576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/20(木) 15:49:56.78 ID:uGEyRlVX
伊勢貞衛と名刀・小烏丸
伊勢貞衛は、元々は室町幕府の政所執事の家系である伊勢氏の出である。
曽祖父・貞孝は将軍地蔵山の戦いで静観していたため足利義輝や三好長慶の怒りを買い
更迭された。貞孝は挙兵したが松永久秀の追討を受け、子の貞良ともども戦死した。
貞良の子の貞為は義輝死後に足利義栄に仕えたが、義昭が上洛し義栄も亡くなると
家督を追われた。そして信長、秀吉と主君を変えることとなった。
貞為の子の貞衛は幼いときから秀頼に仕えていたが、大坂の陣で豊臣家が滅んでしまう。
貞衛は寛永14年(1637年)の家光の代に、春日局*の懇請で寄合旗本となっているが
寛永12年4月3日の池田由成(元助の孫)宛細川忠利書状(『細川家文書』)では
「伊勢兵庫殿が小烏という太刀を上様に献上するつもりだそうで、鰹や酒を送って
きたが、春日殿にも頼んでいるようだから、自分に出来るようなことは何もない」
と記されており、幕府の旗本となるための活動をしていたようである。
この小烏丸は、平貞盛の将門追討での朱雀天皇からの恩賞とされ(『寛政重修諸家譜』)
徳川家に献上されたものの伊勢家に預けられ、江戸期に三度も台覧に供されたという。
明治15年に明治天皇に渡り、現在は宮内庁管理の御物となっている。
現代では製作時期は室町前期で、いわゆる”平家の小烏丸”ではないことが分かっている。
伊勢貞衛は本当に平家の小烏丸と思っていたのか、それとも謀ったのだろうか。
* 春日局の妹が伊勢貞衛の母であり、池田元助の正室は伊勢貞良の娘であるので
春日局と池田由成は、貞衛の親戚にあたる。
伊勢貞衛と名刀・小烏丸
伊勢貞衛は、元々は室町幕府の政所執事の家系である伊勢氏の出である。
曽祖父・貞孝は将軍地蔵山の戦いで静観していたため足利義輝や三好長慶の怒りを買い
更迭された。貞孝は挙兵したが松永久秀の追討を受け、子の貞良ともども戦死した。
貞良の子の貞為は義輝死後に足利義栄に仕えたが、義昭が上洛し義栄も亡くなると
家督を追われた。そして信長、秀吉と主君を変えることとなった。
貞為の子の貞衛は幼いときから秀頼に仕えていたが、大坂の陣で豊臣家が滅んでしまう。
貞衛は寛永14年(1637年)の家光の代に、春日局*の懇請で寄合旗本となっているが
寛永12年4月3日の池田由成(元助の孫)宛細川忠利書状(『細川家文書』)では
「伊勢兵庫殿が小烏という太刀を上様に献上するつもりだそうで、鰹や酒を送って
きたが、春日殿にも頼んでいるようだから、自分に出来るようなことは何もない」
と記されており、幕府の旗本となるための活動をしていたようである。
この小烏丸は、平貞盛の将門追討での朱雀天皇からの恩賞とされ(『寛政重修諸家譜』)
徳川家に献上されたものの伊勢家に預けられ、江戸期に三度も台覧に供されたという。
明治15年に明治天皇に渡り、現在は宮内庁管理の御物となっている。
現代では製作時期は室町前期で、いわゆる”平家の小烏丸”ではないことが分かっている。
伊勢貞衛は本当に平家の小烏丸と思っていたのか、それとも謀ったのだろうか。
* 春日局の妹が伊勢貞衛の母であり、池田元助の正室は伊勢貞良の娘であるので
春日局と池田由成は、貞衛の親戚にあたる。
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