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清州会議後の情勢と丹羽長秀

2020年04月11日 14:48

969 名前:1/2[sage] 投稿日:2020/04/11(土) 01:21:52.15 ID:CIFVpg9h
秀吉卿は天正十年十月十五日、信長公の御葬儀を相勤め、以来城南の宝寺を城郭と成し(山城国山崎城)、
梁于を畿内に棟、万民を撫育し、城介信忠卿の御若君が信長公の嫡孫であったので、江州安土山へ据えられた。
北畠中将信雄卿を、若君が15歳に成らせ給う迄の御名代と成し、諸事御計らいあったが、これも安土山に
置き奉り尊崇した。頗る君臣親愛の様子が巍然としており、まさに忠臣と言うべき姿であった。

秀吉卿は真に小柄な人物であったが(秀吉卿ハ真小輩之人なるか)、数ヵ国を領するのみ成らず
若君を守り立てるというのも名のみであり、実際には天下の政務はこの人に有った。そのため
故将軍(信長)の如く、威は月を追って加わり、禄は年を追って増した。これ偏に離倫の才知、絶類の武勇に
よってのものである。

然るを、小智小見なる傍輩はこれを妬み、これを悪む事甚だ以て浅からず、とりわけ深く妬み思うは、
修理亮(柴田)勝家に極まっていた。京童のうち、秀吉卿に頼り幸いいみじき者を。柴田方の町人は
羨みつつ、越前に至って秀吉卿の威勢の程を語るため、妬心は日々に生じ怨みは月々に増した。
これ誠に、古今不易の同情である。

これによって、柴田勝家は瀧川左近将監一益と与し、縁者でも有ったので、相談して言いけるは
「秀吉は、今若君を安土に置き奉り、おのれは後見として天下の裁判自由に至り、是非に及ばずとは
この事どもである。彼は、贔屓のものにはその沙汰快しとし、頼る者には粗略がないという。
今、小さな葉の内に切り取らねば、後日斧を用いることに成るだろう(「両葉不去、将用斧柯」の故事)。」
こうして織田三七信孝にありましを申し上げ、秀吉を押し下さんと謀った。

かくて丹羽五郎左衛門尉長秀を「この赴きに与してほしいと御頼みされるべきだ。」と瀧川より指図があり、
信孝より三宅中記が派遣され、長秀へ委細に仰せに成ると、
「秀吉が後見であることを嫌い、他の誰かにその沙汰が及んだとしても、若君幼稚の間は悪口両説を
絶えて申すまじき事、よくよく思召しに成るべきです。」
とだけ申し、しっかりと「与する」という返事はなかった。

長秀はこのように考えていた
「天下の裁判は、中々勇猛に達しているだけでは、古今成らざる例、和漢甚だ以て多い。
武勇を以てすれば、柴田形には十に八、九目出度い事こそ多い。何故かと言えば、第一に柴田は信長公の
老臣において武勇の長であり、殊に北国には前田左衛門尉、佐々内蔵助、不破彦三、原彦次郎などという
歴々の勇者多く有し、その上勝家甥である佐久間玄蕃允、舎弟久右衛門尉、同三左衛門尉、同源六郎、
何れも確かなる者にて、まして武備あり。これ偏に柴田に対し肩を比べるべき人無き事瞭然である。

一方で、天下の器にあたる地位は、能き人を知りてそれを用いる実があり、度量大やうにのび、才知盡くし、
武勇に達しながらも武を以て事とせず、賞罰両輪の如く用いると雖も、賞を強く、罰を弱く施し、何事も
理の正に当たり、せわせわしくしない。法度の立てるべき本は、己を正しくして他を悪む事も大やうに、
広く衆を愛し、民を撫育し、財貨を愛さず、専ら威の柄をよく養う、という類にある。

970 名前:2/2[sage] 投稿日:2020/04/11(土) 01:22:14.21 ID:CIFVpg9h
私は久しく信孝、勝家、一益の行いを窺ってきたが、彼らは武勇を以て事とし、その他は勝れない。
これは鳥とすれば、羽翼が片方だけあるようなものだ。それでどうして自由を得られるだろうか。

