ただ紙を漉かせる事はいらざること

2016年12月20日 14:11

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/20(火) 03:24:51.69 ID:PnlhRuy0
 蜂須賀蓬庵(家政)の代に、土佐の国で土佐紙を漉くという弥右衛門が土佐の国を立ち去って阿波の国へ来た。
諸役人はこのことを聞き及んだ。
「重宝な者が来たものだ。
阿波でも紙を漉かせて商売させたら、ここもにぎやかになって太守の為にも良いだろう。」
以上の次第を奉行人に訴えて居所等もしつらえて、「今にも土佐紙などを漉かせよう」と言い合った。
 この事を蓬庵へ申し上げると
「この国へ来た者を養育するのはもっともである。
しかし紙を漉かせる事は堅く無用である。
理由は古くから土佐紙として土佐の国で漉いていた物を、
ここへ奪い取り、ただ自分の利のために養育するのも不本意である。
だからといって、彼に居心地が悪い思いをさせるのはいかがなことか。
ずいぶんと労ってやれ。ただ紙を漉かせる事はいらざることである。」
と制止されたという。
ありがたい心ばえで、利を見て義を思うことは殊勝であった。
(武士としては)



433 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/20(火) 14:44:05.91 ID:InVZn0qf
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蜂須賀家政は庭に松を植えようと思い

2014年03月17日 19:08

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/17(月) 18:00:34.28 ID:IFrmhOaB
蜂須賀家政は庭に松を植えようと思い、方々に松を探し求めても無かったところに、
図らずも心に叶った松を取り寄せて殊の外秘蔵に思った。すぐに望んだ居間の小庭に
植えたところ、

御庭裁判役人は数寄屋足袋や立付の姿で杖を突いて下知した。家政はこれに立腹し、
自らその松の辺りへ立ち寄り、土を寄せて「秘蔵である!」と言った。

これによって裁判役人は急に働いた。家政は座敷へ上り、立腹の声で、
「この松が枯れた時は、弓矢八幡、裁判人を磔にかける!」と言って入った。

そうして二、三日が過ぎて松の葉の色が悪くなったため、枯れるのではないかと、
御庭裁判人は殊の外気遣った。そして四日目の早朝、家政は件の松を見て御側の面々に
「この松の裏を表へ植え替えさせろ」と言って、内証へ入った。

故に早速植え直してその旨を申し上げると、家政は出て見たうえで「これでは枝付きが悪い。
この枝を切れ」と、望んだ五枝ほどに付紙をした。そのため、早速枝下ろししたところ、
その翌朝、また松を見て「なんとまあ、枝下ろしが物の数寄を仕損じて枝振りが悪くなった。
根から切って捨てろ」と命じて、眼前で土際から切らせたとのこと。

この事を、その節に沙汰して「植木に人を替えなければならない事情も無いということ、
また、御誓言も無かったことにするべきではないとの御思案ではないか」と恐察した。

――『尊語集』




648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/17(月) 18:21:26.47 ID:N9X7t7tY
なるほど
枯れる前に捨ててしまえば、裁判人を磔にしなくて済むし、八幡大菩薩への誓いも嘘にはならない。
裁判人も怒られてからは一所懸命に松育ててるしな。
なにも最初の発言通りに枯れるまで待って反省した者を磔にする必要はない。
蜂須賀さんは良い大将だね

蜂須賀家の家老に不和な関係の者がいた時

2013年10月14日 19:44

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 14:45:50.53 ID:46He+r5z
蜂須賀家の家老に不和な関係の者がいた時、蜂須賀家政はそれぞれを
西の丸へ呼び出した。そして家政は、

「おのれの威を振るわんがために家老たちの仲が悪くなることは
大きな不忠である。大名が身の上を潰すような国を危うくする出来事が、

家老の不和に基づいて起きた例は少なくない。この中にも不和な間柄の者が
いると聞いた。今後は、そのような者(一本志)のないようにせよ」と言って、

刀を左の膝に敷いて、機嫌を悪くして怒った。そして酒を持って来させて
「おのおの盃を致せ」と命じ、それぞれ盃をして退出したという。

――『尊語集』




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 19:26:58.70 ID:Ve7k81C6
家老「チッ、うっせーな」

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 20:51:04.34 ID:X/J4rbZ0
「刀を左の膝に敷いて」とは、どういう状態?
怒ってるぞ!ってこと?

