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朽木は節義も一時の所縁も忘れて

2018年08月24日 10:12

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/24(金) 01:51:18.15 ID:k0eQsWFI
元亀元年(1570)4月27日、浅井父子とその他近江の城主らは金ヶ崎・手筒山両城ともに
降参したとの由を聞いて、信長の後ろを遮って討とうとした。信長は大いに驚いて兵を引き、

28日、朽木越えのため引き返した。越前勢は追いかけて戦い、信長はまさに討死せんとしたが、
松平三河守家康が後殿して朽木谷に差し掛かった。この時、朽木信濃守元綱は8百余騎で難所に

引き受け信長を討とうと遮った。信長は通れず、松永弾正久秀は朽木と旧好があったので松永が
まず行って朽木を頼んだ。

朽木は節義も一時の所縁も忘れてこれを許し、信長を通した。信長は虎口を逃れて京都に至った。
近江の諸士は皆、朽木に義のないことを憎んだ。浅井長政は朽木を辱めて曰く、

「元綱はなぜ馬を他門に繋ぎ肩をそばだて尾を振るのか! そもそも朽木は江州先方の士にして、
しかも佐々木家血脈の一流ではないか! その業の口惜しきことよ、名字を汚した士なり!」

これに朽木は一言の返答にも及ばなかった。

――『浅井日記』



50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/24(金) 10:15:27.32 ID:c4dUWH66
きっと松永が朽木の子息を拐って手出ししないよう言い含めたのだろうな

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/24(金) 10:44:03.08 ID:uwltokou
まとめブログの8605
草が風になびくような

>家康は
>「お前のような地位の低いものは、草が風になびくようなものであるから、深く責める必要はない。
>本領安堵はこれまでと変わらない」
>とおっしゃったので、元綱も家康の寛容さに感動し、涙を流しながら退いたそうだ。

「朽木越えの時は助かった」とでも言えば家康の株はもっと上がっただろうに

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/24(金) 21:26:17.80 ID:R8yzVX6v
赤座、小川「…」

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/25(土) 12:09:54.01 ID:wY6mtzYB
>>51
王者は誰にも頭を下げないし、例え黒であっても白と言い切り白と認めさせねばならないのだよ

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/26(日) 09:32:55.76 ID:Ak7DzSzb
>>51
家康は取り残されてたから朽木越えしてねえよ。
秀吉と一緒に普通に撤退だ。
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草が風になびくような

2014年07月12日 19:30

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 10:19:14.54 ID:amolp6fl
せっかくなんで、「徳川実記」家康公伝より
三好に追われた義輝を匿ったり、金ケ崎の信長逃亡を手助けしたり、の朽木元綱関連の話を

関ヶ原で金吾に引き続き脇坂、赤座、小川といっしょに寝返った朽木元綱
夜になってから、細川忠興を頼り家康本陣にご機嫌伺いに参上し、
「元綱が一旦敵方になっていた罪は言い逃れできませんが、脇坂安治の陣に従い、
お味方する意志を示しました。
どうかお許しをいただき、今後忠勤させてください」といった。
家康は
「お前のような地位の低いものは、草が風になびくようなものであるから、深く責める必要はない。
本領安堵はこれまでと変わらない」
とおっしゃったので、元綱も家康の寛容さに感動し、涙を流しながら退いたそうだ。

本領安堵とはいえ嫌味を言ってる気もするので悪い話に




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/12(土) 11:29:30.95 ID:2gB85Ays
実際の所、適当な理由付けて許してやらんと
仲介者の面目が立たんし