「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」

2017年02月14日 10:10

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/13(月) 21:52:47.71 ID:X+1KO4ez
天正の初めの頃、甲斐武田家の部将、山県昌景が大軍を以て天龍川近くに進行してきた時、
この方面の徳川軍は少数であったので、天龍川を越えて退却した。
この時、本多平八郎忠勝が殿をし、ただ一騎、後から川に乗り入れ退却していた。

しかしここに、後ろより山県勢の先鋒百騎ばかりが追撃してきた。
忠勝はこれを確認すると同時に、河中より取って返し、これを攻撃した。
その勢い、まるで龍神が波を蹴り立てるような激しさであったという。

これに甲州兵たちは「すわ、例の本多よ!平八郎よ!」と叫び、尽く逃げ去った。
追う者がいなくなったので、忠勝はまた河に入り、心静かに向こう岸へと渡った。

河の中流から引き返すというのは、成し難いことだと言われている。それを安々と
行った本多忠勝の働きというのは、筆舌の及ぶところではない。

(武野燭談)



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時節相応に主とする所を、

2017年02月13日 08:40

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/13(月) 00:02:48.09 ID:X+1KO4ez
本多忠勝の嫡子・美濃守忠政がまだ平八郎と名乗っていた時、弟の内記忠朝と共に
鑓の稽古をしていた所、これを見た忠勝が言った

「私が若かった頃は小身であったがために、鑓の働き第一と心がけていた。
しかし今は御厚恩を以て大身となった以上、人数を取り廻す采配の取り様や備立てなど、
総じて大将が知らなくてはならない道こそ、専一に学ぶべきである。
かといって、鑓の稽古を止めろと言っているんのではない。時節相応に主とする所を、
専らに励むべきなのだ。」

そう戒めたという。

(武野燭談)



629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/13(月) 02:27:47.87 ID:1F6Bnp81
>>627
父には遠く及ばないので新たな才能を開花せよ、と言ってます

本多忠勝、本丸の堀を腰の高さまで

2017年02月12日 09:27

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/11(土) 21:46:26.57 ID:p+eky8c1
本多忠勝が桑名城を拝領した時、本丸の堀を腰の高さまで埋めさせたという。
これは桑名城が海岸に築かれた城であったので、石垣の際まで敵が攻め寄せたところを、
下矢で射やすくするための改修であったそうだ。

(武野燭談)



本多忠勝は、槍術は下手であった

2016年07月04日 18:43

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/04(月) 07:11:19.34 ID:hZO7KWun
本多中書、老後学鑓事

本多氏譜代の士、小野某家の言い伝わる話に、
中書忠勝は世に強く勇ましいと知られているが、
槍術は下手であったというものがある。

中書は老後まで槍を殊に執心していて、家臣を相手にして、日々のように修行していた。
そこで相手をしている若士どもに中書は身を入れるが、非常に拙技で、逆に自由に突かれたそうだ。
また人が身を入れてきたところを突くにしても、槍先がきかなかった。
自身でも残念に思われたのか、ひたすら修練を怠らなかったとか。

常はこのようであるが、戦場に臨んでは敵と戦うときは、
その技の絶倫、世で言うところのようであったと。
思いのほかの話である。
(甲子夜話)



908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/04(月) 17:20:25.27 ID:fsj9O1ro
本番に滅法強いって話?

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/04(月) 17:34:49.21 ID:xI1AscJ1
>>908
その通りだけど、戦であんなに強いのは衆知の通りだけど、何故か訓練だとグダグダなんだよって話し

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/04(月) 19:42:57.73 ID:72KDPah3
訓練だと反則技は禁止だからね~

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/05(火) 07:52:50.20 ID:MtvYi9nT
三谷幸喜がこの逸話を知ったら、訓練で小松姫にコテンパンにされる忠勝とか大河で描きそう

さても今日忠勝が味方の多勢を指揮して戦う様は

2015年09月25日 17:59

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/25(金) 03:27:22.72 ID:qIR/GHLM
慶長五年の秋、東西で一時に戦が起こった。本多忠勝は仰せを蒙って井伊直正と共に味方の大名を連れだって美濃の国に行軍し、
九月十五日の合戦に諸軍を指揮して戦わせ、自分自身も島津を打ち破る。(この日忠勝は首九十余りを得たという)

戦が終わった後、福島左衛門大夫正則が徳川殿の御陣へ参り、
「さても今日忠勝が味方の多勢を指揮して戦う様は、左右の手をつかうよりもなおたやすく見えました。
あっぱれよき大将軍でというものですな。」
と感じ入った。

忠勝は嘲笑って、
「敵が妨げにならないほど弱くて、戦いとはなりませんでした。」
とあいさつした。

(藩翰譜)

関ケ原の戦いも東軍の前線の方では、手ごたえがなくてあっけなさすぎだろとか思ってたんだろうなぁ




738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/25(金) 08:12:32.46 ID:1ElstaQP
大将軍てのは全軍を指揮する者のことをいう。
忠勝にそんな将器はない。

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/25(金) 09:09:19.93 ID:xHqsQhLX
突然の三河アンチ?

