川角太閤記から、秀吉の中国大返しのとき

2015年01月30日 18:40

603 名前:1/2[sage] 投稿日:2015/01/29(木) 23:11:37.54 ID:Uq48cXXy
川角太閤記から、秀吉の中国大返しのときの逸話
秀吉は本能寺の変のことを毛利勢に隠して、霊社の起請文を取り交わし
「秀吉が上洛したとしても,裏切りの攻撃をしてはならない。
また、毛利家が引き退いたとしても、秀吉から約束を破ることはない」
という内容を約して、陣を引き上げた後のこと


毛利家には、上方に付けて置いた早打ちが四日の七つ下がり(午後四時過ぎ)に参着した。
「信長公が二日の卯の刻(御前六時頃)にご切腹いたしました。
(信長は)どうして遅々としているのか、と調べてみたら四条堀川の通りに鉄砲が厳しくなりました。
町人もどうしたことかとばかりに呆れ果てて、町々のくぎぬきを堅め一円に人を出さくなりました。
本能寺の事が終わり、明智殿の家臣溝尾少兵衛(溝尾茂朝)殿が、
『町々の者、静まりなされ。別の子細ではない。
惟任日向守殿が今日から天下殿におなりになったので、洛中の地子をお許しになられた。』
と、町々に触れまわっていました。それで明智殿の謀反と分かったのです。」
と申された。

それから吉川駿河守元春の陣屋へ、小早川左衛門尉隆景・宍戸備前守(宍戸元続)が寄り合って談合したことは、
「今日の誓紙は破っても苦しくありません。騙されたのです。」
ということであった。吉川駿河守は、
「このような時にこそ、馬を乗り殺すのです。早く早く。」
と勧めなさったという。

舎弟小早川左衛門尉隆景は、右のことには一言も言わず、しばらく考えて申出されたことは、
「元春の御考えは御尤もではございますけれども、昔より今に至るまでは何事につけても約束をするのは、
書物・誓紙を鏡として使うものであります。父である元就公が御死去のときにいたしましたときに、
『只今の輝元公を兄弟として取り立てよ』という誓紙を仰せ付けられました。
時日の下の判は元春公がなさいました。その次に私がいたしました。
さて、兄弟四人がそのようにいたし、元就公にお命があるうちにお目にかけましたことは、昨今のように覚えております。
その誓紙は元就公がいただき、一つは元就公のご遺言で、
『我が棺へ入れよ、一つは厳島の明神へ籠め奉れ。一通は輝元公へ上げ置き申すことにする。』とされました。
この二通は只今もご覧なさるがよい、条数の内に
『毛利家は、我死して後、天下のことは心に懸けてはならない。』と、一の筆に書かれてあります。」

「今日の御誓文を破られたならば、冥途におられる元就公の別意となる。
一つは厳島の明神の御罰、又は五常の礼儀の二つをも破ることに似ています。
羽柴筑前守が国元の播磨へ帰城されたとの知らせをお聞き届けになり、そのうえで御馬を出されてもよろしいでしょう。」
と語って、兄の元春へ異見を申された。
元春も隆景から道理で攻められ、生合点の形で納得申した。小早川はそれから自分の陣へ戻られました。

604 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/01/29(木) 23:13:00.75 ID:Uq48cXXy
小早川隆景は、舎兄元春の陣屋へ目付けを出された。その目付けが帰ってきて、
「何か存じませんが、御馬屋の馬に鞍を置かせ、家中もまたその通りに見えます。宍戸備前守の陣も同じように見えます。」
と申し上げたところ、隆景は
「異見を申し上げて、すぐに座敷からたち戻ってきたので、それは御立腹もあるだろう。
それは兎も角もしかたない。是非に及ばない次第である。
しかしながら、誓紙をお破りになったことは、必ず一通でも使いを我らのところにお立てになってもよいはずだ。」
と仰られた。

小早川隆景は、陣中を静められるためであろうか、鵜飼新右衛門(鵜飼元辰)・井上又右衛門(井上春忠)の両人を召されて、
「役者のものを召し出せ。肴の台などはどんなものでもよい。鼓などを調べさせよ。早く早く。」
と仰せ付けられました。両人は、
「かしこまりました。」
と申し上げ、さっそく役者のものを召し出した。家中では、
「これはいかなることであろうか。信長公のご切腹を満足だとお考えになって、その祝であるのかと不審が晴れぬ。」
と、下々の者は取り沙汰していた。

役者のものが隆景の御前に伺候し、はや乱舞が始まるかとばかり見えましたところに、
(役者は)めでたいものか、また修羅などのようなものか、どちらを歌いだせばよいのか、心にあきれていた。
そこに鵜飼新右衛門がただちに心得の小謡を一番歌い出しまして、
「四海波静かにて、国も治まる時津風」
と申しました。さて、役者のものは、
「めでたい(ものを歌えばよいのか)」
と、心得の高砂などかれこれ五番(歌い)、その中には三輪がございました。
先の鵜飼新右衛門が次の間を立って見回しましたところ、座頭の破れ衣一つがあったのを、
おっとり(体に)打ちかけて、急なことでありますので、
鼻紙を裂いては木の切れ端に挟み付け御幣の気持ちで次の間から舞い出て、「三輪」を一番舞い納めました。
この新右衛門は何事につけても殊の外しおらしい人でありましたから、ご座敷のようすがよく伝わってきました。

羽柴筑前守殿は天下を取ってのち、隆景が乱舞で毛利の陣を静められたことをお聞きになりました。
鵜飼が小謡を初めに歌ったところから「三輪」を舞ったことまでも詳しくお聞きになったということが聞こえてきました。

上様より小早川左衛門尉に五十二万石を下されましたことは、
「備中の陣のとき、毛利家陣中を乱舞で鎮めたから。」
と、のちに確かに聞こえてきました。
小早川が大名になった子細は、この末尾で詳しく書きつけることにします。
まず、このように書きませんと末尾への過程が申し上げられませんので、まずまずこのようなことにいたします。

吉川陣・宍戸陣には、まず馬の腹帯を締めてひしめいていたが、
「小早川殿の陣では能が始まりました。」
と、とりどりに申しましたところ、
「それならば聞き届けよう。」
と言って、両陣より人を遣わして聞かせたところ、
「能でありましょうか、あるいは座敷の囃子でありましょうか、中の様子は見えませんが、乱舞であることは間違いない。
上下の者達がざわめきあっていると見えました。」
と、使いの者が帰って報告しました。
それで、吉川もさすがに進めることが出来ず、両陣は泣き寝入りすることになったということです。




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お前は大不敵者だ 毛利元春の初陣

2014年10月04日 18:50

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/03(金) 21:59:23.08 ID:Y3CfXWJH
お前は大不敵者だ 毛利元春の初陣

まとめ見たら以外にもまだ出てないようだったので投下、もしも既出だったらす万谷。

1539年(天文8年)11月、尼子晴久は祖父・経久や一族衆らの反対を押し切り、毛利元就
居城である吉田郡山城攻めを決意、翌1540年(天文9年)8月、尼子晴久は自ら3万の兵を

率いて月山富田城を出陣し、毛利家の吉田郡山城を包囲した。城に籠る毛利勢は近隣住民
も城に入り、総勢はおよそ8千。
尼子勢は城下に度々付け火したりして毛利方を城から誘い出そうとしたが毛利方は兵も民
も誘いに乗らず、逆に尼子勢を時には奇襲し、時には地の利を活かして戦い、寄せ手の尼
子勢に一歩も譲らぬ姿勢を見せた。
そうこうしている内に同年十二月初めには毛利元就からの支援要請を受けた多々良(大内)
義隆から派遣された陶隆房・杉重政・内藤興盛を大将とする兵2万が到着。
これを受け尼子勢は将兵共に士気が下がり、毛利勢は大いに息を吹き返した。とはいえ時節柄
寒さ風雪も強く、両軍ともに決戦に至ることなく年明けを迎えることとなる。
そして翌1541(天文9年)年1月12日、毛利元就から援軍の3大将に手紙が届く。

