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鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅

2018年09月19日 18:18

西郡局   
293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/19(水) 00:03:49.27 ID:1YeLLr8Q
鵜殿氏の菩提寺・長應寺と絵曼荼羅


長應寺は文明11年(1479年)に三河・上ノ郷城主鵜殿長将によって建立されたが
永禄5年(1562年)に家康が上ノ郷城を落城させた際に焼失してしまった。
鵜殿氏はその後、家康に仕えることになった。

家康の側室の西郡局は鵜殿氏の出身であり、長應寺を再建しようとしていたが
長應寺の当時の住職だった日翁が、一族と共に江戸に来ていることを知り
文禄元年(1592年)、日比谷門内にて長應寺を再建させた。
西郡局が大檀越として寄進したため、その後の長應寺は大寺院となり
幕府から江戸の日蓮宗の取締を勤めるよう命じられるなど、隆盛を極めた。

ところが幕末になり、米英仏露蘭の外交官邸を江戸に設けることになったとき
オランダの公館が長應寺を借り受けることになり、寺としての機能を停止した。
公館は後に別の場所に移転したが、その頃には明治維新などもあり
武士階級は没落し信徒がいなくなり、檀家はわずか30戸余りになってしまった。

明治31年に住職となった日聡は、前年の北海道国有未開地処分法の制定を受け
一念発起して長應寺の敷地を売却し、同32年北海道に法華宗農場を開設した。
当時の北海道では仏教各派の布教活動が盛んで、開拓地の布教に際し
寺院の経営に必要な信徒を北海道に送り込むことは、宗門の意向であった。

農場経営は紆余曲折し、明治41年になってようやく長應寺の建設がはじまり
大正2年、現在の北海道天塩郡幌延町に長應寺は建立された。
ところが日聡の跡を継いだ住職が、同8年に本堂を全焼させてしまい
日聡は長應寺再建のため、同12年には農場を木材商人に売却することとなった。

現在の長應寺では毎年西郡局の命日に合わせて、法要「葵祭り」を開き
鵜殿氏が天文14年(1545年)に奉納した絵曼荼羅8幅を1日限りで開帳している。
同寺は他に西郡局の肖像画や、葵の紋の付いた着物等も所蔵する。


――『芝高輪長應寺記録』『法華宗農場顛末』など

法要を報じるニュース動画のURL
ttps://www.youtube.com/watch?v=SQFnleE7N5w



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