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信長と家康から名前を賜った男

2021年08月16日 16:50

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/08/15(日) 17:54:47.15 ID:k5etnI5V
信長と家康から名前を賜った男

塚原渋柿園の『江戸沿革私記』から町年寄樽氏の名前の由来
元ネタは江戸期の文献『市尹要覧』とのこと

樽氏の先祖樽三四郎は水野忠政の七男忠頼の次男で、幼名を弥吉という。東照公とは従兄弟
同士の間柄であるので幼少から御側に召し使われ十六で元服した。その時諱を一字賜って
康忠と名乗った。元亀三年の三方が原の戦いの時、弥吉時に年二十四、
一日のうちに甲斐の名のある侍の首を十二取って奉った。公大いに称賛されて三四郎の
名を賜った(三四十二のしゃれ)。天正三年長篠の戦いに従軍して酒樽を奉った。公は
この酒樽を織田殿に贈った。この日三四郎、敵の勇士と聞こえた松下金太夫と槍を合わせて
打ち取り、首を取って奉った。その首が織田殿の御前に出された時、信長ご覧になって
「この首は先に贈ってきた樽の手柄か」と仰せになったので、これによって氏を樽とした。
またこの戦の時、三四郎が桔梗の花を奉ったのに対して、「合戦の吉凶(ききょうときっきょう
は音が通ずる)を占うのに屈強のものである。この花、今を盛りと咲いている。この戦必ず勝つ
であろう」と喜ばれた。これにより家紋に沢瀉(おもだか)と共に桔梗を用いるようになった。
後に三四郎過ちあり、勘当されて流浪したが、江戸に来たところで、公と従兄弟のちなみはあり
名高い勇士でもあるので、市中の者の尊敬を受けて自然と宿老のようになり、ついには
町年寄を命じられた。



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