天下三名槍の一つ、本多忠勝愛用の蜻蛉切がついに

2014年12月31日 17:46

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 18:29:05.15 ID:pfgL1lxX
佐野美術館
天下三名槍の一つ、本多忠勝愛用の蜻蛉切がついに ――
ひとの縁は、ものの縁
―初公開の矢部コレクション―

平成27年1月9日(金)~平成27年2月15日(日)

織田信長が長篠の戦いでの功を賞して奥平信昌に与えた一文字の太刀や、天下三名槍の一つ「蜻蛉切(とんぼぎり)」。
静岡県沼津の実業家・矢部利雄氏(1905~1996)が一代で築き上げたコレクションを、このたび初公開いたします。
http://www.sanobi.or.jp/exhibition/yabe_collection_2014/



沼津の矢部氏が蜻蛉切を所蔵してるっていうのは事情通には有名な話だったんだが、本人が公開していないものを
無理やり押しかけて見ようとする人間が現れかねないので、ネット上でも配慮されてあまり名前は出てこなかったな




462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 19:00:26.25 ID:e/bQGmQH
どっかで本物はもう無いって聞いたことがある気がするけど嘘だったのか
遠くないし行こうかな

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 19:26:00.11 ID:+spDRMKY
蜻蛉きりってまだ残ってたんだ

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 20:24:06.48 ID:RgTkWGL6
>>461
コレクションが初公開なだけで蜻蛉切は別に初公開じゃないよな?
蜻蛉切はむかし東博の特別展で見たぞ

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 20:34:08.15 ID:e/bQGmQH
東博所蔵のは江戸時代に作られた写しじゃなかったか

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 23:20:07.10 ID:KRqa+E01
岡崎城にも蜻蛉切あるよ。レプリカだけど

474 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/01/01(木) 09:20:23.29 ID:oQ8MzIuR
>>461
本多家で経済的苦境から、蜻蛉切か鹿角脇立兜の甲冑のどちらかを手放さなくてはならなくなったとき、
「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」といわれた甲冑を手元に残したんだっけか。
こっちは岡崎市博物館に本多家から寄託されてるよね。

というようなことが過去ログにあったような。

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/01(木) 22:29:13.51 ID:UMfbQ4oC
>>466
いや写しのじゃなくて藤原正真作の本物が97年の特別展に出たことがある
当時の図録もとってあるし確かなことだ

本多忠勝の「侍論」

2014年05月21日 18:42

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 21:16:06.85 ID:mfECj0EZ
埋め代わりに

侍は、首を取らずとも不手柄とは言わない。事の難にあたって、退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ
忠節を守るものをさして、さむらいと申すものなり。

義理、恥を知らぬ輩は、物の吟味をしないゆえに、幾度もの首尾があっても、一つも床しいとは思えない。
禄を持って招く時は、譜代の主君を捨てて二君に使える輩が出てくるものだ。

そもそも、心というものは物に触れて移ろいやすいものなのだから、仮初にも、侍道の外を見ず聞かず、
朝夕身を修練し、武芸を心がけ学問するとも、忠義大功を聞き、兜の緒を締め、槍長刀太刀を提げ、
天下の難儀を救わんと志す。それこそが、侍の役割なのだ。

(本多中書家訓)

本多忠勝の「侍論」である。




992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/20(火) 21:18:52.53 ID:GXKdwK5m
死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば

「家康に過ぎたるもの」

2014年02月21日 20:41

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/21(金) 06:11:38.07 ID:sezvsa4b
元亀3年10月中旬、武田信玄による、徳川領三河。遠江への侵攻が始まった。
信玄は遠州只来、飯田の両城を落とし、さらに久能城へと進んだ時、家康方の侍対象の率いる
4千あまりの兵が三ケ野付近に現れた。

信玄は「あれを逃さぬように討ち取れ!」と命じた。家康方は武田軍の攻勢を見て引き上げようとしたが、
武田勢はこれを食い止めようとする。家康勢がまさに危機に陥った時、家康の侍大将、内藤三左衛門(信成)
という者が言った

「我が軍の総兵力8千のうち、ここにいるのは5千人だけで、家康公もご出陣されていない!
この状態では信玄のような名称に率いられた、3万あまりの大軍と合戦しても敗北は目に見えている。
もしここで敗れようものなら、残った家康公直属の部隊だけで、どうして信玄と戦うことが出来るだろうか!
ここのところは、なんとしても退却して浜松へ帰り、改めて一戦を遂げよう。その時には織田信長公の
加勢も期待できるだろう。8千の三河武者にそれを加えて、無二の一戦を遂げようではないか!」

しかし、そうは言っても既に戦闘は起こっており、内藤三左衛門もその場から引き上げることの出来かねる
状況であった。

その時、本多平八郎(忠勝)は25歳で、家康の下で度々巧妙をあげていたことで、おいおい武田の家にも
知られていたが、この平八郎が黒い鹿の角の前立てを飾った兜をつけて、身命を惜しまず敵と味方の
間に乗り入れ、無事に徳川勢を引き上げさせた。

その様子は、かつての甲州の足軽大将であった、原美濃守(虎胤)、横田備中(高松)、小幡山城(虎盛)、
多田淡路(満頼)、そして山本勘助の5人以後は、信玄の家中でも多く見られぬ武者振りであった。
家康の小身の家には過ぎた、本多平八郎の働きである。