元就「翌13日に、宮崎に陣取る高尾豊前守・黒正甚兵衛・吉川治部少輔(興経)の陣を私の
愚息に命じて切り崩させます。敵に背後に回られては大事となりますので城近くへ兵を出
していただき、備えを堅めて尼子勢を防いでください。」
これを受けた山口の3大将はこれを承諾。元就は更に3将の使いと綿密に打ち合わせをし
て城へ戻った。
さて、翌13日卯の刻(午前6時)のことである。城内の兵3000余騎が堀の際まで打って出
た。元就はこの日、鎧を着ずに小袖を着て床几に腰かけ敵軍を見まわしていた。
そこに一人の少年が駆け寄ってきた。名を少輔次郎元春、後の吉川元春。当年12歳の少年
であった。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/03(金) 22:00:21.70 ID:Y3CfXWJH
元春「このほどもたびたびの合戦のありました折、わたくしも馳せ向かおうと存じました
がお許しのないまま、むなしく控えておりました。今日は、ぜひともにお許しをこうむり、
お供いたしましょう。」
元就「先々にも言い聞かせてきたとおり、お前はまだ若輩だ。まずこのたびは留まってお
かれ。かさねて合戦のときには、必ず相具してやろうぞ。」
元春「弓矢取る身の幼いからとて、敵に向かわぬことがございましょうか。是非にお供い
たします。」
引かぬ元春に、元就は井上河内守に「少輔次郎を連れて帰れ」と命じるも、元春は大いに
腹を立て
元春「いやいや大人にも劣るまいものを、何という情けない仰せごとか」
元春は世にも恨めしげに元就を見やり、涙をはらはらと流した。これを見た井上河内守は
井上「少輔次郎殿は獅子翻睨の眼を具し、龍駒千里の威を抱いておられる。さすが元就さ
まのご子息よ。ご成長なされたならば、天下一の大剛将になられよう。さ、帰りますぞ」
と、大いに感じ入った後城内へ連れ戻そうとしたが、
元春「お前はわたしをやるまいとするのか!」
と言って、太刀を抜いたので、そののちはあえて留める者もいなかった。
元春は士卒を引き連れて、父元就に追いつき
元春「このうえは是非共にお許しをこうむり、お供いたします。」
と言った。
元就「お前はまだ幼いくせに大不敵者だ!」
と言いながらも、いかにも嬉しげに元春を見て「ここまで来たのなら、もはや連れてゆこう」
と、元春の初陣を許した。

陰徳太平記、文の大半は原本現代訳より




947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/03(金) 23:40:04.19 ID:u5DFSmdZ
>>944
なんか本多鍋之助の初陣を巡り元康に拒否られたのを彷彿とさせるな
鍋之助は確か10歳で拒否られたんだったか

吉川元春の嫁取り

2014年08月17日 21:01

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/16(土) 22:23:07.18 ID:xsgsEIHY
ある時、毛利元就は家臣の児玉三郎右衛門尉を呼んで、この様に言った
「我が子元春には未だに妻室が無い。誰の娘を娶るべきか、元春の心を聞いてきてほしい。」

そこで児玉が元春にこれを聞くと、元春は
「それに関しては、唯父元就の命に従うだけだ。ただ、私に選べというのなら、熊谷伊豆守信直の娘が良い。」

児玉はこれを聞くと
「熊谷の娘は、憚りながら悪女であると聞き及んでおります。もしや聞き誤り、かの娘が容貌美しいと思われて
いるのではありませんか?」

「いや、私も醜いと聞いている。しかれども今中国に、熊谷信直に勝る侍大将は居ない。
私が彼と親しくなれば、信直はいよいよ元就に対し忠志を尽くすであろう。
彼と私が元就の先陣にあって謀戦を励むにおいては、いかなる強敵・堅陣であっても、これを破るのに
難しい事があるだろうか。

これは父元就に対しては孝であり、私自身においては、武功を顕す謀ともなるであろう。」

児玉はこれを聞いて感じ入り、すぐに元就の元へ行きこの事を説明すると、元就も大いに喜び、
終に熊谷の嫡女を、元春のために娶られたという。

(芸侯三家誌)

吉川元春の嫁取りの逸話である。




541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 01:45:30.42 ID:bLgdl1H3
ブス専だっただけ
理由は後付け

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:32:54.03 ID:Q9NvVqIk
悪女って醜女の意味なのかな

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:38:39.62 ID:xR3u/Nfx
名字に熊とか入ってるから
ヤワラちゃんみたいなのだったんだろう

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 02:45:09.50 ID:ke4jFHHh
戦国版勇者谷かよ

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 04:58:26.87 ID:jAAhxmxl
>>543
猪熊柔
羨ましい

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 08:54:57.46 ID:60h2dRZF
吉川晃司って末裔だろ。要素入ってるのかねw

548 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/17(日) 09:43:55.87 ID:LA87lVqN
吉川広家が生きてた頃に纏められた書物には不美人とは書いてなく、少し後の陰徳記と陰徳太平記から不美人と言う記述がなされとるんよね。
また、武田光和に嫁いだ新庄局の叔母は美人だったと言われるし、陰徳記を書いた香川氏は熊谷氏の同僚(武田時代)から後年毛利傘下になってからはライバル視してたと言う話も有るし…
実は不美人ではなかったんじゃないかと思う今日この頃。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 09:50:44.70 ID:2DmfOBk9
当時の美醜の価値観って現代とどれくらい違うの?
平安時代のおなごは下膨れが~ぐらいしか知らない

550 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/17(日) 10:08:46.39 ID:jR02EXhj
現代でも
80年代→聖子ちゃんカット

から今までに至るまで髪型から服装とか色々変遷有ったからなぁ…

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 10:12:34.24 ID:lsq+fZgL
つまり戦国一の美人であると言われているお市も現代の人が美人だと思うかどうかはわからないってことだな

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/17(日) 10:37:04.37 ID:bLgdl1H3
惜しいかな後世、お市の方を云いてお犬の方を云わず

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/18(月) 06:37:57.44 ID:Wv1ssEGW
>>552
お犬さまって佐治一成の母ちゃんか
畠山昭高に嫁いでいた不詳娘と勘違いしていた

西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしい

2013年10月21日 19:45

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/20(日) 21:53:06.97 ID:0a8ryyVQ
西国で川中島合戦にまつわる論評合戦があったらしい。

毛利元就の在世中、甲斐の武田・越後の上杉から書札を受けていたものの、
当時元就の容態が思わしくなかったこともあり、
山中鹿介擁する尼子勢に手を焼いていた毛利家は、
なかなかその返礼をすることができなかった。
元就が亡くなってしばらくすると、次男の吉川元春は、
家臣の佐々木源兵衛尉を甲斐・越後へと挨拶に遣わした。
そのついでに、両国の情勢なども見て回らせた。

さて、佐々木が安芸に帰国して、見聞きしてきた川中島合戦の様子などを
元春に報告したところ、その話を聞いた杉原播磨守盛重は、
「謙信のこのようなところが油断である、
 信玄のこのようなところが落ち度である。
 いかに良将の聞こえが高くとも、間違いをおかすこともあるのだな」
などと、話に上った川中島合戦の批評をしはじめた。

同席していた天野紀伊守隆重はそれを聞くと、口を開いた。
「なるほど、御辺の意見も一理ある。
 しかし、我らごときの愚昧な考えで批判ばかりしていれば、
 まったく過失のない真の名将などというものは、
 この世に存在しないことになってしまう。
 信玄・謙信がもし、御辺の言うように凡庸な将だったなら、今の名声もないはずだ。

 時も場所も異なるところで何を言ったところで、まったく的外れなのだ。 
 地に伏せて耳を澄まさなければ、地の底を穿つ足音を聞きつけることもできない。
 そのとき、その場にいなかった御辺が、あれこれと批判しても意味はあるまい」

盛重は「もっともだ」とうなずいた。


個人的に耳が痛い話だったのでこちらに。




541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 21:10:22.92 ID:EL6wb5qu
>>537
しかし現場以外無意味とか言ってると戦略や戦術なんてほとんど研究できないわけで



542 名前:537[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 23:53:49.16 ID:cjfZqQ2P
>>537に関して補足をまとめようとしているうちに、昨夜は寝てしまいました。
少し続きがあります。


