明応二年四月二十八日の怪異

2016年06月16日 12:26

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 21:08:19.93 ID:0Q9E5mRm
明応2年(1493)4月22日、明応の政変が起こり、将軍足利義材が細川政元によって廃され、義澄が新将軍となった。

4月28日、新将軍義澄が細川政元の邸を将軍御所として移った事を祝う宴が行われ、それが終わり人々退出し、
四半時ほども経った頃である。

大館尚氏がこの屋敷から出て半町ほど過ぎた頃、退去した屋敷の方から、数百人が騒ぐような声を
尚氏とその供の者達全員が聞いた。しかし程なく、そのまま静かになった。
ところがこの騒ぎの中、尚氏の被官である松本蔵人という者が、主人の太刀を預かっていながら
忽然と姿を消した。

翌日、尚氏は人を出して方々を探させた所、松本蔵人は京の外れの野の中にある、小さな庵で
発見された。何故こんな所にいるのか尋ねたが、松本は「鞍馬の僧正が、谷に所用がある」と言い捨て
出て行ってしまった。探索の者達は松本の後を追い捉えると、松本は

「僧正は谷まで行ってまた戻ってきたが、その時、桐の小枝を持っていた。彼はそれを指し示し
『これは枝が枯れている。細川家に難儀が降りかかるであろう。』と言った。」

そう語った。

この後、松本蔵人は京に連れ戻されたが、一向に正気を取り戻さなかった。これらはすべて天狗の所業であると
言われた。

(後法興院記)



723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 21:19:44.81 ID:ZSZT4DHF
>>722
わけわからんwそりゃ天狗のせいにするわ

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 22:29:25.01 ID:ktDOEWmB
京兆家では良くある事

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 22:29:32.40 ID:3H7wGKyS
細川政元→飯綱の法→飯綱三郎天狗→八天狗→鞍馬山僧正坊


なんとなく話は繋がってる

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/15(水) 23:47:26.13 ID:rHhvGcTa

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー-----' |__////
          松本蔵人

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 00:17:28.80 ID:/6VPyBFD
>>726のAAが出てきて一安心

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明応2年閏4月。このごろ怪鳥が出没し

2012年06月30日 21:00

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 01:39:19.44 ID:nurx7Nrg
明応2年閏4月。
このごろ怪鳥が出没し、細川政元の家人がそれを図にした。

陰涼軒日録には次のように記されている。

「世間に化鳥あり」という話を聞いた。
その頭は馬、尾は蛇、蹄は牛のようであり、「無常引導骨積天」という鳴き声を上げるそうだ。
その図は右京兆屋形(細川政元邸)より出でて、天竜寺に在るという。

また、昨日20日、右京兆屋形の辺りで羊角風(つむじ風)が大いに吹き荒れ、人々を驚かせた。
その羊角風の中には鳶が居て、火を纏って飛行していたという。
(後鑑)

よ、呼び出してしまったのですか・・・ 管領様・・・。




242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 01:44:00.74 ID:5eQHhM/Q
右京兆様の逸話独特の禍々しさは何なんだろうなw

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 05:09:04.41 ID:sP8V6lEQ
さすがや!!

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 08:34:45.33 ID:A6gePg3A
ま~た半将軍が召喚したんか

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:09:35.19 ID:AW0Zc9N9
この前湘南に現れたアザラシみたいに
珍しい動物が中世に出現したら漏れなく妖怪認定されるのかな・・・

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:12:52.32 ID:NvhdMRCN
権現様が駿府城で見たという肉人の正体はなんだったのか

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 10:14:23.52 ID:k9LnvroQ
本物の徳川家康

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:15:15.30 ID:jEcZJefm
>245、大王イカのゆるくなってるのとかだとまずそうなるだろうね・・・


249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:28:24.78 ID:3zG53xIi
ダイオウイカは同時期の西洋でも魔物認定されてたな

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 12:43:34.97 ID:NvhdMRCN
クラーケンも北斎にかかればhentaiに


260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/30(土) 23:58:23.92 ID:rEKRKzUO
>>246
妖怪「でびっどはっせるほふ」ぢゃ

