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奸臣・石田三成と忠臣・浅野長政

2022年07月10日 13:10

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/09(土) 21:34:26.58 ID:2gq925Tz
朝野雑載」から奸臣・石田三成と忠臣・浅野長政

太閤は薨ずる時に「喪を秘すように」と御遺言されたにもかかわらず、石田三成は家臣・八十島助左衛門を家康公に遣わして告げてしまった。
その後、浅野長政が「太閤口切の茶壺です」といつものように家康公に持ってきたが
家康公は顔色を変えて「茶壺は庭に捨てよ」とおっしゃった。
浅野があわてて理由を尋ねると
家康公「すでに太閤が薨じられたことは石田から聞いているので、このような策略は無駄である。
だいたい貴公は昔、太閤から御勘気があったのを、我が取り直したというのに忘れられたのか」
すると浅野長政が「ああすでに石田が申したのですか。
わたしも貴殿の旧恩を忘れたわけではありませんが、御遺言ということで近臣みなで喪を秘すべし、と誓ったのに。
すぐに破るとは神罰を省みない不義の至極であります」
と申したため、家康公も御心をやわらげた。
そののち三成が佐和山に蟄居になったのち、家康公は何を思ったのか、空き家となった大坂の石田三成の屋敷で居住なさった。
そののち、家康公は西の丸に移られるということで増田長盛・長束正家は家康公のために大広間と天守を建て奉った。
増田・長束は大広間・天守を進上しただけではなく、土方雄久・大野治長・浅野長政の陰謀(家康暗殺計画)も告げるという、一国を賜るべき大功もなした。
それなのに関ヶ原ののち、長束正家は切腹、増田長盛は流浪の身となり、土方雄久と大野治長は召し出された。
また浅野長政は五奉行とはいえ秀吉公御台所の兄弟であった。
太閤の御遺命を守って内府に知らせなかったばかりか、内府を刺殺しようとしたため、いかなる刑罰にも値するところ、かえって子孫が代々繁栄するところとなった。
これも主君に忠を尽くしたのを、内府は賢将なので御心に感じなさったゆえであろう。
もしくは忠臣に天佑が味方したゆえ、かく栄えているのであろう。



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只今秀吉公御死去

2021年04月29日 17:38

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/29(木) 14:39:47.50 ID:f09WRf9y
庚午(1630年)十二月に書写、丁巳(1617)年、池田光政様が御咄遊ばした。

秀吉公の御卒去は深く秘密とされたが、この時石田治部(三成方)より八十島と申す者が
使いとして、東照宮(家康)へ内密に申して曰く

「只今秀吉公御死去」

と申し上げた。

その後、秀吉公の御使者より東照宮に、蜜漬けが届けられた。
そしてその後、浅野弾正(長政)が御使として、御肴を持参して参られるということを
東照宮に申し上げた。

普段であれば、御使者が参った時は袴、肩衣を召して御馳走遊ばされていたのだが、
この時東照宮は以ての外の御様体にて、「弾正これへ」と召した。
弾正参り、御口上を申し上げた。
神君はややあって、以ての外の御機嫌にて

「今まで、死したる人の方より、使者を以て音信が有るという事は承ったことがない。
先程来た蜜漬けにも大毒満々たる故、この庭のふみ石にて打ち破って置いた。」と仰せになった。

弾正は
「そのようなことは有りません!」と色々弁明を申し上げた。
神君は
「治部方より御死去の日、注進があり、委細聞いたのだ。」と仰せに成られた。
浅野は申した

「石田を始め、堅く誓紙を取り交わしたというのに、彼が約束を変じた故に面目を失いました。
この申し分が実際の所であり、重ねて御奉公申し上げるでしょう。」
と申した。

その心の故に、関ヶ原にて御味方仕ったのである。

烈公間話



691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/01(土) 08:27:11.36 ID:yZrxDgdY
>>689
老人に甘いものは毒、もう糖尿病なんてあったのか

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/01(土) 10:36:30.64 ID:xYlT6RcQ
>>691
米を大量に喰うから糖尿病(飲水病だっけ?)はあったけどこの文の趣旨はそれじゃない

長政はむかっ腹を立てたのだった

2020年07月23日 18:15

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/07/23(木) 13:18:48.62 ID:eEqaTPVh
まとめの2593
家康と浅野長政、囲碁を通じた友情

の詳しいバージョンが「爛柯堂棋話」という碁関連の話を集めた本にあったので

権現様は囲碁友達の浅野長政とつねづね囲碁を楽しんでいたがある日は負け続き。
対局中、そばにいた本因坊算砂(囲碁の家元・本因坊の家祖)に
権現様が「この石を跳ねるしかないかなあ」と聞いたところ
算砂「おっしゃる通り、跳ねるしかないですね」
と言ったもんだから、そのまま跳ねたところ権現様の勝利。
長政は大いに怒り脇差に手をかけ、算砂に
「今度助言したら討ち捨てるからな!」と怒鳴った。
その後、また権現様が長政のところに来るということで、長政の末子の長重は
「父上、家康公との対局ではわざと負けてください」
と言ったが、長政は
「公相手だからと言って、勝てる碁にわざと負けろというのか?」と立服。
そして庭で毛氈を敷き、二人が対局をしていたところ、長則があらかじめ呼んでいた算砂が
「日差しが強いので傘をさしましょう」
と穴の開いた唐傘を、権現様にとって好手となる位置にちょうど穴からの光が当たるように置き
悟った権現様はそこに石を置き長政に勝利。
長政はむかっ腹を立てたのだった。