そのうえ、三河武者は10人の内7,8人までは唐の頭(ヤクの毛)を兜につけていた。
これも家康には過ぎたものだというので、小杉右近助という信玄の旗本の近習が、歌に作って
見付坂(静岡県磐田市)に立てた。その歌は

『家康に過ぎたるものは二つあり 唐の頭に本多平八』

というものである。

(甲陽軍鑑)

有名な「家康に過ぎたるもの」の逸話である。




423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/21(金) 10:30:04.12 ID:l2Tpa5dM
後には厭離穢土欣求浄土の旗を見ると甲州勢が逃げ出すようになるわけだから奢る風林火山も久しからずだな

この忠勝の答えを天下の人々は

2013年07月19日 19:51

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 17:45:34.41 ID:8Jl3h8L0
本多忠勝の忠勇は世の人に知られていた。中でも豊臣秀吉が小田原を手に入れ、奥州白河まで動座して
宇都宮に滞在した時、徳川家康家老の本多に用があって呼んだ事があった。その節、忠勝は一揆退治として
下総の庁南にいたが、早々と宇都宮に参った。

秀吉は諸大名出仕の中で「わしはこの度熊野山より佐藤四郎忠信の兜を求めた。兜の主忠信は忠義も武勇も
数百年の後まで人に語られて知らぬ者はいない。その忠信に変わらぬ剛の者にこの兜を取らせたいと思う。
天下に忠信と同じ兵は誰がいるだろう」と尋ねた。諸人は謹んで申し出す者はいなかった。

すると秀吉は「忠信に勝るとも劣らぬ兵は家康公家中の本多中務である」と言った。

その子細は、先年、長久手合戦の時、池田勝入父子と森武蔵守を家康に討ち取られた秀吉は無念至極なので、
六万人の兵で早々と楽田を出立し、長久手へ駆け付け、家康の疲れ足へ仕かけようと揉みに揉んで行くと、
五百騎を率いた忠勝が四、五町を隔てて並び軍勢を進めていた。忠勝は少しもひるまずに、

「今ここで秀吉公が戦を挑む時は軍勢を進めて前の妨げとなる。秀吉公が長久手へ駆け付けることを滞らせ、
長久手表の家康公は十分に御勝になるだろう。ここで秀吉公を遮り留めて討死し、上方勢の長久手到着を
遅らせるぞ」と士卒に下知して、五百の小勢で本陣数万へひたすら挑戦し、鉄砲を撃ちかけた。

諸大将はこれを討ち取ろうと望んだが秀吉は許さなかった。両軍は並んで二里ばかり移動したところ、
鹿の角の兜を被った武者一騎が川岸へ乗り下し、馬の口を洗った。秀吉はこれを見て、
「大将分の者のようだ。何者なのか見知っておらぬか」と問うと、稲葉伊予守が「本多平八です」と申した。

秀吉は覚えず感涙を流して「平八は先年姉川で先陣して朝倉一万の中へ馬を入れたが、その戦功が
ちょうど目の前に見えている。只今、彼が小勢で秀吉の大軍に仕かけているのは、秀吉を道で手間取らせて
家康に合戦をなし遂げさせるためだ。古今の勇士、忠義の士である。只今平八を討ち取っても秀吉の運が
極まれば戦いに負けるだろう。たとえ家康が数万の勇士を持つとしても、わしの運が強ければ戦いに
勝つであろう。絶対に平八を鉄砲で撃ってはならぬぞ」と皆々に言って矢止めさせたのであった。

秀吉は「この場の働きは忠信にも勝るものだ。故に忠信の兜を中務に取らせる」と言うと、その翌日に
忠勝を呼んで先の件を話し、かの兜を与えた。その晩、秀吉は忠勝を呼んで御前で茶を下し、その上で密かに
「人はお前の武勇を知っているといえども、名を天下に知らしめようと忠信の兜を遣わし、大剛一の兵と
日本に披露したのは秀吉の恩だ。それでは、家康の恩とわしの恩とはどちらが深いと思うか」と尋ねた。

忠勝は頭を地に付けてとかくの答えもなかった。だが、秀吉がしきりに問い詰めた時、忠勝は涙を流して
「君の恩は海よりも深いものですが、家康公は譜代の主でございますので同日には申し上げられません」
と答えた。秀吉は機嫌を悪くして座を立ってしまった。この忠勝の答えを天下の人々は誉めたのだとか。

――『責而者草(武辺咄聞書)』




729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 18:09:01.94 ID:raG9RO2S
火にも水にも飛び込んでいく三河武士が権現様の宝物だな

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 19:59:25.96 ID:81fUZ/QC
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1989.html
忠勝「いまわたしの官位は義経より上なのに、その家来の兜と言われても」

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 20:31:36.70 ID:1OJpSu24
なんのかんので忠勝は秀吉のこときらいだよなw

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 18:13:05.84 ID:5Okx8lxE
でも他の者を褒めるとわしもわしもと言いだすんだだろうな。三河武士は

