144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/01(土) 17:32:56.21 ID:9P2krZ2J
可児郡池田の城主 池田織部正輝家
当家も明智の一家にして、元祖は明智遠江守光朝の三男・三郎左衛門尉輝継が
初めてここに住し、それより以来、輝家まで当城主なり。
右の織部正は光秀に属し、後に城州伏見の城を守り、天正10年6月14日、
羽柴の大軍を引き受けて討死しける。
右の他にも明智の一家にして、隠岐・溝尾・奥田・三宅・藤田・肥田・池田・
瀬田・柿田・妻木などと申し、数代血脈の一門多くして皆ことごとく嫡家光秀
に属し、後には天正10年、山崎の戦にて滅びたりぬ。
明智光秀は信長に仕えて、わずか15ヶ年にして60万石余の大名となりぬ。
按ずるにかくの如く良き家臣等が皆もって一門たる故、身命を捨てて働きある
ために、自然と武功も優れてありしと見えたりという。
――『美濃国諸旧記』
可児郡池田の城主 池田織部正輝家
当家も明智の一家にして、元祖は明智遠江守光朝の三男・三郎左衛門尉輝継が
初めてここに住し、それより以来、輝家まで当城主なり。
右の織部正は光秀に属し、後に城州伏見の城を守り、天正10年6月14日、
羽柴の大軍を引き受けて討死しける。
右の他にも明智の一家にして、隠岐・溝尾・奥田・三宅・藤田・肥田・池田・
瀬田・柿田・妻木などと申し、数代血脈の一門多くして皆ことごとく嫡家光秀
に属し、後には天正10年、山崎の戦にて滅びたりぬ。
明智光秀は信長に仕えて、わずか15ヶ年にして60万石余の大名となりぬ。
按ずるにかくの如く良き家臣等が皆もって一門たる故、身命を捨てて働きある
ために、自然と武功も優れてありしと見えたりという。
――『美濃国諸旧記』
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