正直も不律儀に移り

2017年12月25日 16:29

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/25(月) 12:51:46.80 ID:XbXTQwZe
正直も不律儀に移り


あるとき、浅野家の家老が参上して
「金奉行と扶持方奉行は相役を仰せ付けられるべきです」
と申したところ、浅野長政はそれを聞いて
「只今の通り、一人役では盗むと思ってこのように言うのだろうが
 我はかねがねその心得で、正直な人を選んで申し付けるようにしている。
 侍は己の勝手向きがどれだけ逼迫しようが盗みはしないものだが
 近世の侍は盗む侍もいるようだから、もしこの後相役を添えれば
 二人なら盗むと言う声が、いずれにせよ多くなるだけだろう」
 
「もっとも盗みをするのではないかと疑えば、この両役には限らないので
 この役も無心する、この人も覚束ないと言って相役にしていけば
 馬廻りの人数も次第に少なくなり、江戸詰に多く当たるようになれば
 馬廻りの侍が内心で"諸役人は楽でいい"と心得るだろう。そうなれば
 侍の志はきたなく、正直も不律儀に移り、どうにかして役人になれば
 差し当たって貧苦を逃れられるだろうと、正直を作り家老や出頭人に
 賄賂を贈るようになるだろう。このような風俗を心得ようとすることが
 国政仕置の要である」
と指図したという。


――『浅野考譜』


にっかり青江

2016年08月21日 10:23

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/21(日) 02:03:59.09 ID:g3SzQ0MP
浅野長政の歩士が伊勢に使いをした時のこと。歩士が道に墓場のある場所を
夜中によぎったところ、変化の物が出現した。

その身体には火炎があり、不動明王の姿形のようだった。火光の中のその顔を
見れば、にかりにかりと打ち笑って、こちらに向かって来る。

歩士が刀を抜いて走りかかり、これを斬ると火光はたちまち消えて暗夜となった。
それから、歩士は伊勢に行き、次の日の帰路で件のところを見ると、苔むした
石仏の頭から血が流れ出ていた。また、刀の切っ先外れには斬った跡があった。

歩士は取って返し、この事を人に言ったが、誠らしからぬことなので親しい友に
密かに語り、刀を見せた。すると、その刃には血が付き、石のひき目があったが
刃は欠けていなかった。

浅野長政はこの事を聞いて、秀吉の耳に入れた。秀吉がその刀を召し寄せて
一覧すると、備中青江の作で2尺5寸のものだった。

秀吉は、「これは名物である」と言って、その刀に“にかり”という異名を付けて
秘蔵した(にっかり青江)。にかりはその後、京極忠高の家に伝わった。

――『武将感状記』



27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/21(日) 08:44:20.47 ID:IxSsKAaB
こっちは女の幽霊じゃないのか
てか、ニヤニヤしてる不動明王とか気味悪いw

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/21(日) 11:38:25.16 ID:7gpb65U3
>>26
にっかり青江の別パターンか

浅野長政「今の殿下は、古狐が入れ替わった者だ。」

2015年11月10日 15:32

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/09(月) 23:14:11.25 ID:xI4lJMJz
文禄2年の冬、豊臣秀吉は朝鮮での戦がはかばかしからぬを怒り、徳川家康を始め配下の大名を
名護屋の陣に集めこのように言った

「朝鮮の軍、今のままではいつになったら戦況が定まるかもわからぬ。そこで今は、この秀吉自ら
向かおうと思う。30万の軍勢を3手に分けて、前田利家蒲生氏郷に大将をさせ、三道より向かい、
朝鮮を打ち破り、真っ直ぐに大明に攻め入ろうと思う。
我が国のことは家康に任せれば心配もない。
方々、これをどう思うか?」

ところがこれを聞いた家康は、怒りも顕に利家、氏郷の方に向かい
「日本の大名も多き中に、あなた方二人が選び出されて一方の大将を賜ったのは、
弓矢取っての面目、何がこれに過ぎるでしょうか?
かく言う家康も、弓馬の家に生まれ戦いの中で年老いました。今、この大事に及んで、どうして
人々の跡に留まって、徒に本朝を守っていられるでしょうか?
少勢ではあっても、この家康も軍勢を率いて、必ず一方の先陣を承りたい!
そのためにも、あなた方のご推挙を仰ぎたい。」

ここに浅野弾正長政が進み出た
「暫く待たれよ徳川殿!殿下のここ近年の御振舞、昔の御心のままと思われているのか?
今の殿下は、古狐が入れ替わった者だ。それに何を言っても…」

この言葉が終わらぬ前に、秀吉は激怒し刀に手をかけ叫んだ
「やあ秀吉が心、狐が入れ替わったとはどういう事か!?その理由を申せ!
もし説明できないのなら、その素っ首打ち落としてくれん!」