将軍・細川政元を憚る

2012年04月05日 21:43

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/05(木) 12:47:15.27 ID:RLW00KF+
永正3年(1506年)7月、細川政元の武将赤沢朝経は奈良において大規模な荘園の横領を行う。
これを恐れた興福寺は28日、関白九条尚経に、これを止めさせるよう訴え、尚経は天皇を動かし、
勅諚をもって将軍足利義澄に、赤沢朝経を京に召喚するように命じた。ところが…

『8月1日、一昨日の申し渡しについてだが、大樹(将軍)は細川京兆(政元)にその事を伝えていないらしい。
もし伝えて、それを政元が聞き受け無い場合が不安だから、という理由だという。
勅答に対して全く不誠実な態度、天魔の所業、言語道断とはこの事である!』
(尚経公記)


”半将軍”細川政元に対し、将軍すらこれほど憚っていた、という記録である。



応仁の乱後の、京の治安

2011年11月17日 22:09

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/17(木) 13:03:06.86 ID:+HAiG0aj
応仁の乱以来、非常に治安が悪化したとされる京。その模様を「陰涼軒日録」の延徳元年(1489)の記事より
見てみましょう。


・5月3日
数日前上野玄蕃頭殿が盗人を誅したそうだ。
この者は延念寺の前で傘張りを営んでいたのだが、実は夜盗の頭目だったそうだ。
玄蕃殿は昼間、この家の傘張りを見張っていた。
彼らを捕えるため兵士たちが派遣されたが、この傘張りはこれを見て逃げ出そうとした。
そこで玄蕃殿は素早くこれを斬り、その妻を捕え盗賊の仲間について尋問した。
盗賊の仲間は70人にも及んだという。

・6月12日
上乗院に夜盗が入ったそうだ。その日寺では外で公事の事があり、盗賊の入った時間には
未だそれが終わっておらず、そのため寺に帰って居なかったと言う。

ところで今日の申の刻(午後4時頃)、”天下の夜盗の長”と呼ばれた小河四郎左衛門が、
細川政元の家臣、物部神六(上原元秀)の邸宅で討ち取られたそうだ。
討ち取ったのは神六の被官であったという。

この小河四郎左衛門は応仁の大乱中、浦上美作守(則宗)の被官であった。
これを聞いて洛中は、これに過ぎることが無いほどの歓喜に湧いた。

・6月13日
聞いた話によると先月のはじめごろ、匿名の何者かが京兆(細川政元)の寝所に巻物を投げ込んだそうだ。
そこには、洛中に盗賊が出没していること、その悪事について詳しく記され、「これらを成敗しなければ、
ご当家も滅亡してしまうでしょう」と書かれていたそうだ。

細川政元はこれを家臣の杉原に8枚写させ、波賀部兵庫助(波々伯部盛郷)を召してこれを読ませた。
このために最近は政道謹厳になっているということである。


応仁の乱後の、京の状況についての記録である。





27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/17(木) 18:32:57.02 ID:VPl5Mdad
鬼平犯科帳を見たくなって来た

細川政元私邸の怪異

2011年09月30日 22:04

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 00:53:27.11 ID:jUa+jXr/
長享2年(1487)7月7日の事

細川政元の私邸の庭の池の上に、何者かが浮かんでいた。
よく見るとそれは、何と人の頚であった。

その色は白く、不思議なことに近くからは見えないが、離れると見えたのだという。
全くもって妖怪であった。

この事について、細川家の安否に関わる予兆であろうか、と囁かれた。
また他にも、最近世の中に風狂の相が現れていることもあり、何か不吉なことが起こる
兆候ではないか、とも言われた
(蔭涼軒日録)

ちなみに7月14日にも政元の邸宅に再び様々の怪異があり(親長卿記)、
8月15日にも禍々しいものが現れたと記録されている(大乗院寺社雑事記)


奇怪にもほどがある魔法半将軍様の私邸についてのお話





138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 05:58:37.07 ID:we/YdPxc
後のけ…凶兆家である

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 09:15:27.89 ID:Adb7yLi8
後に騒がれる人面魚…である?

