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勝沼と徳本

2021年11月23日 16:37

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/23(火) 12:48:42.61 ID:HYh4coue
小松帯刀編「永田徳本翁伝」より

甲斐の峡中、勝沼郷なるものは古よりもっとも葡萄栽培を以って天下に名あり。
いわゆる勝沼葡萄なるものこれなり。
元和元年某月、翁は祝村に来たり。
豪農雨宮作左衛門の祖先某と謀り、葡萄の性質を精査し遂に棚造りの方法等を按出し、
栽培上の面目を更新するを得たりとぞ。
けだし徳本の栽培法を研究してあまねくこれを説示したるの余沢によりて今日の名産たるを得たるか。
ゆえに土俗その遺勲を遺つるに忍びず、寛文七年、甲斐徳本の祈念碑を雨宮作左衛門の所有地なる葡萄園の字茶畑に建設せり。

まとめサイトのコメント欄で徳本がブドウ栽培を奨励したことが出ていたので、ぶどう郷として名高い勝沼と徳本の話を。
1597年に来日したフランチェスコ・カルレッティによれば
日本では葡萄をpergola(つる棚、藤棚の仲間)に使用しているとか書いてるから、棚栽培に際してそこからヒントを得たのかもしれない。



823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/23(火) 18:42:33.43 ID:yZAj44mN
そういえば、勝沼のワインって魚介類にも合うんだっけか

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/23(火) 21:41:02.22 ID:4aNdqNHw
そんな昔から葡萄作ってたのか!

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/23(火) 22:57:06.58 ID:Mq7PFTiK
そらもう平安初期作の葡萄を持った薬師如来を祀る寺があるんだからな、勝沼。
少なくとも平安初期には既に勝沼と葡萄は所縁深い。
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姥捨山神医の清談

2021年11月21日 16:01

816 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/20(土) 20:05:01.02 ID:SFSJQDUZ
1902年出版、小松帯刀編「永田徳本翁伝」(永田徳本を顕彰した本)より「姥捨山神医の清談」
小松帯刀といっても薩摩家老ではなく(そちらは明治初めに死んでるし)代々信州の漢方医の家系らしい
この話自体は「寛永宮本武蔵伝」のような講談の一部のようだが信州では伝説扱いされていたようなので投稿
(なお「世界人物逸話大事典」でも永田徳本の逸話として紹介されている)

寛永年間に当代の英傑、松井民次郎平茂仲が兄の仇討ちをしようと諸国を経めぐる中で、ふと信州姥捨山の名月を見ようと思い立ち登山。
そこへ出羽で以前見かけた大猿が来たため、なんだろうと大猿の案内する跡をつけると庵があり、中から七十くらい
(徳本は武田信虎に仕えたとされるためこの頃は100歳以上。なお享年118で信州で没したとされる。)の老翁が現れた。
老翁「あなたは羽州の松井民次郎殿ですね。羽州の仙女からあなたがこの山に来ると聞いたので、この猿に案内させました。
私は甲斐の永田徳本という者で、先年江戸で将軍様の御病を治しましたが栄達を好まないためこうして深山に籠っております。」
民次郎「かの神医と呼ばれる徳本先生ですか、しかしせっかくの医術をこのような山奥に埋もれさせるのはもったいない。
せめて弟子などを育て後世に伝えていくべきではありませんか?」
徳本「扁鵲・華佗といった名医もその技術は伝えられずじまいです。
わたしも今まで医術のあらましは伝えてまいりましたが、微細なことは口では伝えることができませんでした。
東漢(張仲景「傷寒論」など)以来、医書が汗牛充棟と溢れてるにも関わらず、良医より藪医者の方が多いのもこのためです。」

