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「大友興廃記」より臼杵鑑速、聴を誅すること

2021年10月28日 18:18

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/27(水) 19:26:39.86 ID:+Gpuuju2
「大友興廃記」より
臼杵鑑速、聴好(あきよし)を誅すること

永禄11年4月上旬、佐賀関に28歳位の禿(かむろ)が来た。
髪は長く、容姿端麗、変わった身なりだったためどこかの公家殿の上人ではないかと噂された。
男は学識豊かであったため、春日神人という富貴の巫女が興味を持ち男を住まわせ、神道や歌道や源氏・伊勢について講義させた。
巫女が男に素性を尋ねたところ「聴好(あきよし)」とだけ言った。
しばしば行方をくらましては数日後にやってくるため周りも怪しんだが、沈香・麝香の香りをたたえ、憂いを含んだ眼差しをしているため不信は消えてしまった。
佐賀関の代官からこの男の話を聞いた臼杵鑑速は
「近頃、大内義隆の領地を継いだ毛利元就が九州にも手を伸ばそうとしていると聞く。
もしかすると容姿端麗な者を間者として潜入させ、宗麟公に取り入ろうとしているのではないか?
早々にこの者を誅すべきである!」
と疋田次郎左衛門尉に申し付けた。
疋田は理由を知らせず殺すのもかわいそうだと思い「太守(宗麟)の命令で誅伐する」と述べたところ
聴好はおどろかず「理由は知らぬが太守の命令であれば仕方ない」
と「朝ニハ紅顔アリテ夕ニハ白骨トナレル身ナリ」というような内容の詩を書き、
「本望を達せられなかったか」と髪をほどき、首を疋田に差し出したため、疋田は仕方なく首を刎ねた。
周りのもので涙を流さぬものはいなかった。
本望というのはおそらく宗麟公に近づき籠絡する計略だろう。鑑速は思慮深いことであった。
その後、聴好は祟り神となり近隣を悩ませたため、春日神人は聴好の宮を立てて崇め奉った。

※九州研究会の秋好政寿氏による翻訳のまとめ


104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/30(土) 20:02:55.69 ID:yReS1zpI
>>102
今更ながら訂正
28歳くらいの→二八(16歳)くらいの
九州研究会→九州歴史研究会

また大正14年刊行の山田宇吉「佐賀関史」にも同じ話が書かれており、そこでは聴好の正体は長門国美祢郡秋吉の領主、秋吉清忠の嫡男秋吉左門という、毛利元就の近侍の士で
聴好(あきよし)は秋吉と同音の字を使った変名だったようだ、と書かれていた
ついでに「大友興廃記」の原文見たら春日神人は「いとわかき女房」と書かれてたから聴好も巫女も想像より10は若かった


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