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犬坊の墓

2021年08月14日 16:59

関盛国   
922 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 11:07:37.19 ID:rWBMkbqp
犬坊の墓

武田信玄が侵攻する前の南信濃辺りでは当地の豪族達が争っていたが、現在の長野県阿南町辺りでは関氏と下條氏が当地の覇を競い争っていた。

関氏は和知野川から南の下郷5ケ村を所領としていたが、高冷地で実入りの少ない土地であったため、戦を重ねて大下条周辺の18ケ村を領土に加えていた。

関氏最後の当主である関新蔵盛国は驕り高ぶり、住民たちを酷使して5年間に3つの城を築き、石材を無理やり運ばせ怠ける者には薔薇の棘を打ったりと過酷な賦役を課し、
年貢を厳しく取り立て婚礼にも重税をかけ、鹿狩りと称して山中の木こりや旅人を鉄砲で撃ち殺すなどやりたい放題を重ねていた。

一族の重臣たちの言葉にも耳を貸さず好き勝手やり放題の関盛国であったが当然目下の者達の心は離れていき、
その状況を知ったライバルの下條氏は天文13年(1544年)に月見の宴を行っていた盛国の最後の居城・権現城(またの名を和知野城)に夜襲をかけた。

先述の事情から城内の者達は寄せ手に寝返る者も多く、盛国に目を掛けられていた犬坊という18歳の若者は盛国の愛刀の目釘を抜き、弓の弦を切って
自身は台所の窯の陰に隠れて盛国が来るのを待ち受け、盛国が現れたところへ槍で突いて殺し部下の坊主に城へ火をつけさせ、こうして
権現城は落ち、関氏は滅んだのである。

この功を賞され、下條氏から大小の刀と米12俵の目録を拝領して意気揚々と帰ってきた犬坊であったが突然狂いだし、どこからともなく白い斑模様の犬が目の前に姿を現したのを見て
うぁぁぁ も・・・盛国どのが練り歩いている!!

と叫んで刀を抜いてその犬に切りかかったところ、足を滑らせて転んだところに犬が飛び掛かり喉笛を嚙み千切って犬坊を殺してしまった。
人々は犬坊は恩を被った主君を裏切った報いを受けたのだと語り継いだという。

死んだ犬坊は人々によって葬られたが、そこには犬の頭を頭上に乗せた人物の像が墓碑と共に安置されている。
ちなみにこの逸話を基にして井上靖は昭和32年に『犬坊狂乱』という短編を書いている。

参考サイト
阿南町ホームページ
http://www.town.anan.nagano.jp/kanko/cat258/000375.html
日本伝承大鑑 犬坊の墓
https://japanmystery.com/nagano/inubou.html

923 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 11:15:36.69 ID:rWBMkbqp
余談だが似たようなお話が毛利元就に粛清された吉川興経にもある。

「対モンスター用暗殺計画」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4213.html
吉川興経の墓と犬塚
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10261.html

こちらも暗殺前に裏切り者によって愛刀の刃が潰されていたり、得意とする弓の弦が切られていたり忠誠心の強い近臣が遠ざけられていたり
結末は愛犬が主の首を持ち去って故郷へ戻って息絶えるという悲劇的な話だけど、犬(家臣のことという考察も)が関わっていたりすることとか話が共通しているのはたまたまなのだろうか?

924 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 11:37:57.82 ID:rWBMkbqp
さらに余談
吉川興経、化ける。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-10263.html

吉川興経はデュラハンの様な化け物になったり、夜な夜な光って飛ぶUFOみたいな物になったりしているが、
関盛国(盛永?)は特にそういうものになって祟ったなどと伝わってはいない。
ただし、その奥方であるお万の方には夕顔という怪異譚が残っている。



927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/14(土) 22:25:37.72 ID:qmMcYyN5
>>924
侍に怨霊なし、と古来謂う。
化けて出るなど覚悟が足りない。

討つ者も 討たるる者も 土器(かはらけ)よ くだけて後は もとの土くれ  -三浦道寸 辞世-

929 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 22:54:35.81 ID:rWBMkbqp
>>927
三浦道寸の息子の義道も首だけになって小田原まで飛んでって、道端の木に引っかかって通りすがる人間が義道の首見たらタヒぬって言うメデューサかジオングみたいた逸話の持ち主やんけ

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/15(日) 03:39:29.07 ID:M58v8E3I
>>929
将門公といい関東の人間は首だけで飛び回るのが流行ってるのか?

