62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/09/23(木) 21:41:32.17 ID:Sox3FW2z
薩摩藩の「本藩人物誌」より伊地知周防守重興について
永禄年間では肝付兼続に与党し貴久公に敵対していたが天正二年に先非を悔い大隅五箇所を進上し剃髪して降参。
その後還俗して義久公が諏方社後参詣の時には騎馬にて跡に付き従い、大友との戦の際にも従軍した。
天正八年二月十三日卒。
付記
重興は豊後より召し出した女を妾としていたが、家中の者と蜜通したため、その女を櫃(ひつ)に入れ、蛇(くちなわ)を多く入れ、垂水の池につけて殺した。
家臣の柳田某が池の岸から櫃を竹の棒で押し出したそうだ。
その恨みにより強く祟ったため、御前と敬称をつけ、赤明神という名前で氏神として祀ることとなった。
右の柳田某も禿げてしまったそうだ。
薩摩藩の「本藩人物誌」より伊地知周防守重興について
永禄年間では肝付兼続に与党し貴久公に敵対していたが天正二年に先非を悔い大隅五箇所を進上し剃髪して降参。
その後還俗して義久公が諏方社後参詣の時には騎馬にて跡に付き従い、大友との戦の際にも従軍した。
天正八年二月十三日卒。
付記
重興は豊後より召し出した女を妾としていたが、家中の者と蜜通したため、その女を櫃(ひつ)に入れ、蛇(くちなわ)を多く入れ、垂水の池につけて殺した。
家臣の柳田某が池の岸から櫃を竹の棒で押し出したそうだ。
その恨みにより強く祟ったため、御前と敬称をつけ、赤明神という名前で氏神として祀ることとなった。
右の柳田某も禿げてしまったそうだ。
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