浅野長政は少しも騒がず、
「この長政ごときが何百人首刎ねられても、どれほどの事がありましょうか?
仰せですので言いましょう。近年、意味もない戦を起こし、異国のみではない、
我が国内においても、父を討たせ子を打たせ、兄弟を失い、夫に別れ、妻に離れ、
嘆き悲しむ者天下に満ちている!
また、その戦のための兵糧の徴収、軍勢のための賦役、これにより六十余州の内は
悉く荒れ野となった!
今日、五畿七道の内は群盗強盗が蜂の如く沸き出て、安心できる場所すらない。

徳川殿がどのように思っても、これを防ぎ動揺することなく御跡を守るのは不可能です。
これらの事を理解されているからこそ、徳川殿は先陣を望んだのです。

ここで、昔の殿下であればこの程度のこと、気が付かないはずがありません。
しかし気がついていない。これはただ事ではない!きっと古狐が入れ替わったに違いない!

賤しき者達の諺にこんなものがあります。『人を取ろうとするスッポンは、必ず人に取られる』と。
それはまさにこの事です!」

そう憚ることなく言ってのけると、秀吉も怒りのまま
「狐であろうがスッポンであろうが、おのれが主人と頼っている者に、雑言を吐くこと奇怪である!」
そう叫んで長政に飛びかかろうとするのを、利家と氏郷が慌てて二人の間に入り押し隔てた。
「殿下、多くの者達が御前に伺候しております!長政の首を刎ねるのにお手を下されるまでも
ありません!弾正!弾正も何とか言え!」

しかしそう言われても長政はさらぬ体で受け流し、その場の人々に挨拶して、自分の陣に帰り、
御使を待って腹を切ろうとしていた。しかし秀吉は、長政の処分について重ねて言い出そうと
しなかった。

このような時に、肥後国に逆徒が起こったとの早馬が参った。秀吉は大いに驚き、徳川家康に使いして、
浅野長政を連れて参上するように』と仰せ下した。そして長政は召され、赦免された。

(藩翰譜)



611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/10(火) 03:44:41.59 ID:O6IysmEn
さりげなくやれば良いのに主張するから・・・

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/10(火) 05:58:58.21 ID:QjSotLI4
この話同様の内容で岩淵夜話や常山紀談にもあるな

関八州を手に入れたという恩

2015年10月04日 12:02

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/04(日) 03:10:30.97 ID:32dSqDEt
内府(徳川家康)と大納言様(前田利家)が、未だ仲直りなさっていなかった時、
浅野弾正(浅野長政)殿が、大納言様とも内府とも仲が良くお話しされる間柄でした。

そこである時、内府のもとへ弾正殿が訪れなさって、いつもの通りお話ししながら碁を打ちなさっていた時、内府が仰せられたことには、
「大納言については、今度のことは理由もないことであった。」
などと少し後ろめたいことを申しなさった。

そこで弾正殿は、
「私は前から、大納言殿に悪い噂がたっていることは嫌でございました。
その理由は、内府も目を付けられていますが、大納言と内府は、差し出した手の大指と小指だと存じています。
内府は我らに、上様のもとへ出頭なさったときに盛んに口添えしたことで、関八州を手に入れたという恩があります。
また大納言殿は私共父子の命の親でございます。
そのことをお心得なさってください。」
と申されました。

内府も「もっとも」と申されたそうである。

これを大納言様がお聞きになさり、ついに内府との仲は良くなりました。
このことは、『弾正殿一代、とんでもない事を申し上げたものだ』と、皆は褒め称えたことです。
(利家夜話)

家康の関東移封は長政らの力によるものらしいです



浅野長政の約束

2013年09月07日 20:02

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/07(土) 18:06:04.11 ID:7bpdfZ+l
天正十九年、豊臣秀吉は南部信直の老臣、九戸政実が陸奥国において諸士を集めて
近郷を掠め、土民を悩ましていると知ると、関白秀次を大将として進発させた。

この時、仕置軍の攻撃に城を保ち難く感じた九戸政実は、九月七日の夜、密かに
浅野長政の陣所に行き「信直の本領を安堵してくださるなら速やかに城を退く」と告げた。

長政はこれを許諾し、政実と南部の家臣、櫛引出雲某を許し、その他数百人を焼殺した。
八日、政実と久慈備前某を連れて、秀次の陣営は会津に至るところであった。

その時、秀次は、「長政が我が命を受けずに政実を許したことは無礼である」と怒り、
長政に命じて中途で政実を誅殺した。凱旋の後に南部家の所領に差し障りがなかったのは、
長政が先の政実との約束を違えずに言上したからであった。

――『寛政重修諸家譜』





ティアン・キット侍従より、フィリピン総督への書簡

2012年12月01日 19:53

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 14:37:03.30 ID:Ss79z7lE
天正19年(1591)ティアン・キット侍従より、フィリピン総督への書簡

『今より前には、嘗ては互いに通信したことなしと雖も、礼儀を尽くしてこの書簡をしたためる。

我が偉大なる主君関白は、来年戦争を行わんため中国に向かわんとしている。もし同国が、他の諸国とともに
降伏し貢物を送らざる時は、仮に遠しと雖も、戦士を派遣してその国を占領せいむべし。
これ故に、付近の諸国はみな降伏して命令に服従している。