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 20:57:17.45 ID:GRINmup/
いつでも抜けるようにしてってことか?

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 21:20:17.09 ID:8fHQ++1g
手打ちにするか、手討ちにされるか

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/14(月) 21:37:33.47 ID:X/J4rbZ0
臨戦態勢ってことか
ありがとう

この仕置きによって岩屋は治まったという

2013年10月10日 20:34

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/10(木) 19:13:52.24 ID:/yWrti/2
江戸にいる蜂須賀家政のもとに淡路岩屋の百姓達十人ばかりが訴えてきた。

その子細は、岩屋に置かれた伏屋源兵衛は普段から万事辛く沙汰を行い、
その上、失態もあった。この数々を紙面で願い上げたが取り次ぐ者がいないので、
夜に岩屋より抜け出し、紙面を江戸に持参して直訴したのだという。

家政はこれを聞いて百姓達に向かい「皆々がはるばる参上して、この坊主を
取りはからうに足りる者と頼りに思ったことを満足に思う。私が帰国の上で
速やかに糾明しよう。

長旅にさぞ苦労したことであろう。ここで緩々と逗留して労を休めて、私より先に
帰るがよい」と言って、懇意の意向を示し、料理を与えた。百姓達は大喜びして
淡路へ帰った。

さて、家政は帰国すると「速やかに岩屋の百姓達は残らず参るように」と命じ、
百姓達は喜んで早々に参上した。この時、家政は国奉行をもって「お前達は先頃、
江戸へ参上した時に、どのようにして関所を通ったのだ」と尋ねた。

これに百姓達が申し上げるには「伏屋殿から隠れて仮屋より船で大坂へ参り、
それから江戸へ参上いたしました」とのことだった。

これを聞いた家政は「不届きな奴らめ。国法に背いて関所を破った罪は免れない。
ことごとく磔にせよ」と命じた。この仕置きによって岩屋は治まったという。

――『尊語集』





ただ、感戴の心を持って

2013年09月14日 19:59

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 17:51:50.23 ID:bupZ0KhP
井伊直孝は初め上野二万石を領した。蜂須賀家政は阿波に封じられるや、
直孝の器識卓越を見て、三女を直孝に嫁がせた。後に直孝は大坂の役で功あって
彦根三十万石となった。直孝は深く主恩に感激して、つねづね人に対してこれを語った。

家政はしばしばこれを諌めて「ただ、感戴の心を持って、その終わりを全うするべきだ。
盛んにこれを言い立てるよりも、黙々と胸中に銘じたほうが良い」と、言った。
直孝は深く感謝して、これを常に徳とした。

――『蜂須賀蓬庵』




119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 17:57:35.68 ID:aKzFUpsv
井伊ハナシダナァ

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:00:10.24 ID:6dKoS9sY
釣りバカ家政様か

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:48:17.27 ID:yUnyqPrA
これ以外にも家政の見識や寛大さを伝える話が色々残ってるのに、
なぜヤツはこの人のことを「古狸」なんて言ったんだろうw

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 18:58:55.35 ID:XLGnFnct
「阿波の古狸」はよく聞くけどアレの出典はなんなんだろうね。

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 19:05:57.03 ID:1coYmZzv
政宗が家政評した話の出典?

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/14(土) 19:14:43.78 ID:XLGnFnct
>>123
それそれ。
自分が不勉強なのだろうけど、出典が良く判らんと言う。

蜂須賀家政はついに忠英と

2013年08月22日 19:52

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/22(木) 17:22:05.43 ID:A+4h7HRK
蜂須賀忠英が江戸にいた時、祖父家政が病気になった。知らせを聞いた忠英は許可を得て
国に帰り、家政を見舞った。しかし家政は喜ばず、近臣を介して、

「参勤は公事であって私的なことではない。一度国を出れば、生死はわからないものだ。
武士の出門は常に決別と知れ。故に今になって対面することは不要。早く帰って公事を怠るな」