まさしく八幡大菩薩

2013年06月24日 19:50

563 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/23(日) 23:50:15.79 ID:WiCgUgLU
見付の退口(一言坂の戦い)の時、本多平八郎忠勝はたびたび奮戦して敵を追い払い、
君(徳川家康)におかれても難なく浜松へ御帰城された。

(家康は)御途中より、成瀬吉右衛門正一をもって忠勝のもとへお言いつけになり、
「今日の働きは日頃の平八にあらず。まさしく八幡大菩薩の出現あって味方を加護して下さった」
と思し召すよし御感賞されたという。

甲州人が「からのかしらに本多平八」という狂句を書いて、見付の台へ立てたのも
この時の事である。(柏崎物語)

按ずるに伊賀路御危難の時にも、忠勝の事を「八幡菩薩が出現した」と賞された事があり、
さる武功の者ゆえ、たびたび同じ御賞詞をお与えになったのであろう。

――『徳川実紀』




564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 14:03:45.39 ID:JaAm+k2p
南無八幡大菩薩

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/24(月) 15:26:28.37 ID:H/FJh2D6
日頃の某ではこの働きは出来ぬと申されるか、腹を切らせていただく!

とか騒がないだけ平八さんはおとなしいねえ

本多忠勝と井伊直政が見て、

2013年05月12日 19:06

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/12(日) 16:28:05.35 ID:YhAuK8F9
関ヶ原の時、島津義弘が引いたのを本多忠勝井伊直政が見て、
忠勝は「そのまま逃がすとしよう」と言った。

一方、直政は、今あの逃げる武者を逃がす所ではないと思って「返せ!」と声をかけた。
すると、義弘はそのまま取って返し、鉄砲の者に銃撃させた。

直政は手に銃弾を受け、忠勝は馬に当たって落ちたのだという。

――『老人雑話』




603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/12(日) 16:38:27.52 ID:v6NTi0Nt
三国黒から落ちても無傷だったのか

ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった

2013年02月19日 19:52

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 00:52:07.03 ID:FVy3qKxR
まとめを見た所、出てなかったので。
ある武将が、天寿をまっとうし、亡くなった。
武将には、すでに他家に嫁いだ娘がおり、嫡男と次男に遺言を残した。
『家督、武具、茶道具は、嫡男に譲る、金5万両は次男に譲る。』
これに、嫡男は『嫡男である、自分が、全部相続するのが筋ではないか。』
と、遺言を守らず、金を蔵に仕舞い込んでしまった。嫡男付きの家老が、次男に申し訳なく、説明したら、
次男は、『さもありなん、兄上は自分と違い、大身の身、小身の自分には、もったいない、どうぞ
役立っててください。』と、恨み言を言わず、笑顔で、家老に申し渡した。
それを聞いた、嫡男は、自分の大人げい振る舞いを、恥じ、『遺言どうり、お前が受け継いでくれ。』
しかし、次男は『いえいえ、兄上がお持ちなってください。』
と、譲りません。
困った両家の家臣達は兄弟の親戚に説得をお願いします。
これに次男が『では、使う機会がある時まで、兄上が預かってください。』
で落着します、が、次男は永遠に使う事ありませんでした。
父の名、本多忠勝、兄の名は、本多忠政、弟の名は、本多忠朝


関連
本多忠勝と二人の息子・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html


454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:03:07.36 ID:KhJv7QCW
どうでも、いい、が、ちと、読点、が、多いの、が、気に、なる
渡辺、陽一、です

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 01:36:10.06 ID:r6zJgGQQ
「ある武将」とか、伏せる意味あったのだろうか

まあ、このスレに住んでる人ならみんな知ってる話だけど、
まとめを補充してくれるのは助かる

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 10:08:31.48 ID:3nifdYVc
>>453
既出ですな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-806.html

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/19(火) 13:57:35.70 ID:N2MeEExr
>>455
誰もが知ってる有名逸話がまとめサイトにない場合あるからな
知られてるからあえて誰も投稿してないのかも

「国々の狩武者なれば、一騎も落合はず」

2013年02月07日 19:52

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/07(木) 19:15:31.39 ID:/z6QwEsj
伏見にて、徳川秀忠本多忠勝のところへやって来た時、
立花宗茂も御相伴としてやって来た。

種々御馳走があって、平家物語が語られた。
一の谷落城、平忠度最期の段「国々の狩武者なれば、一騎も落合はず」
というところにさしかかって、亭主忠勝は秀忠らに向かい、

「武蔵守様を初め若き方々はこの所をしっかりと御聞きください。
よき後学ですぞ」と、言った。

――『良将言行録』





327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/07(木) 20:49:00.40 ID:eYj158qX
そういや秀忠って武蔵守の署名が好きだよね。
官位が上がっても使い続けてるし

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 00:46:10.74 ID:vZeH49Hr
>>325
これはそのまま、
『各国から寄せ集めの武者はいざとなると逃げる』
と学べばいいのかな?