天野隆重に反論された杉原盛重は、相手の言い分を一応は認めたものの、
「しかしながら、信玄・謙信のような良将を論評すること
 それ自体がよくないと言うのであれば、納得できない。
 信玄・謙信は生まれながらにして一国の将で、その名はこの日本国中に知れ渡っている。
 この私は勇智が信玄・謙信に劣っていなくても、ようやく一郷一村の主でしかなく、
 人に名を知られていない。
 それなら批評するにも何の憚りもないはずだ。
 合戦の評論をする行為自体がよろしくないというのは、納得がいかない」
と食い下がった。

そこで同席していた熊谷伊豆守が、
「二人の論争は、未来永劫決着がつくことはないだろう。
 梅はすべからく雪に三分の白を遜るべし、雪もまた梅に一段の香りを輸すべし、
 という古い言葉もある。
 お互いに優れた言い分を認め合って、腹をおさめるといい」
と諭すと、二人とも大いに笑って退出していった。


以上です。



543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/21(月) 23:56:02.55 ID:PZYN8Rgz
元春はこの時何を考えていたんだろう

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 01:08:07.03 ID:v/L45Kbq
熊谷伊豆守って孫が豊前守ってことだし、信直かな
年長者だし上手いこと纏めたな、といいたいが天野隆重の方が年上か

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 02:32:01.65 ID:0DXDVwU+
笑ってすまずに殺し合いになる家が結構あるような

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 11:52:35.54 ID:f028Go8Z
囲碁将棋観戦は命がけ

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 13:38:46.16 ID:31RUWkyD
庭師「賭ける程度では生ぬるいわ」

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 18:48:06.83 ID:p8wzde/m
兜持ち「便所いきてー」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 19:09:46.76 ID:NDrZswl7
>>542
お面杉原が大いに笑った・・・だと?

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/22(火) 22:45:57.29 ID:kHe1CpjK
お面のような顔は変わらず口から笑い声だけが・・・
見た人チビるな

背中炙りの姿となって

2013年07月08日 19:53

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 08:05:31.03 ID:ArubJxJS
石見、出雲、伯耆と言った国々は吉川元春公の管轄する国筋であったため、公は別して
御油断なく、御心を使っておられた。
しかし、それでもその統治には非常にご苦労が多く、下々までも疲弊し根気を尽くしてしまい、もし合戦があれば、
軍は弱体化し敗北に及ぶであろうと、過半の人々が思っていた。

しかしそう言う時に元春公は、帰路の道における橋などを外され、わざと帯紐を解かせ背中炙り(背中に日を当てること。つまり上半身裸)
の姿となって、川を渡るようなことが度々有った。
(老翁物語)

意図が解るような解らないようなお話ですが、たしかになんだか凄そうです。






吉川元春の方針、小早川隆景の方針

2012年09月24日 21:46

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/23(日) 19:47:54.29 ID:EMkUoTnH
小早川隆景が亡くなった時、その事を吉川広家に知らせに来た林吉兵衛入道梅林と内藤河内守が広家に語った話である。

『これは未だ、吉川元春様が生きておられ、我々と織田信長との和平が敗れ、織田との戦いが続いていた頃のことです。
ある時、元春様より隆景様に、次の合戦におけるご自身の方針の所存を遣いを以ってお伝えなされました。
これを聞いた隆景様は驚かれ

「元春は若武者か、五百三百の侍大将のつもりか!彼の言うような事が出来るわけがない、
こんなものは討ち死にするだけだ!彼はここから一歩も引き下がらず、敵に向かって攻めかけるとのみ言っている!

敵の大将である羽柴秀吉は大敵である。その秀吉との争いで、このように短慮で勇一途を専らにしては、
大敗するのが目に見えておる。このような作戦は、尼子勝久程度の敵に対してするものだ!」

私たちは隆景様の仰ったことを、誠に道理だと思いました。この事は元春様が誤っていると考えたため、
元春様の元に行き、この事を申し上げました。すると元春様は

「隆景ともあろう者が、なんと武道を心得ぬ事を言うものだろうか!
どうして私が秀吉を尼子勝久のような小敵と同じに見て、あの方針案を作るものか!

よいか、勝久のような小敵には、先ず負けぬ工夫をして、よく身を縮こまらせ堅く守る戦をするのだ。
そうすれば所詮相手は小敵であるので、次第に威勢衰えて結局は敗北するのだ。小敵こそ恐れるべきものである。

さて、現在我々は織田信長を敵とし、羽柴秀吉と合戦に及んでおる。
織田は大敵強敵であろ、中でも羽柴秀吉は大勇にして智を兼備した良将である。
彼は天性の大将であり、敵が弱気であると見て取れば、即座に打ち破り、そのまま足を止めず
三ヶ国も五ヶ国も、直ちに押し入るような弓取りである。

例えば、我等が父元就が厳島で陶晴賢を討ち滅ぼした時、家中からは「一両年ほど置き
戦備を整えて山口に攻め入りましょう」との声が上がった。これを聞いた父上は

『元就の弓矢は古風でな、私ならば陶を討ったその勢いに直に乗り山口に攻め入る。
そうすれば大内義長はその年のうちに滅びるだろう。期間を空けるのは、遠慮過ぎたる弓矢の取り様である!』
そう言って批判なされた。

秀吉は元就様のような大不敵の将であり、味方が少しでも弱気を見せれば、その威勢に任せ大軍を以って即時に攻め潰してくる。
この様な大将が、しかも大軍を以って敵対している以上、我々は勇を専らとして何度も攻めかかり、
彼の戦機を奪い動揺させ、十死に一生の戦いを決せんとする体を示すべきだと、私は言ったのだ。

それを小敵などとの戦と同様に考え、危うい戦を謹んで身を大事とのみ心得るのは、敵に威を奪われ
味方は気後れをし、ついには刀を血塗る事すら無く大敗するものである!
大敵を見ても恐れず、勇みたるこそ良きことなのだ。

思い出して欲しい。元就様が尼子を攻めようと出雲に侵入する時は、戦を後にし謀略を先にして、
陣城を築き、当方の安全を第一に考えられた。
ところが陶のような大敵と戦うときには、彼は2万余、我々はわずか三千で対峙し、風雨の中
厳島に渡り千死一生の合戦を挑まれた。
これは我々が規範とすべきことではないのか!?

秀吉のような敵を勝久などに対するように心得、危ない危ないと謹んでいれば、終には
戦わずして大いに敗亡してしまうだろう。
敵によって対応も変化させるべきなのだ。」

この様に承り、我等も愚かながら、これもまた畢竟の道理であると思いました。

いつも元春様のもとに参って仰せを承れば、これは当然の理であると思い、隆景様のもとに参って
仰せを承れば、これもまた至当であると思いました。
どちらのご所存も、一つとして愚かなものはありませんでした。
この様な名将が、今や二人ながらにして亡くなられたことの、なんと嘆かわしいことでしょう。』

秀吉との戦いについて、吉川元春小早川隆景の方針の違い。という逸話である
(陰徳太平記)




561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/24(月) 13:40:04.74 ID:zK088e/x
秀吉をして勇気が足りないと言われる理由がわかるな。

吉川元春、その最後について

2012年09月15日 20:29

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/14(金) 22:43:45.88 ID:q07tqjbL
天正14年(1586)、羽柴秀吉の九州役に従軍した吉川元春は、黒田官兵衛の饗応を受けその場へ行くと、
出てきたのは鮭を調理した御馳走であった。
この鮭料理を前に、元春

『…鮭はその性甚だ熱く、血を破壊すると言う。
今これを食せば、持病である瘡忽が再発してしまうかも知れぬ。』

元春、冷や汗である。しかし

『だが黒田はこの魚を主味(メインディッシュ)として饗してくれている。病気に害があるといってこれを断り
食わないというのも、無骨なやつだと思われるだけでなく、我が主人輝元のためにも良くないことだと思う。
どうしよう?』

元春は思い悩んだ。そして

『今これを毒であるといって食わないというのは、黒田官兵衛に対して遠慮がないと思われるか、もしくは
私が迷惑に思ったのだと、黒田は思ってしまうだろう。まあ実際迷惑なんだが。
ええい、こうなったら!』

