364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/09/11(日) 15:47:05.18 ID:QRvICXs9
阿波の三善(三好)修理太夫(長慶)殿は、十七歳にて思い立ち、
「当年より三ヶ年の間、夏百日づつ求聞持の法を行いたい。」と宣われた。
家老の者は「それは何のためにあそばされるのでしょうか」と申した。
修理太夫は「武道の誉のためである。」と答えられた。
家老は承り、「三好の御家に生まれられた以上、冥加も果報も一段目出度くあられるのに、
どうしてそのように勿体無い事を行われるのでしょうか。」と諫言した。
三好殿は言われた
「各々は私に、冥加も果報も有るではないかと言う。しかしそれは推量である。
(新田)義貞公の軍記においても、推量は嫌われている。
私は幼少であるので末の儀を知らない。知らなければ先悪しと覚悟致すのが
尤もであろう。
もとより果報のある人は、祈らずとも吉となるだろう。
果報の無い人は祈っても叶わぬだろう。
また祈らずして悪しくなる者もあるだろうし、突然祈って良い結果となる人もあるだろう。
これ皆天道である。
果報に生まれついた人は、例えば自然木のようなものだ。自然木は強風にあたっても
そのために枯れることは稀である。木は何れも同じことだと思っても、そこに柱を添えて
結わなければ、すこしの風でも当てられて枯れること疑いない。
私のこの度の求聞持は、植木に添え木を結う心なのだ。
信仰を評価しない人の言う事も理である。
「八幡の社人、愛宕坊主などが天下一の武辺者に成るだろうか」と、神を信じる者を謗る。
しかしながら、例えば金堀は金を掘るが、己の物とはせず人にもたらす。
またそのように信仰を評価しない人々も、いざ、自分の子が存命不定の病となり、或いは
主君の勘当を蒙るなど、何の道であっても難儀に及ぶその時は、諸神諸仏に立願する。
皆これ人間の迷である。
迷に便って身を助る。人が迷わず悉く悟るなら、僧や社人は餓死するだろう。
されば昔より名を得た人は、十人中九人、信心の無い人はない。
祈るも天道、祈らぬも天道である。」
『甲陽軍鑑』
甲陽軍鑑より、三好長慶による信仰心についてのお話
阿波の三善(三好)修理太夫(長慶)殿は、十七歳にて思い立ち、
「当年より三ヶ年の間、夏百日づつ求聞持の法を行いたい。」と宣われた。
家老の者は「それは何のためにあそばされるのでしょうか」と申した。
修理太夫は「武道の誉のためである。」と答えられた。
家老は承り、「三好の御家に生まれられた以上、冥加も果報も一段目出度くあられるのに、
どうしてそのように勿体無い事を行われるのでしょうか。」と諫言した。
三好殿は言われた
「各々は私に、冥加も果報も有るではないかと言う。しかしそれは推量である。
(新田)義貞公の軍記においても、推量は嫌われている。
私は幼少であるので末の儀を知らない。知らなければ先悪しと覚悟致すのが
尤もであろう。
もとより果報のある人は、祈らずとも吉となるだろう。
果報の無い人は祈っても叶わぬだろう。
また祈らずして悪しくなる者もあるだろうし、突然祈って良い結果となる人もあるだろう。
これ皆天道である。
果報に生まれついた人は、例えば自然木のようなものだ。自然木は強風にあたっても
そのために枯れることは稀である。木は何れも同じことだと思っても、そこに柱を添えて
結わなければ、すこしの風でも当てられて枯れること疑いない。
私のこの度の求聞持は、植木に添え木を結う心なのだ。
信仰を評価しない人の言う事も理である。
「八幡の社人、愛宕坊主などが天下一の武辺者に成るだろうか」と、神を信じる者を謗る。
しかしながら、例えば金堀は金を掘るが、己の物とはせず人にもたらす。
またそのように信仰を評価しない人々も、いざ、自分の子が存命不定の病となり、或いは
主君の勘当を蒙るなど、何の道であっても難儀に及ぶその時は、諸神諸仏に立願する。
皆これ人間の迷である。
迷に便って身を助る。人が迷わず悉く悟るなら、僧や社人は餓死するだろう。
されば昔より名を得た人は、十人中九人、信心の無い人はない。
祈るも天道、祈らぬも天道である。」
『甲陽軍鑑』
甲陽軍鑑より、三好長慶による信仰心についてのお話
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