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 01:21:24.79 ID:8JeTl1qc
「キセル乗車に味方してくれる人はいませんよ」
かもしれない

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 02:13:59.99 ID:vZeH49Hr
逆に忠度(ただのり)さんほどの剛の者には100騎もビビるオーラがある。
とも考えられるな。
東国無双の発言だけに

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 03:12:20.40 ID:5lebIw40
キセル孔明、駅員仲達を走らすって名言が昔あったな

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 03:22:02.66 ID:AEGRiP3o
>>328
外様の新参なんかより、三河者を大事にしろってことじゃねーの

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 07:17:32.63 ID:7F6/yvtr
家康の下知で丸子の河原町を焼き払って一日で兵を収めたのでは。
木曽と小笠原隊が加勢に来たのを井伊隊が討ち取っているし。

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 09:47:34.88 ID:9eHBeX7i
まぁ、キセルは忠度とは厳密には違うんだけどなw

336 名前:328[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 15:12:31.35 ID:vZeH49Hr
>>325ではなく>>324へのレスだった。

>>332
本多忠勝
「近ごろいたくその九州者を大事にしておられますが、
秀忠さまに最後まで付き従うのは三河者ですぞ」
みたいなとこか

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 16:24:26.85 ID:TyO5sbrU
>>335
キセル乗車:乗車と降車のみ金を使う
ただのり:そもそも払わない

忠度とちょうどいい語呂だったばっかりに

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 16:53:03.77 ID:rJeFlzv0
忠度さんも名前ネタで後世までいじられるとは夢にも思わなかっただろうに…

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/08(金) 18:34:28.39 ID:5lebIw40
長宗我部さんも長須家部とかだったら現代人に弄ばれたのか

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 07:46:58.13 ID:cmPlObk8
>>339
めっちゃエロすぎw

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/10(日) 08:24:02.54 ID:f0YV4342
秀秋「期待したのに裏切られた気分だ。」


私は最後まで敵に押付を見せませんでした

2013年02月03日 19:00

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 17:47:26.27 ID:f95ciS3r
徳川家康は囲炉裏に本多平八郎を呼んで「この陣を退くべきか、否か」と、尋ねた。
これに平八郎が「御引き上げなさるべきです」と申し上げると、家康は「腰抜け!」
と、叱った。平八郎は「腰抜けの覚えはございません」と言った。

また、家康は酒井忠次を呼んで「平八郎は引き上げろと言うが、お前はどう思う」
と、尋ねた。忠次は「若い平八郎の意見ではありますが、私も同じ意見です。
もっともだと思います」と、申し上げたので、家康は引き上げたのだが、
その様子は少々みっともないものだった。

そのため平八郎は「私は最後まで敵に押付(鎧の背の上部)を見せませんでしたよ」
と、家康を風刺した。この時、忠勝は十八歳だった。

――『良将言行録』




401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 17:54:30.95 ID:TZdT6oPj
>>400
忠勝18歳というと家康は23歳か。若い主従だな。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 18:34:15.44 ID:N57BYism
安心の三河武士クオリティ

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 19:01:03.81 ID:wXP5DRQl
存念を問われると安全策というか正攻法を進言するけど、自分が戦に出ると相当な無茶をやらかすイメージだな忠勝は。

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/03(日) 19:33:27.59 ID:ztwanxXe
とは言っても、それは若いうちだけだよね
高天神とか、姉川とか
まあ、長久手のときも無茶だったかもしれないけど、それは計算ずくに違いない


本多忠勝からの、息子への訓戒

2012年11月19日 19:53

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 19:56:07.35 ID:LSDQzCQm
本多忠勝の嫡男、美濃守忠政が未だ平八郎と呼ばれていた頃、その弟の内記忠朝と共に槍の稽古をしていた。
それを見ていた忠勝は、二人にこのように声をかけた

「私が若い頃は小身であったために、槍の働きこそ第一だと心がけた。
しかし今は、御厚恩を以って大身となった以上、軍勢を指揮する采配の取り様や備立てなど、
全て大将が知らなくてはいけない分野こそ、第一に学ぶべきだ。

だからといって、槍を学ぶな、と言っているのではない。
時節相応に、主とすべき分野を、専らに励むべき、ということなのだ。」
(武野燭談)

本多忠勝からの、息子への訓戒である。




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:12:58.00 ID:M4aIiWhx
だったらお前も老いてからだろうと手習いくらいしとけよ

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 21:10:51.12 ID:knmQNTW/
>>459
忠勝は内政も頑張ってるぞ。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:32:26.52 ID:Yy+lfbdE
清正や市松もそうだけど、槍一筋の武辺者の癖に統治能力が高いのはどういことなんだろ

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:43:10.30 ID:TEbo4fL0
森武蔵みたいにしがらみを押し通しているのだろうか?
清正は築城名人だったりするから元々統治の才があったのかもしれないけど

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 22:45:07.32 ID:uukB3FHG
軍隊を維持するのって高度な組織力、つまり優れた官僚機構が必要
それを上手く内政に転化すればいい
トップが暴走しなければ組織が支えてくれるので、たいていはそこまで酷いことにはならんよ

問題は駆け引きとか組織を上手く行きぬく処世術的な意味での、政治力だな
市松さんは政治力無いから、統治能力はあっても失脚しちゃったわけだし

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 23:20:57.48 ID:V8QOjqds
ほんとうの意味での馬鹿でなければ
それなりの官僚機構があれば酷い事にはならない気がする

470 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 01:08:56.24 ID:749WevT5
忠勝 「>>459の忠告に従って彫り物でもするか」

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 07:38:17.00 ID:Itc9X9lt
>>470
桜吹雪ですね(違

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 12:30:12.04 ID:h3wlSL+V
>471
本多忠勝が彫刻刀ミスって生まれて初めて指に傷をおって
「そろそろ俺も死ぬのか」と言った話の方でないかい?