少しだけ食べた。
そして酒も数献廻ったあと、官兵衛が言うには「九州が静謐となるのも遠いことではありません。そうなると
筑前一国は元春殿、あなたにあてがわれると、これは殿下のご内意です。」
これに元春も「かたじけなし」と謝辞を述べ、やがて饗宴も終わり退出し、その夜、

元春の瘡忽が大いに痛みを発し、日を追うごとに病は重くなった。これを知った毛利輝元は医師の徳琳を遣わした。

小倉城詰の丸で徳琳と対面した元春は、近習に助け起こされると彼を近づけ、輝元への伝言を頼んだ。

「私もこのごろは少し回復したようで、近日中には輝元様と直接対談もできるだろうが、先にあらかじめ、御辺に
言っておこうと思う。私の言うことをよくよく聞いて、輝元様に申し伝えるように。

今度九州退治のため、殿下がご出馬を仰せになられ、これによって我等三家(毛利・吉川・小早川)は、
先鋒として当国に出張しました。であれば、今回は輝元様は、今まで戦場に赴いたことと同じように考えられて
いては、甚だ宜しくありません。
何故かといえば、我々が各地で秀吉公と対陣していた当時は、輝元様を本陣として、隆景や私が先陣として進み、
士卒を下知し手を砕き攻戦の功を励まし、輝元様はただ帷幕の中に在って作戦を運用していればよいだけでした。

ところが今回はそれに引き換え、殿下が総大将であるので、輝元様は先陣の戦将となって、今まで隆景や私が
輝元様の先陣として戦を決したように、輝元様自身がそう心得、しなければなりません。
これは言わずにはおられない事でした。

それから次に、肥前の竜造寺政家(龍造寺隆信嫡男)の事です。彼は未だに殿下に属していません。
しかし現在の六十余州では、皆が殿下のために働いているというのに、政家一人がどうして独立を保てるものでしょうか。
彼もきっと、殿下に和を請い安堵したいと考えているはずなのですが、そのための良い縁故を持っていないために、
空しく歳月を過ごしているのです。

そこで、幸いに当家は、龍造寺と隆信以来の良好な関係がありますので、輝元様から使者を出し、和平の儀を進め
殿下にも推挙すると言い送れば、政家はきっと喜びに耐えず了承することでしょう。
龍造寺を味方に引き入れれば、この九州征伐における一方の功の助けとなるでしょう。」

このようなことを聞き終わると、徳琳は退出した。

しかしこの後も元春の病状は日々悪化し、同年11月15日、ついに逝去した。享年57歳であった。
(陰徳太平記)

吉川元春、その最後についてである。




428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/14(金) 23:00:21.32 ID:uoM+Liuk
鮭を食べようかどうしようか迷ってるところに小物臭がただよってるな

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/14(金) 23:20:09.15 ID:fDVJvPNN
秀元「もうやめて!とっくにお弁当の鮭はゼロよ!」

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/14(金) 23:29:00.38 ID:XAXcfTyp
いずれにせよ脳筋では無いと
気配り上手なだけに気苦労も絶えないって感じか

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/14(金) 23:36:24.05 ID:eGneM5Ah
>>430
義光「鮭!!!!!!!!!!!」
正則「酒!!!!!!!!!!!」

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 00:29:30.40 ID:kF2lCOXY
大抵、鮭を食べたあとに胸焼けしてしまうのにやめられない
とくにトロ握り

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 01:40:24.46 ID:rb2a6yGM
元春にここまで言われたのについに輝様は自ら戦場に臨むことは無かったような・・・

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 08:46:24.68 ID:SnsE7OfF
>>429
元春の逸話を聞くと
鮭の食べ過ぎに注意しろという
長重や至鎮たちの思いやりだったのかもしれないな
とか思ったり思わなかったり

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 09:49:34.45 ID:2hUw/52R
毛利家は酒と魚に命奪われてる例があったから元春も気を付けてはいたんだろう。
結局予感的中なわけだが。


436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 11:17:45.78 ID:V6NusZYo
鮭って食べ過ぎたら体によくないの?


437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 11:47:47.58 ID:cHnSDcNE
なわけない。迷信。
ただ当時信じられてたなら、それを馬鹿だ無知だと現代人の目から非難するのは卑怯

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 11:49:41.90 ID:b+lUaeV4
塩鮭だったら塩分きついんじゃないの

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 11:59:57.90 ID:cHnSDcNE
迷信というか漢方の考え方では食物を大きく分けて体を温めるものと冷やすものに分けるんだが、
サケは温めるものに分類されるらしい。

体を冷やす物の代表は夏野菜、温めるものに唐辛子なんかは理解できるけど、
サケが体を温めるものっていうのは分類ありきの無理矢理こじつけ感があるね。
文献によっては逆に体を冷やすものに分類されてるみたいだし。

元春はなまじっか知識人だからこんな情報も知っていて、病気に良くないと思ったんだろう。


440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 12:09:10.28 ID:F3xx7yXu
高麗人参とかも体を温めるものとされてるけど、熱病の時に高麗人参を食べたら熱がもっと酷くなって盲目になったという話をよく聞く。

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 12:18:08.11 ID:YPN+IE/i
粗悪品じゃないのか?

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 12:20:08.13 ID:r8vek6IB
朝鮮人参と朝鮮朝顔を間違ってたりして

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/15(土) 14:40:21.87 ID:6JeLg8Af
漢方薬は薬なんだから、間違った症状に使えば毒になるのは当たり前。
[ 続きを読む ]

吉川元春「誰が行くか!」

2012年04月17日 21:30

622 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/17(火) 09:35:53.91 ID:qJiBg222
信長の死後、その後継者となった羽柴秀吉の軍門に下ることを良しとせず、嫡男である吉川元長に
家督を譲って隠居していた吉川元春は、島津討伐を計画している秀吉から

「九州を平定した後に筑前を与えるので出兵してもらいたい。」

と出陣を迫られても拒否し、毛利輝元から

「私の身を思って出陣してほしい。」

と諭されてやむなく承諾した。小倉城の攻略後に悪性の腫瘍を患い、病床に伏すようになったものの
作戦会議の為に陣地を訪れ、安国寺恵瓊

「今回の戦いで島津家は根絶やしにされるだろう。」

と述べた際、元春は

「九州は遠く、まだ関東も支配下に置いていない秀吉はそれほど多くの兵を割く事は出来ない。
 よって仇敵の間柄でもない島津に対してはいくつかの領地を残し和睦を結ぶだろう。」

と冷静に時勢を読んだという。しかしその一方で、

「元春とは一度会ってゆっくりと話がしたいのう。」

と望む秀吉の招きには、

「誰が行くか。」

と最後まで応じることはなかったという。




623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 11:13:46.76 ID:gRKHUsk3
経家が死んだのがそんなに無念だったのか?

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 11:31:35.00 ID:WoC244u8
元春と石見吉川氏とはそんなに縁は深くないでそ

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 12:41:05.65 ID:su0NZJB3
時勢に付いていけなくなった、もしくは付いていかなかった男の意地みたいなもんじゃねーの
まあ、単純にラスボスが気に入らんかった、ってのでもいいと思うがw

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 13:16:32.86 ID:USGnPtiM
会ってしまえば、人たらしの秀吉にたぶらかされるだろうから、むしろそっちの可能性を恐れたか

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 15:00:45.30 ID:uaY/PUNr
会見後こんなノリになるんかねw
元春「ワシは関白様を誤解しておったわ! 関白様に合力してもらえば毛利家も安泰よ、はははは」」

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 15:55:46.08 ID:0ui4hA/A
佐々成政とか本多忠勝とか見ればわかるけど、
秀吉は嫌われるやつからは徹底的に嫌われるタイプ

それと人誑しはスキルだと思うぞ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 18:04:20.49 ID:h8Sjk6ve
島津家でも歳久が秀吉を嫌ってたっけか

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 20:30:39.79 ID:AgrPkaGi
>>625
単に病が酷くて醜態を晒したくなかっただけだろう。
実際九州入ってすぐ死んでるし。

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 21:16:15.86 ID:USGnPtiM
武闘派ほど秀吉を嫌うんだね
体育会系が文化系を馬鹿にするようなものか

