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亀蔵宮

2021年05月30日 18:48

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/30(日) 18:11:39.34 ID:XYUliaXg
岡崎城主の本多豊後守(康紀)は、元和年中に亀蔵と申す草履取りが
奥に仕る腰元のふくと申す女と密通したのを吟味した。

岡崎六本松にて2人とも搦め置き、10日に手爪を離し、10日に指
を切り、20日に足の爪指を取り離し、2日に両眼をくり出して2人
ともに成敗した。この2人は自らの科とはいえ七代の祟りをなさんと
言った。

この後、城にあらゆるケザヽをなし、これより六供で護摩を焼くとそ
の煙の内に2人がきっと立っている姿を、ありありと諸人は見た。

その頃、豊後守家中には新参古参があった。古参は岡崎能見山に愛宕
山と勧請申し、新参は龍海院山にて愛宕山と北南に勧請申した。この
時に亡魂収まり、これより愛宕の宮を“亀蔵宮”ともいうようになった。

さてまた豊後守殿には亡目の子が1人、両手の指が無い子が1人、口
の歪んだ子が1人いた。これらは亀とふくの業と沙汰された。今も若
宮ならびに新明、その後に立った両愛宕あり。業の程こそ恐ろしけれ。

――『三河東泉記』



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