秀吉卿は勝家より勇功は少ないが、江北浅井父子を敵として小谷の城に向かって対陣し、終に大利を得、
その後播州の強敵の中に在国し、これも程なく一国平均に治めた。これは一国から六国を滅ぼした秦の威に
似ている。殊に勇猛も且つ備わり、才知は古今に独歩している程に見える。であれば秀吉が天下を席巻
すること、掌握に覚える。
また、勝家が大利を得ても、若君をないがしろにしてしまうだろう。周公旦のような事は、昔でさえ
稀であったのに。今の日本でどうしてありえるだろうか。ならば何れであってもはかばかしき事は無い。
同じであればどうすべきか。」

そのように、家臣である由戸田半右衛門尉、高木佐吉、坂井与右衛門尉などに対し悲嘆した。

「大方は、秀吉こそ天下の器に当たるだろう。惜しいかな、華麗に身を飾り、自己の栄華こそ天下国家を
知っての本意であると思っている。また翫物喪志(無用なものを過度に愛玩して、本来の志を見失ってしまうの意)
の癖もある。しかしこういった癖病を除けば、賢君と言うべき人物だ。何にしても彼こそ天下の器に近い。
天下の器に当たる才は、天のなせる所である。天が作るものを、人の道としてどうして妨げられるだろうか。
思いもよらぬところだ。

信長公には御連枝歴々多く、大臣数多侍っていたが、明智を討つ時は、池田高山に在し、さりながら秀吉着陣を
待ち得てこそ合戦を始めた。であれば、則ち主君の怨敵を滅ぼしたのは実際には秀吉卿である。
その上故将軍(信長)御葬送を、莫大な費えも厭わず勤めたのもこの人である。あれといいこれと言い、忠義
甚だ多い。天が忠義を感じられること当然であり、秀吉は何れも天の心に合う所が多く見える。どうして天心に
背けようか。私は天理に従おうと、深く思う。」

そう密かに老臣たちに評した所、各々承り「御遠慮、御尤も宜しきと存じ奉ります。これ当家繁栄すべき
金言であります。」と限りなく喜んだ。

賤嶽合戰記

清州会議後の情勢と丹羽長秀について。



971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/11(土) 09:24:41.45 ID:993hYZ3y
長秀さんが勝家に与したら情勢変わっただろうか
でも他の人も似たような考えだったのかもしれんし無理かな?

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/11(土) 11:13:28.03 ID:V/uRSZPV
真冬に滝川を落とした秀吉が有利すぎた
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這い出る病

2017年06月05日 21:11

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/05(月) 01:20:22.37 ID:wjxtjziB
丹羽五郎左衛門殿(長秀)には常々強い痞えがあった。にわかに胸先に
込み上げる折には、五郎左衛門殿は事の外難儀致された。

ある時、急に差し痞え、何ともしのぎ難いために五郎左衛門殿は脇差で
胸を突いて、すぐに卒去された。

その後、火葬に致したところ、病が火の中より真っ黒になって這い出た。
その病には首・足・耳などがあり、亀子(亀の甲)に似ていた。

家来の者どもは主人の仇であるので、近寄ってそれを打ち殺した。
稀有のことに付き、太閤秀吉公にそれを御覧に入れたところ、

「今後は、医者の考えにもなるであろう」との由にて、竹田法印の先祖に
与えられ、今もこれを所持しているとのことである。

いかにも常に痞える折には、胸の内を噛むように“めりめり”と歯の音が
聞こえたとの旨、己丑6月14日の夜に(松雲公前田綱紀より)拝聴仕る。

――『松雲公御夜話』


「あざ丸」

2016年12月11日 16:30

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 12:19:38.64 ID:wrFBh8rX
斎藤道三と織田信秀が合戦したとき、
千秋季光という武将が討ち死にした

季光は平景清が所持していたという「あざ丸」なる刀を差していたが、
後に陰山一景の手に渡った

その後、この刀を持って出陣した一景は、
牛屋山大日寺の寺内に陣を構え床机に腰を掛けていたところ、
敵方の城内から矢が飛んできて、
その矢が一景の左眼に深く突き刺さったという