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/17(火) 23:53:52.92 ID:zcuscnG/
機知に富んだ立ち居振る舞いを「人をくったやつ」と認識されるのでは
ある意味、裏をかいて生きてきたわけだし

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 01:14:05.82 ID:18FTWe0b
そんなサルに表裏比興と呼ばれる真田ってよーぽどアレなんだろうなw

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 02:32:48.56 ID:32vXldrx
武田と真田の誓紙なんて次の月には期限切れだろw

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 08:28:22.98 ID:c7z4hSEs
織田に至っては二週間

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 14:09:04.57 ID:0O6ukNrP
北条「同盟は破られる為にあるんですね・・・」

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 14:32:40.72 ID:WqWHeuV6
意外と有効期限って長いんだね。

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/18(水) 16:53:07.05 ID:w9kY1Wvv
>>636
毛利某氏「相手を縛るためにあるのだよ」

吉川元春、小早川隆景に

2012年04月15日 21:21

665 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/15(日) 10:49:41.55 ID:RuBLynEk
毛利配下の備中高松城を羽柴秀吉率いる織田の軍勢に囲まれ、小早川隆景から救援を求められた吉川元春は、家臣たちが

「隆景様は殿にばかり危険な戦いを任せ、自分は出ようともせぬ。この度の戦は隆景一人に任せればよいのだ。」

と隆景に対する不満を述べた際、

「もっともな言い分だが、隆景では秀吉には勝てぬし、兄弟である以上、毛利家の為に見捨てるわけにはいかない。
 皆が行かぬのであれば、自分一人で駆け付け、隆景と命運を共にするまでだ。」

と弟をかばって諸将を説得して出陣した。ところが、この戦いの陣中では作戦を巡って隆景と意見が合わず、

「秀吉は尼子とは違い、油断のならぬ相手です。兄上の様に勇ましさだけで勝てる相手ではありませんぞ。」

と諌める隆景に対し、

「武道の道を心得ていないのは隆景の方だ!」

とやりあうこともあったという。





666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 12:27:52.22 ID:e0n52SGT
仲いいなぁー (棒読み)

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 12:34:01.01 ID:fASw1y++
五大老と一大名の差がついた瞬間ですね

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 12:58:53.95 ID:svMjX6vE
クロカン「おれはなにもやってないぞ、なあ・・・」

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 15:02:39.01 ID:zhs9n4gW
言ってることは正しいけど、一言余計だな

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 15:37:22.77 ID:TsLrBPtA
兄が知将で弟が勇将の組み合わせが望ましいのだけど・・・

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 15:45:55.01 ID:g9Qg6pVn
兄弟だからこそうっかり余計なことまで言っちゃうこともある

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 15:49:41.40 ID:qiYfcUVd
面と向かって言い合える立場は健全

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/15(日) 16:21:21.76 ID:I8Xc3Ldo
この事が関が原での家康勝利に繋がる

天正13年、吉川元春、娘に

2011年12月23日 22:02

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 13:12:45.30 ID:4OzMeUBM
天正13年、吉川元春が娘(益田元祥室)に送った手紙

「今度の伊予への出陣は、今回が家督初めの役目だからって元長が出てくれることになった
 そんなわけで私はこっちに残るので、もうずいぶん会ってないことだし、
 おまえが訪ねてみようと思い立ってくれればいいなと思っています
 馬とか人手のことは心配しなくていいぞ
 迎えをやらせるから、必要なものを教えてくれ
 ここ(隠居館)には初めて来ることになるんだな
 早く来てくれればどんなにどんなに嬉しいだろう!
 まあちょっと考えて、すぐ返事をください
 待ってます

  5月4日      もと春
  七尾 五もじへ

 重ね重ね、なるべくすぐ返事をするように
 そちら(益田家)の出陣に差し障りが出ないように、いろいろ相談しよう」

婿君も留守になるし、お父さんはお休みだから新しい家に遊びにおいで、ってことらしい
鬼吉川で猛将の元春も、父としては現代のそこらのおっさんと何ら変わりはないようで
嫁いだ娘への溢れんばかりの愛情がひしひしと伝わってくる

でもこのおっさん、この一年と半年後には会いたくても会えないところに逝ってしまうんである
親元離れてる人は、たまには顔見せに帰ってやれよ!
もうすぐ正月だし、帰省する人はめいっぱい親孝行してこいよ!




103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 14:42:52.97 ID:gmuiD/5F
戦乱の世だけに血の繋がった親子の結びつきはとても強くなりそうに思うけど、
甲斐武田家のような例も多々あるし、
うまく行ってる家族もあれば、
うまく行かない家族もあるのは現代と同じだな

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 15:39:21.27 ID:zxoBPgH4
>>102
なんかじんわりと熱いものが込み上げた
いい手紙だ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 17:54:59.99 ID:days4KtP
まーくん「まったくだぜ」


106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 19:10:55.89 ID:k4Top3bJ
宗麟「ほんとになあ」

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 20:01:16.23 ID:days4KtP
うっきー「家族は大切にするものだ」

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 21:39:56.50 ID:B4z754AO
「もと春」
こういうふうに、一部かなで書くのって現在でいう絵文字みたいなもん?


109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 21:59:09.99 ID:CHM1Kl4e
こういう、親が子を思いながら書いてる手紙って良いよね
そういや隆元も息子のお祝い時に戦場からおめでとうコール送ってたな


108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 21:39:56.50 ID:B4z754AO
「もと春」
こういうふうに、一部かなで書くのって現在でいう絵文字みたいなもん?

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 21:59:09.99 ID:CHM1Kl4e
こういう、親が子を思いながら書いてる手紙って良いよね
そういや隆元も息子のお祝い時に戦場からおめでとうコール送ってたな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:07:31.89 ID:oQoX1Z5W
作左「戦場で家族に手紙書くなんて、腑抜けたヤツめ」

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:08:35.09 ID:6B9gwRF7
>108
娘宛だし、公文書じゃないし、気楽に書いた結果じゃ?
女性宛の書状って、かなまじりが多いし

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:46:35.75 ID:JlrIWAiJ
そういえば、ネカマの元祖は紀貫之って言うしなw

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/23(金) 22:50:02.42 ID:4OzMeUBM
まだ毛利家関連しか読んでないけど、男性宛でも家族宛や仲のいい家臣宛の書状は
宛名とか差出人名がユルユルになってる印象がある
元就の「もと就」って署名の書状も多いし、隆元も隆景宛で「景へ、もとより」とか、
輝元の吉川広家宛なんて「ひろ家へ、てる元」「ヒイへ、(花押のみ)」とかw
場合によっては本文も、かな文字の含有量が多いときがあるけど、気が緩んだのかな?

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/24(土) 12:41:31.57 ID:fkjhNVRf
>>113
輝元だったら呑み過ぎて、手元が怪しくなってるのかもw

吉川元春の深謀

2011年10月01日 22:07

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/30(金) 22:32:47.26 ID:YOGY7AUu
吉川元春の深謀



太閤秀吉の九州攻めの際、安国寺恵瓊が吉川元春の陣を尋ねた。元春は折しも病気中であったため出雲、石見の
諸将も多く来ていた。
そこで元春と恵瓊を中心に諸将達が軍談義をしたが、恵瓊が
「島津はここ数年、我が物顔に九州を暴れ回っていたが、来春にでも太閤殿下がご出馬されれば、
たちどころに一門根絶やしとなるだろう」
と言うと、一座の諸将も同意した。所が元春のみが異議を唱えた。
「いかに太閤殿下と言えども、そう簡単に島津を根絶やしには出来ぬ。天下は未だに殿下の手中に納まり切れてなく、
このような時期に何年も大軍を九州に置くことは出来ない。かと言って島津には名将が多く、
地の利もあるのだから短期決戦でもそうは勝てまい。
しかし島津とて完全に勝ちきる事は不可能なのだから、一度決戦してから最低薩摩、大隅を確保するための
和平交渉に出るだろう。
太閤殿下も島津は仇敵ではないのだから、今までに切り取った国を返せば、根絶やしになどせず、
薩摩大隅の領有を認めてやるに違いない。」
結果的には元春の予想した通りになり、恵瓊達は元春の深謀に大いに感服したと言う。




