423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/15(日) 17:54:47.15 ID:k5etnI5V
信長と家康から名前を賜った男
塚原渋柿園の『江戸沿革私記』から町年寄樽氏の名前の由来
元ネタは江戸期の文献『市尹要覧』とのこと
樽氏の先祖樽三四郎は水野忠政の七男忠頼の次男で、幼名を弥吉という。東照公とは従兄弟
同士の間柄であるので幼少から御側に召し使われ十六で元服した。その時諱を一字賜って
康忠と名乗った。元亀三年の三方が原の戦いの時、弥吉時に年二十四、
一日のうちに甲斐の名のある侍の首を十二取って奉った。公大いに称賛されて三四郎の
名を賜った(三四十二のしゃれ)。天正三年長篠の戦いに従軍して酒樽を奉った。公は
この酒樽を織田殿に贈った。この日三四郎、敵の勇士と聞こえた松下金太夫と槍を合わせて
打ち取り、首を取って奉った。その首が織田殿の御前に出された時、信長ご覧になって
「この首は先に贈ってきた樽の手柄か」と仰せになったので、これによって氏を樽とした。
またこの戦の時、三四郎が桔梗の花を奉ったのに対して、「合戦の吉凶(ききょうときっきょう
は音が通ずる)を占うのに屈強のものである。この花、今を盛りと咲いている。この戦必ず勝つ
であろう」と喜ばれた。これにより家紋に沢瀉(おもだか)と共に桔梗を用いるようになった。
後に三四郎過ちあり、勘当されて流浪したが、江戸に来たところで、公と従兄弟のちなみはあり
名高い勇士でもあるので、市中の者の尊敬を受けて自然と宿老のようになり、ついには
町年寄を命じられた。
信長と家康から名前を賜った男
塚原渋柿園の『江戸沿革私記』から町年寄樽氏の名前の由来
元ネタは江戸期の文献『市尹要覧』とのこと
樽氏の先祖樽三四郎は水野忠政の七男忠頼の次男で、幼名を弥吉という。東照公とは従兄弟
同士の間柄であるので幼少から御側に召し使われ十六で元服した。その時諱を一字賜って
康忠と名乗った。元亀三年の三方が原の戦いの時、弥吉時に年二十四、
一日のうちに甲斐の名のある侍の首を十二取って奉った。公大いに称賛されて三四郎の
名を賜った(三四十二のしゃれ)。天正三年長篠の戦いに従軍して酒樽を奉った。公は
この酒樽を織田殿に贈った。この日三四郎、敵の勇士と聞こえた松下金太夫と槍を合わせて
打ち取り、首を取って奉った。その首が織田殿の御前に出された時、信長ご覧になって
「この首は先に贈ってきた樽の手柄か」と仰せになったので、これによって氏を樽とした。
またこの戦の時、三四郎が桔梗の花を奉ったのに対して、「合戦の吉凶(ききょうときっきょう
は音が通ずる)を占うのに屈強のものである。この花、今を盛りと咲いている。この戦必ず勝つ
であろう」と喜ばれた。これにより家紋に沢瀉(おもだか)と共に桔梗を用いるようになった。
後に三四郎過ちあり、勘当されて流浪したが、江戸に来たところで、公と従兄弟のちなみはあり
名高い勇士でもあるので、市中の者の尊敬を受けて自然と宿老のようになり、ついには
町年寄を命じられた。
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