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れ

2012年11月07日 19:55

241 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:08:24.01 ID:y9u1DvmK
さてさて天正10年(158582)、皆さんご存知、本能寺の変である

この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、
これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。

そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様
駆けつけた。

そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」
と決意していた。

ここに忠勝進み出て
「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょう、しかしながら
ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。間道を抜けてそこから山越しに伊賀路へと出れば、
別議なく帰国できます!」

しかし家康
「そうは言うが、我らは上方に不慣れな者ばかりである、どうやって敵の知らぬ間道を
通るというのか?」

「その段はそれがしにおまかせあれ!!!」
忠勝、朗らかにそう言うとどこかに走っていった。少しして帰ってきた。誰かを引きずって

「この辺りの村の庄官を捕らえてきました!!!」

突然の拉致にガタガタ震えている庄官に
「おい貴様!ここにおられる殿のご案内をいたせ!しかしもし騙すようなら…お前を即座にぶっ殺す!」
(悪しく導き奉らば、忽に打殺す)

信長や秀吉からも最高の武士として讃えられた男からのこの脅しである。庄官は半ば魂が抜けつつ清瀧まで
案内し、「こ、この先は解りません~」と泣きながら訴えた。


242 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:09:17.49 ID:y9u1DvmK
これを聞いて忠勝、「ふん、仕方がない」と庄官をあっさり開放。そして「ちょっと行ってきます」
「どこに?」と思ったらまた直ぐ戻ってきた。また誰かを引きずって

「この辺りの村の長を捕らえてきました!!!」

また誘拐である

「さあ我々を案内せよ!、もし(ry」
遂に木津川まで至った。と、川を渡る薪船を二艘発見!忠勝叫ぶ「おいそこの船!こっちに来い!!」

天下無双の勇士の呼びかけにこの二艘の船、当然ながら逃げ出した。

「ほほう、こちらに船を寄せない気か。そういう事なら考えがある。鉄砲ー!!!」

船に向かって射撃開始!「船を寄せねば鉄砲で撃ち沈める!」

船の者達当然ながら驚愕し、家康一行の前に船をつけると、家康は金銀を払い積荷の薪をすべて捨てさせ、
これに家康及び共の者達全員を乗せ対岸まで渡った。この時本多忠勝一人残り、対岸まで行った船が
帰ってくるのを待ってこれに乗り、向こう岸につくと同時に、かの名槍蜻蛉切の石突で、二艘の船艇を
突き破り、「これでよし!」と先に進んだ。

こうして井出の里にまで行き玉水において

「この辺りを案内できるものを捕らえてきました!!!」

何人目かの不幸な犠牲者のおかげで宇治田原まで着く。その先を尋ねると「み、水口越は難所であり、
敵がもし人数を置けばどうにも出来ません」と言うので、多羅尾谷まで進んだ。
ここで多羅尾の何某と言う者が家康の到来を大いに喜び、我が館に是非入ってくださいと言ってきた。
しかるに酒井ら、当然ながらこれを疑い、「我々は今敵中にいるのだ。人の心も計りがたい。
いかにするべきか…」と悩んでいた所、忠勝は

「堺を出てから今日までの間に、我らはもはや、腰兵糧の他何もありません。至極難儀の時であります。
ここで多羅尾にもし殿に対する逆心があるのなら、彼の家に入らなくても我々を逃すことはありません。
何故ならこの様に疲れきった我々では、思うように働くことが難しいからです。

ならば多羅尾の折角の馳走を受けて、かの家で腰を懸けて、人馬の息を休めるべきでしょう。
なあに、万一多羅尾の態度が思わしくないものであれば、私が奴を捕らえてどうとでもしてやりますよ!」

これに一同「尤もだ」と、特に最期の一節に納得しこの家に入ると、彼は無二の持て成しをし、
これにより家康一行、疲れから回復することが出来た。家康は多羅尾に礼として自らの刀を与えた。

ここより伊賀越をし、ここで服部半蔵支配の甲賀者たちが家康のもとに参上し身辺を守り、そのため
難なく伊勢浦に到着し、ここより船に乗って三河へと御帰陣された。
(武野燭談)

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れの一席である




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:20:24.39 ID:bajq3D94
(アカン)

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 22:45:49.82 ID:lHGmkg1G
船のくだりは見るの初めてかな。忠勝残る必要ないような。
色々と何かがアレだが一応誰も切ってないあたりが別件の四天王とは違う・・・よね?