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:25:05.32 ID:N38zTaFQ
見えたり見えなかったりするシュレディンガーの首である

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:36:37.27 ID:lSDcbpOm
怪異があっても細川家は21世紀まで続いているんだから
実はたいした意味はなかったんじゃね?

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 13:51:10.67 ID:KFTD2Wxc
残ったと言っても半将軍から東北の一陪臣だからご利益十分じゃね

今日は細川政元の誕生日

2010年12月21日 00:00

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 17:50:35 ID:Bz+orXp5
今日は天狗になろうとした管領・細川政元の誕生日らしいので彼にまつわる話を。

細川政元は八幡神と愛宕の観音の申し子、更には聖徳太子の化身である。

元々は政元の父である細川勝元が臨終の際、秋庭備中守元明に語った話だ。
曰く、
「私が死んでも九郎(政元)がいるので心配はいらない。
なぜならあの子は愛宕の観音に祈願した日の明け方、あの子の母の夢枕に聖徳太子が立たれ
「我は聖徳太子である」と仰せになって口の中に飛び込まれた夜から七日目に授けられた子だからだ。
故に必ず威勢があるだろう」
そう、密かに語られたそうだ。

また、蓮如上人が弟子に語った話がある。

曰く、
細川政元殿のことを、人々はみな、聖徳太子の化身と申している。
というのは、政元殿は、愛宕の観音と八幡神とに祈請して授かった子であるからだ。
その九郎政元殿が十二の年に、一宮大輔が九郎殿を奪って丹波へ下ったことがあった。
その夜の明け方の夢に、愛宕の観音よりの歌で、

 君が代を 久しかれとぞ 祈りける 念彼観音の 力にまかせて
(君が代が久しく続け 観音菩薩にそのように祈り託するばかりである。)

とあり、九郎殿は夢に返歌をされて、

 白妙の 雪は積もれど 八幡山 ゆくへ久しく 神にまかせん
(真白な雪がたとえ八幡山(男山八幡)に降り積もったとしても、我が代の行方は遠い将来まで、
神の御意向にお任せすることにしたい。)

と詠まれた。そのような不思議なお方であった」

これらの話から、特に本願寺では細川政元は聖徳太子の化身、観音と八幡の申し子と言われていたらしい。
出典は『蓮如上人行實』所収「空善聞書」。
何故か政元の出生に関して第四四条、第九三条と二度語られている。
細川勝元・政元親子の信仰心の篤さを語る話でもあるが、後々の政元の愛宕信仰の結果を考えると
ちょっと悪い話かもしれない。




細川政元は変なことを言い出した

2009年11月27日 00:02

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 15:24:46 ID:rx4PgaG3
 細川は応仁の乱では没落してないよ。

 守護大名にありがちなお家争いもなく四国をがっちり支配、勝元の子・政元は
幕府権力を独占してむしろ強くなってる(幕府自体が小さく、弱くなったから強いとは言えないかも)

そのままやってればいいのに、政元は変なことを言い出した。
「俺、魔法使いになる」

断食したり、とびあがったり、やおら真言を叫んだりと奇行をするようになった。
政務を怠ったわけではないが、その影響は政元が死ぬと現れた。

「女とすると魔法が使えなくなるのか。じゃぁ俺生涯童貞!」
といっていたからだ。

さあー、四国にも戦国時代がやってきた。
政元の後継者の座をめぐり、南北朝以来四国を支配し強い団結力を示した細川家も
分裂と凋落の時。

その後は家宰の三好、さらにその家中の松永が台頭するのはご存知のとおり。




678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 15:27:06 ID:rx4PgaG3
すまん、悪い話スレに書くべきだった

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 16:47:19 ID:LEXgusa9
そういえばその伝説は戦国時代からの伝統だったなw

細川政元「魔法使いに俺はなる!」
上杉謙信「毘沙門天に俺はなる!」

北条氏照「そんな二人に憧れたら嫁がキレました」

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 16:50:49 ID:7FiLlgLs
実はリアルに、「上杉謙信は細川政元の影響を受けている」って説があるなw


681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:12:39 ID:Fiq7Ik2Y
謙信は戦に勝つ魔法が使えたわけだが、政元はなんの魔法が使えたんだろう?