一景はすぐさまこれを引き抜いたが、
また鋭い矢がまた飛んできて、今度は右眼を射潰されてしまった

この後、あざ丸は丹羽長秀の所持するところとなったが、
間もなく丹羽長秀は眼病を煩ってしまった

そのため、『あざ丸を所持すれば必ず目を煩う』という風聞が流布し、
丹羽長秀は周囲の勧めもあって、
この刀を熱田神宮に進納したところ間もなく眼病は回復へ向かったという

実はこの刀の最初の持ち主である平景清は、
源平合戦において『悪七兵衛』と呼ばれた男であったが、
源平合戦に敗北した後は怨みのあまりに
自ら両目を繰り抜いて盲になってしまったのだという

この痣丸は今も熱田神宮に奉納されているという




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 12:28:15.11 ID:HWGYWPFm
千秋家って熱田神宮の宮司だな
神主武将

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 15:29:21.03 ID:L8TjvmB6
千秋さんの痣丸に因る死は以前出たと思ってたけどまだだったか
ついでに千秋家は桶狭間の前哨戦で佐々と一緒に突撃かまして全滅してるね

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/12(月) 18:46:41.12 ID:vfphFEwK
今年の漢字をやってた清水の観音様のところに百日参りすれば
悪七兵衛景清の奉納した両眼をもらって眼を治すことができたのに

【雑談】そういや五郎左さんの織田家の序列って

2016年10月24日 18:25

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/23(日) 23:34:18.48 ID:0wNx8Ksp
安定の五郎左さんだが、そういや五郎左さんの織田家の序列って
どんなもんなんだっけ?

小説とかでは、佐久間追放後は織田家ナンバー2扱いだけど、
織田家四天王に入っている割には、石高が圧倒的に下で、軍団長にも
任命されずじまい。(好意的な視点では信孝の副将=実質的な総大将だけどさ)

信長末期時での立場とか考えると、光秀・勝家よりは下で、「信長の古参中の古参」
ということで、秀吉や一益よりは上(ただし絶対的な差はない)あたりかねえ。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 09:06:27.85 ID:ufTBOjVK
大将向きじゃなかったんだろ
補佐役のイメージがある
突出した武功があったわけでもないしね
野心もなさそう

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 10:27:48.70 ID:A54ceQ90
織田家臣団は一国持ちまでというサラリーキャップ制を取ってて
近江攻めまでに抜群の功績上げて最初に一国持ちになったのが過小評価の元。
織田が巨大勢力になった後なら一国でも大国をポンともらえたが、まだ小国やるのがせいぜいの時だったからね

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 11:18:42.06 ID:RyTlRMNM
五郎左はショウカみたいな存在だったんだろうね。織田幕府ができていれば一番評価されてたんじゃなかろうか。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 15:19:40.86 ID:ngDmiDsL
自身は信広の娘を(信長の養女として)嫁に貰いその息子の長重は信長の娘を嫁に貰ってるんだから
能力の評価はともかくとして信長からすれば一番信頼してる存在なんじゃないか

丹羽長秀、危篤の時に

2013年08月19日 20:02

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 18:30:01.36 ID:t/koTy7R
丹羽長秀は数年来の積聚に侵されて危篤の状態になった時、

「たとえどんな病気であっても、我が命を失わせるのならばまさしく敵である。
どうしてその敵を討たずして死ねようか」と腹をかき切り、腸を引き出した。

腸を見てみると奇妙な怪物が出て来た。形は石亀の如く、くちばしは鷹の如く
尖り曲がっていて、背中には刀の当たった跡があった。

長秀は自ら筆を執って事の次第を記し「我が家督の事を良いように処理してください」
と書きしたためて、腹を切った刀に積蟲を添えて御殿に献上した。秀吉はとても驚いて嘆き、
自ら筆を染めて「間違いなく子息に本領を与える」と固く誓った。

長秀はこの返事を披き見て「もう思い残すことはない」と言って亡くなった。

――『藩翰譜』




189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 18:49:14.63 ID:8HWuks11
>>188
権現様「参考にさせて頂きます」

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 19:00:37.73 ID:CUYyB3q+
有名な割に丹羽長秀の逸話って死ぬじきくらいのばかりなような