と告げて、ついに忠英と会わなかった。

――『蜂須賀蓬庵』

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/22(木) 17:29:38.98 ID:NHyKSG+7
忠英ってあまり聞かないから何代目か調べたら二代目阿波藩主だったか
正勝(小六)、家政、至鎮と初代阿波藩主っぽいのが三人いるからややこしい

殿は、湯漬をたてつづけに三杯おかわりした

2012年10月21日 19:29

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 19:20:40.21 ID:i8J/WV84
慶長5年(1600年)7月、家康を弾劾する『内府ちがいの条々』が
全国の大名諸侯にばら撒かれたときのこと。
弾劾文を受け取った大名のひとり蜂須賀家政は、
大坂の屋敷で考え事をしていた。


――嫡男の至鎮は内府の娘を娶ったし、今は内府について会津にいる。
蜂須賀家が内府に組みすると見られているのは間違いない。
――だが、藩主の自分と蜂須賀の兵がこっち(上方)にいるとなると、
いずれ大坂城(西軍)に取り込まれるのは避けられない。


――そうなったら、たとえその後の戦で内府が勝っても、蜂須賀家やばくね?
――よし、ならば……。

決意した家政は、ある行動に出る……それは別の機会に。


本題はこちら。
上記は史実を元に家政視点で創作したものだが、第三者の視点では
家政の様子を次のように記している。

「殿は、湯漬をたてつづけに三杯おかわりした。
この大変な時にも食欲を失わないとは、なんと豪胆なことか」

どうやら家政さん、考え事は食事中にしていたようで。
これは創作ではなく、蜂須賀家の家譜に記録された本当の話。


竜頭蛇尾なネタで失礼しました。




18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/20(土) 22:04:37.27 ID:cAR48cti
>>17
創作は勘弁してくれ。

蜂須賀家政、百五十石の浅田亀之亟に

2011年03月30日 00:01

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:26:04.45 ID:ksf/PHhw
>>591 
そういえば蜂須賀家政の話にも
当時の大名の逸話らしく、質素倹約を尊ぶ話が多いんだが、
中に毛色の変わったものがあった
浅田亀之亟という家臣が御用があって料理を頂いていた時
そこに家政が入ってきて雑談していったそうだ
「お前は今知行をいかほど取っているのか」と聞かれたので
百五十石ですと申し上げたところ
「私が織田信長に仕えていた頃も百五十石取っていたが
あれは不自由なものだった
とはいえ、私は元々親が大身であったので、その分家で使っている人間も多く、
それほどでもないところがあったが、その方はさぞ難儀だろうな」
こう言ったあと、ふと付け加えて笑ったそうだ
「その頃私は革袴を持っていて、それを周りの者から随分羨ましがられた
ものだったが、今時ではそんなこともないだろうな」

経済が成長して、ちょっとしたぜいたく品だったものが一般に普及したり
戦がなくなったせいで需要が減ったりしたのかなーと考えさせられた
平和な時代だと、武士もいざという時のためにひたすら貯め込んでおく必要性薄れるだろうしね




608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 10:52:14.91 ID:IrkOfTjv
戦時だと軍役が定期的にあるから。
刀も消耗品と、一本あればいい平時では同じ収入でも余裕が違う。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:19:49.29 ID:903fpAuW
そもそも戦場で刀使わないのになんで消耗するんだよ

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:25:06.85 ID:ITeY+K8m
>>609
いまどき合戦での刀否定なんて鈴木信者かよ?
普通に使ってたっつーの。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:52:33.36 ID:eRDgox0+
手入れを怠って劣化したり、金に困って売ったりするからじゃないかw>平時の消耗

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 12:55:26.78 ID:4YtqyzhV
馬も高い金出して名馬一頭買うくらいなら、その金で普通の馬3頭買え、
なんて話もあったな。

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 13:16:46.97 ID:Ftar+IRJ
ジミーさんと高虎の運用思想の違いの類型の話やね。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 14:04:28.75 ID:jl621Qg5
竹中さんが牛に乗り換えました

蜂須賀家政、平家の亡霊におびえる?

2011年02月08日 00:00

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/07(月) 18:20:58 ID:tdpRK57b
蜂須賀家政、平家の亡霊におびえる?

