239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 14:55:43.20 ID:Ts4e6VOD
すみませんちょっとお聞きしていいですか
このスレって家に伝わる口伝や文書の類のエピソードも書き込んでもいいんでしょうか?
田舎の本家さんで本家に伝わるちょっと面白い話を教えてもらったんですが
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 15:09:07.77 ID:HE6nt8RL
なんでもいいぜ、なんなら創作でも面白かったらモーマンタイ。
241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 16:34:03.96 ID:OMlibQG8
さすがに創作は勘弁して…
243 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/01(月) 16:42:22.55 ID:z8njKTos
よかった、では投下しますね!
これは祖母方の実家の本家に伝わるお話です。
うちの祖母方の先祖は近江六角氏重臣だった甲賀五十三家の一つの三雲氏。
六角定頼の頃、三雲典膳実乃の代に近江国の野洲栗太郡九万石を領有することになった。
街道の要所を抑える立場になり、張り切った実乃は居城である三雲城の改築を決定。
しかし探しても探しても実乃の満足できるレベルの築城に詳しい者が見つからない。
どうしたものかと悩んでいた頃、観音寺城下で甲斐武田の家臣の青年が捕らえられる事件が起きた。
小山田氏の一族に連なるその青年は主家から都への用を命じられ、道中で六角家中の者と刃傷沙汰を起こしたんだとか。
これがかなり複雑な事情の絡む事件だったらしく、六角定頼は慎重に沙汰しようと実乃に青年の事情聴取を任せることに。
実乃は面倒に思いつつも青年への事情聴取を重ねるうち、偶然彼が甲州流の築城術を修めていると知った。
しかも青年は知識豊富なだけでなく実践経験もあり、腕前はかなりのものらしい。
実乃はニーズにがっつり当て嵌まる人材の発見に大喜び。
しかし当の青年は刃傷沙汰の下手人で最悪斬首の可能性すらあったので、実乃は一計を案じた。
年頃の一人娘を世話係として青年に近付けて籠絡させ、娘の腹に既成事実をこさえさせたのだ。
悪どいことに実乃は自分の指図であることを隠し、可愛い一人娘になんてことを!と青年に詰め寄り、根が真面目な彼に責任を感じさせて婿入りを承諾させた。
そしてすぐさま実乃は定頼に「あの下手人がうちの娘に手ぇ付けちゃいましてねぇ~いや困ったなぁ~可愛い一人娘なのになぁ~」と報告。
まんまと刃傷事件の沙汰をうやむやにし、青年に三雲家へ婿入りさせる許可をもぎ取った。
行定と改名して婿養子になった青年は命を救ってくれた上にデキ婚を許してくれた実乃へ大いに感謝。
誠心誠意をもって三雲城の改築をはじめ三雲家のために全力を尽くしたそうである。
そんなうちのご先祖ってちゃっかりしてるよね、というお話。
244 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/01(月) 16:47:03.57 ID:z8njKTos
補足ですが本家のおじいさん曰く、このお話は江戸時代の本家の人の書付にあったエピソードだそうです。
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 18:00:46.27 ID:HWVtq0qk
>>243
良い話なのか悪い話なのかw
246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 18:30:16.84 ID:OMlibQG8
三雲氏かぁ。旗本になって旧領復帰したはずだから、
ご祖母様は士族のお嬢さんだったわけですな。
247 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/01(月) 18:43:15.60 ID:G1veDJIA
>>246
本家さんの名字は今なお三雲さんですw
明治維新の際に新政府軍から幕軍と見なされないよう蔵の文書や物品を田んぼで三日三晩焼きまくった、という勿体ないエピソードも聞きました
248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 18:59:56.30 ID:N9uYEr+j
三雲氏の子孫ならちょっと教えて欲しい
何故、内陸部の領地を有する三雲氏が
明との貿易のルートを持っていたのか?
室町幕府の貿易ルートに便乗させてもらってたとかかな?
六角氏に対しては譜代の重臣層よりも
三雲氏や蒲生氏のような国人領主層のほうが
積極的に奉公してるように見受けられるのだが
独立した存在ではなく完全な臣従家臣だったんでしょうか
249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/01(月) 20:27:34.57 ID:wM63+IVG
>>248
おそらく室町幕府の勘合貿易に便乗したんじゃないでしょうか
どうやら三雲氏は幕府に対して独自のコネクションを持っていたみたいです
本家に僅かに残る記録等を見るに実乃と行定は度々六角氏に断りなくか事後承諾かで幕府とやり取りしていたようでして
どうも行定の代までの三雲氏は六角氏に完全には臣従をしていなかったと思われます
六角氏側も行定婿入り事件の顛末のように三雲氏に対してどこか遠慮があったみたいですし
六角氏にとって当初の三雲氏は建前上家臣、実際は同盟者かそれに準じる家だったのではないか?と本家さんは言ってました
甲賀郡惣中の窓口も兼ねていた節があるので下手に機嫌を損ねられない取り扱い注意な存在だったんだろうと
三雲氏が積極的に六角氏への奉公をするようになるのは定持の代からですね
よくわかりませんがこのあたりで六角氏と三雲氏の関係に何かしらあったと思われます
251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/02(火) 06:32:43.17 ID:3GsNyvbi
>>249
詳しい解説有難うございます
三雲氏についてまた何か情報等ありましたら
六角氏のスレにでも書き込みお願い致します