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 19:07:24.98 ID:I74R3XdJ
>>188
そして子息にガッツリと減封につぐ減封を食らわせたと

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 05:40:54.99 ID:+9AwLDop
織田の有力家臣はどうして嫡子がいなかったり若年だったりするんだろ
ふつう30歳辺りで子供が何人かいるよね

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 13:15:07.24 ID:S8iFuCUq
>>193
なんかそれ、働きすぎのサラリーマンみたいじゃないか

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 17:09:23.25 ID:L6kJ8zBX
>>193
年長の子が娘だらけだったりするケースもあるからね

丹羽長秀、任官を断る

2013年05月06日 19:52

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 07:31:06.78 ID:UwuGLQuO
丹羽長秀、任官を断る

天正三年信長、長秀に惟任の氏を賜り壱岐守に任じた。

長秀は「惟任については畏まり受け奉りますが、
壱岐守についてはご勘弁ください
某は若き時分より呼ばれている五郎左衛門のままでいたいのです。」

と達て申し上げたので、その望みに任された。

(名将言行録)


198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 08:43:05.61 ID:br2kSEcp
>>196
惟任じゃなくて惟住じゃね

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 09:43:17.03 ID:UwuGLQuO
>>198
判ってはいるけど、元本にそう書いてあったのでそのままにしといた。

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 10:10:09.55 ID:MqipYOaQ
丹羽丹羽丹羽丹羽長秀がいる

丹羽長秀の憤死

2013年05月05日 19:10

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 06:59:37.19 ID:L9T8304a
丹羽長秀の憤死

後年、秀吉天下を掴まんとするに、心平らかなるあたわず。
ひそかに信雄(のぶを)卿を助けて、織田家の再興を計りて果たさず、
一室に籠りて懊々たり。

疾病に罹り、晩年ほとんど堪えず、遂に刀を抜きてはらを割き、
塊物を抉り出して死す。

塊物亀形をなして、鷹觜の如きあり、背に刀痕を帯ぶ、
秀吉竹中法印に命じて、これを蔵さしめたりき。

(続 鳴呼古英雄)




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 09:00:21.04 ID:GBiO5QUA
〉竹中法印に命じて、これを蔵さしめたりき

この部分の現代訳をご教授お願いします

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 09:11:55.39 ID:BkSiWucm
>>543
「蔵さしめる」は「蔵に納める」ってこと。
つまり丹羽長秀が腹から取り出した塊を、秀吉が竹中法印に命じて蔵に納めさせた、という事だね。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 10:23:59.64 ID:OWxix9Q8
腹に納めて縫ったのかと思ったが
塊を秀吉に送りつけてた気がするから、やっぱり蔵に納めたのか

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 11:28:35.29 ID:GBiO5QUA
>>544
ありがとうございます。
そのニュアンスは、丹羽さんの覚悟を讃えて蔵入りか、
それともその覚悟を隠したくて蔵入りなのか、
どちらに読めばいいのか…いまいちわからない

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 12:13:35.78 ID:ulbPAqWe
丹羽長秀を検索したらフンドシ姿のお姉ちゃんが出てきて死にたい

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 13:44:02.91 ID:befZ1wQQ
激寒採点おばさんの悪口やめーや。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 15:52:47.11 ID:+ZHacaZi
>>547
画像も笑えたけど、検索したついでにあったアンサイクロペディアがくそ笑えた
>「織田」と名前のつくチンピラどもが仲間割れを繰り返す厄介な国である尾張において、牧舎の鶏小屋で丹羽長秀は誕生した。ってなんだよw

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 17:17:42.91 ID:hl7L+R7x
丹羽には丹羽丹羽鳥がいる

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 07:35:54.88 ID:WUvNQt0U
>>538
丹羽長秀の死に方の何が怖いって

「去ぬる十四日(天正十三年四月)に腹切り、終に十六日死去しおはんぬ」
(多聞院日記)

ってことなんだよな。
腸抉り出すほどの割腹して尚死亡までに二日のタイムラグがあると言う・・・

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 14:19:54.01 ID:pCP2coqL
長秀が亡くなって以降の丹羽家はそれこそ波乱万丈の連続だったが息子は逞しく育ったな
決して世渡り上手の人ではなかったみたいだけれど

