別至極、是非に及ばず!」と散々に喚いたが、
母里が合点することはなかった。

ここで栗山備後、あまりに腹を据えかね、左の手で母里の頭をぶん殴った。
当たりはせず、殴る真似をしただけだ、との説もある。

701 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/09/12(土) 17:43:36.70 ID:5oU9bIc/
突然の事態に長政初め一同興を覚まし、「これは苦々しい事態だ。誰に対してもあんな事をすべきではないが、
但馬は特別な荒者である。備後に飛びかかって突き殺そうとするだろう。但馬は大力、備後は常の力であり、
取り付いたら離すことはしまい。しかしながら備後も優れて早く軽い人物であるから、引き外し
突き殺されないようにするだろう。

とにかく、少しでも不穏な雰囲気に成ったら飛び入って二人を押し隔てるのだ!」

そう、一同が臨戦態勢に入った時、母里は頭を下げ、暫くそのままにしていた。
「あの母里が思案をしているのか!?」
人々はそう驚いたが、一方栗山備後の方は、してはならないことをした、という気色もなく、母里の上に
乗りかからんばかりの姿勢で

「さてもさても、この一我意者め、沙汰の限りである!そこいらの若輩・渡奉公人のような覚悟だ。
家の年寄に備えられた者なら、諸事にそれ相応の見識があるものだぞ!一身を捨て、主君の御為を思わないのは
人外である!御為に一名惜しまずと常に言っているが、今の言いようでは、それも偽りになるぞ。

誰であっても言いたいことは多い。しかし浮世の習いで、堪忍しているのだ。よく分別してみよ。」
その様子は親が幼子を教訓しているのと少しも違わぬ情景であった。

暫くして、母里は涙を流し、それはポロポロと畳に落ちた。一同「もう死期だから、あの鬼をも欺く但馬も
涙をながすのか!」と思ったが、母里は頭をもたげ、鼻をかむ体にて涙を拭うと、大息をついて長政の
御前近くに進み

「丹波との和解のこと、これまでも度々意見され、今も直々に仰せられました。それを違背するのは
心苦しいことではありましたが、一生不通と定めていましたから、絶対に承知しないと決意していました。

しかし只今の備後の所業は、珍しいことでした。私が若年の頃、如水様により、備後を兄として、私が弟として
互いに助け合うよう誓約をしたことがありました。

しかし、互いに成人してからは、私の方はそのことに、まるで構わずにいました。
そもそも備後は心底の見分けがたい人物ですし、どうせ互いに若き頃のことだ、今になって
その時のことを覚えているかどうか、などと心許なく思っていました。

しかし、備後は久しく約束を変ぜず、なにより如水様の御眼力を違えず、一身を投げ打つ所存、
返す返すも忘れ置き難いものです。それこそ私は、無分別至極でありました。

童の頃は突っ掛かって行けば、度々打ち倒され突き倒され、如何程か折檻を受け成長しました。
その心を変ぜず、今でもこのようにしてくれる友人は、世には稀です。
…丹波、ここに出て来られよ!」

そう母里が桐山に呼びかけると、長政は言うに及ばず、一同の喜ぶこと限りなかった。
先ず長政が盃を出し、それを飲んで「この度は」と母里に差し出した。母里は三杯呑み、誰へとも言わず
桐山に差し出し、「こちらに寄られよ」と、いかにも丁寧に差し出した。
そして「今ひとつ」と、挿していた脇差を抜くと、桐山に遣わした。
「これは、作は良くないが、技については貴殿もよく知っているように優れたものである。そのため
腰から離さなかったのだが、和睦の印に受け取って欲しい。」
そうしてこの脇差を桐山に差させた。

桐山が盃を母里に戻すと、長政より「丹波も、但馬に脇差を差し出したいが、身分柄に合わぬように思い
遠慮しているようにみえる。但馬、彼の脇差を受け取るように。」と母里に取らせた。

それからは一同入り乱れての大酒となり、泰平と成った。
(古郷物語



702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/12(土) 19:02:51.78 ID:kDVuYKMt
最後にワラタ
昨年の大河で使って欲しかった場面だな。

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/12(土) 20:55:52.89 ID:VU/r9aIv
如水から母里を押し付けられた時に栗山はすごい嫌がってたから毎日心労も酷かったろうなあ

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/12(土) 22:52:48.22 ID:9hRTr/CK
栗山も面倒だと思いながらも母里との義兄弟の誓紙を如水が冥土の土産に持っていこうなんて言われたもんだから栗山も中々捨て置けなかったんだろうな

ぎりぎりにやいとか仕りたり

2015年09月10日 11:01

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 00:11:35.19 ID:O8BKYGTp
ある年、黒田家において嘉例であると、備後(栗山利安)の邸宅において謡初めがあった。
喜多七太夫なども出演し、小袖をつぼ折り、能も三番、囃子は番数あった。
筑前守(黒田長政)も仕手方を謡い、いかにも機嫌よく酒を飲み、四ツ半頃(夜10時頃)座を立とうとした

「夜長ですし、今少し咄などいたしませんか?」
そう備後が申したが、

「私がいては、若き者達が遠慮して酒を呑みかねているようだ。私が帰った後、心やすく
酒を呑むように。」

そういって座を立ち、敷居を越した時、但馬(母里友信)が大声で喚いた

「今少し居てもらって、若き者たちを呼び出し酒を飲ませたかったなあ!
そうすれば座は必ず気ままに成っただろうから、ぎりぎりに『やい!』とか言いたかったのに!」
(今少し居て、若き者共呼出し、酒呑ませたき事なり。
兎角気随が必定なり。ぎりぎりにやいとか仕りたり)

その場の人々、これはどういう事かと興を醒ました。
筑前守より先に歩んでいた者も聞いたのだから、聞こえなかったということは無かったのに、
聞こえぬ体で筑前守は帰られた。

(古郷物語)

長政…



295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 01:53:33.02 ID:lnCrpg8t
母里の言いたいことがよく分からん…

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 07:18:04.64 ID:179SWURy
若い連中の前で酔った振りをして絡みたかったということ?

