FC2ブログ

新納忠元「耳なんとか目なんとか」・悪い話?

2009年02月20日 00:05

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 12:17:25 ID:GrXsvyz+
兄弟ネタが出てきたから関連で
-----------------
お題「耳なんとか目なんとか」

天正13年(1584年)、肥前島原の大名・有馬晴信が遠く離れた薩摩の島津義久に助けを求めてきた。
そのころ、佐賀の龍造寺隆信が急激に勢力を拡大し、晴信の親戚・大村純忠も隆信に人質を取られて
晴信攻撃軍に加わってしまう等、存亡の危機に瀕していたのである。


島津氏も肥後の平定で一苦労している上、主な家臣はみんなふさがっていてとても加勢できる
状態ではない。
しかし、ここで有馬を見捨てるのは今後のことを考えると得策ではないと考えた義久は
家臣の反対を押し切り
晴信の使いに「分かった!加勢してやる!」と回答した。
・・・とハッタリはかました物の、この時点では義久によいやりくりの算段は全く浮かんでなかった。
「うーん、こう言うときは・・・やはり”このもの”に相談するしかない・・・」
そして呼ばれたのが「ましな方の鬼武蔵」こと新納忠元である。
義久「こういう状況では余り兵も送れないし・・・少兵となると大将は忠平(後の島津義弘)にするか、家久(善)にするか
   どっちかしかないと思うけど・・・忠元はどっちがいいと思う?」(´・ω・`)
忠元は即座に回答
「忠平様は”耳臆病、目かいがいしい大将”であられます
 家久(善)様は”耳かいがいしく、目臆病な大将”であられます
 目に見えるとき大事に思う大将は軍のし損じがありません。
 今回はぜーったいに家久(善)様を推薦します。」
・・・意味不明ななぞなぞみたいな話だが、義久はこの忠元の意見を採用し、有馬晴信の元には家久(善)を派遣した。

ところが、この話を聞いて逆上したのが忠平(義弘)である。
「兄貴の俺が駄目ってwwwwwwwwwちきしょー鬼武蔵ボコってやるぜ」
しかし、それをきいた新納忠元が一言
「何で私のこと逆恨みするんですか 私は私情を交えず御家のためを思っていったまでのこと。」
その後も忠平はプリプリしていたが
 沖田畷の合戦 家久(善)+有馬 ○ - ● 龍造寺隆信
という結果にグーの字も出ず、以後は新納忠元の言うことを聞くようになったとか。
(参考 「武功雑記」(『改定史籍収攬』所収)
------------------
忠元の「人を見る目が いい話」なのかも知れないが
義弘の「弟にやきもち焼いてミットモナイ!悪い話」にも思えるのでこっちに書いておく。




174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 14:08:15 ID:/AryFGP+
家久(善)は義弘より12歳も年下なんだな・・・
やきもちっていうか悔しいというか
わからんでもないな

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 14:33:23 ID:3TOAa7Ru
俺には意味が理解できなかった、誰か解説をば…

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 14:48:47 ID:RAmW4BFX
>>175
>>173について?

おそらくだけど、”耳臆病、目かいがいしい大将”ってのは、情報を慎重に集め情勢を把握した上で、
方針を決め、合戦を戦う大将、
”耳かいがいしく、目臆病な大将”ってのは、事前の情報にあまり重きをおかず、合戦に入ってから
状況を見つつアドリブで戦う大将、

って事じゃないかと。

この場合、戦況は絶望的だったわけで、情報を精査した上で方針を決めようとすれば
どうしても悲観的、後ろ向きな作戦を取らざるを得ない。
その点、実際に戦場に入ってからあれこれ方針を調整したほうが、この手の合戦では
有効に働く。

そう新納さんは解釈したのだと考えていますが、いかがでしょう?

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 15:10:42 ID:cbbraVQt
ロバート・デ・新納さんは本当にズバズバと物を言うなあ

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 15:31:16 ID:CKiNnwIv
>>175
耳を情報、目を実際の戦場、臆病を慎重、かいがいしいを積極ととるなら、
義弘 事前情報より戦場での直感を重視した天才肌の指揮官
家久 事前情報重視し、戦場では一か八かの戦術より慎重な采配を選ぶ指揮官
かな。
実際に義弘の軍歴を見ると少数の兵で奇跡的な勝利を得た現場指揮の天才と言えるし。
沖田畷は負ける可能性の高い手伝い戦なので、
勝にこだわって博打を打ち玉砕する可能性のある義弘よりも、
無事に帰ってくる可能性の高い家久を選んだのかと。

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 15:46:13 ID:GGU7XaI3
大友宗麟「北の毛利の兄弟はああだし南の島津兄弟はこれだよ…
      うちの兄弟は茶器くらいの役にしかたちゃしねぇ」

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:05:37 ID:sPK+xIKl
>>179
国力が一番あったのはお前の国だろうが~~~~

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:17:45 ID:DAcIfyQd
>>173
しかし苦しい状況でも援軍を出してやるところは偉い。
その点長年の宿敵後北条とあっさり同盟した挙句、
武田に攻められた後北条の再三の援軍要請に結局応えなかったどこかの義の武将は…。

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 16:51:50 ID:/AryFGP+
>>182
謙信「毘沙門天が援軍に行くなと言いましたので
   私のせいではありません」

新納忠元と犬童頼安の歌合せ・いい話

2009年02月05日 00:22

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 00:07:14 ID:Jf28KF0+
>>231
犬童さんと詩で、オレの好きな話が出てないの思い出したわ、ありがとう

天正9年(1581)、島津軍は相良家の家老・犬童頼安のこもる水俣城を攻めた。

攻め手の大将は、島津家で武辺者の名を挙げるとき、「まずは、武蔵守どの・・・」
と、必ず最初に指折り数えられることから、『親指武蔵』と呼ばれる猛将・新納忠元。

後年、細川幽斎から古今伝授を受けた教養人でもある忠元は、水俣城の西側、
月の浦に陣を構えると、城内に矢文を放った。

『 秋風に 皆また(水俣)落つる 木の葉かな 』
(吹きすさぶ秋風のごとき島津の猛攻に、水俣の兵は木の葉のように吹き飛ぶでしょう。
そうなる前に、降伏されては?)