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 11:29:47.62 ID:97/v4Lob
>>567
多聞院日記はネタの宝庫だなー
噂を書きつけておくことが多いからビックリするような話が残ってて楽しい。

丹羽長秀、上洛せず

2012年03月03日 21:51

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 07:36:20.52 ID:T43T6MHy
天正11年(1583)

羽柴秀吉は7月に大阪に居城を築く。この頃参議に任官し、従四位の下に除し、その権威は添加に振動し、
各地の諸侯は我先にと大阪に馳せ上り彼の謁見を受け、皆その麾下に属した。

そんな中、丹羽長秀だけは越前に移って以来、秀吉に対し音信の使いも登らせず、この年の末になり
冬となっても上洛することも無かった。
これに秀吉は激怒し、使いを越前に派遣し長秀の態度を激しく責めた

『今私は天下の覇権を握った!禁裏を守護し、勅許を受け天下の兵権も掌握した。
そうであるのに長秀は、そんな私との約束に背き上洛してこない。一体どういう理由で私の側に来て
私を輔けないのか!?速やかに上洛せよ!』

この秀吉の言葉を聞き、丹羽長秀は更に激怒した

「秀吉は私のことを何だと思っているのか!?私はこれに返答すべき言葉がある!
汝(秀吉からの使者)は私の家臣を連れて、京に戻るが良い!!」

そして家臣の中から村上次郎右衛門義明を選び、自身の言い分を伝え、秀吉の使いに付けて京へと向かわせた。

義明が上京すると、秀吉はその周りを威儀厳重にしてこれを召し出した。
しかし村上義明はいささかも恐れること無く秀吉の前に出ると、こう声を上げた。

「長秀の言葉はこうです。当国(越前)に移って以来、国務は甚だ多忙であり、またこの北陸の地は雪深く、
冬になれば道を通ることすら容易ではない。その上、天下は既に足下が安定して掌握している。
それ故に私は、安心して在国して足を休めているのだ。

今、あなたが天下の覇権を握るのに、私もおおいに助力した。
それなのにどうしてこのように、私を甚だしく責めるのか!?そこをよく考えていただきたい!」

これを秀吉の前で言い放った義明の勇壮に、祗候の諸大名たちは皆驚き、秀吉の反応を恐れた。
が、この時秀吉は

「…私の言い過ぎであった。汝(秀吉の派遣した使者)も長秀に陳謝せよ」

と、義明に付けて再び越前へと送った。

この秀吉の態度に長秀の怒りも解け、秀吉、長秀は以前のように懇意の間柄になったという。

丹羽長秀が上洛しなかった事からきた騒動に関する記録である。
(丹羽歴代年譜)




245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 12:03:58.61 ID:qXXkHXJx
最後の一文は・・・なぁ?

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 14:09:23.04 ID:oZ3YvhSI
織田株式会社(新興ブラック企業)
丹羽長秀=部長
秀吉=平社員

20数年後、羽柴財閥(日本一の巨大財閥)
丹羽長秀=子会社社長
秀吉=羽柴財閥総裁

柴田、丹羽、池田と仲良く出来るわけないわ

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 18:52:46.03 ID:xyzviczL
堺屋太一っぽいな
元記事の長秀を普通に格好いいと思ってしまったけど

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 19:14:57.35 ID:U+Hrgor7
>>247
だって丹羽家藩祖の公式記録だもんw

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 00:39:03.31 ID:u550q+Io
>>246
池田恒興は信長の乳兄弟で別格だし目障りだったろうな
小牧長久手の戦いの際に三河への直接攻撃を功にはやった恒興が秀吉に
許可を求めた事になってるけど、秀吉から命令された説もあるんだよな。
そうすると無謀な作戦で死を覚悟した鬼武蔵の遺言に合点がいく

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 06:02:54.20 ID:6zNwtS2t
森家も目障りだったのかな?