時は天正15年のこと、前年に阿波に入国した蜂須賀家政は、
領国の経営に頭を悩ませる日々を送っていた。
長宗我部元親を抑え、四国を平定はしたものの、
当時、阿波には未だ多くの有力土豪や山間部の土豪、地侍、三好氏の残党、
土地持ち本百姓の一揆など、また新たに抱えた諸浪人たちが家政に服さないのではないかと心配事は多かった。
そんな中、とんでも無いものが発見された、
山間部、祖谷地方の阿佐家が隠し持っていた、一対の「平家の赤旗」である。
軍旗は戦において非常に重要なものであるが、いくら何でも物持ちが良すぎる、
源平の合戦はこの時既に400年も昔の事で有る。

しかし、いくら古いものとはいえ、軍旗は軍旗、
それを南北朝期には足利幕府をさんざん悩ませた、阿波山岳武士の末裔が所持していたのである、
さすがに見過ごす訳にはいかない、あえなく没収となったのである。


・・・ご存知の方も多いと思いますが、この話、後日談があって、
この平家の赤旗、現在も伝わっております、それも没収された筈の当の阿佐家に。
なんでも、蜂須賀家の手によって掛け軸として表装して返されたんだそうであります。
掛け軸にしてしまえば、軍旗として使えないということなのでしょうが、
ずいぶん気を使った処置ですね、いったい何があったんでしょう?
今となってはわかりません。




696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/08(火) 00:37:51 ID:EO1kr+RX
新聞赤旗・・・いや、なんでもない

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/08(火) 17:17:39 ID:hhreNxhC
共産党は桓武天皇の末裔。

蜂須賀家政と僧侶たちの訴訟

2011年02月02日 00:00

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/31(月) 22:56:33 ID:Lz/Itk3h
蜂須賀家政が阿波の国で孫の後見をしていた頃、
寺町のある寺の僧侶たちの間でもめ事が起こり、訴訟にまで発展した。
家政はこれを聞いて、その件はそのまま放置しておくよう指示していたが、
その後ふと駕籠で寺町まで赴き、寺に上がり込むと当事者である僧侶たちを呼び出した。
家政は、双方の言い分を聞いた後、こう言い渡した。
「そもそも、お前たち出家は自分たちが人のもめ事を仲裁する立場だろう
そのお前たちが訴訟を起こしたなんて話になったら聞こえがよくない
とにかく今回はやめておけ」
そして硯と紙を借りると、さらさらと歌を書きつけて僧侶たちに差し出し
さっさと帰ってしまったそうだ。

 山寺の春の夕公事来て聞けば 入相の鐘にわけも聞へず

…新古今和歌集に能因法師の「山里の春の夕暮来てみれば 入相の鐘に花ぞ散りける」と
いうのがあるが、これを引き合いに出して
「全く能因法師の言うとおり、私なんか公事を聞きに来たけど、花が散るように鐘の音で
坊主の言い分も聞こえなかったよ、なかったことにしてもいいよね?」と言いたかった…
と、取ればいいのかな。
家政のユーモアを感じて面白かったが、僧侶たちは煙に巻かれた気分だろうなと思って
こっちに投下。




蜂須賀家政「地の利を頼むより」

2010年04月09日 00:03

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 18:33:21 ID:tLytfPMW
天正十三年(1585)、秀吉による四国征伐の結果、蜂須賀家政は阿波十七万五千石の太守となった。
そこで家政は先ず、要害堅固で知られた山城、一宮城(徳島市一宮町)に入ったのだが、ここを居城とせず
新たに平野部の吉野川河口に新城を造ることとした。
これを聞いた蜂須賀家重臣、武市信昆は諫言をする

「平地の城では一旦事が起こった場合、甚だ不利となってしまいます!」

蜂須賀家の防衛を考えた場合、当然の懸念であろう。
が、家政は笑って武市を諭した

「秀吉公の武威により、今から百年後までも世の中は泰平となり、武備の要という物も必要が無くなるだろう。
であれば地の利を頼むより、むしろ人の和を頼むべきではなかろうか?」

だからこそ平地に新たな城を造るのだ。
武市もこれに納得し、新城、徳島城の建設は始められた。その縄張りには築城家として有名な林道感と、
当の武市信昆が当たったと言う。