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 07:57:44.54 ID:Vo/sQsqt
若い奴を呼んで殿と飲ませたかったのかな。

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/10(木) 21:15:08.85 ID:ynYEo2si
上下関係が雑な戦国ではよくあること

納屋小左衛門の決断

2015年09月06日 13:55

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/05(土) 19:22:15.26 ID:FljfpJkN
関ヶ原の役が勃発した時、大阪の黒田長政の屋敷には、その母と妻が残されていた。

つけ置かれていた家老の母里友信と栗山利安は相談し、母里が医者に行くと見せかけ
その乗り物に密かに両人を乗せ屋敷の外の宿に潜ませた。

その夜、船に載せようとしたが、船までどうやって両人を遣わすか、方法がなく困り果てた。
最初は彼女らを俵に入れ、粮米に紛らわせて船に載せようと考え、二人を俵に入れたのだが、
暑気甚だしい頃であったので「息が切れる!このように苦しいのならいっそ刺し殺してほしい!」
と声高に泣かれ、母里も思案に苦しみ、『このような事で大阪方に露見するのも口惜しい事だ。
二人共に害し、腹を切るべきか…』などとも考えたが、『いやいや!出来るだけなんとかなるよう
才覚せねば!死ぬのは全て叶わなかった時だ!』と思い直し、宿の亭主に相談することにした。

相談の結果、櫃の中に両人を入れ、夜に紛れて茶船に乗せ、そこから本船に移す。仮に大阪方の警備に
見咎められればその時のことだ、と決まり、すぐさま出発の準備を始めた。
亭主も共に出発しようとするのを、母里が止めた

「私は主のためであるから、捨てて惜しまぬ命である。二人の女房衆にとってはいたわしい事だが、
侍の妻子として生まれた以上、これも生前の因果の道である。
しかし、其の方は町人である。黒田家に対して殊に日頃の恩があるわけでもない。
我らと同じように相果ててしまっては気の毒千万である。

この宿の門まで出て見送ることも無用だ。もし我々が見つかり、咎められても、決してこの宿のことは
人に知らせない。であれば、ここに難儀はかからないだろう。」

そう申し聞かせたが、宿の亭主は言った
「日頃、黒田様のお屋敷に出入りし、久しく御恩を被っていた奴原が、今回お頼みしても
御宿を仕ろうとせず、他人のようなふりをしているとのこと。畜生とも言い難い所業です。

私は近年御台所にも罷り出て、似合いの御用を仰せ付けられるように成りました。
尤も甲州様(長政)からお言葉をかけて頂いたことは未だ有りません。ですが、
私をお頼みにされた栗山様の一言が打ち捨て難く、この事お受けし、一命を捧げたのです。

あなた様がどれほど止めようとも、本船までは、私はお供仕ります!」

そう言い切ると母里よりも先に外に出たため、母里も力及ばず、彼の同行を許した。

この亭主は納屋小左衛門といって、堺の納屋一党の者であった。母は浅野殿の家来、丹羽大膳という人の
娘だそうだ。丹羽大膳と言う人は、その勇ましさ人に聞こえのある人物であった。

亭主の物を切ったような決断は、なかなか筆にも詞にも為し難い。

(古郷物語)




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 03:58:43.39 ID:NfWTuxJ9
「納屋小左衛門は男でござる」
小左衛門の頑とした決意に打たれた母里太兵衛は、彼の船までの同行を許した

そして明日の乗船を控え、小左衛門宅で一夜を過ごすこととなった黒田家主従であったが、
太兵衛は今生の最後にと、昼に目をつけていた女中の部屋に夜這いをかけた
部屋の中に忍び込み、布団の中に身を潜らせた太兵衛が相手の股間に手をやると、思わぬ叫び声がこだました

「納屋小左衛門は男でござる!」

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 07:45:20.20 ID:HQXPEQKJ
忠臣蔵の天野屋利兵衛のセリフだし
そのジョークも天野屋利兵衛であるし

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 16:18:31.37 ID:fp5VtXEX
>>675
これは実につまらん。>>674がかわいそう

信長の鞍馬

2014年07月18日 18:51

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/17(木) 20:28:21.67 ID:P0EZJS5G
羽柴秀吉の中国攻めの中で、ある城を攻めた時のことである。
この時、秀吉配下の黒田官兵衛家来、母里太兵衛友信が一番乗りをし、これに羽柴軍は
勇を得て進み、城中が油断していたこともあって即座に攻め落とし、城兵尽く討ち取った。