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 07:40:12.24 ID:eliJJb+0
秀吉個人としてみれば旧織田家中で目障りなのはいなくなったからな
長秀死亡時点で

秀吉、丹羽長秀に「天下の替り持ちを」と

2011年04月09日 00:00

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 23:09:22.94 ID:uz9MhTJD
有名な話ではありますが

天正11年(1583)の賤ヶ岳の後、秀吉に協力した丹羽五郎左衛門尉長秀は、越前、加賀に123万石と言う大領を得た。
が、その頃から長秀は病と称し領地にひきこもり、大阪の羽柴秀吉のもとに現れることが無くなった。

秀吉はこれを大変に気にした。「本当に病なのだろうか?もしや領地が少ないと不満なのではないだろうか!?」
そこで密かに、重臣の蜂須賀彦右衛門正勝を長秀のもとに派遣した。

正勝は長秀に対面すると、秀吉の言葉を伝えた

『お具合はいかがでしょうか?あなたから受けた御厚恩は今も大変重く受け止めています。
そうではありますが、未だ紀州あたりの情勢も不穏であり、これらについて、相談のご相手になって頂けないでしょうか?
今後もあなたから、ご指南ご指図を承りたいのです。

聞くところによすとご病状も、少々良くなられたとのこと。早々に御上洛なされることを、お待ちしております。』

しかし長秀これに
「病状が未だ心もとなくてな。このまま国元で療養いたす。」
とだけ返事をした。

この報告に秀吉は大いに困惑した。秀吉のもとには中国や筑紫、あるいは佐々成政などの不穏な知らせが
次々と入ってきている。ここで丹羽長秀の支持を失えば、それに対応できないどころか、ようやく打ち立てた
彼の天下もたちまち崩壊するだろう。秀吉は起請文を書くと、それを蜂須賀正勝に持たせ再び長秀のもとに遣わした。

今度正勝の伝える秀吉の言葉は、こうであった

『今、私が天下を得たのは、ひとえに五郎左衛門尉(長秀)殿のおかげです。である以上、この上は天下を、
五郎左衛門尉殿と代る代るに持つ形にしたい、と考えています。

あなたが上洛されれば、その後のあなたの領地に秀吉が入りましょう。秀吉は大阪の城と天下を、あなたに
お渡しいたします。

互いにあれほど苦労して得ることが出来た天下です。それを他のものに渡すようなことに成れば、
惜しんで余りありません。
五郎左衛門尉殿に私が仕え奉れば、もはや日本国中に天下に望みを持つものは居なくなるでしょう。』

この書状に秀吉の起請を添えて、正勝は長秀に差し出した。

丹羽長秀はこれに涙を流して感激し、

「病気は嘘ではない。だが、早速上洛しよう。」

と、ついに病躯を押しての上洛を決意した。


秀吉、丹羽長秀に天下変わり持ちを提案する、というお話。





533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 23:14:51.37 ID:mOu2UEhf
>>532
それにしても、こういう天下持ち回り的な話あちこちで聞く気がするけど他になんかなかったっけ

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 09:29:07.81 ID:130sayDZ
ラスボスは、長重さんにひどいことしたよね^^

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 11:06:58.77 ID:UquHEpbj
>>535
でもそんな経験があったからこそ維新まで大名家として存続できたんじゃないかな

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 11:45:21.73 ID:ncElJvKB
>>533
> それにしても、こういう天下持ち回り的な話

ちょっと違うかもしれんが、明智光秀が本能寺の後、細川幽斎に「信長を殺したのは
貴殿の嫡子の忠興に天下を譲るため」云々と言ったりしてたな。

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 12:14:03.46 ID:pYeLNEMs
自分が苦労して天下取ったのに
他人に差し上げる気前のいい人が
世界にどれだけいると言うんだろう

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 13:55:45.47 ID:fZOsZYf6
>>539
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジュゼッペ・ガリバルディ

漫画みたいな人生だw

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/08(金) 17:12:30.20 ID:3c2S7Cau
明智さんの場合はほとんど衝動的な感があったからどうもね
未来に向けた投機的な謀反っつーより身を守るためにやむなく、な雰囲気がぷんぷんする
[ 続きを読む ]

丹羽長秀について、そして安土の普請と信長

2009年08月09日 00:20

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 15:23:08 ID:SsaRd1ck
丹羽長秀っているじゃんあいつって、みんな知ってると思うけど
織田四天王で重臣の一人じゃん