いち早く新たな時代の城を考えた、蜂須賀家政のお話。




242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 21:39:18 ID:hFOEBrz4
>>241
その城の落成記念で踊りだしたのが、阿波踊りの起源ってことになってる。

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 00:47:10 ID:1DJJepGv
へええ、阿波踊りの起源なのかー

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 01:00:12 ID:9N0nCcsm
>>243
あくまでも地元の伝承レベルの話だけどね。

その日も忠英は寝坊した

2010年04月02日 00:03

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 07:35:37 ID:0gwEpzcR
ヒャッハー!新年度だアッー!寝坊する子はいねがぁぁぁ!!

阿波藩主、蜂須賀至鎮は三十台半ばの若さで世を去り、子の忠英は祖父の蓬庵(家政)が
後見することになった。早くに父を亡くした忠英は甘やかされて育ち素行が悪く、家臣の手を焼かせ
たびたび蓬庵からたしなめられた。( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1938.html

その日も忠英は寝坊した。
「若様、若様、もう朝ですよ?起きて下さい。」「うーん、もう少しだけ…」
「何を仰せになりますか。早朝からお出かけだった蓬庵様など、とっくに戻られて、もう朝餉を
召し上がっておいでですよ?」「なに、お爺様が!」

さすがにマズイと気づいた忠英、あわてて飛び起き、蓬庵のいる徳島城西の丸へ駆けつけたが、
すでに朝餉に箸をつけた蓬庵の忠英を見る目は、冷たい。
「……………(怒)」
「え、えーとお爺様、こ、これは……」
「…今朝、竜王山の麓にな、こんな紙切れが落ちておった。書いてあることを読んでみよ。」

『 ものの名も 処によりて 変りけり そちの朝飯 こちの夕飯 』

「誰が詠んだ狂歌か知らんが、言い得て妙じゃの。いったい、何のことを言っとるのかのぉ?!」
「……………」
その後、蓬庵は忠英と歌について二言三言交わし、忠英の食べ終わるのを待たず退出した。

それからというもの、忠英は寝坊しないようになり、徐々に行状も改まったという。




蜂須賀家政は甘いものが大好きだった

2009年11月12日 00:23

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 23:17:04 ID:jU9medFe
蜂須賀家政は、朝晩の食後に菓子を食うぐらい甘いものが大好きだった。

ある日、家政の近習・内海十左衛門は主君に呼ばれ、「手を出せ。」と言われた。
言われた通り手を出すと、家政は皿に盛った豆餅を一個、楊枝に刺して内海に与えた。
内海が受け取って手を引っ込めると、家政は
「なんじゃ、若い者はまだ食うかと思ったのに遠慮しおって。あとはワシが食うとするか。」
と言って内海を下がらせた。

それからしばらくして、また内海は家政に呼ばれ、豆餅を一個もらった。今度は心得た
内海が手を出したままでいると、家政は言った。
「なんじゃ、意地汚い。残りはワシの分じゃ、やらんぞ!!」
「・・・・・・」


徳島藩士の記録より。えーと、名将言行録には
「家政は余った菓子を宿直の者に残らず与えた。足りない時は切り割り、不公平の
ないようにした」と書いてあるんですが・・・




104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 23:21:44 ID:aNx/1zDG
落語の住職さんと小坊主でこんなのありそうだな。
家政公は笑がわかっておられるw

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 00:17:50 ID:NF2+W8AT
おそらく与える人間が内海一人だけじゃなくて何人もいたのだろう。
最初の時は豆餅が大量にあり余っていた。
次回の時には足りなかったので切り割って与えるつもりでいたけど
内海だけは前回欲張らなかったから特別に「一個」もあげたのに
更に催促してきたので「意地きたねー」と言った。

と、好意的に解釈してみるw

蜂須賀家政「よーしパパ大坂城に行っちゃうぞー」

2009年11月11日 00:17

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 20:57:03 ID:ZB+TLXKr
大坂の陣が始まる少し前のこと。
関ヶ原の合戦の後、嫡子至鎮に家督を譲って隠居していた、蓬庵公こと
蜂須賀家政が突然謎の言動を見せ始めた。