さて、この戦果が信長に注進されると、信長は「彼の地が手に入ったのは秀吉の働き故である。」
と大いに喜び、褒美として秀吉に、鞍置きの馬を遣わした。

しかし、これを頂いた秀吉は
「今度の城攻めは、偏に孝高(官兵衛)の働き故である。」
と、鞍馬を官兵衛に与えた。

しかし、これを頂いた官兵衛は
「この度の戦功は、偏に太兵衛の一番乗りの功によるものである。であるからこの鞍馬は
私が拝受すべきものではない。」
と、これを母里太兵衛に与えた。

この鞍は、太兵衛の子孫に今も伝わっている。

(黒田家臣伝)

信長から秀吉への褒美が太兵衛の元に至った過程である。




母里太兵衛に十五本の抜身の槍を

2013年12月21日 18:03

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:45:43.42 ID:qxAnJEv4
天正20年(文禄元年・1592)、朝鮮への出兵を命じた豊臣秀吉は、3月25日、京都を出立し、
その夜は播磨国茨木に宿をとった。そして奉行に命じて、諸々の士卒、下人、水手に至るまで、
48万人分の兵糧を緒軍に分配した。

黒田如水はこれより以前、既に豊前を息子の長政に譲っていたため、今回は諸将とともに軍勢を率いて
渡海することはなかったが、彼は秀吉の帷幄の謀臣であったため、名古屋の幕下に留め置かれ、
軍の計策・評定に加わっていた。

この時、黒田長政の家臣である母里太兵衛に、秀吉がこのような言葉をかけた

「昔、中国四国、九州の先陣として、数度にわたって勘解由(如水)を派遣した時、その勘解由の
先陣は、いつも太兵衛が勤めていた。その上合戦のたびに、一度も遅れを取ることはなかった。
お前の数々の戦功には、感じ入る次第である。

そして今また、朝鮮に先手として甲斐守(長政)を遣わし、太兵衛もその共を仕るという。
であれば、これまでの戦功に対し、そして今回もその忠勇を励ますため、天下に隠れないほどの規模の
褒美を与えよう!」

そう言って、抜身の鑓十五本を与えた

「これを、今後毎回、出陣に際して持つことを許そう。朝鮮に渡海すれば、これにて手柄をいたせ。
かつて織田信長公はそのお供に、抜身の大太刀を百振持たせていた。それは大変威勢のあるものだった。
太兵衛も、抜身の槍を十五本持たせれば、なお武名を顕すだろう。」

母里太兵衛は元より勇士であったが、今回秀吉によってその名を表され、さらに類なき御恩賞に預かり、
御領地をいかほど貰うよりも勝るものだと、かたじけなく思ったという。

(黒田家譜)

太閤秀吉、母里太兵衛に十五本の抜身の槍を与える、というお話。




917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:58:31.89 ID:rCsAE7D7
名古屋→名護屋

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 19:59:28.86 ID:JkcNTlMY
(どうやって持って帰ろう…)

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 20:03:45.29 ID:Ix0EMOIv
日本号一本の方がありがたい

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 21:05:53.53 ID:Dl5YEsqb
摂津国の茨木かな?

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/20(金) 23:58:27.52 ID:e5TxBGZe
いかな名物とはいえ、槍を十五本も貰ってもしょうがないよなw

>>920
京を出立したその日のうちに播磨に入れるとも思えないし、
播磨に「茨木」って地名があるなんて寡聞にして聞かないから、
多分そうじゃないかな?

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:09:40.78 ID:NiAQdOkr
母里勢十五人に持たせるための十五本の槍でしょ

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/12/21(土) 00:15:26.65 ID:w8e5ssZF
母里の槍はスペツナズナイフみたいに穂先が射出できるようになってるから15本必要なんだろ。

黒田万徳丸の鎧着にて

2011年08月21日 23:00

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 10:08:54.07 ID:sT971X2h
ここで出ている逸話など見ると、黒田長政は母里太兵衛といつも喧嘩しているように見えるが、
何のかんのいって長政は太兵衛が大好きなのである。

長政の嫡男・万徳丸袴着の時の逸話は既に出ているが(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1508.html)、
それから数年後、万徳丸の鎧着にて、
初めて甲冑を身につけた若殿さまの雄姿を目にして太兵衛、
「これはなんとも立派なお姿で、亡き先代如水様の雄姿が思い出されます」
と涙を流し、長政も、
「本当に亡き父上にそっくりだ!」
と涙を流して喜んだそうな。

万徳丸は袴着も鎧着も母里太兵衛につけてもらったようです。
どちらにしろ、如水死後の話ですし、長政ご指名かと思われます。
太兵衛が数々の我儘を許容され、家中随一の知行高を与えられていたのも、
結局のところ、長政に好かれていたからなんだろうなと思います。




筑前高取城築城

2011年08月19日 23:01

472 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 16:43:36.67 ID:1wq76Zlx
関ヶ原の後、筑前に入った黒田長政は豊前との国境、高取山に築城しそこに重臣・母里但馬守友信置くと決定。
すぐに普請を開始した。
この高取山、山の半分は既に豊前というまさに境界線の山で、黒田家では、『越中守(細川忠興)はこの築城に
必ず妨害してくるであろう。そうなったら、合戦だ!』と家中のものを残らず動員。侍分のものには完全武装させ、
合戦との違いは指物を差していないだけ、という状況だった。