貴殿の富める国に対しても、また戦争を行おうと考えていたが、原田(孫七郎)が関白の顧問会議の一員である
何某に告げ、同人が関白に告げた所によれば、もし日本国およびその宮廷において決定したるところを通知せば、
必ず貢物を贈るべきが故に、戦を行う必要なしとの事であった。
右の意見に従いて、この書簡を贈る。

私は当国の大官の一人であり、我々が速やかに相まみえられるよう、この書簡の如くいたせば、
貴国は安全に眠れることを得るであろう。

恐れること無く、躊躇すること無く、私が派遣する人物、すなわち私の通事に一切の秘密を語れ。
適当なる、敬意を表す。

天正十九年九月十一日。シャウリュウキュウ発(地名らしい。不明)。執事』
(異国往復書簡集)

この「ティアン・キット侍従」なる人物、浅野長吉、すなわち浅野長政であったらしい。
長吉→チョーキツ→ティアン・キット、となった模様。

大陸出兵と同時期に進められていた、豊臣政権によるスペイン勢力への圧力の一端である。




578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 14:50:54.49 ID:63HARdOs
なんちゅう傲岸な

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 15:29:29.94 ID:3tkmdVk/
フィリピン総督「こいつアホだ」

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 19:37:14.75 ID:xmo7rtAl
>>577
19年9月って九戸なんとかの乱のころ?
忙しいな

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/01(土) 19:39:54.21 ID:5YiYLZ5M
九戸政実「なんとか扱いされてしまった…」

浅野長政の家臣と「ニッカリ青江」

2012年11月28日 19:46

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:45:36.79 ID:cXcv4PNS
浅野長政の家臣が、夜道を歩いていると若い女が佇んでいてこちらに
ニッカリと笑いかけてきた。
この男はこんな夜中に若い女がいる訳が無い、これは物の怪の類に違いないと思い
一刀で女の首を刎ねた。

翌日、同じ場所を通ったが女の死体はみあたらず、そこには首の無い地蔵があったという。

この男の刀は備中青江貞次作のもので以後は「ニッカリ青江」と呼ばれたという。(常山紀談)




515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:47:09.43 ID:CgL4870A
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2959.html
こっちには異説が

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/27(火) 21:55:55.27 ID:cXcv4PNS
>>515
ニッカリ青江の話はいくつかパターンがあるが
今、丸亀市立資料館にあるニッカリ青江は脇差なんだぜ

http://www.city.marugame.lg.jp/institution/culture/01.html

浅野長政は佐々成政に意趣があった

2012年08月31日 20:50

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 17:29:06.91 ID:VY1J2o8S
浅野長政佐々成政に対して意趣があった。
その理由はこの様なところにあったという。

天正13年(1585)、秀吉の越中攻めに、織田信雄の仲介によって降伏した成政であったが、越中において
秀吉との対面はならず、引き上げの途中、大津で5日間滞留していいた所に成政は後から追いつき、
大津において秀吉に対し降伏う受け入れられたことへの御礼申し上げるため、城に上り書院までやってきた。

ここで多くの者達が成政を出迎え、取持衆は「御対面成されるまで、どうぞここでゆっくりとお待ちください」
との丁重な挨拶。敵対したとはいえ織田家の猛将であった成政に対し、彼を尊敬する気持ちは、秀吉の家中でさえ
強かった、ということであろうか。

そこに浅野長政が現れた。成政は、長政が秀吉から内々に何か聞き届けた事でもあったかと思い、声をかけると、
長政は

「内蔵助(成政)殿は上様(秀吉)に対し謀反をした者である!御対面は御無用!
私は今も、あなたを切腹させるよう申し上げてきた所である!」

そう言い放った。
これを聞いた成政は、長政を睨みつけると

「弾正(長政)よく聞け。私は秀吉とは、たった今まで肩を並べた朋輩であった。そうであるからこそこの内蔵助も、
信長公の御切腹後は、天下の覇権を心がけたのだ。
秀吉の家来であれば謀反ということも可能だろう。だが私はそうでなかった以上、弾正(長政)の申し様は
全く聞こえないものである!」

そう怒鳴り、荒々しく長政をやり付けた。
その後成政は秀吉との対面を果たし、丹波の野瀬郡に召し置かれた。
(川角太閤記)

佐々成政浅野長政に遺恨が出来た由来である




228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 19:21:44.62 ID:QJ6Gd40w
えっと、嫌われ役をやったということか?

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 20:00:28.72 ID:wvf3GtKf
意趣があった理由…
ていうよりこの時既にあるとしか思えないw

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 20:29:18.27 ID:sZFl0lgP
嫌われ役も何も、和睦の礼にやって来た者にわざわざ面と向かって言う必要も無いわな

231 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 21:00:25.07 ID:FeSilS2c
浅野長政は九戸政実一族皆殺しの謀略に関わってるし宇都宮家改易にも噛んでるし結構エグい人
「独眼竜政宗」の時に林与一氏が演じたイメージとは違ってる

この話は浅野に無礼に対して堂々と怒鳴りやり返した佐々の武辺者らしい男前ないい話にも見える

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 22:16:26.24 ID:J18DFBdy
浅野長政って「他の奉行達とは違って良識派」みたいな
イメージが強いが割と諸大名とトラブル起こしてるよなあ。

233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 22:18:12.01 ID:Y39JoAuw
>>232
???「そうだそうだ!だからこっちから絶交してやった!オレは悪くない!!」

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 22:40:11.23 ID:EOVWZrzs
ちょっと政宗は黙ってて!