蓬庵「よーしパパ太閤様の神社を建てちゃうぞー」
至鎮「こ、この徳川の時代に何をやり出すのですかお父様(((゚Д゚;)))」

1614年、豊臣家が風前の灯と言うときに阿波国中田に豊国神社建立。

至鎮「お、お父様このようなことをしては幕府に……」

とりあえず豊国神社建立を問責はされなかった大坂の陣前夜。豊臣恩顧(笑)の諸大名に
大坂方から合力の誘いが来る。

蓬庵「よーしパパ大坂城に行っちゃうぞー」
至鎮「ち、ちょ、それは本気で御家が潰れますから(((゚Д゚;)))」
蓬庵「大丈夫大丈夫、一人で行くからw」
至鎮「駄目ですってー(>_<)」

もちろんそんな話が徳川方に伝わったら大問題。改易されてもおかしくない。

至鎮「大坂に行ったらボク切腹しちゃいますからー!!(>_<)」
蓬庵「わかったわかった、じゃあ大坂やめて江戸までちょっと行って来るから」
至鎮「殺されにいくようなものじゃないですかー!!!」
蓬庵「もう決めたからw あと頑張ってねー」

1614年冬、大坂冬の陣勃発。蓬庵様は江戸にて留守居役と称して釘付け中。

至鎮「お前ら死ぬ気で戦え! 活躍しないと内通疑われて改易されるぞ!」
家臣「(((゚Д゚;)))」

かくして蜂須賀家は大坂冬の陣で家康、秀忠から七枚の感状をもらう大活躍を見せ、
戦後には淡路一国を与えられて阿波淡路25万石の大大名となったのである。

蓬庵(……計算通り( ̄ー ̄))

この男、伊達政宗から「阿波の古狸」と呼ばれたという。




303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 21:02:49 ID:5CTB59yb
>>302
一人ででも大坂城に入るって騒いだ後止められて
じゃあもういいよいっそ俺を人質にすればいいさ!って江戸行っちゃったんだよな
結果だけ見たら父親を人質に差し出すっていう無二の忠誠を示したわけで
しかも逆に世間から見たら豊臣の恩を忘れてないアピールにもなる
蓬庵様は本物の策士やでー

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:30:40 ID:2RTuaMpW
阿波国中田に豊国神社は今もあるのかな?

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:30:45 ID:xAJDWfbh
ああいうdqnは教育でどうこうできるものじゃないだろw
生まれつきだよ。


309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:51:17 ID:fBqqvo9a
>>306
ぐぐったら三代目の藩主のときに廃絶して、その後明治時代になってから再建されたそうな。

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:53:33 ID:ZB+TLXKr
>>306
ttp://genbu.net/data/awa2/toyokuni_title.htm


蜂須賀家政は冬になると家臣にある物を与えた

2009年07月18日 00:13

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 01:26:14 ID:jU+QS9Pi
蜂須賀家政は冬になると家臣にある物を与えた。
「お前にこの足袋をやろう」
「はあ・・・(なんで片方だけ?)」
なぜか家政は片方の足袋しか与えなかった。しかし、それから数日経つと
突然足袋のことを問いただした。
「お前にやった足袋どうした?見せてみろ」
もし家臣が足袋を持ってきたならば、家政は
「おう偉いじゃないか。お前には褒美をやるよ」
と褒美をくれた。だが、
「片方だけ貰っても意味ないじゃん。捨てちまお」
と捨てた者はまさか捨てたとは言えず、失ったと言う。家政はそういう者には
「たく注意不足なやつだなお前は。そんなんじゃまた物をなくすぞ」
と叱ったのであった。




518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 01:30:11 ID:aM82EF8s
こうゆう話ってすぐ伝わって相手にバレると思うんだがなぁ
またあれか、ってみんな黙ってるんだとしたら面白いんだが

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:02:16 ID:rZSsjhPL
後からくれる褒美って、もう片方の足袋だったりしないよな?w

521 名前:↓そんな訳ねー[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:10:41 ID:uRE12reh
>>520
実は足袋の中にはプレゼントが…つまり蜂須賀家政はキリシタンだったんだよ!