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:13:58 ID:sPvveicN
細川政元が信仰したのが愛宕権現の飯綱法で、謙信も愛宕権現を
信仰していた可能性があるんだっけか?

あと>677 の説明は、「女とヤらずに子供が出来なかったから養子を取り捲った結果、
政元死後に分裂した」
の解説の一文が欲しいな。

ちなみに、政元死後から信長による将軍義昭追放まで、畿内での戦争の根本原因は、
この分裂した政元の養子たちによる相続争いまで遡れる。
ほんっとハタ迷惑なことしたもんだ。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:21:15 ID:b7Qr5cQ7
それでいて本人は優秀なものだから余計にたちが悪い

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:24:15 ID:7FiLlgLs
>>681
実は政元も戦争はかなり強かったし、配下の武将も強者ぞろいだった。
ただ異常に気分のむらの激しい人だったが。

あと、政元暗殺の後の京兆家分裂は実は、養子の澄之と澄元の戦いの結果、
澄元の勝利で一旦は収束したんだが、分家であり、澄元の勝利に非常に
大きな役割を果たした野州家の細川高国が突然

「実は俺政元様の養子だったんだよ!」
「ナ、ナンダッテー!?」

って、京兆家の家督を宣言して、これで畿内がしっちゃかめっちゃかになった。

ちなみに謙信の父親の長尾為景は、この高国のバックアップで
越後支配が出来た。
高国さんはこの為景に限らず、全国いろんなところに手を出して
戦国の混乱が深化する手助けをしてたw

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:46:17 ID:LEXgusa9
>>681
なんか「空も飛べるはず」って言って屋形の屋根から飛んでたらしい
魔法使いだし飛べたかもな

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:51:10 ID:uYeCOPoN
⊂⊃                      ⊂⊃
        ⊂ \        /⊃
          \\ /政ヽ//
   ⊂⊃  ((   \( ^ω^)    ))
            /|    ヘ       空も飛べるはず
          //( ヽノ \\
        ⊂/   ノ>ノ    \⊃
             レレ   スイスーイ   ⊂⊃
           彡
\____________________/

                 (⌒)
                   ̄
                O
               。
          /政ヽ
   ⊂二二二( ^ω^)二⊃
        |    /       ブーン
         ( ヽノ
         ノ>ノ
     三  レレ


688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 17:56:48 ID:Nr24p3OJ
政元さん未来に生きてんな

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 18:38:50 ID:pifZ1gKr
>>684
高国さんの行動力は凄いよね。良いか悪いかはともかく・・・

690 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/26(木) 19:01:38 ID:6xDQyVQp
花の乱での勝元って
山名宗全が死んだあとの勝元の最後の描写では死なずに、
なにかを悟ったのような表情をしたあとに、
ゆっくり目を閉じてあぐらをかいたまま宙に浮かんで解脱したのか?
いきなりこの世から消えたよねw
野村万斎の演技力すげぇ。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:31:11 ID:onk/wupr
>>682
直江兼継の愛の前立も愛宕権現の愛じゃないかって話があったけど
そういう事情があったんだね。

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:37:44 ID:PWxql8Iv
愛染明王よりもらしいよね

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/26(木) 20:42:45 ID:7FiLlgLs
あの愛の兜は、もともと景勝の所有していたものを、直江に
下賜されたものらしいそうで。
そう言う意味では愛宕権現のほうがそれらしいだろうね。

[ 続きを読む ]

徳政一揆の首領と阿波細川家、細川政之・悪い話

2009年01月03日 00:06

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 17:13:50 ID:OI+KgOFr
盗人猛々しく

応仁の乱の終わった頃の京都。

ここでは、長引いた戦乱からの復興もままならぬまま、徳政一揆と称する、ゴロツキの集団
による略奪騒ぎが相次いだ。
これに業を煮やした幕府は、細川政元、一色義直、所司代多賀高忠の連合軍を編成、
一揆の大将、三好之長へ攻撃を行った。

しかし、それを察した之長は、一足先に阿波細川家、細川政之の屋敷に逃げ込んだ。
そう、この土一揆の大将、なんと阿波細川家の被官だったのだ。
当然引渡しを要求する幕府軍。が、この細川政之