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/31(金) 23:17:46.76 ID:X4lm6gRt
>>232
浅野長政はかなりのトラブルメーカーでもある。

ただ、喧嘩した相手自体もアレな人が多い。
例えば、政宗とか広家とか

237 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/09/01(土) 00:09:17.54 ID:Rj3NcUa6
>>235
三成もそうだしな。
仲が良かったのは家康あたり。

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/01(土) 01:13:13.71 ID:V/70pHoJ
みっちゃんの場合は木っ端役人フィルター掛けすぎってな逸話も多いから実際な所何ともいえない。
アホの子フィルターかけられまくってるTERUとか市松にも同じ事が言えるが。

これについて浅野長政が

2012年08月02日 20:56

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 19:18:07.70 ID:t6XsuW3I
仙石秀久の戸次川の戦いでの失態に激怒した秀吉は讃岐の領地を没収した。
これについて浅野長政が、

「讃岐の領地を召し上げることは致し方ないことと存じます。

しかし、御旗本の中でも杉原七郎左衛門、荒木平大夫、仙石権兵衛らは
世人に三人衆と称され、武名高き者たちです。

不知案内の地でのことですから、利を失うということは不覚悟ではありますが、
それも勝負の常でありましょう。

いままでの軍功をお考えになって帰参を許されれば、あなた様はもちろん、
天下の武士たちも勢いを得ることでしょう」

と諫言したという。その甲斐あってか、やがて秀久は赦免され、
信州小諸五万石を賜ることとなった。




799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 19:28:17.63 ID:GrmdYFno
羽柴四天王の神子田正治、尾藤知宣「・・・」

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/01(水) 21:03:36.56 ID:6k0p+BC8
杉原七郎左衛門家次って事務方の人であって武名はそんなに無いんじゃないか?
早くから家老になって京都所司代にもなった人だから重鎮中の重鎮だけど

この人はもう少し長生きしてたらどこか1国貰って大身になってたんじゃないかなあ

文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く

2012年07月28日 20:59

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:55:28.73 ID:OzNrzMCi
豊臣秀吉はかつて浅野長政とともに、浅野長勝の世話になっており、
ある時に二人は約して兄弟の間柄となった。

秀吉が出世するに伴って長政は軍国の政務を掌り、吏民の心を得た。
文禄四年、秀吉が長政を甲斐に封じて曰く

「お前とは兄弟であるのに、こうして天下の君主になっても
大国を与えてやれないのは本当に恥ずかしく思う。
しかし、それも天が定めたことだから恨まんでくれよ」

長政は深くその恩を感じ涙を流したという。




701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/27(金) 23:58:42.99 ID:r171e/L+
天=太閤様ですねイイハナシダナー

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:21:08.87 ID:62+fNDCc
天は太閤様に逆らう根性の持ち主を創造しなかったでFA

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/28(土) 00:36:03.23 ID:v/Dk2uxP
いろんな意味にとれるよね、その涙

ある人が甲州を訪れ、国中を見て廻ったところ

2012年07月26日 20:55

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 18:52:46.32 ID:Ynb3pVaw
ある人が甲州を訪れ、国中を見て廻ったところ、片田舎とは思えないほど
立派な家や、住民の富んだ様子を見てとった。

「これは一体どうしたことだ。何故このように豊かなのだ」と地元の人に問うと、

「このあたりは土地が悪く、昔は雑穀さえ実らないほどの有様でしたが、
浅野弾正少弼殿(長政)が当国を治められた時、

『この地は耕作を止め、栗の実を育てて林にすれば利益が出る』と仰せられ、
その通りにしたところ、やがて樹林となりました。

そうして栗の実を食用に、木を材木として江戸に送るようになり、今ではこんなに
豊かになりました。まことに弾正殿はすばらしい仁者です」とのことだった。




621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 19:51:34.49 ID:2RrZYhBW
それまでの為政者は何やってたんだろう?

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:10:55.91 ID:/IrlmrJ4
それまでの為政者って武田信玄、勝頼、鳥居元忠、平岩親吉、大久保忠世あたりか・・。
みんな武骨だったってことかなぁ・・。まあ豪族の領土だったのか。

623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:17:30.68 ID:I1TaP2FN
実が採れるまで面倒見てもらえる余裕、すぐそばの巨大な木材消費地
大きな要因はこの2つが生まれたことではなかろうか

家康「実は御三方に用というのは」

2011年09月05日 22:04

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 19:39:46.78 ID:eGX4MZds
>>693では、俊英・浅野殿age?な話

徳川家康が将軍宣下を受けたばかりのころ。伊達政宗黒田長政が碁を囲み、それを浅野長政
見物しているところに、家康が十二、三歳の年頃の少年を伴ってやって来た。

浅野「やっ、これは」
家康「あぁ結構、結構!今日は野暮用で来たまで。これ、わしの甥っ子・亀松。」
亀松「よ、よろしくおたのみもうす!」

政宗「・・・・・・」 パチン
黒田「・・・・・・」 パチン
↑熱中

家康「実は御三方に用というのは、この子に嫁のクチはないか、という話だ。身びいきながらこの亀松、
なかなか見どころあり、とわしは見るのだが。」
亀松(ドキドキ)