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:24:14 ID:LTcy+vUE
>>440
ところが日系人の中に薩摩の人が居たためその人を使って解読された・・・

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 10:46:24 ID:mQUNH5xA
たびたび褒美をくれるんですね、わかります。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 11:45:33 ID:K4V4hCAh
足袋と度々をかけているんですね。
すごいな~
やるな~

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:30:10 ID:OzRtZTpd
現在、富田長繁と鬼武蔵と切れた蒲生氏郷が>>523の所へ向かっています。

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:41:52 ID:9ms2RC+C
森さんはこの前の試合で相手選手に暴力ふるって2試合出場停止です

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:47:17 ID:3o9geMc+
>>521
確かに蜂須賀家政はキリシタンだったらしいがw

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:55:39 ID:oKR67saO
>>527
阿波の殿さんは、ソックスハンターだったんだよ!!

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 16:40:26 ID:XBnYAgp/
>>526
それはMQNこと川崎フロンターレのMF森勇介だだだ
鬼武蔵の血を引いてるんじゃないかと思えるぐらいDQNな逸話に事欠かない


蜂須賀家政「人間一寸先は闇だから」いい話

2009年06月02日 00:05

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 00:36:28 ID:ucpZlkpY
ちょっと前に四国の武将が話題になったが、全然話題にならなかった
蜂須賀家政のお話。

家政公がある家来を加増したのだが、それから三、四日後に家政が
駕籠に乗っている時に、中からさらに加増の記帳をして家来に与えた。
ところが家来はまだ最初に加増された時のお礼をしていなかった。
おかしいなと思った家来は家老に

「某は加増されたばかりで、お礼の言上もしておりませぬ。
にも関わらず、本日加増されたのは何かの間違いなのでしょうか?」

と聞いた。そこで家老が家政にこの事を伝えたところ家政は

「実は最初は百五十石与えるつもりだったのだが、いろいろ考えて
一旦、百石だけ与えたのだ。だが駕籠の中で人間一寸先は闇だと
思ってな。今、残り五十石を与えないと、どこかで何かが起こって
わしの考えがそのままになるやもしれんと思い、急に記帳を書いたわけだ」

と述べたという。





133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 00:43:36 ID:/viHrcZ/
狸さんは計算しすぎだなw

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 01:04:20 ID:RCEit5EI
>>132
蜂須賀一党も人間味あるっていうか、面白い逸話残すねぇ……

足利家の末裔たる平島公方を下級藩士みたいな禄で生干しにしてたのは
豊家恩顧の大名家だから徳川家に対してポーズとる必要があったのか、
小六正勝さん以来、足利将軍家や室町バクーフと機内政権に深刻な恨みでもあったんかしら。

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 02:48:13 ID:m1DIgFai
義晴の系統が嫡流として残ってるんだから、政権争いにやぶれた平島を厚遇する必要もないでしょ

古河と小弓のほうは合体しちゃったんだっけか?

136 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/01(月) 02:52:35 ID:SwEwTieu
駕籠の中が暗くて一寸先は闇って…なわけないか。
それにしても後々のことを考えてるとは名君だったんだな


蜂須賀家政、孫を諭す・いい話

2009年04月29日 00:08

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 01:34:15 ID:78epXXKV
蜂須賀家政の孫の忠英は幼年の頃やんちゃで、家来たちは非常に
手を焼いた。もうどうにもならんということで、家臣たちは家政に
忠英を戒めるよう頼んだ。しかし家政はすぐに忠政を戒めなかった。

しばらく経って、家政は忠英と食事しているところに、家臣に命じて
犬を連れてこさせたが、なぜかその犬は家政の顔を見ると怯えだし、
逃げ去ってしまった。犬が逃げると、家政は庭に粟をまいた。すると、
雀がまかれた粟に群がった。そして政はおもむろに忠英を抱えると

「いいかい忠英。さっきの犬はわしがいつも杖でひどく叩いたので、
わしを見て逃げ去ったのじゃ。対して雀はいつも可愛がっておるから
すぐに集まって逃げたりはしないのじゃ。主君と家臣の関係も同じで、
日頃愛をもって接していれば自然と家臣は主君を慕うのじゃ。だが、
権威で押さえつけるようなことをすれば、従わないだけでなく、犬の
ように逃げだすことじゃろう。今言ったことはよく心に留めるのじゃぞ。」

と諭したのだった。どうやらすぐに忠英を戒めなかったのは、犬の
仕込みと雀の飼い馴らしをしていたからのようだ。




97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 09:12:37 ID:i7AWNKbR
>>92
ずいぶんと回りくどいことをw
ってか結果息子はちゃんと心変わりしたんだろうか?