さて、山の腰に小屋を懸け、黒田長政自身が縄張りをした。だが城主に予定の母里但馬と尽く意見が合わない。
長政が「石垣の高さは2間にしよう」と言えば但馬「いいえ、3間にすべきです」、長政が「では3間にしよう」といえば
但馬「いや、やはり4間にしましょう!」、長政が「切岸は5間にしよう」と言えば但馬「いいえ、10間必要です!」
尽く長政の言う事の倍の、大規模な普請を要求するのだ。

このため縄張りは全くまとまらず、栗山、井上といった重臣たちが但馬に意見したがそれも聞き入れない。
話の進まないことに長政も手持ちぶたさであったが、いつもの事なので腹をたてることもなく(例の事なれば腹も立てず)
色々と説得したものの、但馬は石垣が高くなくてはならない理由を断固として主張した。
これに長政

「但馬、おまえはよく解っていないようだ。この城は長く籠城するためのものではないぞ?当面の手当のための
要害なのだ。いかにも安々とした防備であったほうが良いのだ。」

母里但馬、これに激怒した
「この城をそれがしにお預けになると仰せになってから、私はこの地に自分の墓をつくりました!
一城を預けていただくのは武士たるものの本望であり、忝いことこれに過ぎるはありません!
そのため、偏にここを自分の墓所と存じ定めたのです!

ところが、先ほどおっしゃった事は何ですか!籠城をしない城である.から、もし敵が寄せてくればすぐに城を捨てて
引き退けと!?敵を見たら逃げるための城に、この但馬が居る必要はありません!

黒田の御家もずいぶん大きくなりました。敵を見たら逃げたいと思っている者も、捜せばきっと居るでしょう。
そういった者を、そういう城には置かれるべきでありましょう。私は嫌です!(某はいやにて候)」

そう言い捨てて自分の小屋に引き込んでしまった。

さてさて、これが普通の主君なら、こんな家臣はそのまま押し詰め成敗してしまっただろう。
しかしそこは黒田長政、腹を立てながらも

「あれを見たか!?備後(栗山利安)やわしが言ったことは、理由のあることなのだ。
皆も知っているように、今我々が植木(福岡県直方市大字植木)に大軍を駐屯させても大丈夫なよう
しているのは、いざ合戦となれば細川忠興は大敵であるからだ!

しかし黒崎と、この高取の城をそのままにしては、小倉から筑前に手出しはできない。
そのため細川は必ず、この城を攻めてくる。
いざ開戦となればわしは軍勢を集め植木に集結させ、細川が軍勢を出し高取の城を攻める準備をした所を、
ここから三里足らずの植木より駆けつけ、一撃で蹴散らすつもりなのだ。
一当てして敵がひるむのを見ればこの城の留守居を但馬から、旗本の確かなものに交代させて、
但馬は先手の右備えに据え置くので、この城に置くようなことにはならない。

こういう事を聞き分けず訳もなく腹を立て、全く沙汰の限りだ。嫌ならあいつ次第だ!」
と引き取ろうとすると栗山利安が止めて言った

473 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 16:44:40.30 ID:1wq76Zlx
「御腹立はご尤もですが、いつもの事です。(御腹立御尤に奉存候。いつもの事にて御座候。)
私が但馬殿を呼び出してきますので、その間にどうかご機嫌よく、御縄張りを完成させておいてください。
そもそもキチガイ同然になっている人間のいう事をまともに取り上げたのが良くなかったのですよ!
(気狂ひ同前の者の申上候儀を。御取上げなされ候事、然るべからざる)」

と長政に釘を差しておいて母里但馬の小屋に行き、長政の意図を説明し
「今に始まったことではないがその我儘、いい歳して不相応にも程があるだろ!まったく沙汰の限りだ!」
としたたかに叱りつけると、但馬

「そういう事ならワシも腹をたてることはなかったんだよ!あんなナゾナゾみたいに言わず、最初から考えていること
全部打ち明けてくれればいいじゃないか!全く根性曲がりが!(いな曲の男なり)」

と別方向に腹を立てつつも栗山と共に長政の御前に戻り、
「先程は敵を見かけたら逃げろとおっしゃったのだと思い、殊の外腹を立てました。しかし只今備前に御内意の趣を
承り、そういうことであれば私も聞き分けることが出来ます。

それがしが石垣を高くし、堀を深くすることを望んだのは、3日を5日、5日を7日なりとも攻め崩されること無く、
敵を百人殺す必要があるのなら、二百も討ち取り、大敵をこの城に受け止めて日数を送らせることこそ、忠節であると
考えたからです。

私は、死にさえすればご奉公に成るなどとは、考えたこともありません。
生きて与えられた使命を実行させるため、大規模な普請を望んだのです。これは全く臆病から言ったことでは
ありません!その事をよく理解していただきたい!」

これに長政、
「引く敵の相手などに、但馬ほどの人間は必要ない。申す所神妙である!」

そう声をかけ、その後君臣機嫌よく、城の縄張りを共に完成させたという。
この時長政は但馬のことを大変頼もしく思い、その目には涙がにじんでいたそうだ。

筑前高取城築城の際の逸話である
(古郷物語)

和解したのでいい話ではあるのですが、何より黒田家の連中の口の悪さがスゴイのでこっちにw


関連
黒田長政、母里太兵衛に高取城を守らせる・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-725.html


474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 16:59:22.49 ID:gZwOFPTR
毎度の事ながら勝手にやってろよと言いたくなる家中にござる。