なのにさ、創作物で主人公になってねぇせいか、やたら影が薄いだろw
誰か、丹羽長秀の武勇伝知ってる人いない
いたら宜しく

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 15:32:08 ID:+Ipd/xt6
>187
安土城作ったり奉行仕事もソツなくこなすが

鬼五郎左衛門いわれた武将よな

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 15:38:26 ID:zZ574yCf
>>187
ついに任官を受けずに終わっちまったよな。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 15:56:39 ID:zCUodnWk
>>189
本能寺後に越前守もらったはずだぞ

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 16:18:12 ID:zZ574yCf
>>190
そうだった。でも本能寺後の丹羽長秀って言われてもなあ。終わった武将だよな
織田家臣の頃が華よやっぱ。滝川も、蒲生も。
特に蒲生なんか本能寺で死にたかったんじゃないだろうか

192 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/08(土) 16:48:13 ID:IUCMLHkd
>>187
すっごくうろ覚えなんだが…
持ち主に仇をなす妖刀がらみで丹羽さんが出てたような…

うろ覚えなんですまねぇ

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 17:21:24 ID:MZD2tnFO
>>192
>持ち主に仇をなす妖刀がらみで丹羽さんが出てたような…
痣丸じゃね?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1125.html

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 17:41:50 ID:rGoGgQCC
痣丸とか腫瘍抉り出しとか病気からみの逸話ばっかだなこの人





195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 18:03:26 ID:ELIBPbB2
>>187
天正4年(1576年)正月の中旬、丹羽長秀は安土城の総普請奉行に任命され
近江において安土城の普請が始まった。
それから一月ほど経ったある日の事。

信長「我慢できないので来ちゃった☆」
せっかちな信長は『普請が始まって』1ヶ月しか経ってないのに安土に現れた。
建設が始まってから1ヶ月ではない。しかしながら・・・

長秀「そんな事もあろうかと仮の御殿だけ城より先に急いで建てておいて良かったぜ」

何となく信長がすぐ来るような気配を感じ取っていたのかどうかは定かではないが
既にとりあえず信長が住めそうな完成した建物が建っていたのである。
喜んだ信長は早速、岐阜城を信忠に譲り渡すと2月23日には正式に安土への移住を決定した。

長秀(寝泊りできる宿舎ぐらいの感覚だったのにそのまま住んじゃうのかよ!)
信長「よし、思ったより工事が進んでて気分がいいので五郎左にはこの茶碗あげちゃう。
工事関係者にも褒美をやろう。だから早く建ててくれ。」


準備のいい男の話。
ちなみにあっさりと手に入ったこの茶碗、後に滝川一益が関東管領より欲しがった
珠光ブランドの一品である。






196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 18:09:39 ID:jAfN+Zxi
行動が読めるくらい信長を理解してたからこそ
普請奉行にも任ぜられたのかも。

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/08(土) 19:36:17 ID:IUCMLHkd
長秀たんの死因ってさ…
胃潰瘍が胃癌に変質して、それが腸に転移したんじゃないかw

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 20:47:08 ID:s2UIdXjx
>>195
ヤマトの真田さんのイメージになったぞw

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 21:14:10 ID:zakUk8wP
さすがは米五郎左。

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 21:53:43 ID:SsaRd1ck
>>195
有難う。ほかにも何かあったらよろしく

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/08(土) 22:20:14 ID:+Ipd/xt6
>195
岐阜も家督も軽々と譲り渡すよなあ織田信長……

せっかちな信長に気配りできるところ、丹羽さんや羽柴秀吉の特技かも


丹羽長秀と柴田勝家の怨念・悪い話

2009年06月15日 00:05

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 00:18:29 ID:3SL4TrTp
あまり正確とはいえない史料が
出典なので話半分に読んで頂ければと思いつつ投下。


賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家は、
北ノ庄城で別れの宴を行い、妻・お市の方とともに自害した。

その後、北ノ庄にはもと織田家臣であり、秀吉とともに勝家と戦った
丹羽五郎左衛門長秀が入った。

ある日、長秀は北ノ庄城の広間で、
鎧姿で長刀を持っている武者を見た。死んだはずの勝家であった。

「五郎左、俺の首をどうしたのだ」

勝家はそれだけ言うと消えてしまった。
長秀はその直後に病気になり、死んでしまったという。


勝家の恨みの深いお話。





254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 00:23:23 ID:1jo2da9K
丹羽さんって微妙に影薄いまま死ぬよね

