722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/05(火) 20:27:29.27 ID:95aPpVc+
銭96文を「百文」というようになったのは、上杉憲政の家老、長尾伊玄(景春)という者が制を立ててより
始まった事である。長尾が曰く、敵国に入り町人地下人逃げ散りその地に居なく成れば、軍に従って来た
小身の中間などは少しの者も買うことができなくなる。つまり取り鎮めても豊かでなければ、銭も使用
出来なくなるのである。逆に豊かな世では、欠漏があってこそ長久の政であるので、銭を96文にして
4文づつ欠けたほうが良い。その上32文づつ3つに分け、32文を4つに分ければ8文となる。このように
計算できるので使い勝手も良いと、96文を以て百文とし、960文を一貫文と定めた。
(安斉随筆)
実際に中世は銭百文未満を百文とする慣習があったようで。で省陌(せいはく)という慣行だったそうです。
それにしても上杉憲政の家老が長尾景春とか、まあ史実的にはむちゃくちゃですね。
723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 10:46:49.92 ID:pnyl82Jx
96進数...
724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 13:39:06.31 ID:FiKxO/hS
景春がいつだしたのかはわからないけど、wikiみると永正二年の撰銭令が日本での初出なのかな?
西国だと80枚75枚と地方によって違いがあるみたいだね
てか、維新後に禁じられるまで慣例として通用していたのか
銭96文を「百文」というようになったのは、上杉憲政の家老、長尾伊玄(景春)という者が制を立ててより
始まった事である。長尾が曰く、敵国に入り町人地下人逃げ散りその地に居なく成れば、軍に従って来た
小身の中間などは少しの者も買うことができなくなる。つまり取り鎮めても豊かでなければ、銭も使用
出来なくなるのである。逆に豊かな世では、欠漏があってこそ長久の政であるので、銭を96文にして
4文づつ欠けたほうが良い。その上32文づつ3つに分け、32文を4つに分ければ8文となる。このように
計算できるので使い勝手も良いと、96文を以て百文とし、960文を一貫文と定めた。
(安斉随筆)
実際に中世は銭百文未満を百文とする慣習があったようで。で省陌(せいはく)という慣行だったそうです。
それにしても上杉憲政の家老が長尾景春とか、まあ史実的にはむちゃくちゃですね。
723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 10:46:49.92 ID:pnyl82Jx
96進数...
724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/06(水) 13:39:06.31 ID:FiKxO/hS
景春がいつだしたのかはわからないけど、wikiみると永正二年の撰銭令が日本での初出なのかな?
西国だと80枚75枚と地方によって違いがあるみたいだね
てか、維新後に禁じられるまで慣例として通用していたのか
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