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宍戸氏の毛利氏への帰順

2022年12月07日 18:42

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/06(火) 22:52:48.42 ID:bvkRYqkY
朝野雑載」から宍戸氏の毛利氏への帰順

宍戸隆家の先祖は源義朝と妾との間に生まれた八田知家であった。
平治の乱の時に源氏が禍にあったため、藤原氏の子として難を逃れ、のちに頼朝に属した。
その八代孫は安芸に下り、宍戸朝家と号した。
それからまた数代の子孫である宍戸元源は甲立城(五龍城)を領有し、毛利元就の郡山城、高橋権頭(高橋興光?)の猪掛城と鼎立を成したがいに争っていた。
あるとき毛利元就は甲立城に出向いて宍戸元源と対面し
「我が祖先・大江広元は源頼朝の家臣であり、御辺の先祖は頼朝の兄弟であります。
それなのに御辺に対して戦をするのははなはだ無礼といえますので、降参いたします」
と言うと元源は大いに感動し
「御辺は我より大身であるから降参とはもったいない。我らが降伏いたしましょう。
どうか嫡子隆家(宍戸隆家は元源の孫)を婿として取り立ててください(元就の娘の五龍局を正室にする)」
このときから宍戸氏は繁栄し、隆家の三女(清光院)は毛利輝元の内室となり、隆家嫡子の宍戸元秀、その嫡子の宍戸元続も八万石を有し朝鮮にて数度功名を成した。
元続の娘を輝元の養子とし、小早川秀秋に嫁がせた。



499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/06(火) 23:50:43.00 ID:EFubGdPK
獅子泥鰌

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/07(水) 11:50:22.25 ID:ZltX1f5j
嫁が不細工だと整形するしか手がない子孫カワイソス

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/07(水) 12:34:53.74 ID:14zCj7Y+
不細工なのは五龍局と仲の悪かった、新庄局(吉川元春の妻)
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私一人当城に残り留まって

2021年10月23日 16:25

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/23(土) 15:12:10.36 ID:ME8xMoQB
宍戸家の譜代の侍である中村四郎兵衛尚種は、石見国矢筈の城の加番として籠め置かれていた所に、
尼子勢がかの城を取り囲んで攻め働くこと、天柱も折れ坤軸も砕けるほどのの激しさであった。
このため城番の諸卒は日々夜々落ちていき、ついには尚種ただ一人が残った。
彼は尼子勢を程近くまで引き請けると矢倉に上り、敵勢に矢留を乞うて声高に叫んだ

「当城は毛利方が相抱え、そのため各方が取り囲んだ所、城番の者たちは番頭を始め
腰抜けの集まりであったので皆々落ちていった。

私は、宍戸安芸守隆家より加番として差し籠められた中村四郎兵衛尚種と申す者である!
誰であっても命は惜しいものだが、我が主君隆家は軍法厳密にして制している故に、
死を遁れることは出来ない。私一人当城に残り留まって、只今切腹に及ぶ。
敵方の心有る人は、その首を取って大将の見参に入れてほしい。残った屍は痩せた犬を肥えさせれば良い。」

そう言うと腹を掻っ切って死んだ。
この事を味方は全く知らず、矢筈の城は落城したとして味方の勢は皆撤退したというのに尚種が未だ
帰ってこないのは、追討ちに遭って討たれたか、または捕虜と成ったのだと考えていた。
そのような所に、尼子勢は彼の志に感じ入り、毛利方へ首を送り尚種の最後の様子を詳しく言い伝えた。
これを聞いて宍戸隆家を始め各々鎧の袖を濡らし、このため子孫には褒美の地が与えられ、今に至るまで
その勇名が表彰され子孫も保たれている。

(宍戸記)