fc2ブログ

本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息である

2022年04月10日 16:54

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/10(日) 14:40:35.76 ID:HpImF3ZA
或る本によると、本多飛騨守成重は、作左衛門重次の息である。童名仙千代。成人して丹下と称した。

父重次が故あって上総国小原荘に籠居した時、成重も出仕を止められた。
関ヶ原御陣の時、御後に陣し、慶長十八年越前国丸岡の城を給わり、(松平)忠直朝臣に属した。

大阪夏の陣、五月七日に、一晩に合戦を始め、真田の陣を打ち破り、自ら敵二騎を斬って落とし、
大勢の敵を追い崩し、彼の部隊は首二百七十三を討ち取り、大手の城門を破って左の脇より大阪城に乗り込み、
ここかしこに火をかけ、首二十八を斬った。
手の者共で討たれたのは五人、疵を被ったのは七人であった。

元和九年、忠直朝臣配流の後に、再び将軍家に召され、慶安四年十二月に卒した。時に六十二歳であったという。

(新東鑑)

有名な本多重次の手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の「お仙」こと本多成重について。



スポンサーサイト