吉川元春・陶隆房、義兄弟のいきさつ

2011年09月07日 22:25

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:17:03.56 ID:ONKexbTL
吉川元春は陶隆房(晴賢)と義兄弟の契りを交わしている。
それにはこんないきさつがあった。

毛利父子が山口に来ていたとき、大内家家臣の相良武任が義隆に提案した。

「義隆様、元就が尼子になびかないように、
 がっちりハートキャッチしとかなきゃいけませんよ。
 隆元に関しては、内藤興盛の娘なら義隆様に血筋も近いし
 あれを養子ってことにして隆元と婚姻契約結びましょう。
 あと、次男の元春、いい男っぷりですよね!
 元就と並び立つ良将の器って評判ですよ!
 で、ウチの陶隆房と元春を義兄弟にしちゃいましょう。
 隆房も勇猛さでは西国一です。
 あの二人に先陣を任せれば、かの蒙古の堅陣だって簡単に破れますよ!」

「グッドアイデア!」と思った義隆が、さっそく元就を呼んでこれを伝えると、
元就もこの提案を大いに喜んだ。

そんなわけで、大内の毛利つなぎとめ政策の一環として、
元春と隆房は義兄弟になったという。
夢もロマンもありゃしねぇので悪い話。

ちなみに三男の隆景については、義隆様が直々においしくいただきました。
「又四郎隆景は容姿はなはだ美なりしかば、義隆卿男色の寵愛浅からずして」って
陰徳記に堂々と書いてある。





735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:24:06.39 ID:FMAob7Di
>>732
政略結婚もとい、政略兄弟の契り
大内義隆って、隆元も美味しくいただいてなかったっけ?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:37:34.59 ID:yeZlZEIy
男子は手当たり次第…
さすが中国の男色王の名は伊達じゃないな

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:37:57.81 ID:ONKexbTL
>>735
十五、六の少年が三年も山口にいて、あの義隆に手を出されなかったとしたら、
そっちのほうが不名誉ではなかろーか。
隆元は人質初日から贈り物攻めで大変大事にされたようだし、
当時の日記に義隆と隆元同宿の記述もあるようだし……
毛利家としては権力者に愛されて大変けっこうなことじゃないのかなw

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:47:57.28 ID:FMAob7Di
>>736
あの時代、男色は珍しくないと言われても
俺はノーマルでもほいほい食っちまうんだぜ というセリフが凄く似合うよね義隆さん


742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 21:05:16.02 ID:ONKexbTL
>>740のせいで青い狩衣を着た阿部さんが夢に出てきそうだ

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 21:13:28.58 ID:3s40ZfNQ
「息子があの好色野郎に!」
なんてきれて離反する君主いそうだなw

744 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/06(火) 21:42:53.33 ID:FMAob7Di
出世の為に娘を差し出す奴もいただろうが
出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 22:18:42.04 ID:FLHqO/Q0
>>744
基本中の基本だろ
お手つき小姓上がりで出世した武将なんてゴマンといるぞ

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 22:29:44.80 ID:wJtlgc53
松永弾正はまず美少年の弟が召し抱えられ、その縁で自分が取り立てられたとか

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:06:04.33 ID:DlOiYxB3
松永弟は丹波の赤鬼に殺されたんだっけか

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:46:57.44 ID:FMAob7Di
>>747
ああ基本なんだな
それでトラウマになっちゃった子とかいるのかなあ

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:50:18.80 ID:ONKexbTL
元就が義隆さんち行くのに当時花の盛りの隆景を連れて行く時点でゲフンゲフン。
「差し出す」と言うとネガティブなイメージだけど、
隆景を義隆の強力な庇護下に入れるのは、隆景本人にとってもいいことだよ。

同じ「陰徳記」からになるけど、隆景が継いだ小早川は、
家格からすると姉婿の宍戸などより低く、座配も下座だった。
ところが義隆の推挙で「屋形号(尊称)」をもらえたので、
宍戸より上座に座ることが許されたそうだ。当時は格式に厳しかったんだな。
たぶん家中での発言権も周囲の国人への影響力も増したはず。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:53:42.55 ID:FMAob7Di
これも閨閥って言うんだろうか…

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 00:18:35.80 ID:aba4rV/4

> 出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか

家光の御代には「尻の誉れ」という悪口があったという話があるが、ホントかね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 00:55:49.40 ID:DNcsBP+/
>>752
恥ずかしい話じゃないし、普通に楽しんだんじゃない
好き嫌いはあるだろうけど

吉川元春は胃腸病に効く薬としてあるものを元就に求めた

2010年08月13日 00:03

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 07:21:09 ID:e47mS1ou
この流れで思い出した話

ある時、吉川元春は腹痛を覚えそのまま病臥してしまった
現代ならば用途に合わせた胃腸薬があるが、この時代には勿論そんなものはなく…
元春は胃腸病に効く薬としてあるものを父の元就に求めた

それはなんとカワウソである
現代日本では既に絶滅してしまったが、とりあえずこの時代にはそれなりに生息していたようだ
しかし元就の手元には肝心のカワウソがない
そこで元就は隆元に連絡を取った
「元春が腹痛でカワウソを欲しがっていますがこちらにはありません。
もし隆元が持っていたら元春に送ってあげてください」
この連絡に隆元は
「少し古くなっていますがカワウソの塩漬けを持っています。すぐに元春に届けましょう」
こう返事をして元春にカワウソを送った
その後、元春の病状は回復したというからカワウソは腹痛に効く…のか?




635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 09:06:31 ID:XkgOLpPU
馬の糞を傷口に塗っていた時代だからな

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 09:26:41 ID:p+GYWwsw
>>635
まあそういうのよりはマシだな
馬の糞汁の上澄みを飲むとかそういうのもあったらしいし

ところでカワウソはうまいのかどうかそっちが気になる
何となくウサギに近そうな感じだ

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 09:35:26 ID:S7mJwla5
>>636
美味くはないべ。
基本、肉食動物はまずい。
魚を食ってる水鳥もおいしくない。

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 10:36:38 ID:tTFssONd
>>637
ジョジョのミスタもそんなこと言ってたな

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 11:57:57 ID:NfGU68+Q
魚は何でマグロとか肉食魚のが人気が有るんだろ

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 12:38:37 ID:j2aR1S+p
>>639
魚で草食ってあんまいなくね?
小さいやつでも動物性プランクトン食べるだろ?

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 13:43:52 ID:S7mJwla5
>>639
鮎は季節によって食性が変わるんだが
虫を食ってる時期は不味くて、苔を食ってる時期は美味いとか。

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 13:53:02 ID:EnwM+GDU
人も時代によって旨い不味いが変わるのですよ

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 13:59:51 ID:woPQioF4
ええ、全くですね…。

ところでまず服を脱いで全身にクリームを塗ってくださいませんか?

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 14:27:19 ID:S7mJwla5
そうすると、雑食の現代人は不味いが
ほぼベジタリアンの戦国時代の人の肉は美味しいのかもしれないなw

戦国時代起源(?)の踊り、「南条踊り」編

2010年04月11日 00:09

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:03:28 ID:d8esvDzc
伯耆羽衣石城主・南条元続は父の代に尼子氏に居城を奪われたが、吉川元春の後援により奪還に成功した。
ところが、天正7年(1579)、羽柴秀吉の中国攻めが始まると元続は毛利を離反し、織田家の配下となった。
元春はこれを憎み南条氏を攻めたが、堅城・羽衣石は容易に落ちず、やむを得ずいったん兵を退いた。

「見よ、『毛利に両川あり』と言われる、あの吉川が退くぞ!勝ち戦じゃ、それ祝え!!」
元続は戦勝の祝宴を催し、城下の民も浮かれ踊り明かしたが、その中にひときわ目を引く一団がいた。

 ♪  ∩∧__,∧∧__,∧∧__,∧               
    ヽ( ^ω^ )7ω^ )7ω^ )7 ♪ 此方のお庭を借り申そう ♪ 
  /`ヽJ    ,‐┘  ,‐┘  ,‐┘ 
    ´`ヽ、_  ノ 、_  ノ 、_  ノ
      `) )  `) )  `) )