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 17:37:22.41 ID:BtRlLjQX
そもそも後詰めとか理解しないで切れてる時点で成敗しろよ

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 18:53:08.67 ID:7lDfepe4
この逸話既出だね

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 18:53:26.31 ID:JcaNIPb7
古郷物語の筆者には感謝しても仕切れんな、面白すぎるだろこの家w

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/19(金) 18:58:54.38 ID:WaBORbi2
本音しか言えない、それが黒田のルールだ。

母里太兵衛、不仲の井上周防に

2011年07月15日 23:16

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 03:36:44.22 ID:w4WKCjbm
母里但馬と井上周防と言えば古くからの黒田家の重臣であったが、
この両名、実に仲が悪かったという。

ある時のこと、母里但馬の屋敷にて人々集まり武辺話をしていたとき、但馬がこんな事を言い出した。

「周防は名人臭く、みたくもない分別面も甚だしい者であるが、先年豊後石垣原(関ケ原九州戦線での
大友氏との戦い)では一人狂言をしたよ」

人々、但馬と周防が仲の悪いことを知っていたので『またいつもの悪口をいうのだろう』と困っていると、
その中の但馬と心安いものが聞いた

「一人狂言とは、一体どういう事を言っているんだ?」

これに母里但馬
「それはな、あの合戦で周防は人を能く使い、自由自在に駆け引きをし、その上自身で槍を突き残るところなく働いた。
仕手(軍の運用と作戦立案)と脇(戦場での働き)を続けて一人でやったのだから、これは一人狂言ではないか。」

これに、ある人が口をだす
「あなたの甥である隼人殿も、戦場では同じ程の働きを、しかも朝鮮と石垣原で二度もされている。
脇ということならば、隼人殿は周防殿の上を行く勇者ではないだろうか?」

但馬、この指摘に
「あいつは私の甥だからなんとも言い難いが、脇という面であれば悪くいうことは出来ないな。

しかし周防は軍陣という物も見ず、軽はずみなこともせず喧嘩もしないので、終に刃を交えるような事もなく、
子供の頃から用に立つべき者であると、優れて功の入った人である宗円様に見つけられ、如水様、そして
今の殿にいたるまで3代共に、仕手として重用されていた。

しかるに豊後では、あのような実戦は初めてのはずなのに、そのたった一度、一度も一度の場であれだけの働きをした。
なるほど、いよいよあいつは殿の御重宝である。」

そういって井上周防を殊の外褒め上げた。
これを聞いた人々は

「但馬殿と周防殿はずっと不和で、今周防殿が他に居るのをいいことに、何事かを聞き出して悪口を言うのだろうと
困った思いでいたが、なんという正直な物言いだろう。」

と、皆感じ入ったそうである。


母里但馬、不仲の井上周防にツンデレる。と言うお話。



603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 06:00:36.19 ID:0F+VrMKM
この逸話 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3083.html にも
「脇を合わせる」と出てくるけど、どうしてそういう言い回しになったのか謎だったんだが
能狂言の仕手・脇に例えて言ってるのか。すごい納得した。
戦用語っておもしろいな。

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 09:54:00.13 ID:VtFOTEhj
母里太兵衛って結構ウザキャラだな
栗山は母里に長政にと面倒見なきゃいけないのが多くて大変そうだ

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 10:06:58.53 ID:oc7vWgGf
黒田二十四騎、というか黒田武士はそれぞれに面倒くさい

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/15(金) 12:40:15.54 ID:VtFOTEhj
そういや後藤又兵衛も栗山の寄騎からだったか

母里太兵衛の日本号は現存している…が

2010年02月25日 00:03

162 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/23(火) 17:48:50 ID:M7qRwq02
いい話でもないが

ちょっと前に出ていた通り、母里太兵衛の日本号は現存している。
(福岡市立博物館にある)

…が、文化財として何の指定も受けていない。指定してくれよ…



163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 17:54:21 ID:5oDsR1mX
確か持ち主が拒否したら指定できないだろ

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 19:23:14 ID:3daMQjnz
銘といい箔といい相当な一品なのにな

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/24(水) 10:05:13 ID:RqQ2vfLz
文化財指定を受けると移動とかが容易に出来なくなる・・・くらいかなぁデメリットは
金銭面でのメリットしかないから金銭に困ってなければ受けなくてもいい程度

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/24(水) 16:31:50 ID:vnGqCpBs
>>167
あと、担当の役人の態度が尊大でぶち切れてって可能性かな。
知り合いのお寺さんの門が歴史あるもので、補修するのに個人じゃまかなえないってんで由来とか
まとめて市に申請だした時に担当者の態度に何度やめようかと思ったと語ってた。
「指定してやる」といわんばかりの横柄な態度で、自分の金で補修もまかなえないなんて落ちぶれたもんですね
みたいな嫌味言われたとか。

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/24(水) 16:56:50 ID:qeAjuZWX
京都?