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 00:25:29 ID:0cWzGZfN
病気になった後、腫瘍を腹から抉り出して秀吉に送ったとか>丹羽長秀
意外と恐ろしいことするもんだ

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 00:25:43 ID:y820KXJh
怪談話だなw

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 00:54:16 ID:L9qHu+Ax
確か北の庄のあたりだと
柴田勝家の軍団が百鬼夜行のごとく夜中に歩き回る話もあったはず
その軍団に鉢合わせると「主は何者ぞ」と問われるんだが
その際に「柴田勝家の家臣」と答えないと真っ二つにされてしまうんだとか

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/14(日) 16:52:36 ID:gN61PJLA
>>257
柴田は化けて出るが狂犬は化けてこないんだな。


怪刀痣丸・怖い話

2009年01月30日 00:06

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/29(木) 11:49:45 ID:AiUUxZJI

妖刀村正の逸話がでたので、「怪刀痣丸」の話

斎藤道三と織田信秀が美濃国大垣城をめぐり合戦に及んだ。この大規模な合戦の時に戦死した
千秋紀伊守は、悪七兵衛の異名で知られた平家侍大将の平景清が所持していた「あざ丸」を
帯びていた。
この刀「あざ丸」は千秋紀伊守の討死後に陰山掃部助が入手した。

その後、大垣城の攻撃の際に城内より放たれた木鋒が陣中にあった陰山掃部助の左眼に
当たった。陰山掃部助はその矢を抜いたけれども、今度は右眼に命中し失明してしまったという。

この後に「あざ丸」は丹羽長秀の所持するところとなったが、間もなく丹羽長秀は眼病を煩って
しまった。
この刀「あざ丸」を所持すれば「必ず目を煩ふ」という風聞が流布し、丹羽長秀は周囲の勧めもあって
尾張国熱田神宮に進納したところ、間もなく眼病は快復したという。
(信長公記)




963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/29(木) 15:00:10 ID:N0xgg+E6
千秋紀伊守季光は熱田神宮大宮司家の当主なので、痣丸は
紆余曲折を経て本来あるべき場所に戻ったってことなんだな。

今も痣丸は熱田神宮に奉納されているとのこと。

村上義明、「夜の性活」制限令・悪い話

2009年01月01日 00:09

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/31(水) 18:13:49 ID:m6NLi7+t
話は逸れるがそんな越後の村上藩の話。
丹羽長秀の家臣から大名にまで成り上がった村上義明は家臣に「夜の性活」を制限する禁令を出していた。例えば旧暦五月の五、六、七のつく日は性行為禁止というように。家臣はたまらんかったろうな



867 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/31(水) 19:07:09 ID:SI43DSvR
>>866
わしの書いた本を読めば夜の性活は楽しいものになるのじゃがなぁ…
と、854の方が申しております

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/31(水) 21:07:14 ID:m6NLi7+t
ついでに村上義明が禁欲日と決めた日付は陰陽道の思想に影響を受けたものだったそうな。とはいえ旧暦だと夏の盛りの時期なので「糞暑い時期だけにヤリすぎたら疲労で足腰立たなくなったり病気になるかもしれないから自重しる!」という事だったのかも。

織田信長とやることが無い丹羽長秀・いい話

2008年10月15日 14:48

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/01(土) 23:40:43 ID:Bbw4Bzzz
信長といえばこんな話も

内政と戦の両輪で目の回るような忙しさの丹羽長秀を武田を討伐してもう後始末くらいしかやる事の無い
甲斐に派遣して「やる事が無い」と丹羽が連絡すると「そのまま草津に湯治に行け」と連絡が帰ってきたらしい。

まぁ、「下手な奴に任せるくらいなら五郎左に任せとけ」と言って丹羽の仕事を増やしてたのも信長なんだけどね。




229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/02(日) 00:17:49 ID:sS6hz24Z

>>227
その話は初めてだ。なんか戦国時代のツンデレみたいなエピだなw