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:07:20.97 ID:R1nwenVc
あずみを思い出して嫌な気分になった...
あれ実話なんじゃないかな

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 23:29:11.51 ID:dAtxtflh
平八さんの出てくる逸話は万事に抜かりなさすぎて主演:スティーヴン・セガールの
映画見てるような気分にさせられるな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 00:55:34.50 ID:2cin/Vnm
これぞまさしく今張飛の大活躍だな

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 01:55:18.62 ID:4i4nduHn
>>247
頭の中身も張飛っぽいんだよなぁ。本多平八郎って。

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 06:53:22.06 ID:XDwDyiyJ
こういう時に慌てず冷静な手段(=誘拐)を取れるってのがいいね。

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 10:41:01.27 ID:UEmzXKb/
同じ逸話で「万事に抜かりない印象」「頭の中身も張飛っぽい」
どうしてこうなるんだろ

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 12:15:07.80 ID:DW3pQ4EZ
開放するか斬り捨てるかの違いがあるがやってる事自体は鬼武蔵と大差無い気も…

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:18:03.94 ID:CVlBjGwt
なんでもかんでも森長可を絡めるなよ

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:19:49.46 ID:2NZgsIy/
大きな違いじゃないですか大きな

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:30:07.82 ID:DW3pQ4EZ
とはいえ時系列的にほぼ同時進行ですしおすし。

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 13:41:49.35 ID:/cqAsKIk
そういや最近鬼武蔵の話見かけないな。粗方ネタは出尽くしたのかな?

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/07(水) 18:21:14.07 ID:MXd1EikK
人攫ってもさわやかだな平八さんはw

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 00:58:56.07 ID:89jc9wmL
>>251
ちょっと強引に力で解決してるあたりがまさしく今張飛って感じでかっこいいと思った

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 10:57:21.91 ID:2j3I6O+V
>>265
同じく。実際躊躇していられる状況じゃなかっただろうしな。
力ずくででも安全を確保しないと。

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:07:02.36 ID:j+XcMJcK
張飛:二人の娘が劉禅の皇后になったことを考えると、娘は美人だったと思われる
忠勝:娘が美人と伝わる
おそらく、父親には似なかったんだろう

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:15:09.33 ID:yqc5oyur
千姫の再婚相手で忠勝の孫である本多忠刻だって美男との噂だし
忠勝もそれなりにイケてたんだと思う

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 20:41:15.51 ID:6IH+EQ0J
絵師を脅して描かせたという肖像画みると、そうとは思えないが

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 21:41:51.76 ID:++hr5nXk
当時の男女の美形の基準てどんなかんじなのかね

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 22:09:28.05 ID:yqc5oyur
今とそんなに変わりは無いらしいよ

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:43:44.39 ID:jRh1W7Cs
>>269
>絵師を脅して

!?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/08(木) 23:47:11.88 ID:BIRB/1cl
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Honda_Tadakatu.jpg
>本多忠勝。Honda Tadakatu. 「紙本著色本多忠勝像」関が原合戦後、描かせた肖像画。
>関が原合戦後、忠勝は争いの無い時代になり自分の活躍の場が無くなったことを嘆き、
>絵師にこの甲冑姿の自分の肖像を描く事を命じた、なお忠勝はこの肖像画を完成させるまでに
>7回~8回やり直しさせたとも言われている。
>また、この肖像画を描くときに着用していた甲冑は現在も残っている。

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:00:47.22 ID:Mh5PjjTA
>>276
wikiに書いてなかったような…と思ったらば画像の解説のところね。気付かなかった。
書き直しさせたのか、てっきりまた伊勢越えみたいな「え?鬼武蔵?」的なエピでもあるのかとー
あー驚いた。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 00:14:18.67 ID:NrUrR7Hv
甲冑図には大抵、袖があるけど実際には無かったりする(本多忠勝・榊原康政)

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 03:41:43.45 ID:Mh5PjjTA
>>279伊勢じゃねーよ伊賀だよorz

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/10(土) 07:44:41.60 ID:ghAmbUb8
>>270-271
150年前の土方歳三の写真を見ると現代基準でも男前
そこから150~200年前の美醜の基準だからあまり変わらないんじゃね?

徳川軍団、水口城下行進!

2012年10月03日 20:28

699 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/03(水) 06:02:14.76 ID:VeVuyAD+
関が原の直前、京から関東に上杉征伐しに行く時の家康がとても狙われていたらしい。
なんせ征伐されそうな上杉派、挙兵する反家康派が石田三成をはじめウヨウヨいるのだ。
家康が江戸に帰る時の、佐和山付近での家康暗殺計画を三成が検討していたり、
長束正家の家康暗殺未遂という話があるが、
(伏見にいた頃から三成が襲撃を検討していて、それを榊原康政が食い止めたという話まである
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5671.html

さて、↑の長束正家による家康暗殺未遂(?)は失敗に終わり、甲賀衆の知らせで
家康はふらふら~とうまいこと正家の城下水口を通過することに成功した。
この時長束軍が家康を取り逃がした後、軍勢を繰り出したという話がある。
家康は諦めるが、後ろに来る徳川軍(といっても少数)を通過させないように邪魔をしようとしたのだ。
ここで合戦が起これば当然、徳川不利な情勢になるのを見据えて。
かといってとぼとぼ伏見に帰っても鳥居元忠に怒られるだけである。待機していてもそれはそれで困るだろう。

