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「相馬利胤と競馬」

2020年11月10日 16:15

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/10(火) 10:19:40.67 ID:4Md3hubl
「相馬利胤と競馬」(『中泉記』より)
関ヶ原の合戦後、佐竹氏と親密な関係を結んでいた相馬氏は、佐竹の与力大名と目され改易を申し付けられた。
家中は佐竹を頼って秋田へ行くべき派と、先祖代々の地を枕に討ち死にする派で分かれたが、若き当主利胤は家臣たちを制して
「私が直々に江戸に行き、内府様に弁明する」と主張、江戸に出立した。
上杉と対陣した証拠を以て、相馬は徳川に弓を引いてはいないと説明する利胤に対し、家康は取り合わない。
しかし本多忠勝や本多正信は若い義胤に同情し、家康に執り成しをした。
すると家康は「儂の馬と相馬殿の馬とで競馬をし、相馬殿が勝てば所領安堵しよう」と言った。


競馬勝負の当日、家康が用意したのは南蛮渡来のアラブ馬。
一方義胤が駆るのは国産の小型馬。
馬力はさておき、競争をすれば前者が勝つのは目に見えていた。
仕切り役の忠勝の号令を合図に二頭の馬は走り出すも、障害の空堀をひょいひょい飛んでいくアラブ馬に対し義胤の馬はどんどん置いて行かれる。
その時、一発の銃声が鳴り響いた。予め忠勝が用意していた空砲である。
家康のアラブ馬は驚きつつそのまま駆けていったが、義胤の馬は空堀の中に落っこちた。
すると忠勝が「勝負あった」の法螺貝を吹いた。
「この競馬勝負、相馬殿の勝ちである」

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/10(火) 10:23:19.39 ID:g76GPFP8
納得いかないのは家康である。
「儂の馬の方が先を走っているし、相馬の馬は堀に落ちているではないか!?」
それに対し忠勝
「殿、戦場で銃声が聞こえた際にそのまま駆け抜ければ馬も主人も死に申す。
 銃声を聞いて馬と共に穴に身を隠すことこそ優れた馬術です」
忠勝に仕切りを任せた以上文句の言えなくなった家康は、仕方なく義胤の主張を認め、相馬氏は
宇多・行方・標葉三郡の所領を安堵されたのだった。

相馬が助かった話としては政宗の執り成しが有名だけど、本多忠勝・正信の助力もあったという逸話。
後世の創作だろうけれど、十代の若い義胤とそれを応援する忠勝と正信という組み合わせが実に「いい話」だなと思ったので。



690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/10(火) 12:17:45.87 ID:DY8T00l1
利胤と忠勝と正信の3Pがまず思い浮かんだ

691 名前:人間七七四年[saga] 投稿日:2020/11/10(火) 16:58:23.22 ID:wpOwM4Wp
義胤と利胤がごっちゃになってる気もしますが利胤の方が先に亡くなったんだっけ。
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