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:48:36 ID:Uuks431N
>>97蜂須賀家政公て
なんか病で出仕を休んでて(なのに)往来で殿と出くわし、
錯乱した家臣の受け答えをサラッと流した寛容仁愛の人だね。<まとめスレにあったはず

きっと小六正勝さんも面白い人だったろうと期待してしまふ

家来想いな殿様蜂須賀家政・いい話

2009年04月23日 00:14

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:57:57 ID:kXBEKX3M
蜂須賀家政は江戸に在勤している他の大名を訪ねるとき、
一緒に付き添った家来に「俺日暮れまでこちらにお邪魔するから
帰る時間までお前らはその辺で遊んでな。」
と言って小遣いを渡して自由時間を与えたそうな。また家政は
食後のデザートが大好きだったけれども、必ずその日の当直の
人数分、餅やあんを残し、それでも足りないと自分の分も残した
そうな。実に家来想いな殿様だ。




936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 09:58:05 ID:5D4VdaU6
>>927
地味だけど、こう言う気配りが結構くるものあるね。
もしかしたら、父親から学び取ったのかもしれないね。

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 10:17:56 ID:FgurobbZ
いい話だけど地味過ぎて親戚のおっさん臭がする

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 12:51:22 ID:kbuDtk56
名家だとまた違うのかもしれないけどこの時代の殿様親戚のおっさんみたいなの多いよな
実際若い近侍は重臣の子だったりして親戚みたいなものだったり本当に血が繋がってたりするし

名将言行録から人間慌てると何を言うかわからん話、蜂須賀家政家臣・いい話

2009年01月02日 00:04

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 20:32:27 ID:obqaIR0A
名将言行録から人間慌てると何を言うかわからん話。

1.蜂須賀家政家臣
蜂須賀家政の家臣何某は病気になって休みをとっていた。
病気とはいえたまには運動せんと…とでも思ったか、ある日家の近くをゆっくり
歩きまわったりしていたところ、そこにちょうど家政の駕籠が通りかかった。
何某が頭を下げていると家政が駕籠から降りてきて、
「お前病気って話だったけどなんの病気?」
何某ははっとして、これは俺が出歩いてるのを見て、
こいつ仮病で休みやがってと思われてるんじゃないか!?
えーと…えーと外出してても問題なさそうな病気…
「つ、つんぼです!」
ヤッチマッター!
そんなわけねえ!そんなわけねえー!
しかし家政はこれを聞いて「よく養生しろよ」とだけ言って帰ってしまった。
何某がこの失態を責められるのではと家で恐れおののいていると、
家政から漢方薬と見舞いの言葉が送られてきた
「顔色も悪いし痩せこけてるからこりゃ肝臓かなと思って聞いてみただけだ」
ほっとした何某はやがて快癒して出仕もできるようになった。
これはとっさに嘘の病名を言ったことを気に病んで治るのが
遅くなってはいかんという家政の心遣いだったという。
家政は常々人に「武士は情あるを以て好しとす」と語っていたそうな。




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 21:16:45 ID:QGmDuU5g
>>731-732いい殿様だなー

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 21:49:37 ID:T1rJgfHG
家政いい人過ぎるw

738 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/02(金) 00:35:55 ID:CvsKKCVx
>>734
政宗は家政の事を阿波の古狸と言ってたな。

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 11:40:11 ID:oTsJtmtY
>>734
足利義栄系統の平島公方は冷遇しまくりだったがなーw
食客扱いだが下級藩士並みの禄しか与えなかったとか。
まあ徳川が喜連川氏を保護してたから当然っちゃ当然だが。

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 16:00:03 ID:H5CJ74No
喜連川は参勤交代は免除だし(だから最初は江戸に屋敷持ってなかった)
年賀挨拶の際などでの江戸城での席次が将軍、御三家の次だった時もあったくらいだからな