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 11:06:34 ID:ZMULYHUG
>>168
それは地域によって違うのでは
うちらの方じゃむしろこうやったらもっと金が出るぞってイケイケだったぞ

黒田長政、母里太兵衛に高取城を守らせる・いい話

2008年12月08日 00:32

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 10:50:58 ID:qoGXckat
>>91の高取城を建てた時のこと。
高取山は国境の要地で、隣国は黒田の仮想敵国細川領。
(その仮想敵ぶりは端城の配置を見るとわかるので見たことない人は
一度検索してみてくれ。あれは噴く)
そこに城を築いて家老の母里太兵衛(但馬)に守らせることになり、
家中の士を大動員して出向いた長政一行。縄張は長政自ら行う。
しかし太兵衛がもっと石垣高く!だの相変わらず好きなことを言って
なかなか決まらない。
長政も慣れたもので、あーあまたかよと怒りもせずあしらっていたが、
ついに「但馬はわかってねーな。長いこと籠城する用の城じゃないから
そんなに堅固にしなくていいんだよ」と終了宣言を出した。
すると太兵衛の顔色が変わった。

「城を預けるって言うからいざという時はここが墓になるくらいのつもりで
いたのに、籠城しないってことは、敵が来たら明け渡すための城ですか!
敵を見て逃げたがるような奴を探してやらせればいい!俺は嫌ですから!」
(敵を見て逃げ候城には、此但馬は居るまじく候。
御家廣き事に候へば、敵を見て、逃げたくと存ずる者も之あるべく候。
左様の者を召置かれ然るべく候。某はいやにて候)

言い捨てると、そのまま自分の木屋に引き籠ってしまう。
長政は憤慨し、同じ年寄りで若いころは太兵衛の兄分だった栗山備後に訴えた。
「今の見た!?まあ聞け備後、あれはな、敵が来たらむしろこっちから押して
前線はこの城より先になるだろ、そしたら太兵衛は最前線で先手の右備にして
働かせて、この城には年取って遠征はつらいけどしっかりしてる奴を入れ直すに
決まってる!そういう意味で言ったのにあの態度!嫌だっつうならいいよもう!」
そこで栗山は長政をなだめてこう言うと但馬が立て篭もる木屋に向かった。
「怒るのはよくわかります。でもほら、いつものこと、いつものことですからね!
私が呼んできますから縄張は今日中に終わらせちゃいましょう。
バカの言うことは本気にしない、ね!」
そして、殿はこういう意味で言ったんだってよ、お前はいい年して我儘ばっかり
言うんじゃないと母里を叱りつける。
すると母里はけろりとして
「なんだ、そういう意味なら腹立たん。
ややこしい言い方しなくてもはっきり言えばいいのに変な奴だな」
(なぞだての様にいはずとも、思ふ様に打さらしいひたき事なり。いな曲の男なり)
と、木屋を出て栗山に先立ってとっとこ長政に近づくと
「敵を見て逃げろって言われたのかと思って腹が立ったけど、さっき備後に
聞いたような意味なら承ります。
石垣を高く塀を長くしたがったのは、できるだけ長い間敵を受け止めて大勢を
討取るのが忠節で、死んでしまっては決して御奉公にならないと思ったからです。
(石垣を高く立て、塀を永く望み候事、三日を五日、五日を七日なりとも
攻崩されず。百人殺すべき敵を、二百も討取り、大敵を此城にて請留め、
日數を送らせ候こそ、忠節たるべけれ。何方にても死し候へば、御奉公とは、
曾て存ぜず候。)
臆病で言ったんじゃないですからね!」
すると長政も母里の神妙な覚悟を褒め、二人は機嫌よく縄張を済ませた。

母里が自分の考えをはばかることなく申し上げると、長政公も殊勝に頼もしく
思われて、涙ぐまれたということです。
いやー非常によい話ですね。よかったよかった。


…ところでこの出典の古郷物語の作者、いつもフォローがわざとらしいの
どうにかならんのか。絶対変な話書いてる時の方が筆運び快調だろこいつ。
母里太兵衛の言動が趣深いと思ったので一部は引用してみた。




107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 10:55:49 ID:WEBcZuCH
>>106
逆に、わざとらしくフォローさえ入れておけば、何書いても良かったと考える事もできるなw



参考
母里太兵衛の(かわ)いい話

母里太兵衛の(かわ)いい話

2008年12月07日 00:01

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 20:30:39 ID:Bioxn/+w
母里太兵衛の(かわ)いい話

黒田家随一の猛将で酒豪と有名な、母里但馬友信
「背が高くガッチリした体、剛強で力強く、顎髭が濃い、勇猛さは人をしのぐ」
と『黒田家臣博』にある。
そしてこの男、非常に強情で一度言った事を決して曲げない頑固な男だった

江戸城の天下普請に駆り出された帰りに、駿府で供廻りの者が
 「やっぱ富士山すげーなぁ。天下一高いだけあるよな」
と感嘆していたところに一人
 「何を言う」
と割り言ってきた男がいた。
太兵衛である
 「俺の鷹取城の後ろに聳える福智山のほうがずっとでっかいもんね」
と高らかに主張する。
 「お前は何を言っているんだ」
と周りは言うが今度は
 「じゃあ俺、自分の首をかけるぜ」
とまで言い出した
福知山の標高は901mこれに対し富士山はご存じのとおり3776m
誰が見ても富士山のほうが断然高い
また太兵衛のあれが始まったと周囲は呆れ
 「あーはいはい、福智山のほうが高いよな」
と皆が折れた
そして太兵衛は一度言った事を絶 対 に 曲 げ な い
生涯ずっと福智山のほうが高いと言い続けた。




92 名前:大人の名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 21:58:39 ID:JCE+0BYT
ただの駄々っ子じゃねぇかw