932 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/15(日) 09:25:00.36 ID:SsJkB02U
>>931
https://japanmystery.com/kanagawa/igami.html

コレを読むと生前から化け物みたいな猛者ぶりなんだけど、死んだ場所の100間(182m)四方は、今なお田畑を作らず、草を刈らない。牛馬もここの草を食べると死ぬのを知っていて、他の獣も入らない

首になっても3年生きた

と言う本当に核融合で動くモビルスーツかなんかだったんじゃないの?って思いたくなる話もある。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/17(火) 20:43:21.56 ID:vL/XYhmt
>>922
また甲斐の犬だしヤる気を見せたら噛み殺してくるよな・・・(´・ω・`)
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赤い夕顔

2021年08月14日 16:58

関盛国   
925 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 13:01:03.00 ID:rWBMkbqp
赤い夕顔

>>922の話で落城した関盛国(永)の居城、権現城であったが盛国の奥方であるお万の方は5歳になる息子、長五郎を連れて城から落ち延び
郷里である浪合を目指して逃れようとした。
その途中、天龍村の向方のある家の傍にて長五郎が夕顔が欲しいと言ったため、お万の方は夕顔の花を摘み取り長五郎に与えたところ
その様子を見ていたこの家の家人は腹を立て親子を殴った。
殴られたお万の方は「この家の夕顔は来年赤くなる」と口にしその場を去ったが、次の年の夏から本当にそうなったためこの家では夕顔を育てなくなったという。

お万の方と長五郎はこののち、戸口(天龍村)の伊藤惣十郎を頼ったがそこで騙され殺害されたという。

同村の大河内地区にお万の方と長五郎の墓があり、その傍らには大きな柴藤が植えられておりお万様の富士と呼ばれている。
毎年10月12日には瑞光院の住職を招いて読経が行われ供養祭が開かれている。

『長野県史 民俗編 南信地方 ことばと伝承』『赤い夕顔の花(絵本 伊那谷ものがたり)』などより

参考サイト
お万様の墓と藤
https://www.82bunka.or.jp/bunkazai/detail.php?no=912&seq=0
国際日本文化研究センター
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/C2020377-000.html
らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
https://ranmaru99.blog.fc2.com/blog-entry-768.html
ほか天龍村村長のブログなど

926 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 22:18:44.87 ID:rWBMkbqp
関氏を下した下条時氏と信氏親子はこの後、信濃守護・小笠原家の下で信濃へ侵攻してくる武田信玄に反抗するも、後に臣従して武田信玄の妹を信氏の正室に迎え、秋山信友配下の信濃先方衆として三河攻めや川中島の戦いに参加。

下条信氏は秋山信友の麾下で岩村城代を務めたものの、織田家の甲州征伐で一族の下条氏長や家臣らの謀反にあい三河にずらかり潜伏し、同地にて信氏と長子信正は死去。

天正壬午の乱で徳川家康の後援を受けた下条信氏の弟・下条頼安と信正の子・牛千代(康長)が毛利秀頼退去後の飯田城に入ったかつて甲州征伐で謀反した下条氏長を暗殺して下条の家督を継ぎ、そのまま家康に仕えたけど第二次上田合戦で下条康長は逐電し、信正の曽孫である下条氏定はのちに小倉藩の小笠原家に仕えて元鞘に戻ったと言う。



930 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/14(土) 23:22:17.28 ID:rWBMkbqp
>>926
この、下条親子が甲州征伐で領地の南信濃を追われてから下条頼安が当主として復帰するまでの経緯。
そして、頼安が徳川家康配下となってから活躍したのち同じく徳川配下の小笠原信嶺と争った後、小笠原の娘を妻に迎えて和解したのに騙し討ちで殺害されるまでの話、

下条康長が家康の一字をもらって跡を継いだけど、家中内紛で没落していく一連の流れは酷過ぎて笑えないなぁ… 仁義なき戦いもびっくりな地場ヤクザの抗争だぁ…


下条頼安、小笠原信嶺に騙し討ちにされる
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7731.html