政宗「・・・・・・」 パチン
黒田「・・・・・・」 パチン
↑超熱中

家康「あ、あのー」
亀松「・・・・・・(泣)」

浅野「よ、よし!その話、それがしが承る!幸い、わが娘に似合いの年頃の子がおり申す!」
家康「あ、ありがとう!ありがとう!!」

こうして亀松と浅野長政娘との縁談がまとまったそうな。(鎮国神公御遺事)

まぁ亀松、のちの松平定綱的にはすごい当たりクジを引いたのでいい話かも知れないが。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4158.html




714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 19:59:13.18 ID:L/hY4Mt4
ワラタw
囲碁に熱中してて聞こえなかったのかな?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 20:24:40.54 ID:XaMtUpvR
家康よく怒らなかったな
そして浅野さんの空気読みっぷりが泣ける…

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 20:32:17.50 ID:SwzMsc9C
政宗「やっべ、嫌なの来ちゃったよ」
ngms「お前相手しとけよ?」

浅野内膳の書院

2011年09月04日 23:28

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 17:06:28.13 ID:FiCafuW0
悪い話か微妙だが

浅野幸長が数奇屋を建て直した際、家臣の浅野内膳が使わなくなった建材をもらい受け、自邸に書院を建てた。
新書院お披露目にあたって、内膳は幸長の父・浅野長政堀親良(秀治弟・長政婿)を茶会に招待した。

当日、内膳みずからの出迎えによって新書院に案内された長政は、その四方を見渡して眉をひそめた。
内膳自慢の新書院、内装は数寄を凝らし華麗を極め、茶器も高価な名物道具ばかりであった。

「内膳よ。千五百石の分限には、過ぎたる振る舞いよな。この長政、かかる贅沢は大嫌いじゃ。
こんな場所で、今日の接待に預かるわけには行かぬな。
真に馳走の志あらば、以前からの部屋でも、亭主が心をこめて接待すれば良いのではないか?」

「も、申し訳ござらぬ!まこと、大殿の仰せの通り。」
「ならば、この書院は要らぬな?」
「え?」
「おーい、みんなー!」

自分はおろか親良の従者まで集めた長政は、命じた。

「この書院を取り壊せ!!」

命に応じた屈強な従者たちは、さっそく袴を脱ぎ、着物の尻を端折って、竣工したばかりの書院を破壊した。
更地になった新書院を見届けた後、長政は以前からの書院で、心行くまで茶を楽しんだ。
(名将言行録より)




691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 17:56:46.22 ID:i0k4tUol



こ  れ  は  ひ  ど  い




692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:08:45.19 ID:UuF0Kzeq
これは

ひどい

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:11:43.72 ID:2mN6vEsB
また長政sageかよ

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:12:11.35 ID:j+dlDxLg
こんなのってないよ
長政さん的には説教のつもりだったんだろうが

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:14:48.13 ID:UuF0Kzeq
浅野長政って、そんなに贅沢嫌いな人だったの?

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 18:16:49.99 ID:eR7hWYuJ
秀吉の縁者の割りに大坂城とかも嫌いだったのかな

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:14:06.33 ID:XCrDs8dV
縁者っていっても嫁の方だったよね?

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:20:21.12 ID:DfgTYlFG
これは謀反起こしてもいいレベル

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:28:12.05 ID:UuF0Kzeq
その後の内膳さんの様子が気になる

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:40:45.28 ID:VBtu9ui5
>使わなくなった建材をもらい受け

本来なら捨てるところを再利用してるんだから褒めるべきだろwww

701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 19:49:39.62 ID:DfgTYlFG
取り壊される書院が量産型エヴァに食い散らかされた弐号機みたい

内膳「殺してやるっ!」

浅野長政から、野々口五兵衛あて書状

2010年03月30日 00:06

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:04:22 ID:GQMwSr7y
浅野長政から伏見城の普請奉行の一人、野々口五兵衛あて書状

「最近連絡できなくて申し訳ない。太閤殿下が近日中に様子を見に行くそうなので、そちらの普請等、
油断なく申し付けられたい。
(中略)
・・・ところで、殿下ご寵愛の猫が大坂城から行方不明となり、捜しているが、なかなか見つからない。
あなたは、黒猫一匹、虎毛が二匹飼っていると聞いた。
ぜひ、虎毛のうち毛並みの良い方をしばらく貸していただけないだろうか?その間に当方で元の猫を
捜し出した後、お返ししたい。

文禄二年十月十九日  野々口五兵衛どのへ  浅野弾正」


要するに秀吉の寵愛の虎猫を見失ってしまい、野々口の猫で代用してごまかそう、という事らしい。
その後、長政が猫を発見できたか定かではないが、文禄四年、彼は一時期嫡男・幸長とともに
能登へ配流となった。






・・・が、それとぬことは関係ない、と思われる。




763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:09:35 ID:Hv9Ahrww
ムツゴロウ「模様が同じなら、主役級のヤツでも案外バレないもんですよ」

