fc2ブログ

伊予のマイナーな女武者

2021年07月10日 16:59

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/10(土) 10:15:35.92 ID:BZ3fWSNL
伊予のマイナーな女武者

慶長5年、伊予の国。惣津化粧城とも呼ばれる羽賀屋敷に暮らしていた羽賀台女が、男装して軍役に従事する。

彼女の父は天正14年の四国征伐で小早川隆景と戦い落城した木戸直周の娘で、武勇に優れて周囲に恐れられていた。

関ケ原の合戦に従軍した彼女は、帰還に際して市一之壺に神体を納め、牛の角・鏡・平貝石などと祀り、應神天皇を氏神とする正八幡神社と称した。

後に慶長18年、宮中より仲哀天皇・景行天皇・日本武尊・神功皇后・成務天皇を祭神として勧請し、帝王五社大明神と称した。

羽賀女も後世、羽賀大明神として末社に祀られ、今でも愛媛県砥部町に正八幡帝王神社として、戦国から江戸初期を生きた女武者は祀られている。



スポンサーサイト



伊予のマイナーな女武者の最期

2021年07月10日 16:58

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/10(土) 10:28:05.01 ID:BZ3fWSNL
伊予のマイナーな女武者の最期

木戸直周の娘である羽賀女は、父の城が落城後は羽賀屋敷で暮らし、周囲からは惣津化粧城と呼ばれた。

関ケ原の合戦では男装して従軍し、軍役を果たした彼女は應神天皇を祀って正八幡神社と称し、慶長18年には宮中より他の祭神を勧請して帝王五社大明神と称し、両社を奉祀していた。

そんな彼女の武勇を恐れた住民の中の悪者が、夜間に竹槍を繰り出して羽賀女の片目を貫いて殺害してしまう。

末期に羽賀女は、残された隻眼で仇敵を睨みつけ

「この恨みは片目の蛇となって、七生まで忘れまじ!」

と言い残して息絶えたという。

悪者は恐れて竹槍を井戸で洗い、その井戸は「飲まずの井戸」と呼ばれるようになった。

後に羽賀女は羽賀大明神として祀られ、明治42年に正八幡神社と帝王五社大明神が両社合併した時には、末社に合祀された。



841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/11(日) 16:36:50.41 ID:sJEq2hA8
>>836
大野芳我台(はがたい)と同一伝承?

名前、父親の諱(大野直周と木戸直周)、総津の城、
関が原に参戦、正八幡帝王神社、片目を負傷して死亡と大筋で共通点が多いし

842 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/11(日) 19:04:35.80 ID:0/jdLDzM
鉄は「くろがね」と読みます、後に黒金とも

戦後の政治家、黒金泰美はその子孫
池田隼人の側近衆で大平、宮沢の先をいっていましたが
汚職事件で失脚、映画にもなるほど
それで例の漫画では無視されてますね

843 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/07/11(日) 21:33:01.07 ID:0/jdLDzM
>>841
なるほど、まとめサイト過去記事の「四国の戦乙女の話をしよう。」ですね

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/07/12(月) 20:42:03.85 ID:o6BPcFLa
>>841様。

 ご教授忝く。四国の神社の逸話に乗っている分では、父の苗字が木戸になっていて、羽賀台についても「武勇を恐れられた」程度で狂暴だったみたいな記述は無かったので。

 逸話集では芳賀屋敷の脇には化粧水之井と呼ばれる泉があるとか、今も付近に片目の蛇が現存すると。