城内から、矢文が返って来た。城主・頼安みずからの手紙を読んだ忠元は、
苦笑せざるを得なかった。 「やりおる・・・・・・!」

『 寄せては沈む 月の浦波 』
(何を言われる?そちらこそ、月の浦に寄せる波のごとく、我が城にぶつかっては砕け、
沈むだけでありましょうよ。)

忠元にも負けぬ教養と意気を持つ将に率いられた水俣城の士気は高く、さすがの
親指武蔵も苦戦を強いられた。
しかし、そこに届くは主君・相良義陽の討ち死にの報。城は涙を呑み、開城となった。

のちに頼安は主君戦死の地・響野を訪れ、無念の歌を詠んだ。

おもいきや 倶に消ゆべき 露の身の 世に在りし顔に 見えむものとは





243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 00:34:12 ID:3xTsuC7i
>>241水俣開城時は義陽健在でしょう。義陽からの和睦せよとの使者が来たんじゃないか?

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/04(水) 01:59:15 ID:xtWWqxCN
>>241
犬童さんと、島津の鬼武蔵こと新納さんね、そういや未出だったか。アガトウ
相良ってほんと多士済々だなあ。鎌倉以来の地頭さん家はダテじゃない。


茶人に歌人、坊さんに限らず漢籍につえーのもいるし戦国武将っても
殺伐してるばっかじゃないんだよなぁ



関連
相良家、深水長智の奔走・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1201.html

南の方の武蔵、新納忠元・悪い話

2008年12月04日 00:04

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 01:22:21 ID:B4xeEe+I
南の方の武蔵の話。

揉めに揉めた豊臣と島津の間でようやく和議が締結された。
秀吉がこの帰路の行程で曽木の滝を見物することになったのだが
これを案内したのが新納忠元。
(曽木の滝周辺の地頭だったから案内したらしい)

新納さんは豊臣との徹底抗戦を主張した武闘派。
これはなんて素晴らしい機会!ってことで、秀吉を滝壺に突き落として殺す気満々。
しかし秀吉も、忠元の殺気を感じ取ったのか、忠元の服の袖をしっかり掴み
身体をすり寄せて一時も離そうとしなかった。

何が悪い話と言われると困るけど、
オヤジ2人が滝を見ながらぴったりくっついている光景は
悪いわけじゃないがちょっと微妙かと思って悪い話の方へ投げてみた。




973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 01:24:09 ID:QMslh/8n
やっぱ所詮は鬼武蔵か…

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 02:02:47 ID:a9atj0bX
デ新納武蔵さんは歳久と同じで秀吉が嫌いなだけなんだよ

>>972の後で秀吉から直臣になるよう誘われて
「オマエなんか義久様からGOサイン出ればいつでも殺ってやんよ」(意訳)

薩摩で太閤検地が始まって
新納「先祖代々の土地をサルの手下に荒らされるとか、耐えられないんでテロっていいっスよね」
義久「ちょwオレ、娘を人質に出してんだけどww」
新納「そこはホラ、病気かなんかで死んだと思って…」

歳久に切腹が命じられて
「反乱起こしましょーよ、反乱。弟見殺しにしてサルに尻尾振ってお家安泰とか、何が楽しいんスか?」


975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 02:08:14 ID:xCBPO6rz
新納はもっと、なんか、こう、ホラ、
無口で、誰よりも自分に厳しくて、
なんつーか典型的な武人ってイメージを勝手に抱いていたんだが…

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 02:11:46 ID:wRpAfSoS
今日 鬼武蔵 って名前の杏酒を呑んだ

とても甘美であった

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 02:16:57 ID:B4xeEe+I
>>975
ある意味、典型的な武人の反応ではなかろうか
苛烈っていう意味で

978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 02:25:36 ID:39SYP/uT
>>976
主君の名が入った酒を飲むなど無礼千万

と鬼武蔵様がそちらに向かっています

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 03:03:29 ID:d+8he7Hv
親指武蔵はリスペクトも全力だから格好良い
まとめにある土佐の忠兵衛さんとの話とか

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 04:03:29 ID:kdykZAeO
一応新納は教養高かったからな

984 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/03(水) 09:48:10 ID:bJtcmOm+
>>972
宇佐美「男同士密着して舟遊びを楽しみましたが何か?」


985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 09:59:30 ID:a9atj0bX
あんたは成功してる分もっとタチ悪いわww




関連
秀吉、新納忠元に
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2324.html

新納武蔵守忠元と遺体の返還・いい話

2008年10月15日 14:21

89 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/12/16(日) 23:36:36 ID:jW4n4EPS
島津家臣 新納武蔵守忠元
鬼武蔵と言われた猛将だが戸次川の戦いのさい敵将長曽我部信親を討ちとるが長曽我部の家臣谷忠澄が遺体の返還を願い出ると涙を流しその遺体を返還した
更に岡豊城まで僧を同行させた。




関連
信親の遺品
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3265.html