観客「違うよ! チャトランの顔も模様も全然違うよ!」

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:24:40 ID:gENPrNbS
何故そんなエピソードが残ってしまったのか

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 11:28:01 ID:X2EbKdJx
書状 が残ってたんじゃ。

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 14:04:37 ID:u7Sou4R1
マジで寵愛してたら一発で見破るだろ。
怒りに火注ぐぞ、その小細工はw

模様で見分けにくい黒猫同士でもしばらく様子見れば自分の猫かどうかわかるもんよ。

浅野長政、出迎えた家臣を見て

2010年02月01日 00:06

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:16:27 ID:QwxykdVG
浅野長政が城に帰ってくるのを家中一同が出迎えた。
その中の200石取りの侍10人が持馬を引いているのを見た長政は
「彼らは200石ではないのか?」と家老に尋ねた。

「左様でございます。みな普段から武備に心を配り、持馬を連れて参上
したのであります」と家老が言うと、どうした事か長政はご立腹であった。

その後、長政は先の10人を呼び出し、
「人は貴賎に関わらず父母兄弟を、歳を取ったら妻子を養い、もしもの
蓄えをしなければならない。だから300石以上の者は自前の馬を持ち
それ以下は主人が馬を貸して、いざという時に働かせるのが慣わしだ。

それをお前たちは考えの浅いことに、武備を心がけてますよとわしに馬を
見せつけたのじゃ!わしは誠実な人間が好きで、こうして媚びる者は嫌いだ。
なぜなら、分をわきまえない者は父母兄弟の養育を怠け、妻子の持ちどき
が分からない者であり、忠孝に欠けるからじゃ。

それは人の吉凶に当たり前のつけとどけもできないとか、借りた物を返さない
とか世間の義理を欠く事に繋がるのだ!」と長~い説教をした。

しばらくすると長政は
「どうもお前たちは馬が好きらしい。馬が欲しかったのだろうが、身の程を
わきまえなければ人の道を外れることもある。武備を好むのは武士として良い
事であるが限度は考えなければいけない。これからは節度を守って真の武備
を怠るな」と戒めると、侍たちを50石加増したという。




537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:26:00 ID:0bE04Att
無茶苦茶な理屈だな

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:40:15 ID:7f0EonSN
まぁ、加増してくれたんだからいい話だな。

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:44:49 ID:NkMJttWd
まぁでも一理ある
自分の為だけだと自己判断が甘くなりがちで頑張れないけど
養う人間が出来た途端にその人の為に頑張り始めたって人何人か知ってる
話の趣旨としてはそういう事なんじゃなかろうか

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:52:09 ID:0bE04Att
馬を飼っているというだけで
頭ごなしに十把一からげで叱られたら堪らんわw
しかし戦国時代だからそれもありか

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:52:43 ID:sOGqnC9v
でも250石にしたという時点で微妙な…

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 21:57:02 ID:NkMJttWd
>>540
馬を養う石高なんて与えてないのにどうやって親族養ってんだよって事だろ
馬なんて養う金あったら親族をもっと大事にしろよと
>>541
お前らが馬よりも親族を大事にして親族の為に努力すれば
馬が養える300石与えてやるから~
と、好意的に解釈したな俺は

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 22:03:18 ID:0bE04Att
>>542
長政がそういう意味で怒ったというのは解るんだが、
馬を飼っている事情は人それぞれじゃねーかと思ったんだな俺は。

親兄弟や嫁を貰うより馬を選んだ奴もいただろうし、
食うや食わずでも代々馬を飼っている家の奴もいただろう。
そういう個々の事情はまるっと無視して「お前らけしからん!」と沸騰するのは
江戸時代の大名では見られない傾向だ。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 22:28:55 ID:7f0EonSN
瞬間湯沸かし器は浅野家の血統なのか。

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 22:53:13 ID:SA2vGl4A
江戸時代の大名って結構キチ多いけどねえ

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:06:45 ID:85wdHz76
江戸時代の大名って、落語に出てくるような鷹揚で世間知らずじゃとても務まらなかったそうですな。

譜代大名だと、家督を継ぐとまず「奏者番」に任命されるんだけど、ここで先任の奏者番から
家来扱いされて徹底的にしごかれて、殿様気分ってものを完全に消し去り、
お城づとめがどういうものかを体に叩きこまされる、のだそうな。

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 23:10:59 ID:VENDbR73
>>536
家禄に分不相応な馬を買ったということは
見栄を張った側面も強いのだろう。

あいつが馬持ってるから俺も、っていう。

確かに主君としては戒めなきゃならん事態だよね。

[ 続きを読む ]

「浅野家の武者柱」浅野左衛門佐の好んだ事

2009年09月14日 00:16

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/12(土) 22:36:05 ID:G5fEj6RR
浅野家の家臣、浅野左衛門佐は、「浅野家の武者柱」と呼ばれるほどの剛の者であった。
そんな彼だが、常に手を中ふところに入れることを好んでいた。

そのため、後に襲撃にあったときにも、手をふところに入れていたためとっさに対応できず、
あえなく組み伏せられ、仕留められてしまったそうだ。
ポケットに手を入れたまま歩いていたのが、命取りになったわけである。

これから気温も下がりますが、とっさの襲撃で命を落とさないよう、
皆さんもポケットに手を突っ込んだまま歩くのは控えましょうね。武将の心得だゾ!