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 22:01:27 ID:hAVwTGHR
ただの意地っ張りじゃねぇかw

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 01:09:30 ID:y3CGnua6
他人事だから(かわ)いい話と笑えるが
こういうのが上司だったら悲惨だぞw

95 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/07(日) 01:58:00 ID:g7HM4QgP
父親がクロカンで部下にこんなのや後藤又兵衛みたいなのがごろごろしてた黒田長政

確かにかわいそうだなw

母里太兵衛、酒は飲め飲め飲む酒は・いい話

2008年11月28日 00:07

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:41:15 ID:KlC+SqFo
めちゃめちゃ有名な話だけど、まだ出ていなかったので投下してみる


ある時黒田長政が、福島正則の下に、家臣、母里太兵衛を使者に出すことにした。

が、福島正則といえば有名な酒豪。また母里太兵衛も黒田家屈指の酒飲みであり、
太兵衛が酒で役目をしくじる事を心配した長政は、
「正則から酒を進められても、決して飲まぬ事」と禁酒を厳命し送り出した。

さて、太兵衛が福島正則の下に赴くと、案の定、朝から酒宴を張っている。
彼は太兵衛の到着を喜び、「用件は後でよい、先ずは一杯」と、酒をなみなみと注いだ大杯を
進めてきた。酒好きの太兵衛、これにはグラリと来たが、主君の厳命がある、飲めない。

「そ、それがし酒は無調法でして、どうかご容赦を…」

しかしそこは酔っ払っている正則。聞きゃあしない。
「良いから飲め!そちがこれを飲み干せば、望みの物を何でも取らせようぞ!」
「いやしかし、主君からも酒は飲むなと…。」

こういわれると正則はエスカレートしてくる。酔っ払っているだけにノンストップだ。

「わしの酒が飲めないとあれば!お主の口を割ってでも飲ませようぞ!」
「例え八つ裂きにされても飲め申せず!」

すると正則、突然大笑し
「天下に名の知れた母里太兵衛ですら、たかが一杯の酒に後ろを見せるとは、
黒田家は腰抜け侍ばかりの、豆腐同然の骨も筋もない、弱虫藩じゃのう!」

ここまで言われては武士の面目にかかわる。ついに太兵衛は承知する。

「ところで先ほどの、これを飲み干せば望みの物を何でも取らせるとの仰せ、
よもやお間違いはありませぬな?」

正則はいい気になっている「おお、勿論じゃ!」

すると太兵衛は朱塗りの、直径一尺(約30cm)の大杯に並々と注がれた酒を、
立て続けに三杯飲み干した。
そしてうろたえる正則から、福島家秘蔵の品、名槍・日本号を取上げた。

太兵衛はこの槍をかつぎ、黒田藩歌「筑前今様」を吟じながら、悠々と帰っていったという。


黒田節として今に伝わる、母里太兵衛日本号を頂くの一席ににて候。


黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ・悪い話

2008年11月24日 00:13

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:37:11 ID:cxekUhW3
黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ。
なぜなら黒田家譜という黒田家の来歴と活躍を示す書物に堂々と、黒田長政が
偉い先生(観世太夫)にほめられた!と家臣を集めて自慢げに歌った謡が調子っ
ぱずれだったと書かれているからだ。
もうここからかわいそうだと思う。なにも黒田マンセーな本でまでこんなこと書か
なくていいのに。
それを指摘したのは母里太兵衛という家臣で、これは黒田節などで有名なあの
飲み取り太兵衛のことだ。
「決してお前の歌に感動して泣いたとかじゃないから勘違いすんなよ!
この下手くそが師匠がほめたのをお世辞だとも気づかず調子に乗って、
それを周りの重臣が機嫌を取ろうと持ち上げおって、もう黒田家はおしまいだ!
そう思ったら涙が出るわ!」
最初の一言は言う必要あるのか?俺はそれを疑問に思う。
ちなみにこの逸話自体は長政が母里太兵衛の忠心を泣いて喜び脇差を与えて、
なんとなくいい話っぽい雰囲気で終わる。
俺はこの、とりあえずいい話でまとめる黒田長政の能力を評価したい。

この話は江戸時代に入ってからのことだが、黒田家譜ではこれについて
「治世では主君が楽をして怠け心を起こし国が乱れるものだが、敢えて厳しく諫言し、
主君に善心を起こさせて国をよく治めさせる母里の言葉こそ乱世の言葉である」
と誉めたたえている。

さて、俺はこないだ福岡県地域史研究という雑誌に載った能役者喜多七太夫について
書かれた文章を読んだ。
この喜多七太夫は大坂の陣で豊臣家につき、陣後は(諸説あるが)黒田長政に匿われ、
その斡旋で役者として復帰したと言われている。
黒田家と能との関わりを示す資料として、例の母里太兵衛に黒田長政がこれでもかと
音痴を指摘される場面が引かれていた。
こんなとこでまで晒されるのか。俺は自分も音痴なので黒田長政に対して同情した。
なぜこの場面かというと、母里太兵衛は能の心得があり、そこで謡にも一家言あったのだ。
つまり歌が上手い奴が音痴に身の程を知れ音痴!と言ったのだ。
なんてひどい話だ。

