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徳永法印の西軍分析

2014年01月31日 19:01

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/30(木) 22:57:32.01 ID:nMv8pCNN
慶長5年(1600)、関ヶ原の役が進行している中、福島正則を始めとした東軍先発部隊が
関東より清須へ向かうという頃、徳永法印(寿昌)は徳川家康の御前で、このように言った

「今度の上方の敵は、西国の大名たちがきっと多くの軍勢を出して遠征してくるでしょうから、
天下の安危はただ我らの一挙にかかっています。誠に由々しき大事であります。

ただし、今度の上方の敵は大将のいない寄り合いの軍勢です。

安芸中納言(毛利輝元)、筑前中納言(小早川秀秋)、備前中納言(宇喜多秀家)、この3人は
分国に大小ありといえども、同位の国持です。
また岐阜中納言(織田)秀信は、小身ではありますが信長公の嫡孫であることを誇りとし、
人の風下に立とうとはしない人物です。
こういう状態ですので、何れを大将とも定め難く、互いに威勢を争って、それぞれの命令を
聞こうとはしないでしょう。
また、石田三成がいかに奉行顔をして人に誇ろうとも、先の者達の中に彼の命令に従うという者は
いないでしょう。

そうである以上、彼らの中には同位の傍輩の命令に従うということを無念に思って、我らの方に参る、
という者も出てくることでしょう。

また、例え我らに降参してこなくても、諸大将が心々に振る舞うような状況では、軍勢の統帥は無く、
戦に利はありません。
然らば、今度の御合戦、御勝利間違いありません!」

徳永は美濃の案内者であったので、彼も先発隊へと派遣された。

(黒田家譜)

関ヶ原における、徳永法印の西軍分析である。




453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/31(金) 07:24:23.28 ID:Xg1VsbmI
>>446
法印さんのいい情勢分析じゃないの?

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徳永寿昌「不思議だな」・悪い話

2008年12月24日 00:03

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 06:15:10 ID:SZxkKyda
美濃の小大名である徳永寿昌、彼は関ヶ原の際にわずか2000足らずの兵で大暴れした。
高須城を攻めた時、守将高木盛兼の手元にはわずか200の兵しかいなかった。
徳永は隣人であり、既知でもある、同じ美濃の小大名の縁で開城を勧告した。
「そう言われても一戦も交えず降伏じゃ武名に傷つくしなぁ」と言われたため、
「お互い空鉄砲で戦うふりだけでもしましょう」と使者を送る。
それじゃと高木さん、翌日は空鉄砲で適当に戦う振りだけをした。
一方徳永さんは「俺はいつでもガチだぜ!」と猛烈に攻めかかる。騙されたと気付くも時遅く、高須城は徳永の手に落ちた。
後年この事を聞かれると「不思議なことに下まで命令が届いてなかったようで」と言い切ったという。



573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 07:36:06 ID:x+g4Pdnd
こりゃ悪いw

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 08:51:13 ID:5qzhbDW1
不思議なこともあるもんだなー(棒

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 09:29:34 ID:XrIlcYD0
正統派の小悪党きたなw