     ♪    ∧__∧.∩__∧.∩__∧.∩ 
         r( ^ω^ )ノω^ )ノω^ )ノ    ♪ 明年参ろう また参ろう ♪
        └‐、   レ´`ヽ レ´`ヽ.  レ´`ヽ. 
           ヽ  ___ノ´`´_ノ´`´_._ノ´`´
           ( .(´  ( .(´  ( .(´.
           .`ー   `ー   `ー 

揃いの傾いた装束で拍子と鉦に合わせて踊り狂う一団に、元来踊り好きの元続も目を引かれ、城内に招いた。

その瞬間、
「かかったな、アホが!!」「き、貴様、吉川元春!おのれ、謀られたか!」
元春の合図で、踊り手に扮していた選りすぐりの吉川兵たちが、城内で暴れ始めた。
思わぬ奇襲を受けた元続は、たまらず城を捨てて逃走。元春はこの奇策による勝利を吉例として、
「南条踊り」と名付け、世に残した。現在では広島と、吉川氏が藩主だった岩国等に伝わる。

それにしても熊谷氏の戦力が欲しくてブサ嫁もらったり、秀吉を嫌うあまり隠居したりと
実用一点張りで融通のきかない元春が、この策のためにダンスレッスンとかやったりしたんだろうか。




260 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/10(土) 10:17:27 ID:YwqSSYxW
>>259
やはり戦勝祝いとか、祭りとかになると、気が弛みがちになるわな…
ベッキーが怒るのも無理ないか。

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:30:58 ID:jdKvYTxg
これか!

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=1575111
南条踊り


262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:46:57 ID:wLXN8v7o
最近、
吉川元春→秀吉大嫌いな猛将
小早川隆景→知将
というイメージから

吉川元春→秀吉大嫌いな知将
小早川隆景→ヒャッハー!最前線だー!
というイメージになった。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 10:49:59 ID:AqSByoYJ
隆景のイメージは俺の中でもずいぶん変わったよw
知将→ちょっと我侭な感じ

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:22:03 ID:UXiLdQGO
ドコの家も
お兄ちゃん→お兄ちゃん

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 12:50:16 ID:Z6IT8yrQ
>>262
隆景の知将ってのは戦場でのものだから、
(ヒャッハー!はともかく)「最前線だー!」ってのは大体合ってると思う。

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:03:29 ID:JYAvZfbo
隆景は戦場に出る前に色々考えて準備して臨み
戦場で接敵すると何も考えずに突進する感じ

267 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/10(土) 13:20:52 ID:7FoVZEct
>>264
どこの家も若貴兄弟みたいな気がする
いろんな意味で弟が特に

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:37:11 ID:WMDbevfH
隆元「・・・・・」

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 13:59:51 ID:8mRrF14W
池田家は長男がヒャッハーで次男以下が腹黒い

>>267
花田さんちは兄貴も別方向にDQNだからなあ

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/10(土) 20:12:16 ID:qDoJeGdX
>>260
尼子経久「正月も狙い目ですよ」

天正年間山陰某所

2010年02月18日 00:00

606 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/17(水) 17:17:48 ID:S4oBtxmj
天正年間山陰某所

伝令「吉川経家殿、森下中村両名自刃」
元春「何だよまた切腹かよ。最近流行らしいが大体な、切腹する奴って何なの?
    許してもらえると思ってんの?敵だからあんまり言いたくないが山名中務みたく降伏するもんでしょ普通」

元春は後に切腹→開城というパターンが主流になることをこのときまだ知らなかった




607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 18:45:35 ID:Vipd4Fwu
>>606
色々とおかしい
元春は吉川経家の忠義心に感服して感状だって送ってるのに
そんなセリフをどこの軍記物語で言ったの?

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 19:06:41 ID:sRKF/BSp
これは吉川経家が派遣された守将なのに腹切った事へ対する無念さをあらわしていると思うが
特にそもそも元の城主であった山名豊国が逃げてるし、山名の重臣二人が腹切ってるのに、お前が腹切る必要なんて無いじゃないか、という

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/17(水) 19:28:48 ID:Vipd4Fwu
>>608
なるほど…
しかし意訳しだいでただの無神経な奴にもなるのなあ

吉川元春の文学への関心

2009年12月28日 01:24

545 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/27(日) 00:08:51 ID:MLGNuEb8
有名な話ではありますが。

武勇を以て知られる吉川元春ですが、実は教養人としても有名で、尼子家・月山富田城を
攻めているときには太平記を書写しているなど、文学への関心も深かったそうです。
吾妻鏡(吉川本)が彼の下に巡ってきたのも、彼の文学愛好の故なのでしょうか。
父親にせがんだのかもしれません。

本当に元就の子どもたちは優秀だわ。




546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 00:11:15 ID:SlaT5LUP
そのうえ無駄にイケメン率が高い

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 00:15:16 ID:JZNNyjy/
そういや広島カープの小早川もイケメンだったな

吉川元春の嫁取り・いい話

2009年05月20日 00:13

695 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/19(火) 01:47:20 ID:9/F4EZJL
俺も話しずきだから、熊谷つながりで吉川元春の嫁取りの話を。
既出だったらゴメン。

元春がまだ毛利元春を名乗っていた頃だったと思うが、年頃になったので嫁さんが欲しいと考えた。
元春「どこにしよ?俺の嫁さん、どこからもらおう?」
元春は考えた。毛利家の次男坊とは言え、家を支える大将になるのだから。
そういえば姉は宍戸家に嫁に行ったな。確か宍戸家は・・・・かつて敵対していたっけ。
でも、姉が嫁に行った後は毛利と仲良くなって、その上、宍戸の義兄さんはなんだかんだといって父上を助けて
ものすごく信頼されていたなぁ。(後に宍戸家は毛利家親族衆筆頭になる。)
じゃぁ、かつて敵だとしても強い人の娘をもらえばきっと助けてくれるぞ。って、そんな家どこにある?

あったのである、熊谷家が。ここの当主は豪傑で有名だった。確かに敵でもあった。
実は熊谷家の先代当主は安芸守護職武田家と共に毛利元就と戦って討ち死にしていた。
対立はしているが、この頃は何とか毛利近在は落ち着いているからうまく話せばまとまるかも知れないし、
確かに娘がいた。
でも、その娘に大問題があった。

(続く)

696 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/19(火) 02:05:52 ID:9/F4EZJL
>>695続き
その頃、熊谷家でもその娘のことが大問題になっていた。
顔である。器量は戦国時代の夫人の基準はクリアーしていたようだが
なんと言っても顔に問題があった、醜女すなわちブス。婿のなり手無し。
これには熊谷家も困っていた。結婚相手がいない=同盟先無しである。
ヘタすれば熊谷家の浮沈にも関わる。

という事に元春が気付いた。そう、彼は脳内筋肉野郎ではない。
後年は戦陣においても戦の傍ら源氏物語の研究にいそしんだ男である。
彼はこう考えた。

熊谷家の問題の娘と結婚する→熊谷家恩義に感じる→熊谷強い→毛利と俺を助けてくれる。

こんな後ろ盾と同盟相手はいない!早速申し込んだ。それもオヤジの元就に無断で。
熊谷「君のところの父ちゃんが喧嘩した事と内の当主を討ち取った事は知っているよね?」
元春「がっつりと。でも、結婚したいんです。だからすっ飛んで申し込みにきました。」
熊谷「・・・・・ウチの娘・・・・しっているよね?」
元春「知っていますよ。知った上で申し込んでます。」
熊谷「・・・・・ありがとう、おじさんはうれしいよ。でも、一応、お父さんには言ってね。」

こうして、事後の手続きがどうなったかは別として結婚が成立したが、よっぽど失礼な事があったのか、
オヤジの元就は詫び状をしたためた。そこには「犬のような元春」を頼みますと入れて。

後年、元春の考え通りに熊谷家は毛利家とともに戦国動乱を戦った。一度も裏切ることなく、元春と共にあった。
元春は元春で件の奥さんとは仲良く暮らした。側室を一人も持たずに。
戦国時代が終わった後、吉川家も熊谷家も家を残した勝ち組となったのである。