ところでこの母里太兵衛という男は黒田家の三老と言われていた男で、指折りの重臣だ。
武功も家中で群を抜いていて、自分の留守中に長政が戦で苦戦したと聞いて、自分で
「それはいつもと違って俺がいなかったから特別強敵だったように思うだけですよ」と
言っちゃった野郎だ。
その上、非常に体格に恵まれ、それでいて顔は人形のようだったという。
地位も権力もあってスポーツ万能でイケメンで、そして芸術的素養もあるのだ。
なんだそれ死んでしまえ。俺は思った。

そんな母里太兵衛の、長政の音痴と不明を罵る長台詞がその文章では黒田家譜から
引用されていたわけだが、よくよく見ると「節・拍子ちかひたるやうにて、更に面白くも
無御座候。」の部分に鉤カッコしてあり、小さな注釈がついていることに俺は気づいた。
(朱書)
……つまりなんだ。黒田家譜は、少なくともこの文章の筆者が底本にしてる写しは
(新訂黒田家譜一巻だそうだ)母里太兵衛の「殿の音痴!」という台詞をわざわざ
赤字で強調してるとこういうことか?
ひでえ…ひでえのは知ってたけど想像以上にひでえ……。
あれか?筑前は鬼の棲む地か?
音痴は好きで音痴をやっているわけではない。
長政などは一流の師匠について訓練しても矯正できないレベルの究極音痴なのだ。
それをこうまで晒し物にしようというのか。
俺は泣いた。




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:41:15 ID:7ErZxTHF
>>457
笑った
非難をものともしない長政の度量に感服してやれよ

しかし長政って、家臣から見るとそんなに頼りなかったのかな

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:50:03 ID:J96r1BBY
先代が頭ぐりぐり回る隙のないタイプだからなー

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 13:58:40 ID:7ErZxTHF
忠興とかみたいな偉大な親父を持つ連中で、
“家来から”ここまでボロクソに言われている人っているのかな。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:04:39 ID:P/8H+qXu
関ヶ原の戦いで福島他の東軍参加や、小早川の裏切りを根回ししてたり
親父ほどじゃなくても、なかなかの器量があったのは確かなんだけどなあ。

まあなんだ、ジャイアンリサイタルがよっぽどウザかったんだろ


463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:13:09 ID:6gIDOox2
家臣に罵倒されながら涙目で能を舞う長政w

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:28:09 ID:cxekUhW3
>>459
母里太兵衛ははっきり言って別格。
秀吉にも欲しがられた剛の者だし、空気読まないのが本領の戦国武士らしい戦国武士。
元々父親の黒田孝高に仕えていた頃からの重臣で、黒田長政も武功にこだわりのある
気の強い大将だったからよくぶつかってるが割と上手くやってる。
いつも黒田長政が折れる形でだがw

母里太兵衛が同僚の桐山孫兵衛と大喧嘩したことがあった。
というか発端は孫兵衛の失策だったんだが、それを太兵衛が何度謝罪しても許さず
決して口をきかないという報復に出たため孫兵衛の方でもさすがに腹をたてた。
それを知った長政が孫兵衛をなだめるためにかけた言葉が
「太兵衛はああいう無分別者だが、俺でも我慢してるんだからお前ももっと頑張れ」
だったことからもその苦労がうかがえる。

結論として太兵衛と孫兵衛はその後三十年間口をきかなかった。

またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できることについても
留意されたい。

謡の逸話では一応黒田長政の事も
「長政は普段このように正直な諌言を好んで、この件に限らずよく聞き入れた。
滅茶苦茶なくらいきつい言い方をしても却って大切にした。実に明君である」
と誉めている。
ただし脇差取りに行く時すげー不機嫌そうな顔だったこともしっかり記録されちゃってるけどな!
名君として振舞おうと努力はしてるけど本来の性格が邪魔をする、そういう人だったんだろう。

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 14:41:06 ID:KdZr0fAU
後藤又兵衛と母里太兵衛の違いはなんだったんだろう

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:20:14 ID:kC0H/L0f
こんなこと許されたのは黒田家くらいなんだろな

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:33:44 ID:iQduHtqw
>またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
>(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できる
普通に10へぇ~(古)

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:37:24 ID:D+qmuItF
>>465
親父と兄貴の違いかな?

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/23(日) 15:38:13 ID:6gIDOox2
>>466
徳川家も忘れてもらっちゃ困る

母里友信と栗山利安・いい話

2008年10月15日 14:07

4 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/02/24(土) 03:13:27 ID:mG1IIf9w
母里友信は黒田家臣。
無類の大酒飲みで福島正則にすすめられた大盃の酒を見事に飲み干し名槍・日本号を賜った逸話は『黒田節』(『筑前今様』とも呼ばれる)として今も語り継がれる。
無分別で向こう見ず、わがままな性格で武辺一筋の男だったが主君の如水は必ず役に立つ漢だと信じて重用し、生涯で76の首級をあげた家中随一の猛将として黒田家の筑前入国後に18000石を得た。
死の間際に少壮の頃に如水に「兄と思い、兄弟一体となって奉公せよ」と命じられたその兄貴分の栗山利安の見舞いを受けた。
その時友信は「これまではおこがましいと思い口にはせなんだが、御身の恩により人となることができた」と言って手を取り共々に号泣したと伝えられている。
母里と栗山は、張飛と関羽みたいな間柄だったのかな?ムチャクチャな母里を栗山がいつも制して面倒を見て、みたいな…
それを考えたら母里の臨終の際の逸話は何だかホロリと来ます。