「徳政一揆を行っているのは我が被官だけではない!京兆家や備中細川家の被官も
それに参加しているではないか。彼らを処刑するというのなら、こちらも三好を処刑しましょう。」

そう言って、之長をかたくなに引き渡そうとしない。
幕府軍は大軍である、この屋敷を攻め取るのは容易であっただろう。だが、そうはいかない。

大名の屋敷とは、現代の大使館のように、独立した法圏であり、幕府であっても簡単に介入することは
許されないのだ。そしてそのことが解っているからこそ、細川政之はこれほど強い態度に出るし、
三好之長もまた、主家の館に逃げ込んだのだ。

この態度に幕府軍はなすすべがなく、結局、仕方なくその場を撤収せざるを得なかった。

その同じ日の晩にはもう、平気な顔で京の街を歩き回っている、三好之長の姿が、諸方で
目撃されたという。

ちなみにこの三好之長、かの三好長慶の曽祖父に当たる。



884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 03:20:39 ID:ZaxjalTg
>>879
そりゃあ酒屋も有力守護や幕臣の被官になるわけだ……

(第二次大戦)戦後も京都で「前(さき)の大戦」といえば応仁の乱のことだったりして。
当時は世ン中荒れ放題、ボヤボヤしてっと後ろからバッサリだったんですな~

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 05:44:02 ID:Qnu7Nug1
幕臣ガーかw

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 09:48:18 ID:tt0MEuIC
>>884
京都の人間に聞いたところ、『「前(さき)の大戦」といえば応仁の乱』は京都人を貶めるための大阪人のデマらしい。
本当のところは、『「前(さき)の大戦」といえば禁門の変』らしい。

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/03(土) 09:56:30 ID:/gqYNJVm
細川元総理がギャグで応仁の乱って言ってたぞ

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 10:32:47 ID:YUN/8JhH
あの人は熊本人じゃね?

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 10:36:03 ID:qLsNUEZV
細川藤孝のころの話だったり

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 10:40:22 ID:ZaxjalTg
>>885バクーフっすから、マジっすよね(

>>886アッー!
薩摩とちょーしゅーのいや~んな喧嘩を忘れていたわ・・御所を巻き込むなよ勤皇だろがきさんら('A`)

しかしリアルタイム幕末じゃ京の町童に評判悪かった会津保科家(松平ね)や壬生の新撰組に同情的な人もけっこう増えたような?

薬師寺元一、一の美学・いい話

2008年12月21日 00:05

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:37:55 ID:GpaOE1Gt
一の美学

細川政元の家臣、薬師寺元長の甥が薬師寺家を相続し、摂津守護代となった。

この武将は「一の字」を無類に好み、薬師寺与一元一と名乗った。

与一は永正一年に主君・細川政元に謀反するも失敗し、自ら建立した一元寺にて
一文字に腹をかき切り、己の美学を全うした。

与一の最期の言葉は、
「皆々様がご存知の如く、我は一文字好みにて名も与一、名乗りも元一、この寺
も一元寺と名付けたり。されば腹をも一文字に切るべし。」

(細川両家記)




417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:39:16 ID:ax0FLUBI
仕えて二番手以下の立場にあるのを潔しとせず一なる立場を目指して謀反したのだな

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:44:19 ID:N+4RJg9E
>>416
薬師寺さんに限らず、政元の家臣団はめちゃめちゃ個性的で面白いよね。

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 16:48:29 ID:a9kBK4Ya
いつの時代も人材マニアはいるのかw

420 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/20(土) 18:03:05 ID:58xsIlZl
>>418
政元も十分に個性的だがw

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 18:05:33 ID:N+4RJg9E
>>420
確かに。つーか政元に比べたら、信長や謙信もキャラが薄いなw
逸話的には悪い話系のほうが多いが。

422 名前:416[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 19:02:21 ID:GpaOE1Gt
与一の辞世の句
「地獄には よき我が主(若衆)のあるやとて 
   今日おもひたつ 旅衣かな」

死ぬときまで政元の男色を揶揄しとるなwww

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 19:12:24 ID:N+4RJg9E
>>422
「あんたが子供作らないからー!」って気持ちもあったんでしょうなw