後ろの徳川軍を率いていたのは本多忠勝を筆頭に服部正成成瀬正成水野勝成
錚々たる三河武士。当然帰るなんて選択肢はないし、家康の身が危ない以上一刻も早く合流したい。
忠勝は彼らに命じ火縄銃に火を灯し臨戦態勢をとった。
すわ合戦、かとおもいきや忠勝は兵に掛け声を叫ばせながら、水口城下を行進した。
臨戦態勢でやる気満々で城下を練り歩いているのだ。
さすがに長束勢もこれには手が出せず、結果忠勝率いる徳川軍も無事に江戸に行くことができたのである。

出典は家康の侍医板垣卜斎の「慶長年中卜斎記」だそうだが、ネットのあちらこちらから
適当に抜き出してきた話なので信憑性は低いかも。
・・・しかし、長束正家の妻は忠勝の妹(姪とも)なのだが。




700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/03(水) 10:18:42.88 ID:Lo7jkwgW
このメンバーでは臨戦態勢とってなくても仕掛けるのに相当勇気がいるぞ。

唯一、殿が付いている家臣

2012年02月26日 21:51

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:03:23.98 ID:jPMcixWe
天正16年に毛利輝元が上洛した際に、各大名に贈物をした時の記録があるが、
この中では大名には殿を付、その家臣は呼び捨てにしているが唯一、殿が付いている家臣がいた

それは本多忠勝、二木謙一氏はこれを誤記としているが、後世の有名ぶりを見れば忠勝の名は
この当時、既に知れ渡っていたと考えるのも面白い

なお、樣を付けたのは大政所、秀長、信雄というのも面白い話であろう




78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 20:32:22.46 ID:suiKo8Os
信雄さん、その頃は内大臣とかで一応まだ大事にされてたんじゃないのかな~

本多忠勝の大力

2011年10月12日 22:07

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 12:00:44.71 ID:W1fJxaI+
小牧長久手の合戦の時のこと。

本多平八郎忠勝は小幡から龍泉寺方面への物見を命ぜられ、三浦久兵衛、梶次郎兵衛、小野田輿四郎、
向坂輿五右衛門、松田官右衛門などとともに出動した。

この時、小野田輿四郎の馬が暴れだし輿四郎が落馬、馬はそのまま龍泉寺のほうへ駆けていき
輿四郎はこれを慌てて追いかけた。と、このとき本多忠勝、輿四郎に

「怪我はしていないか!?」

と声をかけつつ輿四郎の馬に駆け近づくと、その手綱を槍の石突にからませ、力任せに引き寄せる!
これには暴れ馬もたまらず動きを止めた、とのことである。
そして、さても平八郎は大力であると、大いに評判になったそうだ。
(柏崎物語)




79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 14:27:56.83 ID:vc5RApDD
小幡から龍泉寺って三河のどの辺だ?

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 14:39:23.29 ID:PUK5Qmo8
>>79
三河じゃなくて、尾張です

現在の名古屋市守山区

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 15:58:01.10 ID:TDIWWzAc
忠勝ですら馬を引き寄せるほどなら、
彼よりも力があるから重装備でも平気だという井伊直政は
どんだけ怪力だったんだろう……

三河は人外魔境だったのだろうか

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/12(水) 21:24:41.53 ID:D+1GbiVT
スーパー三河人

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/13(木) 15:03:42.50 ID:7nIOHItt
小勢で大軍を撃破するのが当たり前で、鬼武蔵も真柄十郎左衛門も余裕で討ち取る連中だからな。

87 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/13(木) 16:40:41.06 ID:DvP8DpDO
>>78
これ忠勝も馬に乗ってたんだよな?
馬辛そう(´・ω・`)

本多忠勝、伊勢桑名の城下巡視中に

2011年08月04日 23:01

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/04(木) 12:04:43.99 ID:+1nATF/z
前回は本多正信さんのいい話だったけど
今回は中務の方の本多さんで。出典は桑名の図書館にあった資料から

一応http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2414.htmlの中で触れられてはいるけど
全体を書いたものは(少なくとも本多忠勝カテには)なかったので

本多忠勝が伊勢桑名に移封された晩年、二男の忠朝とともに城下を巡視した。
芦原のほとりにさしかかると忠勝は忠朝に傍らの櫂を示し「その葭を薙いでみよ」と命じた。
忠朝が葭を横殴りにすると、三間ほどの間の葭が倒れ伏した。
忠勝はそれを見て自ら片手握りに櫂を取って葭を薙いだ。
すると葭は根元から二尺ほど上のところで、刃物で切ったように切れてしまった。
今更ながら人々は忠勝の豪力に舌を巻いたという。




978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/04(木) 12:13:20.10 ID:2HCX4rPF
本多忠勝に槍なんて要らなかったんや

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/04(木) 13:40:35.78 ID:jN2bfeEn
当たらなければどうということはないの忠勝からすると、
櫂を通常の3倍の速度で振れば葭も斬れるのか。

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/05(金) 06:20:10.81 ID:gDgYc2UM
>>977
小学校のマンガ(割と真面目な雰囲気の)だと
忠勝が薙ぐと異次元への扉が開いてすぐ閉じた気がする
あれなんだったんだろ

985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/05(金) 09:04:15.34 ID:fjDUUUDX
>>978
天下無槍って事ですね