330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/12(土) 22:45:47 ID:W3T8TEcv
ポケットを手に突っ込んだまま歩いてはいけないって昔先生によく言われましたとです・・・

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/12(土) 22:51:57 ID:yN9o+aW1
結果が伴わなかっただけで実はその武者は
寒くてもとっさの時に手が悴まないようにと用心してたんだよ!

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/12(土) 23:21:53 ID:sUigevNx
刺客「『ハンドポケット』最後ノ最後マデ
    スマートナ野郎ダゼ…」

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 07:37:19 ID:j/yAMjmu
手袋みたいなのってなかったんかね?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 09:47:23 ID:QV13jTC9
>>332
ビスケットオリバ乙w


浅野幸長と加藤清正、朝鮮にて・いい話?

2008年12月10日 03:00

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/09(火) 23:17:40 ID:U/FGy2Xg
朝鮮出兵で浅野長政は心配で夜も眠れなかった。まだ若い我が子が朝鮮に出兵するのだ。

長政はたまらず清正の屋敷に駆け込んだ。
驚いた清正は兎に角話しを聞いた。

長「まだ若い幸長は血気盛んだ。敵陣に真っ先に突入して死んでしまうだろう」
清「若いならそれくらいの方がよろしいでしょう」
長「異国で日本のような戦が出来ようか?勝手が違うと私は思うのだ」
おろおろするのを見かねた清正は
「なら私が親となり朝鮮では幸長殿の面倒をみましょう」
っと幸長の義父となる事を長政に告げた。
幸長は喜んで屋敷に帰り幸長にその事を伝えた。
其を聞いた幸長も「憧れの加藤様と一緒に戦える」と喜んだ。
翌日二人は揃って清正邸に赴いた。
長「いいか幸長、これよりお前の父は清正殿だ。
知っての通り清正殿は天下に名を知られた武士だ。
お前も清正殿を見習い清正殿のようになれ」
幸「よろしくお願いします、父上」
清「私は子が居ないからいきなり子が出来たようでこれは嬉しいものだな」

その後、朝鮮出兵中二人は泥水啜って戦い抜いた。
幸長は清正を本当の親父のように思い「清正殿に成りたい」と清正を目指した。

帰国した幸長は大いに成長していた。
清正の下で激戦を潜り抜けてきた幸長は立派な将に成長していた。
長政が家康に靡いても幸長は家康の天下を認めながらも豊臣家に尽くした。
幸長にとっては家を盛り上げてくれた恩は豊臣家にあれど一度は謀反人と罰せられた豊家に思い入れようはあまりない。
しかし彼は武士としての忠を貫いて行動したのである。
それは清正から学んだ忠義の姿勢である。

いつの間にか清正と幸長は豊臣家の二大重鎮となっていた。彼は清正と並び称される事が誇りだった。

しかし義父である清正死後、後を追うように幸長も死んでしまう。
この二本の柱が折れてしまった事により豊臣家は暴発し滅びる。


↓死因
清正「お主、童貞だな」
幸長「どどど童貞ちゃうわ」
清正「まぁまぁ一緒に街にでもくりだそうや。フヒヒヒヒ」
幸長「ごくりっ…」




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/09(火) 23:30:07 ID:Hz/6TrZ2
>>180
wwwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/09(火) 23:35:58 ID:UfP3ii/P
>>180
狸「ゲヒヒw」

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 00:22:43 ID:YthbmIW+
>>180
おいwwwいい話だなと思ってたのに最後wwwww

185 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/10(水) 01:18:29 ID:whZ26dVb
>>180
ナニやってきたw

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 01:23:52 ID:2t2w+su4
結城秀康「おれ漏れも!…あれ、アンタ行かないの?」

池田輝政「いや、オレのアレでプロに迷惑かけらんないし」

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 01:27:07 ID:0wHfy889
輝元「そこで家臣の妻とやれば、病気とか無縁なわけですよ!」
政宗「ですよねー」

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 02:11:39 ID:QDhoCLso
>>186
天下のイチモツ・・・ゴクリ

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 03:04:06 ID:OiIi2q8D
利家「股の槍左はまだ枯れてはおらぬ、若造どもに遅れは取らぬぞ!」

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 11:28:02 ID:Eq7hk4Sg
>>180
市松「なんでオレを柱に数えんのだ!」

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 11:29:15 ID:7GEpsFME
細川忠興『お前等自分の妻の気持ち考えろよ』

吉川元春『かわいい娘でたてる奴の気持ちがわからん』



192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 11:37:36 ID:N/xKEkzY
>>191
それだとガラシャもブスみたいじゃないかww

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 14:35:36 ID:auAT8ru3
家久(当時「忠恒」)「不細工な嫁でもびょーきもらわなかったオレ様が一番の勝者だぜ!!!」

義弘+島津家家老一同「・・・そりゃわしらが夜遊びに以降とした若殿を柱にくくりつけ(ry」

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/10(水) 20:46:16 ID:5oTps0ou
清正「」