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「信玄公は御在世なり」

2019年06月05日 18:05

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/04(火) 18:57:10.59 ID:cSFIfsi/
小田原の北条氏政より、信玄公御他界かとのことをよく見届け申すべく、いたひえ岡江雪を差し遣しな
された。武田の家老各々は謀をもって江雪をしばらく留め申す様を仕り、その後の夜に入り逍遙軒(武
田信廉)を信玄公と申して御対面なされ、八百枚に据え置き給う。

御判の中でいかにも御判の不出来なものを選び、御返事を書いて江雪に渡すと、流石に賢き江雪も真と
仕って小田原へ帰り「信玄公は御在世なり」と氏政へ申し上げた故、御他界の取り沙汰しは無かったの
である。以上。

――『甲陽軍鑑』


信玄ついに逝去の時、遺言あってかの死去を隠し、ただ御病気とばかりの風説であった。これは四方皆
が敵であり、御逝去と聞けば小田原との御無事も破れることを迷惑して、このように計らったのである。

されども、その事は大方風聞したので、その実否を知るために小田原から板部岡江雪が御使者に参った。
これは信玄の病気について御心許なしとのことである。

甲州侍は殊の外迷惑し、色々の計りをなす。信玄の舎弟・逍遙軒はよく兄に似ておられたので、夜に入
ると逍遙軒を屏風の中に寝かせた。さて江雪を近い所に召し寄せ、逍遙軒は寝ながら返事をなされた。

流石の江雪も夜のことではあり、そのうえ逍遙軒はほうほうとしておられたので見違え、信玄と思って
帰り、「正しく信玄は御存生にて候。ただ御病気でいらっしゃいます。私は対面仕りました」とのこと
であった。

これにより小田原では「信玄が死に給うというのは誤りなり。存生である」とばかり存じたのである。

――『北条記』



114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/04(火) 19:05:59.16 ID:7kLGMBrD
>>113
写真もない時代だし、数年前に一度あったきりだろうしそりゃここまでされたらわからんな。
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