独身諸君(俺も含む)。嫁探しには場合によっては顔以外に後ろ盾も重要かも知れませんぞ。

なお、元春の奥さんがブスというのは現代でも研究の余地があるとか。




697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 02:26:35 ID:1O5AicRQ
>>696
三兄弟そろって正室と仲睦まじかったんだよな毛利一統。

家の内のことを切り盛りして問題なく元春を支える器量があったんだから、
あとはもうアバタモエクボというか蓼食う武士は贅沢だ!というのか


698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 04:07:31 ID:2nkDbav4
>>695-696
くさくさすることがあったんで、ちょっとどころかものすごくいい話に聞こえる。

打算があったとしても、目的を成した後でもお飾りにせず、その後も仲良く暮らす元春の度量に惚れた。
一緒に過ごすうちに奥方の気立てや裁量、それこそどんな顔でも強く頑張る生き様とかに惹かれたとか、
顔もなかなか味があってこれはこれでかわいらしいわい愛い奴め、と情が移って幾星霜とかなのかな。
まぁなんだよ、後ろ盾の無い顔がアレな人はどうしたら良いんだろう(´・ω・`)

ところで、器量には人の器と女性の容姿、二つの意味があると思ってたんだが、
器量はクリアしていて顔は…とあって、ちょっと考えてしまった。
一般的なのは器の方なのかな。文の流れで判断しろってことだよね、ごめん。


699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 07:56:45 ID:vJHRUAYU
>>696
元就の詫び状は一種のフォローじゃね?多分

遺恨のある相手でもあるし(というか元就が当事者)そんな相手に
「お前の娘ブサイクで相手いないんだろ?困ってるみたいだし嫁にもらってやるよ」
としか解釈出来ない、お世辞にも上手いとは言い難い元春の行動

そりゃ下手に出るわな元就も

700 名前:667[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 10:04:06 ID:dk9C494B

>>695
俺の記憶が確かなら、元春は吉川継いだと同時に元服したから
毛利元春とは名乗ってないんじゃなかったかな?
それとも隆景の方だったかな?

701 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/19(火) 11:37:06 ID:6wvu4YG+
>>695
すまん、行田の方の忍(おし)か。俺思いっきりこう読んだんだ

>隣の忍(しのび)ばっかし有名で。→毛利か?(俺の理解)



702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 12:58:46 ID:CyPbVDTK
美人は三日で飽きるという事はブスも三日で慣れるという事ですかね

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 14:26:53 ID:agNH7Z8m
ブス専だった可能性もある 
錦帯橋で吉川元春の像を見たけど なんかお似合いな気はする

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 16:25:01 ID:yx2lhena
>>695-703
父親のおれは領地も武勲もないからな
人並みの器量に育って欲しい<娘

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/19(火) 21:29:03 ID:1H+Vvhio
>>695->>696
イワナガヒメだっけか、神話にもあるけど、昔の日本はブス=生命力、というような
呪術的な意味もあるから、武家にとっちゃブスはあげまんっちゅう考え方もあったらしい。

吉川元春「姫切」・悪い話

2009年04月19日 00:03

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 17:05:10 ID:AtBe+RG8
神話や説話、史話に登場する刀剣類のエピソードを集めたサイトを見てたんだが、
その中の「姫切」について。

「毛利元就の次男、吉川元春の所持していた脇指。ある晩、元就を訪ねた元春の後ろから、
元春の娘がついてきた。
抜き討ちに斬りつけると女は足早に逃げ去り、血を追っていくと岩穴の中に至った。
地を掘り崩してみたところ、女が死んでいたので、この脇指を姫切と名付けたという。」

元春のDQNっぷりに唖然としたんですが、これについて詳しい人いません?
ググってみても、「姫切」ではろくにヒットしないし、元春の逸話も嫁絡みばっかりだし、
気になって…




766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 17:34:01 ID:QXBx2fAi
>>762
何かよく分からないエピソードだな
元春の娘=女って事か?

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 17:34:38 ID:JrIS5bax
>>762
元就に会いに行く道中、誰か知らん女が付いてきていて、それを振り向きざまズバッと斬ったら
首がスポーンと逝った訳だが何故かその女はその場で倒れることなく走って逃げていった。
血の跡を辿って岩山に行き掘り返してみると、女が真の姿で死んでいたっつー話

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/18(土) 17:43:58 ID:AtBe+RG8
>>767
あぁー、オカルトな話だったって事か。ありがとうスッキリした。

吉川元長、眼光鋭い男・いい話

2009年02月18日 04:45

926 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/17(火) 14:45:22 ID:JPmo0WpH
眼光鋭い男

豊臣秀吉に謁見するために小早川隆景と吉川元長が上洛したときのこと。
元長の父元春は秀吉に屈するのを潔しとせず、
引退して元長に家督を譲っていた。
そういうこともあったから上洛した元長に殺気が漂っていたのか、
それとも元長が生まれ持つ気性なのかわからないが、
元長の印象を後日、秀吉が語るには、
「元長は父元春にも劣らない武将だと聞いていたが、
まさに百聞は一見に如かずであった。
とにもかくにも恐ろしい眼光の持ち主だったな。
この秀吉、鬼神さえ恐ろしいとは思わないが、
どうも元長の眼差しを見ていると、
なにかあればこの秀吉さえも斬りつけそうな風であった。
話していても、気が気でなく落ち着かなかったわ。」
と言ったという。




927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 14:46:36 ID:b/d44QKP
吉川家ととことん相性悪かったんだろうな

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 15:00:15 ID:e/bOhjXf
>>926-927
そしてくわんぴょうえを使って傷んだ鮭料理ショーにつながるわけですね分かります_

930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 15:07:18 ID:X3jsr7qd
>>926
太閤殿下は元春に対して先入観と劣等感がありすぎる

元春と隆景どっちが恐ろしいかって言ったら
隆景のが怖いだろう・・・
元春は温厚で優しい・・・気がする

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 15:11:28 ID:KzFUYzCm

         ____
       /      \
      /  u   ノ  \  >>930
    /      u (●)  \ 叔父上からの折檻・・・痛くて恐ろしかったですお・・・・・・
    |       ー (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ          ▼\
  /´               ヽ


946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 22:04:21 ID:udPZiipD
>>926
この話だけ見ると元長が恐ろしいやつのように見えるけど
本人の手紙とか見るとダジャレ好きで謙虚ないい兄ちゃんなんだよね
ついでに絵を描くのも好きみたい

やっぱり父の元春の件や仲の良かった経家が渇殺しにされた事とかで
秀吉にはあんまりいい印象を持ってなかったのかもしれない

吉川元春の子作り・いい話

2009年02月18日 04:43

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 15:24:09 ID:X3jsr7qd
元春の子作り

長男:元長1548年生まれ(前年に元春が妻を娶っている)結婚記念
次男:元氏1556年生まれ(前年に厳島合戦)厳島記念
三男:広家1561年12月生まれ(同じ年の1,2月頃に長男の元服)元服記念

娘の誕生年が分からんけど出来すぎじゃね?




942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 19:44:53 ID:tacZ7Rol
>>933
毛利三兄弟ほどじゃないにせよ吉川三兄弟もなかなか優秀だったようだな。
元長が早死にしたのが悔やまれる・・・。

結局三男の広家が継いだけどなぜ次男の元氏に継がせなかったの?

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 19:50:46 ID:HZEj7cyK
>>942
元長が死んだとき、元氏は既に他家に養子に入っていたからじゃないかな?

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 20:51:19 ID:SI4j/Evw
秀吉「まんじゅう怖い・・・吉川怖い・・・」
      :
      :
元長「ってな具合でさw」
毛利家臣団「元長さんGJ、あの猿に一泡吹かせてやりましたね」

その頃
秀吉「あ~まんじゅう怖い、怖いから食べちゃおw
   黒ちゃん、お茶とまんじゅう取ってきて」
黒田官「お茶と・・・饅「頭」取ってくるんですね・・・」
諸侯「毛利も馬鹿だなw」

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/18(水) 00:48:33 ID:BXQecEqu
>>933家運が開けると益々ハッスルしてしまう、ホットな夫婦だったのだろうねw

あ、確か向井兵庫正綱もおんなじような感じでぽこぽこ子作りしてたな
嫁さんは“鬼平”長谷川平蔵の先祖の家から来ていたがあんまり怖くなかったらしい