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御無心ながら、この葛籠を

2022年04月29日 18:06

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/04/29(金) 17:58:46.21 ID:EA4ErCyW
或る本に、慶長二十年(1615)五月十日の事であったが、和泉国今井の小物屋、長左衛門という者、
親の忌日に当たるとして、近隣の姥嫁等を集め茶を入れ、四方山の物語をしていた所、
年齢二十歳余りの武士、彼は着込みの上に帷子、并びに軍羽織を着し、旅装束にて長左衛門のもとに来て。、
笠を脱ぐと

「御無心ながら、この葛籠をしばらくここに置いて頂きたい。」

との言葉も終わらぬうちに、中間に持たせた葛籠を門内に投げ入れて立ち去った。
長左衛門は人を出して彼を追いかけさせ、「御知己でも無いのに、むやみに預かるようなことは
罷りなりません。早々に持ち帰ってください!」と伝えようとしたのであるが、かの武士と中間は共に、
早くも行方が知れず、遣わした者も空しく帰った。

その場に集まり居た者達は口々に、「これは定めて大阪の落人であろう。路次にて盗賊に逢っては
難儀する故に、この荷物をここに置き、身を軽くして働かんと思い、このようにしたのだろう。
今日はあなたの御親父の忌日なれば、仏神があなたに、福を与え給ったのではないだろうか。」

そのように申したが、長左衛門は眉をひそめ
「いやいや、それは事によるべし。落ちているものを拾うのさえ、心ある人は善しとしない。
いわんや、人が預けたものに手を出すなど有るべき事ではない。たとえ主人は殺されたのだとしても、
世の人の聞くところは如何であろうか。」

そう言って、下人三、四人を召し連れ、股引脚絆(旅装束)して、目当てもなく国府の方へ
尋ね行った所、一里ばかりも進だ場所にある、堤の陰にあたる溝の端に、最前の武士が、
数ヶ所に手傷を負って、死んでいた。

せめて共にあった中間になりとも、尋ね逢わんと思っていた所、畔の上に、年のほど十七、八と見える婦人、
一練の帷子に、生絹に秋の野を描いたものを引き重ね、生まれて五十日ばかりの子を抱いて倒れていた。
彼女は喉元を突かれ、朱に染まって死んでいた。その傍らに、引き破られた駕も打ち捨てられていた。

彼女の抱いている赤子の生死は如何かと窺ったが、これも、飢えて死んだのだろうか、息もしておらず、
成すべきことも無かった。

長左衛門は、それより十町ばかり南の山寄に知っている僧が在ったので、急ぎ使いを以てこの趣を知らせ、
彼らを葬らせた。

さて、長左衛門はそれから一年ほども過ぎた後に、かの葛籠の蓋を開けた。
その中には婦人の衣服、并びに正宗の脇差し一腰、その他、竹流し金があった。これ故、いよいよこれは、
あの場で死んでいた女性の荷物に相違無いと考え、この衣服から幡を仕立て、金など、とかの僧の庵室へ寄付し、
件の脇差しは家の重宝とした。

長左衛門の家はそれよりますます富み栄え、代々有徳にて暮らした。
また、武士の差していた大小は、これを弔った僧が売り、これによって追善の営みを最も懇ろにしたという。

この話は、津川左近(近治)の事ではないかと考えられ、よってここに記す。

(新東鑑)



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