817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/20(土) 20:06:32.78 ID:SFSJQDUZ
民次郎「しかし何のために私をお呼びになったので?」
徳本「御不審はごもっともです。近来この山奥にヒヒに似た異獣が棲みついており、時たま里に出ては人を喰らうため難儀しております。
百人力の英雄であるあなたであれば退治してくれるだろうと思い、こうしてお願いするしだいです。」
民次郎「暴虎馮河は戒めとしておりましたが人々に害をなす異獣となれば命を尽くしましょう。」
徳本は大いに喜び、民次郎を粥で饗応し
徳本「かの怪獣はいつも暁天にこの大岩の上に現れます」と案内。
民次郎が岩のそばの木の上で待っていると、夜が白みだしたころ、
一丈余りの、熊のように体が黒く、頭の毛は緋のように赤く、顔は獅子のようで、
左右の手の爪は竜のようで、古狼を瓜のように割いて喰らう異形のものが現れた。
民次郎がかつて羽州の仙女より授けられし手裏剣を怪獣の襟元に突き立てたところ、怪獣は暴れだし、周囲を見渡し、木の上の民次郎を見つけ、襲ってきた。
民次郎はもう一本の手裏剣を怪獣に投げ、胸板から背中まで突き通し、怪獣はのたうち回って突っ伏した。
民次郎が木を降り、怪獣の様子を見ようと近寄ると、怪獣はまだ息絶えておらず、起き上がり民次郎を襲ったため、民次郎は慌てず怪獣を蹴り倒し、そのまま首を打ち落とした。
すると山中の獣すべてが歓びの鳴き声を上げ、怪物の死骸にとりつき、首を残して、あっという間に四肢を食い尽くしてしまった。

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/20(土) 20:08:29.53 ID:SFSJQDUZ
そこに徳本が杖をつきつつ飄然として現れ
徳本「あなたのような壮士の英武に頼らなければこのような悪獣を滅ぼすことはできなかったでしょう。
一国の人民の悦び、これ以上のものはありません」
民次郎「なんの匹夫の勇、称賛するほどのことでもありますまい」
微笑みながら徳本「いやいや多くの人民を害した悪獣を滅ぼし、国家の害を取り除いたのです。なにが匹夫の勇でしょうか」
とそのまま獣の首を庵の庭まで運んだあと、一巻の書を取り出し
徳本「これは養生の書ですが、凡庸の者が読んでもさきほど申しましたように役に立ちません。
あなたのような異才の方が熟読してこそ、百歳、二百歳の長命が得られ、国家の至宝として活躍できることでしょう。
今日の謝礼のため、いささかなものですがどうかお受け取りください」
すでに辰の刻近くとなったため、民次郎はねんごろに暇を告げて庵を後にし、徳本は名残を惜しみ庵の外まで民次郎を見送った。

とほとんど仙人扱いされた永田徳本の話でした



甲斐の徳本一服十六銭

2021年11月18日 18:41

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/18(木) 18:24:01.44 ID:Iw0YGaJa
明治大正の国学者、宮地厳夫による「本朝神仙記伝」から「甲斐徳本」
甲斐徳本は、永田氏なり、その父母及び生国を知らず。
伊豆、武蔵の間を行きめぐひ、薬籠を負いて、甲斐の徳本一服十六銭と呼びて薬を売り歩く。
江戸に在りける時、徳川大樹(秀忠)病あり。
典薬の諸医手を尽くせども、験(しるし)なかりけるに、誰が申しけむ、徳本を召して治療をなさしむ。
不日にして平癒したり。是に於いて大樹の喜悦ひとかたならず。
賞を遣わすべしとて、種々の物を与えられけれども、敢えて受けず。
ただ例の十六文に限る。薬料をのみ申し下したりければ、人皆その精白を称しあえり。
されば大樹にも此よしをや聞かれけむ。何にまれ願う事あらば、申し出よとの命しきりに下したりければ、
されば我が友のうちに、家なきを悲しむものあり。これに家を賜らば、なお吾に賜るがごとくにならむと申しし程に、
即ち甲斐国山梨郡の地に、金を添えて賜りぬ。
やがて其の者を呼びてとらせ、その身はまた薬を売りて行方知らずなりしとなむ。
この老翁の著述、「梅花無尽蔵」と題する書あり。
上梓して世に伝えられたり、薬方古によらずすこぶる奇なり。
薬名もまた一家の隠名を用う。けだし仙人の化身なるべしといえり。

秀忠の病気を治療しても十六文しか受け取ろうとせず
秀忠がもっと褒美を出したい、と言ったところ、友人のために家をもらい自分は去っていった清廉な名医・永田徳本の話。
中里介山「大菩薩峠」には十八文しか受け取らない道庵先生といえ名医が出てくるが、そのモデルかも。




797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/18(木) 20:32:27.34 ID:9NtCvpnO
>>796
著名な話ではあるが原文で読むと味わい深いね
16文はざるそばの価格

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/11/18(木) 22:11:30.14 ID:c0Qw0QiZ
トクホンの由来である