963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/17(月) 14:26:17.50 ID:1irRVzBy
或る記に、真田伊豆守信之の家来である、矢澤但馬守、半田筑後、榊原石見といった輩は
度々武功のある者共であったので、大阪冬の陣において、敵の鉄砲が雨よりも猶繁く降り注ぐ
場所でも、一番に進んで仕寄を付けた所、この日、将軍家(秀忠)が御巡見あり、
『真田河内守(信吉)の仕寄は他に異なり、甚だ城に近い』
との御諚があった。これに御目付衆が畏まって申し上げた
「この事、私共も先達て真田家に対し批判した所、河内守はこのように申しました。
『この手は城中の木村長門守(重成)の持ち口です。もし今にも総攻めとの御触が有れば、
ここで木村は手痛く働くでしょう。
かの長門守と私の叔父である左衛門佐(真田信繁)は、刎頸の交わりであると承っています。
故に我等は、一番に攻め入って長門守と勝負を決する覚悟をしており、そのために諸陣に勝れて
仕寄を付けたのです。もし御咎めが有れば、この事を言上し、切腹仕ります。』
そのように申したために、我々もそのままに差し置きました。」
と言上したという。
(新東鑑)
大阪方に付いた叔父の親友の持ち口だからこそ決死の覚悟をしていたという、真田信吉のお話
或る記に、真田伊豆守信之の家来である、矢澤但馬守、半田筑後、榊原石見といった輩は
度々武功のある者共であったので、大阪冬の陣において、敵の鉄砲が雨よりも猶繁く降り注ぐ
場所でも、一番に進んで仕寄を付けた所、この日、将軍家(秀忠)が御巡見あり、
『真田河内守(信吉)の仕寄は他に異なり、甚だ城に近い』
との御諚があった。これに御目付衆が畏まって申し上げた
「この事、私共も先達て真田家に対し批判した所、河内守はこのように申しました。
『この手は城中の木村長門守(重成)の持ち口です。もし今にも総攻めとの御触が有れば、
ここで木村は手痛く働くでしょう。
かの長門守と私の叔父である左衛門佐(真田信繁)は、刎頸の交わりであると承っています。
故に我等は、一番に攻め入って長門守と勝負を決する覚悟をしており、そのために諸陣に勝れて
仕寄を付けたのです。もし御咎めが有れば、この事を言上し、切腹仕ります。』
そのように申したために、我々もそのままに差し置きました。」
と言上したという。
(新東鑑)
大阪方に付いた叔父の親友の持ち口だからこそ決死の覚悟をしていたという、真田信吉のお話
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